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三菱電機
今、ショースポでもお伝えしました、パリのパラリンピック。
今回、車椅子ラグビー日本代表は、飛眼の金メダルを獲得。
ショースポでもお伝えしたように、メダルラッシュが続いているんですけれども、
これ、あさっての8日に閉幕をするということなんですが、
この障害者スポーツの頂点とされるパラリンピックなんですが、
その歴史とか精神、スポーツという分野に留まらない奥深いものがあるということで、
2021年東京大会で毎日新聞のオリンピック・パラリンピック室長を務めたということで、
毎日新聞出版社長でいらっしゃいます、山本修司さんに、
今日はそのあたりお話を伺いたいと思います。
山本さん、おはようございます。
おはようございます。
はい、おはようございます。お話しさせていただきます。
最初に申し上げておかなければならないんですが、
パラリンピックは障害者スポーツの最高峰であることは間違いないんですが、
障害者スポーツを包括しているわけではないんですね。
パラリンピック以外にも、障害者の国際大会となりまして、
聴覚障害者、耳が不自由な方々の大会であるデフリンピックというのがあります。
それから、知的障害者を対象としたスペシャルオリンピックスというのがあるんですね。
逆に言いますと、パラリンピックには聴覚障害とか知的障害のカテゴリーがないということなんですね。
ですから、パラリンピックが全ての障害者スポーツではないということは、
一度ちょっと抑えておく必要があるんだということですね。
このあたりはですね、パラリンピックの成り立ちに理由がありまして、
パラリンピックの原点は1948年なんですが、
イギリスのロンドン郊外にストックマンデビル病院というのがありまして、
ここは第二次大戦で怪我をした人たちが収容されていた病院なんですけど、
ここで16人のクルマイス選手がアーチェリーの大会を開いたというのが原点だということです。
今申し上げた通り、第二次大戦で脊髄を損傷した兵士のリハビリを行うのがこの病院の目的で、
ですからパラリンピックという言葉はですね、
脊髄損傷での下半身麻痺を意味するパラプレジアという言葉のパラとですね、
オリンピックのピックを合わせたパラリンピックという言葉になったわけですね。
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IOC国際オリンピック委員会もパラリンピックというのを正式大会名にしてますが、
これは1985年のことで、それ以前、遡ってですね、
60年東京オリンピックの時も東京パラリンピックと呼んではいるんですが、
現在すでに脊髄損傷以外の選手も出動しているので、
この大会名の意味についてですね、
ギリシャ語で平行とか英語で言うパラレルの語源ですね。
ギリシャ語で平行とかもう一つのという意味するパラを使って、
もう一つのオリンピックということでパラリンピックというふうに再解釈をしているということなんですね。
これは豆知識として。
山本さんいただきます。
飲み会で役に立ちます。
いただきました。
勉強になります。
それでこのパラリンピックを実現させたのが、
この病院にいたお医者さんのルートビヒ・グッドマンというドイツ出身の方なんですが、
パラリンピックの父と言われてるんですね。
日本ではですね、このグッドマン博士のもとで留学して勉強した方がですね、
中村豊さんという方なんですが、
実はこの方は九州の方で大分県ベップ市の出身です。
私と同じなんですが。
1960年東京オリンピック開かれました第一回目ですね。
この大会が初めてオリンピックの後にパラリンピックを開いた大会となってるんですけど、
ここに尽力されたのがこの中村さんという方なんですね。
ですから日本のパラリンピックは九州からということですね。
それでちょっとここで個人的な話をしてしまうんですが、
この中村豊さん太陽の家というですね、
施設をベップに作ったことで有名なんですが、
これはオムロンとかソニーとか三菱商事、本田などといったですね、
日本を代表する企業が出資して、
障害者がですね、ちゃんと仕事を持って自立するための、
非常に当時としては画期的な施設だったんですね。
実はこういう施設なんで、
私の父は実は毎日新聞の記者をやっておりまして、
主にベップを取材活動の拠点としていた時に、
この太陽の家を何度も取材をしてまして、
私もその頃中学生だったんですが、
この太陽の家でお祭りがあるよとか言うと、
父は取材行くんですが、私もついて行ってですね、
そのお祭りの準備のお手伝いなんかをしてたんですが、
そこで中村さんと、父とは大変懇意でですね、
私もいろいろと話をしたことがあると。
そうだったんですね。
というのも、私の父は実は1964年の東京オリンピックの際、
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長崎市局の勤務だったんですが、東京に派遣されてですね、
陸上競技を担当したということで、
おそらくそういう意味でも中村さんと、
懇意だったんだと思うんですね。
私先ほどお手伝いしたときに、中村さんとよく話をしたんですが、
なかなか豪快な方なんですけど、
おいたべでお前、親父のこと新聞記者になるんか、
みたいなですね、おいたべで言われてですね、
私そう思ってたんで、母はそう思ってるんですよ、
みたいなと言うとですね、お前やめとかんか、そんなのと。
お前新聞記者やら、お前生活不規則で、
お前給料も足したことないし、お前素晴らしいこと宣伝、
お前医者になれとかですね、
いうようなことを言われた記憶があります。
私、オリンピック・パラリンピック出身はやってるんですが、
元は事件記者ですので、全くオリンピックを取材したことはないんでですね、
何の縁もない人間がオリパラ担当するのかなんていう、
揶揄されたんですが、実は大きな縁があったということなんです。
身の上話はこれくらいにしてですね、本題に戻りますが、
パラリンピックの精神というのがありまして、
これは失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ、
というこのグッドマン博士の言葉なんですね。
これは、たとえば右腕を欠損した選手は、
右腕がなくなったことを嘆くんではなくて、
残った左足と足を使って、最大限に使って競技をすればいいんじゃないかと、
いうことなんですけども、中にはですね、
失ったことでそれ以上の実力を発揮するという選手も少なくなくて、
私が一番印象に残っているのは、
イランのパワーリフティングの選手で、シアマンドラハマン選手という人がいまして、
パワーリフティングというのは、いわゆるベンチプレスですね。
長い椅子に仰向けになって、バーベルを上に差し上げるという、
大胸筋と上腕三頭筋というですね、
裏側の力株を鍛える、主に使うやつなんですが、
私も筋トレ大好きなんで、おかげで今日1メートル以上あるんですが、
このベンチプレスの際はですね、
実際にお尻から肩にかけてアーチを作ってですね、
足をグッと踏ん張ると余計に持ち上がるということで、
全身使うと余計上がるんですけど、
ラハマン選手というのは足が不自由で、
結局このベンチにベルトで体を固定してですね、
上半身の力だけで上げるので、本来は健常者に比べれば不利なんですが、
なんと300キロ上げる選手と。
健常者でもパワーリフティングやってる選手いるんですけど、
300キロ上げる選手っていうのはなかなかいなくてですね、
いるにはいるんですが、本当にいなくて。
ラハマン選手は言うんですけど、
私は健常者だったら300キロ上がってたかどうかわからないと。
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結局足を失って取り組んだがためにですね、
その時だったら到達できない記録を出したんだと、
いうことを言ってたわけですね。
この方は東京大会に出るはずが直前になくなってですね、
私も大変悲しい思いをしたんですが、
世界のパラリンピアンが悲しんだんですけども、
彼のそういうのを見るとですね、
怪我をした選手はかわいそうだとかですね、
そういったことではなくですね、本当にすごいんだと、
こういう力をパラリンピックは持ってるということですね。
日本選手は確かにパリで活躍したんですけど、
昔は本当に差が大きくて、
というのも先ほど申し上げたとおり、
外国のパラリンピックの選手ってもともと軍人で、
そもそも体が強いと。
日本の場合そういうことがなかったんでですね、
体が不自由な人は家にいなさいみたいなことが当時は常識で、
そもそも体力が違うと。
特にまた外国の紹介したら結構、
東京オリンピックの50数年前ですね、
これもみんな車いすで銀座なんか買い物行って楽しそうなのに、
日本の選手は閉じこもってるみたいなところがあったんですが、
これは当時は仕方がなかったんですが、
今ではですね、
ナショナルトレーニングセンターなんてあって、
私のこれは実は家の近くなんですが、
素晴らしい施設で、
ここはオリンピックの選手と一緒にですね、
パラリンピックの選手もトレーニングをできて、
非常に記録を出していると。
サポート面で非常に優れてきたということなんですね。
ところがそれでもやっぱりまだ問題がありまして、
体育館なんかでですね、車いすバスケットなんかやろうとしても、
転倒したりすると床に傷がつくんで、
貸さないとかですね。
そんな施設が実はまだあるんですね。
随分と改善されたんですが。
激しいですもんね。
確かに床は傷つくんですけど、
傷ついちゃいけないの?と。
別に、自分家じゃないんですよ。
山本さん、自分家じゃなくて何というわけじゃないですよ。
専用のコートとかができればもっといいでしょうけれどもね。
そうなんです。でも傷がついたってですね、
床が壊れるわけではなくて、
他の競技に影響するわけじゃないんですね。
ですがそういうことが行われていると。
私先日サッカーの話をしたときに、
裾野が広がることで頂点が高くなるということですが、
裾野を広げることにおいてはですね、
ナショナルトレーニングセンターを使わないような選手たちも、
地域の公民館とか体育館を使って、
それぞれ競技レベルを上げていく必要があるわけですね。
そうするとやっぱりそういうところで、
同じように施設を使う権利をですね、
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ちゃんと行使しないとですね、
誰もがスポーツを楽しむ権利というのがあるわけで、
こういう当たり前のことをやっていかないと、
今は良いレベルになっていますが、
やっぱり裾野が広がっていかないので、
長続きしないんじゃないかと。
もっともっとですね、
障害を負った方もスポーツを楽しめる環境をですね、
広げていかなければならないということが、
このパラリンピックからも学べるんじゃないかと思っております。
当たり前に共存すると言いますかね。
だいぶ改善はしたんですけど、
まだあるということでですね、
私の耳にも入ってくるので、
まだそんなことしているのかという感じなんですね。
やっぱりその辺の理解というのが、
なかなかやっぱり進んでいないという証拠でもありますよね。
おそらく体育館とかなんとかっていうことは、
行政が管理していることが多かったりすると思うんですけれども、
なんかそういうところ。
トイレの問題もありますしですね。
そういうところも改善していかなきゃいけないですよね。
施設を充実させていく。
新しい施設はですね、
そうなんです。
新しい施設は例えば車椅子が簡単にすれ違えるとか、
誰でも使えるトイレがいっぱいあるとかですね。
本当に改善されているんですが、
古い施設でもですね、工夫次第で使えるので、
そこをうまくみんなで工夫して、
みんながですね、
平等に当たり前に使えるようにしていくということが大変重要だと。
そうですね。
別にそのパラリンピック選手になる人たちだけじゃなくて、
普通にバスケットを楽しんだり、
卓球を楽しんだりとか、
そういうことができるのがやっぱり理想ですよね。
そうなんです。
それでそれが広がってくることで、
やはりまた頂点が高くなってくる。
よりパラリンピックもレベルが上がるということに
つながっていくんだと思います。
ですね。
ということで、
実際、東京オリンピック、パラリンピックの
マニシムの室長さんだったということで、
東京のパラリンピックはやっぱり素晴らしかったですか?
大成功だと思いますね。
いろいろとコロナで非常に沈んだ雰囲気があったんですが、
パラリンピックの開会式とか、
片羽の飛行機の開会式なんかありましたけれども、
非常にパラリンピックになって雰囲気が変わったというふうに
私は感じましたね。
今回のパラリンピックを見てても、
これが僕の偏見だったら申し訳ないなと思うんだけど、
本当に明るいですよね、みんなね。
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そうなんです。
それでまた、かっこいいという人が増えてきた。
車椅子のラグビーかっこいいなとか、
一足のジャンパーかっこいいっていう、
そういうことが素直に感じられるというのが
本当に素晴らしいことじゃないかと。
無限の可能性みたいなものをより強く感じさせてくれますね。
いよいよ明後日が来るということなんで、
しっかりと我々も見て楽しんで応援してという気持ちになりましたね。
今日はありがとうございました。
どうもありがとうございました。
毎日新聞出版社長山本修司さんに
パラリンピックについて教えていただきました。
ガールズパンチ!×少女隊の×ラジオ隊
×少女隊の春の木々奈と
アオイリルマです。
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