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関わり方を変えたとき、母の世界に光が差した —— 軽度認知障害と診断された、その
2026-04-25 40:50

関わり方を変えたとき、母の世界に光が差した —— 軽度認知障害と診断された、その

note
https://note.com/maki_morishita/n/ne89d0bb965de


フラーレン型社会を構想🌐
領域を超えた浄化と再構築
違和感を翻訳する人

西本真紀
使命コンサルタント🌿

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#認知症
#高齢者
#スピリチュアル
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サマリー

このエピソードでは、軽度認知障害の兆候が見られる77歳の母親を持つ語り手が、母親との関わり方を変えたことで、母親の世界に光が差した経験を共有します。母親の記憶力の低下や運転への不安、そして自然豊かな環境を好む母親の特性を踏まえ、語り手は母親の興味や好きなことに焦点を当て、感情に訴えかけるコミュニケーションを試みます。その結果、母親は運転への向き合い方や住まいへの考え方を改め、認知症予防教室への参加にも前向きになるなど、大きな変化を見せました。この経験を通して、語り手は支援する側の意識の変化が本人の感情に与える影響の大きさを改めて実感します。

母親の記憶と運転に関する懸念
みなさん、こんにちは。 違和感の翻訳室、Maki Nishimotoです。
いつもお聞きいただきありがとうございます。
今回は、母の話をしたいと思います。
前回の、みなかみさんに行った話のときに、母に会いに行ったという話をしたんですけれども、
えっと、えっとね、母はね、えっと、77か8なんですね。
あれ忘れちゃった。
えっと、そうそうそう。それで、やっぱりそのぐらいのね、年齢になると、特にね、一人暮らし、小民家で一人暮らしでいるのでね、やっぱりその年齢に合わせた不安なことってやっぱりあるじゃないですか。
特にね、今回ちょっときっかけになったことが、記憶の点でね、かなり不安が出てきたということでね、娘たち、私4人姉妹なんですけれども、娘たちの間から声が上がって、
それで、そのことも兼ねてね、結果としてはね、すごく母は前向きになってくれて、とてもいい形でね、今は進んでいるので、
まだね、2号っていうところまでちょっと行ってない、まだのところに当たるのかもしれないんだけど、それでもね、ちょっと一旦経験をね、シェアしたいなと思ったので、お話ししてみます。
今回の話は長くなるかもしれないので、いつも長いけど、いつもね、ブログにね、要約をまとめていますので、そちらの方をね、見ていただいた方が、もしかしたらわかりやすいかもしれません。
はい、ということで、概要欄に貼っておきますね。
まずね、会いに行く前に、事前に姉妹で共有していた内容なんですけれども、記憶については、
あれをね、引き出しして、それを何に使ったのか覚えてない、とかね、あっちとね、昔の話をしているときに、正確にこう、覚えてないと、
私の妹が、ジャイカーでアフリカに行ってたんですけれども、その話をしたときにね、私もアフリカに行ったことがあるような気がするわ、みたいなことをね、言ってたりとかして、
そういうことを聞くと、とっても妹としては不安になったということで、そんなことがね、未来のスケジュールに関しても、全然覚えてなかったりとか、そうしたことも出てきて、
特にその運転もね、しているので、そうした記憶力の中で、このまま運転しても大丈夫なんだろうか、っていうね、運転自体もね、
孫が乗ったときに、おばあちゃんの運転怖かったっていうような話が出てきたりもしていて、やっぱりね、運転は周りの方にごめんをかけたりするといけないっていうのがあるから、
一番ね、出てきている姉妹の中で、一番、なんとか辞めてほしいっていうね、免許返納してほしいっていうね、希望が一番出てきた点でしたね。
あと、私の母はね、私の母だけあってというか、だいぶ変わった人で、60代になってから、今の長野のね、小三っ子に引っ越していったんですね。自分で見つけてきてね、お家を。
母親のユニークな住環境と過去の経験
そこはね、インフラがね、どうなっているのかっていうのが、ちょっと私たちも全然、知っていること知っていないことをしたりして、不安な点だったんですよね。
トイレがね、外にあって、外、屋外の小屋にあって、そこはね、土なんですよ。土のところに、たぶん、ぼっとん便所っていうんですかね、くみ取り式のね、トイレがあって、
その上に、簡易の座れる、簡易の座面っていうの、あれはね、設置してあるみたいな、そこがトイレなんですね。
でも、一応、お風呂とかは、お家の中にちゃんとあるらしくて、台所もね、一応あるんですね。
なんで私がこういう言い方をしているのかっていうと、私の母はね、もともと、片付けるのがすっごい苦手な人で、私の発達障害の支援活動の原点にもなったのが、母。
なので、子供の頃からね、そういう母の様子を見ているから、母がね、自分から見せるって入っていいよっていうまでは、
ここまではいいよって言ってくれるところしか入らないんですね。お家の中にね。なので、細かいこと知らないんです。
家の中がどうなっているのかっていうのをね。それで、断片的に妹たちがそれぞれで聞いてきた情報というのは、寄せ集めたのと、
あと、母にね、直接聞いたら、水道管は、冬場に破裂したまま直してなくて、あと、ボイラーも壊れたまま直せなかったから、ボイラーは撤去したっていうことを言ってました。
なので、水道自体が出ない状態なんですよね。家の中ではね。でも、お庭ではね、お水が出るので、そこから飲み水は使っているっていう状況でした。
お湯は薪ストーブがね、お家の中にあるので、そこで沸かしているっていうね。そういう生活をしているっていうね。そんな事前に分かったことかな。
ちょっと寒さもね、厳しいことから、記憶の不安というところから、愛知県の方に来そうかどうしようかっていうね。そんなことをね、話していたっていうのはね、その事前の状態、状況でした。
母親の身体能力と運転能力の評価
私が実際なんですけれども、まずね、体のこととか運転に関しては、なんかね、第一印象はね、まずね、なんか元気だったんですよね。足腰がしっかりしていて。
身体は元気。身体は大丈夫っていう感じかな。でも、膝はね、片方ね、やっぱりちょっと痛いっていうことで、そこはね、杖をついていたりしました。
でも、ずっとついているというよりも、なんか最初に動き始めるときが痛いっていうことだったみたいで、あとは普通に、家の中と外をね、行ったり来たりしている感じを見ていると、もうさっさと歩いて、しっかりしている感じでした。
で、まずそこで一足したと。で、運転はね、私のパートナーのね、正則さんが、教習所の教官なので、これはね、実際に運転してもらってね、チェックしてもらいました。
そうしたら、一般的な75歳以上の高齢者の平均的な運転ということで、いろいろチェックポイントがね、あって。
まずね、スピードの間隔っていうのが鈍るんですって。だから、スピード出しすぎるか、遅すぎるか、どっちかになっていくらしいんですね。
で、ちょっと歯が結構早くなっていました。
あと視野角がね、若い頃と比べると狭まっていくので、どうしても脇が見えないんですよね。意識に入ってこなくなっちゃうんですよね。
あとね、私がね、見ていて、先に気がついたのは、どうしても高齢になると身長はね、運転の時って座高が低くなるんですよね。
全体の身長はね、縮むからだと思うんですけれども、それで、ハンドル越しの視線っていうのが、本当に見えてるのかなと思うくらい低くなっていて、結構怖かったです。
あの、淡路市はなんかね、結構高齢の方が運転してますけれども、中にはね、お尻の下に分厚い座布団みたいなのをね、敷いてらっしゃる方もいるので、そんなこともね、私はアドバイスしてきました。
なので、もっとね、細かい色々なことを、まさのりさんからね、色々アドバイスされて、母はすごく自分の運転に自信があったので、早くチェックしてほしいみたいな感じで、そういう勢いだったんですけれども、色々聞いてショックを受けてました。
そんなね、こともあり。で、そうですね、ことについてはそんな感じで、次にね、記憶のね、点については、色々ね、観察して、後は話をね、していたらね、
記憶の傾向と魂のあり方
覚えていることと覚えていないことに共通点があるのがわかってきたんですね。
で、興味のあることとか好きなことっていうのはしっかり覚えてるんですよ。
で、あんまり乗り切れないこととか、嫌なことっていうのは全然全く覚えてない。
もう本当にはっきりわかれてたんですよね。
お金のことなんかも、もともと母はそのお金が好きっていうわけじゃないから、生活、生きていく上で必要なことだったから、その意識を向けてたっていう感じだったんですよね。
だから、お金のことをね、忘れてしまうっていうのは、ある意味当たり前のことだなって思いました。
これスピリチュアル的に考えたら、本当単純にわかりやすい、なんて思ったんですけれども、
魂の感覚にすごく近くなっていってるって感じだったんですよ。
よくね、私たちここでね、生きていくためにはグランディングもしっかりして、
血に足をつけて、足の裏を全部つけて、生きていかないといけないよっていうことをよく言ったりしますよね。
でも、やっぱりだんだんね、肉体の年齢も重ねてきて、やっぱり戻っていく時が近づいてくると、
やっぱり魂に近づいてくるんだ、魂のありのままに近づいてくるんだなって私は思ったんですね。
母の様子を見ていてね。だから、大きな風船を片手に持ってね、風船が大きくなればなるほど上の方に引っ張られるから、
足の裏がね、だんだんかかとが上がっていって、つま先立ちしているような感じ。
なんか、そんなイメージをね、私持ったんですね。
なので、家族も含めて、今回から支援も入ってもらうっていうところまでまだ言ってないんですけれども、
入り口に立つようになったんですけれども、その支援者がする必要があるのは、
かかとに、本人がかかとをつけることができないから、その部分をサポートするっていうのが大事なんだなって、
当たり前のことなんだけど、それを改めて認識しました。
発達障害支援の経験と母親への応用
私の配信をこれまでも聞いていただいている方はご存知かと思うんですけれども、
私は以前、発達障害の重環境整備のほうの啓発を事業として長いこと行っていたんですね。
その時には高齢者の部門を持っていました。
なので、脳機能とか精神に関わる分野で仕事としてやっていたし、
発達障害の方は、世の中に広がっていくところまで行っていたので、
自分、お医者さんが出していた資料っていうのを、そもそもほとんどなかった時からやっていたので、
自分で探求するっていうのをしていたんですね。
だから、好きなこととか、本人がやりたいことの本質みたいなところを探りながら、
それと支援というところの関わりをすごく模索しながら、探求しながら、事業を進めていきていたんですね。
なので、今回の母のことがあって、すごく、さらに負に落ちたというか、
そんな感じを私受けました。
認知症と感情、エネルギーとしての受け取り
なので、興味があること、好きなことっていうところにすごく記憶も偏っていったということなんですよね。
あと、認知症の話なんですけれども、母の場合はまだ認知症ではないんだけれども、
認知症の方であっても、記憶がどんどんならになっていくというか、低下していくというか、
そういう状況になっても、感情っていうのは残るんですよね。
そう、スピリチュアル的に言えば、エネルギーとして受け取るようになるんですよね。
細かい情報としてではなくて、現実社会に必要な情報として受け取るのではなくて、エネルギーとして受け取る。
だから、喜ぶ、嬉しいとか、楽しいとか、嫌だとか、悲しい、つらい、そういう感覚として残っていくんですよね。
より受け取りが強くなっていくんですよね。
なので、母に対して話すとき、これからのことをどう判断していくかとか、
いろいろ説明するときにも、体育ベースで受け取ってもらえるように、
しかも楽しく受け取ってもらえるように、ということを意識しながら話を進めたんですね。
実際にこんな風に話したら、母の気持ちがすごく前向きになったっていう内容についてなんですけれども、
運転への向き合い方の変化
まず運転についてなんですが、母は運転することを、
知能的に便利だから運転しているって本人は思ってたみたいなんですね。
でも、周りからするとね、もともとね、ドライブしたりするのもすごく好きだし、
あと、母が乗っている愛車がね、パジェロって言うんだっけ?
三菱のあんまり一般的には高齢の方は乗らないような車のマニュアルを乗ってるんですね。
そういうところからね、母の運転に関する話を聞いていて、
まさのりさんは、自分もね、車も運転も好きなので、自分と同じ感じで、
母のことを見てたんですね。運転が好きな人みたいな感じで見てたんですね。
でも、母自身は、認識してなかったんですよ。
自分が運転が好きで、今の車が好きだっていうことを認識してなかったんですよ。
なので、まずその点をね、私から、お母さんは便利だから車に乗り続けたいんじゃなくて、
運転も好きだし、今の車も好きで乗ってるんだよねって言ったんですよね。
そしたらね、母がね、すっごい深く納得してくれて、
ああ、そうだ私、用がなくてもドライブに乗るし、ドライブしたいと思って、
つい車乗るし、他の車だったら嫌だわとか言って、
この車だから好きで乗ってるのよって感激してました。
それに気づけたことに。
なのでね、私から、それだったら免許を80歳になったらしようと思ってるって言うから、
それまでの間、あと2、3年の間は、もう後悔のないように、
大事にね、車を掃除したりとか洗ってあげたりして、手をかけて大事にしてあげて、
それでドライブに行った時にも、十分に今まで以上にそのことを楽しんで、
っていうことを、もう十分だっていうところまでやった方がいいよって、
今の状態のままでね、無理やり免許が返納してしまうよりも後悔しないように、
その代わり、小さい子供たちとか、通勤の時間帯とかね、
たくさん車が出るような時間帯っていうのは絶対運転しないで、
必要最小限にしてね、とか、あとは狭い道は通らないとかね、
そういうこともね、まさのりさんからね、結構細かく言ってもらってました。
狭い道ってね、意外と皆さん、近道だから通ってしまうみたいなんですけれども、
プロのね、レーザーなんかは、違反したりすると本当に仕事に関わることなので、仕事ができなくなっちゃうから、
絶対ね、極力安全な大きな道を通るんですって、大きな道っていうのは整備されてますからね、
危険の少ない道を通るんですって、そんな話もしたりして、極力安全に運転してほしいっていうのもね、合わせてね、話したりしてきました。
住まいと自然との繋がり
住まい、引っ越すかどうかっていうところですよね。
これはね、今のところは、今現時点ではですけれども、やっぱりコミカに住みたいと、今の場所でね、今の長野の場所がすごく気に入っているから、
ここで住みたい、できれば最後まで住みたいのよっていうことをね、言ったんはね、いうことを言ってました。
その家庭ではね、やっぱりね、母のこれまでの様子を見ていて、
若い頃、私は父と別れてからは、どのくらいかな、20年くらい、10年、20年かな、そのくらいは集合住宅に住んでいたんですね。
公営の集合住宅に住んでたんですね。
そういうところにね、暮らしている母って、すごく花が潮れてるみたいな感じに私には見えたんですよ。
やっぱりね、自然の中で暮らしている母、年は取って感じがするんですよね。
そういうふうに見えるんですよね。
それって結局ね、やっぱり魂の経験値が高い人なので、
そうするとね、集合住宅とかにいると、周りのね、隣近所の方とどうしても、
自分の見えない体というのははみ出すわけなので、お隣さんのところまではみ出したりしますよね。
そうすると、そこまでどうしてもね、重なってしまうんですよね。周りとね。
そういうことがあったりして、すごく息苦しかったと思うんですよ。
家の周りにね、自然が少ないしね。
魂年齢を重ねた方ほど、どうしても自然を求める。
自然に近いところに生活するっていうのを求めるようになっていくんですよね。
都市部に住んでおられる方であっても、できるだけその緑が豊かな公園にね、足しげく通ったりとかしてね。
そうするとリラックスするんですよね。
なので、母にね、ちょっとそんなことも話していたら、
若い頃のね、そういう集合住宅での暮らしを母も思い出していて、
本当にね、やっぱり私はこういう場所だとすごく幸せを感じれるんだなっていうようなね、
そういう感覚をね、持ったみたいです。
改めて一つ一つ思い出していくと、
ああ、そういう生活が生き暮らしかったから、
ここの小民家にね、こうしてきたんだなっていうのを改めて思い出していたみたいで、
すごくね、なんか、すっごく深く納得していました。
自然との繋がりがいかに自分にとって大事かっていうのをね。
それでね、ちょっとここまでで話してなかったんですけれども、
認知症予防教室への参加と意識の変化
母がね、病院に行った日にね、妹に連れて行ってもらった日に、
ついでにね、その認知症予防の教室っていうんでしょうかね、
そういうのを師がされているので、そこにもね、参加しませんかっていう風に言っていただいてたんですよね。
で、じゃあ参加しますって言って帰ってきたんだけど、
母にとっては全然乗り気じゃなかったから、カレンダーにもね、全然書き込んでなくて、
私たちが行くのは書き込んでいたのにね、カレンダーに全然書き込んでなくて、全く覚えてなくて、
ということがあったんですね。
ちょうどね、私が行く日に、そういうことがあったので、
師の担当の方が来てくださるっていう段取りもつけていたので、
その方ともね、交えて3人でね、話をしたんですね。
母にね、やっぱり元気で暮らしたいのであれば、
支援の入り口になるところを、まずは行ってみた方がいいんじゃないっていうことを話したんですね。
そしたらね、全然興味を持ってくれていなかったのが、
自分でね、なんとか一人で暮らしたい、今の場所で暮らしたいっていう目標ができたからだと思うんですけれども、
前向きになってくれて、それで昨日だったかな、一昨日だったかな、
一回目のね、初回の見学にまず行ってくれて、
送迎もしてもらったので、忘れることなく、
LINEのカレンダーの機能とかを使いながら、
私たち娘たちからも、今日はなんとか会の日だねとか言って、行く日だねとか言って、
送ったりしながら、行ってきて、楽しかったって言って。
一週間に一回ぐらいだったら行っていいかなっていう感じでね。
変わってくれてね、すごく意識が変わってくれて、
良かったって思ってね。
これからまたね、いろんなことが、問題がね、課題が出てきたりはするでしょうけど、
支援者の意識変化と実感
でもね、やっぱり周りの支援する家族だったりとか支援者の方たちの意識が、
変わることって、やっぱり本人の気持ちっていうのが、感情っていうのがすごく変わるんだなっていうのをね、
体感しました。
なんか本当に、これまで散々私、ずっとそれをレクチャーしてきて、
レクチャーしてきて分かっていたものも、分かってたし、成功事例もたくさん周りから聞いていた。
だけれども、すごく私の中で、やっぱり実感として、やっぱりちょっと現場が薄かったからかな。
すごく喜びとして、私自身の喜びとしても大きかったかな。
そうですね。
そうそう、現場は離れて長かったから、余計に思ったんだろうね。
ちょっとそんなことがありました。
皆さんの何かのお役に立てていただけたら嬉しいです。
ということで、今回は私の実体験のお話でした。
今回もお聞きいただきありがとうございました。さようなら。
40:50

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