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#9前編「いつか死ぬのだから」 pha/『パーティーが終わって中年が始まる』、下田昌克/『死んだかいぞく』
2024-11-25 20:25

#9前編「いつか死ぬのだから」 pha/『パーティーが終わって中年が始まる』、下田昌克/『死んだかいぞく』

第9回、前編です。担当はわたる。


「いつか死ぬのだから…」に続けて、何か言うとしたら、あなたは何を言いますか?


大切なひとが亡くなったら、自分が死んだらどうなるんだろう。

脱線したり妄想を膨らませながら、「死」についてゆるく話しました。


引用元は、phaさんの「パーティーが終わって、中年が始まる」です。


★毎週月曜日 夕方5時に配信しています★


【メンバー】

わたる:発起人。テレビの制作会社ディレクター。テレビを見るより本が好き。


ひかる:わたるの大学からの友だち。会社員。道端に落ちているものを写真におさめたり、飼い犬を愛でるのが好き。


つかだ:ひかるの会社の先輩。ゆいこの塾の友だち。つかだくんと呼ばれているけど、みんなと仲がいいつもり。本が好き。


ゆいこ:みんなの友だち。ラジオやポッドキャストが好き。小学生からくるりを聴いている。


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00:10
IN YOU RADIO
小説や映画、ドラマや絵本など、日常で出会った言葉たち。
心に残った言葉にその人だけの経験や、普段考えていることが透けて見えてくる。
引用する言葉から、あなたの中に湧き上がる何かが会話見えたら。
メンバーたちが持ち寄った言葉を取り上げながら、社会や生活を考え雑談するポッドキャストです。
はい、では、9回目、第9回です。
ユイコです。
塚田です。
ヒカルです。
渡るが、今回は担当します。
えー、じゃあ、いとつぜんですが、皆さん、質問があります。
どどん!
言葉の頭に、文章の頭に、
いつか死ぬのだから、と枕言葉をつけた後に、
自然に出てくる一言を教えてください。
いつか死ぬのだから、〇〇。
自然には出てこいね。
自然にというか、いつか死ぬのだから、何とか。
自然に出てきた言葉はあんまり言っちゃいけなさそう。
でもいいんじゃない?
いつか死ぬのだから、今日死ねばいいんじゃないか。
あー。
今日死んでも変わらない。
そこに意思って介在することは、意外とあるかもなって。
別に自分に既視念力あるわけじゃないんですけど。
本当?
いつか死ぬんだから悩んでもしょうがないな、みたいな。
私もちょっとポジティブ系だね。
楽しく生きよう、いつか死ぬんだから楽しく生きよう。
俺もね、俺も多分どっちかって言うとそっちで、
いつか死ぬのだから、やったことないことやろう。
思いっきりやりたいことやろう、みたいな。
ですよね。
それで?それで?
本日、渡るが取り上げる本は、
ファさんのパーティーが終わって中年が始まるという、
最近、2024年6月5日に発行されて、
もうすでに3000人。
なんかで紹介されてたの?
僕がインスタで紹介しました。
ファさんのことは桃山翔司さんにも取り上げられてて、
帯には、日本一有名なニートって書いてある。
元日本一有名なニートがまさかの中年クライシス?
03:01
定職につかず、家族を持たず、不完全なまま逃げ切りたいという帯がある可愛いデザインなんですけど、
可愛いデザインにしては結構、人によっては刺さって苦しくなるようなエッセイ集なんですけど、
全部書き下ろしらしいですね。
2編だけノートで公開されて。
そもそもファさんって?
ファさん、1978年生まれ大阪府出身。
京都大学卒業後就職したものの働きたくなくて社内ニートになる。
これは多分過去のエッセイの中に詳しく書いてあると思うんだけど。
2007年に退職して上京。
定職につかずニートを名乗りつつ、ネットの仲間を集めてシェアハウスを作る。
2019年にシェアハウスを解散して一人暮らしに。
5年前くらいですね。
突然だから39くらいで、41で一人暮らしに急になった。
現在は文筆活動を行いながら東京公園寺の書店カニブックス。
これもいい書店なんですけど。
花田さんっていうマッチングアプリ100人であって、
全ての人に本をおすすめしたっていうエッセイを書いて結構話題になった。
カニブックスでスタッフとして勤務している。
という人の本なんですよ。
要は無責任に20代30代何気なく日々の日常を生きてきて。
すげえまとめ方だね。
無責任に30年生きてきて。
要は無責任に30年生きてきてって。
すごいにまとめ。
これ読んでそう思ってもらった。
葬式とかで言われたくないよね。
葬式では絶対言わない。
個人は20代30代無責任に生きて。
絶対言わないでしょ。
要は。
自由に生きてきたんだけど。
頑張るわけでもなく日々生きてきたんだけど。
中年になり始めた途端に自分がその世代になった途端に
今まで楽しかったものが楽しくなくなってきたとか
いろんなそういう変化を気づいたっていう。
衰退のスケッチって書かれてるんですよ。
本当はそういう感じなんですよね。
すごい言葉だね。
衰退のスケッチが。
家庭の委員長もそうだけど。
衰退のスケッチが。
スケッチできるなって。
衰退も。
その中の23ページ。
これ幻想写です。
死について考えなくなったっていう章ですね。
そういえば死について最近あまり考えなくなったっていうところから始まって
10代の頃は完全に自殺マニュアル
世代の人は多分わかると思う。
とかを好んで読んでた。死について。
その中で死について幼い頃から考え続けた結果として
06:00
社会から離れて山に小屋を建てて暮らすようになった高村雄也さんの
僕はなぜ小屋で暮らすようになったか
同文館出版という本に
死というのはその人の本性を映し出す変幻自在のジョーカーカードのようなものである
という記述がある。
人生は短いのだから力を尽くして精一杯生きるべきだという人は
最初から精一杯生きたいと思っているのだし
どうせ死ぬのだから楽に生きようという人は最初から楽に生きたいと思っている。
頭にいつか死ぬのだからという枕言葉をつけると
その後にその人の本性を表す文言が続くようになっていて
しかもどんな文言でも成立する。
死に向かい合うと人はシンプルに自分自身に正直になる。
そうやって自分を知るための装置として若い頃は死を利用していた。
という記述がある。
面白いなあと思った。
自分も最近ちょっと死について考えるようになることがあって
その時にせっかくならやりたいこととか小さいことでもやろうと思ったんだけど
それは多分元からやりたかったことを
どうせ死ぬんだからって分かることまでつけると
スルッと出てきたみたいなことが実際あった。
これを今日みんなに聞いてみたいなと思ったんですよ。
それがそのまま丸々そう思ってるかどうかを置いておいて
でもそういう呼び水になる言葉って確かにあるなあと思って
死ということってあんまり話題を避ける傾向が
特に現代社会は多いのかなと思って
それをあえて話したいなあと思ったので持ってきました。
それに関連してもう一冊引用したいと思って
2冊っていう作戦もあるかな
わがままセット
家庭の委員長
詳しくは2つ前の回で
家庭の委員長
ポプラ社ってもう本当に絵本界では重鎮の
ポプラ社から出ている死んだ海賊下田正勝さんの絵本なんですけど
ボローニアラガッチ賞2024海を優秀賞受賞してます
強そうだぞ
海優秀賞
海って作品か
特別部門海っていう優秀賞
海部門
スペシャルメンション
どういう話かというと
まずこれをなぜ知ったかというと
死んだ海賊の絵本をもとにしたミュージカル講演があったんですよ
音楽イベント
子供向けのミュージカルだったんで
すごい小っちゃい子もいっぱいいて
ミュージカル演劇
09:00
音楽劇だ
結構面白くて
わかりやすいように作ってるんだけど
すごい良かったなと思ってるときに
最後の方に
死んだ海賊っていうのは文字通り
海賊がある日酔っ払って
看板に立ってたら誰かに後ろから刺されちゃう
三日月の夜船の上で海賊が腹を刺された
というところから始まるんですよ
いつも威張ってばかりいるから
本当は強いらしいけれど
いつも酔っ払っていたから簡単に刺された
いきなり結構
急に殺される
海賊が海に放り投げられた
というところから絵本が始まるんですよ
見る見るうちに沈んでいくんですね
その沈んでいく過程で
サメが出てきて帽子をくれと
食べないから
まずそうだから食わないよ
その代わりその立派な帽子を
俺にくれないかとか
ずっと刺さってるねケンカ
シワシワの魚が来て
金刃をくれみたいな
刃をくれみたいなことを言って
刃をもらっていっちゃった
あとは綺麗な魚が来て
帯でついた魚が来て
桜のバッチか何かとくっついてたんですよ
貝殻がついてるから
それをくれって持っていったりとか
指の爪は爪
綺麗な爪してたから
爪をもらってそのまま行っちゃったりとか
していって
最後たくさんの魚に囲まれて
みんなお腹が空いているんだよ
お前を食べてしまってもいいかい
と魚たちが聞くと
そしたらいいよ
俺様が生まれてから今まで
数え切れないほどお前らを食ってきたんだからな
海賊は魚たちに行った
結局魚に食べられた骨だけになっちゃう
大きい剣は刺さった
沈んでしまうと海の底に
海賊はとうとう海の底にたどり着いた
海の底は真っ暗で冷たくて
一人ぼっちで退屈で寂しいところだった
夜が明けると太陽の光が深い
海の底にもうすすらと色をつけた
このままここで海を眺めながら
過ごすのもいいかもしれないな
俺様はもう死んだんだし
と海賊は思った
そして海賊はサンゴになった
という絵本です
なかなかこの死と食われるみたいな
ある種直接的な描写をしている絵本って
なかなかないだろうなと思った
お干し様になるもんね
お干し様になりましたとか
お干し様になったのに
結構珍しいなと思ったのと
12:01
あとこれを見てパッと思い出したのは
僕この今年の1月におじいちゃんが
2月におじいちゃんが亡くなって
結構一緒に1歳0歳くらいから
一緒に住んできたから
物心つく頃から一緒にいて
おじいちゃんが亡くなった時に
本当にいろんなことを思ったうちの一つで
これってどういうことなんだろうみたいなことで
どうしても考えることがあって
その時に自分が死んだらどうしよう
どうなるんだろうなって思った時に
海に捨ててほしいなって思ったのよ
本当に肉体のままでもいいし
サラサラって骨が焼かれたり
そしたら多分魚に食われたりとか
こうやって海の底のサンゴになったりするって
すごいいいなと思ったので
そうやって循環していくというか
骨壷に入れられて土にも吸収されずに
骨壷に入っているよりは
世界の一部になりたい
みたいなことをふと思ったんですよ
おじいちゃんは生前の意思とかにはなかったんだけど
一応骨壷に入れて
お寺のあれに決まりに従って
骨壷に焼いて骨壷に入ったんだけど
自分が死んだらそのまま海に
繋ぎ捨てられてもいいなとか
森の奥に深く埋めてもらって
いろんな微生物に分解されて
骨もそのうち土と一緒になって
ただいいなみたいなことを思って
それをすごい思い出したというか
いろんな生物がそれがいいなと思っていったりして
それがここの中だと飾りになったりするけど
でも本当は最後に来た魚みたいなもので
栄養になってまた別の魚に食べられて
みたいな循環がそこから始まる
それこそこの前にやった
あるべき姿じゃないけど
生物としてのあるべき姿じゃないかな
みたいなことを思ったっていう
どうせ死ぬなら世界と一つになりたい
世界の一部になりたい
どうせ死ぬなら世界の一部になりたい
なあと思ったっていう
という引用です
どうですかって
いかがでしたでしょうか
あんまり
あんまりというか
お寺に行くときって
墓参りぐらいしかないし
なんか宗教的に何かを信じてるとかでもないんだけど
15:04
例えば遺骨とかを撒いてしまう
撒く
なんかすごい寂しい感じがして
そうか
その人の証がなくなる
私がどうされたいかってなくて
例えば親とかの骨を撒いてくれって言われたら撒くけど
墓参りに行くときにその墓の中に
自分の大事だった人の魂がまだあるとは
本気で思っているわけではない
なんて言うだろうな
いや
本気で思ってないと言ったら嘘だけど
その人たちが眠っているところだから
綺麗にしようかとか思ったり
整然吸ってたばこ置いたりとかもするしさ
うん
するけど
なんなんだろうねこの感覚
本当にそれを大事に今までして生きてきたわけではない
その宗教的に
儀式的なものをね
けどなんか撒いたらどこに行けばいいんだろうみたいな
会いに行く場所に
そうそうそう
これなんかめっちゃ
なんて言うんだろうな
なんか
根拠ない
根拠ない感覚
生理的なものかもしれないしね
おじいちゃん亡くなって
生きているのが当たり前だったわけ
この28年間
喪失感とかもすごかったんだ
今でも信じられないんだけど
って思うってことは
死って本人は
本人には体験できない
もう存在しなくなっちゃう
残された人のものだなってすごい思ったんだよ死は
そうだね
自分が死ぬっていうのも
どうしても残される人のことを考えちゃう
だりとかするじゃん
結局遺廃をどうするかとか
お墓どうするかみたいなのも
選択も結局はもちろん
遺族に残されてるっていうか
委ねられてるし
会いに行ける場所があるってすごいいいし
俺も実家にまだ
お骨あるから
お墓まだ作ってないから
実家帰るとやっぱり
お骨の入った壺の
慣れたりするわけ
それができるっていうのは確かに
ここにおじいちゃんの骨がまだあるって
葬式以降開けてないから
もしかして入ってないかもしれないけど
でも入ってるって信じてるから
そんなシュレディンガーの猫みたいな
焼けるまで入ってないから
でもそう思えるからさ
まだいるって思うかもしれないし
なんか結構どっちも分かるんですけど
結構物質的な話じゃないですか
その骨みたいなもので
18:01
僕も祖父と祖母を
3年前かな4年前とかに立て続け
いなくして結構
大切な2人だったんだけど
割と自分は受け入れられていたり
していてっていうのが
祖母は絵を描いてたんですよ
画家だったんだけど
絵がうちにもあるし
あとは亡くなったのか
だから僕はね
25とか26の時で
割と突然ではあったんだけど
なんかもう声も今でも思い出せるしとか
与えてもらった時の記憶とか
経験とか感情とかあるから
悲しいけど割と受け入れ
自分の中では生きてるなって
ホント月並みな表現だけどがあるから
まさに自分が生きてる世界の
一部になってるわけですよ
部屋にも絵とかあるし
別に物体としてなかったとしても
割と自分の中になってるから
なんかそういう食べさせ方も
あるんじゃないかなって
ちょっと思った
記憶として食べてもらう
だからもしかしたら
渡辺くんの場合にいったら
仕事を通してそれ以外のもので
作ったものが残っていくわけじゃないですか
それはあるんじゃねって
本当はというか
そうだなと思ってて
全然物というよりは
その人と一緒にいた時間だし
その人が使ってた物とかが
何かなわけじゃないし
その人の骨が何とかも
ましてやみたいな
何も持ってないと思ってるんだけど
とはいえ
けれども
でも多分大事な人の墓の前とか行ったら
なんでもないと思う
ホントはその墓とか
一緒にいた喫茶店とかの方が
思い出深いはずなのに
結構大事なものに思えちゃう
物を大事にするということを
大事に思っちゃう
これ何なんだろうと思って
なんでだろうね
やっぱさ人間同士ってさ
それは広い話になっちゃうけど
人間同士は何かを介して
20:25

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