2023-03-14 14:41

神戸金史のCatchUp

RKB解説委員 神戸金史

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00:07
イリカミネ イリカミネ 抱きしめて 生きてたって 切られて 切られて イリカミネ
三菱電機
この時間は、神戸金文のCatch Upです。
歴史好きっていう人多いですよね。
そうですね。
私もまさにそうなんですけど。
大河ドラマ見ます?
僕、今回はちょっと見てないんですよね。
見なくてもいいかもな。
そうなんですか?
鎌倉殿を1年間通してみましたけど、
どうする家康はちょっともううんざりしてきたって感じですかね。
そうですか。
ちょっとイメージが違いすぎるのもあって。
どんなイメージ?
まあ、やっぱり器用はすぐ悩んじゃうという家康像なんですけど。
家康というと何といっても、
山岡総八さんの徳賀家康という講談社の本があって、
26巻あるんですよ。
僕、中学生の時読みましたけど、
たぬき親父ってイメージなんですよね。
歴史小説が日本の歴史の登場人物たちに、
どんなイメージなのかっていう人物像を与えるのに
大きな役割を果たしてはいるんですけど。
それが本当なのかって言われると、
これもまたフィクションなんですよね。
ですからあまりに今の松潤さんがイメージが違うと言って
怒ってもしょうがないって言ったらしょうがないんです。
僕が嫌だったなと思うことはいろいろちょっとあるんですけど、
歴史上これはないなとか言うことも結構あって、
どうかなと思っていますが。
でもいろんな見方をフィクションドラマで提供するのは
それはそれで構わない。
そうですね。
一方で歴史で絶対書いちゃいけないっていうこともあるんですよ。
例えば徳賀家康が何年に死んだかをずらしてはいけないですよね。
九州の生まれだっていうことにしてもいけないですよね。
絶対ずらしてはいけないっていうものがあります。
唯一の例外はですね、
劉啓一郎さんという作家が書いた時代小説
影武者徳賀家康っていうのが新潮文庫で出てるんですけど、
これは実は家康が関ヶ原の戦いで西軍によって暗殺されていた。
だけどその後影武者が何とかして幕府を開いたんだと。
という体裁なんですよ。
これは面白い小説でね。
珍しいです。史実をずらしていく。
そして歴史小説を成立させるという特殊な
極端な言い方をすればSFに近いんですけど、
でも面白かったですこれは。
これは本当に例外ですね。
歴史学ではやっぱり
誰々に当てた仕事上の手紙だとか
決済の書類だとか
婚姻の記録だとか
文書ですね。
そういう文書を一つ一つ調べていって
この時にこの人はこんなことを書いていたっていうことを
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しっかり割り出していく中で
事実を固めていくと。
ものがある以上。
はっきりと言えるので。
それを
学問を進めるために必要な文書なんですよね。
その文書をどう考えるかっていうのが
実は歴史学を学ぶ時に一番初めにやることなんですけど
資料批判って言います。
歴史の詩に
料理の料ですね。資料を批判する。
この資料はどういうものなのかっていうのを考えるっていうのが
資料批判。
これは歴史学で絶対一番初めに習います。
例えば誰が書いたものなのか、当たり前ですけど
どんな時、誰に当てて、何の目的
5W1Hを確認しながら
そもそもそれが本物なのかどうかを確認しながら
進めていくのが歴史学なんです。
そこで一番大事なのは
一時資料と言いまして
本人とかその側近、そこにいた人しか
分からないことを書いているもの。
その人たちが言っていたことを聞き止めたものを
伝聞ですから二次資料になるわけですね。
一時資料が一番大事。
歴史を知る上では一番の手がかりになる。
必ずしも一時資料がないときは
二次資料をしっかり組み立てて
立論していくわけですけど
一時資料はとても大事なんですね。
ここ15年くらいの日本の政治を
当事者に語らせたのが
安倍晋三開考録、中央討論審査
出たばっかりですけど、先月ですね。
私も買いましたけど
書店員さんに聞いたらすごい売れてるそうです。
平積みになってますね。
舞台裏のすべてを自ら総括した
歴史的資料だというふうに書かれていて
そうなんだろうと思います。
各誌、書評などもいろいろ出ているんですけど
3月8日に毎日新聞の専門編集員の
古賀幸さんがコラムで書いていたんですね。
すぐにベストセラーになったこの本は
確かに面白い。
特に正解の裏話や海外首脳の人物表は
長くその座にいた者しか
語れない内容がふんだんにあると書いてあった。
つまりその場にいた人しかわからないことが
書いてあるというのは、ではとても重要なんですよね。
でもですね
本人が書いた一時資料だからといって
書かれていることが全部本当だとは限らない
と考えるのが歴史学ですね。
見栄を張っている場合ってあるし
そのまま事実を残しちゃうと
都合が悪いので書いてない
ことだってあるんです。
とにかく鵜呑みにしないことが大事。
冷静に分析していって
そういったファクトを
事実ですね、ファクトを積み重ねて
実態はどうだったのか
全貌はどうだったのかっていうのを
確かめていく作業。
これはですね、僕は歴史学を学んできて
今この世界にいて
ジャーナリズムとほとんど一緒だな
というふうに思います。
本当はどんなことなんだろう
そのための証拠は何があるんだろう
証言はどんなのがあるんだろう
それが本当かどうかとか
自分にとって都合のいいことを
言っているんじゃないかとか
色々確かめながら
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何が本当かを確かめていくっていう意味では
まさに歴史学はジャーナリズムと一緒だな
と思うんです。
このコラムのことなんですが
ちょっと面白いことも書いていましたので
田畑さんに読んでもらいましょう。
はい、ただし
政権が追い込まれた案件では
根拠が怪しい
陰謀論や過剰な
自己防衛が顔を覗かせる。
森友学園事件を
私の足を救うための
財務省の策略の可能性が
ゼロではないと言い
検察庁法の改正案は
法務検察当局の
要望だったという釈明が
代表例だ。
解雇録が優れているのは真実に
満ちているからではない。
最高権力者ならではの
強烈な自負心と
政策判断のプロセス、特有の
猜疑心がストレートかつ
比較的無防備な形で
記されているからだ。
だから面白いんでしょうね。
ストレートなんですよね。
比較的無防備だと
書いています。
こうしたですね、
備忘録だったり、解雇録だったり、日記だったり
それから公文書だったり
歴史学者やジャーナリストが
新しい資料を見つけては
また説を補充していくんですね。
時代によっても
新しいことが分かれば
見方は変わってくるかもしれない。
ASは本当は頼りない人だったかもしれない。
そんなことも含めてです。
歴史にはいろんな見方があると
言われる理由なんですよ。
ただ、ファクトは変わらない。
そして時代によって
だんだん積み重なっていくことによって
もう少し事実に近寄っていく。
ジャーナリストも歴史学も一緒なんですね。
一番いけないのは
自分がこうやって欲しい
もしくはこうやって欲しくない
という見方を取って
いいわけではないということですね。
いろんな見方があるとしても。
だってファクトは変えられない。
何年に家康が死んだかは変えられないんですよ。
で、糸を入れて
全体をねじ曲げてしまう。
まあそれは
立場が
リベラルか
フォシナなのか
に関わらず
糸を入れて
全体をねじ曲げるのは
ダメと。これも原則ですね。
そして実は
毎日新聞のコアさん
ここではこんなことも書いてるんですよね。
ジャーナリストを名乗る
桜井よし子さんは
週刊新聴2月23日号のコラムで
官僚が
異に反する政治家を
倒しに来たと驚いている。
そして国民と日本のために
これほど戦った政治家が
いたことに深い感動を
覚えたと。
感動するのは自由だが
読み方に飛躍がある。
ジャーナリストにとって
使えるべき主は事実だろう。
裏付けのない策略説をもとに
別の主を作り出すのは
本来この仕事とは
無縁の作業である。
ジャーナリストを名乗る
桜井よし子さんという風に
あえて書いている。
そうですよね。
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チクッとしますよね。
桜井さんを
ファクトに使える
ジャーナリストだとは思っていない。
という小川さんの
プライドが現れている一言なんですよね。
こうであってほしい。
こうであってはならない。
そういうことは
関係がないんですよ。
実際はどうだったのかということに
近寄っていくのが一番大事だと
考えるべきなんですね。
ここで参考になるのは
中曽根康弘元首相の
回想録なんですよ。
新聴文庫から出ていますが
自制録。自らを変えりみる記録ね。
自制録。サブタイトルは
歴史法廷の被告として
というタイトルなんですよ。
歴史法廷の被告として。
自分は歴史法廷の
被告に立つ立場なのだということを
明らかにしています。
ジャーナリズムや
歴史学によって
内部告発とか
新しい文書の発見とか
隠しておきたかったことがいつかバレる日が
来ることがあるんですね。
バレないことももちろんいっぱいあるんですけど
少しずつわかってくるものもあり
それを積み重ねていって全体像をなるべく
正確に再現したい
というのがジャーナリズムや歴史学の
目的なんですけど
出てきた証拠によってはいずれ
後世の歴史法廷で裁かれることになるわけです。
例えば
今は言えないけれども
いずれ後世の人は評価してくれるんじゃないかと思って
嘘をついていく。もしくは隠していく。
こういうことは成人の中では起こることなんですよ。
例えば日米の密約の問題とかですね。
ただそれは
その後の人たちが
歴史法廷において
この人がやったことはどうだったんだろう
ということをきちんと
分析をしていくわけです。
そこにはですね
もう忖度なんてないんですよ。
歴史学には忖度なんかないんです。
だから歴史は怖いんですよね。
中曽根さんはそれをよく分かっていた。
だから自分は歴史法廷に
立つことになると。
その法廷で裁かれる
私は生前のうちに
被告人としての
陳述をしておきたいと。
そういう趣旨だと思います。
あのタイトルに込められた意味はですね。
そしてそこには自分は
間違ったことは決してしなかったという
プライドも覗いていますよね。
だからこそ被告席に立つんだと
言い切れるわけです。
安倍さんももしかしたら
言うべきことを残しておきたいと
思ったのかもしれません。
しかし一部には
過剰な
防衛の心とかですね
猜疑心なども
出ていて、それが比較的無防備な
形で記されているということは
つまりはかなりの
一級資料だという風に言っていいんだろう
と思うんです。
ただ書かれてないことは何なのか
ということも大事です。
そしてこの解雇録と並んで
ものすごく大事な資料が今出てきているんですよね。
放送法に関係する
総務省の内部文書です。
これは総務省官僚の
一時資料です。
12:00
一時資料なんです。
公文書が漏れ出してしまったのに
高市さんはそれを熱像と否定しているんですね。
さて
これは歴史法庭で
これはどう裁かれるか。歴史法庭にもいかないかもしれません。
本国会かもしれませんけど。
本当のことは
いずれわかるだろうと私は思います。
やっぱり保守というのは
中曽根さんのように
歴史認識に対する謙虚さを持つ人だと
私は思うんですよね。
もし一貫して認めなければ
いつかやり過ごせると政治家が思っているとしたら
それは歴史の重みに価値を置く
保守とは言えないと思うんですよ。
いずれ歴史の法庭で
厳しく裁かれるだろうと思います。
保守として
どういう風に
立ち振る舞うかというのは
中曽根さんのような歴史法庭の中で
恥ずかしくない言動を
取っていく。そしてもし
仮に今言えないことがあったとして
国会でも一切認めなかったとしても
いずれそれがバレたところで
私はそれで間違っているとは思わないので
裁いてほしいと。
こういうのが僕はですね
保守としては非常に
わかりやすい歴史の価値を
大事にする人たちだなと思います。
つまり逆に言えば
歴史に価値を置かない人は
いずれ裁かれるかなんて考えていない
ということですよ。
今、隠せればいいと思う人を
保守政治家と言えるのか
という問題点が今
目の前で繰り広げられている気が
しますね、私は。
ぜひ解剖録
安倍晋三さんのものを読んでみてもいいんじゃないかと思います。
私もまだ買ってこれからなんですよ。
読んでみようと思っていますが。
そしてそれを事実と照らし合わせていくということですよね。
書かれていないことが何なのかも大事です。
はい、安倍晋三のキャッチアップでした。
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