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ニュースや世間の気になる話題を、様々な角度から読み解いていくコーナーではあるんですが、毎月最終金曜日は、この歌詞がすごいということで、今日はですね、歌詞もさることながら、この時代がすごいというテーマで、お話をしてくださいます。どんな歌詞、そしてどんな時代なんでしょうか。おはようございます。潟永さん、よろしくお願いします。
はい、おはようございます。
そうなんです。今日はですね、皆さんご存知の、夏に聴きたくなるヒット曲に秘められたオマージュ、影響を受けて尊敬する作品たちをご紹介しようと思います。
ということで、その入り口になる曲として、まずはこの歌を聴きください。
はい、もうお分かりですね。
はい。
サザンオールスターズの茶子の快感物語。サザン14枚目のシングルで、1982年のリリースですから、もう40年以上経つんですよね。
大学1年生です。まさに青春真っ盛りの時に着いた曲ですよ。
今も全く古びませんし、私夏になると、サザン聴きたくなるんですよね。
わかります、その気持ち。
実はこの歌、1956年、昭和31年に神奈川県茅ヶ崎市で生まれた桑田さんが、幼少期に聴いたヒット曲を懐かしむ思いと、それからその作品への敬意、尊敬の思いを湘南の海の風景の中に込めて歌っているんですね。
後にご本人は歌手として日本人として、声を題にして歌謡曲のファン、申し子であると認めていらっしゃってですね。
それから、日本の歌謡曲は実に偉大だと。
かつての昭和40年代、50年代、遡って昭和30年代もそうですけど、全部が自分の体に染み込んでいる、血肉になっているんじゃないかと。
歳を取れば取るほど気づかされるんです、と話してらっしゃるんですね。
じゃあ、どこがオマージュなのかですけれども、そもそもタイトルからそうでして、茶子って一般に久子さんとか女の子の名前の略称ですけれども、
この歌の隠されたモデルの一人は飯田久彦さん。
1961年って私が生まれた年でもあるんですけれども、昭和36年に洋楽のカバー曲、悲しき街角でデビューした歌手で、その愛称が茶子だったんですね。
飯田さんはその後、レコード会社ビクターの社員になって歌手の後ですね、歌をウル側に回って、あのピンクレディを世に出したりですね、ビンガンプロデューサーとして活躍されて、専務までなられたんですね。
サザンは当時ビクターと契約してたんで、繋がりがあってですね、まあ、経緯を込めた洒落っ気というかですね、おそらくは好きな女の子の名前にかけて登場させたんだろうと。
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だけどもお前は連れなくてっていう風にですね。この歌ですね、1番では茶子のことを心から好きだよって言いながら、2番では突然違う女性が登場します。心から好きだよミイコって。
たこはどうなったんだよって話なんですけども。このミイコもモデルがあって、これ、ひろたみえこさんです。飯田さんと同じく1961年、昭和36年にこれも同じく洋楽のカバー曲、子供じゃないのでデビューした、彼女はもともとはジャズシンガーだったんですね。
驚くべきはその早熟さでして、デビュー当時まだ14歳でした。その年の紅白歌合戦に出場してですね、長らく赤組の最年少出場記録だったそうなんですね。歌声を聞かれたら私が驚く理由もわかっていただけると思いますので、ひろたみえこさん16歳の時に歌った私のベイビー、こちらを少しだけお聞きください。
このパンチの効いた歌い方、まだ16歳ですよ。
すごいですね。
ねえ、堂々とあるもんね。
当時は和製R&B娘って言われたそうで、後に桑田さんの歌い方もそう言われるんですが、英語っぽい日本語で、洋楽のメロディーに違和感なく日本語を乗せた先駆者なんですね。
残念ながら3年前に亡くなりましたけれども、桑田さんはその追悼で、彼女の存在自体がビート感満載のポップスで、笑顔、ダンスをテレビで画面いっぱいに表現して明るい未来へ向かうアンセム応援歌のようだったというふうに話していました。
で、再び茶子の物語、海岸物語ですけれども、歌は3番で、また違う名前が登場するんです。
心から好きだよピーナッツって、これもはや人の名前ではないんですが。
少子さんはこれが誰かお分かりですかね。
ザ・ピーナッツのお二人でしょうね。
そうなんです。双子心配のデュエット歌手、ザ・ピーナッツ。
我々男子は映画、モスラの劇中かな。
モスラやモスラってやつですね。
小人の姉妹として印象深いんですけども。
ちなみにどうでもいい話ですけど、モスラやモスラとですね、後に岩崎ひろみさんが歌われるスミレテスミレテっていうのもまたこれが似ててですね。
すみません、話がとれました。
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ザ・ピーナッツって、あのビートルズも出演した、アメリカの伝説的な音楽番組、江戸サリバンショーにも出演してるんですね。
だからすごい歌手なんですけれども。
デビューは茶子さん、美子さんより2年早い1959年、昭和34年で、36年から今も語り継がれる人気バラエティ番組、
シャボン玉ホリデーの司会を務めて、一躍トップアーティストとか有名になるんですね。
それまで日本のポップス歌謡の主流は、外国のヒット曲に日本語の詩を乗せて歌うカバーポップスだったんですが、
ザ・ピーナッツは日本人の作詞作曲による和製ポップスでして、
その初期のヒット曲を作ったのが、作詞が岩谷時子さん、作曲が宮川靖さんというコンビでした。
1963年にヒットした、この曲もそうです。お聴きください。
恋のバカンスという曲ですね。
もうこれ60年前の曲なんですが、
そんなに古いんですね。
これも全く古いませんし、後にキャンディーズとか、
カイヨシヒロさんとか渡辺ミサスさんとか、
これ2000年代に入ってもカバーされて、30人以上の歌手やアーティストにカバーされてまして、
そのことからも、楽曲の素晴らしさは証明されていると思いますけれども、
桑田さん自身もラジオ番組なんかで弾き語りしていますし、
セラマサルニさんとか山下達郎さんとか竹内マリアさんと一緒にですね、
バンド形式でこの恋のバカンスを歌ったこともあるそうです。
そのザ・ピーナッツですけれども、累計1000万枚以上のレコード売り上げを記録したんですけれども、
1975年にデビュー16年で引退をされて、これも覚えてらっしゃるかと思いますけれども、
4ヶ月後にお姉さんの方の恵美さんは澤田賢治さんと結婚されて、びっくりしましたよね。
けれども、87年に離婚されて、2012年に恵美さんの方は亡くなられて、
妹の由美さんもその4年後に亡くなりました。
最後に茶子の海岸物語にはですね、もう一つ昭和30年代のヒット曲が隠されていてですね、
これ2番の歌詞に出てくるんですが、
俺とお前だけしかいないの後に続く歌詞が、星は何でも知っている。
星は何でも知っている。
これ後に作曲家として体制する平尾正明さんが、まだロカビリー歌手だった1958年に歌って大ヒットした曲のタイトルなんですね。
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ということで以上、今日はですね、サザンオールスターズのヒット曲、茶子の海岸物語を入り口に、
今世界中で評価されているJ-POP、この原点とも言えるですね、昭和30年代のヒットポップを駆け足で振り返りました。
あのひろたみえこさんとかザ・ピーナッツのヒット曲はですね、私も今改めて聞き直してるんですけども、
音楽配信サイトでベスト版が聞けるんですね。
だからこの機会に懐かしいって思われる年配の方々だけでなくてですね、
ぜひ若い人たちにも聞いていただけたらと思います。
繰り返しになりますけれども、今聞いても古びるどころか、むしろ一周回って新しく感じられるんじゃないかと。
おしゃれなんですよね。
水木さんとかもこれ、リアルには当然聞いてらっしゃらないでしょう?
そうですね、でも子供の頃は年末に夏メロの番組とかがあって、耳なじみはありました。
こういう曲を聴いてですね、改めてサザンを聴くとですね、
これってジャパニーズポップスなんだなと、サザンの曲っていうのはと思いますし、
私なんだかですね、戦後日本の音楽の歩みって大げさですけれども、
最初はアメリカの文化をただ飲み込んで、石鹸されながらですね、
それでもこの歌の根っこには日本人の感性や心情が生きているっていう、
そんな意味を感じてですね、なるほどなぁとサザン聴いてて思いました。
ですのでこの夏、機会があればですね、ぜひ昭和30年代のポップス、
日本のポップスを聴いてみてはいかがかなという、
今日はそういうお話でございました。
ありがとうございます。金サイトでもその曲をね、書けようかなと夏は思ってますんで。
ありがとうございます。
はい、ということで今日はね、この時代この歌詞がすごいということで、
元サンデー毎日編集長、ガタナガシュウイチロウさんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
どうもありがとうございました。
ガールズパンチ!バッテン少女隊のバッテンラジオ会!
バッテン少女隊の春のキーワと青いリドマです。
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