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マンガ「風太郎不戦日記」
2023-12-12 14:01

マンガ「風太郎不戦日記」

RKB解説委員長 神戸金史
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――毎週火曜日のこの時間は、神戸金文のCatch Upです。
――はい。8月、ジャーナリズムの話を夏に何度かしまして、平和の話、戦争の話をきちんとやることが大事だな、ということだったんですけど。
8月しかしないじゃないかって、いつも怒られたりすることもあるんですよね。戦争も平和も、8月じゃなくて、いつも考えるべきなんじゃないの?その通りだな、と思っています。
一方で、日々のニュースの中で追われていると、どうもちゃんと故障されてやろうということがないので、困ったなと思っているんですが、12月は開戦した日があるわけですね。12月8日、82年前になりますか。
12月は毎年私、戦争の話をしているんですけど、漫画の話を取り上げたりすることも結構あったんです。今回も、漫画を家から持ってきました。風太郎付箋日記という漫画で、神戸川から、甲断社から出ている3巻の漫画ですね。
――いつ頃の漫画なの? ――2020年。
山田風太郎さんという作家さんがいまして、ごらく小説の第一人者です。戦争体験者ですから、1922年生まれということで、生きていれば101歳ということになってしまいますから、知らないのは当然なんですが。
有名な作品には魔戒天章が映画になって、沢田賢治さんとか千葉新史さんが出てましたけど、それから久野一忍法帳、黄金忍法帳という忍法帳シリーズというのがあって、忍者が主人公にした小説をよく書いてたんです。ところがそれが超能力を使ったりするのね。
全く史実にとらわれないフィクション、大胆な発想といえば大胆なそうだけど、とんでもないストーリーが結構多くて、私中学生の時におばあちゃんの本棚にあったんで読んでたんですよね。結構エッチでね。久野一忍法帳ですからね。久野一ってわかる?
女性の忍者の忍者ですよね、久野一。
女っていう字のね、分解した久野一って言葉がありますけど、久野一忍法帳なんて読んでたんですよね。ただそれ以来山田風太郎さんを読む機会はなかったな。回転章が多分最後ですね。高校時代に映画で見て原作を読んだ覚えがあります。
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それ以来の山田風太郎さんの原作となる漫画となってますけど、風太郎不戦日記、主人公はご自身で、高段車文庫から出てる戦中派不戦日記という本があって、それを原作にした本なんですよ。3冊あります。
初めはあまりよく知らなかったので、不戦日記って言うから戦争に反対したのかなと。戦たたかないぞという大学生だったのかしらなんて思ったんですけど、そうではなくて、徴兵の審査に不合格になってるんですね。
6幕縁を起こしてたそうで、6幕上がりで不合格という闇上がりに召集を受けてですね。それが昭和19年、1944年のことだそうです。山田さんは今の兵庫県の矢部市っていうところに生まれて、親御さんが早く亡くなって、おじさんに育てられてるんですけど、あまり親御関係が良くなくてですね、
家を飛び出してしまって、働きながら何をやろうかと。もともとお医者さんの一族で、お父さんもおじさんもお医者さんだとそうで、東京医学専門学校、今の市立の東京医科大学というところに浪人して入学をしていたと。東京医船と言われたそうですけどね。
ですからこの漫画も覚悟をかぶった青年が表紙に出てて、これがご自身だということです。そして複雑な人間、生育環境とかある中で、どこかにいるな、遠征家な青年なんですよ。
先輩がたまたま病院に行ったときに、教授について、君たちも診察してごらんと、3年生の先輩が一緒にいて、1年生の自分がいて、失礼いたします、おのどを拝見って先輩が言うので、いつも偉そうな3年もざまないなって思ったりね、という感じの人なんです。
そして日記をつけて始めていったのが、上京した年の冬だと書いてました。この漫画では。原作の本は付箋日記自体は読んでなくて、漫画から入っているものですから。この漫画に書いてあった内容をご説明しますけど、日記をつけ始めたのは上京した年の冬だ。暗い田舎を抜け出して、あの時は心の内から明かりが灯り始めていたのを確かに感じた。
しかし今の自分はどうだ。毎日読書ばかり、戦地にも行かず、ただ傍観していると書いてました。戦争で赤髪を受けて戦っている人たちがいっぱいいる中で、自分はただ傍観している。東京で暮らしている。そこに生活が描かれるわけですよ。
06:03
ある意味だから、戦争漫画なのに、戦地じゃなくて日本国内のことばかりという感じですよね。そういう意味で言うと、この人の暮らしは派手じゃないんですよね。
貧しい中にどんどん物資が少なくなっていって、食も困っていく中で、たまたま下宿をしていた兄貴のように仲良くしてもらっている先輩夫婦がいたんですけど、そことの暮らしが静かに描かれていきます。
その中にはですね、大根の輪切り2寸ずつ、その値3000なりしと、3000だった。確定日本に復元と不親切と不平と慰み10万寸と日記に書いている。自ら怒り、自ら悲しみつつ国民は自ら遺憾ともするあたわず何もできない。人間は実に馬鹿なり。
日記に書いているんですね。少しひねくれているなという要素が、自分の日記ですからそのまま書かれていますね。そしてだんだん戦争が激しくなってくるわけですよ。空襲が来るたびに、いつも来てるからといって、そのまま布団をかぶって寝てたりもするんですけど、たぶんこんな感じだったと思うんですよね。
空襲が始まったばかりの頃は大騒ぎしているんだけど、時々またかという感覚にもいいやとか、疲れてるし寝ちゃおうとか、そういうの日常生活であったんだろうなぁと、そのあたりがすごくリアルに感じられます。たぶんそうだったろうな。僕らもそうじゃないですか。なんかこう続くと、いつものことだなと。コロナの時もそんな感じがあったでしょう。
やっぱり順応していく自分がどこかいますよね。
たぶんただ傍観していることの申し訳なさみたいなのがあったのかなと思います。こんなことを書いていますね。
この戦争に生き残り得るのだ。なんてことを遠征家の青年が書き始めています。
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4月29日ですから、東京大空襲3月10日を経た後、新橋演舞場で6代目小野江菊吾郎の芝居を見たり。日常生活はあるんですよね。慣れていく中で、それでも戦争の最中でも演劇を見たりもしていたりしています。
1920年が舞台ですけど、1920年7月には長野県飯田市に大学語と疎開をすると。その時の日記には、我々はすでに嵐の中にいる。個人はもはや自分で自分をどうすることもできない。ただ運命の成り行きに任せるのみだと書いていました。
大学語といって、授業も長野県飯田市でやろうとするんですけど、なかなか物資もないし、先生もいなくて、食料の調達だとか、地元の人たちの炭焼きのお手伝いとか、そういったことを時間を使っていくという感じです。
そこにですね、校長先生がやってきた。校長先生は授業をやることはないんですけど、みんなの前でこんなふうに述べたそうです。
はい、その一節です。校長が講義に先立って演説をされたということで、そのセリフを読みます。
この未曾有の国難に際し、諸君にはそれぞれ反問があろう。私も夜眠られないことがある。今学問するのに何の意味があるのか。しかし私は思うのです。学問こそが愛国の道と。
日本をこの山区に追い込んだものは何か。それは頭だ。この頭なのだ。我らは学問しよう。研究しよう。飯田が焼かれたら、さらに山に入ろう。私はどこの果てまでも諸君と共に行く。どんなことがあろうと日本を忘れるな。日本を挽回するのは諸君のほかに誰があろう。みんな身動き一つせず、校長実に偉大なりと。
日記の中からそのまま書き出されてきているのかなとは思います。そしてこの校長先生は漫画の中で続いてこんな風に語っています。断言しておきますが、日本は近い将来恐ろしい変化が起こります。大展開が参ります。その時に頼りになるのは自分自身だけですよと校長先生はこの最中に言っていたそうです。
これに大きな影響を受けて書き残しているわけですね。そして戦争、原爆が落ちた情報を聞いてみんなが動揺する中、山田青年は何としても勝たないとならぬとみんなの前で鼓舞するんですね。あまりに盛り上がってしまう。戦いのための気持ちが。にひるな青年が。そしてすぐに8月15日を迎える。
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ここまでが第2巻ですね。第3巻は戦後のことを書いていますが、その戦争に負ける直前の彼の気持ちの盛り上がりというのはなかなか激しい表現をしています。漫画の中で。
そしてこの漫画ではですね、戦争の凄さという恐ろしさというものをいっぱい書いておりましたが、あの傍観していた人間がどうしてこんなに巻き込まれていってしまうのかということがよくわかる感じですね。で、この本の前書には私の見た昭和20年の記録である。
まあ、23歳の医学生で戦争にさえ参加しなかった戦中派付箋日記と題したのはそのためだというふうに書いています。12月に読み直すにはいいかな。たった3巻しかありませんし、見ていただけたらいいなと思っています。
この傍観者から出ている風太郎付箋日記1から3巻です。
ここまで、かんべかね文のキャッチアップでした。
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