1. PODCAST「石を置く」by WORKSHOP VO!!
  2. 石を置く#004(2024.9)
2024-09-03 38:10

石を置く#004(2024.9)

月1回、30分程度、⁠⁠⁠WORKSHOP VO!!⁠⁠⁠ の理事3人、小山田和正(おやまだ・わしょう)、赤石嘉寿貴(あかいし・かずき)、髙橋厚史(たかはし・あつし)で、今、興味あること、取り組んでいること、考えていること、悩んでいること、これからのこと、ついでに当法人の活動報告やお知らせなどについてもおしゃべりしています。


今回(2024.9)は、
・先月の「第14回 DEATH CAFE VO!!
・本の読み方
・先月の「⁠⁠⁠SUBURI STUDIO⁠⁠⁠」について。
・来月以降の告知
という感じの内容です。

サマリー

このエピソードでは、デスカフェにおける「贈り物は何にもない」というテーマを取り上げています。参加者は死についてどのように考え、感情を表現しているのかが探求されています。また、次回のデスカフェやリハビリの夜についても言及されています。このエピソードでは、コミュニケーションの重要性や、聞き手と話し手の関係性が深く掘り下げられています。さらに、体を使わないコミュニケーションや、リモートでの対話に関する課題についても語られています。

デスカフェの振り返り
はい、じゃあ行きますよ。
石を置くナンバー4になります。
9月号で収録してまいります。
代表の大山田です。
理事の赤石です。
理事の高橋です。
9月始まりましたけれども、とりあえず振り返りからやってみたいと思うんですけど、
その前に最近どうですか?
赤石さんどうですか?
最近でいうか、ここ1週間ぐらいずっと雨で家にこもってましたね。
仕事できず。
休み?その時って。
やっと休みと思ったんだけど、なんか雨だとやっぱテンション上がらないのか。
昨日久しぶりに晴れて太陽が出て。
太陽出るとなんか気持ちがフワーと元気になるなっていうか、
っていう感じをつかんであったというか、そういう感覚になって、
なんか外に出たくなって、なんとなく出て、あ、いいなと思って。
なんかやっぱりちょっとテンション下がってたんだろうなと思って自分で雨。
本読んだりとかなんかいろいろ動画見たりとか、やれなかったことやったりとかしてたんですけど。
でも雨が続くとやっぱあんま良くないな、気分。
そう分かるのそれ、確かに。
そう思いました。そんな感じです。
直近は?
最近はずっと会社の経理をしてて、
もう昨日一昨日ぐらいから、そろそろやばいぞってことで、
缶詰で行かず、ずっと家の中で数字といらめっこしてました。
声のトーンがなんか、
そうだね、ちょっといつもと違うな。
ひどいねなんか。
ちょっと止まってたね、今の最後。
なんかもう早くやっとけよって思いました。
なんかそういう自分を呪ったり、
なんかこの国の税の法律を恨んだりしながら、
こういう黒いものが呪うような最近です。
はい。
ちょっと元気出していきましょう。
まず振り返りなんですけど、
前回の8月の7日に石岡が配信しているので、
それ以降ってことになるんですけど、
8月9日に珍しくメールレターっていうのを久しぶりに発行して、
で、その後は、
8月22日、デスカフェですね。
これはもう、僕ちょっと行けなくて、
パッシュ君に任せっきりになっちゃったんですけど、
初めての弘前市でのデスカフェ。
で、パッシュ君が初めてのパシリテーターということで、
テーマが送り物は何にもないっていう本を使ったということなんですけど、
僕ら全然聞いてないので、
パッシュ君とこの辺の話を。
分かりました。
8月22日、なんかすごい天気がグズついてて、
降ったり晴れたり繰り返してたんで、
その時間大丈夫かなと思ったんですけど、
雨もそんなに影響ないぐらいの状態で、
当日、何人だ、5人。
僕も含めて5人で、送り物は何にもないという絵本を使って、
デスカフェをやっていきました。
で、当日お話したことには触れないっていうルールなんで、
そこはちょっと守りつつなんですけど、
面白かったのは、普段のデスカフェ、僕は何回でも1回かな、
去年1回参加させていただいた時もそうだったんですけど、
死に直接まつわる絵本であったり、大体は使ってやられてたので、
今回使った絵本は、死に関わる本ではないし、
むしろ読み終わった時に、すごい爽やかな感動があるような本なんですけど、
でもそれでも、死っていうものを頭に思い浮かべながら、
それを読んだ時に、それぞれ参加されてる方の中で、
まつわる何かがうごめき出して、
言葉になる、みたいな状況があったのがすごい面白かったなと思いました。
なんか、いまだに贈り物は何にもないと、死が続かないんですけど、
その辺って言葉になりますか?
その辺は、
当日もやっぱり、何ですかね、いまだに難しいですね。
難しいですけど、その絵本の中で、
プレゼントを渡すっていうのがすごい大事なこととして描かれてるんですけど、
プレゼントを送るっていう行為も、
意識してるしないに関わらず、
こう、死っていうものが前提にあるので、
そのプレゼント、贈り物っていう営みが際立ってくるんじゃないか、みたいな
こういうお話とかもあって、
だからそうですね、なんか、
いろんな作品とか、
絵本に関わらず小説なり映画なり、
そういう創作物の、何て言うんですかね、
そういう創作物に限らず、僕たちの世界は、
世界にはなんかその行間に死があるというか、
なんかそういうものなんじゃないか、みたいなことを、
なんかこう、
自分で贈り物は何にもないを題材にしようと思って、
そこに直接死に関わる本ではないけれど、
何か死と繋がりそうなところがありそうだなって思って、
はっきりしたものは捉えられなかったんですけど、
漠然と僕たちの存在であったり、
世界の背後には死があるよね、みたいな、
そういうのを当日来てくださった皆さんと、
少しでも共有できたんじゃないかなとは、
振り返ると思います。
参加者の感情と反応
すごいなんか、難しいデスカフェだったんじゃないかとか思っちゃうんだけど。
なんかこう、僕も最初、
ファシリテッドしていくにあたって、
自分でこの絵本を選んで、
でもこれは直接死に関わるものではないから、
でもなんか関わりそうな気がしてて、
なんですかね、みたいな話をまず最初にさせてもらって、
でもそのデスカフェっていうイベントに
行くっていうことが、
そこで参加すること自体でも、
死について考える動きが、
参加者の方でもう始まってるのかは分からないですけど、
この本と死の関係性についてどう思いますかって直接言ったわけではなかったんですけど、
死っていうものを念頭に置きながら絵本を読んでくださっていて、
その上でのコメントとかしてくださって、
なんかそれはすごい不思議な感じでしたね。
こちらで誘導しようと思ったわけではないんですけど、
デスカフェっていう枠組みがもうあったので、
その直接死について扱っている題材ではないけど、
参加する方の中でそちらに向かってというか、
動いていたものがあったっていうのも思いましたね。
なるほど、なるほど。
そういった意味では難しさもありつつなんですけど、
思ったより場が変に硬直しているような感じはなかったので、
参加してくださった方にやっぱりすごい助けられたなと思う面もありました。
参加された方は、やっぱり十分死に関して考えて持って帰ったっていう実感があるんですか?
ありますね、僕の中には持ってますね。
皆さん、どういうことを持って帰っていったかはわからないですけど、
帰っていかれたんだろうなっていう雰囲気は最後にあったと思います。
いいですね。
すごいいい時間でした。
お疲れ様でした。
お疲れ様でした。
ありがとうございます。
あちくんは繋がった?死と。
僕は何もないと。
なんかすげー、これじゃねーみたいなの思ったんですけど、忘れてますね。
忘れてますね。
自分の中の感じとは繋がった気がして、
これもお勧めしてもらって買って読んだんですけど、
熱くないし、すぐ読めちゃう。
なんかさらっと読んじゃって、ちゃんと記憶に残ってるかって言ったらちょっと曖昧なんですけど、
送り物をする日だったりとか、送り物が特別なものっていう感じはある?
みんなの中にあると思う。
俺は送り物とかそういうものなのかなっては思ってたけど、
何もない箱だけでした。中身がない。
それよりも普通にこうやって暮らしてる毎日が本当は特別なんだろうなって感覚があった。
それは自分の父親が亡くなった時に、
普通に亡くなってからだと亡くなってしまうと、
今まであった別に考えてこなかった日常がすごく特別な日だったなっていうふうな感じ。
今さっきずっと熱志くん話してて、全く人と結びつきそうにないような感じだけど、
そういうテーマが与えられると、そういうところと自分の中で結びついて。
死んでしまうことが、亡くなってしまう日ももしかしたら特別な日かもしれないですけど、
それ以前の普通の日がすごく特別な贈り物というか、
自分というか家族というか、
他人にとっては毎日贈り物があったんだなっていうのに気づく。
なんかちょっと今話聞いてて感動しちゃいましたね。
素晴らしい話よね、今のって。
そんな感じに今、頭の中でふと結びついて。
そんな感じでした。
いいですね。
一見結びつきそうになさそうな感じの絵本とその死が、
死をテーマに与えられると、いろいろ違う思考ができるっていうか、
全く本当にかけ離れてたらそこに結びつかないかもしれないけど、
その死だけが、デスカフェするときに死をテーマにした絵本で始まったじゃん。
でも厚塩くんが今回そういうふうに選んだ本。
絵の中はまた違う視点から死に見るというか、
出したりとかできるんだなっていうのが面白いなと思いました。
いや本当っすよね。すごいっすね。
僕の気持ちも変わってきましたね、それで。
でも確かにすごい生きるっていうか、生きるっていうテーマの絵本とか、
すごいポジティブな絵本とかで死を考えてみるっていうのはまた面白い。
やっぱり繋がってるんだろうなぁと思うから、
そういう意味でも厚塩くんにはいい気づきを与えていただいたデスカフェで、本当に。
ちょっとこれからはもう幅が出てくるね、そうやって考えると。
なんかいろんなバリエーションがあり得るなって。
確かに。
パッケージはできてるから、中身は。
厚塩くんの中では何か結びつきそうだなって、それぞれに多分。
厚塩くんはそういう持ってる何かと結びついたりするんだろうし、
また誰か違う人が考えた時には、これとこれ何か結びつきそうみたいな感じが多分、感覚でしかないと思うんですけど。
これもなんか死と結びつきそうだなぁとか、何でも結びついていっちゃうんだろうなって今思っちゃったんですけど。
次回のイベントについて
そうだね。
自分たちが死に向かって生きてるから、そこの間にある何でもがきっとつくんじゃないのかなって今。
うん、確かに。
分かんないですけど、小山田さんの好きなジャンルの何かみたいな、アルカル的な。
そういう風に言ってしまっていいのか分からないですけど。
そうよね、でもちょっとその辺も、だから厚塩くんね、今回のやつは結構幅広げたよね。
僕らのワークショップ、僕らのワークショップですかこれは。
素晴らしい、本当に素晴らしいと思います。
ありがとうございます。
デスカフェは次が9月が、9月ももう1回あって、次が9月の。
8日でしたっけ?
そうです、8ですね。8がうちの腰がわらのお寺で開催しますので。
また何人か参加してくれたらいいなっていう思いで告知させていただいて。
そして次がスブリスタジオですよ、8月28日。
これは、いつも通り赤井さんのファシリテーターで、熊谷慎一郎さんのリハビリの夜、最終回。
最終回ですね。
赤井さんの感想とかもすでにまとまって、サイトの方には上がってますけど、赤井さんの感想とかなんか、びっくりしたやつどうですか。
やっぱり運動っていうのがすごく関わってきたので、自身は運動というかサルサを教えたり、踊ったり、
踊ったりとかしてるので、そのあたりの感覚とすごく近いなっていうのを感じましたね。
コミュニケーション。今回はその体を使ったコミュニケーションだったけど、
誰だっけ。
一緒に参加してくれてる人の中でも言葉でもやっぱりそういう同じことが起こるというか、
キーワードというかが解きつつ拾い合う関係っていう。
自分のダンスにもすごくしっくりきて、そういう表現もあるんだなっていうのが。
何とも表現しがたかったんですけど、自分が。
気持ちよくなるというか、自分だけがっていうよりは多分お互いに気持ちよくなっていくっていうか。
感覚ってなんでそうなってたんだろうなっていうのが改めてまた違う角度からリハビリの観点から説明されて。
自分のダンス方法を伝える時にも引き出しになるなとか思いながら。
そうですね。
あれにでも当てはまるんだろうなって思いますけどね。
必要というか。
そうですね。
コミュニケーションの重要性
なんかそういう、読書館の時なんかあんまりそういう場面ないなみたいなことを尾山さん言ってたじゃないですか。
うん、言ってた。
俺そんなに真似したってないですけど。
やっぱ体使ってる人はなんかすごい分かりやすいんだろうなとは思ってるのが変わらなくて。
確かにコミュニケーションもそうなんだろうなっては想像。
想像じゃないんだよね。だって普通いつでもコミュニケーションしてるわけだから。
そこの意識がなんだろうな。ないのか。
全くないわけじゃないだろうけどあんまり意識してなかったのか。
でもコミュニケーションの話ではあると思う。
難しかったよね。あんかつし君どうですか。
やっぱなんだろう。
書者の熊谷さんの言葉の使い方が、熊谷さんの中の言語みたいなのがあんまり見ることがないような成り立ちをしているなって思ったので。
そういう言い方しかできないことだよなってほどきつつ拾い合う関係とかも。
そう言われてみると確かにそういう言い方でしかこれなんか理解できなさそうだなみたいな。
思ったんですよね。そのコミュニケーションに引きつけて考えてみた時とか。
なんかこう、分かるようで分からないし、分からないようで分かるようななんかそういう不思議な読語感のある本でしたし、
でもなんか今このタイミングで読めてよかったなっていうのも感じました。
そうだよね。どっかで多分もう頭に入ってるから、どっかであ、このことだって気づく瞬間がいつか訪れるんだろうなって思うけど。
そうですね。
もうなんか一つ、サルサソースを書いてねえと思って書いてたんですけど、もうちょっとで。
連載してるやつですね。その中に今書いたことをふと思い出して、これはやっぱり運動なのか分からないですけど、
相手と自分がいて、相手のその技術、技術のレベルとか自分の技術のレベルがあって、その差が開きすぎてると、やっぱどっちかがどっちかにこう合わせるしかなくなるじゃないですか。
なんでもだと思うんですけど、なんでもっていうのは例えがうまく思いつかないんですけど、なんかそう、ボクシングとかでもいいですね。
ボクシングで試合じゃなくて練習とかでもこうなんか技術の差が開いてたら、多分すごくレベルが高い人とか、
自分のこう、できることをすごく制限するじゃないですか、多分。制限してしまう。
制限すると、そのお互いこう同じレベルでこうできるっていうか、心があるんですけど、その制限してる時ってすごく自分を結構縛ってるというか、
自分をこうある意味縛ってる状態じゃないですか。
サルさんもそうなんですけど、例えば初心者の女性の人が、女性だったりとかが来て、自分はすごくいろんなことができるんだけど、いろんなこと出してもいいんですよ、この人に。
でもこの人はただ迷惑してるだけなんで、私みたいな感じになって。
そうなると自分を制限しなきゃいけなくて、ある意味ちょっと縛りつけなきゃいけない、あんまり暴走しないように。
でもそれを、でも解きたいわけじゃないですか。縛ってるの本当は。
それを拾ってくれる人はこの人じゃなくて、やっぱこれぐらいの、自分の制限を解いた、解いたものを拾ってくれる人がやっぱりいないとこっちは解けないっていうか、
っていうところがすごく、解きつつ拾い合うってこういうことかみたいな感じで、だからすごく不意に落ちて、拾ってくれる人がいないと解くこともできないっていう。
何が好きなのかちょっと曖昧なんですけど。
だからなんかそういう感じで、なんかすごく自分は結構納得してるんですけど。
そういう感じで、なんか捉えたらなんかそういうことってみんなあるのかなとか思ったりしたんですけど。
拾ってもらえないと解けないっていうのは確かに、この前の素振りスタジオの時は全然思い浮かばなかったんですけど。
赤井さんに言われて、解けないなってなんか思いました。
解けないんだよねって思って。
拾われず、ただバラバラなままみたいな。
聞くことの技術
やるとなんか解けないっていうか、こうなっちゃうなって思うと解けないっていうか。
そっかそっか。
コミュニテーションの話はどうでしょう?
コミュニテーションを開くかどうかって、
そっかそっか。コミュニケーションの話はどうなんだ、それ。
でもやっぱその話を、なんかそれで今また違う本読んでたんですけど、聞いてもらう技術ってあるんですかね。
カイトさんが書いた本で。
そう、そんで、いやそれそっか、それもそうなんだろうなみたいな。
聞いてもらう、聞く、聞いてくれる人がいないと、
聞いてもらうこともできないし、なんだろう、聞く相手がいないと、なんだろう聞いてもらおう、なんかよくわからなくなってきたけど、
なんかこう、どっちも必要みたいな。
君も聞いてもらう必要があるし、自分は聞く必要があるしっていう話だったんですけど、聞いてもらわないと聞けなくなるっていう。
そう、だから聞いてもらう人がいるから、うちはなんか聞いてもらおうって話せるっていうか。
よーって言う、なんかそういう構えていてくれる人っていうか。
そういうところにもつながるっていうか。
聞いてもらわないと聞けないというか、
そういうところにもつながるっていうか、
そういうところにもやっぱり繋がるっていうか
リモートでの対話
リエイションというか
なんか普通、結構普通のことな感じはするんですけど
確かに
というか
それこそ今日さっき話してた
自分の奥さんとお話をするという
今日山田さんなんか面白いなって思ったことが
こういう聞くツールで
これは今Zoomで話してる
画面越しに話をしてて
それで
お話をするためのツールなんで
なるべく話を
僕は愛知に住んでて
彼女は鎌倉に住んでるので
なかなか会えないので
毎日いちお電話することにして
電話をして
テレビ電話なんでこうちゃんと見てないと
話聞いてねえなあこいつ
だから
お話をするためのツールで
テレビ電話なんでこうちゃんと見てないと
話聞いてねえなあこいつって思われて
困るじゃないですか
だから一応ちゃんと画面を
画面の中の彼女を見て
手に何も持たないようにして
ついつい携帯持ったりとかしちゃいがちですけど
聞こうっていう風に思って
だから聞こうって思わないと
なんだろう
あっちも多分話そうって思わないだろうし
思ってても話が出てこない時もありますけど
やっぱ
そういう聞きますっていう
態度だったりとか
っていうのはやっぱり通じるのかもしれないしね
お母さんが言ってた
顔色も良くねえなみたいに
ダダ漏れ
画面と言えばダダ漏れしちゃうみたいな
ズームはなどれないし
だからそういうコミュニケーションにも
通じるものだろうなっていう言葉というか
体を使わないコミュニケーション
そうですね
新鮮だよね
ズームでも感じるもんね
あつし君の
なんかこう
ピリピリ感みたいな
いや難しいなあ
難しい
なんか
一応クールな感じだけど
タクシー聞ききれなかったのに
そうねタクシー
これなんかラジオで聞いてる人
どんな俺を想像するんですかね
そうですね
ちょっと喋ってて
解かれていく感じしますね
なるほどなるほど
拾い合う関係
拾ってくださってありがとうございます
そろそろ30分になるので
そろそろ終わりにしたいと思います
告知的なもので言うと
さっき話した9月8日の
デスカフェ第15回が
大正川原市の大江寺というお寺で
ありますので
それ一つ告知です
あとは決まってないですもんね
すぐりスタジオの次の本も決まってない
本の話したかったの
また別の機会にしますか
近いうちじゃないと
そうですね
ということでまた
これから9月いっぱい頑張って
生きていきましょう
ありがとうございました
明日朝早いので
頑張って
ありがとうございました
ありがとうございます
38:10

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