渡辺元智監督を想う
2026-08-21 14:44

渡辺元智監督を想う

元サンデー毎日編集長・潟永秀一郎と毎日新聞出版代表取締役社長・山本修司、2人のジャーナリストによるラジオコラム。毎月第四金曜日には、元作詞家志望だったという経歴も生かして、潟永秀一郎がヒット曲の歌詞を読み解く「この歌詞がすごい」をお送りします。

※RKBラジオで毎週金曜日に放送している『立川生志金サイト』内のコーナーです。

メール ⁠kin@rkbr.jp

番組ホームページ ⁠https://rkb.jp/radio/insight_fri/⁠

番組公式X ⁠https://x.com/rkbkin⁠

番組公式Instagram ⁠https://www.instagram.com/rkb.rkbkin/⁠
Learn more about your ad choices. Visit megaphone.fm/adchoices

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

元横浜高校野球部監督の渡辺元智氏が亡くなったことを悼み、ジャーナリストの山本修司氏が、渡辺監督との思い出を語る。松坂大輔投手らを育てた名将の、勝利へのこだわりと人間教育への情熱、そして時代に合わせた柔軟な指導法について振り返る。

渡辺元智監督の訃報と功績
さて、今日学ぼう社会のカギはですね、今、ショースポでもお伝えしました横浜高校は、惜しくも破れたんですけれども、その横浜高校春夏甲子園で5回も優勝に導いた渡辺元則さんが、今週初め17日に亡くなったということで、現在ソフトバンクで活躍します近藤健介選手も高校時代にこの渡辺さんの指導を受けていたということで、
何と言っても松坂大輔さんの活躍で、1998年に史上5校目の春夏伝派を飾ったことは、多くの野球ファン、皆さんね、覚えていらっしゃると思います。
この高校野球の名称を失ったことになるということになるんですが、毎日新聞出版社長の山本修司さんは、毎日新聞横浜市局長の時に渡辺さんとのお付き合いがあったということで、今日はその渡辺さんについていろいろとお話を伺いたいと思います。山本さん、おはようございます。
おはようございます。
おはようございます。先ほどおっしゃったとおり、横浜高校は昨日負けてしまったんですけど、渡辺さんは先ほど取り上げていた小木東市ですね、松坂を超える投手だというような評価をしていたということなんですね。
それで準優決勝では、あの強豪の花巻東を完封したということですね。ソフトバンクの近藤選手も、あの日、日ハム戦で勝ち越しの2点にルイダを放った、活躍をしたということで、ともに渡辺さんにプレーで恩返しをしたということで、非常に私の心を打たれたわけですね。
誤審騒動と渡辺監督の潔さ
私が毎日、横浜市局長を務めていたのは、2011年から2年間だったんですが、渡辺さんとは、横浜高校の近く、農研大というところにあるんですが、こことかですね、あと市局に近いスタジアムなんかある館内ですね、こういったところでお酒を組み合わせたこともよくあったんですね。
2012年春にですね、第84回選抜高校役で春の大会ですね。ここに横浜高校は出場したんですが、この時にちょっと忘れられないことがあったんですね。
この時、準々決勝は関東一校、今回も出ましたけどね、2対0でリードされた5回裏にですね、1点を返してなお、一試一三塁というチャンスでスクイーズを決めて、やった同点だと思ったらですね、相手側のキャッチャーのフィールプレーで三塁の奏者が本塁を踏んでいなかったと判定されてアウトになってしまったんですね。
要は同点なおも追加点のチャンスというのが1点ですね、3アウトチェンジになってしまったということなんですね。
渡辺監督は非常に厳しい表情でですね、急進に抗議をしたんですが、もちろん判定は覆りませんし、注意を受けてしまったということなんですね。
大会の規定ではですね、疑義を申し出ることができるのは、出場年齢または当該選手に限ると定めているためなんですね。
監督がやっちゃダメだったんですね。
実はこの時ですね、三塁奏者のかかとが本塁を踏んでいるように見える写真がですね、翌日スポーツ新聞が掲載されて、誤審騒ぎにもなったんです。
今の大会ではプロ野球のリクエストのようなですね、映像による確認制度が導入されたんで、監督が申告によってですね、際どいプレーは確認できるということなんで、当時これがあったらどうだろうなぁなんて思い越していたところなんですね。
ちなみにこの試合で投げていた横浜高校のエースは、今中日で活躍している柳優弥投手ですね。すごいピッチャーになりましたね。この時投げて。
もうちょっと話に戻しますと、私はアルプススタンドにいたんで、主局長としてですね、学校の関係者だと応援してたんですが、やはり騒然となりまして、納得できない観客からヤジも飛んだりしたんですけども、渡辺さんは試合後にですね、アピールした相手を欲しのファインプレーだということを潔く語っていたんですね。
実は私が話したのはこの数日後のことで、渡辺さんは一人で毎日も横浜市局に見えまして、市局長室に来られるようになりですね、選抜大会を怪我してしまい申し訳ありませんでしたと言ってですね、突然頭を下げられたんですね。
渡辺さんは大監督ですし、私よりも歳20くらい上ですし、突然頭を下げられて私も大変戸惑ったんですが、講義そのものは良くないですけども済んだことですし、相手に星を褒めたのは良かったですよねという話をして座っていただいたということをよく覚えているんですね。
渡辺監督の人間性と指導法
こういう一連の名称の恋があったんですけど、これどう思われますか?
渡辺さんはそう思われたんじゃないでしょうかね。
試合中は熱くなっていらっしゃったでしょうから勝ちにこだわっていればいるほど。
でも冷静になってみると、野球というものの中でいるそのルールを自分が守らなかったということに対してのお詫びを伝えたかったという、そういう方なんじゃないですか。
選手は嬉しかったかもしれないですね。
もちろんそうですよ。監督が言ってくれたっていうのはね。どうなんでしょうね。
本当にその辺すごいことなんですけど、大変柔軟な方だというのが私の一番の思いなんですね。
渡辺さん自身も横浜高校出身で神奈川大学に進んだんですけども、肩を痛めて野球を辞めることになったんですね。
大学も中退しちゃったということで、挫折したことで一時は叫びたりの生活になったんですね。
重機メーカーなどに勤めたんですが、数年後に母校に呼ばれて、24歳の時ですけども監督に承認したということですね。
この時はプロ野球の原辰則さんのお父さんの原光さんですね。この方も甲子園で優勝しましたけども。
この方が率いる東海大サガンという強いチームがあってですね。
ここがライバルだということで、渡辺さんはものすごいスパルタの根性野球でですね、選手を鍛え上げたんですね。
で、横から逃げないようにですね、ある選手の足と自分の足を柔道の帯で結びつけたんだなってことも、飲んだ時にですね。
今だって。完全アウトですね。
そうなんですよね。大変なことなんですけども。
しかしやっぱりこういうやり方はだんだん通用しなくなってですね。
今から20数年、もう2000年くらいからですね、大変苦手だったと思われるんですが、携帯メールを一生懸命覚えてですね。
慣れない手つきでスペースなんかにメール送ってたっていうんですね。
選手たちに?
これはそうなんです。直接言った方がいいなと思うと、その方が伝わりやすいことも多かったということなんですね。
そんなにいろんな話をして、でも昔は気合で済んでよかったですよね、なんていう話を振るとですね。
いや昔はよかったのはダメなんですと。やっぱりその時代時代に合わせていかなきゃダメなんです。
という私も悟されてしまったんですね。
やはりスパルタからこの携帯メールという、非常に柔軟にですね、必要に応じて指導方法を書いていったということを物語るところだと思うんですね。
人間教育者としての渡辺監督
さらにちょっと驚くというか、その後別の大学に入り直して教員免許取ったんですね。
教師になったと、監督プラス教師ということで、それによって選手全体が見えるようになったというようなことをおっしゃってたんですね。
で、渡辺さんの教え子には先ほど言った松坂さんとかですね、中日の枠井秀明投手ですね。
DNAの後藤義智選手、大リーグにも行きましたけど。
そうですね。
こういった早々とある、あいこって言いましたけどね。
スポーツ日本の当時の、今回載った記事に30人ぐらい名前が並んでたんですね。
すごいなということなんですが。
ただ逆に言うとですね、そこに載ってない何百人という選手はもちろんプロには行ってないし、野球もやってるかどうかわからないという人がいっぱいいるわけですね。
ですから渡辺さん常々ですね、野球の勝敗が人生の全てじゃないんだと。
人生の勝利者になればいいじゃないかというようなことを言ってたということで。
実際東京近郊にいますとですね、いろんなビジネスの場で人と会うんですが、実は横浜高校野球部でしたっていう人が結構いるんですね。
その俺を裏付けるというか、ご本人野球の主導についてはですね、何度も人間教育という言葉を使ってたんですね。
私自身は、実はソフト教育を裏付けることには必ずしも私は賛成じゃないんですが、そういう話になると渡辺さんはやっぱり教育ですということで、決して譲ろうとしない頑固さがあったんですね。
やっぱりその教育というのは、監督になってさらに教員にもなったということが関係しているんだろうと思いますけれども。
亡くなった後の報道なんかを見れば、やはりプロもアマチュアもですね、多くの元選手が今あるのは人間として育てていただいた渡辺監督のおかげなんだというふうに話しているのを聞くにつけですね。
やはりその存在の大きさですね、人間教育という言葉の説得力を感じざるを得なかったということなんですね。
高校野球の変化と変わらぬ情熱
コロナ2の甲子園から指名出したDHが本格同意になったり、選抜からなんですが、市合間の朝夕の二部制になったりとか、女性審判が誕生したりとか、先ほど触れたビデオ検証があるとかですね、また先日の報道でちょっと触れましたけど7回制が検討されているとか、
高校野球取り巻く環境というのはずいぶん変化しているんですけども、渡辺さんの野球に対する情熱とかですね、人間教育を柱に据えた指導、これも60年近いことになるんですが、これは全く変わらなかったんだなということを今改めて実感しているんですね。
渡辺さんはご葬儀は禁止者のみということで産烈できないんですが、9月14日に横浜でお別れの会が開かれるということで、私はそこでお別れをしていきたいと思っているんですが、心からご冥福をお祈りしたいと思っているところです。
またね、偉大な指導者が亡くなられたということで。
ちなみにこの尾間子さん今楽天でプロ野球選手になってますもんね。
そうですよね。
だから人間教育もそうだし、実際自分が選手としてできなかったことを尾間子さんが叶えているというのも素敵なことだなと思いますが。
はい、ということで今日は先日亡くなられました元横浜高校の野球部の監督であります渡辺さんについて進行があったということで、いろいろとご本人しか知らない、山本さんしか知らないお話をね、渡辺本則さんのお話をお聞かせいただきました。
どうも山本さんありがとうございました。
ありがとうございました。
14:44

コメント

スクロール