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イリカミネ イリカミネ 抱きしめて 毎日だって 切られて 切られて イリカミネ
三菱電機
はい、2月も今日で終わりということなんですが、
毎月最終金曜日このコーナーでは、
元サンデー毎日編集長、潟永秀一郎さんのこの歌詞が凄いで、
お楽しみいただくんですけれども、
今年が昭和100年ということで、
しばらくは昭和編ということなんだそうですよ。
今日はその2回目ということで、どんな歌が登場するんでしょうか。
おはようございます、潟永さん。
おはようございます。
前回は、シンガーソングライターという呼び名というか存在が生まれた
70年代フォークソングの名曲でしたけれども、
今回はその東流門として本当に多くのアーティストを生んだ伝説の舞台、
ヤマハポピュラーソングコンテスト、通称ポップコンの名曲たちをお届けします。
では曲の前にまずポップコンのおさらいからなんですけれども、
ポップコンには全身とも呼べる大会があって、
同じくヤマハ音楽振興会が主催したヤマハライトミュージックコンテストです。
1967年、昭和42年から71年までの5回と、
81年から86年までの6回開催されました。
これ各地の予選を勝ち抜いたアマチュアバンドが東京での全国大会に出場するんですが、
第3回がすごくてですね。
フォーク部門の1位が赤い鳥、2位がオフコース、
6位がチューリップの全身バンドのザ・フォーシンガーズでして、
赤い鳥は後にハイファイセットと紙風船になるので、
一つの大会でこれだけのグループが世に出るというんですね。
野球で言えばマークン世代みたいな感じですね。
ちなみにこの時オフコースはグランプリを取れたら解散することになっていたそうで、
そしたらさよならも言葉にできないも、
今も歌い継がれる数多の名曲たちは世に出なかったかもしれない。
よかった優勝しなくて。
と思うとこの時の審査員に感謝します。
その審査員どうだったのかというのはありますけどね。
ポップコーンが始まったのは2年遅れの1969年、昭和44年でして、
5年目から年2回開催になり、
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昭和61年の第32回で幕を閉じました。
当初はプロを対象とした作曲コンクールだったんですが、
ライトミュージックコンテストが一旦閉じた後、
昭和48年の第6回からアマチュアが地区予選と本戦を勝ち抜く形を引き継いだみたいなことになって、
グランプリ受賞者にはポップコーンではレコードデビューが約束されたことで、
プロへの投入門となったわけです。
本戦が開かれた静岡県掛川市の妻恋エキジビションホールは、略して妻恋と呼ばれて、
プロを目指すミュージシャンたちの聖地、野球で言えば甲子園のような存在でしたね。
ということでごめんなさい前置きが長くなりましたが、
ではポップコーンが世に出した曲たち、まずはこの曲です。
覚えていらっしゃる方も多いんじゃないでしょうか。
小坂あき子さんのあなた。1973年、昭和48年の第6回ポップコーングランプリ曲です。
当時小坂さんまだ16歳で総売上げは160万枚を超えて、
オリコンが集計調査を始めて以来初めて女性シンガーソングライターによるミリオンセガだったんですね。
その意味では時代を切り開いた1曲と言えます。
実は歌が生まれた経緯は当時サンデー毎日が報じていまして、
それによると歌詞は小坂さんが高2の時、授業中に20分ほどで走り書きでできて、
曲は家でつけたそうです。
もともと小坂さん、ガロ、覚えてらっしゃいますよね。学生会の小さげとか。
ガロのファンで歌ってもらえたら会えるかもしれないと作った曲だったそうです。
またこのあなたは実在してですね、高校の一つ先輩だったそうですが、
卒業とともに別れをつけられたと。
で、歌詞なんですけれども、冒頭、もしも私が家を建てたならは過去形になっていますが、
それは終わった恋を表現したかったからだと小坂さん自身が語っています。
以下、歌はすべて彼女がかつて描いた夢ですね。
大きな窓と小さなドア、古い暖炉がある家で子犬を飼って男の子が生まれます。
そしてその子犬の横にも外で遊ぶ坊やの横にもあなた、あなたがいてほしいと繰り返して、
それが私の夢だったのよと結ぶ、終わった恋だとわかっているけれども、
それでも消え残る思いを歌うことで消化させる、いわばこの恋のご悲鳴のような歌ですね。
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なんか切ない。
なお小坂さんはこの12年後、28歳の時に結婚をしてですね、夢見たように2人の坊やを授かりました。
ただ長男でミュージシャンの千葉龍太郎さんは2018年30歳で不良の事故で亡くなってしまってですね、
小坂さんは悔しさに声が出ないですと嘆きながら、
彼のあり余る才能を私の中に入れて私は音楽を続けますとブログに綴りました。
あの時の流れと運命の残酷さを思いながらですね、この曲を聴くと胸に迫るものがありますし、
またあの弾き語りの天才少女だった小坂さんが後に続くユーミンや宇多田ヒカルさんなどに道を開いた先駆者だったなということを改めて思いますね。
それでは次はこの曲です。
NSP ニューサディスティックピンクの夕暮れ時は寂しそうです。
作詞作曲は天野茂さん。70年代のフォークファンなら覚えてらっしゃる方も少なくないんじゃないかと思います。
NSP はあなたと同じ1973年一つ前の第5回大会に汗という曲で出場して入賞しプロデビューしました。
岩手県の一ノ関工業高専の同級生3人組でこの夕暮れ時は寂しそうは翌74年昭和49年にリリースしたNSP最大のヒット曲です。
あのオカリナの音色が寂しくも美しくてですね、私もあのこの歌を聴いて買いました。
今オカリナあまり見かけないんですけど当時はそんな人結構いたんですよ。
さて前回のこのコーナーでもお話ししましたが70年代フォークを牽引したのは主に地方出身者でした。
NSPもそうで歌い出しもまさに田舎の手法です。
主人公は夕暮れ時そこにあるベンチに一人で座っています。
寂しくてとっても一人じゃいられなくなって携帯なんてない頃ですから家に電話したんでしょうね。
彼女を呼び出して並んで座った。まではいいんですが彼女は複雑すら不機嫌です。
理由はどうやら二つですね。一つは虫に刺されるのが嫌だというのと、もう一つは親に怒られることみたいで、帰りたいっていうのをごめんごめんと繰り返しながら引き止める。
言ってみればそれだけの歌なんですけどね。
でも前回もお話しましたけどまだ集団就職があった時代です。
故郷を離れて東京で暮らす地方出身者や、私のように地方で田舎でフォークソングに聴き入っていた若者にはですね、染みたんですね。
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共感できたんですね。
でも今ならLINEで誘って嫌の絵文字で終わってですね。
そう言わないでさってビデオ通話でしょうから、こんな歌は生まれないですよね。
そうですね。やっぱ時代ですね。
ちなみにNSPは後にですね、ジョジョーハフォークの代表格と言われるようになってですね。
このジャンル、系譜にはですね、フキノトとかですね、かぐや姫、グレープ、ずっと時代が下がってムラした光蔵さんとかですね。
曲にも歌詞にもどこか日本情緒を感じさせる名曲が多くて、ある意味日本独自の音楽文化を作ったとも言えるかもしれません。
残念ながらNSPの多くの曲を書き、リーダー兼ボーカルだった天野茂さんは20年前に52歳で亡くなって、だからもう再結成はかなわないんですけれども。
日本のフォークソング史に確かな足跡を残したグループだったと思います。
さて最後はこの曲です。
少子さんも深く頷いていらっしゃいますが、稲葉明さんのわかってください。
1975年、昭和50年、第10回の優秀曲賞なんですが、事実上の2位でした。
この時のグランプリは中島みゆきさんの時代で、ポップコーンそのものを代表する曲ですから、別の回ならきっとグランプリだったと思います。
稲葉さんは秋田県大立市の出身で、高校を卒業した後、一旦は後産技師になるんですけれども、
その後も曲を作り続けて、21歳の時にポップコーンに出場して2位になって、
翌年わかってくださいってデビューをして、いきなり60万万円以上売り上げるという、いわばシンデレラボーイでした。
余談ながら、1975年には第9回と第10回が開かれたんですけれども、
第9回では矢上純子さんと渡辺まち子さんも入賞していて、第10回が稲葉さん、中島みゆきさんですから、
ライトミュージックコンテストにおける第3回、後のフコースやチューリップ、ハイファイセットを生んだ69年と並ぶ、
ポップコーンの当たり年とも言えるかもしれません。
余談ついでにもう一つですね。
毎日新聞の政治部にいた稲葉さんという先輩は、稲葉明さんの老い子だとご本人に聞いたで、びっくりしたことがあります。
それ本当ですか?
本当です。嘘だと思いました。本当でした。
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では歌詞です。
冒頭、「あなたの愛した人の名前は、あの夏のひとともに忘れたでしょう?」と始まりますけれども、
じゃあこの、「あなたが愛した人で忘れられた人は誰なのか?」
それは次の歌詞、「忘れたつもりでも思い出すのね。街であなたに似た人を見かけると振り向いてしまう。」で分かります。
それは自分なんですね。しかもあなたを愛し続けている。
で2番は、「幸せだった日々の回想ですね。
二十歳の誕生日には指輪をくれたあなた。部屋には二人で染めた黄色いティーカップもありました。
あの夏のひとともに思い描いた未来は消えて、今残るのは私の指で光る指輪だけです。
だから再びやってくる秋が寂しすぎて時折手紙を書きます。
でも二度とあの頃は帰らないと分かっているから、涙で文字がにじんでいたなら分かってください。」と
せめて今も愛し続けていることを伝えたいという、まあ切なすぎる歌ですね。
でも彼女はきっとその手紙も出さないんじゃないかなと思いますし、そんなことまで考えてしまう名曲です。
ちなみにですね、この歌と似た思いを男性の立場で綴った歌が井上陽水さんの心模様で、
1973年昭和48年のヒット曲ですが、これ2曲続けて聞くとまたこれがいいんですね。グッときますのでぜひ。
ということで今日はポップコンの前期を振り返りましたが、まだまだ紹介しきれなかったので、
来月ももしかしたら再来月もポップコンが生んだミュージシャン、あの人も頭に浮かぶと思いますけど、あの人もあの曲もご紹介したいと思います。
ファンの方はぜひお楽しみにしてください。
楽しみにしてますね。
名曲がたくさんありますしね。
ということで今月もまたこの歌詞がすごいということで昭和編をお届けしましたというポップコン。
またこれからもぜひお願いいたします。
元サンデー毎日編集長ガタナガシュイキローさんでした。
ありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。
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