まずサッカー選手に高校卒業になられたということで、サッカーは小さい頃からずっとプレーされて。
そうですね、自分が小学校低学年の時にちょうどJリーグが開幕した年で、
その時東京に住んでたんで、ベルディは川崎の三浦和選手がすごい憧れで、
サッカーするか野球するか迷ってたんですけど、和の影響でサッカーを始めました。
そこから高校までずっとサッカー一筋でいらっしゃったんですね。
高校を卒業する時にはアルゼンチンに行ってサッカーやるんだっていうのを目標にされてたんですか?
全然そんなことはなくてですね、高校自体はすごい愛知県でも一番強い高校だったんですけど、
私はBチームのキャプテンという一軍じゃなかったという経験がありまして、
本当は心の中ではまだサッカーしたいという気持ちがあったんですけど、
みんなにサッカー選手になりたいというのはなかなか実力的に言えるような状況じゃなくて、
大学行ってもあんまり勉強したいという気持ちがなくて、
手に職をつけようと思って最初は美容専門学校に入学したんですけど、
高校卒業してから。
ただ社会人でサッカーは続けてまして、
社会人のサッカークラブで全国大会に出たりとか自分も試合に出れたりして、
だんだんちょっと諦めることができなくて、
専門学校を中退して、最初はちょっと早稲田大学のサッカー部が強いんで、
早稲田大学に入るためにちょっとタクローみたいな感じで勉強したんですけど、
大学って保険を作るのも良くないなと。
目標としてはプロになってサッカー選手になるためにって思いでアルゼンチンに。
20歳ぐらいですね。
じゃあその頃は大学進学自体をすごく目標にされてたっていうのって、
やっぱりサッカーをやりたい。
サッカーやるには何をしながらやろうかっていうことだったんですかね。
そうですね。
とりあえずセンター試験までは受けたんですけど、
試験会場でやっぱりサッカー選手になるために保険は作らないってなんか気持ちがあって、
もう全部身をつけて帰った。
マークシートも全部身をつけて。
なんで結果とかも分からずにアルゼンチンに行くんだって思いで。
試験会場まで行かれて、試験を受けるつもりで行かれて、
でもなんかその試験始まったらもういいやというか、
こっちこれじゃないなって。
一回ちょっともうセンター試験の受験票をちょっと行かないために破ったんですけど、
うちのお兄ちゃんがもう一回なんか大学を入り直すってなんか受験勉強するとき、
一緒に勉強をしてた時期で、
まあとりあえず受験しなよって言われて行ったんですけど、
そうですね、全部任を書いて。
ああ、そうだったんですね。
分からないときはマークシートとりあえず2をつけるって聞いたことあるんですけど、
最初から全部2っていうのは。
そうですね。
ああ、そうなんですね。
でもまあもうその時は何だろう、
態度を立つっていうのもいいんですけど、
もうねはっきりお決めになられてたんですね。
で、アルゼンチンのサッカー留学は突然じゃないんですよね。
きっとねこれどうしてアルゼンチンに。
そうですね、なんかブラジル、
カズに憧れてたんでカズはブラジルに留学してて、
ただブラジルだとちょっとあんまりのけものに、
チームの練習参加できないチームもあるっていうのは聞いてまして、
アルゼンチンはそんなことないっていうような形で、
当時アルゼンチンの一部リーグのアンダー21のカテゴリーに練習生で入ったっていう。
その何か案内してくださった方とか紹介してくださった方とか、
その何か繋がりを作ったのはどういうふうに。
そうですね、サッカーの留学の会社ってほど大きくないんですけども、
そういうやってる方がいまして、そこを通じて。
アルゼンチンがいいんじゃないか。
そうですね、はい。
どのぐらいご準備されました?アルゼンチンに行かれるまで。
いや全く語学とか全然勉強せずに、
もう勢いだけで、準備とかは納得になる。
勢いだけで。
すごい勢いですね。
スペイン語ですよね、アルゼンチンに。
スペイン語ですね。
じゃあスペイン語をちょっと勉強してから行くとかではなく。
ではなく、もういきなり。
いきなり。
お一人で行かれたんですか。
そうです、一人で行ったんですけども、
サッカー選手の代理人のやってる日系の方がいて、
その人の家に住まわせてもらって、
他の日本から来てた選手たちと一緒に住んでたんですけど。
そこでじゃあサッカーどっぷりの話が。
そうですね。
当時のいたチームメイトが、
アルゼンチン代表のこの前一番直近の
ワールドカップ優勝したゴールキーパーでいまして。
その方とは今も繋がってますか。
いや繋がってないです。
連絡先は。
お互い覚えてるんじゃないかな。
そうそうですね、覚えてもらえると。
そうなんですね。
それでアルゼンチンにはどのぐらいいらっしゃったんですか。
アルゼンチンには1年ぐらいですね。
1年ぐらい。
で、現地でサッカー三昧をされて、
それでもう1年後に帰国されたんですよね。
それはどういう経緯だったんですか。
そうですね、一応アルゼンチンの3部のチームと契約はしたんですけども、
就労ビザが下りずに、
3部のチームは低いレベルなのでなかなか下りずに、
時間がかかったので、
それだったらちょっと日本に帰国して、
日本のチームでやろうかなって思いまして、
いろいろJリーグのチーム3つぐらいテスト受けたんですけども、
ダメで、
当時石川県でJリーグ目指してる社会人のチームにテスト受けて入れたので、
そこに行ったという感じです。
ビザの問題だったんですね。
だからサッカーに対する情熱が失せたとかじゃなくて、
サッカーやりたいんだけども、
ちょっと別の事情があって、
日本に帰られて、
やっぱりサッカーを続けて。
その頃はやっぱりJリーグというのが目標で。
Jリーグになりたかったですね。
アルゼンチン時代はどうでした?楽しかったですか?
アルゼンチン時代、
初めて海外にその時行ったんで、20歳で。
何もかも、
建物とか車とか、
全然何もかも違って、
すごい新鮮でした。
目に映るものが全て。
日本とちょっと違ったんで。
人もそうですし。
すごい経験されましたよね。
でもそこからまた今度は日本に戻ってこられて、
でもサッカーを続けられて、
そこからどのくらい社会人、サッカーチームに?
そうですね。
1年半くらいやってまして、
チームを変えようかなっていう。
チーム的には残ってほしいって言ってもらえたんですけども、
どうしようかな、チーム変えようかなって思って対談したっていう。
別のチームに行く予定もされてた?
そうですね。
どこのチームが決まってなかったんですけども、
とりあえずやめて。
先にやめて。
そうなんですね。
その後で警察官というのはどういう流れなんですかね。
ちょうどその時は22歳くらいだったんで、
みんな周りが大学卒業するような年だったんですよね。
当時ちょっと付き合ってた方がいまして、
そういう将来的なことも考えて、
公務員になっても安定するんじゃないかっていう思いもありつつ、
ただ作家も続けたいっていう思いもあって、
どうしようか迷ってる時にちょうど地下鉄に警察官の採用のポスターが剥がれてて、
これ何かなと思ったら警察官の採用のポスターで、
で、願書が警察署で受け取れるっていうのが書いてあって、
地下鉄のすぐ出口に直近に警察署があって、
とりあえず願書を受け取って試しに受けてみるかっていう感じで。
その剥がれたポスターを偶然見かけられて、
たまたまその近くに警察署が。
そうですね。
じゃあ願書をもらってみようか。
それまでは警察官というのはあった?
いや全くないですね。
ただ公務員で拘束で給料が高いもの何かって調べたら警察官が出てきて、
そういうのもちょっと頭にありつつ、
ポスターに目がいったんだなっていう。
ポスターは青山先生が通る前に剥がれてくれたのかもしれないですね。
そうですね。
見てもらおうと思って。
それでじゃあ受けてみようと。
警察官の試験を。
で、警察官になられた。
そうですね。
そこはご自分のお気持ち的にはもうすんなりというか、
よしじゃあ警察官になろう。
そうですね。
愛知県が実家だったんで、
チーム探しながら警察官の採用試験とか受けたんですけど、
その時警備員のバイトをしてたんですよね。
なんで親的には警備員から警察官になって、
一種の昇格じゃないですか。
昇格。
親的には安心してたっていうのがありますし、
自分もなかなかサッカーで食べていくのは難しいっていう気持ちもあって、
ただサッカーはすごい伸びてた時期だったんで、
ちょっと後悔も少しはあったんですけど、
警察官に入った。
警察官のお仕事されながらもサッカーは辞められてないんですよね。
ずっとこの間も続けていらっしゃったんですか。
そうですね。
真剣にっていうわけじゃないですけども、やりながら趣味で。
じゃあお仕事の後でサッカーの時間を作って。
そうなんですね。
試合とかも出られた。
そうですね。
警察官のお仕事はどんな仕事されてたんですか。
最初は交番勤務が主だったんですけど、
24時間勤務で、
一番最初に100等番を受けて対応するのが交番の警察官なんですけども、
そういうのに現場に最初に駆けつけて。
ただ途中から愛知県ペルー人がすごく多くて、
スペイン語の通訳が警察官にいなかったんですよ。
スペイン語の通訳を愛知県警独自に育てるというプロジェクトがありまして、
その採用試験みたいなのを申し込んで、
それで受かって、
1年ぐらい語学学校に仕事でずっと通わせてくれてて、
それでスペイン語の通訳人という県警の本部長から指定を受けると通訳になる。
有りながら通訳人でもあるという。
なので交番に勤務しながら、
その警察署のスペイン語関連の事件もそうだし、
相談で窓口でスペイン語しか話せなくて困ってるから来てくれとか、
そういうスペイン語が必要なときに交番から抜けていくっていう、
警察の中でもかなり特殊な変則的な勤務みたいな感じ。
そうですよね。
事件とかトラブル以外にも本当にお困りになって、
日本語じゃなくてスペイン語じゃないとできないという方もいらっしゃいますもんね。
すごく特殊なポジションになりましたね。
でもそれはアルゼンチン時代の語流学が役に立ったというかね、
繋がりましたね。
お立場的にはずっと警察官でいらっしゃって、
作家もしつつ、
次の転機ですよね。いよいよ放送の道なんですけど、
これがどういうふうに転機になったんですかね。
もともと警察官になっても本当偶然というか、
たまたまポスター見つけてなっただけで、
他に何か自分に可能性を見つけたいと思って、
最初はワセダの通信、インターネットを受けながら、
私の大学に入りまして、
そこは人間科学部だったんですけど、
憲法の授業が法律の科目で一つだけありまして、
法律面白いなということで、
YouTubeで憲法を検索したら伊藤塾長が出てきて、
伊藤塾長が予備校の講師だっていうことが分かって、
それが初めての伊藤誠教授と出会いというか。
その時代は警察官も続けられてたんですよね。
警察官を続けられながら、
ワセダ大学の人間科学部を通信で受講され始めて、
サッカーは続けられてたんですか。
サッカーも続けてました。
すごく忙しいですよね。
すごい、車輪が2つじゃない3つあるわけですね。
そのワセダ大学の人間科学部は、
特に法学部ではなくて、
いろいろな授業を受講されていた。
その中で憲法を。
これたまたまですかね。
必修科目なんですか。
いや、必修でもなかったと思います。
ご自分で選ばれて。
それが結局、伊藤塾との出会いに繋がるんですよね。
それで憲法が面白いなと思われて、
検索されたら多分YouTubeトップの憲法は、
伊藤真子と塾長のお話じゃないかなと思うんですけども。
私ちょっと全然わからないで伺うんですけど、
警察官の方はもう憲法とか刑法とかって、
習うっていうんですか。どういうんですか。何か触れられないんですか。
そうです。警察学校、みんな警察官の方、
最初採用された警察学校にみんな行くんですけども、
その授業で憲法とか刑法とか刑事訴訟法、
は習う。
授業があるんですか。
証人試験でも、憲法と刑事訴訟法と刑法がありますんで。
憲法と刑法と刑事訴訟法。
そうなんですか。
じゃあ、そこでは三つについては触れられては。
そうです。浅く触れます。
そうなんですね。その時は特に。
その時は特にそんなにですね。
なんかお仕事ガチだから、ちょっと興味というよりは、
もうそれやらなきゃいけないっていうことですね。
あらためて大学の方での憲法の授業で、
たぶん全然質が違うものだと思うんですね。
そうなんです。全然質が違って。
で、なんかその少数の裁判官が違憲っていう判断が、
国民のみんなが民主主義で法律が決まって、
それなのに少数の裁判官がその民意を違憲って言って覆せるんだっていう、
それにちょっと驚いたっていうか、
少数でも守られないといけない、その少数派の権利みたいな。
ちょっとその時はよく分からなかったんですけど、
民意を覆してでも守らないものがあるっていうような、
そんな言い方を憲法の先生がされてて、
意味はよく分からなかったんですけど、
なんか素敵だなっていうか、何かちょっと心残りに残って。
ただですね、人間科学部で唯一単位取れなかったのは憲法で。
そうなんですか、いいなと思いながらその単位は取らなかった。
でも心に残ったんですね、それが。
それでわざわざ憲法をYouTubeで調べたんですね。
もう少し知りたい。
もう少し知りたいっていうので調べたら、
塾長が出てきて、でも分かりやすくて、
この人なんか朝まで生テレビとかいろいろ出てるすごい人なんだって思って。
で、ちょうど名古屋に住んでたんですけど、
伊藤塾名古屋校が当時ありまして、
そこに入校のガイダンスみたいなのに来るっていう塾長が。
塾長が。
当時そんなすごい入ろうとか気持ちはなかったんですけど、
ちょっと聞いてみるかっていうか、
この人のことなんか聞けるんだと思って、
ちょっと興味本位で行ったっていうのが最初でした。
そこで生のリアル伊藤誠塾長のお話を聞かれ、
そして。
そうですね。そしてもう、
その時に多分何か心に刺さったものがあったと思うんですけど、
もうその日に入塾を決めて、
授業料の半分をATMから全部引き出して払って、
入塾をその日に決めて、
で、ワセラン通信はやりたいことを見つけるための通信だったんで、
やりたいことはやっぱり法律の勉強だと思って、
ワセラン通信はやめて、
警察官を続けながら伊藤塾で勉強を始めるっていう。
警察官されながらワセラン大学の通信課程を受講されていて、
そこから伊藤塾との出会いがあって、
大学を辞められて伊藤塾に入った。
でも警察官ではあった。
すごく行動力をお持ちですよね。
ちょっと考えようとか、
伊藤塾長のお話聞けたらよかった。
入ってみようかなって。
ちょっと帰って考えてみようって思わず、
ATM行っちゃったんですね。
すごいですね。
伊藤塾の当時入ってたビルの1階にコンビニがあったので、
そこで下ろして記憶が今でもありますね。
もうだからお話聞かれて即決だったんですね。
だけど今警察官でいらっしゃること、職業をお持ちであるということと、
それから大学に行かれてて単位も相当取られてたんですよね。
半分くらい取られてて。
そこで大学のほうをスパンと辞めてっていうのは相当の決心だと思うんですけども、
それどうして素早い大きな決断をされたというか。
そうです。警察官の大学卒業したら給料増えるかなと思ったって、
ちょっとそういう部分もあって入った部分もあったんですけど。
ただ警察の人事の方に聞いたら、給料を卒業しても増えないと言われてて。
そうなんだと思って。
それだったら自分の主体勉強しようと思って、伊藤塾でっていう感じですね。
もともと青山先生の場合は大学に入学されよう、通信課程に入ろうと思われたのが、
大学の勉強をするというよりはやっぱり自分の本当の道を見つけたい。
そのためにちょっとこちらで学んでみようということですよね。
それで見つかっちゃったんですね。放送の道が。
すごいなあ。
じゃあそこで迷ったとかはないんですね。これだって思われたんですか。
そうですね。今まで小中高の勉強はあんまり面白いと思ったことなかったんですけど、
法律の勉強だけなんとなく面白いなって思ったんで、
そうですね。これだっていう感じなんですけど。
その時は伊藤誠塾長のお話というのは憲法の話だったんですか。
法学入門みたいな感じなんですね。
何の話だったんですか。ちょっともう覚えてないんですけど。
というのは、そこから放送の道に受験をしようとなった時に、憲法だけじゃ当然なくて、
たくさんの刑事訴訟法と刑法だけでもなく、いろいろあるじゃないですか。
入校当時は弁護士にどうしてもなりたいというわけじゃなくて、
刑法とか刑事訴訟法とか、警察の実務でも行きますし、証人試験にもつながるんで、
そういうのもあって、とりあえず勉強してみたいと思って入って、
もうそんなすごく弁護士にどうしてもなりたいという感じじゃなくて、
興味本位でとりあえず突っ込んだという感じです。
興味本位でATM入って、すごいですね。
独身だったんで、
でもそれだけ心をつかまれるお話だったのかもしれないですね。伊藤寿久のお話がね。
でも分からないけども、刑法、刑事訴訟法、憲法は少なくとも、
警察官の自分には役に立つんじゃないかとか、また新しい切り口で学べるのもいいんじゃないかとか、
そう思われたんですかね。
そうですか。伊藤寿久に入られて、これは教室でのクラスの受講なんですか?
そうですね。名古屋校は授業はやってなかったんですけど、自習室がありまして、そこで勉強しに行ったりとか。
じゃあオンラインで受講?
そう、授業はオンラインで。伊藤寿久のゼミとかは名古屋校でもありまして、
そこで伊藤寿久の他の社会人の方とか大学生とかと知り合って、モチベーションが割れてきたっていうのがあります。
そこで一緒に勉強されていました。
なるほど。青山先生も社会人で他の職業の方々と出会いで一緒に学べるのが刺激になりますよね。
それで予備試験をまずは目指されたんですか。
そうですね。当時は辞めてまで本気で福岡大学院とか進学してっていうイメージはなかったので、とりあえず働きながら予備試験を目指すっていう感じでした。
福岡大学院を選ぶとなると警察官を辞めなければならないんですよね。
そうですね。はい。
じゃあやっぱり警察官を続けながらご職業を持ちながらの予備試験のルートにしようと。
はい。
それでお勉強されて。
そうです。最初はそうでした。
最初はというのはだんだんどういう変化があったんですか。
半年ぐらい勉強を続けていきまして、やっぱりちょっと弁護士になりたいという気持ちが強くなってきまして、仕事してる時も勉強したいなっていうような思いがあって、働いてる時間がもったいないっていう感覚になりまして。
なんでも辞めて、予備試験を目指す。最初はですけど、目指すっていう気持ちになったんですね。
やっぱり社会人の方がお仕事辞めてっていうのは相当の覚悟が、やっぱり失うものが大きいですから、その先にもっと大きな夢があるとしても相当の決断だと思うんですけども、そこは迷われました?そうでもなかったですか?
そうです。1ヶ月ぐらいはちょっと迷いましたね、さすがに。ただやっぱりやらない後悔の方が大きいなっていうのもありますし、挑戦してダメだったらしょうがないやっていう気持ちで、そうですね、辞めましたね。
これも態度を立たれた感じですね。
そうですね。退職届に試合試験合格のため学業に専念したいんで辞職しますみたいな、そういうのをモチベーションのために書いて、それをちょっと警察署のところで自分のモチベーションのために退職届をコピーして1枚を自分の方で保管して、出したって感じですね。
何かその時に言われたりしたんですか?それについて。
当時の課長とかはすごい、いやさすがに無理だろうっていう感じで言われましたけど、それはもうそうだなっていう感じで思ってましたけど、思いが強かったんです、当時の。
そこでもう受験勉強に志望、自分の道を。サッカーは続けてらっしゃったんですよね。
サッカーはもう続けなくなっちゃって。
そうなんですか。
運動もしなくなり、辞めてですね、東京のライブの授業を受ける。今まで名古屋でインターネットで受けてたんですけど、ライブの授業を受けるたびに新聞配達で住み込みしながら東京に行ったんです。
東京にお住まいになりながら新聞配達をしながら伊藤寿君。
はい。
渋谷校に通って。
毎日行かれてるんですか。
そうです。
新聞配達って朝早く起きて。
朝早く。
配達して回ってから伊藤寿君へ。
そうです。その後も夕刊とかもあります。夕刊配り終わりた後、伊藤寿君へっていう生活が。
すごくハードだと思うんですけども、新聞配達以外はひたすらお勉強をされてたんじゃないですか。
ただ新聞配達に結構時間が、就勤とかもあって取られてしまって。
警察官の方が時間が取れたっていう。
そうなんですね。
ちょっとなんで辞めちゃったんだろうっていう気持ちになって。
給料の半分以下になっちゃいましたし、もうその時が本当にもう絶望。
そうなんですね。新聞配達配ればいいってわけじゃん。配るのも大変だけど。
それ以外の業務もあるんですね。
じゃあその時は肉体的にもだいぶハードだったと思うんですけども、精神的にも自分の選択がこれで良かったのかなみたいなところは感じられたんですか。
そうですね。感じて。
少子圏までの道のりがあまりにも果てしなかった。当時全然勉強始めたばっかりだったんで、先がもう見えなすぎて。
台風の時に、新聞配ってる時にもうこれからどうなっちゃうんだろうみたいな感じには。
くじけそうな感じ。
ただですね、偶然ですね。新聞配達の就勤先に、すごい元日本代表の名前は言えないんですけど、すごい憧れのサッカー選手がいまして。
で、その時に今の状況、アルゼンチンに行ったとか、今少子圏目指してるっていう状況を話したら新民になって聞いてくれて。
で、それがすごいこの人に合格を伝えたいっていう思いで、一つのモチベーションになって。
それ偶然なんですか?
新聞の高読者のお客さん。
高読者のお客さんがすごい有名な、みんな知ってるような方。
で、「何々選手ですか?」みたいに言われたんですか?
すごい出会いですね。
じゃあそれが大きなモチベーション。
モチベーションになりましたね。
励ましになりましたよね。
すごい良い方でしたね。
すごい、それもなんか運命な感じがしますけれども。
それで勉強をまた頑張ってみようと。
そうですね。
でも、今までずっとアヤマセンのお話を伺って、ご経歴がすごくいろいろなことをご経験されてたから、これだけのボリュームになりましたけれども。
やっぱり一貫されてたのが今日のテーマなんですが、情熱に従って行動することの価値ですよね。
それをまさにされてきたんだと思うんですが。
この情熱に従って行動するということを自分がやってきたということについて、どういうふうに今思っていらっしゃいますか?
そうですね。
情熱に従って新聞配達の時は、もう本当に人生どうなるんだろうかっていう経験もしたんですけど。
ただその時のどん底の経験がやっぱり今にちょっと生きている部分もありまして。
あれより大変なことはなかなかないだろうっていうような気持ちにもなりますし。
情熱に従って行動して大変な部分もありますけど、やっぱり自分の気持ちに正直に生きるってことはやっぱり大事なのかなっていうのは。
そうですね。なんか伺っていて、情熱がぶれなかったということもすごく感じましたし。
あとやっぱ行動力がすごく終わりですよね。
これだと思ったらすぐ行っちゃうんですね。
それは本当に素敵ですよね。
私のなんとなくの経験なんですけども。
人生って人は人の中でしか生きられないので、いろいろな人に助けていただく場面って多いんですよね。
自分のことをすごく愛してくれる人、好きでいてくれる人、お世話になっている方、近くにいる方に助けられて私たちで生きていけるんですけども。
一方で全く赤の他人というか、全く無関係な方にふっと出会って、ふっと助けてもらうっていうことって、なんか私も経験上あって。
本当に何の関わりもない方なのに、人生で大きな転機をもらえたとか。
そういうのってあるなって、先ほどの新聞配達されて作家選手の方に出会った偶然のお話を伺って、こういうことあるなって思ったんですけども。
でもそれもご自分が情熱に従って続けてきたからの出会いだったのかなと。
新聞配達を東京でされなければ、多分わからないけども出会いがなかったかもしれないですね、その方とかね。
そうですね。勉強自体は時間がなくなってしまって、そこまで効率的に新聞配達自体はあまりできなかったんですけど、
今後のその正式に対するモチベーションという意味では、やっぱりあの時会ってなかったら、もしかしたらここまで続けて残れなかったんじゃないかなとも思ってますね。
もしかしたら一番心がくじけてた時期に出会いがあったんですかね。やっぱり助けてもらったんですね。
すごく運命的な出会いだと思いますね。
その時期に伊藤塾でどのような勉強をされていたか、具体的な勉強はまた別のエピソードで詳しくお伺いしたいなと思います。
どうもありがとうございます。青山先生には次回もお付き合いいただきます。引き続きよろしくお願いします。
さて、この番組ではリスナーさんからのお便り、リアルボイスをご紹介しています。
今回はリョウガさんからのリアルボイスです。現在公務員の方とのことで、このようなメッセージをいただいています。
自分の気持ちを信じ切れず受講をするかどうか悩んでいます。
これはあの試合試験予備試験のお勉強を始められるかどうかを悩んでいらっしゃるということなのかな。
ちょうどですね、今日青山先生のお話をたくさん伺いましたけれども、タイムリーにですね、このリョウガさんという方が自分の気持ちを信じ切れず受講をするかどうかを踏み出すかどうかということですかね。
悩んでいらっしゃるということで、いかがですかね、リョウガさんに対して。
そうですね、まあ向いてるかどうかもとりあえずちょっとやってみないとわからない部分があるので、
まあとりあえず私の意見ですけども、とりあえず始めてみていただいて、それで判断してもらった方がいいのかなと思います。
最初からそんなに覚悟を決めてやる必要もないんじゃないかなと思います。
そこまでガチで絶対と思い切れてから受講するのではなくて、まずはちょっと始めてみたらいいのかなと。
そうですね。
ちょっと今多分ご自分の気持ちが信じられないというのは、そこまで自分が貫徹できるのかとか、合格できるのかとか、今のお立場ご職業を辞めるにあたっていろんな迷いがあると思うんですけど、
なんかそれはとりあえず置いといて受講を始めてみるということもできますかね。
そうですね。
それで初めて見えてくるものもあるかもしれないですよね。
ぜひ、りょうがさんには踏み出してくださいという感じですかね。
そうですね。
私もそう思います。頑張ってください。
りょうがさんメッセージありがとうございました。
引き続きご感想ご質問などあなたからのリアルボイスをお待ちしております。
番組詳細欄にあるリンクからお気軽にご投稿ください。
そしてApple PodcastやSpotifyのPodcastではレビューもできます。
こちらにもご感想などをいただけると嬉しいです。
Xでもぜひポストしてください。漢字で合格全書。ハッシュタグをつけてくださいね。
それでは次回、またお会いしましょう。
佐々木臨と青山晃でした。
やればできる。必ずできる。一緒に頑張っていきましょう。