それではゆうかさん、タイトルコールお願いします。
TELL THIS TO DAISUKEさん。
このコーナーでは、日本に絶対に届かない日常すぎるアメリカ。
海外のニュースを現地から朝ぽきの神田大輔さんに伝えたいという気持ちだけで、素人が勝手に配信するニュースアワーです。
いいですね。タイトルだけは大輔さんにいただいていますが、この情報の責任はこちら側にあります。
ということでやっていきたいと思いますが、このコーナーずいぶん過去にもありました。
退役軍人の方が花火でトラウマを抱えて大きな事件になった話とかですね。
あとはパパたちが保育園に迎えに行く時間が3時。
そしてそこはほとんどがパパたちが来るというニュースとか、過去回このシリーズ大人気で多く聞いていただいてますが、
前回もですね、アサミさんに来ていただいて、英語で再演出しないとのアサミさんが、政権が変わったことでグラントがガラリと変わり、職まで変わってしまうというようなお話をいただいているこのコーナー。
今回はですね、なんとボストン特集です。
10年前と今、実は10年前に私がお腹が大きい時にイサムさんに会いに、そしてイサムさんと一緒に仕事をしにボストンに行ったんですね。
なので私は10年前のボストンはちょっと覚えてる。
でも今のボストンとの比較っていうのは、もうイサムさんしかできないことですよね。
そうですね。10年前にちょうど外務省の専門調査員という仕事でボストンに1年ほど滞在していたんですけれども、その時が私にとって初めての長期滞在で、今回が2度目の長期滞在。
しかもまた同じボストンという街で、どういうふうに違いがあるのかなっていうのを本当にワクワクしながら来ました。
そうなんですね。ボストンの中でもハーバードに近い街っていうふうに思ってもいいですか?
そうですね。ボストンって非常に大きな街ではあるんですけれども、真ん中にチャールズ川という川が流れていて、その北側がケンブリッジと呼ばれるところ、その南側がボストンと呼ばれるところになります。
そのボストンの中に、じゃあ今回の滞在もほとんど同じような場所に滞在したということね。
そうですね。住所自体はちょっと違うんですけれども、でも大体活動するエリアは変わっていないので。
まさに10年前と今を比較できるっていうことなんですね。
そうですね。街並みもすごい変わっていますし、自分の中でハッと気づいたことを今日は皆さんにご紹介できたらなと思っています。
早速聞いてみたいです。
まずは最初の印象からお聞きしましょうか。その10年前にさよならをしたボストンに降り立ちました。どんな感じだったんですか?
そうですね。降り立って街並みを見た時に気づいたのは、新しいビル、建物がものすごい多くなっているっていうことでした。
発展してるんですね。やっぱり。
そうですね。私がいた10年前は、もちろん発展はしていたんですけれども、街のあちこちに何も建物が建ってないエリアが結構あったんですね。
あとはまだ開発されてないエリアだとか、ちょっと治安の悪いエリアもあったんですけれども、そういったところが再開発されて、今ものすごい商業施設であったり、
あとは製薬会社の建物がドーンと建っていて、非常に驚きました。
高さのあるビルってことですか?
そうですね。割と20階建て、30階建てが一般的な建物になってきてますね。
実はアメリカってあんまり高さのあるビルっていうのがなかったりする街もあるじゃないですか。
例えばシカゴだとかニューヨークだとか、上々ってそびえ立つんだけども、10年前のボストンの印象としては、そういう地区もあるけれども、
意外と広く広がっていく、しかもレンガの古い建物が多い街っていう印象があったんだけども、
じゃあもうガラス張りのビルみたいなやつがジャンジャン建ってるっていう印象ですか?今のボストンは。
そうですね。レンガ作りの街っていうのは未だに残っていて、そこはそこでちゃんと生活が生まれてるんですけど、
いわゆる都市部、シティのエリアだとそういったガラス張りの建物であったり、そういったものがどんどん建っていて、
私が滞在した10年前は、象徴的な高い建物が2つあったんですけど、今はそれが3つになって、
しかも金融街ですとか、そういったとこはガンガン買い建物が建ってますね。
じゃあ、新しいチャプターが始まるっていう感じなのかもね、ボストンの。
そうですね。やっぱりボストン自体が、これは変わらないボストンに入るんですけど、非常に流動性が大きい街だなという印象が10年前にもありまして、
今もやっぱりそうですね、いろんな人が入っていろんな人が出ていって、そして新しい産業が生まれてっていうような、非常に流動性の大きい街だなっていうのはやっぱり変わらないところですね。
変わらないボストンと変わったボストン、どっちから探りたいですか?
そうですね、やっぱり変わったボストンから。
じゃあ、変わったボストンからぜひお聞かせください。
一つ目はですね、一つ目はですね、家賃相場の話です。
これはね、アメリカの中で会う日本人たちの、いろんな地区から集まってきた日本人たちが集まると、これは結構ね、真っ先に出てくる比較あるあるですよね。
そうなんですね。
実はね、前もLAでそんな話もあって、でもボストンの東の事情は私たちはあまり聞いてなかったので、聞きたい。
分かりました。
どんなことになってるんですか、今。
はい、もともとボストンって家賃相場が高いエリアなんですね、全米の中でも。
で、私は一人なので、だいたい一人部屋を借りるんですけれども、その相場がですね、10年前、これはもう当時の相場なんですけど、
ボストンのシティから電車で20分ぐらいのところの住宅街の中の一つのマンションの一室が、10年前は1700ドル毎パーマンスですね、ぐらいの相場だったわけです。
それが、今ですね、私ではないんですけど、同じフェローの友人がそこに、僕と同じサイズの部屋に住んでいるんですけど、彼女に聞いたら、現在の家賃は月2550ドル。
おー、1.5倍。
まさに。
たった10年で1.5倍。
演奏場も1.5倍。
さらに、1.5倍ということはですね。
そう、なので。
そうか、日本から直接来てしまうと、その額の円に換算した額がとんでもない額になりますね、その10年前とさらに比較すると。
そうですね。
家賃だけで、2700ドルって言いましたっけ?
今、2550。
2500ドルは円にすると、どのくらいですか?30万ぐらいですか?
そうです。35万ぐらいですかね。
一部屋よ、一部屋。
一部屋、一月。
しかも、それほど新しくないマンションと思ってよろしいでしょうか?
はい、多分、築40年か50年ぐらいのマンション。
それそこねってことですよね、だいたい一つのアパートの。
そうですね、リッチとかにもよると思うんですけど。
通うと考えたらね。
すごいね。
なので、多くの学生はルームシェアって言って、3つの部屋プラスキッチン共同で、だいたい一人1200から1600ぐらい。
考えると、その部屋一つまるごと借りると4800とかぐらいの家賃ですね。
すごいね。
これはほんと驚きました。
驚くね。
そうか、3ベッドルームを50万円ぐらいで借りて、3人で割るって感じなんだ。
あと、ハーバード大学の料費もすごいっていう噂を、食事込みの料費も、なんかこないだお話ししたよね、みんなでね。
2万ドルを超えると、1年間で。
だけど、アメリカの大学は1年間と言いながら、実質8ヶ月だから、8ヶ月で2万ドルを超える。
すごいですね。
でもそれでも、料があれば、自分で契約しなくて、契約はするんですけど。
そこはね、料ってね、安全が確保されるというか、だけども実際、イサムさんみたいにやってきて、そこで借りるとなって、ペーパーワークがあったり、多少の最初の前金なんかも収めたりなんかしたら、ちょっとクラクラしちゃいますね。
そうですね。私は今回、渡航がですね、なかなかギリギリになってしまったので。
ちょっとそのギリギリになったこともここで聞こうかしら。
10年前の手続きと今回の手続きで、渡航に関して何か違いはありましたか?
ありがとうございます。
10年前は外務省の専門調査員としてボストンに来たので、基本的には、必要事項を書類に記入して、その所属先に送れば、あとはその所属先で、中日米国大使館とビザの接種をしてくれて。
でも、私はビザの入ったパスポートを受け取るだけ。
難易度で言うとどんな感じでしょうか?
もう、easy of easy。
イタリにつくぜりで?
そうですね。だったので、全くその心配はしなかったんですけど。
去年の9月、正確には8月の31日にボストンに来たんですけど、今回は、去年の5月のトランプ大統領のハーバード大学への留学生の受け入れ禁止措置であった。
重なったんですか?
私もろに重なってしまって。
それがあり、その後は全米の大学への留学生の入国禁止があり、もう本当に当時は頭クラクラして、どうなるかなと思っていた一方で、外務省の在外公館で勤務した経験があるので。
以前来てるしね。
そう。そんな無茶なことが外交上できるはずがないんですよ。
そりゃそうだ。
だから、そのうち緩和されるだろうって予想はしてたんですけど、いつ緩和されるかわかんないから、本当に不安で。
そうよね。新学期は始まっちゃうわけだし、前任のお仕事との関係もあるし。
そうよね。大学生が違う大学に行こうとは言えないですね、イサムさんの立場からするとね。
イサムさんが言ってた元スパイって、その時のことをスパイって呼んでたんですか?
皆さん多分聞いてる方も、何だっけ、外務省?
専門調査員。
専門調査員イコールスパイ。
そう聞こえるんですね。
お宅には聞こえない。
スパイって専門調査員のことスパイって言うんですか?
専門って怪しいじゃないですか。
調査って言葉使います?日常生活に。
使いますよ。
ちょっとボストンに調査に行ってくる。それはスパイ活動です。
たすさん何かしたことあります?そういう調査活動を外国で。
外国で。
ないでしょ?ほらスパイじゃなかったってことをたすさんの経験は。
3時の保育園にどのくらいのパパが迎えに来てるかの調査をしたことがあります。
それはパパとも調査。
パパともスパイだ活動だな。
それでスパイになれるんですか?
スパイにしては少し軽すぎる。
でも専門調査員は。
専門っていうのは何かが明かされてない段階で怪しいじゃないですか。
でもこれ以上聞くと本当に国家機密に触れるかもしれないから。
本題に戻りましょう。
元スパイぐらいにしときましょう。
元スパイが思うにはボストンの物価が高すぎると。物価じゃないからまずは家賃。
家賃が高い。
そして潜入じゃない、こっちに来るのが難しくなったと。
その話には続きがあって。
ハーバード側は私の受け入れをしてくれるっていうことで
インターナショナルオフィスっていう。
まずインターナショナルオフィスを通って書類をいただくわけですからね。
そこから連絡があって動揺するなと。
こちらでは淡々と文章を作成するから必要な情報を出せと。
動揺するなって言ってくるあたりが。
動揺を守りますよね。
なかなか事務員から動揺するなっていう趣旨のメールは届くことないですよね。
冷静沈着なインターナショナルアフェアの人が動揺するなと言ってきたんですね。
ちょっと言い方を変えれば落ち着けという内容で
私たちはいつも通り仕事をするからだから必要な情報を提供してくれっていう連絡があったので
私は都合に必要な情報化を全部用意して提出して。
最高です。この温度感が一番大輔さんに届けたいやつです。
なので準備して連絡をしたんですね。
そしたら2週間ぐらいでDS-2019っていう一番ファンダメンタルになる書類を出してくれたんです。
それをもとに留学の手続きをする際にアメリカ大使館で面接をしなきゃいけないんですけど
その面接の前にアメリカの入国管理局みたいなところに登録をしなきゃいけないんですね。
それを実施しました。それが6月の中旬ぐらいだったんです。
あとはアメリカ大使館でビザの面接の予約を取ってくださいっていうところまで来たんですよ。
普通にDS-2019を取ってくるというのは僕たちも一緒だったんで
もう18年前になりますけど一緒なので同じことをやりましたね。
思い出せないぐらい昔だった。
ここまで普通でした。
そしたら大体1週間以内か2週間ぐらいで面接してビザが出てくるというところだったと思うんですけど
自分の自由な日にちを選べるぐらいの余裕がありました。
そういえば20年ぐらい前のビザの面接は。
私はそこまで来たと。
次はアメリカ大使館のウェブサイトにアクセスして
日にちを選ぶと。
日にちを選ぶ。
選びました私。
ですよね。
こっちはですね、昨年の6月大使館のホームページにアクセスしました。
そしたらですね、カレンダーが出ないんですね。
面接日を選ぶカレンダーが提示されないんですよ。
まさに本当にフリーズされている状況なんだ。
そのトランプ措置が起こってから2、3週間ぐらい新規のビザ申請者の面接がストップしたんですよね、実際に。
ガバメンタルオーダーなので。
で、おそらくその6月の中旬ぐらいにはまたリジュームしてたんです。
再スタートしてたんですけど、たぶんその間に3週間分の人をおそらく対応しなきゃいけないっていうのがあって。
新しく新規にはちょっと受け付けることができない状況だったのね。
ですね。で、でですよ、それがですね、1ヶ月半続くんです。
ドキドキする、だって新規始まるのは9月だし。
電話はダメです。電話もできないし。
で、そのオフィスに一応メールっていう形で、今状況どうですかっていうことは聞けるんですけど、
帰ってくるんですけど、待ってくださいとしか連絡が来なくて。
で、ほんとは8月1日ぐらいに渡航する予定だったんですよ。
そしたら、8月1日になってもカレンダーが開かない。
で、ようやく8月3日になって、同じフェローの仲間が、
開いたよって連絡をくれて、すぐにアクセスをして、そしたらカレンダーが開いたんです。
で、開いてる日を見たら、9月30日。
9月30日も始まってる学校が始まってるではないか。
そう、でもとにかく押さえなきゃ始まらないんで、とりあえず押さえて、
そのときにですね、緊急リクエストっていう選択肢があるんですね。
どうしてもやむを得ない事情により、9月30日より前に投稿しないといけないときには、緊急リクエストを1回だけ申請できるんです。
私はもう、うんも言わずに緊急リクエストポチッと押したんですよ。
で、緊急リクエストを受け付けましたって連絡があったのが、8月の5日か6日くらいだったんですね。
1週間くらい待ってくださいって、1週間待ったんですよ。
何の連絡もこないんですよね。
ドキドキしちゃう。
で、うーってもやもやしてたら、8月の15日に、
でもその、私もせっかちなんで、8月3日で9月30日をセキュアした後に、毎日やっぱりアクセスするんです、カレンダーに。
もっと早い。
もっと早くかもしれない。
早いベイキャンシーがないかってずっと毎日、1日4、5回。
そりゃそうだよね。
4、5回だとあれかもしれない。もっと10回くらいかな。
ほんと。
アクセスして、でも開かないわけですよ。
で、見てたら、8月15日にパッと空きがあって、9月2日っていうのがあって、
もうすぐクリックして、4週間早まった。
でも9月2日、ほんとは8月中に面接受けたいっていうので、
どうなっちゃうかなと思ったら、8月17日、日曜日に緊急リクエストが承認されて、
で、アクセスしてくださいって連絡があって、カレンダーにアクセスしたら、
パッと8月の3週目、4週目のスロットが空いてるんですよ。
でもこれはと思って、すぐに8月20日の一番早い枠を抑えて、
やっとそこで面接を受けることができて。
うわー、ドキドキ綱渡り。
綱渡りですよ。だから私、もともと所属が福島県立伊加大学なんですけど、
福島の家も引っ越さなきゃいけないんだけど、引っ越しの日程も決められない。
そうこうか。そうなってくるもんね。
だし、
飛行機のチケットだって取れないし。
取れない。
でもようやくビザの面接が決まって、ちょっと動き始めて、
ビザの面接受けました、8月20日。
無事受けれたんですね。
無事受けれました。
で、いろいろ面接、質問事項答えて、
その時に専門調査員だったっていうパスポート出したら、
お、お前は、
スパイだったのか。
とは言われず。
言われないか。
日本総領事館で働いてたんだなって。
で、あ、じゃあ俺ら、その面接官も外交官だから、
スパイだから?
だから、お、同じ職業だったんだなって言って、
すごいなごやかに終わって、
でも当時からSNSチェックがあるから、
気をつけなさいよと。
SNS?
チェック。
SNSチェックね、はいはい。
個人の発信を気をつけないと、
ビザが降ろさないよと。
変なこと言ったらダメだよってやつね。
チェックされたんですか?
チェックがあるから、
1週間くらい待ってくれって言われたんですね。
だから発行まで1週間くらいかかるよって言われて、
それだ、チェックするのね。
そのくらいかかるよなって思っていたら、
翌日の8月21日に、
私のステータスを見たら、
Issuesって書いてあるんですよ。
やった。
ほんと?って思って。
翌週の25日に、
エージェンシーから、
ビザの発給が終わって、
パスポートができましたから、
取りに来てくださいって連絡が来て、
これでアメリカに行けるっていうのが、
8月25日に決まって、
そこからですよ。
引っ越しと、
引っ越しとチケットを抑えるという任務が続き、
しかもなぜか8月の29、30に、
千葉で国際学会の発表をしなければいけないので、
その準備もしなければいけない。
なんかもう最初の週は、
もうわたわたわたって。
でもね、なんとか、
引っ越しも終わり、
パッキングも終わり、
カンファレンスに出て、
翌日も発表して、
千葉から成田空港へ行って、
30日に出発。
すごい!
怒涛の2週間ぐらいですね。
すごいね。
ボストンにいたんですね?
31日に。
31日にボストンに着きました。
すごい。
ボストンの空港に着いて、
ターミナルに、
飛行機から、
ちょっと通路を通って、
ターミナルに着くじゃないですか。
その手前にですね、
ウェルカムトゥボストンって、
入口のところに書いてあるんですよ。
思わず写真撮りましたよね。
ウェルカムされた!
来たぞ!って。
そっか。
っていうことがあって、
ようやくボストンに来て、
で、ハーバードでの研究が始まったっていう。
じゃあここをまとめとしましてですね。
ボストン10年後の書類手続きの難易度はいくらでしたか?
いやー、エクストリームリー、
ディフィカルト。
イージー・トゥー・イージーから10年間で、
エクストリームリー・ディフィカルトまで行ったってことですね。
そうね。
すごいニュースですね、これ。
たぶん一番簡単な、
イージー・ピージー・ゴーイングをやった後からしたらば、
とんでもないレベルアップだったってことね。
そうですね。
これ以上レベルアップすることはもうないでしょうっていうぐらいな、
とこまで来てるんじゃない?
10年もあれですもんね、オバマ政権ですか?
あ、そうそう、オバマ政権の時でしたね。
そしてね、お立場っていうのも、
スパイというお立場だったから、
すんなり行ったわけよね。
おかしいな、スパイという立場ですんなり行くって、
それスパイじゃないの?
いや、スパイじゃないよ。
あ、それスパイじゃないの?
スパイじゃないね、それね。
ちゃんとした国の職員でございます。
ガバメンタルロールを持った。
スパイじゃないよな、それな。
もし詳細を知りたい方は、
専門調査員と検索すると、いろいろな詳細がわかりますので、
そちらをご覧いただければと思います。
そうか、そうやって日本をお掃除して、
そしてこのボストンに、
お掃除を、お仕事も終わらせる、書類も終わらせる、
そして引っ越しも終わらせる、
そして、太平洋にいろいろな雑念を全部捨てて、
ボストンに降り立つっていうね、そういうことね。
そうやって、じゃあ新しい生活が、
9月1日より始まるっていう感じですね。
そうですね。
で、そういった中で、
ハーバードで研究を進めて、
ボストンの街並みを見る中で、
もう一つですね、非常に変わったなって思った点は、
日本関係のお店が増えた。
それはレストランとか?
レストランもそうですし、
あとはですね、グロッサリーストア。
日本専門のみたいな?アジアンっていう感じかな?
いや、アジアンだったら、ちょこちょこあるんですけど、
日本専門のお店がボストンにできたんです。
それは私がいた10年前にはなかったので、
非常に嬉しかったし、変わってるんだなと。
ボストンで日本が少しずつこう、
存在感を発揮してるんだなっていうのは思いました。
そしてアメリカの人も日本食っていうのが、
手軽に手に入るような環境ができてるってことよね。
これはインディアナで僕たちも感じるね。
そうね、この10年、20年で。
多分日本に行く人も増えて、
日本への愛着が進んでるのかもしれないね。
日本で食べたあの味を、
こっちでも食べたいっていう人が増えたのは確かにね。
なるほど。
そういった日本食のお店が増えるとともにですね、
日本企業もボストンを含めたマサチューセッツであったり、
ニューイングランドって呼ばれる地域に進出してるんですよ。
そう。
今、日本送料時間、
ボストンの日本送料時間がカウントする限りでは、
200社以上がニューイングランドに拠点を持っている。
拠点というかブランチって言えばいいんですかね。
持っていて、
そういう日本の方も駐在員として来ていたりだとか、
私たちみたいにリサーチャーで来てる方が多いみたいですね。
街の中であれ、日本人かな?なんて思う瞬間も増えました?
そうですね。
10年たって、アジアの人が多いなとか。
アジアの人が多いなっていうのは確かに思う一方で、
最近はっと気づいたのが、
なんて言うんでしたっけ、南米出身の方。
スペイン語を母国語とする方が多いなっていう印象を受けますね。
それも結構この10年で変わったところかな。
もしかしたら10年前私が見れてなかったところが今見えてるのかもしれないんですけど。
そこもね、そこも加味しなきゃいけないところなのよね。
私たちね、20年前とか10年前とか思うと、目が開いてないっていうか。
仕事に集中しなきゃいけないところがあって、
どうしても職場と家の行き来になりがちなんですよね。
その頃はもう海外に来て、まずそこに慣れることが一生懸命。
だからやっぱりその慣れもあって、視野が広がってるってところもあるかもしれないですよね。
そうですね、やっぱり今視野っておっしゃってくださったんですけど、
視野とか視点が増えたっていうのがやっぱり大きいですね。
そうね、一つのものを見たときに連想するものも増えてくるから、
あ、これとこれがつながるんだとかね。
そうそう、面白いよね。
ある程度人生を重ねた上で、
キャリアもある程度作ってからの留学っていうのもとても意味があることで、
そういう方々意外とボストン多いですよね。
そうですね、私が今40歳なんですけれども、
私と同世代の方、いわゆる日本でいうと、
講師とか準教授ぐらいのクラスの方が、
やっぱりこっちで2年、ないし3年研究をして、
キャリアを積んで日本に帰るっていう方も多いですし、
あと、これはですね、変わってないボストンなんですけど、
若手の研究者であったり、
だから、PhD取って1年目、2年目であったりだとか、
あと、アンダーグラッドだとか、
大学院生もやっぱり来てますね。
そう。
同じく変わらない熱意を感じますか?
やっぱりみなさん、熱い思いを持って来てるので、
やっぱり非常に、研究の話もそうですし、
今後のキャリアの話だったり、そういったことに熱が入りますね。
熱いボストンの空気を浴びて、
できるだけ一つでも多く吸収して、
日本に持って帰ろうという感じで来てる方が多いってことですね。
そうですね。だから、みなさんハードワーカーで、
もちろん単身で来てる方もいらっしゃいますし、
ご家族で来てる方もいらっしゃるんですけど、
ご家族で来てる方は、やはりご家族との時間も大切にしながら、
自分の研究も集中して、
なので、本当に短い時間の中で最大限の成果を出すっていうようなことは、
みなさんすごい努めてらっしゃいますね。
いいですね。少し深い話をしていきたいんですけど、
その前に変わったボストン、変わらないボストンで、
言い残したことがあれば、今ちょっとみなさんにお伝えください。
そうですね。変わらないボストンで面白いのは、
公共交通機関があるんですけど、
全く機能してないっていうのが非常に変わってないなって思いますね。
そっかー。
どのくらい待ち時間があったりするんですか?
そもそも時刻表がないんですよね。
時刻表がないの?
ちょっと待って、本当に?
時刻表がないので。
地下鉄ですよね?
地下鉄でも時刻表がないので、
駅に行って、あと何分後に来ますっていう表示を見るか、
あとアプリを使って、あと何分後に来る予定ですっていうのを見てからじゃないと動けないっていうのはありますね。
だから予定通りに動けないっていうのは一つありますし、
見てから行くとその通りには来るんですね?
大体9割ぐらいはその通りに来るので、
一つのアプリを活用するっていうのはあるんですけど、
もう一つは、電車を使いたいときに工事で使えない。
工事で止まってるんですか?
そうなんですよ。
で、しかもそれが土日の昼間に工事をしたりとか、
あとは普通のウィークデイも2週間、3週間ぐらいこの区間動きませんっていう。
でもボストン乗ったんですけど、何回か乗ったんですけど、
全然そういう意識しないで乗ってたかもしれない。
そこだったんだ。
だから何がそうすると困るかって時間が読めないんですよ。
だからやっぱり常にもうビクビクしてしまって、
だから私今回2回目のボストンですけど、
もう公共交通機関は極力使わないで、
自分の足で歩いて通学、通勤してます。
それが一番確実。
歩くっていったって相当な距離でしょ?
今の下宿先からチャンスクールまでは片道5キロ。
5キロ。往復10キロ。
しかもボストンの骨幹の中。
そうですね。骨幹の中は本当に。
ボストンって寒いのよ。すごい寒いのよ、あそこ。
今ね、ちょっとあったかいけどね。3月にもなってたらさ。
今年の冬なんか相当寒かったよね。雪もすごかったと思うんだけど。
3回ストームがあって、ブリザードって言いますね、があって、
1日で40センチ、50センチ積もって。
そうなのよ。インディアナの2、3日後にボストンで相当雪を降らせてるのよ、あの雲は。
インディアナでもある程度来るんだけど、もちろんすごく寒くて、こっちはマイナス20度とかになって。
いやー、耐えたなと思うと、飛行機の血行情報とかっていうのがニュースでいっぱい入ってきて、
どこかっていうとニューヨーク、ボストンがもう大荒れに荒れてるってやつで。
いやー、ほんと。
そう、その時いたんだもんね。
そうですね。その日はもう家で、ステイホーム、だからもう不要意に外出するなっていう。
週であったり、街でもう宣言が出て、本当にもう家でゆっくりしてました。
変わらないボストンは、そうですね、そのあたりですかね。
そうですか、いいね。
そうか、10年でこんなに変わるっていうの、なかなか日本にいても体験できることじゃないよね、この10年で違う街にもう一度住むとかいうこともないし、
また同じ地区に、なんとなくだいたい同じ地区に住むってこともないし、すごくわかりやすい比較っていうのがあって、面白かったです。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、聞いていただきました。スパイのイサムさんに来ていただいて、変わらないボストンと変わったボストンを話していただきました。非常に面白かったですね。
今ね、とも遠方より来たるってね、楽しからずやね。
そう、思い返すとね、イサムさんとはやっぱ10年前にボストンで出会って、
あの時ね、僕、投入病学会の発表をした後に仲間を訪ねて行ったんですよ。
そうね。
ハーバードのキャンパスも見せてもらって、で、次の日の朝かな、勉強会に参加して、そこでイサムさんに出会ったんだけど、
それからイサムさんはね、インディアナにも来てくれて、
その後私は、さやこさんと科学教室を開きにボストンに行ったの。
そうね。で、東京でも会って、そしてまたアメリカで会ってみたいな感じで。
いいわよね。
やっぱことあるごとにね、会いに来てくれるし、僕も会いに行くしで、やっぱそういう仲間がいるっていうのは嬉しいし、
今回もお互いに成長してまた会おうっていう感じで会えて、僕はとても嬉しかったです。
イサムさん来ていただいてありがとうございます。そして出演していただいて本当にありがとうございました。
ボストンいいわよね。私そのボストンに行ったときに、やっぱりほら、私ムーリーのゴーギャン好きでしょ。ご存知で。
そう、いろんな美術館でゴーギャンを中心に私は見ていくのね。絶対にゴーギャンなの。
絶対にゴーギャン。
絶対にゴーギャンなの。すごい好きなのね、ゴーギャンがね。
で、やっぱりボストンと言ったらあれですよ。我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへ行くのか。あの大きな大きな絵があるのよ。
分かりますよ。私その目の前で2時間過ごしてます。
そう、あなたも?
はい。
あ、そう。
私、ある物理学者と一緒にボストンで再会しまして。大好きな物理学者&数学者。
いたわね。
はい。
いたわね。
ロジック系ね。
そう、ロジック系。
マータのなおロジック系と一緒に。
ロジック系ともね、科学教室したね。
そう、それで色々、美術館を回りながら、色んな話をしてるだけだったのに、あの絵の目の前で、何の理論か分かんないけど、何かの理論の議論が始まってしまったんだよ。
いいわね。
そしてその議論との出会いとか、思ったこととか、過去に考えたこととか、どっちがどれだけ喋ったか分かんないけど、よくあれだけ、気がついたら、
平間時間とか?
そう、次の研究者と会う約束をしてたわね。
うんうん。
その間に何か色々遊んでいく予定だったのに、会う時間になっちゃった。
あらまあ、いいんじゃない?
そうなんだよね。いいんだよね、ボストンっていいんだよね。
ミレーの落ち帽広いもボストンにあったと思ったんだけど、
落ち帽広いあった。
ちゃんとあります。
あるよね。
これもボストン美術館に、
あったと思う。
ミレーの落ち帽広いがあります。
いや、昔だったら、落ち帽広いの方に時間費やしちゃうかもしれないけど。
いやいやいや、落ち帽広いは、思いがけず小さい絵だったの。
そう。
あれは私は、大きさとかあんまり考えずにいって、
ああ、この大きさかと思ってちょっとびっくりして、
さらにゴーギャノはすごくすごく大きくて、それまた感動した。
あれ面白いんだよね。何か見るとこいっぱいあるんだよな。
うん。何て言ったって三大アメリカ美術館ですから。
いや、ちがう、
メトロポリタン。
ちがう、人は、私はだっけ、私はどこから来てどこ行くのかだっけ。
ちょっと待ってね、ちゃんと正しい訳は、
あの絵。
我々はですよ。
我々か、我々はどこへ行くのかだっけ。
もう一回言うよ。
我々はどこから来たのか。
我々は何者か。
我々はどこへ行くのか。
すごいサイエンティフィックな問いかけよね。
そうなんだよね。
すごく見たかったの、これは。
見たくて見に行ったんだけど、何か思いがけずあそこで議論になって、
だから人は哲学者になっちゃうんだよ。
あそこの目の前で、ただただ議論してたんだよ。
そしたらさ、なんかあれ見て、日光浴みたいなもんじゃん。
ゴーギャン浴した。
ゴーギャン浴、いいわね。
2時間ぐらいのゴーギャン浴をあそこでしたわけですよ。
本当はもっといろんな観光をする予定だったのが、思いがけず、
そう、ちょっと本気になっちゃうから、研究の話になると。
僕ら時間忘れちゃうんですよ。
これ多分研究者の特性なんですけど、
僕、本当に時を忘れて語るっていうことはやってしまうんですね。
しかも相手がロジック系だから、僕より忘れるからな人。
鼻血が出るまでしゃべるからね。
だからそれですごいしゃべったなっていう感じですね。
いいね、楽しいよね。
そんなロジック系もボストン去ったようです。
そうね、今日本にいるのよね。
そう、日本に行きましたね。
なので、今回のボストン情報良かったと思います。