この歌詞が凄い!
2026-09-25 16:21

この歌詞が凄い!

元サンデー毎日編集長・潟永秀一郎と毎日新聞出版代表取締役社長・山本修司、2人のジャーナリストによるラジオコラム。毎月第四金曜日には、元作詞家志望だったという経歴も生かして、潟永秀一郎がヒット曲の歌詞を読み解く「この歌詞がすごい」をお送りします。

※RKBラジオで毎週金曜日に放送している『立川生志金サイト』内のコーナーです。

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サマリー

今回は、佐田雅史の歌詞を文学性という視点から読み解く。山口桃江が歌った「コスモス」では、母と娘の別れを秋の庭や縁側の風景として描き、コスモスが母の願いを託す舞台装置になると説明する。続いてグレープ版の「無縁坂」を、実在の坂と母の人生を重ねた写実的な歌として分析し、小倉圭の「俺たちの旅」と対比する。「主人公」では、学生時代の思い出、選ばなかった人生への思い、そして誰もが自分の人生の主人公だという普遍的な励ましを読み取る。最後に、小倉圭の「さらば青春」と比較し、両者とも音楽を通じて文学的な人生観を示すが、佐田の「主人公」は個人的な覚悟、小倉の曲は運命論的な覚悟を描くとまとめる。

佐田雅史「コスモス」――母と娘の風景
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さて、暑さ寒さも彼岸までと言いますけれども、 秋の彼岸過ぎまして、気が付けばもう10月が目の前ということになります。
毎月最終金曜日は恒例子の歌詞がすごいということで、 今年はJ-POPのレジェンドたちの足跡をたどるシリーズを届けてもらっております。
今日はどなたなんでしょうか。 元サンデー毎日編集長、がたながし一郎さんです。
おはようございます。
いつの間にか秋ですね。
だいぶ涼しくもなりましたしね。
ものを思う秋ということで、先月ご紹介した小倉圭さんは、フォークソングの歌詞に文学的助長性や哲学性を取り込んだ先駆者でしたけれども、
ここからはしばらく小倉さんを起点、始まりとして、後に続く文学性、哲学性、音楽の中にこういうものを持った系譜、どなたなんでしょうか。
たどっていこうと思います。
今日はどなたかという前に、まずはこの曲をどうぞ。
山口桃江さんのコスモス。
歌は桃江さんですけれども、今日取り上げるレジェンドはこの曲を作った佐田雅史さんです。
その歌詞の文学性の高さをおそらく誰しも認めるところだと思いますけれども、
最初にこの歌を取り上げたのは、先月ご紹介した小倉圭さんのシクラメンの香り、これと見事に対をなす名曲だからです。
説明しますね。
おさらいしますけれども、シクラメンの香りは、白薄紅薄紫という花の色に出会い、幸せだった日々、別れという時の経過と彼女の面影、そして移ろう思いをかけた隠喩の文学でした。
現実にはシクラメンにほとんど香りはなくて、この歌が発売された1975年当時はまだ紫色のシクラメンも存在しなかったので、あくまでイメージソングなんですけれども、その比喩があまりに巧みで違和感なく心に染みたんですね。
これに対して、コスモスの歌で登場する花は、聞き手に風景を浮かび上がらせる舞台装置です。
冒頭の歌詞、薄紅のコスモスが秋の日の何気ない日だまりに揺れている。
この頃涙もろくなった母が庭先で一つ咳をする。
ここまでの2行で穏やかに晴れた秋の昼下がり、古い一軒家の小さな庭にお母さんがどこか寂しげに佇む様子、これがもう断然に浮かびますよね。
続く2番、縁側でアルバムを開いては、私の幼い日の思い出を何度も同じ話繰り返す。
という歌詞から見えるのは、カメラワークです。
コスモスが揺れる庭先からローアングルのカメラが、母と娘2人きりの縁側を静かに捉えます。
そこでは結婚前日の娘に、母が心配いらないと笑いかけ、その優しさに感謝の思いをかみしめる娘さんと、元気でねって言いながら涙をついこぼしてしまうお母さん。
この映像がですね、まるで向田邦子さんの脚本を崩れてる彦さんが演出したドラマみたいに浮かび上がる。浮かび上がりませんか。
確かに、おっしゃる通りです。
歌詞にはですね、あった1回しかコスモスって出てこないんですけれども。
そうですかね。
これが新たな人生に船出する娘に、風に揺れてもしなやかに花を咲かせてと願うお母さんの思いも乗せて、見事な役割を果たすんですね。
ちなみに秋の桜と書いて、コスモスと読ませる文化を定着させたのもこの曲で、これによってそれまで洋花のイメージが強かったコスモスが、彦花をしのいで日本の秋の代表的な花の風景になりました。
その意味でも歌の力ってすごいですね。
「無縁坂」と母の人生
ということで、次はこの曲です。
はい、無縁坂。
まだグレープだった当時の1975年に発売された6枚目のシングルで、後に佐田さんがセルフカバーしていますけれども、今日は初期のグレープバージョンです。
そしてこの歌と対比される小倉圭さんの曲は、これも前回ご紹介した俺たちの旅なんですけれども。
まずは無縁坂の歌詞の高い文学性についてお話しします。
最初に無縁坂という場所からです。
少子さんご存知でしょうけれども、東京の文京区に実在する坂ですよね。
知らなかった。
そうですか。
上野公園の近くの忍バスの池から東大の医学部の方に通じる細い坂道で、左手には旧岩崎庭園が広がります。
江戸時代、坂の途中に無縁寺という寺があったのでこの名がついたそうで、東大の医学生だった森鴎外の小説「岩」にも登場します。
さて歌詞です。
一番は母がまだ若い頃の回想です。
僕の手を引いてこの坂を登るたび、いつもため息をついていました。
なぜため息をついていたのかは書かれていませんが、例えば東大病院につながる坂ですから、夫の見舞いだったかもしれません。
後ろだけは見ちゃダメっていうのは、この境遇にため息をついていいけど、後悔はしちゃいけないという自分への忌ましめだったのかもしれません。
そして、いつかしら僕よりも母は小さくなったで始まる二番は今ですね。
幼い頃につないだ手は白く柔らかだったのに、その手も痩せて小さくなって、母はすべてを暦に刻んで流してきたんだろう。
今流れてますけれども、悲しさや苦しさはきっとあったはずなのにと、その母を切なく見つめながら、運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると思うのです。
そして、この歌詞の願木は、「忍ぶ忍ばず無縁坂噛みしめるようなささやかな母の人生」というサビで、とりわけ忍ぶ忍ばずの掛け言葉です。
忍ぶは我慢強いお母さんの生き方、忍ばずは坂の起点となる地名。幸薄くひっそりと坂を登るような人生だったかもしれないけれども、僕は感謝しているよという思いが伝わる。
ある意味、リリー・フランキーさんの小説東京タワー、おかんと僕と時々おとんにも通じる、どこかに申し訳なさも含んだ息子ならではの母への思いですよね。
泣き出したよ、僕はこの東京タワーは。
だから私この無縁坂聞くたびに胸に迫るんですけど、松下さんいかがですか。
つい僕、おととい忍ばずの池のそばでラブコーカーやってきたばっかりなんで。
ただ無縁坂があるの僕知らなかったんでね。
今頭の中には忍ばずの池と伊豆江といううなぎ屋がかかんでますからね。
伊豆江と反対側ですね。
この坂登ってみてください。
坂道の歌「俺たちの旅」との対比
ちなみに小倉圭さんの俺たちの旅と対比で言うと地点の違いがあるんですね。
俺たちの旅も坂道で始まるじゃないですか。
こちらは夢の坂道です。
この葉模様の石畳とまばゆく白い長い壁という描写がありますけれども、
たどり着けない山の中へ続いている、
つまりこちらは場所を特定しない、特定のどこでもない暗示的な人生の坂道を敷く人に示して、
若者の迷いやどうしようもない別れ、
必ずしも夢が叶うわけではない人生の不条理さもそっと包み込んでくれる。
これが俺たちの旅の方ですね。
コスモスや無縁坂の写実性や距離感の近さとは対照的に、
抽象的で人生を引いてみる、俯瞰するような眼差しですね。
なのでどちらも坂道の歌なんですけれども、
方向性は違ってでもどちらも優れて文学なんですね。
「主人公」――記憶と人生の選択
では今日はもう一曲だけ、最後はこの曲です。
ファン投票ではほぼ必ず1位になる佐田さんの代表曲、主人公です。
以前も取り上げたんですけれども、もう一度その文学性から読み解きます。
冒頭、時には思い出行きのガイドブックに任せ、
あの頃という名の駅で降りて昔通りを歩くという歌詞ですけれども、
あの頃と昔通り、歌詞カードを見るとわかるんです。
ここにカギカッコがありますから、これは階層なんだなとわかります。
ただ続くいつものテラス、喫茶店にはまだ時の名残が少しっとあるので、
どうやら懐かしい場所を尋ねているみたいです。
そこにはメトロ、地下鉄の駅とバス停があって、
プラタナス並木の古い広場に学生たちがあふれています。
思い出の地は学生時代を過ごした街ですね。
前に取り上げた時も言いましたが、この階層、
振り返りに懐かしくなりたくなるような現実味を与えてくれるのが次の歌詞。
そういえばあなたの服の模様さえ覚えているんです。
もう遠い遠い日々なのになぜか服の模様まで覚えている。
それは彼女にとってその人がどんなに大切な人だったかを伝える通設な情景描写で、
色がさすんですね。
だからこそ続くあなたの眩しい笑顔と友達の笑い声に抱かれて
私はいつでも必ずきらめいていたっていう一種自我自賛的な歌詞も
そうだったのねって麗しい記憶として素直に受け入れられるんですね。
その前に現実味があるからですね。
そうして2番は今です。
彼とは結ばれなかった今の私のモノローグですね。
時を遡るチケットがあれば欲しくなる時がある。
あそこの別れ道で選び直せるなら。
生涯で一度も思わない人っているんでしょうかね。
一度戻れるなら。
いっぱいあるわ別れ道。
いっぱいありますよね。
ここで深く頷いた後ですね。
けれども彼女はもちろん今の私を悲しむつもりはないと顔を上げて
確かに自分で選んだ以上精一杯生きると前を向きます。
そうでなきゃあなたにとても恥ずかしいからというわけですね。
このあなたは結ばれなかった彼でしょうけれども
親友や自分を応援してくれた人
亡くなって二度と会えない人にも置き換えられて
すると誰しもどなたかの顔が思い浮かぶんじゃないでしょうか。
そしてここまで高まる共感に留めを指すのが
あなたは教えてくれた小さな物語でも
自分の人生の中では誰もが皆主人公という名フレーズです。
歌が今のあなたであなたの生き方でいいんだよと
温かく胸に染みて普遍的な人生の応援歌になるんですね。
「さらば青春」と文学的な覚悟
ちなみに小倉さんの歌で後退賞なのは
これも前回ご紹介したさらば青春です。
この歌も過ぎ去った青春をテーマにしてるんですが
立ち位置は冷徹と言えるほど客観的です。
僕は去っていくものは追わないし誰かを頼ることもしない。
社会は厳しく運命は時に不条理で
自然や宇宙ですら気まぐれだと現実を受け入れて
青春という美しかった季節に別れを告げるんですが
主人公という歌が過去の自分の選択を引き受けて前を向く
という個人的な覚悟の歌であるのに対して
さらば青春は人生を大きな川の流れのように
俯瞰的に見て厳しさや不条理もそういうものだと
嘆いたり絶望したりせずに私は生きていくよっていう
ある意味運命論的な覚悟の歌なんです。
勝手な解釈ではあるんですけれども
時に歌・音楽という
共にお二人は歌や音楽という手法を取りながら
中身はアプローチこそ違い文学であるということは
ご理解いただけたでしょうか。
小難しいことを今日は言いましたけれども
今日ご紹介した佐田さんの3曲は
これ理屈抜きに全部名曲です。
ぜひ改めて聴いていただければと思います。
そうですね。佐田さん名曲いっぱいあるけど
本当にすごい曲ばっかりなんだよ。
歌詞がまた本当にすごいですからね。
今日は佐田雅史さんの
この歌詞はすごいを
文学という視点で解説していただきました
元サンデーマインシー編集長 型永周一郎さんでした。
どうもありがとうございました。
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