吉田拓郎とフォークソングの転換点
さて、今日の学ぼう社会のカギは、元サンデー毎日編集長、潟永秀一郎さんなんですが、6月の最終金曜日はね、サッカーワールドカップ日本の試合をね、お届けしたので、これがお休みになっちゃったんで、今日はその代わりに、この歌詞が凄いをやっていただくということなんですが、今年はこの歌詞が凄いはですね、レジェンドたちの足跡を、このJ-POPの歴史に振り返ってもらっているということなんで、
今日はね、どなたになるんでしょうか。おはようございます、潟永さん。
おはようございます。
はい、おはようございます。ごめんなさい、6月は第2週をお休みしてしまいまして、お久しぶりです。
そうですね、お久しぶりです。
よく目が回るほど忙しいって言いますけど、本当なんですね。5月に徹夜3回とか無理したら目眩が酷くてですね、ちょっと休養をしてました。
もう無理しないでください。
本当にすいません。残念ですけど、もう無理の効かない年だと再認識しました。
で、本題です。4月のこの歌詞は凄いで、今や伝説となった1971年の第3回中須川フォークジャンボリーのお話をしました。
フォークソングの元祖と言われた高橋智也さんとか、神様と言われた岡林信康さんから吉田卓郎さんへフォークソングの主流が変わった、まさにその節目のフェスでフォークはですね、
反体制の歌っていうレッテルを剥がして、社会じゃなく個人の感情、説教じゃなくて物語、抗議ではなくて共感を歌い始めたという話でした。
今日はその続きで、じゃあその節目の歌って何だったのかをお届けします。第3回フォークジャンボリー、今言った伝説のジャンボリーの翌年1972年1月リリースのこの歌です。
吉田卓郎さんの結婚しようよ。実際この翌年卓郎さんはカルイザーの教会で最初の結婚式をしました。事実上3年ちょっとで破局するんですけど、それはさておいて、確かにこの歌には反体制のハの字もありません。
僕の髪が肩まで伸びたら結婚しようよって歌ですからね。だから何?と思われるかもしれませんが、これ結構画期的なことでした。今じゃ当たり前ですけど、男子が何の手配もなくラブソングを作って歌うということ自体がなんですね。
当然あの社会派フォークを支持した人たちからは軟弱だとかですね商業主義だとか批判を浴びてコンサートで買いレコールを浴びたりですね、物を投げ込まれたりもしたそうですけれども、知ったこっちゃねーよというスタンスまで含めて卓郎さんは多くの若者の支持を集めました。
少し時代背景を説明すると、1960年の六十年安保闘争というのは、まだ敗戦の記憶が生々しい中で、日本がまた戦争に巻き込まれるんじゃないかという思いなどから、社会運動、市民運動という広がりを持ってですね、結果的に条約は成立するんですが、
強行採決した岸内閣は退陣に追い込まれました。でも70年安保は学生運動という色が濃くてですね、過激派っていう言葉が生まれるなど、先鋭化して市民の支持を失ってですね、
とりわけ1972年この歌の頃、浅間産総事件があってですね、これの後急速に絞んでいくんですね。つまり歌以前に社会が闘争に疲れていたっていうその空気感を見事に救い取って新しい風を吹かせた一人が吉田卓郎さんその人でした。
「今日までそして明日から」に見る自己認識と決意
文学でいうと赤ずきんちゃん気をつけて、1969年の芥川賞を受賞した松治香織さんなどなんでしょうかね。その松治さんも今年4月に亡くなりましたが、
すいません余談でした。歌詞に戻ります。
といってもこの歌詞ですね、解説するまでもなくて、とにかくあっけらかんと結婚しようよという歌ですよね。
一つ言えば安保の時代、長髪、長い髪は若者の反抗の象徴の一つで、だから雄美は一語白書をもう一度の中で、就職が決まって髪を切ってきた時、もう若くないさと君に言い訳したねって書いたわけですけれども、
この歌はそんな長髪に込められた意味すら消し去ってですね、ファッションの一部にしました。その底抜けの明るさが若者たちを救い、新しい時代の扉を開いたという意味で、この歌は誕生そのものに意味があったと言えます。
まさに社会から個人への転換点でした。ただ卓郎さんもいきなりこの境地にたどり着いたわけじゃなくて、例えば4月のこのコーナーでご紹介した人間なんてという歌は、フォークジャンボリーで延々に時間絶叫して、観客と大合唱になった伝説の歌ですが、
この歌詞、「何かが欲しい、おいら。それが何だかはわからない。だけど何かが足りないよ。今の自分もおかしいよ。」という歌詞はですね、鋭くて切実です。結婚終了とは全然違うんですね。
1971年のリリースですが、実はこの71年にもう一曲卓郎さんの変化というか、人間なんての切実な叫びから、結婚しようよの明るさに至るまでの割り切りというか、吹っ切れた感が伝わる歌があります。
この曲です。
はい。
今日までそして明日からです。
この歌の願目は、振り返される、私は今日まで生きてみました。です。
普通は生きてきました。
そうですね。
はい。
それだと単なる経過になるんですね。
ええ。
でも、見ましたには意思があります。思いがあります。
この歌で言えば、「こんな自分でいいのか?」っていう迷い、悩みなんでしょうかね。
人は青春の一時期どうしようもなく、そんな自己嫌悪にも似た思いに囚われることがありますよね。
それはきっと、こうありたい、なりたいと願う自分があるから、自分が嫌になるからで、それ自体ある意味で若さの特権です。
私なんかも振り返れば悔いだらけですけど、もうどうしようもないから悩みませんもんね。
もう開き直った。
はい。生きてきました。です。
ただ、見ましたには危うさも絡みます。
もうダメだって諦めてしまいかねない危うさです。
しかも卓郎さんは時には誰かの力を借りて、しがみついて、嘲笑って、脅かされて、裏切られてと、正直すぎるほど正直に情けない自分をさらけ出し、
でもその上でこう言い放ちます。
明日からもこうして生きていくだろうと。
痛快です。笑い出したくなります。
けれど決して投げやりになっているわけじゃないのは、次の歌詞でわかります。
私には私の生き方がある。それはおそらく自分というものを知るところから始まるのでしょう。
けれどそれにしたって、どこでどう変わってしまうか、わからないまま生きていく。
明日からのそんな私です。
という歌詞なんですけども、
自分は本当に未熟で未完成だっていう率直な自己認識に至って、
でも生きていくよと誰に言うでもなく覚悟を決めるんですね。
永遠に古びない青春ソング人生の応援歌だと思います。
随分昔の歌ですけど、今を生きる若者たちにもぜひ聴いてほしいなと思う一曲ですね。
吉田拓郎の音楽シーンへの多大な影響
ということで初期の代表作を聴いてきましたが、
当時吉田拓郎というシンガーソングライターの登場がどれだけ画期的なことだったか、
後に音楽評論家の魔界野本寛さんは、
拓郎がデビューから5年間に切り開いた功績と音楽シーンへの影響は分かり知れないと語って、
井上陽水さんもポークシンガーはたくさんいるが、
それを全国区にしたのは吉田拓郎。みんなその後に続いていると言っています。
また拓郎さんに憧れて音楽を始めたというミュージシャンも、
桑田恵介さんや中島美幸さん、長渕剛さんが多くてですね。
拓郎さんがバックバンドに寄与したアイドの濱田翔吾さんをはじめ、
かくや姫や原田真嗣さん、ガロ、きのとう、ダウンタウンブギウギバンド、
ジ・アルフィ、RCサクセションなどなども、
そのプロデュースとか楽曲の評価で世に出たり、
ヒットにつながったミュージシャンもほんと少なくないですね。
74年に森真一さんが歌ってレコード大賞を受賞した襟もみさきは、
演歌とポークの垣根を取り払って、
以後ポークシンガーが歌謡曲の作家としても活躍するきっかけの一つになりましたし、
シンガーソングライターがパーソナリティとしてラジオ番組を持つようになったのも、
72年に始まったタクローさんのパックインミュージック走りだとされます。
ことほど左様に、日本の音楽芯によったの功績は、
ちょっと音声が途切れてしまっていますね、今ね。
吉田タクローが出なければ今のJ-POPはないと言っても過言ではないとまで評しています。
「流星」に込められた人生の葛藤と愛
ということで今日の最後は、そんなタクローさんの歌で私が一番好きなこの曲です。
流星1979年のリリースで、レコーディングにはキーボードで松戸山さたかさん、
ギターで鈴木しげるさんが参加した名盤です。
時にタクローさん33歳、この間結婚して子供を授かり、
けれどわずか3年で破綻し浅田美代子さんと再婚するのですが、
その再婚は離婚成立前に交際報道が出たこともあって、世間の批判も浴びました。
流星はその再婚から2年後、ミュージシャンとしては大成功する一方、
生活では右右曲折もあったデビュー10年目の曲です。
タクローさんは今から4年前、76歳の時に歌が生まれた経緯をラジオでこんな風に話しました。
原宿を無邪気に笑いながら歩く女子高生たちを見た時のことだったそうです。
僕は彼女たちから見たらどれくらい醜い男になっちゃったんだろう、
どれくらい愛されない大人になっちゃったんだろうって気分になったの。
俺あっという間に30歳過ぎちゃってるし、このままでいいのかなと。
家に帰って一日を思い出そうと思ったら死が降りてきたんだそうです。
続けてですね、夜空を見上げながら毎日星を数えている僕というのは、
僕が20歳の頃東京に出てきた頃思った30歳のよくし吉田タクローじゃなくなっている。
だから全ての歌詞が僕が欲しかったものは何ですかに繋がっているんだっていうお話でした。
歌はですね、例えば僕が間違っていても正直だった悲しさがあるからと
駆け抜けた青春20代を振り返って立ち止まり、この世に確かなことなど何もなく
ただひたすらに君が好き、あるとすれば君を好きだということだけ
それでも人生は流れていくっていう思いを歌ってますよね。
だからなんですね、これ年を重ねるごとにこの歌しみるんですよ。
ということで今日は日本の音楽シーンを変えた吉田タクローさんの1970年代の名曲3曲をお届けしました。
まとめとリスナーへのメッセージ
皆さんもですね、ぜひ改めてタクローさんもいっぱい名曲がありますのでその数々聞かれてみてはいかがでしょうか。
じっくり聴き直してみたいというふうに思いますね。
ありがとうございます。今日はね、この歌詞がすごい吉田タクローさんをお届けいたしましたが
本当に体気をつけてくださいね。
どうもありがとうございます。
タクローさんもですけど、がたなかさんも結構女子高生から見たらどうなんだろうっていうね。
残念な大人になってしまいましたね。
せめて健康な父さんでいたいと思います。
お体だけは、お互いですけど大事にしましょうということで、元サンデーマニッチ編集長がたなか修一郎さんでした。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。