自分で作れるからこそ自分で壊せるみたいなところはあったかなと思いますね。
なんか人が作ったものを壊しながら撮りましたっていうのを、大丈夫かなこの人ってなるかもしれないけどそういうことじゃないので。
最近いろんなところでお声を聞くようになって、というか、ポッドキャストいろいろ出てますよね。
なんか全部断らないで一回やってみようと思って。
断らないでくれてありがとうございます。
ちょっとなんか紹介的なところからやったほうがいいのかな、一応。
イメージキャスト聞いてる方は多分9割ぐらい名前を知っている方だと思うんですけども、映像を作られていると。
映像を作ってまして、一応ミュージックビデオとかCMとかウェブムービーとか普通の映像制作もしてるんですけども、
なんかその映像を作るごとに映像を作るための装置とかソフトウェアから作るっていうのが気づいたら自分のスタイルになってたので、
なんかそういう映像作家ですよみたいなことを言ってますね。
初期というか、僕が最初に名前を知ったのは、今テッドーさんの画面にも出てるんですけど、グループイノーのiか、のPVとかミュージックビデオ。
そうですね。ストリートビューを違法ダウンロードして、そこにグループイノーって二人組のアーティスト、ミュージシャンなんですけども、
彼らの映像を雑にコラージュして作ったミュージックビデオが10年前ぐらいに作りました。
そうですね。その作る過程もちゃんと全部、自分の当時のブログとかで書いてましたよね。
そうですね。だから基本オープンソースコミュニティみたいな文化が大好きなので、
だから自分も映像作家としてできるような、そういう人様のツールを作って作った映像なんだから、その作り方も好調に還元していく的な、そんなこと思ってないですね。
いやでもあれ見て、そのムービー見て、ブログ読んで、もう一瞬で僕はもうファンになりましたね。かっけえ!と思って。
なんか当時ちょっと悔しがってましたよね。これ思いつきたかったみたいな。
完全に俺の上位互換の存在だと思って。
あのストリートビューを使って映像作るって技法自体はすでにあって、なんだろうライブラリとして公開されていたんです。
それを使ってただ、そこに対して人のこまどりを上から乗せるっていう発想のお話をしたぐらいで。
いやでもなんかすごいちゃんと、ちゃんとって言うとおかしいかもしれないですけど、作品としてちゃんと仕上がってるというのがすごいかっこいいですよね。
僕も好きです。
っていうのでまして、どっから言ったらいいんだろう、個人的に憧れの人なんで。
さっき飯食いに行って普通になんか友達みたいな感じで喋ってたけど、結構どう言ったらいいかわかんない僕は。
確かに流行ってましたよね。黒板戦争みたいなやつが流行ってたりとか。
あれがすごすぎたな。
高校の文化祭か何かで作った校内を巡り巡る、戦いながら巡り巡るストップモーションが流行ってたりとか。
ストップモーションっていうのは、いわゆるコマンドリーだけど、クレイアニメみたいに物を対象にするんじゃなくて、人間が出てきてジャンプしてそれが浮いてるみたいに見えたりとか。
コマンドリーはストップモーションであっていて、人が出てくるコマンドリーはピクシレーションっていう別の名前がついてるんです。
知らんかった。ピクシレーションっていう。
じゃあ僕がやってたのはピクシレーションですね。
ピクシレーションだったんですね。
そうです。
本当にパペットを人形とか使ってコマンドリーするって、ワイヤー入れて関節が止まるようにしなくちゃいけなかったりとかすごい大変だから、自分自身がパペットになっちゃえばいいっていう発想が多分あって。
せーのでジャンプして飛んでる瞬間に撮影して、それを何回も繰り返すと空中で浮遊してるように見えるとか、えいってやって人がボーンって吹っ飛ぶ様子を作るみたいな。
そういうのを中学校時代にずっとやって遊んでましたね。
楽しいですよね。
っていうね、出発点は同じはずなのにどうしてここまで違う感じになっちゃった。
そんな違うっていうか。
共通してる感覚というかみたいなのはあるなと思いますね。
ちょっとエンジニア、フロントエンドでもかなりコミュニタ実装されてるっていう話だったと思うんですけど、
僕最近トラスシーっていうライブラリを作ってるっていう話ばっかりしてて、そろそろ飽きられてると思うので、
バクさんもフレームワーク作ってるらしいじゃないですか。
それについてどういうものなのか聞いてみたいんですけど。
細かすぎて伝わらない話に結局なってきてしまうので。
それをしましょう。
それが聞きたいんですよ。
ポッドキャストはそれができます。
2020年ぐらいから、映像を作るために映像を作る方法論というかツールから作るっていうのをずっとやってたんですけども、
それはだいたいプラグインを開発するとか、そういうことばっかりやってたんですけども、
既存のソフトを拡張してくれる何かを作るっていう。
それやってるうちに拡張の仕方そのものに限界があるなと思って。
だから一回自分が本当に理想とする作り方の作り方を作るんだとしたら、
どういう作り方の作り方ができるかなっていうのを試し始めたっていうのが2020年で。
それってつまり今までソフトウェアから作ってたんですけども、
そのソフトウェアとかアプリケーションのプロジェクトファイルになり得るようなプログラミング言語から自分で作れないかなと思って。
それはずっとGRISPっていう一応名前をつけて、
ビジュアルに直接編集もできるし、コードによっていわゆるクリエイティブコーディングみたいなこともできたりとか、
そういうGUIとテキストをいったりいったりできるようなグラフィックプログラミング環境みたいなのを作れないかなと思って、
5年くらい作ってるんですけど、自分の手に負えなくて、
カタリオンとかよくわかんないことを勉強しなくちゃいけなくて。
完全にガチで言語作って深みにハマってるって感じ。
深みにハマっていま、ニッチもサッチもいかないんで。
そろそろ難しいところはAIで結構乗り越えられたりそうですけど、結構むず、そんな簡単ではない感じですかね。
多分いけるんですけども、その指示出しをするために結局プログラミング言語っていうもののドメイン知識がすごい必要だから、
だからこういう仕組みでカタスイ論をしてくれっていう、だから最終的に多分できるとしたらテストをたくさん書いて、
これとこれはこういうふうにカタスイ論してねっていう例をたくさん書いて、それを全部クリアしてくれるようなブラックボックスをAIが勝手に作ってくれるっていう方法しか抜け出せる方法はなさそう。
そこまで聞いたらできそうですけどね。
でも今作っているのはG-DISPとはまた違うもの。
それがあまりにも志が高すぎて、それを細かいプロジェクトに細分化して一個一個試してるんですね。
その一個が普通に線形台数のライブラリだったりとか、一つはベッジ曲線とかを好きな形でいじくり回すためのライブラリとか、
あとはデザインツールとか制作ツールを構成するための調子のいいUIライブラリを作ってたりとか、
そういう細かいことを今やっていて、プログラミング言語そのものを作るっていうグラのチャレンジからはちょっと身の足を踏み続けて外堀を埋めるだけ埋めてるみたいな感じです。
その調子のいいっていうのがどういう感じのことなのかっていうのは気になって。
たぶんこういうのを一から作りたいっていうことは既存のものだと調子が悪いなっていうのがあるんですよね。
調子悪いですね。
その求める調子の良さみたいなのは、たぶん作られてるサイトとかから見ると僕はなんとなく推測はできるんですけど、どういう感じなんですかね。
なんなんでしょうね。いや一言でパッと言えないですけども、少なくともその愚行犬が許されてる世界であってほしいっていうか。
愚かなことをする権利。
だから普通のやっぱ僕らのために作られたツールって、それはカメラでもグラフィックツールでもモーショングラフィックスためのアプリでも、
なんか常にこう僕らの不便を取り除いてみんながやりたいでしょってことを、
あれだけ最短の動きするために作られてるじゃないですか。
なんかたぶん自分はそういうところから外れて何か御用したりとか、あんまり何の需要もないところをうろつき回るための道具立てっていうのをたぶん常に求めていて。
あのマクさんがよく出されてる図で僕好きなのが山、山の上をつぶつぶが歩きうろうろしてるやつ。
あれがすごいなんか良さの表現というか、図としてすごいわかりやすくて好きなんですけど、
なんていうんですかね、一個の空間の中に良さの山があって、良さの山の上の方を目指したいんだけど、
山がいくつかあって、低い山とか高い山とかがあるから、
その低い山の上の方にいる人は、周りに行くともう下がるしかないから、遠くにある高い山には行けないみたいなグラフィックというか、
あの図形というか、あの図形で言うとツールが提供してくれてるのが、山の高いところを通るための道だけで、
そこから転げ落ちる権利は提供してくれないみたいな、そういう話ですよね。
だから転げ落ちるための道具立てが欲しいというか、それはその道具とかを僕らのために作ってくれてる開発者から見たら、
具貢献でしかないんですけども、僕にとっては、その1回転げ落ちた先に、こう、なんだろう、富士山ほどの高さはないけども、
良さのちっちゃい小山っていうのがたくさん散在しているっていうのがなんか予感としてあって、
なんかそこに行き着くためのオフロード車が欲しいみたいな、それがなんか自分にとって必強調子の良いツールなのかなって。
あとは単純に手触りとして最高っていうのは大事ですよね。
プログラマーの方ってキーボードこだわったりとか、エディターカスタマイズしたりって、
作るために便利かどうか、生産性を上げてくれるかどうかじゃなくて、作ったり自分が調子良くプログラミングっていう体験をこなせるかっていうのはすごく大事にしてるじゃないですか。
それが意外とデザイナーとか映像作家にとってはそこまで重視されない。
それ不思議ですよね。なんかDXっていう、あっちの方じゃなくてデジタルトランスフォームとかじゃなくて、
デベロッパーエクスペリメントみたいなエクスペリエンスがありますけど、
ああいうこと言ってるのってエンジニアの人ばっかりですよね。
そうですよね。
開発者体験みたいな。DXがめっちゃいいんだよこのツールはみたいなのをめっちゃ言うけど、
デザイナーの人ってなんかすごいいつまでも使いづらいツールをこねくり回すことをあまり意図はないというか。
そうですね。意図はないというか、そうせざるを得ないというか。
だからデベロッパーの素晴らしいところって、デベロップするための技術とデベロップするための環境そのものを自己改変したりする技術がほぼ一緒じゃないですか。
ものによると思うんですけども、プログラミングをするとプログラミングする環境そのものをプログラミングできるっていう再規制っていうのが多分あって、
多分我々はそれがまだ実現してないんですよね。それが悲しいなみたいな。
デザイナーの人とかだとね、なんかこう自分の仕事をするための机をデザインするとか、なんか本棚をデザインするとか、
なかったのは非常にありがたかったし、うまく飼い慣らしてもらっているなという。 当時そんなに考えているわけではなかったと思う。
ああ、まあそうかもしれないけど。 そんなふうにぼんやりって感じだったんで。 逆になんか、バクさんはそのウェブサイトとかで、自分の考えたりとか、
作ってる時にこういうことを思ってとか、そういうことをめちゃめちゃ言葉に書き残しているのが、すげえなと思いますね。
いやーすごい偉いなって思います。 偉いなって。
そう、バクさんのサイトがすごい良いんですよ。 リンク貼りますけど、ページ全部、なんだっけ、ノーフォローしてますよね。
ノーフォロー、ノーロボット。 ノーロボット、ノーフォローしてるんで、検索で出てこないようにしてるっていう感じですね。
してるページもあるし、してないページもあって、もともとはそのコーセンスとかみたいなサービスを使ってたんですけども。
かつてのグラフボックスという。 そうですね。全公開か全プライベートかのどっちかしか選べないじゃないですか。
なんか個人的に調子の良いウェブの作り方って、最初はそのノンアーカイバルっていうか、一切検索可能じゃないところにひっそりと残しておいて、
それをちょっとずつ手入れてるうちに、これは人様にお見せできるなってなった段階で、
ノーフォローを外して、Googleで検索可能なところにそっと上げていくみたいな。
そういうのができるようなウェブサイトがシステムとして欲しいなってなった時に、ワードプレスもダメだ、ムーヴァブルタイプも難しいなってなって、
自分でCMSから最近作ってるっていう。 それめっちゃいい。
めっちゃいいなと思います。なんかインターネットに何か書くっていうことが、
昔は例えば個人サイトとかで、リンクをたどってサイトを知ってる人が来て更新されたよみたいな感じだったのが、
だんだんSNSとかで書くイコール全世界に公開するって、それは元々そうではあったんだけども、
それがすごい露骨に出てくるというか、このぐらいの範囲、自分の手が届くぐらいの範囲の人が見てくれるぐらいがちょうどいいかなっていう置き方ができないじゃないですか。
そうですね。
なんか出すってことはお前叩かれる覚悟はできてるんだろうなみたいな、ツイッターXとかそうなってると思うんですけど、
半分、もうちょっとそこグラデーションあってもいいなみたいなのはある、
意志を持ってちゃんと尋ねてきてくれてる人には見つかるけどみたいな感じとか。
完全にひとくはしないっていうか、よくデジタルガーデニングって言葉を最近聞いたんですけど、
デジタルガーデニング。
ほうほうほう。
だからよくネットに物を書くっていうのは、スクランブル交差点に置かれたホワイトボードに落書きするのと一緒だよみたいな例え話あるけど、
そこまで善か無か善の世界じゃないじゃないですか。
実はそういうみんなが通る交差点の傍らには路地裏っていうのがあったりとか、
路地裏の行きがちからちょっとこっそり見える民家ののち先みたいなのがあったりとか、
なんかそれがウェブにもあってほしいなってなった時に、やっぱそのグローバルタイムラインは絶対いらないなって思ったんですよね。
そっち側の方向でデトックスするっていう発想が多分自分には合わなくて。
僕はそっちでしたね。そのデトックス側の。
SNSの中毒性に打ち勝つためには、
それ以上の中毒性をぶつけていくしかない。
自分で構築するという。
いやー並大抵の。
できないですよね。
去年まではスクラップボックスを自分のサイトにしてましたよね。
そうですね。
スクラップボックスを自分好みにCSSをいじり倒してやってましたよね。
やっぱりスクラップボックスってすごい設計思想がしっかりしてるからこそ、
こういう風にしてほしいなっていうこの自分の願いは100%聞き入れられないんだろうなっていう信頼感があるんで。
だったらフォークというか自分で作っちゃおうと思って。
だからいずれみんな使ってもらえるような仕組みにはしようかなって。
これはめっちゃいいなと思いますね。
お二人がウェブサービスとかフレームワーク作られてるっていうのもやっぱ影響は大きい。
だんだんそういう人増えていくんですかね。
なんかさっきもちょっとライブラリーの話を収録の前にもしてましたけど、
だんだんライブラリーがなきゃ作れないっていうのから、
ライブラリーから作るっていう話が増え始めている。
もしくはなんかいろんなものを自作で再構築するっていう話は、
なんか前より聞くようになったような気がする。
てつやさんばかりから聞いてますけど。
それはそうかもしれないけど、
なんか周り目っていうのは結局AIの力を借りることによってそれが楽になったみたいな話でよく聞くなっていう気はするんですけど、
でもそれよりはるかに前からやってますもんね。
なんかそこがすごいなと思って。
僕はAIがあるおかげで作れるようになったから作り始めたけど、
最初から作っているバクさんが今なんかさらにAIによってエンパワーメントとかされてたりするもんなんですかね。
そんなにでもないんですか。
そんな普通にただ使ってるだけで。
普通に。
いつかやりたいことできそうな感じしますけどね。
面倒くさい分、例えばテストを全部書いてもらうみたいなこととか。
確かにそういう感じで。
フィックスタイプが一番使いやすいみたいな。
ドキュメントの英語の語字を修正するとかそういうことばっかりやってて。
なるほど。
じゃあ結構自分でかなり強くハンドル握ってる感じなんですね。
よりは多分世の中のソースの中にあまりないドメインのプログラミングばっかりしてるんで、
例えばベジー直線のこの角っちょを角丸にするためにはどうしたらいいですかみたいなのとかって。
なんかまだもう少し精緻にプロンプトを与えてあげないとうまくプログラミングしてくれないとか。
あとはこの前オープンフレームワークスの開発者の一人でもあるザック・リーバーマンって方と話してたんですけども、
やっぱクリエイティブコーディングって視覚的なグラフィックが出るためのコーディングだから、
バックエンドを作るとかと違って調子のいい場所に丸を描くっていうのは結局自分で数値をハードコーディングしていくしかないっていう。
だからクリエイティブコーディングって意外とAI化しづらい数少ないプログラミング領域なのかなって思っております。
TEDさんのTrust CだとそのAIに見てもらうモードみたいなの作ってますよね。
そうですね。AIが自分でスクショを取れるようにしていて、
自分でスクショを取っておかしいところを見つけたら直していくみたいなことはやってはいるんですけど、
今Trust Cでいろんなアプリを具体的に作っているというよりは、
Trust C自体を開発しているので、そこの目標は決められた通りに動いてくれるべきものじゃないですか。
ライブラリの中身はかなりAIで描きやすいというか。
例えばパスの終端が丸いみたいなのってキャップとかそういう話ですかね。
角丸なので2つのベリー曲線が作り出す角の部分に角丸を挿入してあげるためにはどうしたらいいか意外とだるい問題なんですよね。
結構めんどくさそうですね。
数学的にある程度解ける問題に落とし込めればある程度解決策が出てくるなと思うから、
縮小自分で取れてかつ答えを定義できれば割りかしスムーズだなという印象はありますね。
Trust Cを使って何を作るってなった時にどこまで使えるかというのはちょっとわからないですけど、
言語化できる部分はなるべく言語化してAIに任せる主義なので、
そう進ませている感じですかね。
勝手にできていく様子自体が僕は楽しいからそれをひたすら見ている側に喜んで立っているけど、
自分でコードを書くこと自体が思ったより自分はそこまで好きじゃなかったんだなということにちょっとがっかりしている節はありますね。
バクさんは結構自分で書くこと自体に気持ちよさというか感じますかね。
そうですね。私、書いている時に自分の頭の中の世界観が変わっていくのが毎回楽しいだから、
使い慣れたプログラミング言語でルーティンとして何かコードを書くのが楽しいというよりは、
毎年必要言語が新しいのを覚えるとこんな考え方があるんだという風になるのが毎回楽しいから、
だから意外とこの5年ぐらいは年に一つは多分新しい言語が覚えて、
去年はラテフだったんですけども、ラテフをプログラミング言語って呼んでいいかどうか問題は実は。
まあ言語ではありますよね。
そうですね。ラテフは論文とかで数式を出すためのやつですね。
数式に限らず論文そのものの組繁をしてくれるための言語ですね。
なんか結構めんどくさい言語だったような。
あ、でもそうでもないのか。論文を書くには最適なんですかね。
論文書くのも相当大変だなというか。
そうだったんだ。
ラテフも面白いですよね、そのラテフってか、
なんだろう、そのラテフがどういう風にして発明されたかみたいな経緯とかも調べたりとかすると、
ドナルド・クルース、ここは全部カットでいいですけど、
っていう人がいてみたいな、そのドナルド・クルースの計算機科学の研究者だったんですけど、
そのお父さんか何かがタイポグラフィーか書体デザイナーか何か。
だからコンピューターで、当時はポストスクリプトプリンターもない時代に
美しく組繁するためにどうしたらいいかなみたいなのをやったりとか、
バリアブルフォントの元になる研究とかを彼がしてたりとか、
その論文がページを送っていくほどに文字が少しずつウェイトが太っていくっていう組繁がしてあるんですよね。
だから自己言及になってるっていうか、バリアブルフォントについての論文がバリアブルの書体が変化していくっていう。
なるほど、遊び心がありますね。
今逆に言えば、全部その論文を何で手筆書くかって、予行集に載せるためじゃないですか。
その学会ごとの論文、通った論文がまとめて冊子になって、本に閉じられるから、
そのレイアウトを統一的に誰が書いても似たようにするためにみんなラテフで書いてる。
特にコンピューター系の人はみたいなところはあって。
だから組繁で遊ぶために作られたわけではなくなっちゃったっていうのがあって。
これは全カットでいいんですけど。
おもろい話だな。論文最近書かれてますよね。
一回頑張って書いて。
論文を書くための仕組みを作ろうとかはなんだか。
むしろそういう研究者の方々、特に僕が書いた論文っていうのは、
ヒューマンコンピューターインタラクションっていう領域で、
みんな何かしらコンピューター使いこなしてる研究者の人たちばっかりだったんで、
そういう人たちって徹底的に論文を書いたりとか、
茶読したりとかっていう仕組みをもうすでにシステム化しつくしてる世界だから。
人文系の研究者とまた違って。
だからそれに対してそのシステムを覚えるっていうのに手一杯で、
自分にとって調子のいい論文を書くためのプラットフォーム作ろうみたいな方にまで頭が行かなかったですね。
もう論文書くっていうのは初めてだったから。
いきなりそこまで言ってたらだいぶぶっ飛んでいくと思うね。
でもそういうフォーマットに合わせることによって、
そこで論文の書き方をすることによって論文になるみたいなところも、
もしかしたらあるのかなっていう気がするんですけど。
実際そういう部門があったりしますね、国内の学会だと。
この学会そのものを円滑に運営するための論文を提出するためのスロットがあったりとか。
ただちょっとどこを楽しいと思うか人それぞれだから、
使うのが楽しいっていう人がいてもおかしくないから、その人にはちゃんと使えるように提供したいなというのはありますかね。
グリーバーマンも自分で作品作って公開するっていうのをずっとやってますしね。
ぶっちゃけ自分が仕事を続けるために必要なものを自分で作っているだけって言えばそうなんですよ。
だって困るから。
もともとはそうだったじゃない、全ての職人さんは自分の道具はある程度自分で手入れはできたわけじゃないですか。
すごい僕が好きな白論で、
フランスのHCIのHuman Content Interactionの研究者の方の話があって、
Designing Design Toolsっていう論文なんですけども、
その冒頭の扉絵かフィギュア2ぐらいに、
19世紀の左官職人さんの方が使っていたヘラの展示の写真があったんですよ。
それっていうのはもう左官職人さんの体型とか手の癖とか使い方に応じて、
左官職人さん自身がそのヘラを削ったりとかして、
いろんな形に変形させてるんですよ。
その使う人によってそもそも道具から違うっていう状態がわかりやすく、
博物館展示になっていたのを論文の中で引用していて、
その次に来るのが、
そのフォトショップのツールバーが30年間何も変わっていないんじゃないかっていうスクリーンショット集だったんですよ。
だからその道具っていうのがどんどんどんどん、
本当はソフトウェアっていう世界は文字通りソフトだから、
どんどんどんどん道具としての性質っていうのを好きなように自己回避にできるっていうのが偽装だったんだけども、
実はハードウェア以上にハードだったっていうのが、
やっぱこの10年とかでわかってきたものだと思うんですよね。
確かにそうですね。
現実のターンテーブルはスクラッチすることもできるし、
ピカチュウのおもちゃはショートさせてノイズを出すこともできるし、
物理空間って意外と自由なんだけども、
ソフトウェア空間ってある意味セキュリティ的に安全にしようとか、
変なことになってパソコン全体フリーさせないようにしようっていう、
おもてなしの気持ちが故にむしろハードウェア以上にハードになっちゃってる。
実はがちがちに安全ネットで固められてるみたいな。
そうですよね。
それが結構悲しいというか、
アランKはこれを望んでたんですか?みたいな気持ちになる。
オープンソースだったりとかフリーソフトウェアみたいなムーブメントって、
基本的にはソフトを作る人とソフトを使う人がほぼ同じぐらいの状態になってるのを理想としますよね。
そうですよね。
それをソフトウェア開発者だけじゃなくて、
僕らみたいなクリレーターとかデザイナーにとってもそういうシステムっていうのを実現しようって
思想してたのがローレン・セレッシブだったと思うんですよ。
すごい偏見まみれの、
実際その思想とかを唱えてる人たちっていうのは文字通りの意味で重機性反対論者になったりとかしてるんですけども。
なるほど。
だからオープンソース文化の一つの負の側面があるとしたら、
過剰にリバタリアンっていうか、自由市場主義っていうのはありますよね。
ちょうどいいとこないんですかね。
難しいな。
だからクリエイティブコーダーってすごい不思議なのは、
そういうソフトウェア会社が夢見たリベラルな側面だけを見習って、
いわゆるカルフォルニアンイデオロジーの良いところだけを抜き取って、
むしろそれこそ今のシリコンバレーとかにいるようなテクノリバタリアンっていうか、
もういいじゃんみたいな、ちっちゃい政府、自己責任でいいじゃんみたいな、
そういうところに関しては、
ちゃんと反対をしてるような人たちっていうのがコミュニティとしてまとまってるとこだよなって思いませんか。
そこまで観察できてないかも。
だからそうなんだ。
逆に今AI企業とかそういうところにいらっしゃる方って、
すごい文化的なものに対しても過剰に自由市場主義なところはあるっていうか、
できるのだからやっちゃえばいいじゃんっていう。
だからすごく炎上したAI絵師かなんかのサービスの中の人と、
ちょっとぼかしますけども、お話ししたときに、炎上する前だったんですけども、
これやばくないですかって話を個人的に聞いてみたら、いや大丈夫みたいな。
ココナラとかそういうクラウドワークスとかみたいなところで、
5000円単価で安い絵を受けてるような人たちだけが淘汰されるのであって、
今のちゃんと活躍されてる絵師は、ちゃんとその絵としての価値っていうのは認められ続けるんだから、
そこはパッティングしないんだよって話を自然とされてたんですけども、
怖って思ったんですよ。
だから、なんだろうな、エンジニアって結構そういう怖い考え方に生きがちというか、
それは自分自身結構そういうところはあるんですけども、何の話だろう。
でもそう考えるしか、その人が進める道がなかったって可能性もあるんじゃないですかね。
そう考えたからそうしたんじゃなくて、
それしかできなかったからそれを正当化する理由を発明するっていうのはよくある話だと思うんですよね。
でもそういうことに自覚的であることは本当に難しくて、
そんなに自覚する必要もないのかもしれないというか、
ていうことだったりする。
僕はちょっと話についていけなくなってきました。
僕はどちらかというと、優しくありたいっていうか、リベランでありたいみたいなのはすごいあるっていうか、
いいじゃん、AI時代どう思う?
それが窮屈に感じている場合はなくはないかもなって、今聞いてちょっと思いました。
それが程よくないスペース。
程よくないし、どうしてもイナタくなるし、なんかそのイナタさこそが、
なんだろう、けどこれ自分で作ってんだもんっていうふうに開き直れるっていうか、それがなんかすごい心地がいいっていうか。
だから多分どうでもいいものしか作れないと思うんですけど、この先も。
あとは単純にCNC大好きじゃないですか、多分みんなここ。
はい。
僕触ったことないんですよね、CNCって。
3Dプリンティングもされてるし、レーザーカッターもされてるんだったら、それはもうCNC愛好者としては。
もう入れてもらえるんですか。
確かにNCマシンって工技に言えばそういうことですよね。
コンピューターのNCマシン、確かにGコード食べれば全部CNC系のところは多分ある。
だからCNC好きっていうものの先には自分自身がヌメリカルコントロールされる、
その網図っていう設計図を通して手を機械のように動かして、自分自身が3Dプリンターになるみたいな未来っていうのが早かれ遅かれ来たんだろうなっていう納得感も感じてあるところじゃないですか。
なにもかかわらない。
なんか1年ぐらい経ったら網図を生成してそうですけどね。
けど今すでに生成する方法感ずっと考えてて。
そうなんですか。
実際今もアルゴリズムで考えたものを手で実行しているから、もうすでに生成していると言えばしている。
そうですね。だから今は網図ってもう完全に編むための設計書ですけども、
全体を俯瞰しながら今その全体の中で自分はどこ編んでいるのかっていうのを意識する。
けどなんかそれだと間違えるんですよね。
これ36名鎖目編んでって数え間違えたりするから。
だからその編んでる瞬間のこの近傍のセルだけを見て、今次何を編めばいいのかっていうのをルールに基づいて演劇できたとしたら、
それって全体を見なくても極小的な部分だけを見たら全体の構造が立ち現れてくるじゃないですか。
こうやってもう完全にセルオートマトンなんですよね。
セルオートマトン編み物ってことですか。
セルオートマトン編み物は楽しいんじゃないかなっていう。
なるほど。
ルールだけが与えられるみたいな。
全体は見なくてもルールだけを見たら勝手にフラクタルが現れるみたいな。
周囲2マス以上が死んでて、3マス生きてたらほしいみたいな。
1次元のセルオートマトンの時系列が2次元になっているみたいな構造だと作りやすそうかもしれないですね。
時系列が1次元。
編む時ってどうしても後に編むものを見ずに先に編んだものだけを見るから、多分時系列性が生まれると思うんですね。
ールセットなんだけども、
それを自分の仮想マシンの中で実行すると勝手に次の網目が生成されてくるって仕組みにするといいなって。
自分は今CNCになれただけじゃなくてポストスクリプトプリンターにもなれたんだ。
なるほど。
嬉しさがありますよね。
なりたいんですよね。
なりたいですよね。
実行環境になりたいみたいな気持ちがあるんですかね。
大阪万博行ったんですけど、EUパビリオンの中でいろんな国が合同になっているパビリオンってだいたい各国の共通集合を取っていけば取っていくほど、別になんでもない展示になっていく。
森が綺麗ですしかもう出てない割と3国の展示があったりとかしたんですけども、
EUはあまりにもそれが広すぎて共通集合がゼロになっちゃったのか、日本の折り紙と枯れ山水が展示しちゃったんですよね。
無だからもう。
無だから文化的な共通集合がないからポスト国の国にあやかろうみたいな。
透明になったんですね。
再継職が見えたっていう。
そうそう。
その枯れ山水の展示をロボットアームがちょっとしたクワみたいなのを持ってうねを掘っていくみたいな展示があって、
一緒に見に行ったアニメーション作家の方が機械がメディテーションしてどうすんのって、そこも許したんですよ。
機械が人間がやるべき瞑想っていうのをやってどうすんだみたいな。
それすごい分かって、僕もこのロボットアームになりたかったんだってその時思ったんですよ。
はぁはぁはぁって言っちゃったけど。
だから自分がCNCになるとかポストスクリプトプリンターになるっていうのは自分をすごい機械にして、
その単純なルールの反復の中に自分の身を没頭させていくことでホワーってなれるみたいな感じですよね。
その気持ちよさは映像を制作する中でもあるんでしょうね。
そうですよね。コマ撮りが好きなのって多分そこだと思うんですよ。
もう肘から先だけで動いているみたいな感じっていうのがあって。
結構そのソフトウェアを作って制作をしていると言っても、
そのソフトウェアでジェネって終わる作品ってほぼ作ってないですよね。
そうですね。
1個ずつなんていうか全部仕組みから作っていてすごいのもあるし、
さらにそれに手間をひたすらかけているっていう、
なんかそっち側のなんていうかどっち側にも手を抜いてないというか、
そこに面白みを見出しているところが結構特殊ですよねと思って。
二面性っぽく見えるかもしれないですね。
そこが一番おいしいところじゃないですか。
調子のいいシステムをものすごい頭をぶん回しながら失礼ましたみたいな。
一番おいしいのはそのシステムを
CGとかだと写真っぽいとか現実のリアルさっていうのがグランドトゥルースとしてあって、
その普遍的な真実としてあって、そこへの差分をどんどん縮めていくっていう定量的な指標があるから、
あえてこれを実写でブツ撮りすることに良さがあるんですよみたいな理論は構築しづらいっていうか、
それを何か無理矢理、実際に撮るっていうことの価値っていうのを捏造してるのがクリストファー・ノーランじゃないですか。
別にCGでやった方が核爆発はすごい綺麗にできると思うんだけども、
何かよくわかんないのを爆発を撮ったりとかしてるみたいな。
それは何か映画のファンとして、CGじゃなくてプラクティカルに撮影されたものをありがたいっていう作法っていうのを、
そのクリストファー・ノーラン自身がいろんなところであじってるっていうか、
言ってることによって、そういう楽しみ方がツールなんだって思えるから、むしろCGは間買い物みたいな、
CGだったら人間として悲しい事実だと思うんですよね。
そうですね。それをどう評価するかみたいな軸自体もプレイヤーが調整することはある程度できるみたいな。
全く意味ないけども、最近Apple TVのハードウェアじゃなくて、サブスクの動画サービスの方のApple TVの冒頭の配給ロゴの映像を、
実際にAppleのロゴをアクリルで撮って、それをモーションコントロールで実際に撮ってるっていう映像だったんですけど、
見たらもうこれCGの方が絶対いいだろうなっていう見た目なんですよ。
そうなんだ。だからCGに劣ってるんですね。
CGに劣って、しかもAppleロゴの葉っぱと本体の部分が浮いちゃうから、その間にワイヤーを通して撮ったのをバレ消しするためにCG使ってるっていう動作的な。
本末転倒みたいな。
それはなんか僕らが、これ実際に撮ったんだ、ありがたいねっていうのを作法として受け入れてるから、それはありがたいんですよ。
いや、大もなく。クオリティとしてどうかともかく、経済的合理性があるかともかく。
それと同じことっていうのが、僕ら自身のドメインの労働においてもできたらいいよなって思うんですよね。
コマ撮りは本当にそういうところですよね。
そうですよね。
本来映像っていうのはぬるっと全部綺麗に動けば動くほど、再現度が高いからいいはずなんだけども、
でもそこではない軸で、人力で動いてるからこそのブレだったりとか、ちょっとズレだったりとか、その時その時の運び方の思いつきだったりとか、
そういうのが反映されてるっていうのが、おもちのやつで多分考えられてたんだろうなっていう感じですよね。
まだ概念。
中性子星何かっていうと、普通の物質って、なんか陽子と中性子と電子でできていて、
で、それぞれ、陽子とか中性子同士は原子核同士は離れているじゃないですか。
ぐるぐる電子が周りを回っていて、ポツポツ原子核があるっていう。
で、この原子核と原子そのもののサイズの比率はだいたい1万倍ぐらいなんですよ。
ほぼスカスカっていう。
で、これが仮にギューギューに原子核だけ固まったとしたら、1万倍、1万分の1のサイズになって、
で、それがいっぺん1万倍だから、1万×1万×1万で1兆倍の密度のものができるんですよ。
すごい。
で、それがなぜできないかっていうと、陽子と陽子が反発するっていうことだったりとか、
いろいろあると思うんですけど、基本的には陽子同士は反発しちゃうし、できにくいんですけど、
それが重力の方が勝ってしまうと、ギュってなっちゃって、中性子星というものができるらしいです。
陽子はもうどっか飛んでいっちゃうんですか。
それが電子とくっついてしまって、この辺は電磁気学でも重力でも力学でもない作用によって、
陽子は電子とくっついて中性子になることが可能なんですけど、それで固まって中性子星になる。
なるほど。
重力がすべて勝ってしまった世界。
それより先にいたブラックホールがあるからちょっと。
元の天体がどれくらい重いかによって、何に進化するかが決まるみたいな。
そうですね、何に落ちるか。
ざっくり言うとそういう話みたいですが、ちょっと正しくなかったらカットしましょう。
ボイジャーのゴールデンレコードに関わらせたのは中性子星ですよね。
そうなんです。
中性子星ってパルサーとして、このぐらいの周波数で瞬いているパルサーから、
だいたい何光年何光年何光年の位置中はありますよっていう地図を確か書いてて。
パルサーっていうのはレアな星なんですか。
自転する中性子星ってこのジェットがあるじゃないですか。
ジェットが両極端から噴射してるんですけども、それがぐるぐるぐるぐる回ってるから、
何かが高度なのか、絶対高度なのか何かがものすごい規則性で振動して見えるはずなんですよね。
それがあまりにも規則正しすぎて、最初パルサー発見したときに奇跡生命体のモールス信号かみたいな、
実際ただあまりにも規則正しく自転し続けてる中性子星だったっていうのが。
星にしてはすごく周期が早いんですよ。
だから星だと最初は思わなかったというか。
で、その辺が結構宇宙としては目印に使えると思ってるんじゃないかっていうことで多分。
なるほど。勝ち合わせ星みたいな感じで。
全然わかんなかった。
なんかガウディすごいぬるっとしてるじゃないですか、形。
なぜぬるっとしてるかって宝物局面だっていうのは聞いたことあるじゃないですか。
そうなんですか。
そうなんですよ。
宝物局面の建物を作ると、
どんなに脆い物質で作っても自重で全体が支えられるっていう性質があって、
理想的ともされてるんですね。
さらに教会とか作るときにてっぺんになんか物を置いたりすると思うんですけど、
その前に、すいません。
その宝物の局面を作るために設計がちょっとやりにくいから、
逆向きにワイヤーなり鎖なりを2点で垂らすと、それが勝手に宝物線になるっていう性質があるんで、
それで鎖をいっぱい垂らして建物の骨格を設計するっていうことをガウディが実際やってたんですね。
なるほど。
で、もし重たいものをてっぺんに乗せるんだったら、それに対応する位置に重りをつり下げると、
ちょっととんがった形に変形して、それが最適解だとわかるっていうところまでやっていて、
だからちっちゃい小袋がついた逆さまの設計図というか立体的な設計図があって、
それを元に作っていたと言われてはいわゆる実際そうだったみたい。
なのでそれがフィジカルコンピューティングというか最適解を物理現象で導き出しててすごいかっこいいなというやつ。
なるほど。
だからワイヤーをくねくね貼って、それをシャボン玉に浸して持ち上げたときにできる曲線っていうのはミニマルサーフェイス。
表面張力によって、なるだけその針金をヘンとして持つ最小面積の平面みたいな曲面になるみたいな話とかあって、
それでファサードに設計したりとかってあるじゃないですか。
すごいですよね。理想論だけどすごい大変そう。でもかっこいいですね。そうあってほしい。
なんかそういうふうなことを言い始めると、そのフィジカルコンピューティングっていうのを介した方が最適解を求められるんですよっていう方弁の下、
プログラマーも工作できるんじゃないかみたいなのも若干思ってて。
なるほど。
で、あとコンピューターシミュレーションやるよりも風洞実験の方が楽しくないですかって内心思ってるのを正当化できるんじゃないかって。
シミュレーションが正しいか結局わかんないからやっぱり風洞実験が一番ですよと言えるし。
そうそうそう。
確かにな。風洞実験やったことないな。なんか楽しそうですよね。
絶対楽しいんですよね。そこに人が滞在してもいいと思ってて。
例えば広場、公園とかに対して歩道を舗装してくねくねみんなが散策しやすいようにするって時に、先にその歩道の決めんじゃなくて芝生のままにしておいて、人が歩き回って獣道ができたところに歩道を敷くと、
なんか近いことを考えていて、子供の布団を保育園で毎週カバーをかける作業があるんですけど、
その時にどの向きに入れたかを覚えずに、均一に消耗させるにはどうしたらいいかって考えていて、結果的に目をつむって向きを決める。
ランス。 自分というランスを。
それによって一旦良しとするっていう。 だからちゃんと考えずにランスに頼ってしまったのが僕のちょっと甘いところでしたね。
なんか目印をつけておくとかしたらいいと思います。 いやでも目印のどこにしたかがわかんないじゃん。
で、次も来週買える時にそれをどうするかっていうのは全種を覚えてないといけなかったらそれもう負けで。
覚えたくはない。 覚えたくはない。
覚えられない。 状態を持ちたくないっていう。
一番最高なのは今の状態すら把握せずにただ機械的に同じことを繰り返したらまんべんなくなる。
まんべんなく使えるって状態じゃないですか。 そうですね。
その次が、過去は覚えなくても今の状態に応じて動作を変えるっていう方法じゃないですか。
それって多分最近知った言葉でマルコフ性ってあってますか。
マルコフ性。マルコフ連鎖とかですかね。 絶対よくわかってないと。
だから現在の状態のみに依存して次の状態が決まる状態っていうのが一つのマルコフ性としてあって。
で、たぶん没頭できる作業は大体マルコフ性が結構あるというか。
なるほど。 何かを記憶してどうこうとかじゃなくて、今の状態を見てそれに応じた行動をすると何かができていく。
ここがキツネ色になった瞬間にひっくり返すっていうのは、キツネ色かどうかってのは現在のものであって、
5時間寝かせた後に何々するっていうのは状態を覚えてなくちゃいけないじゃないですか。
それはなんかすごいおのずと作業が計画的になりすぎちゃって没頭はできないみたいな。
なるほどなぁ。たこ焼きをひっくり返すのもそう近いとこだな。
キツネ色かどうか毎回見ないといけないの大変だなと思いますけど、5時間経ったらピピって言って、はいみたいな感じでひっくり返した方が楽だなと思いますけどね。
作業の没頭性で言うとあれなのかもしれない。
没頭できるか。
ってことはプログラミング言語で、自己再起するよりもフォールループで書く方が気持ちいい派ってことですか?
そうかも。話が違う気もしてきたけども。
うーん、どっちが気持ちいいっていうのはないかもな。
自己再起できたらしたいが、それによって、なんていうか。
BISPとか好きな人はそうなんでしょうね。
自己再起派なんですよ。
いやー、そこはちょっとあんまり馴染めてない、使いこなせてないというか、Cプラがそういう言語じゃないっていうのはあるかもしれないですね。