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2022-05-16 08:15

#77 ボスニア紛争。戦場を目指す

亀っちの昔話編

■出演
亀山 敬司(DMM.com 会長)
長谷川 文二郎(42 Tokyo事務局長)

00:02
はいどうも、DMM.comの亀山です。
4T2東京の文二郎です。よろしくお願いします。
はい、長い間旅編をやってきましたけども、いよいよ大詰めに入りましてですね。
今までも話したかと思うけど、結局、俺の旅っていうのは、なんとなく日本の中の平和の中で、そこに物足りなくなって、いろんな国に行ったと。
だからそういった面では、日本で味わえないこと、みたいな。
特に、いろんな国に行ったときに、三島由紀夫とかそういったのも影響を受けたのもあって。
学生運動時代の熱い時代っていうのを、俺自身は知らない。
学生運動?
日本にも昔そういう時代があって、今でいうとミャンマーとか香港とか。
あそこまですごくないけど、とは言っても、学生たちが学校建て曇ったり、そういうハイジャックしたりみたいな、混乱時期。
だけど、なんかその熱い時代って言ったら変かもしれないけど、なんか日本を変えるぞみたいな若者のパワーがあった時代があったのよ、昔ね。
南海の世代かな。
でも俺らはその次の世代だったから、すでに結構平和で、なんとなく生ぬるい時代だったっていうのはあるからね。
なるほど。
その中で結局は、それがちょっとなんとなく生きてる感じがしなくて。
三島由紀夫とか読んだ末もあって、死を身近に感じたりとかすると、生が充実して感じるんじゃないかとかね。
そうなったらちょっとわかる?
ちょっとした憧れというか、生ぬるさへの物足りなさというか、なんか自分に欠けているものみたいなことなんですよね。
生きてるけど生きてる感じがしないみたいな、なんかそういう。
そんな中であちこち、とにかく好き好んでヤバいとこばっかり行ってたわけなんだけども。
まあそういう中で結局とどのつまり、20代の間にそういったものを見つけて死んでもいいぐらいの気持ちだった時期。
まあ中二病だったわけなんだけどね。
そういうのがあって、それは最後はやっぱり戦場でしょみたいな感じで。
なるほど。
もうとにかくどこでもいいか戦争やってる紛争下に行こうみたいな。
そうか、なるほどな。
確かに一番その大事なものですからね、生と死の狭間みたいな。
そうそう、境界線ギリギリ何かが見つかるかもしれないみたいな。
03:03
なるほど。
まあその頃の神山青年はちょっとこじらしてたんでね。
結構ですね、それほどまでに何か自分に足りないものというか、見たことないものみたいなのを探してたんです。
結構思い詰めてる感じがなんかしますけど、ちょっと心配はあります。
そんな面白めてるわけでもないから、別に普通に生活はしてたんだよね。仕事もやってたし、ビデオレンタル店やってた頃だから。
ビデオレンタルをやりながら僕の活望があったんですか?
日本にいるときはもう5年後さっきを考えて、ビデオレンタルからインターネットとかいろんなことを考えてるのは考えてた。
でも基本的にはそういったことも一方で考えてたわけじゃない。
結局じゃあどこだっていうときに、その頃で特に紛争をやってたのはユーモスラビアっていう今で言うボスニア、ヘルスコビアとかね、あの辺りなんだけど。
っていうところに行こうということで、ちょうど30歳のときですね。
行きましてですね。
行ったんだ。
ちょうど30年前かな。
戦争、そうだね。
戦争やってるかっていう、戦争やってるとニュースとか見ると街中戦争してるみたいに見えるけどね。
戦車とかね、銃声がどうのみたいなイメージあります。
ユーモスラビアに行くのは、結局ギリシャトルコ系かな。
そういう感じでそっちに入ったんだけど。
で、新聞ではそういう戦争中、内戦状態ですみたいな感じで言ってたから、入れるかなとかいろいろ思いながら行ったけど、意外とあっけなく入れてね。
グランバードルかなっていう都市に入ったのよ。
街も普通の人並みでね、みんなね、普通に買い物したり生活してるわけよ。
非常事態宣言みたいな、コロナの日本みたいな感じじゃないんですね。
歩いちゃダメみたいな。
でも多分そんなとこはあったんだろうけど、日本でも歩いちゃダメとか、戦時中だとか多分いろんなこと言ってても、コロナでも普通に道歩いてるじゃんみんな。
まあまあ確かに言われてみればそうですね。
だから非常事態宣言だったと思うんだけど、それでも街は入った時は普通の街だったわけよ、都会の。
なんで俺がホテル入った時はそこにカシノもあって、みんなでカシノやってたりね。
戦時中に。
そうそう、戦時中だけどね。で、お酒飲んでる人もいたり、食事したり、恋人同士も歩いてたりしてたのよ。
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ちょっと表紙抜けって言ったら変だけど、なんとなくね、こんな感じなの?みたいな感じだったわけよ。
見たいものとは違いますよね。
でもまあホテルの人とかにいろいろそんな話を聞いてみたら、やっぱりでもやっぱり今はガソリンが手に入りにくくなってるし、その戦争の戦線の方面に行くバスとかも止まってますよと。
だからそっちの方に行きたくても、今はどっかタクシードライバーでも雇わないとかね、専用の誰か雇わないと行かない。
多分そこには行けないよと。
だけど、それで行く人もいないかもしれないからね。ちょっとそれは無理なんじゃないの?行きたいって言ってもって言われてた感じかな。
それはそうですよね。だってそっちに行ったら死の確率が上がってて、危ない方向に行くわけだから。タクシードライバーにたどらない。
誰も行きたくないし、まして外国人なんか別に、そんな無理無理みたいな感じだった。ホテルの人に聞いてもね。
でもまあせっかくここまで来たんだから諦めるのがいかんってことでさ、自転車買ったのよ。
1万円か2万円だったかなぐらいのやつをね。
それでまあじゃあとりあえず地図を買ってその方面に向かいましょうという感じで、
ユーノストラビアのボスニアと今で言うとこの、あれ国名忘れちゃったよ。どっか分裂してる。
その辺の国境のあたりみたいなとこに向かいましたという感じでございます。
ということで一回ちょっと次回に続くということで。
あっけに撮られちゃった。
じゃあちょっと次回そのチャリで、現地調達したチャリで行った先に何があるのかというところですね。
楽しみに、楽しみ半分怖さ半分で楽しみにしてます。
お願いします。
08:15

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