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4‐24. 公衆衛生学 ボストンと福島をつなぐ研究者 With Isamuさん
2026-05-07 35:20

4‐24. 公衆衛生学 ボストンと福島をつなぐ研究者 With Isamuさん

4‐24. 公衆衛生学 ボストンと福島をつなぐ研究者 With Isamuさん

震災から15年、知られていない原発事故の真実を伝える研究


今回のトピック1️⃣ ハーバード大学での公衆衛生学について 2️⃣ 福島事故後の15年の研究データを伝える活動 3️⃣教育の価値と人と人とをつなぐ活動


今回もいつも以上にまじめに語ります。

ゲスト情報

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サマリー

本エピソードでは、ハーバード大学で公衆衛生学を研究するイサムさんをゲストに迎え、東日本大震災と福島第一原発事故後の風評被害払拭に向けた研究活動について語られます。イサムさんは、科学的データに基づき、事故の影響に関する誤解を解き、正確な情報を共有することの重要性を強調します。また、教育の価値や、人と人との繋がりを通じてコミュニティを築くことの意義についても深く掘り下げられています。

公衆衛生学とは何か、そしてイサムさんの研究テーマ
そしたら、ハーバードの公衆衛生の年齢をちゃんと聞いていないんですけど、70歳くらいの男性教員の方が、たたたたと私のところに来て、
「イサム、僕は原発事故を全く誤解していた。」って言ってくれて。
今のインディアナを知っていただくと、研究をする価値、ボストンにもありますが、インディアナにもありますよということを知っていただけるのではないでしょうか。
ライフの充実度は2倍では測り知れないんじゃないですか、という。インディアナ賛美で終わるってやつ?
いやいや、そこはでもさ、2倍出してでも。
奏でる細胞。奏でる細胞は、サイエンスと音楽を愛する2人が、アメリカ、インディアナから楽しく奏でるようにおしゃべりする番組です。
では、今、イサムさんが頑張っている、特に熱意を持って取り組んでいる研究について。
公衆衛生学で今何を熱く取り組んでいるのかな、ということを教えてください。
ありがとうございます。公衆衛生って普段お二人は耳にすることってありますか?
私たちはね、実はそういうバックグラウンドで来たから、多分。
ゆるかさんのイメージとしては?
パブリックに広く衛生を知らしめる。そしてみんなの市民の健康を守る。そして市民を教育する。
より良い、衛生上より良い社会のために。
特にパンデミックがあるし、インディアナ大学だと僕たちは糖尿病センターなので、糖尿病を守るための情報とかを公衆衛生学の方々と相談して、
今出すべき情報みたいなものの元になる研究成果を話し合うみたいなことをしています。
私は学生に向けて、そういう公衆衛生のオフィスから出される新聞がいつもお問い合いに貼ってあるのね。
そしてストールトークっていうんだけど、それが学生の春休み前にはメンタル異種を気をつけようねとか、
テスト期間の前にはこういうのを大学は提供してるからみんなでちょっとテストのストレス期間を乗り越えようねとか、
あとはね、男の子と女の子の関係性とかでちゃんとした心の健康を保ったお付き合いをしようねなんていうのが新聞になって書かれてるから、
それもまた一つの公衆衛生だと思って認識してるんですけど、正しいでしょうか?
ありがとうございます。非常に素晴らしいコメントをいただいて、私はすごいアグリなんですけど、
公衆衛生ってもともとすごい広い学問領域なんですけど、簡単に言うと人々の健康増進っていうのが大きな目標になります。
私たちは普段気づかないんだけど、公衆衛生的なことをしていて、例えば家に帰ったら、
手を洗おう、うがいをしよう。
その2つはまさに公衆衛生の1番、ファーストステップですね。
それだって学校教育で習ったり、あとはお父さんお母さんが子供に教えたりって、教えなきゃしないよね、子供は。
そこがまず1つ目。あとは例えばワクチン、ワクチン接種も公衆衛生ですね。
それも病気に罹患しない、病気にかからないであったり、予防するであったり、そういったところで人々の健康を増進する。
割とこれがメジャーな、ポピュラーな公衆衛生なんですけど、今ゆりかさんが言ってくださった心の健康、これも公衆衛生なんです。
心の健康とか社会的なつながりだったり、そういったのも公衆衛生に含まれていて、しかもその短期的なものもあれば中長期的なものもある。
非常にいろんな研究者がいろんなことをやっているんですけれども、私は特に今から15年前に起こった東日本大震災。
そして今まさに福島で狂弁をとっていたわけだから、今というかこの1年前までは。
その東日本大震災に伴って発生した福島第一原子力発電所事故というのがありました。
その後に、いわゆる放射線被曝に伴う健康影響に関していろいろな噂ですとか、確実な情報が流れたんですね。
その結果、福島出身の方が偏見を持たれたりですとか差別を受けたり、いわゆる風評が広まってしまったりということが起こりました。
事故初期であれば放射線のこともよくわからないから、そういうのが起こってもいたしかたない部分はあったのかなと思うんですが、
実は15年たった今でもですね、ちょっとまだ残っている部分があります。
私はそれをどうやって払拭していくか、払拭っていうとかなり大きな表現なんですけども、
どうやってそれを未然に防いでいくか、防いでいけるかっていうのをいろいろな側面から、公衆衛生の側面から研究をしています。
そして第二の風評被害も作らないということにもなっていきますね。
そうですね。
福島県民健康調査のデータと情報共有の重要性
15年たった今だからこそ、直していかなきゃいけないというか、科学的な見地に基づいて訂正していきたいところがいっぱいあるってことですね。
訂正という表現もそうですし、あとはみなさん知らないことが多いので、福島原発事故後にですね、県民健康調査というのが実施されて、
いわゆる被曝をした人がどのくらいの被曝を受けたのかであったり、それに伴って例えば健康影響はどうだったのか、
あとはいわゆる妊産婦であったり、お子さんにどういう影響が出たのか、あとは子どもにどういう影響が出たのか、あと心ですね。
そういったものを全部調査が行われて、15年たってある程度しっかりと科学的なデータが出ているんですね。
ただそれをみなさん知らないので、そこをまずみなさんと共有していくっていうのが一番大事なんじゃないかなと思っています。
そうか、そういうお勉強をアメリカに来てするっていうのはどういう意図とか意義があるんですか?
この福島から飛び出て今ハーバードにいるっていうのは、ハーバードの学生たちにも教えたい、同僚にも伝えたいっていう思いもあるんでしょうか?
ありがとうございます。
もともと私がリサーチフェローとして活動できているのは、もともとはたけみ国際保険プログラムというものに応募をして、それで選抜をしていただいたっていうのがあるんですけれども、
そのチャンスがあったので、えいっと応募したっていうのがある一方で、私がずっと認識していたのは、感じていたのは、福島のことを世界の人がなかなか知るチャンスがないので、
なんとか情報をアップデートしたいんだけれども、なかなかそのきっかけが作りにくいなっていうのは感じていたんですね。
それは福島以来で勤務していた教員として。
なので私がハーバードに来て、そういった福島事故後の現状を共有すること、それを学生であったり教員であったり、皆さんと共有することが一番最初のステップなんじゃないかなと思って、
それで今ハーバードで研究をしています。
ハーバードでの講演活動と誤解の訂正
どうですか、皆さんの反応というか。
まず第一に日本っていう認識すら曖昧なアメリカ人と言ったら失礼だけれども、一つの国という認識ですよね。
私たちにとっては祖国という大事な大事な国だけれども、もちろん私たちだってよその国に関しては、たくさんある中の一つっていうふうに認識しますよね。
もちろんアメリカにいる方だって、日本というのはアジアの一つっていう認識で、福島、そうか、日本か、15年前、何あったの?っていうような認識ですよね、始まりは。
本当その通りで、実は本当にラッキーなことに、アメリカに来てから3回ぐらい外部で講演をする機会をいただいて、その時に震災と原発事故の話を冒頭にするんですね。
それを話をして、最初の発表の講演が終わった後に、失業ともあって、今日はこれでおしまいねって言った後に、雑談をする時間があるじゃないですか。
そしたらハーバードの公衆衛生の年齢ちゃんと聞いてないんですけど、たぶん70歳ぐらいの男性教員の方が、たたたたって私のところに来て、イサム、僕は原発事故を全く誤解していたって言ってくれて、どういうことなのって聞いたら、福島事故がチョルノービルと同じレベルの事故だと思っていて、だから本当に危ない場所なんだと思っていた。
ハーバードの公衆衛生の教授でしょ?そしたら推して知るべしね。
でも君の講演を聞いて、福島事故がどういう事故だったのかってのを改めてわかって、要はチョルノービルは原発の原子炉本体が爆発した。
福島事故は原子炉建物が水素爆発したので、原子炉本体は守られてるわけですね。その違いを話したんですけど、たぶんそこがかなりヒットしたみたいで、やっぱりその映像であったり、あとはその説明書きがやっぱりかなり。
映像の印象が大きいのかもしれないですね。
そうですね。
そうすると現状とのギャップが結構あって、悪い方に悪い方にとってる人が意外と多いってことですね。
そうですね。プラス、あとはその当時の映像の印象が残って、そこから情報がアップデートされてない。
確かに。15年前の情報の時にはすごい強いのがバーンとくるけれども、あとはもう他の情報になっちゃって、それ以上入ってきてないってことですね。
そうですね。そういったのもあって、やはり私がその時に講演をした意義っていうのはあったなっていうのは、その先生のコメントをもらった時に非常に実感をしました。
医学教育への貢献と福島フィールドトリップ
他の方々からのコメントとかもありますか?
はい。私はこの研究に即して福島医大で勤務をしているので、医学教育にも携わっています。
その医学教育の放射線事故に関する授業のカリキュラム改善の研究をしているんですけれども、
そこに対してはやっぱり教育ってなるとやっぱり教員の皆さんであって、学生もそうなんですけど非常に興味を持ってくれて、
こういうことを入れたらどうかとか、こういうことはどうやって学生に周知して学生に定着させるんだとか、そういった非常にプラクティカルな質問を受けました。
そうか、面白いね。
そうか、70歳の公衆衛生の教授でそういう反応であれば、今度は次に教える学生っていうのは15年前にとても小さかったわけだから、
その当時の記憶はないような学生たちにもね、20歳前後だったらば。
そうすると、もっとチェルノブイリと同じくらいに考えてしまってた人たちが、そういう若い人たちに、
チェルノブイリと福島原発の例があっただろうって同等としてお話ししちゃったりすると、若い世代の人たちも同じくらいに思っちゃうよね。
歴史のうちの大きな二つの事故っていう形で一緒にしちゃうことはあり得るわけね。
今ここでイサムさんが訂正しないと、そういうことね。
そうですね。なのでそういった私からの貢献もありますし、もう一つですね、ハーバードの甲州衛生大学院の、
私が今所属しているたけみプログラムの主任教授、ディレクターの先生が、後藤彩先生という方なんですけど、
彼女がですね、福島フィールドトリップっていう授業を立ち上げて、毎年15名ハーバードの学生を福島に引率して、
今の福島を知ってもらって、そこから甲州衛生に資する提言を学生にまとめてもらうっていう授業を開始したんですね。
すごくいいね。
昨年が第一期で、今年が第二期で、もう合計30名の学生が参加をして、
帰ってくるじゃないですか、帰ってきて、それぞれ自分の学生はね、自分たちの進路に、キャリアに向かっていくんですけど、
その時に、福島での経験、体験が少しでも、今度彼らが拠点となって発信していってもらうっていうのが、おそらく大事なんじゃないかなって思ってますね。
いいね。
公衆衛生学とコミュニティ、教育の価値
すごいよくわかった。
イサムさんの活動のハーバードに行って、甲州衛生学の中で福島の現状、そしてその15年間の間に行われた調査とかの実情を正しい知見に基づいて、
多くの方に伝えていく言葉、そこからの話題というか、ディスカッションが広がっていくっていうことが本当に大事なわけですよね。
そうですね。
そして今の活動が多くの世代をカバーして伝わっていくっていうことが、その熱意を持って福島からボストンに来てくださったっていうことをわかって。
そして私やっぱり好きなところは、学問体系がとても整っている甲州衛生学っていう世界観で、福島っていうのは一つの大きな大きな事件なんだけども、
その後どう対応していくかっていう教育のプロットも見えてくるっていうところが、とても希望があって、これ以上そういう事件を作らないことってことも一つだけれども、
万が一そういうことが起きたときにどう対応していくのかっていう未来をも作ることだなと思って、過去を示すだけじゃなくて未来をも作る仕事だなと思って。
そしてさらにボストンっていうツールも集まってきてるし、AIとの向き合い方とか、人はこういう時代だからこそどう生きるべきかっていうところのさ、
そういうのが集まっている中で、こうやってもう一度その歴史の認識というか、15年経ってきてるけれども、これをどう受け止めていくかっていうところに対しても、
多くの人たちと反応しながら決めていけるっていうのはものすごく大事なことだね。
福島医大で教員をやって、まもなく丸4年になるんですけれども、授業を担当して、学生に授業後にインタビューをするんです。
そうすると、やっぱり学生からの反応が非常に大きいというか、
例えば福島県立医大なので、福島県内の学生と県外の学生がいるんですね。
県外の学生からのインタビューだと、そもそも県民健康調査を知らなかったとか、
事故が起きたことは知ってたけど、その時に近くの病院でどんなことが起こっていたのかがわからなかった、知らなかった。
でも、この授業を通して初めて知ったっていうレスポンスがあったりですとか、
県内の学生は県民健康調査の対象者にもなってるんですよね。
今までは、よくわからず、甲状腺検査とかを受けてたんだけど、ようやくその意味合いがわかったとかっていう話があって、
私がいつも学生に話をしてるのは、これから皆さんが一人一人が福島県立医大の卒業生として社会に出てくるから、
絶対に福島のこと聞かれるからね。その時にきちっと皆さんの言葉で話せるようになってねっていうことをいつも言ってますね。
大事な授業ですね。
それを足掛け3年、4年ぐらいかけて授業改善をして、それを今論文でまとめて、
今1本投稿したんですけれども、もう1、2本書いてきちっとまとめていきたいなと思いますし、
それをハーバードとも共同していきたいなと思ってます。
ありがとうございます。
では、もっと興味がある人のために、
イサムさんが出した論文とかが集まっているようなウェブサイトのようなリンクを後でいただきまして、
それを概要欄の方にきちんと貼らせていただきますので、
イサムさんの活動に興味がある方、そしてそういった論文に興味がある方は、
ぜひリンクから行って、直接ね、その文献などに触れてもらえればと思います。
いいですか?
はい。
インディアナとボストンの比較:研究環境と生活の充実度
ということで今回はですね、大介さんに届けたいニュースということで、
10年前のボストン、そして10年後のボストンで変わったもの、変わらないものということでお話しさせていただきました。
どうでしたか?
このまま締めようか?
それともなんかもうちょっと喋ろうか?
っていうのは僕、そうだ1つあったんだ。
僕もニュース準備してたんだけど。
どうぞどうぞ。
インディアナ、僕18年前に僕らが来たときの最初の家賃覚えてますか?
覚えてないな。
2ベッドルームです。
2ベッドルーム、インディアナ。
インディアナは、インディアナがどこもだけど、アメリカ全土にあると思うんだけども、
子供が1人いる夫婦、だから3人家族の時には、2ベッドルーム以上ではなきゃいけないっていう、
日本だと6畳1間に何人で住んでましたとかって話をたまに聞くんだけど、
それは一応許されていない。
法律上許されていないのよね。
だから私たちは必ず2ベッドルームを借りなきゃいけなかったっていう状況ね。
僕たちは720ドルでした。
しかも円は100円切ってたんかな?
切ってないか。2008年も切ってない。
実は仙台で住んでいたとことほぼ同じくらいの値段で、だいぶ2倍くらい広い場所に住めた。
そうそうそう。それは言えてる。仙台に住んでたとこの2倍。
そして大きな湖が見えて、めっちゃ綺麗なとこだった。
この間ね、Googleマップ上で教えたんです、実は。
そうするとこの18年後、今実はですね、僕らの糖尿病研究センターに新しく来たPI2名来たんですが、
2人とも実はハーバード出身です。
なぜハーバードの人たちがインディアナでラボを開くのか。
これブーメランと呼ばれてまして、僕らの研究センター以外に
あれはストラクチャーバイオロジーのラボもですね、グループも、
あとは放射線系のラボもですね、ハーバードから来る人がいっぱいいます。
なぜインディアナに来るのか。
まず先ほど言った家賃が2.5倍ぐらいじゃないですか、ボストンの方が。
家賃がですね。
そうすると人を1人雇うのにかかるお金も2.5倍なんです。
なるほど。
そしてこっちでラボをやりますとですね、同じ人をですね、半額で雇えるんです。
そしてそのお給料をもらっている人は、ボストンよりも2倍以上、もっと大きい部屋かも。
もっと大きい部屋に住めて、ライフも充実しちゃうんです。
だいたいその規模は子どもをですね、デイケアに預ける、保育施設に預けるときの値段にもかかわっていますので、保育費用も半分。
半分以下。
人を雇うのも半分だと。
ボストンで取ったグラントをインディアナに持ってくると、同じグラントのお金で残り4年間をですね、全て人件費も研究費もそんなのも全部半額ぐらいの感じでできるので、
研究費を取った後にインディアナとかより生活費の安いところに移る方が多いんですね。
なるほど。
その方々の研究レベルを考えると、今インディアナにいると、ボストン出身のハイレベルな方々と一緒に研究ができるという隠れたサイエンスのメッカと呼ぶ人がいますね。
面白い。
そうですね。
10年前のボストン、そして今のボストンの話を聞いた上で、今のインディアナを知っていただくと、研究をする価値、ボストンにもありますが、インディアナにもありますよということを知っていただけるのではないでしょうか。
ライフの充実度は2倍では測り知れないんじゃないですか、という。
インディアナ賛美で終わるってやつ?
いやいや、そこはでもさ、2倍出してでもボストンの空気がたまらないのって人たちは、
どうぞどうぞ。
震災から15年、コミュニティと教育への思い
ってことですね。
そうね、アメリカってそういう面白さがあるね。いろんな場所場所の、そこそこそこでの楽しみ方が全部違うね。
すごい。
そこにね、イサムさんにも昨日一昨日来ていただいて、僕らのラボも楽しんでいただいて、とても素敵な時間を過ごせました。
こちらこそ。
あとたくさんラボ以外の楽しいライフもたくさん見せたもんね。
だからインディアナにこうやって来てくれて本当にありがとうございました。そして金谷裕細胞のゲストとしてもですね、素晴らしいニュースをありがとうございました。
ありがとうございました。
面白かったです。
よかった。
はい、ありがとうございます。ちょうどいい時間でできたので。
本当に素晴らしい収録だったと思います。
面白いね、いい研究だ。
ありがとうございます。
はい、聞いていただきました。スパイことイサムさんがですね、ハーバードで公衆衛生学をやっているというお話でしたが、いかがだったでしょうか、ゆるかさん。
公衆衛生学っていう言葉がコロナ以降すごく注目されている言葉だけれども、実はね、私たち大学生活の時にずいぶん勉強したうちの一つなのよね。
そうですね。そして公衆衛生学のゲストが続いてますね。
うん、そうね。すごく幅広い学問ね。
なので皆さんも公衆衛生学、アメリカで学ぶとこういう風になるのかなということを考えていただける、いい機会かもしれませんね。
とはいえね、私、日本の大学出てますでしょ。国家公務員だったり県庁職員、市役所職員、町の職員の方々、公衆衛生学にのっとって行政が行われているっていう、この日本の治安が守られたり、日本の健康が守られたりしている、私たちのすごく身近な近くに公衆衛生学があるということ、日本でも十分に勉強できる学問です。
いいですよね。そして僕は今回感じたことを喋ってもいいですか。
うん、どうぞ。
震災からもう15年も経つのだなと思いました。
そうね、そうね。
福島のことをこうやって正しく伝えようという活動を続けてくださっていることに素晴らしいなと思いました。
思い返すとですね、僕たちは震災の後、2時46分ですね。僕たちは最初の数年はですね、科学教室のみんなにも一緒に黙祷をしてもらってですね、その時間を過ごしていたのを思い出しますね。
僕が留学して3年目に震災が起きたんですけど、なんか最初の3年とそこからの15年の時間的間隔がバグっているというか、同じ流れじゃなかったような気がするんですけど、そんな感じはしませんか。
そうね、どちらが長いかどちらが短いかってわからないんだけれども、最初の3年間にいた国と今私が住んでいる国は同じだし同じ地域なんだけど、違うものに感じるのよね。
でも特に私は職場が変わったからそう感じるのかなって思ったけど、たつさんもそうなの?
なんかね、もしかしたら取り残されたような気持ちになった時があります。僕だけなんかあの時に時間が止まって、周りの人たちは普通にアメリカの時間が流れているじゃないですか。だからなんかそういう…
震災後のってことね、この数ヶ月数年。
そうですね。
確かにね。たつさんは特にね、心の時間が止まってるなーって私としては思ってたよ。あなた3年から5年かかったかな?もっとかかったかな?
でもまあね、地元の仲間たちにもう一回再会したり、やっとみんなの生活がね、どういうふうに戻っているかみたいな話を聞いて、良くなったというか落ち着いてきたのもあるし、
でも思い返してみると、そのUJっていうね、海外日本人研究者ネットワークの活動とか、科学教室の活動も含めて、震災があったからこそ、前よりもなんかより熱心に取り組んだような気がします。
確かにね、私コミュニティっていう言葉をあまり意識したことがなかったって言ったら、私も幼かったな、情けなかったなって思うんだけれども、やっぱりそれ以降、コミュニティの存在っていうのかな?
強く意識し始めた。言葉そのものもだし、概念もだし、自分がどんなコミュニティに属しているのかっていう個人的なことだったりとか、とっても大きく変わった。
それは本当に大事。ありがとう。そうなんだよ。僕もね、震災までは、防災って言われたら、ハードウェアっていうか、防波堤を高くするとかね、犯罪が起きないように防災とか防犯っていうものに対して、備えをしとくことだと思ってたわけ。
食べ物を準備しとくとか、飲み物を準備しとくとか、防犯ブザーを持つとか、そういう物理的なことで防いでいくものだと思っていたんだけど、実際震災が起きて感じたのは、最も大事なものは人と人とのつながりで、誰がどこで何を必要としているかっていうのを人づてに聞いてみんなで何とかしようというコミュニティがあるってことが何よりも大事だってことを学んだ。
本当ね、それまでも科学者だったし、それからも科学者ではあったんだけれども、私は特に教育っていうものを考えたときに、この科学教育と社会教育っていうのがすごくつながっていくきっかけになった。
もちろんそれはそれぞれに成立していることがわかったけれども、私がつなぐっていう感覚がなかったのね、責任もなかったし、つなげられないしつながらないしって思ってたんだけども、頭の中ではつながるってわかってるんだけれども、
特に科学教室っていうものを通してつなげようっていうふうに思ったのは、コミュニティという言葉をしっかり理解、いまだに理解してないのかもしれないけど、理解しようと心がけて、私ができることは何かなって深く深く考えるきっかけになったのよね。
あれから結局僕ら12、3年、震災が終わってすぐさ、科学教室と立ち分けたわけでもないし、UJの活動に関してもすぐやったわけではないんだけど、そのあとやり始めて、僕がやっぱり感じたのは海外にいるからってかもしれないけれども、コミュニティって誰かが先に作ってたり、もうそこにあるものだっていうような感覚でいたものから、
自分たちで作らなきゃいけないものだっていう意識に変わって。
年齢的にもそうだったね。30代に入って、誰かから受け継いだものにいるんではなくて、自分たちが作れるような年齢になったってこともあるね。
そうだね。そして実はUJの中で研究者の方々に会って、実は防災の研究をしている方がいて、MITに行ってその後ニューヨークで独立したかな。
彼もやっぱり大学でこれから研究を選んでいくっていう時の前に震災を経験して、自分はその防災に備えた何かを発明しておきたいとか、研究をしておきたいっていう風に入ったって言って語ってくれた方とか。
研究の内容がそれをちょっと感じさせたから、もしかしてそういうことなんですかって僕が聞いて教えてもらって、たまたま一緒にインディアナで研究していたから知り合えた方で、その後もUJの活動とかを通していろいろやってこれた人もいるし、
それ以外にも、その人以外にもね、水田さんっていう方でPIとして今も活躍してるんだけど、彼もね、震災の後のボランティアにいろいろ活動して、コミュニティの大切さを知ったって言って、同じようにUJで中心となって活躍してくれてた方とかがいて、
コミュニティ活動をすることによって、あの時の震災で受けたダメージみたいなものを共有している人たちがいて、そこからつながりを大事にして世の中を良くしていこう、また同じようなことが起きたときに、それに対応できる人と人とのつながりをしっかり作っていこうみたいな人たちに出会えたので、
やっぱ、この15年いろんなことあったけど、こういった活動をやってきたことっていうのは、ちょっとずつだけど意味がやっぱりあって、自分にとっては大事な大事な人たちと出会えたなーっていうのを思い出させてくれたし、イサムさん自体がね、僕にとってはそういう出会えた大事な方の一人だったので。
もう一つ私はお伝えしておきたいのは、震災の前からもコミュニティ活動をしてた方々の偉大さっていうのにも改めて気づくことができたの。
震災があったからこそ気づいたっていうのは、私は恥ずかしながら震災という大きな大きな出来事によって、コミュニティって言葉がなんとなく見えてきたのね。
だからそれよりも以前に活動をなさってきた方たち、それこそ日本で言ったら公務員の方でやってる方もいるし、そうではない方もいるし、学校の先生だってコミュニティ作ってる方々だし、いろんな方がいたんだけれども、
改めて私が育ってきた時に、私に手を差し伸べてくれていた大人たちにもう一度感謝する機会もあったのね。
さらにやっぱりコロナの前後でコミュニティっていう言葉が私の中に本当に染み込んでたなと思っているの。
やっぱりコロナで分断されたからっていうのがある。
そうすごくあるね。あと分断された後にまた戻ってきたでしょ。その時に戻ったコミュニティと戻らなかったコミュニティってあるなって思うわけ。
ある。あるある。
そうすると何が大事だったのかなって思うとまた考え深いのよ。
それは深いな。難しいね。
コミュニティに関しては今の私の考えるところが大変含まれているので、私の今のお仕事も含まれているので、また後ほど改めて語りましょうか。
でもこうやってポートキャストに来てくださる方っていうのは、みんなコミュニティのリーダーだったり、そして私たちとともに何かを作っていきたいっていう方々だから、
特にイサムさんは私は科学教室っていうキーワードを通してぐっと近づけたのね。
あとは教職を持っているサイエンティストっていうね、そういう括りでも近づいたのよ私たちって。
なかなか珍しいのよ。
わかる気がする。なんか僕は教職持ってないけど、その震災とコロナっていうのを超えて、超えてというか体験して、教育っていうものがちょっと一言では表せないぐらい大事な大きな希望であり大事なものだなって思う。
私学生の頃に教育っていうのを教職課程を通してなんだけどね、教育学部ではないからなんだけども教職課程を通して出会った人たちからずいぶんお習いしたのね。
あれは良かったな、若い頃に得たもので良かったもののうちの一つです。
でも大丈夫私が習ったことはすべて達さんにお伝えしてますから心配しないでください。
僕たち海外にいるからちょっと日本語教育のことについて言うんだけど、ある先生としゃべったときに子どもたちが夢を語るときの姿に自分の教育が反映されてると思うと尊い仕事だなと思いませんかっていう話で盛り上がったんです。
本当に尊い。そして母国語で教えるっていうのは大変尊いね。
言葉をつないでいくっていうことでもあるし、私たちの歴史に刻まれた日々っていうものを心の日々っていうものを伝えていくことにもなるし、尊いよね。
自分がそこに役に立ってなかったとしてもその姿を見れるっていうことが素敵だなというか、いい時間だなと思ったっていうそれだけなんです。
イサムさんの活動と今後の展望
じゃあ今回はですね、イサムさんの研究をしゃべっていただいて、それが非常にいろんな反響を受けて福島のことを多くの方に知っていただいているという話を聞いて、
その後も領事館などでイサムさんは発表を続けていまして、日本に帰るまでイサムさんの活動が続いていくと思いますが、
ぜひポストンで大活躍して、そしてそれを日本に持って帰っていただければと思います。
ということで今回も最後まで聞いていただいてありがとうございました。
お相手は科学教室の先生達とユリカでした。
バイバイ。
バイバイ。
35:20

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