1. PODCAST「石を置く」by WORKSHOP VO!!
  2. 石を置く#020(2026.3)
2026-03-04 47:45

石を置く#020(2026.3)

月1回、30分程度、⁠⁠WORKSHOP VO!!⁠⁠の理事3人、小山田和正(おやまだ・わしょう)、赤石嘉寿貴(あかいし・かずき)、髙橋厚史(たかはし・あつし)で、今、興味あること、取り組んでいること、考えていること、悩んでいること、これからのこと、ついでに当法人の活動報告やお知らせなどについてもおしゃべりしています。

今回(ep.020 – 2026.3 – 48min)は、
・最近どう?
【報告】ZINE「SUBURI STUDIO INSIDEOUT #2・#3」発刊しました。
【報告】2026年2月19日「ぎきょくがよまさる グループV(12)」開催しました。
【報告】2026年2月23日(月・祝)映画『骨を掘る男(日本語字幕版)』上映会と『Whole Crisis Catalog をつくる。青森編 #007』
【報告】2026年2月26日「SUBURI STUDIO」開催致しました。
【告知】2026年3月7日「第4回 悼む日〜映画『東北記録映画三部作 第二部・なみのこえ〜新地町編』上映会」@弘前市 GALLERY DENEGA

という感じの内容です。

次回は、2026年4月初の配信になります。

サマリー

今回の「石を置く」#020では、3月の活動報告と最近の出来事について語られました。赤石さんは週末にサルサに没頭し、あっという間に3月になったと振り返りました。高橋さんは、キッコリーズの事業で新しい仲間が集まり、製材や丸太の加工において顧客との距離が近くなるなど、事業の広がりと面白さを感じていると語りました。小山田さんは、自身のリンゴの木の剪定作業が5年目を迎え、過去の自分の剪定の仕方が見えるようになり、成長を実感していると話しました。また、デザインしたものが残っていくことと、木が成長していくことの対比についても触れられました。 番組では、ZINE「SUBURI STUDIO INSIDEOUT」の最新号の発刊や、映画『骨を掘る男』上映会、読書会「SUBURI STUDIO」の開催報告がありました。特に映画『骨を掘る男』の上映会では、「慰霊とは、その人になるべく近づいていこうとする行為である」という言葉や、遺骨が見つからなかった場合でも「ここでは死んだ人がいなかったことが確認できた」という考え方が印象的だったと語られました。読書会では、信田沙耶子さんと上間陽子さんの著書『言葉を失ったあとで』の第5章「言葉を禁じて残るもの」を取り上げ、自己肯定感などの一般的な言葉をあえて禁じることで、個々の問題や感情を深く掘り下げることの重要性について議論しました。最後に、3月7日に開催される「第4回 悼む日〜映画『東北記録映画三部作 第二部・なみのこえ〜新地町編』上映会」の告知がありました。

最近どう?近況報告
石を置く20回目、3月号を始めていきたいと思います。
代表のOyamadaです。
理事の赤石です。
理事の高橋です。
3月号、20回になりましたね。
えーと、最近どうから行く?
はい。
赤石さん。
最近、そうですね。
まあ、なんか2月、今年の1月から週末ずっとサルサを踊ってて。
毎週ではないですけど、ほぼ毎週。
それが今、3月の今週の末。
札幌なんですけど。
それ、そこまで行くと、その後なんか急になくなったわけじゃないんですけど、ちょうど入ってなくて。
なんかあっという間に3月になっちゃったなっていうので、なんかサルサ漬けだったなっていう。
山の方が忙しくなる感じ?
えーと、山の方もずっと忙しいというか、仕事はあるんですけど。
でも今、会社の方も新しい動きが出てきたりとか、
海賊じゃないですけど、いろんな仲間が集まってきて、製剤だったりとか。
キッコリズは基本山というか、山主さんが持っているその山林を管理したりとかしてるんですけど、
街中の街路樹切ったりとか、そういうのってあんまりやらないんですけど、
そういうことをやれる人とかも集まってきたりとか。
えー面白いな。
製剤できる人。製剤組合というか製剤所で働いていた人が独立して、
その人も入るというよりはチーム作って一緒にやっていくような流れに今なってて。
どうしても丸太の出口みたいなのって市場しかなかったんですけど、
それがもうちょっとお客さんと近くなるというか、要望に応えられるような感じになりつつあるっていう感じで。
大工が大工さんとかともつながったりとか、
なんかそんな感じの動きが出てきてて、なんか面白くなってきて。
いや、アシュくんの前になっちゃうけど、
この前ジーンを出して、
その時にピッコリーズのタジツさんのやつをまた改めて読み直したりしてて。
あれが2年前でタジツさんが言ってたことを何度も何度も繰り返し聞きながらまた文字調整してたりしてたんだけど、
タジツさんがその頃言ってた頃のことがなんかこう近づいてきてる感じがして、なんかすごい嬉しいというか。
今そう感じながら聞いてた。
すごいね。
なんか面白いです。
じゃあアシュくん行きますか。
僕は3月入って、2月、3月ですね。
本格的にリンゴの木の剪定を今していて、
今年で5年目なんですけど、
自分でリンゴの木を切るようになって、
2、3年目とか去年ぐらいまで切ってたんですけど、
やっぱりまだよくわからず切ってたっていうところがあったんで、
なんか5年目で見た時に、なんでこんな切り方してんだとか、
なんかめちゃくちゃだなみたいな、
全然先のこと考えてねえなこいつみたいな感じの見え方になってきて、
2、3年前もやっぱ知らなかったっていうのはやっぱあるのでしょうがないなとは思うんですけど、
なんかこう、そういう昔の自分の知識の無さとか、
なんかそういうのも見えるようになってきて、
過ごしてきた年月がちゃんと身についてるなみたいなのを感じるというか。
いいね。
いいなって思います。
嬉しかったです。
でもまだまだ木があるね。
これいつになったら終わるんだろうなって思います。
バッサバサ切ってます。
なんかいいですね。
活動報告:ZINE、映画上映会、読書会
なんか自分のやってきたことが残るっていうか、
木に刻み込まれてるではないけど、
枝見ると自分のやってきたことが見えるっていうのは。
ほんといいよね。なんかすごい豊かな感じがする。
そうですね。なんか言われてみると、
その感触の得方ってすごい豊かだなって思いました。
なかなかなくないか、そういう気づきが。
自分の成長の気づきみたいなのがある仕事って、
なかなかなさそうだな。
今思ったのは、
大山田さんデザインとかするじゃないですか。
なんかまたデザインしたものが残っていくっていうのと、
デザインしたものが生きてるかどうかっていうのは、
なんとも言えないんですけど、
厚木くんが切ってる木は生きてるじゃないですか。
切ってまた成長してっていう、
デザインってなんかわかんないですけど、
俺の感覚的には作ったら成長していくとかっていう感じがないから、
どうなんだろう、大山田さんどう思うかなと思って今。
いや、どうかな。
自分が作ったものは恥ずかしいと思うことはあるよ。
もうやめてとか思うときはあるし、
それがなんかウェブサイトとかでさ、
どっかの、例えばロゴとかさ、
ああ、マジでまた使ってんだみたいな時があるっていう。
いやいや、似てますね。
わかる。
いいね、最近どうかな、
もうちょっと話深めていきたいような話になってて、
とてもいいけどね。
始めていきますかね、振り返り。
前回の石岡が2月4日に配信してるんですよね、19回目。
その後に、さっき触れたように2月6日の日に
素振りスタジオのインサイドアウトのジーンを
全く新しく2冊出してて、
1冊目の松沢さんの回ですね、
これをまた編集し直したっていうのがあって、
3冊新しく印刷して作っちゃったんですけど、
これは会社に受け取った人の気持ちとしてはどうですか?
ちゃんと中身見てなくて、実は。
田地さんとかにも渡して、
こんなボリュームになってんだっていうのに驚いてましたけど。
そんぐらい?
俺もその確認で読んだりとかして、
田地さんのやつ。
言ってることってそんなブレてないんだなっていうのが、やっぱり。
田地さんが。
あの中で話していたこともそうだし、今、
会社のメンバーでミーティングを月に2回ぐらいするんですけど、
その中でもやっぱり、
いつもというか、同じ考え方ですよね。
悪い意味じゃなくて、
芯となる部分はやっぱり売れずに、
それを10年ずっと、今10年目なんですけどね、
だからそれを売れずにやってきてる。
なのが今、ちょっとずつ成果として身を結びつつあるというか、
っていうところで、
10年、苦しい時も多分すごいあっただろうし、
今もまあ、多少、ようやく黒字になったって言ってたんで会社に。
だから時代だったりとか、やってることは多分変わらないんですけど、
反響、周りの反響だったりとか、
時代というかそういうものが追いついてきたのか、
そこに目が向くようになってきたのか、
なんかそこ、それに、
周りはまた違う動きをしてるからより、
なんていうんですかね、キッコリーズのやってる林業みたいなのが目立つというか、
俺らしかやってないことっていうので、
やっぱり、目を見つけてもらいやすくなってきたりしてるなっていうのを、
今感じてるところですね。
たびしさんのやつもそうだけど、松浦さんのやつとかさ、
3冊目が松本さんのやつとか、
やっぱり作る、一応ね、飽きるぐらい読み返すわけじゃない。
その中で、いろいろこうした方がいいんじゃないかみたいな考えたりして、
編集していくわけだけど、でも松浦さんの話もたじさんの話も、
今回の松本さんの話も、なんかいちいち感動してたね。
本当に。全然お世辞とかじゃなくて、
この3冊まとめられたのはすごいなと思ってたね、自分でも。
こうやって残して後から見れるっていうか、
状態にしたっていうのは、いやー、我ながらすごいなっていう。
足が受け取ってどうだった?
テンション上がりました。
その3冊あって、こんなにやっぱり熱いんだって思って。
で、まだちゃんとは読めてないんですけど、
ワークショップ語の歴史みたいなものじゃないですか。
僕が知らない時代の松浦さんの時だったり、
また僕が一位参加者として参加してた時のたじさんのことだったり、
今回内側の人間として参加した、
さっきのやつだったりとか、
嬉しかったです。受け取って。
単純な読者みたいな立ち位置での受け取り方ではないかもしれないですけど、
大切なことだよなって思いました。
こうやって形に残って、
気づいた時に手に取って読み返せるっていうことは、
必要なことだよなっていうことを思いました。
はい、そうっすよね。
なかなか手作りなので、
冊数も作れないし、
ガンガン販売して、宣伝して販売していこうという気持ちもあまりないから、
これに気づいた人はぜひ読んでくれたら嬉しいですね。
本当にすごい内容なので。
じゃあ次いきますかね。
次がですね、
メールレターを同じ日に発行してて、
その後が19日がギキヨクが読まさるやってますね。
2月19日のギキヨクが読まさるグループVの第12回目を行いました。
誤動を待ちながら白水ユーブックス版の読みを、
今回20名だったので、
最初の7ページから20ページまで行いました。
その後もシェアの時間の時に感想が出たんですけど、
ゆっくり読むのが難しいみたいな話が個人的に面白かったなと思って、
1巡目の1回目の時は7ページから23ページまでだったんですけど、
2巡目の1回目は7ページから20ページまでっていうページ数で、
全体的に多分ペースが一定になってゆっくりになったんだと思うんですけど、
その話から何かをゆっくりやるって難しいよねみたいな話になったと思うんですよね。
ダンスとか、あとバイクに乗るっていうことでも、
ゆっくり何かをするっていうのは、
早くやるっていうことよりも独特の難しさみたいなのがあるみたいな話が面白かったなと思って。
確かに。
ゆっくりの話って赤井さんが話し出したんじゃなかったっけ?
そうですね。
面白かったね。
そうですね。
最初なんでその話しだったのかはもう忘れちゃったんですけど、
ダンスもゆっくり踊るっていうのはやっぱすごい難しいよなっていう話でしたよね。
確かに。
ゆっくり、今思いましたけど、ゆっくり動くってやっぱ、
何ですかね、
ダンスでまた例えるとですけど、
右足の軸に乗ってるとこから左足の軸に乗せ替えるとかってすごく本当は難しくて、
右足で支えながら徐々に左に乗っていくっていう、やってみるとわかりますけど、
すぐ動きたくなっちゃうっていうか、すぐ左に乗っちゃいたくなるっていうところとか、
ゆっくり歩くとかも結構難しいと思うんですよね。
足の裏を全部使って体支えながら次の足出してっていうところに行ったりとか、
だからより体の使い方とか体の方に集中していくっていうか、
細かい筋肉とかそういうところに多分集中していくようになるから、
読むときもやっぱりゆっくり読んでると、
間だったりとか、呼吸っていうか、
そういうところに集中していきますよね。
結局息を出してるっていうか、喋るとき、だからゆっくり出すとかって難しいし、
とか、より集中力が必要ですよね。
だなって思いました。
確かに。
あのウォーキングメディテーションってあってさ、
それを足の裏に意識集中してゆっくり歩くっていうやつで、
それはとにかく難しいんでね、やっぱり。
いちいち足の裏に意識集中してさ、今かかとつきましたとかっていう感じで意識集中してて、
それが今言ったアパシさんみたいに体に意識向けるとか、
それがだんだん心に意識向いていくっていうか、
そういうところがあったなと思ったりして。
ゆっくり言って、そうだね、だから声をゆっくり出すっていうのは、
これも体の話なのかな、呼吸の話?
そうですよね、だから普段どうしても早くやらなきゃいけないし、
いろんなこと、アツいことないけど、
リンゴの剪定とか、あと何本やらなきゃいけないんだ、
お昼の出にみたいな、自然の、
自然がどんどん移り変わっていくから、
そういうことに合わせてやっていかなきゃいけないことがあったりすると、
どうしてもゆっくりやりたくてもゆっくりできない。
お金稼ぐとかっていうところが、稼ぐっていうか、
お金なしに今は生きていけないから、
そういうところも重なってくるから、どうしても、
放っときゃ別にいいのかもしれないけど、リンゴの木を。
でもやっぱり、
早くやんなきゃいけないっていうのは、
そういうところと結びついたりとかも、
いるよなって今思って。
いつも早く動かなきゃいけないところを、
ギキョクの時間は、
極限までゆっくり、
普段そんなスピードでしゃべんないよなっていうところで、
やれるっていうのは、
特別な時間だなって思います。
時間として。
そうですね。
確かにゆっくりの話はすごく面白かったなって記憶がある。
松下さんあとありますか?
そうですね。また来月も引き続きやっていきますということで。
じゃあ、議学が終わって、次2月23日ですけど、
映画『骨を掘る男』上映会での深い考察
うちのお寺で骨を折る男の日本語字幕版の上映会がありましたね。
これはですね。
あちくんいく?
はい。
感想?
感想でいいですか。
シェアの時間って何の話だっけ?
あんまり覚えてないんですよね。
なんかすごい大切な話はたくさん出たと思うんですけど、
人を痛むとかお葬式のやり方が、
今すごい変わってきてるみたいな話を山田さんされてたのが、
すごい面白かったなって思いました。
何だったっけな。
何の話したんだっけな。
そうそうそうそう。
主役の串堅さんがこの映画の中で、
慰霊っていうのは、その人になるべく近づいていこうとしていく行為というか気持ちっていうか、
そういう話を、そういうのを慰霊って言うんだっていうような言葉があったんだよね。
言ってましたね。
それと今のお葬式っていうのを比較してみると、
つまり誰かに近づきたいって思うから、
慰霊が必要になってくる。
うまく言えないな。
とにかく誰かに近づきたいって思う気持ちが一番で、
それをこの串堅さんは骨を掘るっていう行為で、
近づこう近づこうっていうことをしてるわけだけれども、
この一方で、
今のお葬式のあり方とか、お葬式とか全くやらない人もいるし、
観測派っていうのは、つまり、
関係性の希薄なんじゃないかっていうところをお話したのかな。
その話ですね。
そもそもその人に別に近づきたくもないしみたいな思ってたら、
別に葬式とか何もいらないわけだからだけでっていう話をしたのか。
全部任せちゃうみたいな話をしてましたよね。
お寺とか葬式屋さんに全部丸投げしてみたいな。
そうだよね。
あの場では話してなかったことなんですけど、
改めていただいたパンフレットとか読みながら、
気になったっていうか印象に残ってたところが、
我慢に入って串堅さんが金属探知機を使って、
骨をというよりかは亡くなった方が身につけていたものに、
手がかりにするために金属探知機を使って、
遺骨の場所を検討つけて掘るっていうことをされてるんですけど、
その音がしなくなるまで同じ場所をずっと掘り続けるっていうことをおっしゃっていて、
骨が見つかったら、
埋もれてた誰かの遺骨がまた火の光を浴びて、
もしかしたら家族の元に帰れるかもしれないっていうことで、
やっぱりそれはいいことで、
でも骨が見つからなかったっていう場合でも、
やっぱりそれはいいことなんだって。
なぜかっていうと、ここでは死んだ人がいなかったっていうことが、
確認できたから、
やはりそれはそれでいいことなんだっていうことを、
具志堅さんがおっしゃっていたのがすごい印象に残ってたんですよね。
見たときにやっぱり遺骨が見つかるっていうのが、
具志堅さんにとっても一番の喜びというか、目的を達成したということで、
いいことなのかなって思ってたんですけど、
そこになかったっていうことも、
やはり具志堅さんにとってはとてもいいことというか、
自分が骨を掘るっていう行動的異例の行為の意味があったっていうことを確認するものなんだなっていうのが、
その考え方というかはなかったなっていう驚きがありました。
本当だよね。
そこもいいシーンだな。
そうだよね。
なんか全然違う話が今ぽっと思いっかけちゃったんですけど、
何かなくてよかったなとか、
会ったら会ったで異例になるっていう話とか、
病院の先生とかも、
患者さんはいたらそれは治したりだとか、
回復させたりだとかっていう行為とかは、
それはそれとして、
いいっていうのか、いい悪いで言ったらいいっていうふうなこととして捉えるけど、
本当だったら患者さんが来ないこともいいことだなって今一瞬思ったんですよね。
なんかお医者さんはいるけど、
でもお医者さんの目的ってみんなが健康でいることとか、
それ人それぞれかもしれないですけど、
だからそこに来ないってこともいいっていうか、
みんな元気で暮らしてるんだろうなっていう、
そういうふうに捉えられるんだろうなとか今一瞬思った。
そうだね。
確かに。
ないことがいいっていう。
いいっていうね。
昔竹中尚とかの映画があってさ、
消防署の話なんだけどさ、
暇なんだよね。
それがすごいよくて、設定が。
暇な消防署みたいなやつで。
ですよね本当は。
そうそう本当にいい設定。
そうだね、思い出したんだけどさっき、
骨を折る男の配給会社の東風っていうところからメールが来てて、
感想シェア会につきましても大変嬉しいご報告をありがとうございます。
映画館の上映ではなかなか個々に感想を共有するような場を作れないのですが、
対話の時間を作ってくださることで、
それぞれ映画を見て持ち帰るものがより特別なものになると思います。
素敵な試みを続けてくださり、改めて感謝申し上げます。
こちらの力が及ばないところもあり、
映画館での上映機会がない地域も多い中で、
上映会を企画してくださる皆様には、
いつも頭の下がる思いです。
っていう感じで。
メールいただいてますね。
続けていきましょう。
地味に。
ということで、このぐらいにしておきますかね。
骨を掘るわと。
次が2月26日の素振りスタジオですね。
読書会「SUBURI STUDIO」での言葉の力
これは赤井さんが会長の関係で、
僕がファシリテーターをしたんですが、
今回は前回から続き、
信田沙耶子さんと上間陽子さんの
言葉を失ったあとでっていう本の、
今回は第5章、
言葉を禁じて残るものっていうのを
読書会をしたんですけど、
そうだな。
記憶に残ってるところだと、
やっぱりこのタイトルになってる、
この言葉を禁じて残るものっていうところが、
これはですね、
信田さんが話を聞くときに、
相手に禁じていることになるっていう話が
あったよね。
これはすごい面白くて、
例えば自己肯定感とかさ、
あったら、
その自己肯定感っていうものを
禁じるっていうね。
それがすごい面白いなと思って。
あとは母の愛とかさ、
愛情とか、
あとだって親ですからとか、
っていう言葉を禁じるっていうのが、
本当に
なるほどなと思って、
確かに、
なんとなくみんなに通じる言葉っていうのが、
やっぱり危険だなっていうのは、
危険だなっていうよりも、
なんかそれで片付いちゃった気がするっていうか、
それをわざわざ禁じて、
違う言葉を使わせるっていうのは、
すごく
良かった、
良いなと思ったところだったな。
確かに自己肯定感とかさ、
みんなが使っているような言葉を使うと、
相手も納得するし、
自分も納得するし、
なんとなくぼんやりそれでみんなOKみたいな感じになるっていうか、
それをわざわざ禁じて、
違う言葉で表現させていくっていうのは、
やっぱり相手にとっても、
改めて、
自分の中でその自己肯定感っていうものを
簡単に片付けてたものが、
その自己肯定感って言ってるところの
ディティールっていうのを改めて自分で考える機会を与えるし、
それがやっぱり言葉に出てくれば、
やっぱりその人の
個別の
なんだろうな、
個別の問題っていうか、
そういうのを
自分でも気づくだろうし、
聞いてる方も
具体的に
理解できるようになるんだろうなっていうところがあったな。
でも同じところがやっぱり
印象的でしたね。
一番印象に残ってます。
別の章で、
好きって決めたら好き
っていう話があったじゃないですか。
付き合ってる男性から
暴力を振るわれたけど、
その好きっていう
関係性の中で起こったことだから、
それは暴力ではないっていう
そのことを
好きって決めたら好きっていう
言葉で
言ってたところなんですけど、
それともちょっと近いのかなって
思って
完全に
似てるわけではないですけど、
ベクトルが近いっていうか
なんだっけな
言葉が先なのか、感情が先なのかみたいな
話もちょっとしたじゃないですか。
その野下さんが言葉を禁じるっていうところを見たときに
言葉が先なのかなって思ったんですよね。
自己肯定感とか
自己肯定感っていう言葉とかも
なんて言えばいいんですかね。
どう言えばいいんだろうってずっと考えてるんですよね。
感情を表現するために言葉があるんじゃなくて
その言葉を使ってるから
感情が湧いてくるっていうことについて
どう言えばいいんだろうっていう
難しいな表現が
なんか別な話だけどやっぱり
身体
身体が
感情とか心とすごいやっぱり関わり合ってるっていうので
心を整えるよりも身体を先に整えちゃうと
気持ちの方が整っていくみたいな
だから
身体とか言葉とかも
身体に近いというか
のかなって今一瞬思って
例えば呼吸が
呼吸知らず知らず心が不安になったりとかしてるときって呼吸が浅くなったりとか
身体が怖がってたりとかするけど
その感情の不安を
どうにかして頭でいろいろ考えて取り除こうって
思ってもなかなか取り除けないんだけど
深呼吸して
たくさん息を吸えるように
身体ほぐしたりとか
そういう風にしていくと
感情とかってそれに伴って
落ち着いてきたり
っていうのもあるから
ずっとずれたかもしんないけどそういう言葉
言葉が感情を作ってるのか
このショーの先に出てくる
信頼できる人たち
との出会いが
抑えてた悲しみを
顕在化させるっていうか
そういう話があったと思うんだけど
そこでも重なってくる感じがするな
体の状態が変わるっていうことですもんね
周りにいる人が
自分に強い緊張感を与える人たちから
安心・安全を与えてくれる人に変わるって
さっきの呼吸の話じゃないですけど
安心して呼吸が緩やかになって
っていうような体の変化とかもあって
何かが変わりそうですよね
周りにいる人が変われば
その人たちが使う言葉も変わるだろうし
言葉を自分も少しずつ変わっていくだろうし
アルコール依存症のグループの話とかもあったじゃないですか
自助グループの
語り方をトレースするみたいな話ありませんでしたっけ
語りのフォーマットがあったんですかね
149ページからの
男子会に通っている人と
それから自助グループか
通っている人たちの言葉が違うってことだよね
そうです
話し方のフォーマットを手に入れて
それによって変わっていくってことか
面白いね
告知:第4回 悼む日 上映会
結構長い収録になっちゃったので
まだまだあれですけど
話したいこともあるけど
この辺で終わらせてもらって
素振りスタジオの話は終わらせてもらって
次回が第6章ですね
タイトルが
「ケアと言葉 最後の回」になります
3月
まだ決めてなかったですね
3月末ぐらい
最後の章ですね
そのツールは
読んでいきたいと思います
じゃあ次は
ここまでが報告で
次が告知になるんですけど
毎年行っている「痛む日」ですけど 今回第4回目になるんですが
2026年の3月7日 弘前市のギャラリーデネガで予定しています
映画もですね 東北記録映画3部作の今回は
第2部 波の声 新地町編ということですね
東北記録映画3部作の中では 3つ目 3本目になりますね
全部で4本あるんですけど その3本目になります その上映会を行います
それから去年からちょっと始まった 名前がまだないんですけど
猿田千穂さんのアレもありますね
あれですね
なので どんなほどになっているのかというのが
なかなか伝わらないアレですけども
2026年の3月7日の土曜日で 1時から6時までで
映画の方は2時から開始して
ちょっと感想のシェアしつつ 終わりにするというようなことを
予定してますので
ちょっと興味があればですね 参加してもらえればと思います
そうですね じゃあ今日はこの辺で締めたいと思います
結構1時間ぐらい喋ってるかもしれないです
ですね
はい じゃあこの辺で終わりにしたいと思います
皆さん さようなら
さようなら
47:45

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