00:00
さて早いもので、3月も今日が最終金曜日ということで、月末恒例元サンデー毎日編集長の潟永秀一郎さん。この歌詞が凄いということでね。昭和100年の今年はですね、しばらく昭和開広編ということで、前回、先月に続きましてヤマハポピュラーソングコンテスト通称ポプコンが生んだ名曲からということなんですね。
今日は一体どんな曲が登場するんでしょうか。おはようございます。潟永さんよろしくお願いします。
はい、おはようございます。
進学や就職や転勤など、今人生の節目を迎える方も多いこの季節ですけれども、1970年代から80年代の半ば頃にかけて、ポプコンで受賞するというのは、レコードデビューにつながる、まさに人生を変えるチャンスでしたから、多くの若者たちが夢をかけて挑戦しました。
そのポプコン編の2回目は、まず1977年、昭和52年10月の第14回から、グランプリ曲はポプコンの歴史を変えたとも言われるこの曲でした。
セラマサノリ&ツイストのアンタのバラードです。
グランプリを獲得した1ヶ月後にレコード化されて、50万枚を超える大ヒットになりました。まさに人生一遍ですよね。
先ほど私が歴史を変えたと言ったのには、2つ理由があります。
1つは、ポプコンは妻漕いで本選会が開かれるようになった1974年、昭和49年当時から、応募も入賞もフォーク系の曲が多くて、いわばフォークシンガーの登竜門的存在だったんですね。
アンタのバラードはロック。それがグランプリに輝いた上、大ヒットしたことで、これ以降はロック系バンドの応募が増える転換点になったんです。
もう1つは、日本語ロックを文字通りポピュラー、一般に広く知られる人気のジャンルにしたということなんですね。
年配の方ならご存知だと思いますが、70年代の初めの頃、ロックって当時の親世代に不良の音楽って言われたりしてですね。
後に瀬田さん自身、3Kスポーツのインタビューに、その頃浜田翔吾さんのアイドや矢沢栄吉さんのキャロル、ゆうかだん、ゲドー、ジョー山中さんなどなど、すごい日本語ロックのミュージシャンがいるのに、
ヒットチャート上がってこないと悔しさを振り返っていますけれども、そんなロックをメジャーな存在にしたきっかけの一つが、間違いなくツイストの成功だったからなんですね。
03:12
余談ながら、瀬田さん、ご自身でポップコーンに応募したわけじゃなくてですね、大阪芸大の在学当時、バンドの練習に使っていた楽器店の店員さんが、主催者に録音テープを送って、一時審査大阪大会本選と駆け上がったんですね。
つまりこの店員さんがいなければ、もしかしたらツイストはこんなに早く世に出なかったかもしれない。
という意味ではですね、店員さんありがとうです。
また、瀬田さんを除く4年生のメンバーは、ポップコーンの出場前に実はもう就職決まっていてですね、大学卒業期にバンドは解散する予定だったんです。
実際グランプリ受賞したもののですね、一旦バンドは解散してメンバーを探し直して、ポップコーンの出場とは違うメンバーで再出発したのが、私たちが知っているツイスト。
それまでのフォークロックシンガーはテレビに出ない人が多かったんですけれども、ツイストはですね、ロックファンを増やしたいという思いから、ザ・ベスト10をはじめとする歌番組にも積極的に出て、繰り返しになりますけれども、日本語ロックをポピュラーな存在にしたんですね。
以上2つ受賞が歴史的だといった意味は伝わりましたでしょうか。
はい、わかりました。
前置きが長くなりました。じゃあ歌詞です。
この歌ですね、冒頭のあんたにあげたのインパクトが強くてですね、いきなり歌の世界に引きずり込まれますよね。
そこですよね。あんたにですからね、いきなり。
このインパクトの強さって、たった1曲を1回しか歌えないコンテストでは大事でして、
中島みゆきさんの時代の冒頭、今はこんなに悲しくてっていう歌い出しやですね、
まどかひろしさんの無双花、飛んで飛んで飛んでっていうサビは覚えてらっしゃると思うんですが、とかですね、
グランプリ曲は強いフレーズを持つ曲が少なくありません。
歌詞はですね、すごく短くて、このあんたのバラード。
1番と2番で合計12フレーズ。文字数にして150文字足らずなんですよ。
でもですね、ちゃんと酔いどれ男と泣き虫女っていうキャラ設定も、それからその後のドラマもあって、
要するに2年付き合った今も大好きな彼に、あの日々を返せとは言わないと、別れの未練を断ち切ろうとする思い。
06:01
諦めきれないけど諦めてみせると自分に言い聞かせる道国。叫びみたいな歌ですね。
その結びつきの強さを一言で伝えたのが、あんたという呼び方で、
これがですね、あなただったら、自分のこともあたいじゃなく私だったら、歌から泥臭さが消えて言葉が弱くなって叫びじゃなくなりますよね。
歌ではあまり使われないあんたとあたいという言葉の選択がグランプリにつながったなぁと、引き直して再認識しました。
なるほどね。
では次はですね、1978年、昭和53年の第15回からこの曲です。
長渕剛さんの巡連歌、15回大会の入賞曲でした。
今の録音って多分後の撮り直した分、もっと歳とってくるかなと思います。
そうですね、アレンジがちょっと違いますよね。
はい、デビューの頃ってもっと素直な。
あの頃が好きだったんですけどね。
同じくでございます。
実は長渕さん、この巡連歌の2年前、九州産業大学2年生の時にもポップコーンに出場してですね、雨の嵐山で入賞して、1回プロデビューしてるんですが、
レコード会社が歌謡曲路線だったのでですね、長渕中士さんでもなく長渕剛さんだったんですが、
歌謡曲路線で売り出そうとするレコード会社と意見が合わずにですね、1年で契約が切れると福岡に戻っちゃったんですね。
いわば挫折の時期があったんですが、そんな時に吉田拓郎さんに出会ってですね、拓郎さんに、いや俺お前のファンだよって励まされて、
再帰してですね、巡連歌の入賞後に別のレコード会社から2度目のデビューを果たすんですね。
拓郎さんはその後も自分のコンサートにゲストで長渕さんを呼んだりしてですね、応援して、それが後の、というか今の長渕さんの活躍に繋がっていきます。
これ、安全地帯、玉城浩二さんも才能を認めた井上陽水さんの招きで北海道から上京して、ツアーのバックバンドを務めながら県産を積んでデビューを果たしましたけれども、
拓郎さん、陽水さんっていうのは、その意味でも大きな存在だったんだなと感じます。
才能が才能を知るというかですね、器の大きい兄貴分ですよね。
さて歌詞ですけれども、一言で言うと本当は私のことなんて好きじゃなかった彼に別れを告げられた女性が、
恨み事を言いながら、でももうどうしようもないことも分かっている。その辛さと未練を謳った歌ですね。
09:08
好きだ、愛していると言ったのは彼でしたけれども、それは一人暮らしの寂しさからでした。
だから長続きせずに、お前が勝手に好きになったんだろうとまで言うわけですよ。
歌詞にある通り本当にひどい人ですが、悔しいけど惚れたのは彼女の方でした。
いじらしいのは、それでも別れの舞台はどこにするとおどけてみせる姿でして、
あんたのバラードもそうなんですけれども、わがままな男と絶え忍ぶ女性という図式。
これ実は演歌でして、歌詞的にはですね。
昭和カレス好きとかね。
これもまたですね、昭和だなぁと思うところなんですね。
さて、では今日の最後はこの曲です。
柴田真由美さんの白いページの中に、
純蓮花と同じく1978年第15回大会の入賞曲です。
他曲で恐縮なんですけれども、ポップコーンやってた当時、
日本放送でコッキーポップというラジオ番組がありましてですね。
入賞曲とか、ポップコーン出身の歌手やバンドの曲を紹介してたんですね。
私当時中高生の時期だったんですが、
深夜0時45分に始まるこの番組をはじめ、深夜放送リスナーだったのでですね。
学校ではよく知られる遅刻の条例ですね。
この白いページの中には、コッキーポップのオープニング曲だった時期があってですね。
私と同年代の方々の中には懐かしく思い出される方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
柴田さんは当時19歳の短大生でレコードデビューし、
この番組のテーマ曲にまでなったんですけれども、
なんとですね、この1曲だけで事実上引退されました。
もともとプロの歌手になりたかったわけじゃなかったそうで、
青春の思い出ぐらいの気持ちだったとおっしゃってます。
その後、結婚してお子さんを授かったそうですが、
作詞家を夢見た1人としてはですね、もったいないと思ってしまいますけれども。
本当にあっさりとというか潔く引退。
でもそれもまた1つの生き方ですよね。
ただ、33歳の1992年に音楽活動は再開されて、
当時の録音を2004年にアルバム発売されています。
では歌詞です。
一言で言うと、ずっと安らぎをくれた人を失って初めて、
その大切さを知ったと。そういう歌なんですけれども。
聴き手が誰を思い浮かべるかで、この歌の印象はかなり変わります。
12:00
1つは恋人ですね。
振り向けば安らぎがあって見守る人があったことを、
さよならの時の中でやっと気づくなんて。
という歌詞は、別れを覚悟した時、
これはダメだと思った時の後悔ですね。
2番の優しいはずの声が悲しい糸を引いて、
許しあえた短さを遠くで響かせるは、
おそらくまさに別れの場面、別れを告げられるところでしょう。
そうしてサビのですね、長い長い坂道を今登っていくところは、
彼と別れた後、海の見える坂道を一人歩く風景に
聞こえてですね。
2人の思い出はもう日記のページに残るだけだと、
そういう歌に聞こえます。
もう1つは、憎しん。
例えば、母親との私別だった場合です。
振り向けば安らぎがあってのフレーズは、
ありがとうというこれまでの感謝の思い。
優しいはずの声が悲しい糸を引いてのフレーズは、
旅立ちを見送る風景。
長い長い坂道をのフレーズは、
あなたを失っても私の人生は続いていくという覚悟になってですね。
白いページというのも、天の彼方のイメージです。
なるほど。
どちらも私の読み方で、ひょっとしたら両方違うかもしれませんけれども、
そんないろんなイメージを提供してくれる歌を
19歳で書いた柴田さんの才能に改めて驚きますし、
やっぱり私、作詞家の夢は夢に過ぎなかったんだなと痛感します。
そんなことおっしゃらず。
ということで、今日は第14回、15回の入賞曲から3曲をご紹介しました。
まだまだ紹介しきれない名曲があるので、ごめんなさい。
来月も引き続きポップコーン編をお届けします。
楽しみにしております。
今日はですね、元サンデーマインチ編集長、
ガタナガシシュウイチロウさんにこの歌詞がすごい、
を教えていただきました。
YouTubeミュージックでバッテンラジオ隊と検索してフォローお願いします。