色々あった。その色々をちょっとね、これから色々聞きたいですけど。
収録したのが2021でしたっけ?
たぶんそうですね。
ですよね、たぶんその頃めちゃくちゃもうやばくて精神状態が。
で、もうほんとに何にも考えられないって感じだったんですけど、
それでもう何にも考えられなさすぎて、
無駄作りってずっとライフワークでやってたプロジェクトのアイディアも考えられないし、
何かを作るってことがそもそも無理みたいな状態になって、
もう明日何をするかみたいなことさえ考えられない。
もうなんかもう創造性がもうゼロになった状態が結構続いて、
でもやっぱ自分の中の基礎にあった部分が、
クリエイティビティが自分の人生をずっと動かしてきたから、
すごいそれは苦しかったんですけど、
どうにかなんかそこの思いつかないというところから脱出しようと、
いろいろリハビリをしていって、
ようやくちょっとずつ作れるようになってきたってところを、
24個のワークを通して書いていったっていう本なんですけど。
これね、私たちもちょっと一足を先に読ませていただきまして。
ありがとうございます。
でもほんとリハビリっていうのがいいえて妙というか、
最初のほうでも結構ズタボロになってる藤原さんが、
徐々になんかいろんな工夫とか、なんか実験とかを繰り返していく中で、
ちょっとずつなんかものを作ることを取り戻していくみたいな。
24のワークって言ってるか、ちょっとお役立ち本みたいな感じに見えるかもしれないけど、
結構読んでみると、もがいた奇跡というか、
藤原さんが回復していくまでのなんかログみたいな。
ほんとそうなんですよね。
私が本当なんか個人的な記録でもあるし、
でもなんか、自分がその時にこういうことすればって言ってくれる友達がそばにいたらめっちゃ嬉しいだろうなって気持ちで本を書きました。
なんでこうなんか、私は精神的に落ち込んでこういうリハビリっていうのをしたんですけれども、
なんか疲れすぎてやりたいことができないとか、
そういう人にもぜひこういうことすればっていうのが書いてあるので、
よかった、読んでほしいなと思うのと、
なんかイメージキャストに読んでほしいって私は今回めっちゃ頼んだんですけど。
そんな頼み込まなくても、一言声かけてくれればもうどこでも行きますよ。
それは本当、あずまさんのなんか話を結構、イメージキャストずっと聞いてて、
ちょっとこう落ち込んだのと、自分の想像性とのこう苦しみみたいなのを結構聞いてたから、
なんかこれ書いてる時に結構聞いてたんですよ。
え、本当ですか。
だからなんか、
すごい、貢献している。
なんかこう、私だけじゃなかったんだ、みたいな、この苦しみみたいなので、
なんかちゃんとこの一冊書こうと思って書いた部分がありました。
いや、マジで世の中にはこういう本がもっと必要だと思いますね。
確かにこういう本当にもがいた時の記憶みたいなものが本になっているのって意外となさそうというか、
単に美談にされるようなことは結構あるかもしれないけど、
本当にこれで苦しんでそれをこうやって抜き出したみたいな話が、
これでもかというくらい濃く書いてあるし、
ワークっていうなんか方法論っぽいニュアンスのところもあるけど、
その方法一つ一つが、ちゃんとこれをしてこうなってこういう気持ちになったっていうのをセットで全部書いてあるのが、
ただのワークっていう軽い言葉ではないというか、
作るっていうことを取り戻すことの、言ってみれば情熱って言うとちょっと言葉がチープだな気がするんですけど、
作りたいという思っている自分自身をすごく大事にしてるんだなというか、
それがなんかいいなというか胸を打つものがあったなと思いますね。
本当に。
ありがとうございます。
なんかその弱っている時に頼りにするべき本みたいなものって、
例えばその医学をやっている方が書いたような、
医学的な根拠によってこういうデータがあるので、
こういう風な休み方をしましょうみたいなのはもちろん、
それはそれで必要だと思うんですけど、
この本は結構徹底して一人称で書かれてる感じというか、
私はこういう過去があって、こういう風な傾向があるから、
だからこそこういう風なことをやってみたらこんな気持ちになったみたいなのが、
ちゃんとこうあるのがすごいこう、
N1ではあるんだけど、それがすごい大事だし、
それこそ刺さるみたいな人は結構いそうだなと思います。
そう、一人称だからこそみんなに伝わるんだろうなっていう感じはしますね。
そうなんですよね。なんかまあ、結構作るリハビリで、
なんかこうクリエイティビティを取り戻そうみたいな目的で書いたんですけど、
でもなんかこう最終的に、別になんか、
あずまさんがたぶんイメージキャストで言ってたのが、
作れない自分でいるのが嫌だみたいなことを。
はいはいはいはい。
そうですね、その自分がこうなってくる過程の中で、
作っていてこそ自分みたいなアイデンティティを自分で塗り込んでしまってるから。
そう、私もめっちゃそれに共感して、
で、自分も、そのときは結構回復した、放送を聞いたときはたぶん回復した後だったんだけど、
振り返って私も絶対そうだったっていうふうに思ったんですよ。
はいはい。
無駄作りっていうのはもちろん職業っていうか、それでお金稼いでる部分もあったから、
そういうものを作れなくなった自分は、自分じゃなくなるみたいなのがやっぱ、
すごいそういう脅迫観念みたいなのがあって、
面白くない自分は自分じゃないから、今のちょっと憂鬱で何も考えられなくて、
アイデンティティがわからない自分はもう自分じゃなくなってしまったから、
今後一切誰にも褒められることがなく死んでいくのだみたいな。
これは終わったみたいな。
もうこれで私は誰からも褒められないみたいな、なんか絶望があったんですよ、ほんとにそのとき。
で、それがやっぱ一番苦しくて、
でもなんか、超つまんない自分をめっちゃ認めてあげる練習をして、
ほんとにこう、なんか布団が吹っ飛んだしか言えない自分をちゃんと認めて、
布団が吹っ飛んだしか言えない人っていう、面白いけど、それはすごい。
布団が吹っ飛んだしか言えない自分でも、とりあえずいいじゃんっていうので、
とりあえずその自分の面白くなさをちゃんと認める練習をめっちゃやっていくと、
面白くない自分も自分であるっていう、
そういう、まあ当たり前は当たり前なんですけど、
そういうところにちゃんとこう、心の底から自分を肯定できるというか、
なんかそういうのができるようになって、ようやくなんか一個スタートライン立てたというか、
じゃあ、面白くないけどなんか作ってみよう。
料理作る回があるんですけど、本の中で。
めちゃくちゃまずいものができあがってもいいから、料理作ってみようみたいな。
ルパチューでしたっけ?
ルパチューっていう料理の名前を先に作って、材料とかは適当にスーパーで買って、
もう失敗前提でルパチューっていう正解のない料理を作るっていうので、
ステイワークをやったんです。
そもそもなんですけど、よく思いつきましたね。
これがでも私のすごいとこかもしれないですね。
いや、そうだと思いますよ。
それは本当にそう。
ギリギリの枯渇した状態でもルパチューだけ思ってる。
結構すごいなと思って。
そうですね。それはなんかすごいなと思いますね。
この24個のことをボロボロの状態でも、
それでも自分にこうしてみてはみたいなことを提案できる。
そう、そこがちょっと私のテンプのおさえだったかもしれないですけど。
でも本当最初は本当ジャーナリングとかめっちゃよくある頃から始めて、
だんだん自分を放出できるようになってから、
ルパチュー作ってみようとか、なんとかをしてみようみたいな感じでやっていったって感じなんですけど。
でも、こういう感じでおもしろくなさとか、できなさみたいなのを一個一個認めてあげることが、
真の自分のおもしろい生活につながるのかなと。
自分だけが気持ちいいからものを作るとか、自分だけがうれしいから作るとか、
そういう意味もなく作るみたいなところにたどり着くために、
普通、子供って最初はそういうところから始まるじゃないですか。
そこから出発して大人になっていくにつれて、
かっこよくないといけないとか、おしゃれじゃないといけないとか、
おもしろくないといけないみたいな感じになっていって、
で、おもしろくて褒められるから自分なんだみたいな感じで変わっていって、
どんどんおもしろくないと作れなくなるとか、かっこよくないと作れなくなるみたいな感じになっていくのから、
また その 子供の状態に戻るまで こんな苦労が必要なんだって いう
そうそう マジで ほんと その通りで
この本を通して 赤ちゃんにただ戻ってってるだけ
作るリハビリって その最初のスタートが 作れなくなってしまった自分は
もう褒められない 社会にとって もう何の価値もない人間なんだってところから
いや でも 別に 作るって何で作ってたかというと
はんだづけって じゅわって はんだが溶けて 気持ちいいから
はんだづけって ずっとやってられるし
粘土で形作るのも 粘土の手触りが気持ちいいから やってたし
っていう根本的なところがあったのに だんだん
面白いもの作ったら みんなから褒められるから お金がもらえるから
いいねがつくから
いいねがつくから みたいな感じで
そこの自分の手触りとか五感の 気持ちよさで作ってたところが
やっぱ飛ばされて 外在的にある社会的な価値 みたいなところに
全部 自分の感覚を痛くしちゃってたな っていうところに気づいて
もう赤ちゃんに戻ってって
社会はどうでもいい みたいなところを
途切れるか みたいなところを すっごい苦労したって感じです
大人の藤原さんが 五歳児ができることを できるようになるまで みたいな
そうです
五歳児になるまで みたいな感じですね
いや すごいな
そういうと なんていうか
戻ってるって言い方も できなくはないけど
なんか 実際できた それで今作ってるものが
五歳児でも大人でも作れないものを 作ってると思う
そこの なんていうか 一周回ってはいるのかもしれないけど
たぶん 元いたポジションでは たどり着けなかった境地に
結局 結果的には なんだろう
戻ってるとかではなくて たどり着いてるのかもしれないなと
がいやながら 思ったりしてますね
確かに
僕 好きなのは
隙間時間にポツンになる
ふと一人になった瞬間に スマホを取り出したりとかするんじゃなくて
一人になった瞬間に 自分の頭の中で ポツンと言ってみるみたいな
けっこう発明の塊ですよね この本
なんか 本当に
ポツンと言ったら ポツンとしたことを しないといけないじゃないですか
ずっと座ってるみたいなとか
スマホ出したら ポツンじゃないからね
そう 本に書いてあるのは ドリンクバーとか
友達とファミレスっていうときに 友達がドリンクバー取りに行ったときに
だいたい スマホ すって取り出しちゃうんですけど
取り出さずに ポツンって
ずっと スーって
暗い中に一人だけいる みたいなイメージになって
そうすると いろいろ考えが
どうでもいいことを 考えられるようになるよね
みたいな感じです
逆に 普通の人が いかに一人になることが 難しいかみたいな この社会で
そう でも それは すごい思いますよね
何かを作るとかってきっかけって
やっぱり 自分の頭の中で
めっちゃ どうでもいいことを 考えなきゃいけないと思うんですけど
スマホとかインスタとか見てると
どうでもよくない情報が すっごい入ってくるじゃないですか
常に 世界は一大事じゃないですか
いろんな人が傷ついていたりとか
意見がぶつかり合ってたりとか
それぞれにとっては
すごい一大事イベントが 常に起こり続けているっていうことに
真面目に向き合おうとすると
その人が その人のことを考えるのって もう 無理やんみたいな
ほんと そう思います
なんか 私 Xを2年ぐらい前に もう見るのやめたんですよ
お! ようこそ
2年… あっ もう覚えてますね
24年の10月に
へぇ
全部フォロー外して
フォロー外すまで行った
タイムラインももう
キョロちゃんとDr.Xだけフォローして
それは面白いと思われようとしてません
キョロちゃんは ほんと好きなんですよ
私 キョロちゃんが一番大好きなんですけど
Dr.Xはドラマを超大好きだよね クラリョーコの
単純に愛をそこに
Dr.Xの情報は ちょっと知りたいなって思って
その2つだけ
で あとも全員フォロー外して
へぇ
で タイムラインもほんと見ないようにして
もう2年以上 2年ぐらい過ごしたんですけど
やっぱなんか やめてこう思ったのは
どうでもよくないことで
タイムラインあふれすぎてて
しんどかったんだなっていうのは
思いました
なんかもっと 昔のツイッターとかって
なんかどうでもいいことばっかだったじゃないですか
ほんとにそんなに
パンがおいしいとか
今日牛丼食べよとか
そういうどうでもよさであふれてて
そのどうでもよさがたぶん好きだったんですよね
でもやっぱりどんどんどうでもよくなって
この人からこういうこと言われて
ひどいとか
すっごいどうでもよくないなそれみたいな
ことがやっぱどんどんどんどん
多くなっていくと
やっぱなんかキャパ超えちゃって
それでやっぱ脳のリソースとか考えるリソースが
盛れちゃって
っていうのは思いました
2011年の大震災以降で
ツイッターが当時
いろんなことを
情報網が切れたりとかしてたから
ソーシャルメディアとして情報を広げたりとかする
ための有用なツールだ
みたいな感じで受け止められるようになって
そのタイミングあたりから
ちょっとどうでもいいことを書いてるなんて
不謹慎なんだよみたいな
一瞬ありましたよね
言い放題なことを言ってちゃいけないんじゃないかみたいな
感じの空気はあって
なんかコロナ禍以降だったりとか
戦争が起こったりとか
そのタイミングで結構
断続的にそういう波というか
そういう流れになったって
感じはあります
そう思ってる人
自体は結構いるかもしれないけど
実際にそれで離脱するっていう
選択を
ちゃんと自分のためにやれたっていうことが
本当にそれはね
すごいですね
僕も見てないんですけど
仕事で使ってないんですよ
Xとか
生活に支障はないんですけど
藤原さんはSNSで面白いことを
出していくっていうのは結構
飯の種になってる
飯の種なんです
アカウント消したら
もう食べていけないかもしれない
収入減るぞみたいな
リアルなやつがありますよね
いくら減るんだろうみたいになっちゃうんで
アカウント消すなんて
そんな勇気のあることはできなかったんですけど
でも結構
世間の流れとかもやっぱり
ちょっとみんな離脱して
いるイメージはちょっとあるんですね
Xで企業とかも
Xでどんどん広告出して
キャンペーンやっていくぞって
よりかは
インスタとかYouTubeとか
そっちに流れてってる感じは
するので
自分もその流れに
乗る感じかな
インスタとかは結構見てるんですけど
でもYouTubeも
最近おすすめに
表示しないみたいなのめっちゃできるんです
嫌だなーって動画が流れてきたら
おすすめに表示しないみたいな
のでどんどんアルゴリズムを整理していって
情報を
どうでもいい動画を
ニュースとかを全部
ブロックして
YouTubeのニュースって結構なんか
刺激的な
感情揺さぶる
悲惨なニュースだったりとか
人がこう
なんだろう
一過ごう申したくなるみたいな
こいつが悪いとか言いたくなっちゃうよな
あとニュースサイトも
特定のアルゴリズムとか
おすすめとか
出てこないニュースサイトだけにして
他のニュースサイト
絶対見ない
整理しました
私が憂鬱になったのが
最初がパニック障害だったんです
動機がすごいバクバクした
心臓が
そこから
どんどん気分が落ちていった
いろいろそのときも私
いろんな本読んで
怖すぎて
体のメカニズムが
心理療法的な
認知行動療法と
パニック障害と言うんですけど
それでいろいろ言われてるのが
これは本当か嘘か
医学的根拠とか
わかんないですけど
変動体の異常みたいなのを私は信じてて
変動体って
サバンナとかにいた
事態から
人間に会ってどうもなく
動物とかがワーって来たときに
変動体がやばい逃げろ
心臓バクバクして
体に指令を出す部位なんですけど
今安全なのにまだあって
それがやっぱ情報とかが
多すぎるとめっちゃ変動体が
アラームになっちゃって
やばい
命の危険だみたいな風に
体に発信しちゃう
みたいなのがあって
そのパニック障害とか不安障害
とかは結構
そこがちょっとバグ起きちゃってる
ずっと鳴り続けちゃってる
状態みたいなのを読んだんですよ
これは確かに
そうかもと思って
自分を危険だって思わせる
情報から
身を置くようにしようと思って
ちょっと例えば記事とか読んで
ちょっとバクバクみたいなのが
あったらもうそれ全部ブロックして
情報全部見ない見ない
っていう風にしてて
自分のこのセンサーを
ちゃんと使って
情報を
弾くようにする
っていうのをやってました
っていうのもあってマイクスは
全部見なくなって
ニュースとかもみんな特定のサイト
しか見なくなって
異常なのかもしれないけど
でも実際に
それを見たくなかったのも事実なのかもしれないですよね
なんとなく