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2024-01-22 13:56

役割名(お父さん、夫など)で呼ばれることはイヤじゃない。むしろ「ラク」でいい


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こんにちは、いわみです。1月22日の月曜日です。
月曜日はいつも立ち上がりが良くないというか、やっぱり土曜日・日曜日で仕事を休んでいる時間が多いので、
リズムを取り戻すのに半日くらいかかるなという感じがありますね。
本当は理想的に言うと、毎日3時間とか5時間くらいを普通に切れ目なく週7で続けるというのが、
たぶん一番パフォーマンスとブレの出ない働き方なんだろうなと思っていますが、
それができるのはたぶん子どもが育った後じゃないかなと思っていますが、それは仕方ないですね。
そうは言っても、今日も午前中から短めな案件を3つくらいこなして、
そう考えるとたぶん1万文字くらい書いているから、以前に比べると全然仕事の能力は上がっていますね。
感覚的にあんまり進んでいないなと思っちゃいますが、
こうやって数字にしてみると、統計を取ってみると能率はだいぶ上がっているなと思うので、
たまにそうやって自分を励ましていこうかなと。
いろいろ喋ってみたいことはあるんですけど、
一つ前に人と喋っていて思ったことで、これはちょっと興味深いなと思ったことがあったので、
それを喋りながら考えてみようかなと思います。
ある程度まとめてから喋るようにすれば、話の練習という意味では、
そっちの方がいいんでしょうけど、あまりラジオに時間をかけたくないというのと、
考えながら喋ることで、一回ブレスト的に広げられるという思惑もあって、
思いついた時にメモだけしておいて、その後すっかり忘れていて、
今メモを見ながら思い出しながら喋るという、
そういうことをやるのが最近のラジオの使い方になっています。
何についての話かというと、
個人の名前と、もしくは役割で呼ばれるときの違いみたいなことをちょっと思ったので、
それについて何のことを言っているのか、頭を折って説明しますと、
お父さんとかお母さんとかに呼ばれたり、それは役割の名前ですよね。
あと社長とか部長とか、そういう役割で呼ばれるときと、
その人の名前ですね、何々さんとか何々君とか、
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呼ばれるときの違いというのはちょっとあるんじゃないかなと思ったという話なんですけど、
そもそもこれ何で思ったのかというと、
先週ですね、僕オンラインで毎月とか何ヶ月かに1回ですね、
サロンみたいな子育てサロンというやつに参加しているんですよ。
その立ち上げにもちょっと関係しているようなサロンで、
埼玉にいるときからずっと出ているやつなんですけど、
その中でですね、いろんな人が話をして、
それについて話し合うみたいな、なかなか興味深いサロンなんですけど、
そこでですね、ある人が言ったんですよね。
もともとこの話が出たのは、僕は自分の子供にですね、
名前で呼ばれているんですよ、お父さんじゃなくて。
そのことについて別に何気なくしゃべったんですけど、
その話を聞いて、女性の方だったんですけど、
自分の感想みたいな、誘拐のときに触れたときに、
私はその兄弟がいて、妹が生まれたことがあったそうなんですね。
子供のときの話ですね。
そのときに今まで名前で呼ばれていたのが、
急にそれからお姉ちゃんと呼ばれるようになって、
ものすごいショックだったという話をその方がされていたんですよ。
どうしてショックだったのかというと、
今までは個人としてみんなに、何々ちゃんとして認められていたのが、
今度からお姉ちゃんという、
違う人間になったような気がしてしまったという。
そう思うということだけで、結構感受性の強かったりとか、
思い入れのある人なんだろうなというのは思いますけど、
でも言いたいことはわかるし、
そういう名前によって捉え方というか、
認識の仕方が変わるというのは何でもあるなと思っていて、
自分のことに置き換えてみたときに、
僕は反対のことが起こったなと思い出したんですね。
反対のことは何か。
名前から役割になったことで、
ショックじゃなくて、安心したことがあるという話なんですけど、
これはそんなに昔の話じゃなくて、
結婚したときなんですよね。
結婚して、個人でもあるけれど、夫にもなるわけですよね。
出かけて行ったりとか、
誰かと会ったりとか、家族ぐるみで誰かと付き合ったりするときがありますけど、
そのときに個人としてじゃなくて、
夫として扱われることが増えてきたということがあって、
そのときに僕はそれが全然嫌な感じじゃなかったというか、
むしろですね、
こういう言い方はあるかもしれませんけど、
これ楽だなと思ったんですよ。
何が楽なのかというと、
何者でもなくてもそこにいていることが許されるみたいな、
そんな感じがしたんですよね。
これ、分かってもらえる方がいるかどうかは分かりませんけど、
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独身のときとか、その一人のときって、
仕事をしているときは役割があるからそれでいいんだけど、
何もないときに例えば、
一人でお前は何者だというのをですね、
僕は割と迷ってたってほどじゃないけど、
居心地の悪さは間違いなく感じていたなと。
分かりやすいので言うと、
例えば親戚の集まりみたいなお正月とか、
行くことがあるじゃないですか。
そのときに一人で独身としてそこにいるのと、
いいとこの中では結婚していたりとか、
兄弟も結婚していたりする人がいる中で、
一人でいると何かその居場所がないというか、
何か別に居場所がないわけじゃないんだけど、
何となく居心地が悪い気持ちってね、
想像つくんじゃないかなと。
それがですね、結婚すると何て言うんでしょう。
そこが、その部分がふっと楽になるんですよね。
子供がいて、まあね、
その子供の赤ちゃんがいるときは、
その面倒見るのは別に僕でもいいし、
妻でもいいんですけど、
それをやることがあるっていうのもそうだけど、
今の段階では子供が寝てたりとかして、
別に自分で何もやることがないときでも、
注目が自分にだけ集まらないみたいな、
そういうね、何か楽さがあるなってことを、
僕、結婚当初のときに結構思ってたんですよね。
こんなこと言ったら怒られるかもしれませんけど、
僕にとってその結婚することのメリットの一つは、
役割ができることによって、
楽になることっていうのをね、最初すごく思ったんですよね。
これはですね、最初の方に行ったとある女性の方が、
名前からお姉ちゃんになることによって、
ショックを受けてしまったというのは反対ですよね。
その人は名前で呼んでほしかったのに、
役割で呼ばれるのが嫌だったってことですけど、
僕の場合はですね、反対で、
個人からその役割、
役割で呼んでほしかったのに、
役割で呼ばれるのは嫌だったってことですけど、
別に夫という役割で呼ばれるわけじゃないけど、
見られ方ですね、ここで言うと。
役割を与えられたことにホッとしたっていうことだから、
あってよかったなって思ってるんですけど、
この違いは何なんだろうって考えるのがちょっと面白いなって思ったんですね。
いくつか考えられることがあって、
まずはですね、それまでの
過ごし方みたいなのが、
どっち寄りだったか、その個人寄りだったか、
役割寄りだったかっていうことでも、
呼ばれる変更があったことによっての
感じ方っていうのは変わると思うんですよね。
ずっと個人で生きてきて、
個人としての生き方しかない人が、
急に何かの役割を与えられたときに、
それが嬉しくなるみたいな、楽になるってことはあると思うんですよね。
僕が今言った、
夫としての役割を与えられることで、
なんとなく居場所ができるようになったっていうのも
そうかもしれないし、
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同じではないけど、
おじいちゃんとかが、やることないおじいちゃんが、
何か自分の仕事を与えられると
急に生き生きするみたいなのも、
それも役割だと思うんですね。
反対にその役割で呼ばれることに、
ショックを受けたっていう人の場合は、
今までずっと役割としての生き方に
周りから見られていたのが、
さらにそれが強くなって、
呼ばれ方まで、名前から
お姉ちゃんとか呼ばれ方になってしまったっていうのが、
嫌だったってことだと思うんですけど、
その人だけじゃなくて、
割と女性に多いんじゃないかなっていう気もするんですね。
例えば、結婚してお母さんになると、
妻からお母さんになると、
お母さんとしてしか周りから見られなくなって、
自分で亡くなってしまうような気がして、
すごい辛いみたいな話を、
何かで読んだのかちょっと忘れましたけど、
聞いたこともあると思うんですね。
一つ目には、今まで生き方として、
個人と役割と、
どっちを強めで生きてきたかによって、
感じ方が違うっていうのと、
役割で生きてきた人が役割だけになってしまうのは、
辛く感じるっていうことかもしれないし、
っていうことですね。
それで二つ目あるとしたら、
個人として、
自分の認識がどっち側にあるのかっていう、
俺は俺とか、
私は私でいたいって思う人は、
役割で呼ばれることが嫌になるかもしれないし、
それで僕はどっちなのかなって思ってみると、
もしかしたら役割で見られることが、
安心したっていう経験があることからしてみると、
僕は自己認識的にもしかしたら、
個人としていう役割をそんなに望んでいないのかもしれないですよね。
性別で分けてしまうのは、
ちょっと乱暴だとは思うんですけど、
でもこういう感じ方も、
もしかしたら男性の方には多いんじゃないかなっていう気が、
しなくもないんですよね。
つまり、自分の役割を与えられていることで満足して、
そういう生き方を選んでいる人っていうのは、
男性に多いような気がしていて、
例えば、会社の役職なんて特にそうですよね。
何々会社の部長とか、課長とか、社長とか、
そういう役割を与えられると、
そこに自分のアイデンティティみたいなのを全部入れてしまって、
それ以外がなくなってしまうみたいな。
世界観として、理屈とか論理的に感じる面が強い人は、
多分役割を与えられるとほっとするのかもしれないですよね。
反対に感情とか情の部分が強い人は、
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その役割が強すぎると窮屈に感じるみたいな、
そういうところはあるかもしれないなと。
特にまとめずに終わろうと思うんですが、
一応もう一度言ってみると、
以前に話をしたときに、
お姉ちゃんって呼ばれることが、
ショックだったっていうことを聞いた話から、
僕の場合は反対だったなと思う。
個人から結婚をして、
夫という役割、お父さんという役割を与えられることで、
わりとほっとした経験を思い出したな。
その違いは何なんだろうっていうのを、
いくつか可能性を挙げてみましたが、
それは特に結論を出さずに終わろうと思います。
皆さんはどうでしょうか。
個人としての一人の生き方と、
何かしらの役割を持っている方が多いと思うんですが、
どちらの方が強いというか、
どちらの方に安定を感じるかみたいなのを、
一回考えてみるとちょっと面白いんじゃないかなと。
男性女性を分けるのはちょっと乱暴かもしれませんけど、
僕のイメージとしては、
男性の方がより安定を感じるか、
僕のイメージとしては、
男性の方がより役割の方を強めに尊重するような、
ジェンダー的な違いがあるんじゃないかなと思ったので、
それについては、もし意見のある方は聞いてみたいなと思います。
コメントとかでいただけると嬉しいし、
配信をやっている方だったら、
自分の配信でそういうアンサーみたいにしていただけたら、
教えてくれたら僕は聞きに行って、
また考えてみたいと思いますので、
よろしかったらお願いします。
それでは、お聞きいただいてありがとうございました。
良い一日をお過ごしください。さよなら。
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