はい、石を置く21回目。2026年の4月号ですね。新年度1回目の配信になります。よろしくお願いします。代表のOyamadaです。
理事の赤石です。
理事のたかしです。
はい、新年度1回目ですね。おかげさまでこのWORKSHOP VO!!の第6期ということで、6年目に入りましたね。おめでとうございます。
ありがとうございます。
今年度もなんとか頑張っていきたいと思いますね。最近の話からいきますか。
最近はどうですかね。変わらずサルサを踊り、木を切って、自分に現場を任せてもらえるようになってきてるっていう。
2人で大体現場の仕事をしてるんですけど、自分がリーダーみたいな感じでやることが増えてきて、それすごく面白いなと思ってやってる感じですかね。
木、小さいところですけど、0.4ヘクタールとかすごい小さい面積なんですけど、山の境とかを確認しながらしたりとか測量したりして、
初めから作業して、そこの木を切って出して、市場に持って行ってっていうところまでの流れを考えながらやっていくっていうのがすごく面白くて。
毎回場所が変わるとやり方、やることは一緒なんですけどやり方とかがすごい考えないとうまくいかなく。
たじつさんよく、パズルじゃないけど、そういうゲームというか、木を切るとゴミとか、ゴミっていうか枝葉とかいっぱい出るんで、それの処理の仕方とか考えておかないと後々大変なことになるっていうか。
出口を考えておかないと、ゲームオーバーにはならないですけどなんとかはできるんですけど、後で大変な作業が後々こうどんどん大変になっていくっていう、そういう面白さがあって楽しんでやってます。
もう何年目だっけ、岡井さん。
もう4年目になりますね。
4年でそのぐらい任されるわけだ。
すごいね。
最近なんかあれじゃない、インスタとかにも登場する、メインで登場する。
見てるんですか。
見てる見てる。
たまに、たまに出ます。
たまに出ますね。
そうっすよね。
素晴らしい。
そんな感じです。
ありがとうございます。
あつし君どうぞ。
先月から引き続きリンゴの剪定をやってるんですけど、桜の開花のちょうど1週間から10日後ぐらいにリンゴの花が咲くんですけど。
ってことは早いんだ今年が。
今年早いんですよね。
いつもより早いって言われてて。
花の開花が早いってことは全体の木の生育も早いので。
葉っぱが出て1週間ぐらい経った頃に最初の農薬の散布があるんですけど、それも早まって。
農薬の散布がスプレーヤーっていう大きい機械を使って、車みたいなやつなんですけど。
それを使って全方向に向かって、お薬を混ぜた水をシャワーみたいな感じでバーって吹き出すんですけど。
スプレーヤーを通すために道に落ちた剪定した枝を片付ける作業があって、それが結構時間かかるんですよね。
持ち運びやすいように枝と切った枝をサイズ揃えて切って、燃やし場まで持ってって、燃やすために火を起こしたりもしないといけないんですけど、
切ったばかりの枝だと燃えにくいんで、火が大きくなるまでにまた時間がかかって。
他の人からあんまり話聞くことないですけど、あんまり作業内容としては枝を拾って燃やすっていう作業はあんまりやりたくないっていうか、あんまりやりたがらないみたいな。
なんかそういう腰が重い作業でもあるみたいなので、でもやらないと終わらないからとりあえずやってるみたいな、そういう感じですかね。
枝を切りながら同時に枝を燃やして、この後の作業に備えてみたいな。
でも開花のスピードがいつもより早いので、いろんな作業が毎年毎年で早まってて、でもやるしかないかみたいな感じでやってます。
早まると冬休みが長くなるとか、ということもないですか。
そういうこともないのかな。余裕持ってちゃんとやってる人たちは多分できるんですけど。
うちはまだまだ、あれなんでも素人って言いたいんですけど。
素人なの?
難しいっすね。それなりにはやってるんですけど、まだまだ手際よくは作業できないんで、皆さんの背中を追うかけながら、なんとか喰らいついてるなぁみたいな感じですね。
バリともでもあれだよね、自然の時間に人を合わせていくみたいな感じで、ある意味羨ましく感じるね。
僕なんかもう完全にカレンダー通りみたいな感じで。
人に合わせて。
そうそう、そうだね。人に合わせて。そういうことだよね。
まだ辛いものあるよね、人に合わせてって。
はい、じゃあちょっとやっていきましょうかね。
前回のイシウオクが3月の4日の配信だったので、
今日までの間にやってるのは3つで、
まず3月7日のデネガでのイタムヒっていうのがあって、
16日の奇極なヨマサルのグループVですね。
3月23日に素振りスタジオの3月の回をやってる。
今日3つ話してみようかなと思うんですけど、
イタムヒは3月7日の1時からスペースデネガで行って、
この時はサルタチオさんのアレがあって、
あとはイタムヒの映画上映会ですね。
この時は東北記録映画3部作の第2部の
波の声新地町編というのを上映したと。
これは連続で毎年上映しているシリーズですけど、
来年で最後になりますね、このシリーズが。
という感じでですね、でもおかげさまで
来場者の方は去年よりは多いっていうような感じだったので、
ありがたいなと思ったし、
それから映画の上映会の後にいろいろシェア会をしたりしてるんですけど、
それもやっぱり人数が多いといろんな話が聞けるので、
よかったなっていうのと、
改めて自分でやってても、
この3月の11日の近くにこういう場所があるっていうのは、
本当にこう、自分でやっててもあれだけど、
本当に必要な場所なんじゃないかなっていうのを改めて感じた日でしたね。
あつし君どうでしたか?
でも同じようなことは思って、
今年もその痛む日が来て、
今年も来たなっていう感じはあったんですよね。
今年15年目に入ってみたいな話も感想のシェア会の中でされてる方がいましたけど、
何ですかね、
その場がないとやっぱり話さないんだなっていうことはこう思って、
多分年が経つごとに震災のことを話す機会ってやっぱ少しずつ減ってて、
なんならやっぱりあるかないかみたいなところまで、
個人的にですけど、やっぱり来てて、
そういった中でこの痛む日みたいな、
やっぱり3月11日っていう日に何か特別なものを感じながら、
みんなで集まって、それにまつわるような映画を見てなったり、
あの日のことを思いながら糸を布に通したり、
みたいな時間があったりすると、
何がどういいのかとか、それが絶対に必要だみたいなことを明確には言えないんですけど、
やっぱりあった方がいいよな、こういう日はっていうのは思いましたね。
そうだね、本当に。
一応ウェブサイトの方には長居敦子さん撮影の写真がたくさん載ってて、
記事の文字数はほぼないっていう写真だけ見て感じてくださいっていうことなんですが、
長居さんの写真もすごく素晴らしいものばっかりで、
雰囲気感じてもらえるかなと思います。
赤井さん何かある?
まあ自分は最初だけ、最初だけかな、最初だけか。
1回?
1回目。
2回くらい来たね。
2回目も2回参加して、
今は敦史くんが震災のことにフューチャーしてましたけど、
何を傷んでもいい日だから、
なんかそういうのも伝わってるか分からない、映画はそういうものかもしれないけど、
それが終わったらまた違うのになっていったりとか、
するのかもしれないし、
なんかその震災があったこととか通して、
また別な何か、
自分だったらやっぱなんか父親とか思い出しちゃいますけど、おばあちゃんだったりとか、
でも自分がファンだった人とか、尾山さん最初喋ってたけど、
そういう人たちを傷んでもいいだろうし、
それぞれが誰かを傷む日に、
でもさっき敦史くんが言ってたみたいに、そういう場所があると、
やっぱそういうことを思い返す機会というか、
普段ももしかしたら時々思い出すかもしれないですけど、
そういう場所っていうのがあった方が、
よりそういう思いとかにしたり、安いのかなとか思ったりはしてましたよ。
語れるっていうかさ、言葉にできるだけで大事なことだなと思って。
その場所があると、それについて安心して語れる場所。
デスカフェとか、やっぱ素振りスタジオもですけどね。
そういう場所って大事ですねって思いました。
そう、だからすごいどんどん大事な場所になっていくような感じは、
今回すごいしたんだよね。
なんかちょっとこう話が、うちのお寺に引っ張ってきてなんかすごい申し訳ないんだけど、
うちのお寺だと3月の11日の日に、
つむぐ日っていう日をちょっと時間を設けていて、
それは毎年3月11日の2時からだいたい3時ぐらいまで。
最初は子どもたちの作文っていうのを読んでもらって、
朗読してもらって、その後にちょっとした慰霊の褒美をするんだけど、
結構続けてきて、今年で毎年だいたい同じ人が集まるようになってきていて、
その後お茶しながら、ただおしゃべりしてるんだけども、
今回も結構みんなだんだん長い時間いろいろおしゃべりしてるようになって、
それなんかずっと見ててすごくいい時間だなと思って、
痛む日もそうだし、うちのつむぐ日っていうのもそうなんですけど、
やっぱり震災っていうのはもちろん軸としてはあるんだけども、
やっぱり知らない人を痛むことができるかっていう思いにも、
なんとなく近づいてる気がするし、
誰かを痛むっていうことによってつながって、
そこからまた新しい流れができていくような感覚っていうのが、
すごく今年はどっちにも感じた痛む日でも、うちのつむぐ日でも、
改めてやっててよかったなと思うし、これからもまた続けていこうかなっていう風にしていましたね。
なんか今、これが合ってるかわかんないんですけど、
誰だろう、知らない、何回も毎年来てれば顔見知りになったりとかしていくのかもしれないですけど、
知らない人も同じように、
全く同じではないと思うんですけど、本当に似た経験をしてたりとかするっていう、
そういうので人とつながれるじゃないですけど、
そういうのって趣味とかそういうものではよくつながれるようなって思ったんですけど、
そういう体験、誰しもがするような、きっと、
そういうので人のことを見れるじゃないけど、
優しくなれる感じがするかなとか思ったりとかして、
この人もあの人もそういう経験してるかもなとか思ったり、
もしかしたらできるようになっていったらなんかいいなとか思ったりしました、少し。
続けてきてよかったなっていう感じで、これからもちょっと楽しみっていうか、
やっぱりますます必要になってくる場所じゃないかなと思うので、
本当にワークショップみたい的な実験場だけど、
でもやってきてよかったなと思った日でしたね。
じゃあ次行きますかね。
次がですね、3月16日ですね。
議局が読まさるグループVですね、がありましたね。
13回目になるわけですね、これが。
あつくん、じゃあよろしくお願いします。
3月16日に議局が読まさるグループVの13回目を開催しました。
議局は誤導待ちながら白水U-Books版のものを使って、
4人で同水読みをしていきました。
今回はページ20ページから34ページまでという進行でした。
終了後のおしゃべりでは、大根と人参を使ったやりとりがあって、
サイズはどうなんだ、ポケットに入るのか、この大根は人参はみたいな、
そういう話をしたりとか、
でもそもそもなんでそんな話になったんだっけみたいな、
やっぱり話の筋が、何だろうな、
普通の物語と違ってこうなっていくだろうみたいな、
裏切られてるような感じもなく置いてかれてるみたいな感じのコントナーとした感じだったりとか、
別役の誤導の劇表を山田さんが紹介してくださって、
そんな感想を共有した時間でしたね。
また来月も引き続き、来月というか今月ですね。
今月もまた引き続き進めていくというような感じですね。
大根と人参のサイズの話めちゃめちゃ面白かったね。
ポケットから出すんだよね、人参も大根も。
だからそんなサイズの人参があるのか大根があるのかっていう話から、
だから若いさんだっけ、若いやつを撮ってるっていうことで。
間引いてきたんじゃないかっていう。
間引いてきたって考えると、やっぱりこの主人公の2人の背景っていうのがまたそこに感じられて、
まあ多分、くすめてきた。
電話だけ入ってみたいな感じですかね。
そうそうそうそう。
まだ育ってないやつを持ってきたんじゃないかとかっていうことをすると、
なんとなくこの2人の背景っていうのをまたこう感じられたりしたなあ。
そういう本なんすか、もしかして。
どういうこと?
いや、なんかその物語に全然、物語のその、なんていうんだろう、
情景みたいなのが全く残らなくて、
それは俺だけなのかわかんないですけど。
だからなんかその、一つ一つのなんかそういう結構仕草とかを描写してるシーンとか、
なんかこう喋る言葉とか、なんかそういうものの方になんか焦点が当たってて、
だからなんか、そのキャラの性格というか、
その人物像みたいな方を描き立てるようにできてるのかなとか今。
ああ、なるほどね。
そういうディティールの積み重ねみたいな感じか。
今大山田さんが言ったようなこと、それぞれにまた解釈が変わるかもわかんないですけど、
くすねてきたのか、まあビーてきてたまたまポケットに捨ててたのか、
優しいやつやなとか思いながら。
そうだね。
なんか普通、普通って言っちゃダメだけど、
劇、劇、劇局、劇局っていう風な、
劇というスタイルっていうかわかんないんですけど、
ただの小説みたいな、ミステリーだったりとかサスペンスだったりとか、
そういう物語とまた違うから、
物語として聞いたりとか読むと、
なんか全然本当に頭に入らなくて、
でもさっきの大山田さんが言ったみたいな読み方というか、
したらまた違うのかなって今思いました。
確かにそうかも。
そうだよね。
ストーリーずっと追っていくと、めちゃくちゃこう見落としてるものにしないそうだよね。
これだけに限らずだけどさ。
そうだね。
こんな感じでいい?熱くなんかある?
こんな感じで。
こんな感じでオッケーですか。
じゃあ、この劇局が読まさればそんな感じで、
今月もまたちょっと頑張って続けていきましょう。
3月23日が素振りスタジオでしたね。
赤井さんお願いします。
はい。
素振りスタジオは、
何回読んできたの?6回ですか?
1章ずつ読んできたんで。
最終章だったね。
最終章、第6章、最終章の本が、
言葉を失った後でという本で、
第6章のケアと言葉っていう章を読みました。
ちょっとまだちゃんとホームページに載せれてないですけど、
まとめというか、
出てたので気になったのは、
その言葉の意味、
使い時だったりとか、
おばあちゃんがかわいいって言う、
男性が言うかわいいっていうのと、
おばあちゃんが言うようなかわいいっていう、
その同じ言葉だけど意味が違いますよっていう話だよね。
そうそうそう。
母っていう言葉を、
タイミングというか、
どういう意味を持たせて使うのかというか、
どういう状態で母っていう言葉を聞くのかっていう、
また受け取り方が変わったりとかすると思うんですけど、
力強さをもらったりだとか、
責任感を強く感じてしまったりだとか、
その言葉ひとつでも、
発信する側なのか、受けて側なのか、
状況によっても変わったりとか、
だから言葉って本当は難しいなって思うんですけど、
そう思いましたね。
タイトルは言葉を失った後だになってるわけ。
確かに言葉言えなくなってくるなっていう。
本当だね。
なんかそんな深く考えてしまったら本当に、
喋れなくなっちゃうなっていう。
でもそのぐらい軽く言葉って話してるなって思いました今。
やっぱさっきの違う話じゃないですけど、
山本さんがさっき厚木君と話してた中で、
どう取られるというか、
こっちはそう思ってないんだけど、
っていうことってやっぱりよく、よくというか。
常に怒ってるんだろうね。
そこでどうやって二人が妥協していくかっていうか、
チューニングしていくかみたいなところもあったし。
そうですよね。その人の中にその言葉の意味が一つしかなかったら、
全然理解できないだろうし。
そうだよね。
って考えると、
そうなってくるとさっきの痛む日とかのそういう、
なんかその人にも違う、自分と同じ、
自分と似たような体験を持ってるっていうか、
全然形は違うかもしれないけどっていう、
そういうところにも繋がってくるのかなっていう。
一個しか持ってない、
たくさん持てばいいってわけではないと思いますけど、
ある程度幅を持ってたほうがいいんだろうね。
なんかその一つの言葉、さっきのかわいいとかでも、
ハッシュタ側と受け取り側で、
なんだろうな、
その間にあるものっていうかさ、
言葉もやっぱり関係性なんだなっていうところはあるよね。
で、その許せないのさ、
やっぱり一つしか持てないとどうしても片方になっちゃうわけでさ、
そこにやっぱりすごいギャップが広がってくるし。
そうだね。
なったときにどうするか。
なんか言葉を尽くしても全く伝わらないっていうか、
あるよね。
すげえ難しいな、それ。
まちくん今、言葉を尽くしても伝わらない話なんだけど。
なんかある?
なんかあるか。
エピソードとかさ、コメントとか。
僕、最後の回、ちょっと体調崩して出れなかったんですけど、
そうだそうだ。
そこから改めて読んで、
ここ気になるなっていうとこ、一つあって、
なんかそれ今のこととちょっと重なるかなと思ったんで、
ちょっと読んでもいいですか。
285ページの、
信田さんのところにこうカウンセリングに来る人たちで、
話せる人たちなんじゃないですかって、
上馬さんが言ったことに対して、
信田さんが、
それはカウンセリングに来る人に対して一種の改革ぶりがあるかなと思うんですね。
実はね、その人たちも体験に圧倒されているわけですよ。
それをカウンセリングに行く以上、
抽象的に語らないといけないんじゃないかと思ってるっていうところが、
なんかこう、いいなと思って。
自分で話してる時もですし、
誰かの話を聞いてる時とかにも、
なんかこれって一般論だよなみたいな、
感覚を覚える時があるんですよね。
その言葉を聞いて、
それってこう、なんかどっかで聞いたような言葉だなみたいな。
そういうことを思うんですけど、
でもこう、
なんか自分が、
その見おいた出来事の体験に、
言葉が間に合ってないから、
自分が今まで使ったりとか聞いてた言葉で、
なんとか対処していくことしかできないんだな、みたいなことを
思ったんですよね。
なので、
自分の場合も、
なんかもっと具体的に言ってほしいみたいな言葉を言われるんですけど、
でも自分の中では結構具体的に喋ってるんですよね。
一生懸命自分の中で起こってることとか、
受け取ったことをなんとか言葉にして、
伝えないといけないし、
運が良ければ伝わってほしいなって思って、
喋るんですけど、
やっぱりそれを相手にとっては具体的でないみたいな時があって、
そこは自分がまた、
もっと頑張っていくか、
ちょっとそれ以上無理だみたいな、
より具体的に喋っていこうとしたら、
自分の中の何かが崩れるっていうか、
傷ついちゃうみたいな感覚もあるような気がしてて、
だから、
今さっきの話とどう繋がっていくかは分からなかったんですけど、
繋がりそうだなと思って、
自分の中傷具体のレベルと相手の中傷具体のレベルの、
相互というか噛み合わない感じで、
なんかきついなとか、
っていうことはやっぱりありますね。
そういう話かだったか分からないですけど。
なるほどね。
自分の体験になっていけばなっていくほど、
すごく具体的に本当はなっていくじゃないですか。
自分にしかできてない体験っていうのかな。
それをそのまま伝えても、
意味わかんねえってなりそうな気がして、
だってその人にとっては全く具体的じゃないから、
そんな体験したことないっていうことだったら、
相手が。
そしたらなんかこう受け取り、
そうなんだみたいなぐらいで終わっちゃうっていうか。
それあるかもね。
具体でどんどんどんどん具体にしていくと、
その人自身のものになるから、
その話になってたよね、6章で。
ぼんやりした話は言わせないっていうのは。
話す方にとってはいいと思う。
自分で自覚していくっていうふうなことだと思う。
自分が体験したことを抽象的にしたら、
誰もが体験するようなことになっていくだろうし、
そうじゃなくて、
カウンセリングに来る人は多分、
本当はその自分がすごい体験をしたっていうことを
本当は話した方が、自分でも理解をちゃんとするために。
具体的な話した方がいいと思うんですけど、
カウンセラーの人は多分聞けるんだと思うんですけど、
誰か誰か近しい人だったりとか、
近しくても、
全部わかってくれるっていうことはないと思いますけど、
本当に夫婦だったりとかしても、
すごい具体的になっちゃうと伝わらないこともあるし、
理解できない。
理解できないまま置いといてくれれば、
それはいいんですけど、
それがうまいこと、理解されず、
うまくいかなくなることもあるだろうし、
夫婦じゃなくても友達だったりとか、いろんな関係性において、
それをカウンセラーみたいに、
そうだねって言ってくれたらいいと思いますけど。
今すごい面白い話してるよ。
その人が体験したことを具体的に語れば語るほど、
相手にとってはものすごい抽象的な話になっていくんじゃないかって思った今。
その人の個人的な体験だから。
それ結構共感とかと関わってて、
多分抽象度が高ければ共感しやすい話になるんじゃないかな。
それが本当に具体になっていけばなっていくほど、
共感しづらい話になっていくし、
分からないっていうか、
なるべく細かく伝えようと思って具体になれば分かるほど、
どんどん相手にとっては抽象度が高くなっているっていうことが起こってるのかもしれないです。
いいね。
そう、さっき安土くんが喋ってたから聞いたらそんな感じがするなと思って。
だからそれは分かる。
より具体的に言っていくと、「はぁ?」みたいな感じになってる。
全く理解できんわみたいな。
面白いね。
必要だと思って喋ってるんですけど、
長い長いって。
カットしてって。
だって聞きたいって言ったのそっちじゃんって。
なんかドロノマみたいな感じになってる。
変な関係ですね。具体と抽象。
面白いね。
でもあれだよね、
安土くんが今引用してくれたすぐ後に、
相談に来てる人が、
要は信田さんの発言だけど、
結構頑張ってくるんですよ、でもねっていう風にして続いてくる。
一番困るのは、私はこういう経験を知ってきました。
だから生育歴の過程で満足な愛着関係を得られなかったんです。
その結果、自己肯定感が形成できずに、
このようなことになっているんじゃないかと思いますっていうのが、
それでもあるんだよね。
こういう風にしてやっぱり用意されると、
その後、信田さんが言われた瞬間に、
私はピキッと切れるわけっていう風にして続いていくんだけど、
さっき安土くんも言ってたけど、
一般的な、なんとなくこう、
みんなそう言うよねっていうやつで語られちゃうと、
カウンセリングの場だとね、
それが良くないっていうか、
カウンセリングにならないっていう。
違うよね。
そうか。
コミュニケーションとか取るには、
あんまり具体的じゃないほうがいいのかなとか、
ただ場を楽しませるじゃないけど、
そういうのだったら、そんな上級によりますかね。
でもこの場合は、
一つも自分の話をしてないってことだよね。
いや、わかんないですよね。
で、どうしたの?
で、どうしたんだっていうか。
そんな感じかな。