幼少期の体験/もののけ姫/金ローは最後まで起きられない/ウルトラマンのVHS/美味しんぼ・釣りバカ日誌・山口六平太/選択肢の少なさ/チャンネル権/児童書は無限に読むことが許される/こそあどの森/友達付き合いのためのスマブラ/リングにかけろ/自分だけの物語
ガンダムについては長すぎるので省いてます。詳細は以下ゲスト回を聴いてみてください。
Imagecast 『#264 ガンダム初見とガンダムオタクが感想をしゃべるラジオ (ゲスト: 本田受信料)』
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サマリー
語り手は幼少期から物語に深く没頭しており、その原体験を振り返る。もののけ姫を初めて映画館で観た衝撃や、ドラえもん、ウルトラマン、ワンピースなどの漫画、児童書に夢中になった日々を語る。テレビのチャンネル権がなく、親や兄弟とも価値観が合わなかったため、一人で楽しめる漫画や本が唯一の「秘密」であり、退屈な日常からの救いだったと語る。
物語への没頭の原体験
物語が好きすぎるということで、なんかあの、まあよく巷でそのコンテンツ語りコンテンツ語りと呼ばれていて、私はなんかそればかりしてしまうという癖があるんですけど、なんか
結構ね、巷にはあんまりそういうのができないとか、そもそもなんかそんなにたくさんアニメとか映画とか漫画とか読んでないとか、あんまり趣味がないとかね、推し活などがない、ピンとこないみたいな人も結構いるらしいっていう話を聞いていて、
本当になんかこう、違いすぎて、自分の想像を超えすぎていて、そういう人たちのことを、別に、だからといって下に見るとかないんですけど、そうである状況を自分が想定できなさすぎるなっていうのがあったので、
ちょっと今回その整理のためにも、その一番なんか古い記憶ぐらいから、どれぐらい物語が好きだったのかっていうことを整理しながら、なんでこんなに自分は物語が好きすぎるんだろうかっていうことをちょっと考えていきたいなというふうに思います。
幼少期の最初の物語体験:もののけ姫
結構自分はかなり幼い頃からの記憶がすごく鮮明にあるわけではないんですけれども、結構かなりいろんなことを記憶していて、もちろんちょっと怖かった経験とかね、嫌だったこととか、もしかしたらテンションが上がったこととか、
そういう力強い感情を覚えた時のものを、当然その記憶している感じなんですけど、大体幼稚園ぐらいからすごく記憶があるんですけど、あのね、この一番自分の古くに残っている物語に熱中した記憶は、もののけ姫ですね。
もののけ姫の放映当時、たぶん洋市遠征で劇場に見に行ってます。で、僕が初めて劇場で見た映画、おそらくドラえもんとかが初めてなんと思うんですけど、あんまりほぼ記憶にないんですけど、明確に劇場に行った覚えがあって、あの時熱中して映画を見た記憶があるのがもののけ姫ですね。
そしてジブリ映画を初めて通して見たっていうこの達成感と快感で覚えてるんですよ。金曜ロードショーで無限にいろいろナウシカとかラピュタとかやってるじゃないですか。
子供の時にあれ見ていて、あれだから9時スタートとかだと終盤絶対に寝ちゃうんですよ。ナウシカのオウムが攻めてきてるシーンあたりってもう絶対うとうとして、そこからナウシカがどうなったとかラピュタがどうなったとかって本当にわからずにいつもなんか悔しい思いをしてたことを覚えてるんですよ。
そんな時に同じジブリのもののけ姫があるってなって、映画館に行けるっていうので姉とか姉の友達とお母さんみたいな感じでつき添いで行かせてもらって、後で聞いたら姉とか寝てたらしいんですけど途中で。
自分はもう目がんぎまりで全部見て最後まで見たっていうのは非常に覚えてますね。いまだにあの最後のデイダラボッチシーンみたいなっていうのは強烈に鮮明に覚えてますね。
具体的な部分でいくとやっぱりさすがに何度も見返しすぎてるんでその辺と記憶が混同はしてしまうんですけれども、ラストシーンあたりの強烈な記憶とかはやっぱりその時に残ってるものという感じですね。
ビデオと漫画への熱中
というのが一番古い記憶ですね、その物語に関する。それ以外も思い返すと本当に自分はそういうのが好きだったなっていうのはたくさんあって、ドラえもんの長編映画とかですね、ああいうのもすごい好きだったんで、
かなりあのレンタルビデオ屋さんでVHSを借りてきてみたっていう覚えもあるし、その近所のお兄ちゃんとかからもらったあのウルトラマンとかのビデオもまあ本当に飽きるレベル飽きるまで何回も見返してた記憶はありますね。
ウルトラマンレオのVHSは本当に擦り切れるぐらい小学校低学年ぐらいまではたぶんずっと見てたという記憶はありますね。
で、あとは漫画ですね。漫画も本当にちっちゃい時からすごく好きで、歯医者さんとかでまずドラゴンボールにハマったのと、あとこれも古い記憶で一番最初に買った漫画が古本屋さんでワンピースの一巻を買ってもらったことなんですよね。
で、これも当時10巻のアーロンパーク編が最新巻だったことを覚えてるんですよ。調べたら10巻が1999年発売だったので、7歳とか8歳7歳ぐらいで初めて漫画を買ってもらって、その時に古本になってたワンピースの1巻から3巻までを本当に大事にそれも何度も読み返したことを覚えています。
レンタルビデオのドラえもんの長編映画とか、もののけ姫もそうだし、こういう漫画のワンピースみたいなのも、当時はそう簡単に手に入らないんですよ。
買えば手に入りますよ。買えば手に入るんですけど、当時の自分の経済力というか、親に無限にものを買ってもらえる家ではなかったので、やっぱりちょっと買ってもらったその1巻から3巻のワンピースを、穴が開くほど読み返すっていうのは結構記憶に残ってますね。
そういう意味では、前もどっかで話したんですけど、親が持っている大人向け漫画みたいなのも、他に読むものがなさすぎてめちゃめちゃハマってた記憶があって、これは小学校、高学年ぐらいの記憶なんですけど、
おいしん坊、つりばか日誌、それから山口六平太、このサラリーマン漫画を死ぬほど読み返しましたね。そしておいしん坊、つりばか、山口六平太は多分自分の人生に影響を与えたと言っても過言ではないぐらい思想的な影響を図らずに受けてしまっている漫画ではありますね。
このサラリーマン漫画3線の話については別途、より深めて話はしたいなと思ってるんですけど、それぐらい漫画活字、娯楽ものがあれば、中身とか関係なく飛びついてましたね。
あるんですよ、それ以外にも、あがってなんぼっていう謎のゴルフ漫画とかね、そういうのもあったんですけど、それは別に面白くないのに、読むのがそれしかないから読んでたみたいなのは非常に記憶に残ってます。
児童書の世界と図書館の活用
漫画もそうなんですけど、小学校の記憶でいくと、あと児童書も果てしないぐらい読んでましたね。これも学校の図書館とか、児童館の図書室とか、そういうのに本当に通いまくって、夏休みも何冊も読むとか、図書カード全部埋めるぐらい借りるとかはめちゃめちゃやってましたね。
本は特に無限に借りれるし、しかも親もそこに干渉してこないっていうのもあって、本は読んでれば親も安心だろうみたいな。
漫画とかゲームとかアニメとかだと時間を指定されたりするんですけど、図書館で借りてきた児童書は本当に無限に、無料であるうちは読んでいいっていう形だったので、だからそれでたくさん借りてたっていうのもありますね。
記憶にあるのは、シートン動物記とか、ミヒアエルエンデの桃とか、果てしない物語とかね、あとゲドセン記、この辺は本当はザ児童書ですよね。読んでた記憶はあり、あとなんかこれそういえば思い出して懐かしいなと思ったのは、また読み返してみたいなと思ったのは、コソアドノモリっていうシリーズがあったんですよ。
コソアドノモリっていう、多分日本の人が書いたちょっとファンタジー的な児童書のシリーズだったと思うんですけど、あれもね、なんか挿絵の感じとか含めてめちゃめちゃ好きで、なんかものすごい冒険があるわけではないんだけど、やっぱりなんか不思議な世界観みたいな、そういう日常に憧れてるっていうのは児童書の時はありましたね。
さっき言った果てしない物語とか、ゲドセン記とか、もうまさに魔法のファンタジーみたいな世界の話だったので、ああいうのもめちゃめちゃ好きだったなと思います。
ゲームとの向き合い方と漫画の読書
逆にあまりゲームもハマってるというか、もう娯楽がないんで、あるゲームは全てたくさんやったっていう感じではあるんですけど、やっぱりね、その時も結局ドラクエ7っていう物語性の非常に高いストーリー性のあるRPGに超ハマっていて、
友達とやるスマブラとかマリオカートとかは、付き合いでやるものっていう感じでしたね。なんか自分の快楽のためにやるものではなく、友達とのコミュニケーションのためにああいうゲームやってたなっていうのは非常に記憶にありますね。
これも思い出したんですけど、小学校の時とか友達の家に遊びに行って、本当にずっと夕方、文献の帰る時間までスマブラをするとかマリオカートをするってやってたんですけど、だいたい2,3ゲームやった後にみんなが熱中し始めて、
誰の番、負けたら抜けとかやって、早々に抜けてそいつん家で買ってる最新の漫画の最新刊とか読んでましたね。シャーマンキングは自分は買い集めてはないんだけど、友達が買い集めてるから最新刊が出る度にそいつん家に遊びに行った時にみんながゲームやってる横で漫画読むみたいなね。
本当にそういうことをやっていました。
小説への目覚めと過去作品へのアクセス
漫画もそうだし、自動書も非常に読んでて、たぶん中学生ぐらいまでは結構必死に自動書ばっかり読んでましたね。
高学年とかになったらハリーポッターとか読んでたし、中学校2年生の時に当時好きだった女の子が赤川二郎の小説を勧めてくれたのをきっかけに文庫本という存在を知ってミステリー小説とかにのめり込んでいくんですけど、それまでは全然小説っていう存在を知らずに自動書ばっかり読んでましたね。
今思うと赤川二郎を読んでる当時の同級生ってやべえなと思うんですけど、赤川二郎って大人の世界を知ったなという記憶はありますね。
あとはやっぱり近所のお兄ちゃんとか姉の同級生とか、もちろん姉も少女漫画とか買ってたんで、過去のアーカイブにアクセスみたいなのも結構ありましたね。
スラムダンクとかドラゴンボールとかも読みましたけど、古いやつでいくとなんだろうな、明日の女王とかリングに賭けろみたいな車玉ファミリズムですね。
リンカケは2まで読んだ記憶がありますね。リンカケを読んでいた平成の小学生っていたのかどうか不明なんですけど、そういうのを近所のお兄ちゃんから借りてきては読むとか、そういうのもめちゃめちゃやっていましたね。
物語が「秘密」であった理由
なんでこんなにその漫画、自動書ハマってたかっていうと、テレビっていうのが自分の一家に1台、1台ではなかったにせよ、一家に何台かしかなくて、一番その家族の中で末っ子で冷えられる気がしたである自分に、正直チャンネル権とかあんまなかったんですよね。
だから基本的にはテレビなんかは夕方ぐらいの教育ぐらいしか自分に見る時間はなくて、あとはその親とか姉とかそういうのの言いなりにしか見ることができなくて、
唯一そういう漫画とか自動書とかだけが自分の選択で自分だけのために選び取れるものっていうのが小さい頃はかなり強かったですね。当然ゲームとかも永遠とやってると怒られるし、そもそもゲームもテレビにつないでしかやれないものしか持ってなかったので、当然そのテレビを見る時間とかは自分がゲームすることは許されないですよね。
だからそういう時に自動書をずっと読んでたっていうのは何かありますね。あと借りてきた漫画。この辺が多分非常に強い自分の中の依存するものでもあり救ってくれるものでもありっていうのはあったんでしょうね。
あと友達とさっき遊んでてっていう話もしましたけど、小学校の低学年ぐらいまでは友達がたくさんいるわけでもなかったので、すごい図書館に閉じこもってたんですよね。
ただある時からサッカーをみんなでやることが楽しいってことに気づいてから外で遊びまくって、そこまで自動館とか図書館に頼り切ることはなかったんですけど、
でもそれでも孤独な時間経った気がするんだよな。友達が別にいないわけでもなくて、外でも遊ぶし、スマブラとかもやりに行くし、そういうのはあったんだけど、毎日ではないというか、土日とかかな。
土日ってみんな親がいろんなところに連れてってもらってて、自分も連れてってもらうことはあるんだけど、大半は家で過ごす中で本読んでたな。
あと友達とかが習い事みたいな、サッカー教室通ったりとか、スイミング通ったりとか、英会話教室通ったりとか、そういう曜日によっては仲いい友達が習い事で遊べないみたいなのもあった気がするな。
そういうこととか、あと普通に文言があって、夕方6時以降は別に友達日じゃなくて家帰ってこいみたいなのもあったんで、夜とか寝る前の時間とか、友達が習い事で一人ぼっちになっちゃった時みたいな時に、漫画とか本はめちゃめちゃ自分を救ってくれたというか、
本当に退屈な日常から救ってくれたっていう記憶はめちゃめちゃありますね。
物語の共有と家族との距離感
あとさっき言ったみたいに、リングにかけろとか読んでる同級生とか別にいないし、なんかお姉ちゃんから借りたちびまる子ちゃんとか、少女漫画なんだろうな、たくさん読んだけど、マーマレードボーイとかギャルズとか恋愛カタログとか読んでたんですけど、
ああいうものを友達と感想シェアするみたいなのはやっぱなかったですよね。だから、人と物語をシェアするってこともかなりなかった気がしますね。
今と全然時代が違うので、考察とかもないし、ワンピースとかナルトとかそういうものをみんな同時代に読んではいたけど、小学校の知能、知性とか限界がありますよね、コンテンツ語りをするにはね。
友達とシェアするには。あれ良かったよな、ぐらいしか言うことがないので、別に友達にそんなにシェアすることもなかった記憶があるし、ましてや古い漫画についてはみんな読まないだろうと思ってたんで、自分からこういう漫画があるとかっていう説明もほとんどしたことがないですね。
当時、タッチとか足立光作品とかも結構読んでましたけど、そういうのも友達にシェアした記憶はあまりないですね。
あと、テレビとかと違って、漫画とか児童ショーがなんで良かったかっていうと、それこそ友達とのシェアもそうですけど、親とか兄弟にもシェアしなくていいっていうのもめちゃめちゃありましたね。
テレビ番組とかって古い話ですけど、お茶の間でみんなで見て、ああだこうだ言い合ってる過程だったんですよね、普通に昔ながらの。そういうのって、自分はすごい親とか兄弟とかの古い価値観とかが当時からすごい違和感があって、これはダメだとかあれはダメだって言われるのがすごい嫌だったんですよね。
で、自分が読んでる漫画とか、あとそういう児童ショーとかは、内容を家族から何も言われることがないんです。これ結構僕の中で未だにそうだなーっていうのはあって、
あんまり自身の物語性みたいなものを、そういう家族とかとあんまりシェアするのはそんなに好きじゃないんですよね。何だろう、例えばどこどこに旅行行ったとかも本当はあんまり言いたくないんですよ。
そういうわけにもいかんので言う時が多いんですけど、なんかそういうのもすごい嫌だったのを覚えてますね。そういう物語、金曜ロードショーとかそういうので流れてる映画とかを親とか兄弟とかと一緒に見ながら言われるのがすごい嫌だったっていうのは何となく記憶にありますね。
だからそこもちょっと物語が好きな理由の一つにあるかもしれないです。意外とその僕だけの、私だけのこの物語を私だけが楽しんでるっていうことって結構自分の中で一つの秘密じゃないけど大事なことだった記憶がありますね。
物語への向き合い方の変化と今後の展望
現体験としてはそんな感じですかね。でも意外と中学校とか高校になってもアニメとか漫画とかめっちゃずっと継続して見続けてるんで、やっぱなんか単純にオタクなんだなーっていうのは思うんですけど。
とりあえずその小学校時代ぐらいまでのそのコンテンツというか物語の向き合い方っていうのはこんな感じでしたかね。だからそこが多分強く自分をエンパワーメントしてくれるもので、それから知らない世界に連れてってくれるもので、しかもそれが私だけの秘密にできるもの。
このあたりに多分強い衝動を覚えていたんじゃないかなというふうに思います。でもそう考えるとみんなそうなんじゃないかなとしかやっぱり思えないんですよね。そこがやっぱり自分の中でしっくりきてないというか。
もちろん物語との距離感って年齢とか時期、時代というか時期によってその人の過ごす時期によって、わかんない、例えば中学校高校部活に打ち込んでたらそんなの読む暇なかったとかそういう人も絶対いるだろうからわかんないんですけど。
ちょっとまたその中高での物語との向き合い方はまた整理をするとして、一旦でもやっぱり小学校ぐらいまでの幼少期というかその時の物語への向き合いというか、そこは単純に友達付き合いとかだけで切り離されるようなものではなかったかなという感じです。
ということでそのある意味ねコンテンツ語りばっかりしてると言われるがなぜそんなに語ってしまうのか論をちょっとまとめてみました。
意外とやっぱり面白いなと思ったのは、自分の物語、自分で得た物語を意外と他人とシェアしたくないとか、自分だけでエネルギー汲み取ってたんだなっていうのはこれ面白いなと思いましたね。
やっぱり今とそれはちょっと違うというか、時代によっても違うのか、そういう知性とか知能によっても違うのか、何なのかわからないですけど、そこが新しい発見、築きになりました。
ではちょっとこのシリーズねちょっと続けていきたいと思いますし、おいしんぼとかつりばか山口六平太郎をもうちょっと整理して、これね意外と重要なんですよ。
いや知らねえよ聞いたことねえよそんな漫画って、特に山口六平太あたりは思うと思うんですけど、これね幼少期というか少年期にこの漫画たちを読むことでなぜ私が作り上げられたのかっていうのに非常に大きく関わっている3冊というか3シリーズなので、また何か整理していきたいと思います。
それでは今回は以上となります。ありがとうございました。
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