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イリカミネ イリカミネ 抱きしめて 毎日だって 切られて 切られて イリカミネ
三菱電機
毎週火曜日のこの時間は、神戸金史のCatch Upです。
私は歴史が好きだというのを何度も言っているんですけど、歴史小説と時代小説というのが違うということに、あるときに文芸評論家さんが文庫本の解説で書いてあるのを見て、そうなんだと思ったんですけど、わかりますかね、イメージとして。
歴史小説って徳川家康とか小田信長とか、歴史上の人物や出来事を背景にして描かれた小説。
時代小説は歴史上のある時代を舞台にしているんだけど、別に出来事とか出てこなくても、有名人が出てこなくても、町の長屋を舞台にした人情物語でも。
架空の人物でもいいんですか。
境目は微妙で、綺麗に切れるわけじゃないんだけど、時代小説の場合、極端なその時代でなくても構わない内容かもしれませんね。ただしその時代を描くことで。
設定上その時代を描くことで浮かび上がるものがあると。
ある文芸評論家がどなただったか忘れちゃったんですけど、今回誰だったろうと思って調べて、わからなかったんですけど、別の直木書作家の今村翔吾さんが書いてました。
私が歴史小説と時代小説の違いを尋ねられたときに、ごく簡単に言い切ればと断った上で、大河ドラマのようなものが歴史小説で、水戸鴻門のようなものが時代小説と答えています。
水戸鴻門って見たことある?
はい、あります。
あるか。万有記、鴻門様がずっと回る、徳川水戸家の二代の水戸さんですね。でも実際にはあまり万有はしてないんですよね。
講談の世界で広まった、ある意味フィクションですので、その意味では時代小説。
大河ドラマは歴史小説だと言われたらそうだなとは思いますね。関ヶ原の戦いが何年にあったとか、徳川家康が何年に死んだとか、そういうのは変えられないわけですよね。
史実ですもんね。
ただ、人柄とか人物像とかっていうのは江戸時代の文化だったり講談だったりで作られてきたものがほとんどなので、徳川家康が狸爺だとかですね、そういうのも本当にフィクションなんですよね。
本当のところは歴史学がそういうところは求めていないというか、どんな行動をして、どんな行動原理があって、どんな発言があってということをしっかり記録していくのが歴史学なので、
狸爺だったかどうかっていうのは関係がないんですよ、歴史学とはね。
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そういう意味で言うと大河ドラマっていうのはある人物像を設定して描いていくものだから、歴史小説と言ってももうフィクションなのは当たり前です。
例えば、どうする家康は、2000年、2013年、悩んでしまって、どうするどうするっていう、戸惑ってしまうような若い家康からスタートしました。
これ設定とっても面白いと思ったんですよね。
でもですね、これ後半きついんじゃないかなとは思ったんですよね。戦いに向けて突き進んでいく。全然悩まないですからね、家康さんの行動が。
ドラマでも後半は非常に笑顔のない家康さんになってしまった松井さんがね、そういう感じでした。
ただ家康の時に非常に抵抗を感じたのは、ドラマの根幹に関わることなんですけど、奥様の月山殿、有村霞さんが演じてましたけど、
月山殿が隣国同士で足らないものを補填し合い、武力ではなく慈愛の心で結びつければ戦争は起きないという話を語らせて、それが家康や歌詞に大きな影響を与えたように描かれたと。
これは音楽評論家、歴史評論家の香原敏さんという方がネットの記事、デイリー新聴で書いてたんですけど、ここなんですよ。
ここに全く私も見てて思って、ひっくり返っちゃったんですよね。嘘でしょうと。戦争じゃなくて平和の心を持っていけば戦いはなくなるんだということを戦国時代に考えた人がいたとはちょっと私は思えないんですよ。
現代の平和主義みたいな話ですからね。ちょっとびっくりしちゃって、これはあんまりだろうと思いました。
僕の中のイメージでは、男女平等こそが一番大事ですと徳川家康が言ったみたいな話。びっくりするでしょ。
びっくりします。
そういう意味で言うと、スマートフォンが出てきてしまったような時代諸説に。そういう違和感をものすごく感じたんですよ。
つまり、フィクションであるけども、歴史諸説的な要素もあるとすれば、モノ、スマートフォンとかが出てきたらいけないし、近代の考え方がそのまま主人公がそういうのを持ってたっていうのも、ちょっとやりすぎなんですよね。
ただし、やっぱり時代が違うと全く、今の現代の人間には受け入れられない要素っていうのはすごくあるんですよね。
今、時代諸説、大河ドラマなどでほとんど描かれないのが、首を切るっていう行為ですね。
いくつ首を持って帰ってきたかっていうのが、戦国時代の一番大きな自分が褒められる理由になるわけで。
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で、マゲを帯に結んでぶら下げていくと。そんなシーンはないでしょう。
ないです。
だけど実際はそうだったわけです。
だからどこまでを描くかっていうのは、その時代の人たちがどこまで許容できるかっていうところにも関わってるんですよ。
もう一つ、すごく僕は時代劇で気になってるのは、若いアイドルが主人公をしたときに、逆焼きを剃ってない。
あー。
逆焼きってわかりますよね。頭の前髪を全部剃るようとして、後ろはちょんまげになってるわけですけど。
逆焼きをきちんと剃っていないっていうことは、当時の身分社会の中では、侍ではないと言ってるようなものなんですよね。
だからあり得ないんです。ところが今、そういう演じる場面が多くなっています。
僕はここは結構抵抗があって、じゃあ女性のお歯黒はどうなんだとか。
既婚者は全部歯を染めていくわけですよね、青黒。
それをやると、僕らでも気持ち悪いなって感じはすると思うんです。
今もあるんですよね。
そう。許されるかっていうのは視聴者、私たちというか社会がそこにどこまで許容するかっていうところに関わってはくるんですね。
NHKの時代交渉を担当していた大森陽平さんという方が書いたこの交渉要求っていうエッセンスみたいな本があるんですよ。
本棚にあったなと思って見てたら、ここに書いてあったのは、
時代によって緩くもなりきつくもなりますが、いずれにせよそこからはみ出してはいけない。
昭和30年代を描いたドラマがどんなに感動的であっても、その時代にない立ち上げるなんて言葉やスマートフォンが出てきたら物笑いの種になるだけです。
あ、やっぱりスマートフォンだと思って。
昨日これを読み始めたら書いてあったですね。
どこまで許されるかはそうやって決めていくものだろうと思うんですけど、
実際にはこの時代交渉の人たちっていうのは、いろんなアドバイスをちゃんとするんですけど、
交渉会議ではこの本によるとですね、あまりに陳腐でない限りストーリーそのものを改めるようなことはなく、
またそこでの議論をどこまで取り入れるかは演出者の判断で、交渉者は意見愚信役に徹します。
まあそうだろうなと。こうであるべきですよとは言うけど、それを採用するかしないかはドラマの作り手が決めていく。
そうなるとどこまでが許されるだろうか、どこまで攻めてみようかとか、どこまで遊んでみようかとか、
そういったところがドラマの作り手には求められているんですが、僕の中ではどうするイエスはちょっとアウトかなという感じでしたね。
どうしたって感じですか?
どうしたって、なんじゃこれみたいな感じですね。
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包丁賞を描いたドラマ、タイトルが何だっけ。
トキムネの時ですか?
いや、鎌倉の13人。
ああ、はいはい。
あの時も第1回目第1回目ぐらいの時に首チョンパって言葉が出てきてびっくりしたんですけど、
これをあえて狙ってやってますよね。びっくりしましたけど。
それに怒っている人もいましたけど、僕は許容範囲かなと思って見てて、非常に面白いドラマだと思ってみました。
今回のヒカルキミエも素晴らしいですね。
これはすごいなと思って見てて、そんなに熱心なタイガファンじゃないんですけど、今回は期待してます。
どうするイエスを越えていいドラマになったら面白いなと思ってます。時代交渉は面白いですよ。
合わせてバナナマンのせっかくグルメも面白いですね。
鎌倉組のキャッチアップでした。
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