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裕太の深掘りインタビュー ゲスト:うきょうさん
2026-07-21 1:13:06

裕太の深掘りインタビュー ゲスト:うきょうさん

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感想

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サマリー

今回の深掘りインタビューでは、ゲストのうきょうさんが自身の波乱万丈な人生経験を赤裸々に語りました。幼少期から集団行動が苦手で保育園を脱走するほどの個性的な一面を持ち、学校では理屈っぽい性格から教師に嫌われることもありました。中学、高校時代にはいじめを経験し、自己肯定感が著しく低下するほどの辛い時期を過ごしましたが、高校2年生でのクラス替えと友人との出会いをきっかけにバンド活動を始め、音楽に救われました。しかし、プロを目指す中でメンバーとの音楽性の違いや人間関係のすれ違いからバンドは解散。その後、ネットワークビジネスにハマり、友人や全てを失うどん底を経験します。そこからゲーム業界への夢を再燃させ、新聞配達をしながら専門学校に通うという過酷な生活を経て、IT企業に就職するも、過重労働からうつ病を発症し半年で退職。その後、自動車部品工場で正社員として働くも、再びうつ病を患い、地元へ帰郷。派遣社員として働きながらバンド活動を再開し、ドキュメンタリー映像制作に目覚めます。その後も、父親の認知症と死をきっかけに人生を見つめ直し、心理学を学び、自己啓発の道に進むも、サイコパスな人物にマインドコントロールされるという壮絶な経験をしました。現在は障害者支援施設で働きながら、自身の経験を元にしたドキュメンタリー映像制作に情熱を注いでおり、人生の「思い出作り」として、過去の経験を笑って語れる日が来ることを信じて活動しています。

00:03
はい、ということで、本日も深掘りインタビューをやっていきたいなと思っております。 まずは、告知の方からやっていきます。
自己紹介と現在の活動
はい、今日はですね、うきょうさんですね。 今日のゲストは、
うきょうさんは、オフ会、
僕が今年開いたオフ会で初めて 出会わせてもらった方になります。
スズメとか、 アサヒさんが仲良し、
やったから、
オフ会に来てくれたっていう方ですね。 まだね、席が止まらないんですよ。
不思議ですわ。はい、ということで、 うきょうさんに招待しとくかな。
招待できそう。 こんにちは。
こんにちは。 ここいらっしゃいませ。
はい、どうも今日よろしくお願いします。 お願いします。
ちょっとあれだな、声がちょっとちっちゃいから。 ちょっとお待ちを。
はいはいはいはいはい。 ちょっとスピーカーにしたほうが、イヤホンマイクを使うとよりこうして。
ちょっとBluetoothをつないでみたけどどうかな。 これでどうですか?
あんまり変わらないですか? あれ?
大丈夫そうですか? もしもし。
はいはいはいはい。 あら、つながらんな。
あら、つながってない。 えーと、どうなっとるな。しまったな。
違うのにつながってますか?
だめだ。 ブルートゥースがつながらないんだよな。
もしもし。 はいはいはいはい。
えっと、再生再生。聞こえますか? 聞こえてますよ。
あ、大丈夫。はい。 ここに行きます。
これで行けますか?大丈夫ですか? 大丈夫です。はい。
わかりました。 じゃあ早速始めさせていただきたいと思います。
はい、よろしくお願いします。 もう何でも聞いてください。
今日はね、うきょうさん、 あれですよね、オフ会以来のお話になりますね。
そうですね。 5月。もう早いね、あれから2ヶ月経ったんですね。
じゃあまず、今やってること、 うきょうさんのやってるお仕事とか活動内容とかを簡単に紹介していただいてよろしいですか?
はい、本職では障害者の人の支援のグループホームで働いています。
あ、あいち来てくれた。 あ、こんにちは。どうもありがとうございます。
本職ではやってます。
やってる活動としては、いろいろやってるんですけど、
今ね、一番熱量高くやってるのが、
力入れてるやつが。
一番熱量高くやってるのが、力入れてるのが、ドキュメンタリー映像制作ですね。
なにそれ。すごい面白そう。
面白そうでしょ。
それをやっていて、
あと、Kindle本を作ってみたりとか、いろいろ自分で作ってみて出したりするのが好きなんです。
クリエイターですね。
クリエイターですね。
ずっといろいろAIを駆使しながらとかもいろいろやってましたからね。
すごい。
すごい。
そのドキュメンタリー映像っていうのは、
自分で撮影して編集するんですか?
そう、自分で撮影して。
すごいですね。監督兼ディレクターみたいな。
監督兼ディレクター兼プロデューサー兼みたいな感じで、
これがね、本当にね、遊び。
遊びで?
完全遊び。
SNSに出してなんとかとかいうことは一切考えてなくて。
でも完成したものはどこかで見れたりするんですか?
とあるYouTubeのところでは出そうかなとは思っているけど。
はいはい。出してくださいね。
ぜひぜひその時は見てください。
ドキュメンタリー制作の原点
番人が見て楽しめるものというよりは、
経緯を話すと、
こういうドキュメンタリー映像を作るのはね、
今回ね、15年ぶり、16年ぶりか。
久しぶりなんですね。
そうそうそうそう。
以前ね、2008年と2010年に作って、
作った経緯っていうのが、その当時やっていたバンドの
ドキュメンタリー映像で、
架空のイベントを立ち上げて、
それに向けて活動するバンドマンたちみたいな感じの。
すごいことやってるなんか。
嘘で塗り固められたドキュメンタリー。
なるほどね。
そうそうそう。
すげー。
そういう趣旨で作って、
今回16年ぶりにまたそのバンドを、
久しぶりにちょっとやろうかということになって。
なるほど。
じゃあまたドキュメンタリー作ろうぜということで、
作ろうぜって言い出したのは僕なんですけどね。
僕は作るのが好きだから。
セットで続いてきたんですね、それがアイディアとして。
そうそうそうそう。
すごい。ココロンこんにちは。
佐々木さんもこんにちは。
佐々木さんこんにちは。ありがとうございます。
ココロンさんこんにちは。
すごいっすね。いろいろ活動多岐に渡りますね。
そうなんですよね。それがね今ね、
やってて一番楽しいなと思ってて。
大変な。
大変な?
大変ですよ。大変なことばっかりですけどね。
撮影、編集、全部自分でやるからね。
すごいな。
幼少期と学生時代の苦悩
ちっちゃい頃からいった何て言うんですか、
いろいろ活動的な子やったんですか?
うん、活動的な子でしたね。
そうなんや。
そう。
ちっちゃい頃どんな子やったんですか?
ちっちゃい頃はもう本当に人と同じことがすごく嫌で。
えー。
うん。
で、もうね、その傾向はね、
もう保育園の頃から現れておったんですよ。
早ないっすか。
早い。
そうなんか、へー。
今の時代だったら100%発達障害。
へー、なるほどね。
保育園脱走の常習犯だったんで。
脱走の常習犯。
プリズムで落ちたんですね、早々と。
もう、週に何回か脱走して、
で、うちに帰ってたんでね。
ちゃんと家帰るんすね。
家帰ってて、
当時そのようは多分5、6歳?
保育園って何歳から入るんだろう、
分かんないけどそれくらいの世代から、
で、うちに帰るまでの間にね、
横断歩道のない国道を渡らなきゃいけないんですよ。
そんなところを渡ってたんですか。
そう。
危なっ。
そう、それを渡って、
で、どうだろう、子供の足で行っても徒歩10分ぐらい。
比較的近かったんだけど、
でも徒歩10分ぐらいだったんじゃないかな。
危険でしかないですね、それは。
危険でしかないね。
保育園の先生方からはもう冷や汗もんだろうし、
で、うちに帰ったら帰ったで、
親は親でまた帰ってきたみたいな感じだったと思う。
なかなかの痛んじやったんすね。
もうそれくらいね、なんかね、
なんかもう、なんだろうね、
気持ち悪かったんだろうな、
多分ああいう集団なところが。
ああ、そういうことっすか。
肌が合わないっていう感覚やったんですね。
そうそうそうそうそうそう。
それをでも体が正直に反応してたんすね、ちゃんと。
反応してた。
本当に帰ってたもんね。
本当に帰ってたんすね。
そう。
やば。
でもそっから、まあでも目つけられるわけでしょ?
目つけられた、本当に。
だって小学生の時から、今度小学5、6年生の時にね、
他人の先生は5、6と同じ先生なんだけど、
まあ嫌われたわ。
嫌われた。
めちゃくちゃ嫌われた。
それなんで、分かるんすか?
いやまあ多分それはもう、
あのね、その先生曰く、
お前は理屈ばっかりこねるとか言うんだよ。
理屈ばっかりこねるか。
そう。
まあね、多分今逆の立場だったら、
多分そういうわけ嫌だろうなと思うよ。
なるほど。
そう。
そんな言いまかしてたんすか、結構。
言いまかしとったというかね、
なんでこれこうなんていうことを言うタイプだったんで。
なんかこう、ちょっとした疑問が飲み込めないと。
そうそう。
言いちゃうんだ。
そう。
なんでこれ周りに合わせなきゃいかんのとか。
それ自体はなんか悪くなさそうですけど、
なんか言い方に権があったんすかね。
多分ね、もう当時僕ら世代はやっぱり特にだけど、
やっぱりもうみんな、
やっぱり言うこと聞く子がいい子で。
まあそうですよね。
先生的には管理しやすいですもんね、そっちの方がね。
そうそうそう。
だから個性なんていうものはもう一切いらない世代だったから、
確かに。今でこそね、個性が大事やみたいな言い出してますけど。
あんなこと言われだしても久しいけどね、
もうほんと僕らの時はね、なかったなあ。
それは言っちゃいますよね。
そう。
確かに。
あ、ユミさんこんにちは。まるっとこんにちはって言ってる。
あ、ユミさんこんにちは。
そうなんや。
じゃあ、友達はでも多かった方なんすか?あんまり作らなかった方なんすか?
多かった方だと思う。
あ、友達多かったんや。
ただね、それがね、なんていうのかな、崩れるというかね、
そんだけ尖ってたわけで、尖ってたっつーかな。
ある種尖ってました。
ある種尖ってたところが、
あのね、鼻っ端へし折られるのがね、中学生入ってからなんすよ。
それまではなんでなんとか言ってたのに。
そう。で、やっぱりね、中学生になるとやっぱり当然なんか体格差とか出てくるから、
やっぱいじめとか出てくるのね。
確かに。あり得る。
だからね、その標的にされたの。
えー、じゃあガッツリいじめにあった感じですか?
あー、あったあったあった。
まじか。
そう。
それはね、あったんですか?
そう。
なんか、ターニングポイント的ななんかことが。
うん、なんかね、その時に、あのー、目立っちゃダメだなって思ったのね。
怖いなー。なるほど。
うん。
音楽との出会いと転機
自分を押し殺そうとしたんですね。
そうそうそうそう。でね、それがね、あのー、高校、あのー、学校、高校上がっても高校1年の時?
うん。
に、また全然違うグループからいじめを受けて。
へー。
そう。で、その、でね、徹底的にね、あのー、なんだ、真面目で大人しく過ごそうと。
うんうんうんうんうん。
してたんだよね。してたんだよね、その時。
そう、中学の流れでってことですか?
そうそうそうそうそうそう。痛い目見たもんね。
はいはいはい。
ただね、それが大きく変わったのが、高校2年生になった時に、クラス替えで、そのいじめっ子達とは全然違うクラスになったの。
あ、良かった。はいはいはいはい。
で、さらに良かったのは、高校2年すごく良かったのがね、あのー、いい意味で今度、あのー、ちょっとヤンキー風な友達なんだけど、
はいはい。
良い意味でいじってくれる友達に巡り合って、そのグループに。
へー。
うん。
うきょうさんのこといじってくれる人が出会ったんや。
そうそうそう。
で、高校2年はすっごい楽しい、2年と3年はもうすごい楽しい学生を送って。
すごいターニングポイントっすね。
そう。で、しかもその時に、やっぱその自分になんかこう、あのー、なんだろうな、自信、あ、そうだそうだ、思い出した。
その時の仲間と一緒に、バンドやろうぜということになって。
お。
そう。で、それでやり始めたのがドラムだったの。
あー、ドラマーやってたんすか。
そう。で、それがね、ドラマーやるきっかけで。
すごいな。
そう。
へー、じゃあ仲良しなグループに。
そう。
クラス替えで、運よく出会えて、バンドまで始めたんや。
そうそうそうそう。
自分を押し殺してた人が。
そうそうそうそう。
すごい変わりようっすね、この1年、2年で。
いや、なんかね、その時がなかったら、ほんとに多分今もう、あのー、ほんとにあれは人生のターニングポイントだったな。
ですよね。めちゃめちゃ他人いましたよね、それまで。
めちゃくちゃ他人おったし、あのね、もうね、自分、いやー覚えとるけどね、その当時はね、ほんとにもう自己肯定感というかね、もうね、鏡見るのができなかった、自分の姿を。
それはもう、嫌になるんすか。
嫌になる。
うわー。
自分の鏡で顔見ることもできないぐらい。
へー、相当っすね。
そう。
そんな落ちるぐらいまでコテンパンにやられた感じなんすか。
やられた、やられた。
腹立ちますね、それ。
そう。
ほんとに当時のこと、だってほんとに死のうと思ったもんね。
あ、マジっすか。
うん。
もう辛すぎて。
辛すぎて。
えー。
それとお母さんお父さんとかと相談とかはできなかったんすか。
いやー、それはね、やっぱ相談できんかったねー。
背負い込むんすね、そこは。
背負い込む、そう。
なるほどなー。
うーん。
そうなんやー。
それこそお父さんお母さんはどんな存在やったんすか。
えっとねー、両親ともに友働きで、しかも自営っていうか、うち法制業っていうか、服の仕立て屋さんをとったのね。
仕立て屋さんやったんや。へー。
そうそうそうそう。
だからうちの中には常にミシンの音がしている、そういう環境で。
なるほどね。
そう。
で、子供ながらでも、この仕立ての業界っていうのは、ちょうどもうほとんど中国に仕事を持って帰っちゃったもんだから。
なるほどね。
だから子供ながらにも家計が厳しそうなのはもう分かってた。
あー、分かるんや、そこはもう。
そうそうそう。
へー。
そうなのか。
だから余計に何か、余計なこと言えなくて。
はいはいはいはい。心配させることもちょっともう。
そうそう。
めちゃめちゃなんかあれですね、精神練習高いですね、そこもね。
いやー、あ、でもね、一回ね、いじめがあるからっていう理由ではなくて、
なんかそれを、自分の中ではそれ一つネタっていうか、要するに家計が厳しそうだから、
俺高校辞めようかって言ったことあるわ。
あ、なるほどね。
その理由をそっちに添加させて、本当は自分がいじめられとって辞めたいのに、
うちが大変そうだから辞めようかって言ったことあるわ。
えー、それどういう反応やったんですか、親御さんは。
いや、もう高校だけは出ろって言われて。
あー、まあそうか。逃げれないですね、それ。
逃げれんかったね。まあまあ結果逃げなくてよかったんだけど、その時にね。
そうですね、ラッキーがあったからその後にね。
そうそうそうそうそうそう。
えー、でも一緒の友達ちゃいますの、その高校生の時の連れなんて。
いやー、それがね、あのー、高校卒業したらもうバッタリと繋がなくなった。
そう、あのー、そこからね、そのバンド自体も、その仲間同士でやろうとしたバンド自体も全然続かんかったの。
あ、そうなんですね。
あのー、その時のギターリストがあまりにも、あのー、ちょっとね、そのギターリストが、もうそれこそ中学生からギター弾いてるようなプレイヤーで、
要するにこっちは全く楽器触ったことない、
で、方や、あの相方のギターリストはもう3年、その当時で、
いやもう5、6年近くやってるって言ったかな。だからむちゃくちゃ上手かったの。だからもうレベルが全然なくて。
レベル差がちょっとエグすぎたんすね。
そうそうそう。ほんで、あのー、もうそのバンド自体はすぐにやめとった。
もう続かなかったんだけど。
なるほど。
で、その当時、そのじゃあバンド、自分がドラムやり始めたんだったらっていうことで、
兄貴がもともとバンドマンだった、6つ年上の兄貴がいるんだけど。
ほいほいほいほいほいほいほいほいほい。
で、バンドマンで、ベーシストだから、じゃあちょっと俺とやろうかということで。
え、入ってくれたんですか?
そう、兄貴と一緒にやってるんだ。あと兄貴の友達を呼んで、3人でやったの。
なんで、その当時、俺が17歳で兄貴が6つ年上だから23歳。
で、兄貴よりもさらに先輩の人が27歳の人と、27歳、23歳、17歳っていう、
自分と一番上が10個年上の人と、高校生の時にバンドやり始めた。
もうほぼ大人と組んでるようなもんですね。
そうそうそう。大人とやり始めて。
すごい。お兄さん10個上なんですか?
兄貴は6つ上。で、兄貴が連れてきた友達が10個上だった。
なるほど。
そう。
すごい。大人に囲まれてやってますね。
そうそう。そうすると今度、自分がそこでめちゃくちゃすぐに上達。環境がそうだったから。
で、向こうも大人だったから、こっちに合わせてくれて。
なるほどね。
で、やることになってたんだけど、やっぱりやりたての子の吸収率がすごい高いもんだから、すぐに上達して。
で、本当に大人顔向けにライブハウスとかでいられるようになって。
すごいっすやん。伸び率。
そう、その当時はね。
すごい。
ライブハウスでやってたんやん。
ハウスとかでもやることになって、高校の時から。
はぁー。
いじめられてた人が表舞台に立ち始めてますやん、もう。
そうなの。そうなの。本当にそうなの。
マジで日陰の中で本当にひっそりと生きていこうと思ってたのが、ライブハウスでスポットライトを見るようになったの。
ねえ、音楽に救われてますよね。
めちゃくちゃ救われた。
すげえ話。
本当になれなかったら今の人生はないもん。
そうっすよね。
そう。
すごい話やなあ。
大逆転。
はぁー。
プロへの挑戦と挫折
キョー言ってますね、社長が。
ああ、川口社長、キョーありがとうございます。
へえ。
じゃあ、高校生は結構楽しんで過ごして、その後の進路はどうしたんすか?
その後は、やっぱりね、高校生からそうやってバンド活躍やってるとね、だいたい人間勘違いするのよ。
うんうんうんうんうん。
プロになろうと。
行こう、行こうと。
行こうと。
いいっすね。
そう。そしたら、その当時一緒にやってた10個年上のメンバーが、家庭もあるし。
そっかー。
で、ちょっとそれは無理っていうことになり、中互いじゃないけど、やっぱりちょっとこっちの意思が、こっちはプロ目指したいんで、向こうはそういうつもりはないになっちゃうから。
そこも熱量の差というか。
そうそうそうそう。
いたしかたないですけど。
そうそうそうそう。
で、じゃあしゃーないだということで、高校卒業と同時か18歳と同時に、兄貴と一緒にやってたバンドも辞めたんよ。
えー、卒業、解散みたいな感じ。
そうそうそう、解散みたいな感じで。
で、そこから探し出して、19歳の時に、今みたいにネットがまだない時代だったもんでね。
なるほどね。
そう、本当にね、歌詞音楽スタジオにチラシを自分で掲示板に貼って、メンバー募集みたいな感じで。
かわいい、なにそれ。
めちゃめちゃアナログな時代。
アナログやってますね。
そう。で、自分の電話番号を書いて、また携帯もなかった時代だから自宅の電話番号を書いて。
はいはいはいはい。
で、それでメンバー募集って言って、貼り出した時に連絡があって、そこのバンドで4年間プロ目指して活動した。
えーすごい、4年も。
そう。1999年から2003年までか。
ガッツリやってますね、めちゃくちゃ。
そうそうそうそうそう。
その時はバイトで?みたいな感じですか?
最初は18歳で卒業して、高校卒業して、高卒ですぐに就職したんよ。
うんうんうん、なるほど。
で、もう就職って言っても本当にLINE工でね、もう自分が人間なのか機械なのかわかんないような仕事をやっとって。
なるほどなるほど。
で、それはもう2年、2年だけやって、で、バンドもその時、自分が20歳の時にバンドも結構軌道に乗ってたから、それで辞めてフリーラインやってた。
すごいっすね。4年間のうちの2年は普通にバイトして、バイトじゃなくて社員として、で、2年はフリーライン。
そうそうそうそうそうそう。
えーすごー。でも軌道に乗せてたのがすごいっすね。
そうそうそう、軌道に乗ってたなー。今振り返るとあれは軌道というのかと思うけど、その当時は軌道だと思ってた。
いやすごい、すごいっすよね。結構休憩飲めますね、やったら。
そうそうそう、ある程度はね、やっぱり。
パーティーするというか。
そう、なんだけど、やっぱりそこでまた天気が訪れるのね。
2年後。
そう。
何があるんやろう。
やっぱ上手くいかなくなるわけよ。
えーなんでですか。
まあね、やっぱね、メンバー不仲になったわけじゃないんだけど、
違うんや。
なんだろう、なんか、あのー、よく言う音楽性の違いってやつ。
あーやっぱそれ出てくるんすねー。
あれってね、本当にあれあったりするの、あれって。
言い訳とかじゃなく、ほんまにあるんすね、あれ。
そうそうそうそうそうそう。
不仲を隠すためじゃないんすね、あれ。
そうそうそうそう。
不仲を隠すための人の方が多いと思うけど。
そう。
そうなんや。
若干不仲もあった、あのー、当時5人メンバーでやっとったもんで。
あー結構、結構しっかりした。
そうそうそうそう。
んでー、あのー、僕はちょっとこいつ気に入らないとかあったもんでね。
はいはいはいはいはいはい。
あったし。
うん、やっぱそういうのはちょっとやっぱり、ちょっとした歪みが年月経つとやっぱり大きくなっていくもんでね。
日々我々がどんどん我に変わってきて。
あーそうそう、本当にそうなっちゃうなっちゃう。
そう。
で、まあ空中分解した。
あーなるほどなー。
空中分解っていうか、まあここで、ちゃんとこの日のライブでやめようってことでもうやめたんよね。
うんうんうんうん。
そう。
23、4、4。
23の時だったかな?
23くらいですね今ね。
そう。
これで、その後がねー、あのー、これ黒歴史になるんだけど。
知りたい。
えー超絶黒歴史になるんだけど、要するに、あのー、夢と目標を失ったわけじゃない?
そうですよね、全て失ってますよね今。
そうそうそうそう、その段階でね、自分の本当に心の糧としてやってたものがなくなっちゃったもんだから、
でー、どうしようってなった時に、やっぱり急にさ、現実的なことをやっぱりこう見るようになった時に、
ゲーム業界への挑戦とうつ病
俺このままで大丈夫なんか?ってちょっと不安に陥って、
そういう時にね、やっぱりね、甘い、甘い囁きが来るわけよ。
うーん。
そう。ネットワークビジネスにハマってね、その時。
来た来た来た来た来たー。
誰もがやったことあるでしょ、これ。
ありますねー、これは。
でー、やったらね、やったらね、今度ね、夢と希望を失ってたじゃない?
そうですね。
そしたら今度友達まで失ってね。
なるほどー。
いやー、そう、もう本当にね、もう本当にわずか半年もかからぬうちにもうことごとく友達を失って。
えー。
そう。
もう何もかも失ってません、今。
そうそうそうそうそうそう。
半年で。
半年の間で。
すごいっすねー、怒涛っすねー。
そう、本当に絶望の淵の時だったねー。
これ谷が来てますね、みんなら。
谷谷。
えー、なんでそんな。
そう。
んでー、でー、まあもうすぐに足洗って、足洗ってって悪いことやってないけど。
まあまあ足洗って。
足洗って。
うん、もうこれはあかんわと思って。
結構早かったっすね、気づくのというか。
どうぞ。
うん、もう本当にすぐに人が離れ、まあもう完全に自分がいかんかったんだけどね。
へー。
で、もう友達が離れていって。
うんうんうんうん。
そんでー、全部失っちゃったわけじゃない。
そうっすよねー、今。
そんで、どうしようかってなった時に、
とある、その時からビジネスショーとか読むのは好きだったもんだから、読んでたら、
はいはいはいはい。
そう、あのー、ゲーム業界。
ゲーム業界?
そう、日本のゲーム業界の未来について書いてある記事があって。
ニンテンドーとかカップコーンとかそういうことですか?
そうそうそうそう。
はいはいはい。
その当時はもうPS2がもう前世紀の時で。
なるほど。
で、もともとゲーム大好きだったの。
あ、そうなんですね。
そうそうそうそう。もうバンドかゲームかっていうぐらいの感じで。
へー。
二軸やったんや。バンドとゲームの二軸。
そうそうそうそうそうそう。
すごい。
で、クリエイターになりたいとは思ってたけど、バンドに夢中で、
その夢というか、そういうふうに思ってたことすらも忘れてたんだけど、
あ、そや、俺これやりたかったんだっていうのにふと気づいて、その記事見たときに。
へー、どんな記事を見たんすか?
なんかね、誰かの記事っていうかね、本だね。
日本のゲーム業界の将来性は明るいみたいなこと書いてあって。
なるほどなるほど。
そうそうそうそう。
そういえば俺ゲーム好きやったなって思い出したんすね、それで。
それをね、なんかね、見た瞬間雷打たれたぐらいのなんか衝撃だったのを覚えてるの。
なるほどね。
本当にうつうつとした日々でこれからどうしようと思ってたときに、
それを見て、なんか本当にこれだって雷打たれたような感覚?
あー、そういうことか。
そう。
で、ゲーム?
うん。
で、思い立ったら行動が早いもんですからね。
うん、確かに今のところすごい早いですよ、いろんなものが。
早い。そう。
で、すぐにどうしたらなれるんだっていうのを色々調べ出して、
その当時はもうインターネットあったから。
はいはいはいはい。
で、その当時ね、クリエイターになったら専門学校。
その専門学校っていうのもやっぱりその当時は東京にしかないのよ。
集約されてるんですね、そっち側にね。
めちゃくちゃ集約されてて、東京にしかないぞと。
で、東京で専門学校通うにはどうしたらいいんだと。
で、金もないし、もうネットワークビジネスはやるわ、フリーターしかやってないわ、で、金もないし。
ほんとだ。
で、貯金もないし。で、どうするだってなったときに、
新聞小学生という新聞配達の寮で住み込みで働きながら通うという。
なるほど。
そう、そういう奴隷制、奴隷制度じゃないわ。
はっきりと言うぞ、今。はっきりと言うぞ、奴隷制度。
現代版奴隷制度で。
そうですね。平成奴隷制度で。
平成の奴隷制度で。
はいはいはいはい。
平成の人身売買制度で。
やったんすか。
そう、それで。
根性あるな。
それでね、でもね、やっぱり過酷なの。
いや過酷でしょ、そりゃ。
僕の同じ世代で12人学生が入ってきたの。
で、みんなそれぞれそれこそ普通の短大通ってたり、僕みたいに専門学校行ってたりとかいろんな学校はみんなそれぞれ違うけども、やっぱり同じ寮に住みながら新聞配達しながらっていう風にやってたんだけど、
半年で6人辞めたもん。
半分。
そう。
離職率エグいっすね。
そう。
エグい離職率。
そう。
すごいな。
おいで、でもその中で、まあ本当にそれこそ知恵度が空きながらでも頑張って、
残っていくんや。
残っていって、で、ちゃんと学校にも通っていくんだけどね、僕ら通ってた学校は普通専門学校って2年だけど、
新聞修復生専用のクラスっていうのがあって、
そういうこと?
そう。で、授業の時間が、1日あたりの授業の時間がやっぱり仕事してるもんだから、長官も勇官も配ってたりするから、
1日あたりの授業の時間が少ない分、普段2年でやる限り、3年でやるってそういうクラスだった。
ちょっとゆったりさせてくれるってことなの?
そうそうそうそう。
なるほど。
っていうところで、2年目ぐらいから、2年目じゃない3年目かな、ぐらいからになったらいよいよ就職活動だっていうことになるんだけど、
はいはい、来ましたね。
そう。僕はグラフィックのデザイナーになりたくて行ったんだけど、
大体もう3年目っていうよりは1年目の途中である事実に気づくの。
なんでしょう?
これは無理だと。
早々と分かってたんですか?
早々とすでに分かってた。なぜかっていうと、やっぱりグラフィッカーになりたいっていう人はね、子供の頃から絵描くのが好きな子よ、やっぱり。
なるほどね。幼少期からの。
そうそうそうそう。
そう。だからもう、とてもじゃないけど、自分が今からやってなれるもんじゃないなっていうのは最初の段階で分かってた。
えーそうなんや。せっかく夢持って行ったのに。
そう。だけど、でもゲーム業界になんとか入るっていう目的は変わってないもんだから。
確かに携わりたいですもんね、そこはね。
そう。何か違う手段はないかということで、ずっと模索していた時に、ちょうどその当時が、柄系のゲームが、柄系でゲームができるようになり始めたぐらいの時代だった。
あーなるほど。
そう。なので普通のゲーム業界、みんなが知ってるカープコーンとか、みんなそういうとこ行きたがるわけじゃない。
そうですね、大手にね。
そう。だけど、そのモバイル、柄系のゲームばっかり作ってるゲーム会社っていうのもでき始めた時代。
モバゲーとかそうですよね。
あ、そう、モバゲーが。これね、後々、その後ちょっとモバゲー出てくるんだけど。
マジか、すごい。
出てくるんだけど。で、探してる時に、とあるIT企業、そのね、結果ね、ゲーム会社ではなかったんだけど、逆にこのゲーム会社に、
要するにモバゲーみたいに、ポータルサイトよ、要するに。
はいはいはいはい。
そのうちの、その当時働いてた僕の会社のサイトに行けば、いろんなゲームの広告が貼ってあって、そっからゲームのところに飛べるみたいな。
はいはいはいはい。
ヤフーとかモバゲーみたいな、そういうポータルサイトを運営してる会社。
へー、なるほど。
で、そこの副社長の会社説明会をしてるところを見て、なんかもう一目惚れして、その副社長に。
あ、ピンと来たんすか。
もうバリバリピンとして、ピンと来て、もうこの人の元で働きたいって思って。
すごい。
そう、もうね、あのね、今ね、CM見るとね、あれなんだけどね、角ケントっているじゃない。
角、角ケント、はいはいはい。
あの、ケンタッキー、今日ケンタッキーにしないって言ってる人。
あの人にそっくりなの。
めちゃくちゃイケメンっすよ。
めちゃくちゃイケメンで、あれくらいのね、カリスマ性があって。
へー、だいぶクラッと来たんすね。
クラッと来て、もうこの人の元で働きたいと思って。
でね、当時ITブームだったもんで、めちゃくちゃ倍率高かったの。
なるほどね。
で、僕みたいになんかもう本当に、どこの馬とも骨もわからんような専門学校卒の、しかもみんなよりちょっと出遅れなわけよ。新卒がみんなその当時22歳か、新卒。
だけど、僕は一旦社会人になって、で、遠回りしてるもんだから、もう27歳ぐらいだったの。
なるほど。
めちゃくちゃ、あのなんだ、出遅れ。
うんうんうんうん。
で、しかもその会社の面接に来とるような人たちはやっぱり四大卒とか。
なるほどね。若い頃の人とか。
そう。で、それの中で、でも5次面接ぐらいまであったよ。
すごい長い。
そう。
道のりが長い。
そう。で、そこを突破したのよ。
すごい。
そう。
手作りのメンバーっすね。
そう。もうね、しかもITバブルの絶頂期の時よ。
なるほど。
もう勝ち組やと思ったね。
すごいすごいすごいすごい。めっちゃいいっすね。上ってますね、今。
そう。
だから、一気に。
そう。でもね、将来の夢も目標も友達も失ったところから。
ね。
そう。もう人生絶頂や。もうIT業界花形よ。
めちゃくちゃ来てますね。
そう。やったぜって言って、もうこっから俺も東京で一旗あげてやるぜっていう感じになって。
うん。
で、見事そのIT企業か、ベンチャー企業だったんだけどね。
はいはい。
そこに採用されて。で、営業職。
いいっすね。喋り上手いから。
営業職ついて、自分の喋りも上手いのも全部さ、やっぱりその当時から武器だったもんで。
うんうんうんうん。
で、こっから大活躍するぜってなって。
2000、もう忘れました。2007年の4月、その社会人としてのスタートが始まり。
すご。
そう。そして、2007年の10月に終わりを迎えたわけよ。
半年で。半年何があったんやろ。
半年でうつ病になったわけよ。
えー。
もうね、ジェットコースターが半端ない。
何だったの。
そう。
何があれやったんですか。原因やったんですか。
自動車部品工場での奮闘と再発
もうね、ベンチャー企業で当時20人ぐらいしか社員がいなかった会社が、その当時業界の波もあり、一気に新入社員を10人入れたのね。
はい。
えー、20人しか社員がいないところに、10人の右も左も分からないやつが入っていったら、これどうなるかって誰でも考えや分かるよね。
これはひどい、ひどい体制ですね。それは。
そう。もうね、邪魔以外なんでもないの。
うんうんうんうん。
そう。で、仕事は教えてもらえない、でも結果は出せと言われる。
あー、もう最悪っすね。
そう。で、先輩に聞いたら、当時やっぱね、ここで一つ教訓を覚えるんだけど、全然分からない言葉で、わざとこんな言葉も分からんのかみたいな感じで、すごい詰め寄られる。
あー、もう一番最悪っすね、それは。
そう。やっぱIT業界のいろいろな、しかも広告とかマーケティングの業界ってより言葉が難しいもんで。
なるほどね。
そう。今聞いても分かんないけどね。
そりゃそうっすわ。もう最悪っすね。
それでね、詰められ詰められでやられて。
なるほど。
うん。ほんで、ほんとに半年でうつ病になったね。だってもう起きれなくなったもん。
動けなくなるやつですよね。
なったなった。
えー、それ回復するんすか?
しなかった。
全然?
しなかった。もうなんもんでね、ほんとに2007年の10月で退職して、しかもね、そのね、2007年の10月に退職したんだけど、そこに至るまでの間、10人新卒入ったって言ったよね。
そうっすね。
うん。で、その半年の間で7人辞めたの。
えー。
そう。で、その7人目よ。
すげー離職率。
そう。
変わりますね、皆さん。
そう。
離れて離れて。
でもやっぱそれくらい、もうあまりにも理想と現実?
うんうんうん。
もう。
だいぶとちゃうもんね。
全然違ってて。
でも当然だから、みんな余裕がないの。
はいはいはい。みんなぱつんぱつんなんですね。
みんなぱつんぱつんだから、もうみんなそんなもう、あのー、みんな冷たくなるし。
なるほどね。
そう。
いやーもう最悪な、居心地悪いっすね。
そう。
なるほどね。
でも、たぶんね、誰もがこんなはずじゃなかったって思ってたはず。
はいはいはい。採用されただけだってね、嬉しかったはずやからね。
そうそうそうそうそうそう。
これで後日談になるんだけど、その当時の副社長と社長とは、確かにあのー、もうひどい目にあって、うつ病になってやめたけど、つながりはあって。
で、社長とはね、2020年に会ったんよ。
すごい。
やめたから13年後ぐらいかな。
すごい。
Facebookではつながっとったもんで。
すごい。
別に特にメッセージとか送ってないんだけど。
えー。
で、2020年の時に、ちょっと偶然、偶然というか、会う機会があって、会ったら、開講一番、あの当時はすまなかったって言われた。
すげー。ちゃんと謝罪してくれる。
そうそう。
ちょっといいっすね。
で、副社長とも2018年に会ったんだけど、副社長はね、3回ぐらい会ってんだわ。それから辞めてから。
すごい縁がありますね。
で、辞めてんだけど、会うたびに言われるから、それもう辞めてくださいって言ってんのよ。
別に恨んでないんだよって言って。
しかも、その当時教えてもらったこととか、一生の宝として自分の中で。
あー、なるほど。
そう。あるのも残ってるもんで、全然その気持ち的には恨んでないですよと。
えー。
ほんとその当時。
そんでね、さっきチラッと言ったモバゲー。
はいはいはい。
モバゲーは最大のライバルだった。
あ、そういうことなんや。
最大のライバルというか、むしろモバゲーはその当時働いていた会社のポータルサイトの研究され尽くされて、でモバゲー作られてるから。
あー、そういうことなんや。
そう。で、資本力で完全にやられて。
完全に抑え込まれたんや。
抑え込まれて潰されたわけ。
なるほどね。
当時のIT業界はもうこんなんやってやられてみたいなのは本当に普通だったんで。
ちょっとグダグダはしてますもんね。内部はね。
そうそうそうそう。
そりゃそうですよね。えーすごい。でももうがけっぷじですやん。また鬱になって。
鬱になって、ほんでもう逃げるようにして地元に帰ったの。
うんうんうんうん。
そう。で、逃げるようにして地元に帰って、それでもうそれこそ2008年、2007年の10月にもう本当に地元に帰って。
はいはい。
ほんで、で2008年の1月からはもう本当に、とりあえずすぐにでも仕事探さないといけないかなってことで、派遣の仕事をやりながら一人暮らしして、で細々と生きとったわけよ。
なるほど。
いや、他にですね、なかなかの。
そう。
えーでも鬱になりながらも何とか派遣でいけてたんですね。
まあ本当にね、もうあの、もうそれこそ中学生の時の経験じゃないけど、もうちょっとひっそりと生きていこうと思って。
あーもうね。
そう。
そのモード入りますよね。
モード入った。
わかりますわ、それは。
でもその時に、2003年の時一緒にプロで目指してバンド組んどったメンバーと、じゃあお前もう戻ってきたからっていうことで、ちょっと久しぶりに遊びでなんかバンドやろうぜということで、バンドやることになったの。
いいっすね、気晴らしいんじゃないっすね。
で、その時に作ったのがドキュメンタリー映像の一作目だった。
あーそこで繋がってきた。
そうそうそうそう。
なるほど。
そう。
その時って技術なくやってたんですか?
もう完全に独学、独学っていうか、グラフィックスの専門の学校で一応映像編集のソフト。
あーそうか。
ちょっとやってたもんで。
なるほど、かじってはいたんですね。
そう、かじってはいたんで、多分それが効いたと思う。
全くゼロの状態じゃなかったもんで。
そういうことか。
そう。
なんかちょっと身になってたんですね、それが。
で、動画編集ソフトも当時専門学校でやってた3D CG作るような専門のソフトに比べたら、なんだこれってくらい簡単に学べたもんで、その当時は。
なるほどね。
そう。で、ちょっと参考書をちょっと買って、それ見ながらちょっとやったらすぐに吸収できたもんだから。
えーすごい。
そう。で、それで編集をやったらそれでドハマリして。
あーおもろかったんや。
そう。で、それで一作目作って、で、その当時しかもミニアルバムも出して、ちょっとその勢力、うつうつとした状態からちょっとまた活動的になったのね。
へー。ようやくちょっと上向きになってきた感じですね。
ちょっと上向きになった感じ。
うん。
派遣社員でバンドもやりながら動画編集ソフトですね。
そうそうそう。そう。
へー。このまま行くんすか。
いやー、それでね、ちょっと自分自身取り戻すじゃない。
そうですよね。ちょっと上向いてますから。
そうそうそう。そうするとね、やっぱりね、周りがよく見えるようになってきて。
で、その派遣で働いてた時にね、その派遣の目から見て、そこの当時働いてたのは結構大手の自動車部品の関係の会社のとある部署だったんだけど。
あーそういうことですね。はいはいはい。
その時に、社員の働きぶりっていうものを見た時に、俺がそのIT企業で受けたその半年間に比べたら、なんだこいつらっていうぐらい緩い仕事ぶりしかしてなくて。
なるほど。
そう。
周りが完全に見えてますね。
そう。
周りが止まって見えたんですね。
止まって見えて、なんだこいつらって本当にだったもん。自分が受けてきたあの半年に比べたら、こんなんでええんかって思うぐらいに見えてきて。
で、と同時に、その時の自分の環境に対してものすごくジレンマを感じるわけ。自分はその時派遣だから。
そっかそっかそっかそっかそっか。
そう。で、でどうするってなった時に、ちょうど時はリーマンショックよ。
出た。リーマンショックや。
そう。リーマンショックの時代よ。その足跡が徐々に近づいてきてるわけよ。自分のところに。
はいはいはいはいはい。増産しまくってましたもんね。いろんなところが。
そう。で、で派遣切りの足跡が徐々にもう自分のもうすぐ近くまで来てたよ。
あ、派遣切りね。はいはいはいはい。
そう。ほんで、で、あの同じ部署にいたあの人もいなくなった、あの人もいなくなった。徐々に。
やばいやばいやばい。
そう。でなった時に、その当時その一緒に組んでいたバンドのメンバーのうちの一人が、本当に中小企業だけど、5、60人の中小企業だけどの、
まあそれも部品作ってる工場、本当に。の、部長クラスやっとったの。
はいはいはいはい。
若いんだけどね。その当時27歳ぐらいで、27、8か、それくらいでもう部長やっとったよ。
すごい早いですね。
そう。で、そいつにもうダメ元でいいから、しかもコネじゃなくていい。なので面接だけさせてもらえんかってお願いして。
おお。
もうあの面接をね、あの依頼した時の、あの時のことも、昨日のことのように覚えてる。あの一本の電話。
すごい勇気がいる。
勇気いるよ。だって同じバンドのメンバーにさ、頭下げてさ、コネじゃなくてもいいから面接して、それでダメだったらダメで諦めるから、
面接だけさせてもらえんかって言った。
すごいな。恥をしむまで電話したわけですね。
そうそうそうそう。そしたら、じゃあええよと。その面接に俺が出ると、不公平が出るから俺出んけどって言って。
なるほどね。
で、行ったんよ。で、そしたら、前はITの時は5時面接まであったんだけど、今度は10人ぐらいの集団面接で。
集団面接。
そうそうそうそう。
まさかの。
なんやこれ。1対10人ぐらいでさ。
すごいことやってますね。
そう。で、面接させてもらったんだけど、後々に聞いたらね、その10人のうちの半数以外以上はダメだと言ってたらしいの。
もう決まってたんですね。ハラグの代表が。
採用しないって決めてたらしいんだけど、なぜか社長に、その当時の社長に、面白いやつだから入れたらいいわって言われたらしくて。
すごい。
で、採用されたの。
すごい。また上書いてきた。
そうなんよ。
いいっすね。自動車部品の工場。
そう。自動車部品の工場で、正社員として。
いや、本県から昇格してますやん。
そうなんよ。
これはでかい。
そう働かせてもらえることになり、そこで社員として入ったやん。
すごい。
当時はね、要するにリーマンショックで会社は人をバタバタと切っている最中に、なんで新しく人入れてんだって。
ベテラン。
逆行しますよね。
そう、ベテランをね、なんであの人をクビにさせてんのに、なんでこんなやつ入れてんだみたいな、そういう目で見られ。
そうか。
だけどそれはもう自分の実力で見せるしかないじゃない。
確かに。かっこいい。
そう。だから、自分が受けてきたIT企業でのそのね、奮闘というか、それをフルに発揮して。
確かに、全部出し切るしかないですもんね。
出し切ろうと思って、本当に必死でやったの。
で、当時まず、まあ、とはいえ最初はやっぱり一作業員として。
はいはいはいはい。
そう、あのー。
自分で覚えるところからね。
そうそうそうそう。あのー、やらせてもらうんだけど。
あのねー、作業員としてね、僕ね、作業員としてやるとね、本当にポンコツでね。
えー。
めちゃくちゃポンコツなの。
ダメなんですね、そういう単純な作業が。
ダメなの。
体に合わないんですね。
そう、で、あのー、この製造の業界では、その不良品、作ったもの不良品出す状態のこと、不良ってよく言われるんだけど。
はいはいはいはい。
その、不良を出して損失を与える。金額が半年で500万以上の損失を与える。
えー、結構えげつないですね。
そうそうそう。
で、そうなった後にさ、あのー、もともと僕が入社させることを反対しとった役員とか幹部たちからさ、
ほら見ろ、いったこっちゃない、あんなやつ入れるもんじゃねーってなって。
うん。で、やっぱりクビにしようかって話になるわけよ。
それね、ちょうどね、入社して、2009年に入社して、で、2年後ぐらいだよな、2年3年、2年後ぐらいかな。
はい。
で、やっぱりクビにしようっていう話になってたらしくて。
まずいっすよ。
そう。で、ある人が、何かを見抜いたというかわかんないけど、
作業員としてはダメだけど、なんか管理やらせたらいいんじゃないかということで。
そんなことあります?
そう。
そんなことあるかな、すごいな。
で、今までない在庫の管理とか調達とか、それをやらされるというよりは、
そういう部署そのものがなかったもんで、その会社。
ザルでお金使い放題でやってたもんだから、それを一括管理できるものを作ってくれということで。
すごいご依頼ですね、それ。
そう。作ってくれというか、そこしか入れようがない。
どこもだって受け取ってくんないんだもん、作業員としては。
だからゼロから何かやらせるしかなかったよ。
なるほど。
そう。どこも本当にもらえ手がない。
自分で仕事作るしかなかったよ。
なるほど。
ところがそれをやったら、今までザルのようにお金を使ってたのが一括管理するように仕組みを作ったもんで、
月々の呼びかかるコストが300万減らすことができて。
半年で500万を損失与えたけど、とりあえず2ヶ月でペイできたと。
すごいすごいすごい。結果出しましたね、一気に。
出したよ。これで一気に見方が変わって、首輪間抜かれたよ。
はいはいはいはい。なるほどか。すごい。
それでその実力を評価というか見込まれて、今度その調達から生産管理という、
もう本当にお客さんの窓口もやらなきゃいけない。
忙しいとこ行きますね。
そう。で、社内の調整もしなくちゃいけないというところに凍り込まれた。
そう。これがね、地獄の始まりだった。
これ地獄なんや。また谷や。
やっぱり登っては谷、登っては谷ですね。
そう、本当に。
で、それをね、もうね、もう社内からは串刺しの刑みたいな感じで、
父親の死と人生の再考
毎朝会議をやるたびになんかもう吊るし上げられて。
へー、プレッシャーがかかってるんですね。
そう。で、お客さんはお客さんでプレッシャーをかけてくるみたいな感じで、
それで2年頑張ったけど、まあ2年で潰れて。
うわー、きつい。
そう。でも2015年だのは忘れもしない。
もう1月からもう半年間仕事行けなくなって。
それは再発ってことですか?
そう、再発。
うわー。
そう。
頑張りすぎるんですね、ほんま。
頑張りすぎちゃう癖があるのね。
追い込んじゃうんですね、自分のこと。
そう、本当。
制御が効かへんというか、コントロールが効かへんというか、難しいんですね、そうかね。
本当にその繰り返しでね。
なるほど、燃え尽きてしまってる。
どうなるんですか、その後。
その後、半年で復職してんだけど、復職して、制作管理の部門は外されて、外してもらって、むしろ。
そうですよね、続けられないですよね、さすがに。
元の自分が立ち上げた調達とか管理部門に戻されて、そこで細々とやるようになってたよ。
もう、下がったときはもう細々とっていうのが。
下がったときはもう細々とやるのがね、もうこれがね、鉄則よ。
うらさん、聞いてくれた。こんにちは。
うらさん、どうもこんにちは。
そうなんや、すごいな。
そう、アップダウン、アップダウンばっかり。
やめずには一応済んだんですね、そこ。
やめずに済んだんだけど、なんかその後ね、2016年忘れもしない、
親父が、自分の父親が69歳、まだ全然若いのに、認知症になり、
そう、認知症になって、もう僕のことも分かんなくなって、もう本当に。
結構進行したんですね。
そう、一気に進行して。
もうね、あれちょっとボケ始めたかなって思ったところから、
もうわずか半年後にはもう自分たちの、僕のことも分かんない状態になり。
えー、やば。
そう、しかもその年の、忘れもしない、12月に亡くなったん。
えー、展開早すぎ。
そう、で、なんかそれが別に父親が好きだったとかそういうの特にないんだけど、
なんかそれがずっと心に残ってて、このままでいいんかなって、
自分の人生みたいなことを考えるきっかけにはなったのね。
あー、なるほどね。
で、それもずっと考え続けて、まあ2018年にその会社辞めることになった。
あ、辞めちゃうんや、そこで。
そう。
見つめ直した結果。
そう。
あー、なるほど。
うん。
次は何やるんすか。
サイコパスとの遭遇と克服
で、その次に、
あの、その時にね、そうそうそうそう。
自分がうつ病になった時の経験もあった時に心理学とかの勉強とかもしとったもんね。
心の勉強やね、要するに。
心の勉強ね、なるほどなるほど。
でもしてたもんだから、ちょっとやっぱりそっちの方が興味があったもんで、
で、その勉強をして、とある講座を受けてみたいな感じで、要するに自己啓発よ。
はいはいはい。
で、それを受けて、で、なんかその道でやっていこうと思って活動するんだけど、
当然うまくいかないのね。
あー、そうなんや。
そうそうそうそうそうそう。
で、当然うまくいかなくて、ずっと活動してんだけど、うまくいかない時に、またね、うまくいかない時にね、
あのー、また甘い誘いが来るのね。
忍び寄るやつや。
忍び寄ってくるわけよ。
これはもう本当法則だよね。
そう。
なんか、人脈を広げるった方がいいから、みたいなことで、
うちの会社の仕事を手伝いながら、そういうちょっと人脈作りやらんかっていう、ちょっと仕事の誘いを受けて、
なるほど。
そう。で、で、それにフラフラっと乗っかったの。
おい。
そう。で、そしたらね、それがね、とんでもないサイコパスで、
サイコパスやったんや。
そう、それを誘ってきた人がね。
やば。
そう。あの、普通に付き合ってる時は全然、あのー、オンラインで最初知り合ったんだけど、
あの、その時はもう全然、まあ要は本性隠してるからね。
普通にいい人みたいな。
普通にいい人だと思ったよ。面白いし、話をすれば楽しいしみたいな。
なるほどね。
うん。うん。でも大体こういう人ってなんかあるよ。
今となっては。
もうすごいサイコパスで支配、支配欲が強くて。
はい、本物っすね。
そう。で、もう、あのー、で、人が何をやってもとにかく否定、否定、否定。
えー、じゃあもうコントロールしてくる感じの人なんですね。
そう。でね、ほんとにマインドコントロール受けた。
あ、がっつり受けたんすか。
がっつり受けた。
あのね、人間ね、あんだけ否定されるとね、もうね、考えるのをやめる。
えー、やばいっすよね、それ。
そう。あのー、もう、あの、だって言い返すともう100倍で返ってくるから、
もうそれだったら、もう言われた通りにはいはいって言った方がいいわってなるの、これほんとに。
えー、怖い怖い怖い怖い怖い。
でね、俺ね、そのマインドコントロール、それ抜けた後で、あのー、目覚めた後で、
あの、後々から調べたら、それほんとにマインドコントロールの手口全部だったの。
えー、あ、じゃあもう分かってやってはるんかな。
あ、あの、ほんとに分かってやってる。だってその人のうちにそういう本も置いてあったもん。
あ、そういうことや。
そう。
えー、やば。
分かってやってるし、あの、もともとのほんとにね、しかもね、あの、なんていうの、
公の場で話をするともうドッカンって笑いはとるし、なんか一見するとすごいいい人なの。
魅力的な人なんですよね、そういう人。
魅力的。
そう。
でもそれにね、やられて。
はー、きつー。
そう。
そうなんや。
そう。
えぐいっすね、やっぱり。
そんなんで。
で、まあそれで、でもね、あの、それまでにその2回のうつ病の経験があるもんだから、
あ、もうこれはまずいなって途中で気づいたよね。
あー、なるほどね。
うん。
で、このままいっとったらまずいなっていうことで、で、あのー、やめさせてもらって。
うんうんうんうんうん。
うん。
またのうつになりそうだね、そんなんね。
そう。
で、あの、やめさせてもらって。
でもそれがもうちょっとね、あの、きっかけっていうかね、もうほんとに、あのー、なんだろう、
もう人に会うのも怖いぐらいになったね、その当時。
もう、大人恐怖症ぐらいになったんですか。
大人恐怖症になった。
2021年、2年あたりはほんとに人に会わない生活だった。
まあまあ最近ですやん。
そうです。
近づいている現代に。
そう。
すげー。
で、まあ2023年にちょっととある、まあ、あのー、友達からちょっと紹介を受けた、
現在の活動とドキュメンタリー制作
あのー、オンラインサロンに、あのー、入って。
で、そこからまたちょっと、ちょっとずつ人との交流をし始めの、
で、あのー、そのオンラインサロン自体が、まあ、2026年か、
あ、今年はもう、あのー、継続しないってなったもんだから、
あのー、しなくなり、まあでも、あのー、このエースラボー自体は、
まあ去年の7月ぐらいから入っとったもんで、
まあ今に至るみたいな感じかな。
へー。
そう。
なんですかそれ。
なのでほとんどね、谷よ。
谷山、谷山、谷山、谷山、みたいな。
そうそうそうそうそうそう。
今、今現在は、えっと、障害者施設。
そうそうそうそうそうそう。
施設で働いて、働いてはるんですよね。
そうそうそう。
で、それもまあ、また何の縁もあったか知らないけど、
そのー、なんか、その当時、そのー、
そのサイコパスからの支配から逃れた後はね、
誰とも関わらない仕事をやろうと思ってやってて、
本当に誰とも関わらない、あのー、掃除の仕事とか。
あー、はいはいはいはいはいはい。
やってたんだけど、そうやってまたそのオンラインサロンで、
なんか人との交流をし始めた時に、やっぱりこう、
なんか人と関わる仕事をやろうってことで、
まあ、たまたま見つけたやつだったよね。
へー、やっぱり人かってなったんですかね。
うーん、なんだろうね、めんどくさいこといっぱいあるけどね。
そう。
スタイフはいつ頃からやり始めたんですか、じゃあ。
スタイフはちょうど去年の夏ぐらいだったかな。
うん。
去年の夏ぐらいからって話だね。
そう。
へー、なんか、いろいろありますね、ほんま。
そう、こうやって話すとね。
すごいストーリーを、なんか映画を、一本の映画を見たかのような。
人生の教訓と未来への展望
ほんとにどん底と。
谷、谷感はやっぱすごいっすね。谷の時ってやっぱり。
谷はね、半端ないもんね、ほんとに。
まあでもね、谷の時にね、いつかこれが笑って話せる時が来るっていう風には思ってたな。
なるほどね。
いやー、染みますわ、今の自分にも。
ほんと必ずそれが来るっていつも思ってやってる。
そっかそっかそっかそっか。
その過虫の時はとてもそう思えんのだけど。
でもね、今見て今話したみたいにね、こうやって話せる時に来るんだよね、笑ってね。
なるほどねー。
こっからまた上がれるんや、絶対に。
必ず上がれる。
なるほどー。
いやー深いっすわ。
必ず上がれる。
上がってきた人が言うから、そうなんやろなって思いますね。
そう、俺もうほんと3回4回って上がってきてるから。
やっぱりもう1回2回ってやっぱりこう、ダメージの経験もあるもんだから。
受ければ受けるだけ強くなって帰ってくるね。
なるほどね。
うん。
そっか。
自分の限界とかもそろそろわかりそうですもんね。
え?自分の限界?
鬱になるっていう。
それはね、わかってくる。
頑張らなくもなってくるし。
ね。
そう。
自分の居心地のいいとこだけをちゃんと。
で、何が大切なものなのかってこともわかってくるし。
なるほどね。
そう。
エンディング
いやーすごいねー。
面白かった。
そんな感じです。
そういうなんかこう、うよ曲折あったものをなんかこう表現する。
なんかもう表現者なのね、とにかく。
表現者っすね、一番最初から言ってくれる。
なのでまた何か表現したくなったんだろうと思う。
だから今ドキュメンタリー作りがすごく楽しい。
なるほどねー。
うん。
そっか。
ぜひともURLみたいなのあったら概要欄に貼らせてくださいよ。
まだね、完成じゃない。
9月4日に向けてね、ちょっと今制作してるもんで。
そうなんですね。
そう。
アーカイブこれ結構回るんすよ。
うん。
アーカイブ見る人がもしそのタイミングになった時にアーカイブに入れたらねって思って。
完成したらでいいんでまた教えてくださいよ。
ぜひぜひぜひ。
本当にグリもつかないようなやつだけどね。
いやいやいや面白そうじゃないですか。
あの、アラっぽいパンクバンドのメンバーが主役だから。
なるほど。
そう。
多いなー。
全然あの僕のキャラクターはこういうキャラクターじゃない。
はいはいはい。
なるほどね。
おい何カメラ止めろやとか言って。
なるほどなるほど。
全部やらせだけど。
アーカイブのキャラクターなんですね。
そうなんや。
へー。
いやなんかすごい聞き応えがありましたね今日の。
そういうねちょっと架空というか完全にやらせの映像を今作ってる最中なのでね。
はいはいはい。楽しみにしてます僕は。
それはそれで。
そう。
いやー。
1時間あっという間だけど。
ありがとうございます。
完全にね。
告知とかございますか最後。
え?
告知とかございますか最後。
告知は特にはないけど今も本当にそのドキュメンタリー作りが何よりなので。
そうですよね。
そう。
でも本当になんか人生の思い出作りを今やってます。
あーすごいいいめっちゃいい表現ですね。
そう本当にお金のためとかなんかこれでバズらせてとかじゃなくて。
なんかもう本当に人生生きるってなんか思い出作りだから。
最高っすね。
そうそのなんか本当になんか生きるために生きるためにというかなんか生きるこのこの肉体を持って生まれたその意味というかね。
なるほど。
そのためにねなんか思い出作るためにやってるんじゃない。
なんかそうなんか見たらなんか染みそうですねいろんなものが。
いやー見染みるかなー。
でも所々には所々にはいいセリフ入れている。
これが残したいものなんやなって思ってみると。
今回のその映像のテーマの中にはこの15年間の中で自分があのなんていうか聞いてきたあのいいセリフとかもちょっと散りばめて入れてるので。
なるほどね。
ちょっと本当にただのお遊びだけではない実はちょっといいこと言ってんなぐらいな。
95%はバカだけど5%ぐらいはいいこと言ってんなぐらいの作品にしようと思ってて。
えーやっぱり良さそう。
そうなんや。
楽しみにしてますわそれも含め。
そんなちょっとね今人生の最大の遊びをやってる最中です。
いやいい素晴らしいです。
もう。
遊べるぐらい余裕が欲しい今は。
本当に。
大丈夫必ずそうなるから。
はいありがとうございます。
なるなる。
いやーお言葉いただいてありがとうございます。
いやーちょっとなんか自分も棚卸しができて面白かった。
本当ですか?
なんか言っててなんか意外と悪くない人生だなと思った。
うん本当に。
聞き心地が良かったですよこっちぐらい。
すごかったです。
だいぶ発症ってこれだからね。
すごかった。
本日ありがとうございます。
いやいやこちらこそ本当にもうちょっと一方的にずっと喋りっぱなしで本当に。
いやいやそんなにごめんなさいよ、とんでもございません。
めちゃめちゃ楽しかったです。
いやありがとうございますこの言葉が。
ありがとうございます。
はいと言うことで本日のゲストウキョウさんでしたどうもありがとうございました。
いやこちらこそありがとうございました。
楽しかったもう最高。
はーいありがとう。
ありがとうございます失礼します。
はーい。
01:13:06

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