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#281 何も作れなくなった藤原麻里奈さんが、作る楽しさを取り戻すまで
2026-07-25 1:16:22

#281 何も作れなくなった藤原麻里奈さんが、作る楽しさを取り戻すまで

無駄づくりでお馴染みの藤原麻里菜さんがゲストに来てくれました!
7/17に出版された藤原さんの「つくるリハビリ」の紹介をしています。
つくることがしんどくなった時期から、またつくる気持ちを取り戻すまでを沢山の「ワーク」を通じて取り戻していく過程について書かれているのですが、その時のことや制作について考えていることについてじっくり話しました。

■参考リンク

つくるリハビリ 創造性を取り戻すための24のワーク | 左右社 SAYUSHA
https://sayusha.com/books/-/isbn9784865285222

■プロフィール

あずま
インターネットが好き。Image Club主宰。会社でエンジニア・デザイナーとして働いている。犬を飼っている。1991年生まれ。

鉄塔
工作が好き。フリーランスでエンジニアをやっている。猫を飼っている。1987年生まれ。

アートワーク: error403
クリエイター/イラストレーター。耳かきを外に持ち歩いている。


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サマリー

今回のゲストは、無駄づくりで知られる藤原麻里奈さん。彼女は7月17日に発売された著書「つくるリハビリ」について語ります。この本は、藤原さんが創作活動に行き詰まり、何も作れなくなった時期から、再び作る楽しさを取り戻すまでの過程を、24のワークを通して綴ったものです。 番組では、藤原さんが精神的に追い詰められ、創造性がゼロになった状態からどのように回復していったのか、その具体的なリハビリ方法や心境の変化が語られました。特に、自己肯定感を高めるための「面白くない自分」を認める練習や、「ルパチュー」という架空の料理を作るワークなどが紹介されます。また、SNSとの付き合い方や、情報過多な現代社会で「どうでもいいこと」を考える時間を持つことの重要性についても触れられました。 さらに、創作活動における「完成させること」の意味や、失敗を恐れずに挑戦することの大切さ、そして「作る」という行為の本質について深く掘り下げられます。藤原さんは、他者からの評価ではなく、自分自身の感覚や「気持ちよさ」を大切にすること、そして「隙間を埋める」ような個人的な創作活動が、社会との繋がりを築く上でいかに重要であるかを語ります。この本は、クリエイティビティを失った人だけでなく、多くの人が共感し、生きづらさを乗り越えるヒントを得られる内容となっています。

藤原麻里奈さん登場と近況報告
なんか、最初、NSC芸人の養成所に行ってたときに、言われたんですよ。
同じ台本でも、ゆっくり大きな声でやれば、絶対ウケる。
おもろ。
じゃあ、ゆっくり大きな声で。
ゆっくり大きな声でね。
藤原さんが、やってきた。
本が出た。
キャッテネー。
Image Cast!
いいんじゃない?
ゆっくり大きな声で。
ゆっくり大きな声で。
はい、ということで、ゲストです。
藤原さんがやってきました。
はい、無駄づくりというのをやっています。藤原まりなです。
イエーイ。
これの前の回が、公開収録ゲスト回なんで。
あ、そうだ。
なんと2回連続のゲスト回になって。
初ですね。
初っすね。
ありがとうございます。
魔王カズどんどん、ビッグネームが登場してくるという。
実は、前回藤原さんが来たことがあるんですよね。
2021年でしたね、この間調べて。
めちゃめちゃ昔ですね。
5年前に参加してもらって。
それから5年、いろいろありましたね。
いろいろありました。
関係性で言うと。
なんですかね、関係性で言うと。
でもなんか、イメージクラブを2人がやられてて。
それに私もちょこちょこ参加して。
無駄なものを一緒に作る仲間みたいな感じでしたね。
イメージクラブで発表してもらったりとかも。
イメージクラブの記事でもいくつか書いてもらっていると思うんですけど。
大きいイヤホンをめちゃめちゃ絡ませる装置の記事とかも直近って言っても結構毎度あるので。
23年とか22年とかですかね。
有線コードのイヤホンを入れてボタンを押すと、
ぐるぐるマシーンが回ってコードが絡まって出てくるっていうマシーンを。
最高のマシーンをね。
私がちっちゃいので作ったんですけど、
あれを展示用に大きくしたくて、
たかたさんにちょっと設計を巨大化してくださいということで、
めっちゃ頑張って作りました。
頑張りましたね。
いまだに家の倉庫に置いてあって。
邪魔ですよね。
あれから多分2回ぐらい引っ越したんですけども、
引っ越し屋さんに、これは何ですか?
引っ越しで見積もりするときに書くじゃないですか、
洗濯機1の。
品目がね。
あそこに、これって何ですか?
なんて書けばいいですか?
いや、これはあの、マシーンなんですけど、
美術品で大丈夫です。
美術品、100万円以上とかの高価なものですか?とか言われて、
いや、そんなことじゃないんですけど。
難しいですね。
扱いに困る。
藤原さんの引っ越しって引っ越し業者さんめっちゃ悩みそうだから。
めっちゃ大変そう。
品目には入らないものがたくさんありそう。
ちょっと変なものがいっぱいある。
いやー、でもまだ残ってるのすごい嬉しいですね。
残ってます。
そんな時代も経て、5年後、もうね、我々も子供も生まれ、
藤原さんもご出産おめでとうございます。
だいぶ色々変わりましたね。
変わりましたね。
そして、そんな中で藤原さんが本を出しました。
出しました。
やったー。
7月17日に左右者から出まして、
作るリハビリという本です。
サブタイトルが創造性を取り戻すための24のワークっていうので、
なんかまあ私5年、色々あったんですけど。
「つくるリハビリ」出版の背景と内容
色々あった。その色々をちょっとね、これから色々聞きたいですけど。
収録したのが2021でしたっけ?
たぶんそうですね。
ですよね、たぶんその頃めちゃくちゃもうやばくて精神状態が。
で、もうほんとに何にも考えられないって感じだったんですけど、
それでもう何にも考えられなさすぎて、
無駄作りってずっとライフワークでやってたプロジェクトのアイディアも考えられないし、
何かを作るってことがそもそも無理みたいな状態になって、
もう明日何をするかみたいなことさえ考えられない。
もうなんかもう創造性がもうゼロになった状態が結構続いて、
でもやっぱ自分の中の基礎にあった部分が、
クリエイティビティが自分の人生をずっと動かしてきたから、
すごいそれは苦しかったんですけど、
どうにかなんかそこの思いつかないというところから脱出しようと、
いろいろリハビリをしていって、
ようやくちょっとずつ作れるようになってきたってところを、
24個のワークを通して書いていったっていう本なんですけど。
これね、私たちもちょっと一足を先に読ませていただきまして。
ありがとうございます。
でもほんとリハビリっていうのがいいえて妙というか、
最初のほうでも結構ズタボロになってる藤原さんが、
徐々になんかいろんな工夫とか、なんか実験とかを繰り返していく中で、
ちょっとずつなんかものを作ることを取り戻していくみたいな。
24のワークって言ってるか、ちょっとお役立ち本みたいな感じに見えるかもしれないけど、
結構読んでみると、もがいた奇跡というか、
藤原さんが回復していくまでのなんかログみたいな。
ほんとそうなんですよね。
私が本当なんか個人的な記録でもあるし、
でもなんか、自分がその時にこういうことすればって言ってくれる友達がそばにいたらめっちゃ嬉しいだろうなって気持ちで本を書きました。
なんでこうなんか、私は精神的に落ち込んでこういうリハビリっていうのをしたんですけれども、
なんか疲れすぎてやりたいことができないとか、
そういう人にもぜひこういうことすればっていうのが書いてあるので、
よかった、読んでほしいなと思うのと、
なんかイメージキャストに読んでほしいって私は今回めっちゃ頼んだんですけど。
そんな頼み込まなくても、一言声かけてくれればもうどこでも行きますよ。
それは本当、あずまさんのなんか話を結構、イメージキャストずっと聞いてて、
ちょっとこう落ち込んだのと、自分の想像性とのこう苦しみみたいなのを結構聞いてたから、
なんかこれ書いてる時に結構聞いてたんですよ。
え、本当ですか。
だからなんか、
すごい、貢献している。
なんかこう、私だけじゃなかったんだ、みたいな、この苦しみみたいなので、
なんかちゃんとこの一冊書こうと思って書いた部分がありました。
いや、マジで世の中にはこういう本がもっと必要だと思いますね。
確かにこういう本当にもがいた時の記憶みたいなものが本になっているのって意外となさそうというか、
単に美談にされるようなことは結構あるかもしれないけど、
本当にこれで苦しんでそれをこうやって抜き出したみたいな話が、
これでもかというくらい濃く書いてあるし、
ワークっていうなんか方法論っぽいニュアンスのところもあるけど、
その方法一つ一つが、ちゃんとこれをしてこうなってこういう気持ちになったっていうのをセットで全部書いてあるのが、
ただのワークっていう軽い言葉ではないというか、
作るっていうことを取り戻すことの、言ってみれば情熱って言うとちょっと言葉がチープだな気がするんですけど、
作りたいという思っている自分自身をすごく大事にしてるんだなというか、
それがなんかいいなというか胸を打つものがあったなと思いますね。
本当に。
ありがとうございます。
なんかその弱っている時に頼りにするべき本みたいなものって、
例えばその医学をやっている方が書いたような、
医学的な根拠によってこういうデータがあるので、
こういう風な休み方をしましょうみたいなのはもちろん、
それはそれで必要だと思うんですけど、
この本は結構徹底して一人称で書かれてる感じというか、
私はこういう過去があって、こういう風な傾向があるから、
だからこそこういう風なことをやってみたらこんな気持ちになったみたいなのが、
ちゃんとこうあるのがすごいこう、
N1ではあるんだけど、それがすごい大事だし、
それこそ刺さるみたいな人は結構いそうだなと思います。
そう、一人称だからこそみんなに伝わるんだろうなっていう感じはしますね。
そうなんですよね。なんかまあ、結構作るリハビリで、
なんかこうクリエイティビティを取り戻そうみたいな目的で書いたんですけど、
でもなんかこう最終的に、別になんか、
あずまさんがたぶんイメージキャストで言ってたのが、
作れない自分でいるのが嫌だみたいなことを。
はいはいはいはい。
そうですね、その自分がこうなってくる過程の中で、
作っていてこそ自分みたいなアイデンティティを自分で塗り込んでしまってるから。
そう、私もめっちゃそれに共感して、
で、自分も、そのときは結構回復した、放送を聞いたときはたぶん回復した後だったんだけど、
振り返って私も絶対そうだったっていうふうに思ったんですよ。
はいはい。
無駄作りっていうのはもちろん職業っていうか、それでお金稼いでる部分もあったから、
そういうものを作れなくなった自分は、自分じゃなくなるみたいなのがやっぱ、
すごいそういう脅迫観念みたいなのがあって、
面白くない自分は自分じゃないから、今のちょっと憂鬱で何も考えられなくて、
アイデンティティがわからない自分はもう自分じゃなくなってしまったから、
今後一切誰にも褒められることがなく死んでいくのだみたいな。
これは終わったみたいな。
もうこれで私は誰からも褒められないみたいな、なんか絶望があったんですよ、ほんとにそのとき。
で、それがやっぱ一番苦しくて、
でもなんか、超つまんない自分をめっちゃ認めてあげる練習をして、
SNSとの距離感と情報との向き合い方
ほんとにこう、なんか布団が吹っ飛んだしか言えない自分をちゃんと認めて、
布団が吹っ飛んだしか言えない人っていう、面白いけど、それはすごい。
布団が吹っ飛んだしか言えない自分でも、とりあえずいいじゃんっていうので、
とりあえずその自分の面白くなさをちゃんと認める練習をめっちゃやっていくと、
面白くない自分も自分であるっていう、
そういう、まあ当たり前は当たり前なんですけど、
そういうところにちゃんとこう、心の底から自分を肯定できるというか、
なんかそういうのができるようになって、ようやくなんか一個スタートライン立てたというか、
じゃあ、面白くないけどなんか作ってみよう。
料理作る回があるんですけど、本の中で。
めちゃくちゃまずいものができあがってもいいから、料理作ってみようみたいな。
ルパチューでしたっけ?
ルパチューっていう料理の名前を先に作って、材料とかは適当にスーパーで買って、
もう失敗前提でルパチューっていう正解のない料理を作るっていうので、
ステイワークをやったんです。
そもそもなんですけど、よく思いつきましたね。
これがでも私のすごいとこかもしれないですね。
いや、そうだと思いますよ。
それは本当にそう。
ギリギリの枯渇した状態でもルパチューだけ思ってる。
結構すごいなと思って。
そうですね。それはなんかすごいなと思いますね。
この24個のことをボロボロの状態でも、
それでも自分にこうしてみてはみたいなことを提案できる。
そう、そこがちょっと私のテンプのおさえだったかもしれないですけど。
でも本当最初は本当ジャーナリングとかめっちゃよくある頃から始めて、
だんだん自分を放出できるようになってから、
ルパチュー作ってみようとか、なんとかをしてみようみたいな感じでやっていったって感じなんですけど。
でも、こういう感じでおもしろくなさとか、できなさみたいなのを一個一個認めてあげることが、
真の自分のおもしろい生活につながるのかなと。
自分だけが気持ちいいからものを作るとか、自分だけがうれしいから作るとか、
そういう意味もなく作るみたいなところにたどり着くために、
普通、子供って最初はそういうところから始まるじゃないですか。
そこから出発して大人になっていくにつれて、
かっこよくないといけないとか、おしゃれじゃないといけないとか、
おもしろくないといけないみたいな感じになっていって、
で、おもしろくて褒められるから自分なんだみたいな感じで変わっていって、
どんどんおもしろくないと作れなくなるとか、かっこよくないと作れなくなるみたいな感じになっていくのから、
また その 子供の状態に戻るまで こんな苦労が必要なんだって いう
そうそう マジで ほんと その通りで
この本を通して 赤ちゃんにただ戻ってってるだけ
作るリハビリって その最初のスタートが 作れなくなってしまった自分は
もう褒められない 社会にとって もう何の価値もない人間なんだってところから
いや でも 別に 作るって何で作ってたかというと
はんだづけって じゅわって はんだが溶けて 気持ちいいから
はんだづけって ずっとやってられるし
粘土で形作るのも 粘土の手触りが気持ちいいから やってたし
っていう根本的なところがあったのに だんだん
面白いもの作ったら みんなから褒められるから お金がもらえるから
いいねがつくから
いいねがつくから みたいな感じで
そこの自分の手触りとか五感の 気持ちよさで作ってたところが
やっぱ飛ばされて 外在的にある社会的な価値 みたいなところに
全部 自分の感覚を痛くしちゃってたな っていうところに気づいて
もう赤ちゃんに戻ってって
社会はどうでもいい みたいなところを
途切れるか みたいなところを すっごい苦労したって感じです
大人の藤原さんが 五歳児ができることを できるようになるまで みたいな
そうです
五歳児になるまで みたいな感じですね
いや すごいな
そういうと なんていうか
戻ってるって言い方も できなくはないけど
なんか 実際できた それで今作ってるものが
五歳児でも大人でも作れないものを 作ってると思う
そこの なんていうか 一周回ってはいるのかもしれないけど
たぶん 元いたポジションでは たどり着けなかった境地に
結局 結果的には なんだろう
戻ってるとかではなくて たどり着いてるのかもしれないなと
がいやながら 思ったりしてますね
確かに
僕 好きなのは
隙間時間にポツンになる
ふと一人になった瞬間に スマホを取り出したりとかするんじゃなくて
一人になった瞬間に 自分の頭の中で ポツンと言ってみるみたいな
けっこう発明の塊ですよね この本
なんか 本当に
ポツンと言ったら ポツンとしたことを しないといけないじゃないですか
ずっと座ってるみたいなとか
スマホ出したら ポツンじゃないからね
そう 本に書いてあるのは ドリンクバーとか
友達とファミレスっていうときに 友達がドリンクバー取りに行ったときに
だいたい スマホ すって取り出しちゃうんですけど
取り出さずに ポツンって
ずっと スーって
暗い中に一人だけいる みたいなイメージになって
そうすると いろいろ考えが
どうでもいいことを 考えられるようになるよね
みたいな感じです
逆に 普通の人が いかに一人になることが 難しいかみたいな この社会で
そう でも それは すごい思いますよね
何かを作るとかってきっかけって
やっぱり 自分の頭の中で
めっちゃ どうでもいいことを 考えなきゃいけないと思うんですけど
スマホとかインスタとか見てると
どうでもよくない情報が すっごい入ってくるじゃないですか
常に 世界は一大事じゃないですか
いろんな人が傷ついていたりとか
意見がぶつかり合ってたりとか
それぞれにとっては
すごい一大事イベントが 常に起こり続けているっていうことに
真面目に向き合おうとすると
その人が その人のことを考えるのって もう 無理やんみたいな
ほんと そう思います
なんか 私 Xを2年ぐらい前に もう見るのやめたんですよ
お! ようこそ
2年… あっ もう覚えてますね
24年の10月に
へぇ
全部フォロー外して
フォロー外すまで行った
タイムラインももう
キョロちゃんとDr.Xだけフォローして
それは面白いと思われようとしてません
キョロちゃんは ほんと好きなんですよ
私 キョロちゃんが一番大好きなんですけど
Dr.Xはドラマを超大好きだよね クラリョーコの
単純に愛をそこに
Dr.Xの情報は ちょっと知りたいなって思って
その2つだけ
で あとも全員フォロー外して
へぇ
で タイムラインもほんと見ないようにして
もう2年以上 2年ぐらい過ごしたんですけど
やっぱなんか やめてこう思ったのは
どうでもよくないことで
タイムラインあふれすぎてて
しんどかったんだなっていうのは
思いました
なんかもっと 昔のツイッターとかって
なんかどうでもいいことばっかだったじゃないですか
ほんとにそんなに
パンがおいしいとか
今日牛丼食べよとか
そういうどうでもよさであふれてて
そのどうでもよさがたぶん好きだったんですよね
でもやっぱりどんどんどうでもよくなって
この人からこういうこと言われて
ひどいとか
すっごいどうでもよくないなそれみたいな
ことがやっぱどんどんどんどん
多くなっていくと
やっぱなんかキャパ超えちゃって
それでやっぱ脳のリソースとか考えるリソースが
盛れちゃって
っていうのは思いました
2011年の大震災以降で
ツイッターが当時
いろんなことを
情報網が切れたりとかしてたから
ソーシャルメディアとして情報を広げたりとかする
ための有用なツールだ
みたいな感じで受け止められるようになって
そのタイミングあたりから
ちょっとどうでもいいことを書いてるなんて
不謹慎なんだよみたいな
一瞬ありましたよね
言い放題なことを言ってちゃいけないんじゃないかみたいな
感じの空気はあって
なんかコロナ禍以降だったりとか
戦争が起こったりとか
そのタイミングで結構
断続的にそういう波というか
そういう流れになったって
感じはあります
そう思ってる人
自体は結構いるかもしれないけど
実際にそれで離脱するっていう
選択を
ちゃんと自分のためにやれたっていうことが
本当にそれはね
すごいですね
僕も見てないんですけど
仕事で使ってないんですよ
Xとか
生活に支障はないんですけど
藤原さんはSNSで面白いことを
出していくっていうのは結構
飯の種になってる
飯の種なんです
アカウント消したら
もう食べていけないかもしれない
収入減るぞみたいな
リアルなやつがありますよね
いくら減るんだろうみたいになっちゃうんで
アカウント消すなんて
そんな勇気のあることはできなかったんですけど
でも結構
世間の流れとかもやっぱり
ちょっとみんな離脱して
いるイメージはちょっとあるんですね
Xで企業とかも
Xでどんどん広告出して
キャンペーンやっていくぞって
よりかは
インスタとかYouTubeとか
そっちに流れてってる感じは
するので
自分もその流れに
乗る感じかな
インスタとかは結構見てるんですけど
でもYouTubeも
最近おすすめに
表示しないみたいなのめっちゃできるんです
嫌だなーって動画が流れてきたら
おすすめに表示しないみたいな
のでどんどんアルゴリズムを整理していって
情報を
どうでもいい動画を
ニュースとかを全部
ブロックして
YouTubeのニュースって結構なんか
刺激的な
感情揺さぶる
悲惨なニュースだったりとか
人がこう
なんだろう
一過ごう申したくなるみたいな
こいつが悪いとか言いたくなっちゃうよな
あとニュースサイトも
特定のアルゴリズムとか
おすすめとか
出てこないニュースサイトだけにして
他のニュースサイト
絶対見ない
整理しました
私が憂鬱になったのが
最初がパニック障害だったんです
動機がすごいバクバクした
心臓が
そこから
どんどん気分が落ちていった
いろいろそのときも私
いろんな本読んで
怖すぎて
体のメカニズムが
心理療法的な
認知行動療法と
パニック障害と言うんですけど
それでいろいろ言われてるのが
これは本当か嘘か
医学的根拠とか
わかんないですけど
変動体の異常みたいなのを私は信じてて
変動体って
サバンナとかにいた
事態から
人間に会ってどうもなく
動物とかがワーって来たときに
変動体がやばい逃げろ
心臓バクバクして
体に指令を出す部位なんですけど
今安全なのにまだあって
それがやっぱ情報とかが
多すぎるとめっちゃ変動体が
アラームになっちゃって
やばい
命の危険だみたいな風に
体に発信しちゃう
みたいなのがあって
そのパニック障害とか不安障害
とかは結構
そこがちょっとバグ起きちゃってる
ずっと鳴り続けちゃってる
状態みたいなのを読んだんですよ
これは確かに
そうかもと思って
自分を危険だって思わせる
情報から
身を置くようにしようと思って
ちょっと例えば記事とか読んで
ちょっとバクバクみたいなのが
あったらもうそれ全部ブロックして
情報全部見ない見ない
っていう風にしてて
自分のこのセンサーを
ちゃんと使って
情報を
弾くようにする
っていうのをやってました
っていうのもあってマイクスは
全部見なくなって
ニュースとかもみんな特定のサイト
しか見なくなって
異常なのかもしれないけど
でも実際に
それを見たくなかったのも事実なのかもしれないですよね
なんとなく
「作る」ことの本質と「完成させる」能力
なんか不思議ですよね
例えばすごい悲惨な
子供が悲惨な目にあった
事件とかを
ニュースで見ると
おすすめ欄に
次このニュースも興味あるかも
同じようなひどい
悲惨なニュースが
クイック率がね
高いものってそうですからね
あの仕組みのニュースサイト
めっちゃ多いじゃないですか
わかるわ
LINEの上の
LINE開いた時に上の方に出てくるニュース
結構そういうのが多くて
友達と連絡取ろうと思って
LINE開いた時になんで子供が死ぬニュース
見せられなきゃいけないの
怖いですよね
そこ開くと他の悲惨なニュースが出てくるんですけど
3年前のニュースとかだったりするんですよ
悲惨さゆえに
常に上の方に
アップされてるけどもはや
ニュースでもないみたいな
2019年とかのニュースとか
そういうのもあって
それって見たくないのに
見ちゃうんですよね
怖いですよね
見たくないのにクリックしちゃうような
そういう仕組み乗ってるから
それはもう自分で
全部
ブロックしてこうと
アドガードを入れてLINEにニュース出てこないようにしてます
大事ですね予防
そういうニュースから
遠ざけてくれというシグナルを
ある意味正しく発信してたのかな
っていうような気もする
そうですね体がちゃんと反応している
っていう
しないままぱったりみたいな
場合もあるだろうし
逆になんかタフだから大丈夫
みたいな常にそれを受け続けている
それに慣れてしまう
それはそれで
自分の感性が鈍っていくみたいな
のもありそう
アドガード入れまくってるんですね
アドガード入れてますよね
いやー僕鈍っちゃってるのかもしれない
見てもそれが平気になっちゃう
ってことは結構やばいことなんじゃないかな
すごいですよね
なんか私も久しぶりなんかで
Twitterのホーム
みたいな
見たんですよタイムライン
なんかもう怖くて
なんでみんな怖いことこんなに言ってるのみたいな
これ知らない人にこんな怖いこと
見ないみたいなのおかしくない?
ちょっと普通の社会じゃ
ねえだろっていう感じになっちゃってるし
そこなんかその
やっぱ今までというか
ここ15年
ぐらいインターネットで受ける
ってことがイコールTwitterで受けるってこと
だったじゃないですか
でももはやあんまここで受けたくない
みたいな
なんかね結構
僕にとっては終わっちゃった地元
みたいな
そこで生まれ育って
愛着みたいなのはあるけど
今の姿はちょっと見てらんないし
地元ここですって
言いたくないなみたいな
というのを
考えて
Twitterで受けようとは思わなくなりました
寂しいですね
寂しいかもしれないですね
だし数としては
たくさん見てる人が
多いわけです
ブルースカイはどうですか
ブルースカイはすごいですよ
すごいおすすめですよ
無風なんで
時々100いいねとか
もらえると
僕にとっては大バズり
わかります
私も
インスタとかで
何万人からいいね
もらうよりか
親しい友達向けにちょっと
面白いストーリーみたいなのあげて
友達から3いいね
とかもらう
嬉しい
顔が見えて
性格が分かっている人から
この人から認められた
みたいな
全体的に数に
とらわれすぎている
何人に受けるっていうのが
あまりに絶対的な指標になりすぎている
それは本当ありますね
本当に自分にとって
嬉しいことは何か
もうちょっとみんな
考え直したほうがいい
バズったことない人には
その感覚わかんないかもしれないな
とも思うけど
何度もバズった上での
そういう気持ちがあるような気がして
バズったことない人にとっては
いまだにバズは輝いているような気がする
そうかもな逆に
なんじゃないかなと思うけど
それにある意味
飽きるほどバズった後で
そう思うのかもしれないなっていう
ちょっと思った
そうでもない
バズり散らかし
そんな
バズるって下品な言葉ですよ
恥ずかしいですよね
あんまり言わなくなりましたね
バズるとか恥ずかしいから
僕はそんなバズったことがないから
一万いいねもらったらやっぱ嬉しいよな
ってここの中で
僕はまだ思っちゃうところがあって
めっちゃ嬉しいんですけど
それを目標にしちゃうというか
それは違うじゃないですか
一万いいねのために
今思いついたことを
形にするにあたって
これは一万いいね食うだろうかみたいな
変な外部の指標が
自分の中に内面化されちゃう
これはなんか
私にとっては一万いいねですけど
人によっては
〇〇先生から褒められるだろうか
もしかしたら
これで昇進できるだろうか
みたいなことに
置き換えられるのかなと思うんですけど
やっぱそういう
呪縛みたいな
自分が何かをやるにあたって
自分がコントロールできないことに
指標になっていると
そこでモチベーションというか
それが
モチベーションになっていると
自分の大切な部分とか
本当の情熱みたいなところが
どんどん置き去りにしちゃうんで
つくえリハビリの中で
本の中で書いているのが
やっぱり
他人から褒められるために
何かをつくるので
一番大事なことって
自分のスキルとか
どんだけ面白いものをつくるかじゃなくて
褒められる人をどれだけ用意できるか
ということにかかっているじゃないですか
やっぱその
自分がつくったものを
人が褒めてくれるか褒められないかって
自分ではコントロール化に
おけないことだから
そこを評価にして何かをつくる
っていう風にすると
自分がめちゃめちゃ置き去りになっちゃうから
とりあえずそこを
どれだけ切り離せるか
やっぱりこう
人間だからつくるとか
何かをする自分の行動で
誰かから褒められないとか
承認されたいっていうのは
切れないものではあるんですけども
やっぱなんか
行動するときに
見ないふりをどれだけできるか
みたいなところが
自分の課題だったなと思って
しかもね
受けるのが仕事と
直結しちゃってると
より抜け出せない
それがあって
結構物をつくること
物をつくったりとか発表したりとか
するのをやっていて
辞めていく人の
マインドって結構そういうの近いのは
あるのかも
僕はインターネットに物をつくって
発表して受けるみたいなのが
嬉しくてもともとやってたりとか
してたんですけど
最近なんか
発表の部分を
やらなくなってきてて
つくるだけつくって
鉄塔さんにしゃべっておしまい
みたいな
結局それで満たされる
ところはありますよね
自分もなんかつくって
夫に見せてできた
夫が苦笑いして
終わりみたいなこともあります
あーそうなんだ
めっちゃいい関係性じゃないですか
これこう
ここ開くんだ
これここ開いて
ボタン押すと音なんだ
へー
面白い
なんかでも
興味を持たれすぎないことによって
安心して見せれるみたいなので
なんかわかる気がするというか
期待されてないから
ものすごい喜ばれると
それはそれでちょっと見せるの
しんどい可能性あったかもしれないけど
期待が大きくなってしまうと
ちょうどいいとありそう
子供ですよ
自分の子供性をちゃんと大切にしたほうが
子供も絶対
来た親から期待されて
次はどんな工作つくってくれるのかな
とか言われたら
絶対なんかつくらなくなる
それよりかなんか
皿とか洗いながら
パッてお母さんに見て
あーすごいね
って言ってもらえるほうが心が楽っていうか
もっと見てよ
っていうほうが
次もつくろうって気持ちになる
自分の子供性を
大切にして
コントロールして
できる部分をコントロールしていく
なんか子育ての話みたいになってきますけど
褒めることの
害があるみたいな話も
ちょいちょいあるじゃないですか
なんか褒めすぎると褒められることが
目的になるみたいなのもあるし
褒められる程度の
なんていうか褒められないと続かない
という
立場の弱い人間という
ポジションに置かれているという風に
解釈するというか
なんていうのかな
褒めてあげなきゃいけない立場って
すごくある種見下されているというか
でもそれへえすごいねって流されるのは
なんかむしろ
対等に近いというか
あんまないから興味ない態度を取っている
方がむしろ
無理がないし
そのぐらいの距離感じゃないと
自分の
判断で物を作るって
なりにくいというかなんか褒められると
なんか相手に
振り回された存在になるし
で無視されても
モチベーションにならないし
その間のいいところっていうのがあるような
気がします
まとまっているかな
言いたいことが
分かります確かに
子育てと創作活動の類似性
うち娘がまだ赤ちゃんなんで
なんか
何しても褒めてる
向こうへは伝わってると思うんですけど
褒められて
すごい天才じゃんみたいな
昨日とかは
チートス食べたんですよ
スナック菓子のチートスを
ぼりぼりだしソファ食べたら
娘がもうなんか
目の色変えて
チートス
初めてチートス見て
すっごい興奮して娘が
で私の家のソファ結構段が
低い
ローソファなんですけど
でも上がったことはなかったんですよ娘
まだずり倍ぐらいの段階なんで
でもチートスを
掴もうとして手を伸ばして
でなんか奥
娘に取られないように奥にやったら
登ってきて
おーすごい人生初の
ソファ登ったーってなって
チートス目当てに
すごい娘が
チートスがあるとソファ登るって言って
それちょっとコントロールしようとして
ここにあるから
こっち来なーって
誘導してね
誘導して
とかして
言葉通じないから
自分のコントロールから
いろいろ置けるけど
いつのどのタイミングで
コントロールから外れてくんだろうみたいな
なんか不思議
なんか外れたり
なんだろう
逆に
使いやすくというか
言うこと聞いてくれる
言葉通じると
言うこと聞かないことと
言うことを聞くことの両方ができるようになるから
それは
どうですかね
楽になるか
大変になるかで言うと
ちょっと楽になるかもしれないけど
別の戦いがまた始まるって感じですよね
最近
僕の子供が
ザメイキングを夜見たがるようになって
ザメイキングって
youtubeでチャンネルがある
サイエンスチャンネル
国系の何かがやっている
教育チャンネルで
その中でシリーズで
何々ができるまで
15分の番組が
200個くらい流れてるんです
銅像ができるまで
とか
ミルクレープができるまで
とか
あらゆるものができるまでの
工場の様子が出てて
それは
子供にも見せたいなとは
思ってたんですけど
最近寝る前に
これとこれ見るみたいな感じで
言うようになってきて
俺としてはしめしめみたいな感じなんですけど
教育に
いいものを好んでみて
でもそうなるように
仕向けているんじゃないだろうかみたいな
子供をコントロールしてるのでは
寝る前に
一個だけだよみたいな感じで
あたかもご褒美みたいな感じで
見せることで
全部じゃない
ちょっとずつ
毎日出すことで
癖にさせてるみたいな
確かにそれがいいのか悪いのかわかんないですよね
操作してるよな俺って
どうせ
コントロールできないから
そのぐらい
できたとしても
いいんじゃないですか
そのぐらいのコントローラー別に
実はしてたんだよって後で言ってもいいかもしれない
実はお前は
全部操作されてたんだよって
仕組まれてたんだ
こういう人間になることは
でも操作されてる部分もあるしな
自分の親とかを
帰り見ると
操作されてたなみたいな
部分はあります
ありますね私は
父親が結構音楽好きで
そういうクリエイティブな
よくあるエピソードですよね
クリエイターあるあるみたいな
親があんまり別に
自分で聴こうとしたことないんですけど
気がついたらずっとジャズが流れてたんですよね
そんな感じで
家で絶対朝起きたら
母親も結構そういう音楽が好きだったんで
母親がだいたい
ビーチボーイズをずっと
朝流してて
文化資本じゃないですか
うちの父親は
CDと本は買い放題
だったんですよ
すご
CDと本だったら
いくらでも買ってくれる
めちゃめちゃいい環境
そういうの絶対こうなるように仕組まれてたのに
思ったんですよね
漫画は買ってくれないから
小説とか
になるし
CDも
買ってくれるんだったら買ってもらったほうがいいな
っていう
でも親がある程度そういう好きじゃないと
できない仕組みですよね
ただまあ
自然と言えば自然だけど仕組まれても
言う
教育って全部そうだとは言える
でも親が
興味ないのに教えようとすると
だいたい失敗するんじゃないかな
英語とかそうです
そうじゃないタイプの
仕組み方は
成功するのかもな
シンプルに
と思ってもいいんじゃないかな
何仕組みます
仕組んでいこうかな
仕組みましょう
仕組んでいこうか
人生を
自分の子供の人生をコントロールしていこう
絶対コントロールできないけど
一応
コントロールしようっていう
気持ちを
持つことが
ダメージなんですかね
いいと思いますよ
敬意を持って
やれば
バランスが
ちゃんとリスペクトがないと
まだ赤ちゃんなんで
興味とか全く分からない
状態ですけど
スポーツとかに興味持ったら
私も夫も全く
スポーツ経験がないし
何の興味もないんですよ
どうしようみたいな
サッカーやりたいとか
サッカーの試合見に行きたい
ほんと興味ないけど
連れて行くじゃないですか
子供が行きたいって言ったら
そういうのが
ポップコーンとか売ってるんじゃないですか
これ食べて
おにぃるとか売ってるはずだから
どうなったら
何が勝ってんの
子供に聞いて
同じスタートラインで楽しめる良さはあるかな
って気がしますけどね
それで思い出したのが
超増せてて
小学校の時にサケロック
星野源のバンドがめっちゃ好きで
東京まで
ライブ見に行きたいって言って
グイズダニのキネマクラブ
小6とかで
お父さん連れてってもらって
お父さん全く興味ないのに
ずっとサケロックのライブ一緒に見てくれて
いい話
いい話だ
自分もそういうことをしなければ
と思いましたね
でもほんと
そういうのは結構あるな
と思います
親が子供に対してできることって
そういうことやってごらんみたいなのもあるけど
基本的にはもう
子供の好奇心を殺さないことだけだな
みたいなのは
めっちゃ思うんですよね
特にこれからどんどん
AIが全部教えてくれるようになるじゃないですか
多分
持ってる情報量の差とかじゃなくて
いかに学びたい意欲を
失わずにいられるかとか
なんか知りたいみたいな気持ちを
殺さないまま大人になれるか
みたいなのは
めっちゃ大事だなとは思います
めっちゃそう思います
AI時代の創作と失敗のハードル
それでも子供だけじゃなくて
自分もほんとそうだな
本当にAIで
何かを失敗することが
どんどん
恥ずかしくなっているような気がして
そういえば
YouTubeとか見てて
こういう家を買うやつは
バカみたいな
100セン
こういう中古物件買うな
みたいな
失敗だらけのなんとか
みたいな
ほんと失敗するやつ
バカみたいなものを
めっちゃそういう動画とか流れてきたり
するし
ちょっと調べればわかるじゃん
ことが多すぎて
調べずに失敗した
自分がすっごいどんどん
バカだってなっちゃって
寺田さんの作るものって
かなりの割合が
調べずに失敗するという行為が
作品として紹介されている感じがしますよね
そうなんですよ
名作りってプロジェクトでは
ガンガン無駄なものを作って
失敗して面白いってなってるんですけど
プライベートで
例えば子供生まれるからって
家買ったりとか
したんですけど
そういうのとかも
もしかしたら失敗しちゃったかも
私騙されたみたいな
大きな人生の節目とかで
めちゃめちゃこう
失敗したかもしれない
失敗した私は
ちょっと調べれば
AIとかに聞けばすぐわかる
答えがわかったのに
なんで私はこんな非効率なことを
やってるんだろうみたいな感じで
どんどん失敗のハードルが
上がっていって
それが行動を避けちゃってるような
気がして
この作るリハビリの中でも
いかに自分で
ちゃんと失敗をやるかみたいなのが
書いてありますよね
意識的に失敗していこうと思いました
やってみてダメだったみたいなのを
いかに
たくさんやるかみたいな
なんか
書いてあってすごい印象的だったの
完成させることで
自分の可能性をつぶしていくみたいな
それが大事なんだみたいなのが書いてあって
可能性ってつぶして何歩だと
思って
誰も言ってないけど
可能性はつぶせと思うんですよ
本にも書いたんですけど
自分は
ずっと女優になりたい欲求が
小さい頃からあって
ずっとお芝居やりたいと思ってたけど
お芝居やらずに
ここまで32歳なっちゃって
でもお芝居やってないから
お芝居できるかもしれないという
可能性があるから
常にあるから
例えば朝ドラとか見てても
私の方が絶対この役できるわみたいな
そういう
可能性があるからこそ
できるわ
なのにこの女優が
そこまで思わないけど
そういうの嫉妬じゃないけど
そういうのたぶんある
できないっていうのを
ちゃんと
可能性つぶさないと
つながらないと思うんです
ビシバシ可能性を
つぶしていこうみたいなのって
なかなかそうはなれない
だから料理も
できるかもしれない
って思わずに
やって失敗して超まずいものができあがったほうが
じゃあ次これやったら
失敗してないかも
次あれやろうみたいなのが
絶対次の行動のタスクが見えてくる
ガンガン
可能性が見えたらつぶす
見えた瞬間に
見えた瞬間にお前はできない
顔を出した瞬間にバコーンって
つぶしたつもりで
これならいけそうみたいなのが
逆に見えるパターン結構出てきますよね
それ結構楽しいです
例えば
お芝居だったら
下手馬みたいなので
棒読み演技が
受けたりとかしたら
棒読み演技で面白くてみんな笑ってくれるんだと
そっちで
あるかもみたいな
孔明が見つかったりとかすると
それもそれで
面白い人生を動かしてくれる
感じがしますよね
可能性を中途半端に抱え続けてる状態って
結構実は窮屈というか
本当そう思います
自分の手が埋まってるから
ずっと新しいもの拾えない状態
可能性って
思ってることって
ちょっとやってみたいけど
やってみるっていう
何かコストをかけて
行動を起こすのって
自分を大事にしてないと
なかなかできないことだったりすると思うんですけど
でもやってみたいよなと思って
でもそこまで
自分の時間とか自分の気持ちを大事にできないと
それをやらずに
溜め込んじゃうっていうのがあるような気がして
結局
やってみたいと思っていることを
わりと素直に後押ししていることのようにも
見えるなと思って
パラグライダーやってみたいと
うっすら思っている人はたくさんいるけど
実際にやった人は少ないみたいな話
何かで聞いたことはあるんですけど
そういうやつって
無数にあって
結局それ犬も歩けば棒に当たるって
言葉が好きなんですけど
良いことか悪いことか
去っておきとにかく歩いて
棒に当たる方が良いみたいな気がして
潰すと言えば潰してるけど
シンプルに
なんだかんだ言ってやってみたいと
うっすら思っていることを実際に行動にするっていう
地道な努力というか
鍛錬でもあるのかな
っていう気がしましたね
やりたいって思った瞬間にやって
できないけど
なんかができるみたいな
これはできたみたいな
「完成させる」能力と「終わらせる」こと
の方がどんどん間違えていく
方が面白い
自分なりの道が
どんどん出てくるような気がしますね
前のゲストで来てもらった時も
僕多分言ってたと思うんですけど
石原さんのすごいところは
完成させるのがすごいっていうのが
本の中でもやっぱり
出てきたんですけど
これで終わりっていう風に
終わらせる能力がめちゃめちゃ高いんだっていう
それはもうこういうスキルだな
と思います
それは本当にもう神から授かった
才能で
終わらせの能力が
それは多分
人からしたらこれで完成は
ダメだろうって思うところで
もういいや、私これ完成でいいです
言っちゃえる人なんですよ
なんか
デイリーポータルZ
早石さんと喋ってる時に
特技なんですかって
早石さんに聞かれて
なんだろうって特技って
私アンケート書くのめっちゃ早いです
終わらせ能力
たまにこうなんか
問診表とか
なんか書く
書くことあるじゃないですか
誰よりも早く書くんです
逆だ俺
何にも考えず
そういうこの
もういいやっていう
走り出しちゃって終わらせる
ゴールにたどり着く
スピードがめっちゃ私
人より早いのは
才能だと思う
ゴールを我慢できないみたいな
もうそうですね
でも本当可能性を潰す話にも
つながりますけども
可能性があることが
嫌なのかな
どっちつかずの
状態が嫌で
止まるか走るか
なのかな
それが
良くも悪くもあるんですけど
でもそれを
その性質を
十二分に生かした生き方というか
次々とあらゆるものを完成させていく
という
完成できない人は私に相談してほしいです
完成させるんで
完成コンサルタント
これ完成じゃないって
完成外来
これどうですか
っていうものがあった
ここのへこみだけ直したら完成でいい
ちょっと一個だけ
これで完成というのがちょっと
受け入れられない人もいると思うので
ここだけ直したら
これ完成だね
銀行の
システム遺憾プロジェクト
とかで
一人ジョラさんがメンバーとしていたら
これでもう一回
完成にしましょう
一回これで完成して
バグがあったらもう一回貯めればいいんじゃないですか
次のフェーズで
次のフェーズでって
よく出てきますけどね
ジョラさんみたいな人は一人いることで
なんかこれから30年続く
プロジェクトが
一回完成しちゃうみたいな
ことがあるかもしれない
でも完成って結構
責任を取る行為でもあるなと
すごい思ってて
これは確かにそうですねやっぱりダメでした
みたいなのも完成じゃないですか
ダメでもダメじゃなくても結論を出してる
っていうのはすごい頼もしい
側面もあるなという気もしますね
いや結論出すのってみんな怖いですよね
小説書いてるんだーとか
終わらせて出して
もうダメでしたってなるのってめっちゃ怖い
そうなんですよね
それもありますよね
なんかを作ってますっていう人って
作りきれないで
どっちつかずの状態であることが
やっぱなんか変に心地いい
部分もあるじゃないですか
完成させちゃうとやっぱ評価に
上がっちゃう
次のフェーズが評価になっちゃうと
小説書いて発表したけど
誰からも読まれなかった
とかになるとやっぱ
その失敗とか
自分の思った期待どおりにならなかった
結果が
怖すぎて
やっぱ完成できないっていうのが
どうしてもやっぱなんか作ってるとあるので
完成をしぶっちゃいます
とりあえず完成させて
読まれなかったら大爆笑する
誰からも読まれねーじゃん
ギラギラギラギラって一人で笑って
こんなに頑張って書いたのに
爆笑みたいな
なんかそういうのであろうと
私はなんかちょっと回復しちゃったときに
思ったんですよ
よくたとえで使うのが
なんか大きな木の実が
あったとしてそれを割って
なんか食べようと思って
頑張って割ったけど割れなくて
みんな村のみんな集めて
村のみんなで一生懸命
割って
藤原が大きな実見つけてきたぞって
一生懸命バーって割って
パカって開けたらすっごいちっちゃい
実しか入ってなくて
藤原ちょっと食べてみ
って言って食べたら
めっちゃまずかったっていうときに
なんか笑えるか悲しむか
のどっちかだと思うんですけど
そういうときになんかもう
めっちゃ爆笑して
笑うしかないぐらい
もうめっちゃ爆笑しよう
そこでこう
悲しんだらやっぱ
悲劇になっちゃうんで
リアクションで悲劇か
悲劇かが定まるみたいな
つらい気持ちは
自分が作った作品が認められない
とかつらい
心がギューってなるような
みじめだったりとかする
気持ちはありつつも
とりあえずなんか
大爆笑
大爆笑して
うずこーって言って
おならプーってして
プーって寝て
次の日
次の日なんかご飯
食べて
やったらたぶんなんか人生が回ってくと思うんで
柔道とかでもね最初に
受け身とかパーンって
手で床を叩くやつ
攻撃じゃないけど
なんか自分が失敗したり
とか他人から攻撃されることも
そうですよね
お前の絵下手じゃん
お前つまんねーよって言われたときの
受け身の取り方みたいなのを
一回ちょっと自分で
決めて大爆笑する
とかご飯を
食べるみたいなのを決めて
それしたらもう失敗し
放題だと思います
受け身の取り方って
成功したときの反応はみんな喜べば
いいけど受け身は
やり方がいろいろ
なんだろう流儀があって面白いですよね
なかったことにするとか
確かに人に
当たっちゃいそうですよね
実際なかったことにしている人は
なかったことにするっていう
大事な箱になんかすごく
永遠にちゃんとしまってる可能性もあるし
なかったことに
絶対できないから
なんかどう取り組んでる
自分だったらどうかなとか思っちゃうけど
大爆笑はいいですね
それ見てて周りも
すがすがしい
逆漫画みたいな
売れんのかーいみたいな
この本は売れてほしいですけどね
売れてほしい
藤原麻里奈さんの多作な執筆活動
藤原さんちょっと話変わるんですけど
本めっちゃ書いてますよね
今何冊目ですか
最初が無駄なことを続けるために
っていう本を書いて
考える術っていう本
書いて
その次多分
雑に作る
菱川さんとか
ギャルデンさんとかと
3人で書いた本があって
あと
工作本が1冊あって
無駄なマシーンを発明
アルディーノとか
あとはエッセイですね
不器用の形っていう
変なものをずっと作る
エッセイと
文学界でずっと連載してた
メルカリで知らん子の絵を買う
っていうまとまった本が
めっちゃ多作ですよね
確かに、全然売れてないんですけど
図工
書いてくれませんか
って
いいですよ
売れてますけど
スケジュール的には大丈夫ですけど
全然
暇なので
すごいな
本って
人によって、僕は書いたことないんで
あれですけど、出るのに
思ってた納期から
だいぶ時間かかって
あるじゃないですか
これは伸びました?
超伸びました
これも伸びちゃって
その間にも
妊娠と出産もこれあって
結構書けない時期もありました
座りとかすっごいひどかったんで
だいぶ様々なトラブルを
乗り越えて
でも良かったです
パニック障害とかうつになったのは
結構前なんですけど
そっから減って
だんだん回復して
さらに妊娠とか出産とか
っていう
ハードな
深のかかることもありながらも
リハビリをして
回復してたおかげが
全然作れない、本当に作れない時期
子供のこと面倒見なきゃ
とか
そういう時期も
別に作んなくても
自分は自分だし
何かをしなくても
創造性はある
のも確信が
あるなって感じたんで
それまともに食らったのが僕です
子供を育てるようになっても
作れないみたいな
そこのうつを
経験してたからだと思います
でも本当になんか
子育てで
赤ちゃん面倒見てると
目離せないから
それはすごい
そう思いますね
可愛いですけどね
一回鉱山トレーニング
みたいな感じで
作れない自分を受け入れて
できてるから
産後も別に
超元気でした
でも私が多分ラッキーだったのは
AIがあったんだよね
そのタイミング的に
バイブコーディングができるから
こういうアプリがあったらいいな
寝かしつけしてるときとかに
BPMに合わせて
音楽が鳴る
アプリがあったり
チャットGPTとかに
言って
こうだったら作れんじゃないですか
確かに
だいぶクロードコードで
ずっと開発中毒になってます
みたいなことを
ディスコードか何かに書いたときに
それは私でもあるってコメントしてた
どんな感じで
やってるのかなとちょっと聞いてみたかったんですけど
なんかちゃんと多分
今使ってるのは
なんかウェブで使うアプリか
なんですけど
ご褒美タスクみたいなので
タスク管理なんですけど
ご褒美とつなげて
このタスク完了したら
このご褒美が解放されるみたいなのを
作りました
自分で設定して
でも結局
作ったけど使ってないみたいな
めっちゃありますね
めっちゃ頑張って開発したのに
全然今使ってない
でも作ったらどうなるんだろうっていう
好奇心は満たされるみたいな
そうですね
作れたみたいな
風に乗るように集中して
ふわーって開発するのって
めっちゃ気持ち悪い
なんか別にその目的地に
どうしても行きたいわけじゃないけど
ただ風に乗って
創作活動の本質:隙間を埋める行為
飛んでいくのが楽しいみたいな
なんか
物と違って部屋が狭くならないし
料理と違って必ずしも食べなくていい
失敗しても
まずくても別に
どうなったか見てふーんって
終わってもいいっていう
でもいいものがたまにできて
しかもその風にっていうのは
AIの言うことを
ある程度
そういう感じにしてって言いながら
でもここ違うかなみたいな
その塩梅を
まっすぐな道じゃない
ふんわりこう
右に逸れたり左に逸れたりしながら
目的地に向かって
いいですね
風任せのタイミングもあれば
風任せ開発
それが一番気持ちいいですよね
なんかハードウェアもそうなんですけど
風任せに
フュージョンとかで
あれやっぱこれ
なんかもうちょっと丸みあった方が
かわいいなとか言って
モデリングして
3Dプリントして
あれやっぱ丸みなかった方がかっこよかった
直してプリントして
みたいなのを
ずっとなんか続けて
いつの間にかなんか
これ完成だなって出すみたいなのが
自分は気持ちいいです
いやなんか
複数人で開発してると絶対できないスタイルが
今できてることが
幸せというか
やっぱなんか一人プロジェクト
絶対大事です
誰も傷つけずにボツにできるから
どんだけ1年以上
時間かけたやつも
ボツにできますから
やっぱいいやこれ
そうですねリハビリは
基本的に全部人を待ち込まない形で
やってますよね
自分一人で
やっぱテーマが
手触りとか
感情とか身体と精神
みたいなところが
やっぱ自分の中で
テーマだったので
全部自分のみで完結するものが
そうです
クリエイティブの最小単位というか
本当に自分だけで始めて
自分だけで終わらせるっていうのを
いろいろ繰り返していく中で
いろんなことが分かったりとか
タフになっていくというか
失敗を受け入れられるようになった
自分自身が
あんまり
人と一緒にプロジェクトやったことがないのも
あるんですけど
やっぱこう一人で
自分に集中して
自分の感覚でやっていく
気持ちよさみたいなのが
まず一番のものを作るとか
何か
クリエイティブなことをする上での
肝だと思う
それを取り戻す
みたいな感じですね
本当にこれは
どういう人が必要とするのか
結構
ものを作っていったことが
できなくなってきている人
でもそうじゃない人にも
普通になんか
響く言葉がいっぱいあるんじゃないかな
っていう感じは
大人になるにあたって
何かこう自分でものを作るみたいな
特に惹かれることなく
生活に入ることなく
過ごしてきた人の中でも
すっと取り入れられるような
日記の延長みたいな
なんか小学校の時
面白かったもんな自分
みたいな人にも
あれ俺小学校の時
結構面白かったよな
今なんかあんま面白いこと思いつかないな
みたいな人にも
ぜひ読んでほしいですね
何か作るとかじゃなくても
作るリハビリティ本で
作ることがメインには
なってくるんですけど
なんか面白いこと思いつきたいのに
なんかなみたいな
あれみたいなのにもぜひ読んでほしいです
自己評価を
外在化させてしまっていることの
辛さっていう
意味では
それはなんかもうほとんどの人に
当てはまるぐらいに思っていて
もちろん作るっていう人には
すごく共感することは多いな
と思いつつ
このべき思考
のあたりはかなり
抽象度が高いというか
どんな人にもある落とし穴を
ちゃんと落ちて
そこから出てくる過程として
読めるんじゃないかなっていう気がして
誰しもが
読まっている
その落とし穴に落ちるところが書いてある
ような感じがして
すごく貴重だな
と思ったんですよね
ちょまど めっちゃ私なんかまんまと
大きい穴に
絶対落ちるよそこ
パッパッパーっていって
ヤバい
どうしようみたいなところが書いてますね
自分だけが
落ちたんじゃないかと思っている
たくさんの人を救うと思うんですよね
その、まあべきもそうだけど
まあいろんな他にもあるような気がする
でもなんか
おそらく何が本当に好きで
物を作っているのかっていうのが
なんか数年前わからなかったのが
今はわかるようになってるんじゃないかな
なんとなく感じたんですけど
作る面白さって
すごく複雑すぎるじゃないですか
本当に粘土さって気持ちいいっていうのもあるし
人に見せて反応があるのも
面白いし
なんかそれが一人歩きして
誰かが真似しているのも面白いかもしれないし
でもそのどの部分が自分の壺なのか
っていうのは正直
わかんないけど
24のワークの中で
一つ一つこれは
面白くない
これは不快、これは楽しいっていうのを
大量に積み上がった書類の中から
折り紙を探すみたいな
そういう作業をしている
ような感じがして
だから作るって言ってるけど
その作るの
中身について
めちゃめちゃディティールを
掘ったというか
そういう
探求みたいなところもあったのかな
っていう印象が
ほんとそうです
人から褒められるとか
人から反応が来るっていうのも
めっちゃ気持ちいい
ことですよね
いいリアクションもらうとか
期待通りのリアクションもらう
子供に戻る
っていう意味では
子供もやっぱり
3歳児とか
ボタンを押してピコって光ったら
あーってなるじゃないですか
そういうのがどんどん大人になっていく感じで
自分が美味しいと思うケーキを出して
人が食べて
美味しいって言ったら
あーってなる
美味しいって言ったーみたいな
まずいって言ったらえ?
戸惑うみたいな
やっぱそういう
心の中の3歳児が
大きくなってるだけなので
何か自分を作って
人がそれを
何か自分のものを経験して
期待通りの反応を
くれるかくれないかで
自分の中の反応も
変わってきて
そこは
プリミティブに考えるとめっちゃ楽しい
気持ちいいことなんですけど
パチンコとかする音
みたいな感じ
何かをして反応が
くるのって気持ちいいけど
それがどんどん続いていくと
過剰になっていって
どんどん不快になっていく
そこのバランス感覚とか
今回の
つくよリハビリって中で
どんどん積み重なって
そのバランス感覚を
取り戻していくみたいな
自分がどう気持ちいいのかとか
どういう時は嫌なのかみたいな
ちょこちょこ作品
というか
落書きだったりとか
実際作ったものの絵が挟まってるのいいですね
トイレに置いてある
カレンダーの
トイレに置いてあるカレンダーに
1日1個絵を描くっていうのを
最初の
ものを作る
活動にしたんですよ
無駄作りとかが
どうしてもできないんで
カレンダーに1個だけ
絵を描くっていうのだけが
自分の中の創作活動だった時期が
最後に残された
その絵も
本の中にあるんですけど
自分が
二重顎の自分
飼い猫の絵とか
アンパンマンの絵とか
後から見ると
愛らしい
誰かわからない
おじさんの絵が急に描いてる
これはぐんぴーさんでしょ
YouTuberの絵を描いて
でもなんか
読んでる人にハードルを
こうやって下げるんだよっていう
手本のような
見え方もしますね
ドイヨシハル先生の
本の中で
味噌汁は
こんなんでいいんです
写真が載ってて最後ら辺に
トマトがぶち込んであるみたいなやつとか
実例として
こんなんでいいんだっていうのが
わかるって結構大事なこと
ちゃんとしたものを載せるじゃないですか
載せるなら
アーティストとして名を冠して出すのであれば
みたいな
本当に最小限の
自分の
ちゃんと
あからさま祈ってる
このドイ先生の本のおかげで料理作れるようになったと言っても
過言ではないですかね
でもなんか
ドイ先生が情熱大陸かなんかの中で
お料理教室みたいなのに
生徒たちがいっぱい来てて
ドイ先生が最初に
おいしい料理を作ろうと思わないでください
料理を作るんです
って言ってて
かっこよすぎて
おいしいものを作るって目的で
料理を作るの
料理の作り方を学んで料理を作りなさい
って言ってて
それが結構心に来て
いいものを作ろうと思ってものを作るんじゃなくて
ものを作ろうと思って
ものを作ろうと思って
本にも載ってますけど
哲学的な
ものを作ろうとするといいものを作ろうとしちゃいますよね
そうなんかでも料理って
やっぱ
おいしいものを作らなきゃって
そういう
縛りみたいなのがありますよね
料理の作り方を学ぶのだから
料理ができたら
大成功なんですよね
おいしくなくても別にね
完成したらとりあえずいいじゃん
でもなんか
ドイヨシハル先生は
料理ができない人の気持ちが
わかるってことなんですかね
ああいう人が料理をするときの
なんか心理的なハードルを
なんで理解できるのかが
逆にわからない
料理づくみで生きてきた人生の中で
そう
なんかいいものを作ろうと思って
いいものをいっぱい作ってきた人が
いいものを作らなくていいんですって
言わなそうじゃないですか
それはなんかあるんじゃないですか
藤原さん的な機関が
そうなのかもしれない
変やみたいなタイミングがあったのかもしれない
そうですね
でもなんか
作るのって想像的なことっていう風に
言われるけど
話つながるかちょっとわかんないですけど
実は作るのって
単なる消費活動の
一種でしかないんじゃないか
みたいなことをちょっと思うときがあって
だからそれは
ゲームして楽しいっていうのと
作って楽しいっていうのが
同じような種類のもので
そう思うと
今日作ったか作ってないかっていうのが
なんかすごく小さいというか
良くも悪くも小さいことに思えるというか
あまりにこう作るってことを
高いとこに置きすぎちゃってるみたいな
そうそうそうそう
そういうのももしかしてあったりする
場合もあるのかなと思って
作ることが想像的
ではないとは言わないけど
とは限らないくらいの
ことで
自炊って別にそんなクリエイティブに思えられないけど
クリエイティブではある
じゃないですか
だからなんかものづくりの
自炊みたいな行為なのかなと思いますね
そうだと思います
そこまで落として
いいんじゃないかなというか
料理家で作るときに
いやこんなんじゃお店で出せないよ
みたいなことを言われたりとかしないじゃないですか
そう本当そう
そんなんでなんかピブグルマンいけんのみたいな
ことを自分で考えて
やめたりとかしないじゃないですか
でもなんかこうちょっとギター練習してみようかな
っていうときに
自分が練習したって別に
これからメジャーデビューするわけでもなしみたいな
ちょっとよぎっちゃったりとか
人に見せるでもなしみたいなことを
言っちゃうけど
自炊的になんか物を作るとか表現するとかって
なんか結構根幹の部分で
大事というか
それに近いことをたくさんやっているのかな
と思いますね
なんか本当
自炊も本当そう
イメージ的に本当そうで
キッチンって絶対どの家にもあるのに
なんか物を作るスペースって
なんか本当ニッチな趣味の
人の家にしかないじゃないですか
でもなんか実は
物を作ること
芸術的なものもそうだし
なんか私がやった
無駄作り的なこともそうだし
なんかもっと言うと日曜大学
あずまさんの生活ジグミ
なんかこう
自分と例えば
家とか人とか
社会とかの
間にある隙間を
絶対なんか自分が作ったものでしか
埋められないと思うんですよ
例えば
自分の持っている家具と家具の
間にどうしてもスペースがあって
そこに何かを
収納したいという時に作れる
何かそこに絶対
ぴったりはまるものを市販のもので
絶対売ってないから
自分でキットを切ったりして
パーツを切り出して
作ってぴたって隙間に
はめて自分の用途に
合ったものを作るみたいな感じで
なんかそれがもっと
対人だったりとか
対社会みたいな感じで
なんか自分はこういう人間だから
社会でこういう
生きづらさがあって社会と自分の間に
何か隙間があって
その隙間を埋められるものは
何か自分の作品でしか
埋めることができなくて
でもそこでいい
何かちょうどいい隙間を埋める
作品を作れたら
何かその社会と自分の間に
橋渡しが
できて
なんかすごいスムーズに
社会参加できるようなイメージがあるんですよね
なんでこうなんか
人から認められるような
ものを作るとか
すごいお金が
稼げるものを作るとかじゃなくて
なんか自分と何かの
間を埋める
自分にしか必要のないものを
自分の手で作るみたいなところが
なんかやっぱ実水的な
創作とか
なのかなと
社会的に求められている
自分というものと
本当に主体としての
自分というものに絶対
乖離が現れるじゃないですか
仕事は仕事でこういうことを
求められている
その乖離をある意味こう
自分が自水的にものを作るということで
ちょっと埋めてくれるという
別にそれによってどこか遠くに行ける
っていうわけでもないけども
ちょっと思ってる
違うことをしている
自分も含めて自分だという風に
受け入れられるような
ちょっとすごい難しいですけど
連続性を持たせられるみたいな
そういうところがある気がする
仮に売ってあったとしても
作るみたいなときってあるじゃないですか
で、それって
それこそ無駄っていうか
合理性はないけど
反対意見をいつでも言えるぞっていう
表明のような
気もしているかな
っていう反対意見というか
「つくるリハビリ」のメッセージと読者への勧め
そこにある
もので十分なんだけど
自分はいつでもNOが言えるぞ
っていう準備が
自分で作ることというか
おー
でとーさんが自宅サーバー
っていうのと一緒なんですか
あずまくんがイメージキャスターを
作っているのと一緒だと思うんですけど
いざとなればご飯は自分で炊けるけど
今日は吉野家の牛丼を食べる
っていう吉野家の牛丼しか
牛丼がないのと
自分で牛丼を作って
牛丼を食べるのは結構違う気がする
だいぶ違いますね確かに
そういう意味での作るっていう
側面もなんかあるような気がするなと思って
まあもちろん隙間を埋めたりとか
作らなければ
存在しないものを作るって
いうこともあるし
でも実はS字フック
買えば済むことを
あえて作ったりするじゃないですか
作れます
それって結構そういう世の中に対して
距離を置くための準備の一つ
でもあるのかな
だからこそ社会と仲良くできるというか
って思いました
社会との距離感を
ある程度適切に保つために
自分で作って
後ろに逃げ道を作ることによって前に踏み出せるみたいな
逆ですけど
というところで
だいぶ話も
深くなってきたところで
そろそろお時間の方が
ありがとうございます
終わりになってきましたので
最後告知的な感じで
本の内容
ずっと本の内容のこと喋ってましたけども
改めて
作るリハビリという
本が出ます
さっきも話したとおり
私が本当にもう
辛くて涙が
毎日出て
わんわんって泣いてて
何も作れないよ
ってなっていった
ところから
面白いことを
思いつかなくてもいいから
考える練習をして
面白いもの
形にできなくてもいいから
とりあえず
失敗しながらも何かつまんないものを
作っていくってところから
どんどんリハビリをしていって
最終的に無駄作りの作品を
一つ作れるようになった
っていうところまでを書いている
エッセイ
エッセイなのかも
はい
なのでぜひ
興味のある方
みんなもガンガン
もの作ったり
考えてる方が多いかもしれないんですけど
ちょっとこう
疲れてあんま面白いこと
思いつかなくなってきたなとか
ひらめきたいなみたいな
方がいらっしゃったらぜひ
本を読んでくれたら嬉しいです
ということで
作るリハビリ
ぜひ読んでみてください
ありがとうございます
それではゲストはしわらまりなさんでした
しわらまりなでした
ありがとうございました
さようなら
01:16:22

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