じゃあ撮り直してください。私が捕まらないように撮り直してください。
撮り直しません。僕がやりますね。
朝日新聞ポッドキャスト、本当に素晴らしいポッドキャストなんですけど、
このポッドキャストをニュースで聞いてると、
アメリカで僕は様々な人種の方々に会うんですけど、
その人との仲がすごく良くなるというお話をさせていただきます。
で、それも朝日新聞ポッドキャスト邦断がですね、
ポッドキャストアワードのですね、最終ノミネートに残ってますので、
今年すごい大きな賞を取るんですね、多分。
それを僕はすごい心の底から応援していることなんで、
僕がこの大介さんに伝えたいのは、
この邦断がやった番組の中で最近素晴らしかったのが、
この知らないベネズエラという回がありました。
これベネズエラに直接入国した記者の方をゲストに呼んで、
こんなにベネズエラってとんでもないことが起きてるんだよ。
もう空港に入った時点で、政府の職員の方がドルが欲しくていろんな交渉をしてくる。
わかる?もうそんなこと日本でやったらすごい捕まるんだけど、
もうそのくらい汚職が激しくて、
それをしなきゃいけないほど生活が苦しい状況になっている。
もう2、3年前ですよ、もちろん。
とても入れるような環境になっていないというベネズエラのお話なんですけど、
ものすごくリアルで、すごくびっくりしました。
ベネズエラの大統領が捕まった事件の関係で、
僕らはベネズエラ人の友達がいるんですよ。
石油関係のアメリカの会社で働いているんですけど、
どうして彼らがベネズエラからこっちに来たのか。
実は僕とユリカさん結婚、去年20周年だったんですけど、
その夫婦も結婚20周年で、すごく仲良くなって、
家族ぐるみのお付き合いをさせてもらってるんですけど、
彼らにとってのベネズエラのあの事件はどうだったんだっていう心情を教えてもらえたんですね。
やっぱり政府側の人とそうじゃない側の人で感情が大きく分かれてて、
しいたげられてる人にとってはもう、
愛する国を変えられてしまったっていう怒りに満ちてるんですね。
もちろん自分たちでやりたいけど、
アメリカの介入っていうものがしてくれたことに
すごい感謝してるし嬉しいっていう人たちが相当数いて、
逆に触るなっていう人たちもいると。
なんでアメリカが入ってくるんだみたいなね。
その辺の声を聞けたんですけど、
それに対して僕がベネズエラ側のことをすごくよく知ってるわけですよ。
放誕で聞いてるから。
だから放誕で聞いた情報を言うと、
タッチお前すごいな、ベネズエラのことこんなに知ってるの。
すっかり尊敬を得ちゃってね、タッチさん。
そう、放誕聞いてるだけなんですよ。
だけどベネズエラのことこんなに思って、
そこまで知ってくれてるのかということで、
また信頼を深くして、
それに関して放誕の情報の、
あちら側の情報がさらに来るので非常に貴重な情報が聞けるというね。
放誕素晴らしい番組ですということですね。
さらにデンマークの友達がいて、
僕デンマーク人という番組やってるんですが、
こちらに関してはグリーンランドの話、高市首相の話、
全部放誕で聞けるわけですね。
そうするとデンマーク人に、
お前らにとってのグリーンランドってどういう関係性なんだと。
そうすると歴史から教えてくれるわけですね。
どうしてそんなに興味があるのかということに対して、
デンマークは今こういう状況で、
デンマークとアメリカがこうで、
話によるとグリーンランドとデンマークの関係というのは、
それぞれ独立してる国で、
だけど一応名目上デンマークに入ってるけど認めてるぐらいのことを言ったらさ、
そのデンマーク人としてはどうなんだいって言うと、
イプセンさん的には、
そうだね、いとこのおじさんぐらい、
いとこじゃない、
親戚のおじさんぐらいの距離だねみたいな。
家族というよりは。
国としてはね。
4つの島があって、そこに親戚のおじさんがいるみたいな。
3つか3つの島。
なんかそんな話をしてくれたり、
放誕聞いてるだけで、
いろんな国の人たちと距離がね、
話題の国の人たちと話せて、
そのグリーンランドの状況まで入ってくるってことで、
素晴らしい番組を聞いてくださいっていうことを僕は言いたかったんです。
そうね、お友達と一歩進んだお話ができるようになるね。
そうね。
ということで、大輔さんに伝えたいことは、
ポストキャストアワードを応援してますし、
今もうサイエントークもノミネートされたから、
サイエントークと放誕がそれぞれの部門で
消灯ってくれたかなと、
ドキドキしてますという気持ちを僕は伝えたかった。
嬉しいね。
それあれじゃない?
フットボールでコルツが優勝して、
バスケットでペイサーズが優勝したらいいなって思ってるような気分だね。
自分たちの所属してるね。
インディアナというところに所属してるんだけど、
気持ち僕も確かに朝ポキに所属してますし、
サイエントークも含むカラオケポストキャストも所属してるんで、
同じですね。
うちから出るといいなみたいな。
そうそう。ペイサーズが優勝して、
コルツも優勝したらどんなに幸せなんだろうなっていうね。
ちょっと違うんだけどね。
またエマさんに怒られるね。
あなたにしか分からないっていうね。
良かったです。
ということで朝見さん、どうですか?
海外生活、朝見さんはアメリカ、そしてヨーロッパもあるんでしたっけ?
いや、ヨーロッパはなくて、
アメリカで合計10年、
あとアジア、シンガポールに子供の頃はいて、
日本にいたのはトータルで8年ですね。
小学校から中1が終わるまでの前後ぐらい、
7、8年ぐらいが日本にいた月です。
なるほど。
海外生活いろいろ経験してる朝見さんなので、
ちょっと今回はニュースをお届けしていただきたいと思うんですけども、
特派員としてね、ぜひ教えてください。
何がありました?
ニュースというには時間がちょっと経ってしまっているので、
フレッシュ感に欠けるかもしれないんですけれども、
ちょうどそうですね、私は今、ポスドクを終えて初めての就職をしたんですけれども、
アメリカから届けたいニュースっていうのは、
ポスドクの時代のことでして、
私は2023年に博士課程を終了し、すぐにポスドクを始めたんですね。
アメリカのシカゴの近くの大学にいたんですけれども、
ポスドクのプロジェクトの都合上、
香港で1年ぐらい過ごして、
アメリカとは行ったり来たりしながらするっていうプロジェクトなんですけれども、
香港でのプロジェクト、
香港でやらなきゃいけないことが一旦2024年末ぐらいに終わりまして、
数ヶ月ぐらい長めの出張っていう感じで、
アメリカに戻ってこようっていう風になって、
シカゴに戻っていました。
でもシカゴでもある程度のことが終わったので、
残りのポスドクを基本的に実験の部分は終わったので、
どこにいてもいいよっていう感じの分野だったので、
残りのポスドクは基本的に…
分野もちょっと教えてもらっていいですか?
そうですね、失礼します。
博士課程の分野は物理科学っていって、
科学のクエスチョンを物理でアンサーするみたいな分野をやっていたんですけれども、
ポスドクの分野はちょっとそこから応用側に向いていって、
今働いているところが美術館なんですけれども、
美術館とかで使える新しいツールの開発として、
顕微鏡と画像認識とかのテクノロジーを組み合わせたツールを開発しようというのが
ポスドクのプロジェクトでした。
すごい面白い!
すごい楽しいです。
そうすると、今の職業とポスドクっていうのはダイレクトにつながっている感じですか?
そうですね、今の就職の方がポスドクとはダイレクトにつながっていて、
博士課程はどちらかというと、だいぶ基礎科学に前振りしていたので、
全てのファンデーションにはなっているけれども、直接は関係ない感じのことをやっています。
あさみさんの分野では、そういう流れっていうのは博士課程の時から、
こういう未来、今が未来になっていると思うんですけれども、
それは一般的な道なのか、あさみさんの独自の道なのか、前例なきものなのか?
いわゆる王道ではないと思うんですけれども、王道の卒業して、
大学でポスドクをして、2、3ラウンドしながら、
アカデミアポジション、教授ポジション、テニアトラックポジションを狙うっていう王道とはだいぶ外れてるんですけれども、
最初から私は美術館で働きたいっていうのがあったので、
それに向かって博士号をデザインしていった感じですね。
じゃあそれはもう基礎研究から応用までっていうのが、
ご自身の中の道の中に入っていたってことですね。
そうですね。ここまで応用に飛ぶとは思わなかったんですけれども、
でも基礎でやっていて無駄だったことは今のところ一つもないですね。
素晴らしい。面白い。
そんなこんなでポスドクをやっていて、
残りのポスドク、あと論文書くだけだよってなった段階で、
どこに行ってもいいってことになったので、ワークフロムホームでできるよってなって、
なかなか実験をやっているとそういう自由はないじゃないですか、
いろんなところに旅をしながらとかなんで、
このプロジェクト限定かなって思って、ありがたいなと思いまして、
一旦まず日本に戻って久しぶりの東京生活を送っていたんですね。
働きながらみたいな。
そしたら、それが2ヶ月ぐらいした後、
ちょうどグラントの更新シーズンになりまして、
無事に更新が終わりました。
よかったね、最近トランプになってから、
グラント危なかったから更新されてよかったねって喜んでた矢先に、
その1ヶ月後ぐらいに同時から、
DOGですね、
Eメールが来まして、あなたのプロジェクトのファンディングは、
このメールを持って凍結しますという、
とても突然なメールが私の教授に届きまして、
もう大パニックで。
大学も、
あれですね、トランプアドミニストレーションが、
NIHのオフィスとかも結構止めたあたりのことですよね。
その頃の時期なんで、
みんな結構先々恐々とはしていたんですけれども、
グラントを無事に更新できたので、
私たちはクリアしたものだと思って。
思い出した、あれですね。
ダイバーシティとかが書いてあるグラントが、
突然止まった時期があったんですよ。
その時期ですね。
何で引っかかったんですか。
具体的にこれが原因とは誰も教えてくれないんですけれども、
そんな感じらしいんですよね。
おそらく私たちのプロジェクトは、
やはり美術館のために開発するツールっていうプロジェクトだったので、
カルチャーとかヒストリーとか、
いっぱいそういうワードが入ってたんですよ。
グラントの中に、説明文の中に。
なので、ダイバーシティとかのこともちらっと入ってたし、
いろいろ心当たりのあるフレーズなりは、
無きしにもあらずなんですけれども、
でも、そういうふうな言葉選びで、
排除されるような、それとは全く関係ないプロジェクトだったんですね。
あくまで、エンドユーザーが美術館の人だろうねっていう想定の話なので、
びっくりしまして。
それで、まずそれが起きたのが驚きだったのと、
その時の大学が全く政府の対応のスピードについていけない状態だったので、
グラントをもちろんフリーズされるとは書いてあっても、
お金はすでに大学側に渡ってるはずなんですよね。
でも、それでもやっぱり動かせなかったりだとかして、
そのメールが来て、一週間後ぐらいに教授に、
申し訳ないけれども、来月のお給料をどうやって払っていいかわからないと言われて、
どこにも、まだね、そういうラボがたくさんあったんですよ。
特に私の大学は大きい大学で、ターゲットされるデモ活動とかも大々的にやってるところだったので、
パリスチナとかなんですね。
大統領の気の食わない要素はたくさんあったんでしょうけれども、
それにしてもかなりのアタックを受けていたので、
そういう時にやっぱりポスドクってとても立場が弱いんですよね。
学生ですと、やっぱり5年とか保障されていたりして、
ビザもいろいろ守ってくれる要素があるんですけれども、
ポスドクって大学のヒエラルキーの中ではかなり弱い立場の人間なので、
やっぱり今切らなきゃいけない、誰かを切らなきゃいけないってなった時に一番切りやすいのがポスドクなんですよね。
大変でしたね。
でも実は僕らの周りでは、セニアトラックを取れたばっかりの人が同じようにして
職を失った方がいます。
セニアトラックを全部クリアしたんですよ。
セニアトラックを終わって、セニアが取れたと喜んだ場合にクビになったんですよ。
全部ファンディングを止められて。
で、セニアトラックを取った人ってクビになるの?っていう衝撃を受けてた時もあって、
もちろん僕のようなリサーチトラックの先生たちで失った人もいて、
職がないかっていうメールが突然、結構シニアな人たちから、
僕にそういう傾向がないかとか、空いてるとこないかとか。
たまたま糖尿病で、僕らのところはイーラ・リリーとの共同研究とかで、
お金が結構あるようなイメージがあるんですね、外から見ると。
非常に伸びてる分野なので。
ただポジションをふんだんにやるかって言ったら、そうではなくて周りでもそういうことが起きてるので、
ただ少し遠くから見ると、まだ余裕がありそうと思って、僕のところにメールが来たりするんですが、
いや本当に厳しい時だったんですよね。
僕らだって精査のデータですごい綺麗なのができてて、いっぱいグラント僕らも出してたんですけど、
ジェンダーバランスみたいなことで、精査のやつでも、
これもう精査ですごいデータ出たけど、アンティエイジングに変えようとか言って言葉を変えなきゃいけない時代っていうか、
そのタイミングだったんで。
3年4年前のやつとかがターゲットになることもいっぱいあったんで、
今ね走ってたりこれからのやつじゃなくて、ちょっと前のやつとかをやって、
その時代はダイバーシティは王道だったわけじゃないですか。
ガラッと変わってしまったんですよね。これ予想できなかった。
私がいるデパートメントはもうトランプ政権にすり寄る大作戦を実施してますので、おそらくね。
嘘でしょ。だってSDGs2とかつってすごい頑張ってたじゃん。アメリカでSDGs取り組み2みたいなさ。
身代わりタルヤ早かったよ。
コロッとね、コロッとレインボーフラッグを下ろし、
あとはバンコクキーを下ろし、なんかすごくすっきり爽やかになっちゃったのよ。
デコレーションが。
ドライですね。
あれっていう身代わりの早さに、なんとか事務所って、それこそダイバーシティ事務所みたいな、
ああいうのが大きくデコレートされたものが、あれこれどこだったっけこの事務所前あったの。
なんだっけみたいな感じで、すっきり綺麗になっちゃって、今は大変綺麗な校舎になっております。
じゃあ浅見さんの話に戻します。
大助さん聞いてくださいって話ですね。
それでそれで。
まじで綺麗に片付けられちゃった方なんですけれども、
いやいや、それが私だけではなくてたつさんのおっしゃるように若手の教員だとか、
シニアトラック乗ってた人だったり。
そうそうシニアの人だったり。
意外と立場があるから声を上げたシニアの人が逆にターゲットにされてしまったりして、
なかなか難しい時期で、今のアメリカはちょっと正直、
研究ヘブンとは特に今駆け出そうとしてる人には外国人にも風当たりが辛いなっていう場所になってしまったんですけれども、
そんな私たち、特に私の同世代のですね、博士課程終わって2から5年くらいの卵ちゃんたちは、
みんな必死にいろんなところを探していますね。
なんかこう就職の路線を全く変えてみたりだとか、
もう国を変えて今までアメリカから出る予定なんて全然なかった人まで、
ヨーロッパだったり韓国だったり中国だったりにいなくなって続々と脱出プランを。
皆さん国籍はアメリカに紐づいてない人たちってことですか?
どっちもですね、アメリカの人もいます。
アメリカ人だけどやっぱり僕の研究の分野はやっぱり政治にここまで左右されると思ってなかったけど、
アカデミックフリーダムが確保されている実感がなくなってしまったから、
違うところに行く。
そこからね、なんか20年30年って同じ大学で働くことを思ったときに、
働きたい大学がなくなってしまったみたいな人とかも結構残念なことにいるんですよね。
うーん。
なんかわかるな。
そうか。
こんなに方針が変わって、それで本当にお金まで動く。
人も動いて部署が優れるし、新しい変な部署ができて。
変な部署って言うとターゲットにされちゃう。
信じる感が本当にすごいんですよね。
この手のひら返しじゃないですけど、動きがとんでもなく早いので、
日本の東大とかも救済措置みたいな感じで募集されてましたけど、
ポジションをね、アメリカから流れてくる人のポジションを。
ってなったときに、やっぱりネックになっているのが待遇なんですよね。
アメリカの研究者の待遇に慣れてる人が、日本の大学の待遇を見てしまうと、
あれ?ちょっと暮らせないかもってなって、
違うところに行ってしまったりだとかするので、
日本の大学にお金が回るようになってほしいなって思います。
そうか。それで今、朝見さんは新天地をどこにお求めになったんですか?
アメリカのシカゴ中心から出て。
そうですね。声をかけていただいて、
実は、同時とかでバタバタしていた頃から声をかけていただいた場所が香港でして、
時間はかかったんですけれども、無事に仕事をスタートしています。
素晴らしい。今、香港とインディアナがつながってるんですね。
そうです。
そうか。どうですか?
でもシンガポールにお住まいだったことがあるってことは、香港っていうのは遠からず、近からず、
でもちょっとアメリカとは違う状況ですよね。
また別の政治の関わり的なものが漂ってはいるんですけれども、
香港の私の第一印象は、来たことないのになんだか懐かしい気がするっていうイメージで、
シンガポールとニューヨークと東京をミックスした感じの場所です。
ちょっと待ってください。
麻美さん、香港のイメージが実は強かったんですけど、
ポスド区の博士の過程の時に一回香港に行って、さらにまた来たって感じではないんですか?
そうです。ポスド区の時に一回、それが初めましてで、1年済みまして、
またこの1年後にまた戻ってきたって感じですね。
そしたらポスド区の時にいたところと同じ場所なんですか?
そうです。その時はビジティングスカラーだったところに正社員で。
素晴らしい。それはちゃんとネットワーキングをした賜物じゃないですか。
気に入ってくれたのかなって思うんですけど。
素晴らしい。
じゃああの時の話してた美術館にまた戻れたってことなんですね。
そうです。
今はもう研究対象のユーザーのユーザーになったってことね。
博士課程で。
ターゲットとして。
ユーザー、そうです。
インハウス側のユーザーになりました。
すごい。面白いですよね。
そうすると外から見てた世界と今いるところっていうのがつながってるって言ったら、
そしたらすごく大事な人になってきますね。世界でね。
そうですね。こっちでも比較的自由な感じで働かせてもらってるので、
研究のほうも、美術館独特のお仕事ももちろんあるんですけれども、
研究も好きなようにやっていいし、論文もどんどん発表していってほしいって言われているので、
ラボのセットアップがなんせワンオペラボなので時間がかかると思うんですけれども、
近くにもたくさんいい大学もあるし。
コラボレーションもできるし、美術館っていうのは世界中にあるから、
世界とつながっていくっていう点では大きいですね。
アイデア次第で何でもできそうな環境ですね。
面白い。物理学を勉強なさって美術館っていうのは素人からすると、
あら、どういうことかしらと思うし、
だけど特に子どもの、私は特に小さい子ども、科学教室を通して見てるし、
お母さんたちも見てる状況なんだけれども、
美術館で働きたいだとか博物館で働きたいって子どもの夢としてはとても近いんですね。
物理学者になりたいとかいうよりも、よく子どもを連れて行く場所がね、
美術館だったり博物館だから、こんなとこで働きたいって、
みんなで遠足とか行くと必ず言うんですよ。
科学教室でインディアナのステートフェアグラウンドっていうのがあって、
そこにね、州の中から例えば大学とか科学教室とか会社とかが
サイエンスフェアっていうのを開いたときに美術館も開くんですよ。
その美術館がやってるのがまさに朝日新聞さんがたぶん携わってる
例えば色素の分析とかペイントの分析とか、
そういったものをエキゾベーションしやすいからやってると思うんですけど、
この色の違いのペイントの違いで本物と偽物を見分けるとか、
当時の色を再現するとか、そういうのを子どもたちに見せたときに、
こんなに科学と美術がつながってるんだみたいな風になって、
子どもたちがやっぱり科学とアートはつながってる、いいなみたいな風になるんですよね。
その具体的な道筋っていうのはなかなか教えてあげられないし、
イメージとして私たちはあっても、まさに朝日さんみたいな方を紹介したら、
ああもうこうやって勉強していくんだっていうすごくいい例だなと思って、
私正直初めてお会いしました、そういう方に。本当に嬉しい。
あんまりいないですからね、世界的にもやっぱり。
僕が持ってる美術館ってやっぱりそれなりの規模のところじゃないといけないし、
でも美術品は日々朽ちていくものなので、
ちゃんとどういう風に劣化メカニズムがあるのかとか、
どういう風に光と反応するのか、湿度と反応するのか、
どういう運搬状況で運べば安全なのかとか、
そういうことは一応ちゃんとデータを出して調べていかなきゃいけないので、
分野自体もまだ新しくて、20年ぐらい、20,30年ぐらい、
それまではガッツリ分野っていうよりかは、
勘と経験によるみたいな。
そうですね。職人技みたいなところでもあかなくてもところがあって。
もちろん職人の中にはサイエンスがあるんだけども、
それが一般的な仕切りになっていかないっていうね。
そうですね。あとやっぱり科学の発展が凄まじかったので、
特にレーザー関連の技術が発展したのがここ20年、30年ぐらいなので、
美術館でも手軽に使える、安全に使えるレーザー機材が増えたこともあって、
これを使いこなすにはサイエンティストを雇わなきゃいけないよねっていう風になってきたのが流れとしてあります。
すごい素敵。
じゃあ顕微鏡トレーニングでのレーザーの種類とかで視覚が取れたようなやつとかも役に立つんだ。
本当は浅見さんからお聞きしたかった話は、とてもアメリカの政治状況が大変なんだよ大助さんだったのが、
もう今希望なお話に変わってきてとても嬉しい。
そうですね。ちょっとハッピーな感じになってますけど。
でもこのレーザーが発達できたのはアメリカのおかげでもあるんですよ。
アメリカのメトロポリタン美術館とかゲッティ美術館とかがすごいお金を投資して、
いろんな機材とかラボの設備を美術館のインハウスに作れたことによって、
いろんな人がこういう風にサイエンスと関わると、
サンプルが例えば1本のファイバーとかしかなくても、そこからわかることがたくさんあるんだなとか、
なんならサンプル撮らなくてもX線かけたり赤外線の画像を撮ったりして、
わかることがたくさんあるんだなっていうのがやっと業界にも浸透してきたので、
これは保守的な研究しかしていなかった、ヨーロッパとかだけでは発展しなかった分野なので、
これはアメリカに感謝って感じです。
確かにね、教会に飾られている絵画だったりするものにX線をかけるだなんて、
いろいろな倫理的な壁も越えていかないとできないところ。
アメリカはサイエンスっていうスパッとしたもので、やりのける力がある。
でもそれを目指して、私たちアメリカにあるサイエンスに憧れてこの国に来たわけだから、
この今の状況っていうのは、100年200年進んでたものの考え方が、
キュッと絞んでいくような気持ちにさせられますよね。
そうなんですよ。やっぱりアメリカでトレーニングを受けたサイエンティストとして見られるんですけれども、
私はそれにはすごいブランドパワーというか、あるんだなっていうのを卒業してから初めて実感したんですね。
今まで成り行きでね、アメリカにたまたまいたからアメリカの大学院に行ったけど、
そこに特別なあれがあったわけじゃないんですよね。
だけどいろんな人に、君はアメリカで博士生を取ったんだねっていうと、
そういう認識になるんですよね。ある一定のクオリティを目指しているっていうふうに見てくれるんですよ。
やっぱりそれはアメリカがものすごい長い時間をかけて、大学だったりプログラムレベルからいい人材を輩出してきた歴史があってこそ、
そういう恩恵に私が預かれるので、今この政治のタイミング一つで、その伝統と言いますか、
アメリカの中でも私が一番いいな好きだなって思っていた部分がブツッと切れてしまうのは本当に残念だし、
今まさにトレーニング中っていうね、学生さんたちは本当に大変だろうなって思っちゃいますね、どうしても。
なるほど、でもブランドはなくならないですよ。なぜなら競争が厳しいのがやっぱりアメリカの一つのブランドの大事なとこなんで、
これは今競争さらに悪化してるんで、これをそこでさらに博士号を取ってる人たちはその中のさらに優れた人たちなんで、
アメリカで博士号を取った博士っていうブランディングっていうのは、ブランディングっていうか価値っていうのは減らないし切れないと思います。
それだけ、ただ確かにファンディングの方でこの豊かさというか幅の広さみたいなところが今失われていく感じがあって怖いんですけど、
これ10年、僕今アメリカ17年目なんですけどこの業界にいてリーマンショックの後にも同じような波が来てたんで、
その時も非常に厳しい状況だったんで、またその回復、そして
再生ってね、そうねアメリカはやっぱり、寄せては返すこの波がアメリカのこっち側に大きく触れたらですね、
触れすぎるぐらい触れて、でもその後にまた戻そうとする波が必ず来て、
右左に大きく動いていく、読めないんですけど、読めないんですけど、
それはなんかこううまく乗り越させる環境にある人は本当によかったなーっていう感じですけれども、
なんかこう、こと研究者ってそういう政治能力がなかったりするので、
ただただ研究したかっただけなのに、こういうふうに巻き込まれて、
なんだろう、メンタル崩しちゃったりだとか、いろんな予定していたプランが壊れてしまったりして、
っていうのをやっぱり間近で見ていると、なんかこうね、
たかが4年の大統領の期間ですけれども、ダメージは4年以上だなっていう。
でもね、私はいつも思うんだけども、今たかが4年っていう言葉があったでしょ。
博士課程で学ぶ時間もたかが5年なの。人生は再生できるし、この国も再生できるから、
研究分野を変えればいいし、自分の生き方を変えればいいと思ってるの。
たかが5年、たかが10年、やっぱり柔軟に研究していけばよくて、
その人そのものっていうものは、その分野で規定されるものじゃないんだから、
もっともっと可能性があるんだから、研究分野を広げてみたり、
全く違うところにチャレンジしてみたり、そんな政治なんかで、
そんなこと言ったら大変。この場所で今捕まるかもしれない。
政治なんかで自分の人生を振ったって思わないで、
私は私として死を全うするのだと。
生を全うするか死を全うするかどっちだ。
だから柔軟に柔軟に、私は麻美さんの学んできたものを掴んで、
違う国に進んでいって、この柔軟性ってすごい素晴らしいことだと思います。
僕も感じたんですけど、麻美さんは結構心に持ってる光みたいな強い人だなと思います。
というのは僕はどっちかというと、もうちょっと泥臭いところから生きてたんで。
そうでもないと思うけど。
僕、研究した時はもう全然足りないと思ってて、結構自分に対してストイックが
少しおかしいぐらいストイックすぎて、人によっては魔女なんじゃないかって言われちゃうんですけど、
でもそういう状況の時に自分思ってたのは土砂降りの雨の中を泥水の中を走ってるみたいな気持ちなんで、
悪い奴とか嫌な奴がバケツの水をぶっかけてくるんですよ、ドバーって。
でもそんな奴に怒ってる暇ないんですよ。こっちは必死でやってるんでっていう感じだった。
だから政権が変わって、いきなりポジション切られたり、取れるはずのグラント取られたり、
自分のデータ誰かに取られたりとかあっても、そんなのに関わってられんわと思って、
自分の方に集中するしかないわっていうふうに思ってたんだけど、
もうちょっと光を見て、私はこういう生き方をしたいと、僕はこういう生き方をしたいと、
もうちょっとフレキシブルに、もっと自分を大事にしてくれるところで暮らそうみたいな。
研究者であり続ける必要ってどこにあるの?って私は思っちゃうタイプだから、
柔軟にいろんな仕事に就いたり、ライフを楽しんだり、自分を求めてくれるところに進んだり、
それがもし自分と合ってたらいいけど、求めるところがあれ違うなと思っても、
なんで求められたんだろうと思って行ってみたりとか、楽しく、どうよ?楽しくどうぞ。
本当にそれで、まさにユリカさんとかと話したいなって思ったのは、
前回八ちゃんとコラボレーションされてる時も、
Once a scientist, always a scientist みたいな感じのことを話されていたではないですか。
そう、そう、一度得た教育っていうものは、
どんな卒業になっても、
なんでそれを本当に私無職の時にすごい感じたんですよ。
なんで首を切られてから次の仕事に着くまで、半年ぐらい人生で初めてのニート期間だったんですけど、
いろんな、ちゃっかり自己都合じゃないので、退職金はいただいたので、
それを使って、親のせいをかずりつつ旅をしたり、
友達と久しぶりの友達に会いに行ったりして、
一応学会もあったんですけれども、学会も慈悲でだと思ったので行ってきて、
楽しいことだけをした半年だったんですけれども、
その半年間も最初は結構つらかったんですよ。
書いてる論文は続けられるので、
じゃあ論文書こうかなと思って、他の人の論文アクセスしようとすると、
私はもうEメールがないからアクセスできないんだってなって、悲しくなって、
ペイウォールになってしまうので、大学のEメールがないとアクセスできない論文もあって、
これが読めなくなっちゃったのかみたいな、ちょっとポロって感じるところもあったんですけれども、
そのうち慣れてくると、わりとどうでもよくなってきて、
この後もしかしたら何十年か研究するかもしれないのに、半年ぐらいなんて大したことないよねっていう風な感じで思えて、
改めてそれでもやりたいんだな、研究って思ったので、そこに気づけたのが無職祈願、期間の最大のあれでしたね。
こんなにいろいろあってもまだやりたいんだって思って、私。
すごく面白い期間に、しかも若いときにそれが経験できたっていうのは大きかったんじゃないですか?
そうですね、今はちょっとまだ終わりってなので、新しい仕事始めたてなので、まだどういうふうにこの期間がじわじわ効いてくるかはないですけど、
たぶん10年後とかに見返したときに、いい半年間だったなっていう期間になるんじゃないかなと思ってます。
本当ですね。
今ね、俺、室方くまぐすさんの話を思い出しちゃったわね。
分かります?室方くまぐすさんって日本人で一番ネイチャーの数書いた人なんですけど、
戦前の方ね。
そう、博物館ですね。イギリスの博物館の会員をしてたんですけど、そこで様々な所蔵品を調べて、すごい論文書いてるんですよ。
別にそれ以外も年金の研究者なんですけど、もともとは。
で、彼が所蔵なしで論文とか出してたときもいっぱいあって、所蔵なしのときに所蔵なしとはどういうことだみたいなふうに書かれたときに、
いや、私は研究者なので所蔵によって自分を変えることはないみたいなことを言って論文を書き続けてた方ですごいかっこいい人なんですよ。
研究する情熱は所蔵が変わろうがなかろうが、目の前に不思議なものがあり、世界に報告する価値のあるものがある限り研究し続けるみたいな人で、
多分日本人でネイチャーの数、くまぐすさんを超えた人はいないと思うんですけど。
所蔵っていう言葉が子供の頃からずっと多分つきまとっていて、
特に私なんかは日本で育っているから、日本的なものの考え方がそこにあるかなっていつも思って自分で、
これはいかんっていつも思う考え方なんだけど、例えば小学校に入る6年間の所蔵が決まりますよね。
次中学3年間また所蔵が決まると、そして今度受験で高校3年間。
そしてやっぱり最大が大学4年間の所蔵を決めるために、親も子も社会も学校もみんな送り込もうとする。
そこには目的だったり人生だったり、そういうもの重ねないで、そういう所蔵探し。
そして今度は私はそこから脱落して博士課程に来ましたが、
大学3年生のあたり、もっと早いんですってね。
最近大学2年生3年生から次の所蔵探しの就職っていうものを探して競争の社会に入ると。
でも本来競争っていうのは所蔵探しにあるものじゃないはずじゃないですか。
なんだけども、この日本という国が豊かになってしまったせいなのか、戦争がなくなったせいなのか、
所蔵イコール会社員だったり、そして今はデジタル社会になってしまったのは、
所蔵イコール先ほどのEメールアドレス、それですよね。
昔はそれが名刺だったのかもしれないけれども、今も名刺使ってるのかな、名刺だったりだとか、
その所属を徹してじゃないと自分が証明できないっていうのが一体何事なんだろうって思うんですよ。
私はね、世界の片隅でただそれだけを私は伝えてるんですけれども。
でもそれわかるよ。肩書きを見ちゃう社会になっちゃって。
そう、あなたは一体何なんだって私はいつも知りたいの。私はね、誰かに会った時に。
なのに名刺を出してくる、Eメールをする。
相手もね。相手も僕がその肩書きで科学教室の先生って言うと、
あ、科学教室の先生なんだ、いいやと思ってパッて聞かない人もいるわけだから。
だけど肩書きじゃなくてその先のものを見たいよね。
だけどそのさ、それを見る余裕がない社会になってきたかもしれないよね。
余裕のない社会なのか、そういうふうに教育されてきてしまったのか。
特にアカデミアの場所にいると、
あなたの所属の研究室はとか、あなたの所属している大学はとか、
そこで一旦スクリーニングにかけられるというか。
企業もですよ。
企業も、企業も。
特にインディアナにいると、私は初めて企業というものを知ったんですけど、アメリカに来て。
日本でも。
私、日本で一つも企業を知らないで暮らしてきたから。
これ本当の話なんだけど。
初めて大人になって会社というものを知ったんですね。
そのときにそのヒアルキーがやっぱりあって、あるんですよとかって。
なんで私が会社について朝日さんに語っているのか謎なんだけど。
そのヒアルキーがあるから、私たちが全く持っていない。
でもそれすごくいい例だと思うんですけども、
他の世界からしたらそのヒアルキーなんて分かりっこないのに、
その名刺を交換することによって、同じこのトライアングルの中にいるんだな。
そうすると僕はより底辺にあるのかな。
あなたの会社はよりトップにあるのかなっていうのは名刺交換で分かるんでしょうね。
でも私たちはその三角形の中にいなければ全く分かんないんですよ。
なんと素晴らしい、車を作っている皆さんたちなんですねってこっちは思うわけですよ。
その中にいると上か下かって気になさっている方々がいます。
それと同時に私たちの研究っていうエリアも、
そうやって私たちだけの中で名刺交換や何かを交換することで
上か下かって見ているんだったらば、私はそこから一番先に抜け出したい。
そんなもので、どなたか新しく私のところに出会う方を見たくないなって思って
見られたくない同時に見たくないって思ってるよね。
分かる分かる。だからその気持ちは多分同じものがみんなにあって、僕もあって。
あるよね、みんな持ってるよね。
学生さんと向き合う時にね、やっぱり先生と学生さんと向き合う自分じゃなくて、
同じ立場で向き合う自分でい続けたいなって気持ちがあって、
そういう意味でできるだけ自分はまだ学んでいる途中だ、学んでいる途中だっていうのを常に思ってて、
同じ立場として接するっていう気持ちでやる。
そうよ、私の毎日はそれを思って。
相手がどんな方がいられ、まず自分は謙虚にいかなきゃいけないなっていうところです。
そしてその人の良いところを引き出す会話をしようって。
一方で自分は研究者で、研究への情熱は誰にも負けないっていう強さもちゃんと心に持ちつつやるってことですね。
そこのバランスが難しいんだけど、そこは確実に自分の中に対しては絶対的な自信を持って強くいくけど、
人に対しては常にフラットな立場で接するっていうことだよね。
本当ですよ。