マニュアル作成への苦手意識の背景
こんにちは、いわみです。 4月7日の火曜日、いかがお過ごしでしょうか。
うちの子供はもう今日から新学期が始まって、修行式やって帰ってきたんですけど、早く給食始まってくれないかなって思いつつ、いつも通りやっていこうと思います。
仕事をしながら気づいたことがあったので、それを口に出しつつ、誰かのためになるかもしれないという、いつものスタンスでやっていますが、何の話かというと、
マニュアル作成ができなかったというか、苦手意識があった理由みたいなことなんですけど、もう少し言うと、文章を書くのは得意だし苦にならないんだけど、
マニュアル作成をやりたくなかったみたいなことで、これは何なんだろうって思って、AIとかと話したりしながら色々考えたら、なかなか興味深い着地点が見えてきたので、それについて。
まずそもそも、マニュアルっていろんな業務に対してありますけど、僕が今までマニュアルに関連したことっていうのは、
会社員やってる時はね、小さい会社が多かったので、ちゃんとしたマニュアルってね、いなかったりですね、先輩から教わったりとか、自分が教える立場になった時は、
オンザジョブ、OJTっていうんですかね、やりながら教えるみたいな、そういうことはあって、面と向かって相手に教えるっていうのは、それは別に苦手じゃなかった。
特に言語化が必要とされるような教え方だとできたんですけど、それをいざマニュアルに落とそうっていう、誰がいつ見てもいいような形式に落とそうと思うと、急に思考が止まってしまうなっていうことをね、
在宅ワークとかでメインで仕事をしていると、マニュアルって避けられない業務というか、今まで僕はそのマニュアルを見ながらね、
それで内容を覚えて、自分で考えながらプラスして仕事をしていくっていうのが多かったんですけど、たまたま最近ね、自分がやってる仕事のマニュアルを作るっていうね、作業が発生したんですよ。
で、その途端に何から書けばいいんだろうっていうね、何から伝えればいいんだろうっていうのを途方にくれてしまったってとこがあって、
もともとあったマニュアルをただ変えるだけなんですけど、それにしたってね、どこを残してどこを変えていけばいいんだろうって途方にくれたんですよね。
マニュアル作成が苦手というかやったことない人とか、もしくはこれからやっていかなきゃいけない人っていうのは多分、
リアルに知らない人とやり取りをしたりとか、仕事の内容を伝えなきゃいけない機会っていうのはこれから多分増えてきますよね。
多分マニュアルってね、いろんな業務に発生すると思うんですよ。
それを作るときに何を考えればいいのかって話ですけど、さらにマニュアルを作る前の考え方みたいなところですよね。
で、まず僕は何でマニュアルを作るのが苦手意識があったのかっていうと、ある種の完璧主義があるなと思ったんですよ。
まずね、自分のやっている業務があって、これをこうすれば大丈夫ですよっていうことにね、まずそこに抵抗があったわけですよ。
多分それがそもそもの始まりだなという気がしていて、これはどういうことかというと、例えば料理に例えてみます。
料理結構するんですけど、その工程を料理を全くしたことない人に伝えなきゃいけなくなったとします。
難しい料理ではないんだけど、野菜炒めてもね、サラダでもカレーでもいいですけど、その時に揚げようと思ったらもう無限のタスクがあるじゃないですか。
完璧主義とマニュアル作成のジレンマ
細かく言えば、冷蔵庫から野菜を取り出してとかそういうところがあるから、もっと言えばその野菜を調達してみたいなところもあって、
説明する範囲を広げすぎて、ニッチもサッチもいかなくなっているって状態だったわけですよ。
もともとあるマニュアルをね、誰かが作ったわけですけど、そのマニュアルを見ると最低限のことしか書いていないわけですよ。
とりあえずこれをこの順番でやるっていう。でね、マニュアルっていうのはそうあるべき。
僕もそれを作ればいいんですけど、でもね、そこで気づいたのは、僕はそのね、最低限のことしか書いてないマニュアルに、
なんか不誠実さみたいな感じていたなっていうね、思い違いだったんですけど、つまり僕がね、マニュアルに対して求めていたもの、自分が作るマニュアルで達成しなきゃいけないと思っていることは、
自分と同じクオリティで、それを知らない人にできるようにするように言語化をしなきゃいけないって、それがね、最初言った完璧主義っていうことなんですけど、
それをしようと思うから最初から何もできないっていうね、踏み出せないっていう、あのね、泥沼にはまっていたというか、そういうわけなんですよ。
求められているっていうのは、そこではなくて、とりあえず何をするべきなのか、その業務を全くやったことがない人に対して、
まずこの業務は何が目的で、何がどうなればゴールなのかっていうね、そのために最低限何をしなくちゃいけなくて、何をやってはいけないのかみたいなことをね、
まずそこから伝えるわけですよ。 簡単に言えばそこだけ伝えられればOKっていうことでもありますよね。
で、さっき僕それしか書いていないことに不誠実というか、手抜き感というか、それだけじゃ足りないんじゃないかって思っていたけど、
じゃあ僕が求めていたというか、理想像としては何があったのかっていうと、まあさっき言ったみたいに自分と同じ業務をね、料理を作るんだったら、
その通りにやれば自分と同じね、完成品ができるものを言語化しなきゃいけないって思っていたわけで、
そりゃね、まあ無理がありますよね。完璧主義的な思考に陥っていたというか、それはね、ライターを書くことにこだわりがあったからこそだと思うんですね。
ちょっと一見して不正確というか不確実なマニュアルみたいのは作りたくないと思ったし、直したくなるわけですけど、
多分僕が直そうとすると例外をね、どんどん入れてしまう。こういう場合はこうする、こういう場合はこうするって言って、どんどん量が増えていくみたいなね、そういう形になってしまうなと、もう気づいたわけですよ。
道案内みたいなことに例えてみると、例えば、初めてどこか駅から自分の家かなんかに行く人に向かって、
この道をこう来るっていうね、道案内を文章でするとしますよ。テキスト情報と、まあ簡単なね、写真でもいいですけど、それだけで説明をしようとするときに、
最短ルートがすごいややこしい道だったとしますよね。そうじゃない行き方でわかりやすい道順があったときに、
まずやるべきは最短ではないけれど、わかりやすい道案内をするべきだなと思うんですよ。
さっき言った業務に対する例外っていうのは、道でいうところの一番最短で行けることだけど、ある程度その道に習熟しているというか、その途中を知ってる人じゃないと
見落としてしまうような目印とか、そういうのを全部書き込まないといけないから、
多分それをやろうとすると、初めてそこに来る人にとってはかなりね、わかりづらい道案内になってしまうわけですよ。
それだったら、多少ね遠回りになってもいいから、一番わかりやすい道順で示してあげると。
そうすると最初の初めての人は迷わずにそこに到着できるっていう。
道案内からの学び:わかりやすさの重要性
だから道案内の最重要の目的っていうのは、目的地に到着することですよね。
そのために道順を教える。
そのときに最初から最短ルートを別に教えなくてもいいっていうのが一つの気づきだったわけで、
最短で行くってことが最重要のポイントではなかったからですよね。
最重要の目的は到着することだから。
まずそれのために、相手の知識というか現状を設定して、何が一番いいのかというと、
できるだけわかりやすい引き方っていうことですよね。
この話は仕事上のマニュアルを作るときってことなんですけど、
一つの業務があってそれをマニュアル作るときに、まずやるべきなのは最終的な目的地を伝えるっていう。
そこに旗を立てるっていうことですよね。
このときに最短ルートを別に提示しなくてもいい。
ちょっとややこしいけれど、それをやればより完璧に近づくみたいなそういうことだと思うんですけど、
それはだから次のステージの話なわけですよね。
ある程度、基本ができた人に向かってそれを言うのは正しいんだけど、
最初の人にそれを言うべきじゃないっていうことってあると思うんですよ。
僕は最初から完璧にしようと思っていたから、途方にくれて。
要するに、線引きをするのにためらいがあったわけですよ。
線引きっていうのは、ここからここをまず教えるべきっていう。
言い換えれば、ここが重要なところっていうね。
他にも理由があるなって思ったんですよ。
マニュアルを作ること、仕事の内容を定義することに対して抵抗があったわけですけど、
それがなんでかなっていうと、一つに結構エゴのね、エゴイスティックっていうか、
これ全部伝えちゃったらね、自分のやることがなくなっちゃうみたいなね、
そういう割とセコい意識もあったんじゃないかなっていう。
文章を書いたりとか、何かを説明したりすることを自分では得意だと思ってたんですけど、
そうでもなかったかなってことを思ったんですね。
何かを説明するときに、僕が誰の視点に立っていたかっていうと、
自己中心的な説明とマニュアル作成の壁
結局ね、自分に向かって説明していたんじゃないかっていうね、
構造的に理解するときに、自分が分かりやすいように、自分が理解したことを
なるべく理路整然とね、伝える、文章化するみたいなことを僕ずっとやってきたんですけど、
それはね、確かにある人にとっては分かりやすい仕溜めになるときもあるんだけど、
すごい範囲が狭いというか、大勢を全然見てなかったなという気もしたんですよ。
初心者というか、ほとんど理解を、理解度が高くない人に対してはあまり役に立たない説明だったなと。
説明しているつもりで、自分に説明というか、もっと言っちゃうと、
ほら、自己表現みたいなことをしていたなっていうことがあって、別に自己表現悪いって言ってるんじゃなくて、意図が違ったなっていう。
僕が自分でやっていると思っているのは、誰かに向かってそれを伝えるっていう伝達みたいなことをしているつもりだったんだけど、
結局やってることは自分の表現というか、僕はこんなことを考えてこうやっていますよ。
簡単に言うと、目線が相手じゃなくて自分に向いてたっていうことですね。
だから僕は何かを説明したりとか、構造化するのが自分ですごい得意だと思っていたんですけど、
いざ自分がやっていることを誰かに伝えようとすると、全然できないなって思い当たったわけですよ。
社会の現象とか、何かややこしい物事とか、本の内容とか、他人が言ったこととか、他人がしていることを構造化して、
ある程度分かりやすくして伝えるみたいなことは得意だしやってきたんですけど、
自分がやっていることを構造化して、手順化して、マニュアル化するっていうのができないなと、苦手だなという気づきがあって、
これはちょっと前に話した水平と垂直の働き方のことにも直接に繋がってくることではあるんですけど、
最後にまとめてみたいんですけど、まずマニュアル作成が苦手だったってことに思い当たったと。
それがなぜかというと、線引きをすることによって、自分では完璧じゃないと思っているところを固定化しなきゃいけないと思っていたんだけど、
固定化させたくなかったっていうある種の完璧主義があったと。
他にも、これを自分にしかできないことにしておきたかったっていう無意識の意識も多分働いていたっていうことですね。
で、僕の周りにあるマニュアルとかを見ると、単純化されたマニュアルに抵抗というか不誠実さを感じていたっていうのは、
僕の中ではそれを完璧に作らなきゃいけないっていう思いがあったんだけど、でも実際はよくよく考えてみると、
いきなりその詳細な完璧なものを渡されてもほとんど活用できないわけで、最初に必要なのはすごい単純化された地図というか構造みたいなのを、
個室だけを説明するものが求められているところで、僕はすごい詳細なものをね、辞書みたいなマニュアルを作ろうとしていたっていう、そういうところですね。
それを読む人のことを考えれば、むしろ単純化して例外を一回無視して大事なところだけを伝えるっていうのが一番効果的な伝え方だったんだけど、
僕はそれをね、結構苦手としてきたなと。目線が相手じゃなくて、自分に向いていたからじゃないかというところに思い立ったという、そういう話でした。
これ、ノートとかに書いてまとめてみたいのをね、自分の頭の中をバラバラ喋ってみたので、ちょっと音声としては、話としてはまとまりのないものになったかもしれませんが、
でもマニュアル作るっていうのはね、そういう観点で見るとすごく奥の深い作業だなと思って。
もしかしたらマニュアル作りにそんなに深く考えている人はそんなにいないかもしれないけど、僕はずっと苦手意識を持っていたからこそ、視点の転換というか、それをすることによって、
あ、なるほどねっていう。それはそれで一つのスキルというか、ある種の編集作業だなと思ったんですよ。
一つの業務をマニュアルに落とすっていうのは、すごい高度な編集作業だなって思ったんですよ。
そんな感じで終わりにします。
ありがとうございました。良い一日をお過ごしください。さようなら。