いやあ、
そうなんですかね。
いやあ、
全然そうですよ。
単に逃げ出す勇気がないとか、
そういうのも、
まあ半分はあるとは思うんですよね。
この状況になってしまったから、
もうやるしかないみたいな。
はいはいはい。
まあそれ、
まあ周りもあって、
それ結構、
周りのためでも、
自分のためとも、
まああの、
切り離せないものではあるけど、
きちんと自分を大事にできていなければ、
それすらできないとも思いますけどね。
まあ、
そうですね。
だから、
割と僕はこう、
なんだろう、
こうあるのが自分にとっての幸せ、
というものが割と明確にあって、
それはその育児とかとは全然関係ないことだったので、
はい。
つまりその、
一人でものを考えるとか、
何か自分がいいと思うものをこう作るとか、
そういうところにあったはずなのに、
俺は一体何をしてるんだろうみたいな思いは、
結構ずっとつきまとってきたし、
今も薄れてきてはいるがある。
ふーん。
これがその、
この思いがずっと強くあってたら、
死んじゃうから。
だから薄れさしてる。
というのもあるとは思うんですよね。
自分の中で自動的にこう、
そういうふうにこう、
まあ平たく言うと慣れですけど、
ふーん。
それはその自分が思っている状況とは違う、
というか自分が思っている幸福とは違う幸福を割り当てられているということに対して、
慣れないと、
本当に諦められない人っていると思うんですけど、
はい。
本当に諦められないと下手したら死んじゃうから、
死ぬのはよくないじゃないですか。
そうですね。
いやー、生きててくれてありがとうございます。
酔うのとかもいろいろあって、
まあ幸運剤とかを飲むようになったりとかした時期もあったり、
あったりとかはしたんですけど、
まあこれってある種の産後鬱みたいなもんですよね、たぶんね。
たぶん。
ふーん。
女性だからちょっと珍しいかもしれないけど、
女性の方がそういう感覚はある人たくさんいるんじゃないかなっていう気はしますね。
子供を得ることで人生のたくさんいろんなことを諦めているという感覚。
これはたぶん歴史的にもむちゃくちゃ女性の方が大量にいると思いますね。
そうですね。
子供がいなかったとしても、いろんなことを諦めさせられているっていう状況は。
もちろん。
もともと多かったかもしれないですよね。
そうですね。
で、なんか、より、まあちょっと離れるかもしれないけど、
よりつらいのって、こういう気持ちに寄り添ってくれる音楽とか作品とかってあんまないんですよね。
あー。
なんか、例えばこう、青春の甘酸っぱい思いだったりとか、大人に理解されない苦しみだったりとか、
そういうものを歌っている曲とかってむっちゃいっぱいあるじゃないですか。
売れてるようなものとかもたくさんあるけど、めっちゃ育児頑張ってて子供の笑顔可愛くって、
それは幸せなんだけど、でも俺の本当の人生でやりたかったことってこれじゃないんだよな、みたいな苦しみを歌ってくれるアーティストっていないんですよね。
いやー、これは新レーベル立ち上げですか。
レーベルではないか。
ちょっと、なんだろう、いい時代というか、それこそ本当に。
これって本当に歌う、絶対歌ったら炎上しますしね。
そうかもしれないですね。
世の中には子供が欲しくて欲しくてしょうがないけどやられない人もいるんですよ、みたいな思っても、もういくらでもあると思うんで。
うんうんうん。
だからそういう点でも、そういう意味でも孤独なんですよね。
そうっすよね。
そうしてるうちに、何か自分が作りたいというモチベーションもだんだん落ちてきて、体力もないし時間もないし。
時間って全ての厳選だし、なんかすんごい暇だなーみたいな瞬間があることで、なんか自分の創造性がすごい芽生えてきたっていう、自分にとっては人生でもあるんで。
そういうものがすごく失われていくっていうのが恐怖でもあり。
でもね、これって多分人からしてみたらすごい子供じみたセリフなんだろうなっていう。
いや、そんなことはないと思うんですけど。
そう思うとしたらその人は、まあシンプルに分かるつもりがないだけなんじゃないかっていうか。
分かるつもりがないことに対して分かる必要すらないというレッテルの貼り方って結構いろんな種類がある気がしてて。
ボキャブラリーというか。
その中の一つに子供じみているっていうのも、分かるつもりがないし分かる必要もないと思っていますっていう表現の一つかなっていう気はしますね。
いやー、仲間はたくさんいると思います。
ちょっと見つけてつながるのがいい、それで解決するっていう話かどうかは分からないけど。
今のタイミングで一応ちなみに言っておくと別に今そんなにめっちゃ苦しんでるわけではないですよ。
この思いがすごい強かったのはやっぱり0から1歳ぐらい。
1.5歳とかそれぐらいかな。
それぐらいでだんだん子供という思想通ができるようになったりとか、分かりやすく成長が言葉の使い方とかに現れてきたりとか。
すごい個性が見えてきたりとかするし。
めっちゃ可愛いなって思うことはもう毎日あるし。
なので、その表面的にすごく苦しんでいるわけではない。
ただ本当にそこの部分、自分がこう一人になったときに鏡と向かい合って、お前は本当にそれで幸せなのかっていうふうに自分に問いかけると奥底には開けてはならない扉がある。
なるほど。
そういう感じ。
いやーこれ難しいな。
僕もなんかなんだろうな、父親になって初めて見えた部分と、それでもなんていうか、その上で見えていない部分と、どっちが何割とは言えないけど、なんかすごくなんだろうな、ある中で。
どう声をかけたらいいか分からない。
ところは。
でも、そうですよね。
そう。でもまあ、そんなになんだろう、僕があずまくんのことをすごい心配なときもあるけど、なんか心配しすぎることがいいこととも思ってはないので、距離を置いてみているところもありますけどね。
どうしたらいいんだろう。
全然大丈夫ではあるんですよ。
うまくやれているという幸いなことに、会社もすごくこういう育児に時間をかけることに対する理解があるし。
いやーそれは大きいですね。
それはむちゃくちゃ恵まれてる環境だし、こんなに恵まれてることはもう他にないだろうっていうぐらいなんですけど、それゆえにみたいなのはありますよね。
いやー、そうですね。
まあ、なんだかんだ旗から見ると、まあポッドキャストもやってるし、なんだかんだこうAIで何か作る元気があって、実際にいろいろ作ってるみたいな側面は、
まあもちろん頻度が減ったりとかやりにくくなっているとはいえ、でもやってるなって思ってる人もいるでしょうけどね。
本人が自己評価するのがどうなのかっていうのが別の問題ですもんね。
そうですね。実際問題、パラレルワールドの子供がいなかった自分と比べたときに、どっちが面白い作品だったりとか、すごくいいものを作ってるかっていうと絶対無効だろうなっていう感じはある。
それは子供いないがゆえの渇望みたいなものが制作に振り分けられるっていうことも絶対あるし。
でも、じゃあもう自分がもう一回同じように人生を送るとして、子供を作るという選択をするか作らないという選択をするかで言うと、たぶん作るという選択をするんだろうなっていう感じもまたあるんですよね。
そうなんですね。なるほど。なるほどというか、分かるようで分からないな。
なぜか分かんないけど、たぶん子供いるんだろうなという。
いやー、これは難しい話になってきましたね。
そうですね。だし、物買うとかと違って、子供がいる人生を選ぶっていうことって、すごく自分の価値観の方に揺さぶりかけてくるというか、
自分が何を嬉しいと思うかとか、そういうことにすごく変性が起こるわけじゃないですか。
それは絶対テッドーさんもありますよね。
そうですね。
街で歩いてて、保育園とか見かけたりとか、子供がベビーカーとかで揺られてるの見たときにめっちゃニコニコするようになるし。
そうですね。
だし、子供が地域で見守られていることだったりとか、トラブルに巻き込まれずに生きていてくれていること自体に対するすごい温かい気持ちだったりとか、保育士という存在に対する感謝だったりとか。
そうですね。
保育士ってさ、他の人の子供に対して愛情を注いでくれるっていう、本当にありえないぐらい。
いやー、本当にすごいことですよね。
本当になんか、その存在がいてくれてよかったな、この世にっていう。
いやー、愛情を注ぐって一言で表現するしかないけど、その中身がこういうことなのかっていうのを、まだ垣間見たぐらいしかわかってないかもしれないけど。
そうですね。
子供が生まれるまでに愛情を注ぐっていうのが、なんかことに対して思っていたイメージで、本当に1割わかってたかどうかぐらいの、なんか浅さっていうか遠さだったなっていう感じがあるかな。
僕今、あの薬局で売ってる酔い止めのパッケージで、子供がピースサインしてるの見るだけで泣きそうになりました。
よかったって。車に酔わなくて楽しい旅行になってよかったって。
わかりますよ。
いや、そうなんですよ。これ、すごいことですよ。
そう。明らかに意識に変性が起こってる。
いや、これが人間の仕組まれた、いや仕組まれたじゃない、人間の行動原理を。
陰謀論みたいになってる。
俺は人間だなって思いますね。人間が喜んでいることを喜ぶというのが、なんかいいとか悪いとかではなく、人間だから人間が喜んで嬉しいと思っているなってすごい、前よりすごく思いますね。
僕はあらゆるスポーツは嫌いですけど、でもスポーツ見たらその熱狂するみたいな気持ちはすごいわかるし、心揺さぶられることはあるんで全然。
それはもう理屈で考えてるものとは全然違う領域というか。
体がそうなってるみたいなのはありますね。だから嫌いなんですけど、スポーツって。
そういうねじれがあるんですよね。
なるほど。ねじれてますね。
その屈折を抱えたまま、子供と過ごし、笑顔を見て。
なんかめちゃめちゃ、たぶんこのまま行くと、すごいかっこいい盆栽というか、なんかなるのかなっていう。
どういうことですか?かっこいい盆栽って。
すごく外的な力により曲げられたりとか、成長したい方向とは違う方向に枝葉を伸ばさざるを得なかったが、
植物の方ね。
そう。
その天才盆栽の方ではなく。
違う違う、松とかそういう丁寧に剪定される方の盆栽ですね。
盆栽というか何て言うんですかね。それにより唯一無二の形を得るっていう状況にもしかしたらなるのかもしれないですね。
そうかも。
いやーどうしましょうか。なんか、とはいえ楽に生きる方が負担が少ないので、すごいなんかドートロジーのようなこと言ってますが、
負担が少ないということ自体にも価値があるから、楽になるような対象療法はすでにいろいろあるとは思いますけど。
受け身の取り方はいろいろあるんで。
ただまあこれを聞いてる人で、そういう子供を持つべきかどうかみたいなので悩む人に伝えられることとしては、そういうふうに自分の人生と子供を持つ幸せとっていうのの間でめっちゃすりつぶされてる人ってちゃんといるし、その苦しみは別に何も間違ってはいないということは伝えたいですね。
そうですね。
珍しいことではないと思う。ここに仲間がいるぞと。
なんか何年か前にイーチコのポスターで、なんか湖の写真かなんかだったんですけど、いろいろあったと今は思うだけ書いてあるんですよ。
で、なんかあれって何にも言ってないけど、どう感じるかが5年ごとにコロコロ変わっていくなんだろうなって。
いいですね。考えだけがある感じ。
そこに誰でも何でも当てはめられるし。
そこに当てはめる引き出しがまた増えたなというか。
そうですね。だいたい風景写真の上に書いてありますよね。
そうですね。
風景写真の上に考えだけが純度高く抽出されて載せられてるから、見るたびにこう自分の人生を当てはめてみたいとか。
そうそう、勝手に当てはめ修正が人間にあるので。
考えが得られるってすごい幸せなことだとは思うし。
こともね。どうしようかな。
いやもうこんなん結論こうですみたいな話には絶対にならないことはもう最初から分かってたんで。
うん。
もう時間が来たらもうおしまいにするしかない話ですこれは。
まあいろんな思いでこさわってしてる人はいると思うけど、なんかこれ結構貴重な言論というかなんか言葉なんだろうな。
あんまりいないんですよね。こういう話をしてる人って周りに特になんだろうクリエイター的な人ってあんまりいないですね。
うん。
なんか振り切ってる人はいるんですよね。子供は作りません。自分の作品が子供ですからみたいな。
うん。
とか逆にこう子供を持つことで自分の世界が広がりましたみたいな人もいるけどなんか俺みたいな感じのこと言ってる人いなくて寂しいんですよね。
うん。いやーそもそも言語化ができない。言いにくいとかじゃなくてそうじゃないですか。
そうなのかな。
なんか一言で例えば前回言ったみたいにネガティブな意味で時間がなくなりました。
まあここまでは言える人がいたとしても。
うん。
純度の高い苦味とも違うじゃないですか。
そうですね。いろんな味がする苦味ですね。
そう。で甘みもあるし。
もちろん。
その甘みが自分の好きな味ではない部分の甘みっていうのもある。
うん。
体は美味しいと思うがそれを美味しいと思っている状況自体になんか癒さを感じている側面もあったりするみたいなすごく。
うん。だしそれを舐めてるうちにだんだん自分でもこれが美味しいんじゃないかっていう気もしてくる。
うん。
とか。でもそれを美味しいと思う自分でいいのかという疑問もあるみたいな。
すごいなー。なんか僕はもしかしたら年をとってしまったのかもしれない。
話、なんだかんだ内圧が高くないとこう内圧なんてペットボトルをイメージしてますけど。
はいはいはい。
ソリッドな痛みって生まれないなっていうか。
うん。
そこを自分は圧が弱くなってしまって痛いとかそういうことも鈍化になってる可能性あるなっていうのはちょっと思いましたね。
うん。
いやでもちゃんとうまく適応してちゃんとこう想像的にものを作るっていうことをやれてるのはテッドさんの方だと思うんですよね。
実際のところ。それはもう出してる作品の量でも全然違うし。
適応したというかなんですかね。まあ運もあるかもしれないですけど。
うんうん。
一個はもしかしたら兄がいたから子供がいるとどうなるか想像しやすかったとかはあるかもしれない。
あー。
うーん。まあでもこれからねAIに何もかも奪われてゆるゆるに剥がされる運命かもしれないんで。まだわかんないですけどね。
テッドさんがそうならまあみんなそうだから。
いやわかんないですよ。僕が過適応してこう。
テッドさんだけが。
僕みたいな感じの人がなんか依存しすぎてもう何もできなくなって何もやる気もなくなるっていう。
うんうん。
いやー。
なるほど。
とか全部投資して時間もお金も人脈も全て投げ打ってそれで失敗するとか。
あー。仮想通貨で破産してしまう人みたいな。
そう。僕なんか結構そういうことしそうなんですよ。
それはちょっとわかる。
そう。だからあの井出子は比率を多めに入れてるんですけど、お金を出せない。
大事ですね。
そうそう。出せない。
自分の性質がよくわかっているから。
うん。これが絶対にいいんだって言って全力を注いで全財産注いでこけるって本当にやると思うんですよ。人生長いし。
美しいですけどね。人生のありようとしては。
いや、でも振り返ってみたらただちょっと考えればわかるミスを気づく勇気すらなかったぐらいの恥ずかしい失敗の仕方を多分結構すると思います。
全然旗から見たら面白いだけの本当の後悔とか結構しそう。
すごいですね。旗から見たら面白いだけの本当の後悔って。めちゃめちゃきついですね。
あんまり信用してないんですよ。自分のこと。
まあでもまあそういう感じですね。自由というものは自分にとってすごく大きな価値があるものなので、育児はそれを少なからず手放すということではあるし、それによって幸せになれるかどうかはかなり人によるところもあるのかな。
そうですね。どうなんですかね。幸せになっている人が多数派であるように語られている。これ?
そうですね。語られてるし見えるし。実際にそうなんじゃないですかね。
まあ麻痺しているだけだったりしたとしても麻痺することが幸せなことであるっていう言い方もできるし。
まあドラッグとか。むちゃくちゃ蔓延しているドラッグとも見られる。
そうですね。合法で誰にも怒られないドラッグだったら手を出さないなんてもったいないと言ってもいい。
まあそうですね。
言っちゃっていいのか。
まあでもドラッグって言い方あと、自分なんだろうな。ドラッグっていうのもな。さすがにちょっと違うかも。
さすがになんか違う気はするな。別に自分がダメになってしまうとかそういうものではないから。
そうですね。
むしろ一般的には子供がいる人の方がしっかりしていると思われるもんね。
そうなのか。
実際しっかりせざるを得なくなるというのはあると思う。
無理やり目を覚まさせないという感じがしますね。
自分のミスで人が死ぬみたいな状況に立たされてしまうわけだし。