ということで、本編行きますか?
そうですね。はい。今日は私のほうから、まずご紹介させていただきたいと思うんですけれども。
最近、かなえさんのファン層の厚さがすごいですよね。
ね。私の?
私の。
そうですか。
そうです。
あまり私は感じないけれども。
本当ですか?
どういうこと?
顕著に増えてると思いますよ。信者が。
本当ですか?信者?
信者が。
本当ですか?
うん。
でも、なんかその、公開収録言いますか?公開処刑っていうところだったかな?
教祖の顔が出てきましたね。
歴史触れてると処刑とかってワード出るじゃないですか。
出ます。出ます。
公開処刑っていうところだった。
公開収録のときに、やっぱり女性の方が私に、あえて嬉しかったですって言ってくれたりとかするのが、
なんか、同性ってすごい嬉しいですよね。
でも、めっちゃ多いですよね。
すごく、特に同性の方で、信者の皆さんよく。
信者。
目にします。
教祖ではないんですけれどもね。
でも、本当に嬉しいです。
私なんか、同じ感覚で一緒に世界遺産を勉強してるっていう方がね、多いかなって感じたんで、
それは本当に嬉しいです。
いやー、じゃあ楽しみですね。
はい。ということで、今日は私のほうから、オーストリアのザルツブルクの歴史的についてお話をします。
これまた信者が増えそうですね。
本当ですか?
オーストリアね。
オーストリア。えー、ザルツブルク。
そうです。
いやー。
ごめんなさい、咳が。
でも、響き自体がね、もう、だってイメージつきますもんね。
確かに、なんかね、城っぽい感じのお城とか、建物いっぱい建ってんのかなとか、
アルプス山脈が背後に見えるのかなとか、そういうイメージですよね。
素敵ですね。
あと、ここはモーツァルトの故郷でもあるんですね。
なので、人のいろんな文化の中に、音楽もしっかりと調和して溶け込んでいて、
あとは、自然を使って、どうやってこのザルツブルクが大きくなっていたのかみたいなのが、
わかるような世界さんになってます。
いやー、素敵ですね。
ということでですね、今日はザルツブルクの歴史チェックについてお話したいんですけれども、
まず、このザルツブルクっていう名前についてです。
みどさんはね、もうご存知かと思うんですけれども、
ドイツ語でザルツはお塩、塩ですね。
で、ブルクっていうのは城を意味しています。
なので直訳すると、塩の城ですね。
もう何でも受けたかが一目瞭然。
そうですよね。本当ですね。
でもこの周辺は本当に、なんだろう、同じようなエリアが多いかなって思っているんですけれども、
ザルツって付く地名が結構多かったりしますよね。
確かに。
ザルツカンマーグードとか。
なんか調べたらね、ザルツなんとかとか、
あとザルツって入ってなくても、ちょっとそこが塩の意味が含まれているような地名もあったりするみたいですね。
はい。
で、塩の城って言われるだけあってですね、
古くから塩が非常に重要な資源になっていたのが、このザルツブルクのエリアなんですね。
なんかよく聞きますね。
そうですね。
中世のお話で。
結構出てきますね。
ポーランドとかオーストリアとかもそうだし、
ドイツとかも近いから、あの辺もそうなんだと思うんですけれども、
塩って本当に重要なもので、
特に塩は食べ物とかをね、お魚お肉とかを保存するときに、
冷蔵庫がない時代とかでも長期保存ができるような。
確かに。
そうですよね。
よく考えたら、内陸の国とか、新鮮なお魚食べようと思ったら、塩ないときついですもんね。
そうなんですよね。
そういう日常的な生活にも塩って欠かせなかったそうですね。
なるほど。
そうなんですよ。
なので、そういう塩から得られるもの、
富が、ザリッツブルーがどんどんどんどん作っていったと言われています。
本当にアルプスの周辺ではこういう場所がたくさんあって、
そもそもアルプス山脈の周辺に塩があるっていうことは、
大昔にこのヨーロッパの陸と海にあったっていうこともわかるわけじゃないですか。
まさかの知性学に入ってきた。
今日は知性学のお話。
よく考えたらそうですよね。
塩が取れるっていうことは、海だったってことですもんね。
そうなんですよ。それも広大な土地で、
国境を渡っても、あそこらへんって海だったんですよね。
面白い。
すごくないですか。
すごいですね。
だから、あの辺に普通に、今は陸があるけど、海があって、
当たり前のように魚とかが泳いでたんでしょうね。
浸ってたってことですもんね。
浸ってたんだと思いますけどね。
すごい。
そこにどんどんどんどん山脈が立っていって、
塩が固まっていってっていう過程があったと思うんですけれども、
そこも自然がもともとこうだったんだっていうのがわかるきっかけでもあるじゃないですか、
お塩って。
それも面白いなって思いました。
で、塩って本当に考えてみると、いろんなところにありそうじゃないって思うんですけど、
ただ、昔は本当に大変な労働を費やして、鉱山から採掘したりっていうことがあったんですね。
なので、塩って宝物みたいな感じで、貴重なものとして扱われたんですね。
なんかよくね、白く輝く黄金とかって言いますよね。
そうなんですよ。
取るのもね、やっぱりいろんな苦労をかけるので、黄金とか、あとは白い金っていうふうにも呼ばれたそうです。
そのまんまだ。
お金みたいな、同等の価値があったんですよね、きっと。
でしょうね。
王族たちだって、子ぞっても、そこを領土にしていったりとかね、したそうですから、
本当に、私たちにはあんまり考えられないとかね、
日本は塩がそんなに貴重だった歴史で、そこまで聞いたことない。
確かにね、海に囲まれてますもんね。
そうですよね。あんまり聞こないですよね。
そうですね。
だからすごく、ヨーロッパってこういう国だったんだな、ちょっとわかるかなって思いますね。
で、そんなこんなでですね、塩ってすごく貴重で、
それによって富を築き上げたっていうところで、
ザルツブルクって、本当に立派なお城とか建物がね、
バロック建築と言われるような、すごい豪華な建物が多く残っているんですけど、
そういった建物も、お塩の商売の利益で建てられたと言われています。
塩古典。
すごいですよね。なので、塩の塩、ザルツブルクっていう感じかな。
すごいですよね。
なんかちょっとメルヘンチックな建物ですかね。
見た目そうですね。
その、お山の方には、大塩ザルツブルク城っていうすごく大きなお城があったり、
で、その周辺にはちょっと建物があって、周りには山脈とか、自然に囲まれててみたいな。
もうディズニーですね。
確かにディズニーっぽいけどね、そうですね。
本当にこう、まず、私たち普通に生活してたら出会えることのない景色が広がっていると思いますね。
結構その、もしかするとディズニーがモデルにしてるかもしれないけど、
でももうその何十倍何百倍って本当にすごい景色だとは思いますね。
すごいな。
なんか空とかも綺麗そうですよね。
そうですね。
なんだろう。
確かに。
ちょっと晴れてるだけで感動しそうな。
なんかヨーロッパの山ってちょっと違いますよね、日本と。
違いますね。
壮大さもそうだし、なんかイメージ、優しい感じというか、なんだろう。
アルフスの山のイメージで優しそうな。
ハイジとかもあるじゃないですか。
ああいうイメージがすごくあるんですけど、
本当にメルヘンチックですね、と思いますね。
ということで塩で栄えていった街というのがまず一つなんですけど、
あともう一つこのザルツブルク城、城じゃない。
ザルツブルクの特徴っていうのがあって、
ザルツブルクを長い間治めていたのが大司教さんなんですね。
大司教って教会の中でも宗教的に地位の高い方なんですけれども、
中世のザルツブルクって大司教が宗教だけじゃなくて政治的な権力も握っていたんですね。
そうなんですね。
もう広大な土地とかもしっかりと治める人であるっていうところで、
こういった大司教の方を領主大司教っていうふうに呼ぶんですけれども、
領主大司教?
そうですね。領主。大司教領主とも呼ばれるみたいなんですけど、
そういう呼ばれ方をしてたみたいですね。
そういう方が治めていた。で、約1000年くらい、
ザルツブルクのその教区のところを治めていたって言われてるんですね。
1000年すごいですね。
いろんな人たちが変わっていって、すごいですよね。
10世紀に渡って。
それくらい、その教会の力ってすごかったんだろうね。
そうですね。やっぱり宗教の力ってすごいですね。
思います。だから多分、カトリックの教会というか宗教観を意識して、
街も作られているから、もうカトリックあっての場所だったんでしょうね。
そこを中心に。面白い。
すごいですよね。宗教観も根付いてそうだし、
行くだけで何か違いがあって面白そうだなと思いますね。
想像できないんですけど。すごくないですか?
いや、すごいですね。あまり日本では想像できないかもしれないですね。
大局にありそう。
教会の都市国家っていうことじゃないですか。ないですもんね、そんな。
ないですね。
京都とかは、ちょっと違うか。
だってね、戦国武将がお寺焼き払ったりするくらい。
そうですよね。そんな。
全く正反対かもしれないですね。
確かに。それもね、すごい新鮮というか。
なので、そういった領主大使教のもとで、どんどん発展していったんですね。
その中で、やっぱり首王から得た利益を背景にして、
教会だったり宮殿だったり、いろんな広場っていうのが作られて、今のザルツブルクの形があります。
いや、歴史のロマンが詰まってますね。
すごいですね。
街に。
そうなんですよ。
なので、私たちが今見るものも、大使教の宗教的に知恵の高い人が進めていって作っていったものが見えてるんじゃないかなって思うんですけど、
特に大きく街が変化していったのが、16世紀頃です。
この時に領主大使教だったのが、ボルフ・ディートリヒフォン・ライテナウさんっていう方なんですけど。
すごい。よく噛まずに言いましたね。
ボルフ・ディートリヒフォン・ライテナウさんですね。
すごい。2回目も。
このすごい長い名前の方なんですけど、この方はイタリアのローマに行って、建築を学んでいたそうです。
なので、現地にイタリアに行って、本当に壮大なドームがあったりとか、いろいろあるじゃないですか。
そういった建築都市に影響を受けたので、ザルツブルクにその文化を持って帰ってきて、街を本当に大きく作り変えていったと言われてます。
本物の人が作ってるんですね。
みたいですね。
あんまり大使教さんが各地に行って建築を学んでいくって、そんなに聞かないかも。
そうですよね。
作らせたりとかはあるじゃないですか。
確かに確かに。
有名なレオナルド・ダ・ヴィンチとか、ミケラ・アンジェロとかも関わって作ったりとかはあったけども、こんな感じで作らせてたのかな。
発注する人ですもんね、普通。
そうですよね。すごいですよね。
すごい。ワンストップ。
実際に行って学んでってすごいですね。
っていう感じで、非常にローマ建築に興味があった方なんじゃないかなって思うんですけれども、実際にイタリアの方から建築家を招いて、組織整備していったみたいですよ。
すごいな。本気とか全然違いますね。
違いますね。
あんまりオーストリア自体に、海外から持ってきた文化で建てるっていうよりかは、オーストリア自体は文化が強いから、現地で生み出されたもので、町ができていってるっていう感覚が私の中にはあったんですけど。
思ってました。
ですよね。実はイタリアの方からワローク建築っていう、現地の良さを持ってきて建ててるっていう経緯があったらしいです。
初耳でした。
面白いですよね。こんな建築好きの大司教さんいたんだっていうのも、新発見だったんですけれども。
確かに。
なので、実際に町にはドームが連なってる景観とかね、ローマらしいというか。
ローマっぽいですね。
ですよね。もあるみたいですよ。
面白い。
もちろん、教会とか塔とかオーストリアっぽい景観もあるんですけど、そういうローマっぽい建築も混じってるので、ザルスブルクって別名で北のローマっていうふうにも呼ばれるようになったそうです。
そうなんだ。
理由知ってる人あんまりいないでしょうね。
北のローマっていうのも、私は調べてて初めてだったんですけど、そう見ると、町の中に行った時に、どうなんだろう、どういうバロックのローマっぽい建築があったら、これもきっとあそこからイメージして作られたのかなっていう感覚でね、旅ができたりするのかなとかも思いますし。
確かに。
そうですね。私、いつだったっけな、イタリアかスイスに行く時かな、ドイツ、オーストリア側を通って行ったんですよ、飛行機で。
オーストリアにもちょっと入ってった時に、ザルスブルク見えないかなって、窓にへばりついて見てた時あったんですけど、その時は全然見えなくて。
見えなかったんですね。
ザルスブルクね、でもすごい興味がありますね。
確かに。上空から見えたら燃えますね。
そうですね。
確かに。
都市はなかなか発見しにくいけれども、でも意外と飛行機って見えますもんね。
そうですね。なんか変な理屈ですけど、地上にいて空飛んでる飛行機が見えるってことは、逆も視界で飛行機から見て地上の風景って見えるんじゃないかっていう。
見えますよね。
勝手な理屈があるんですけど。
見える見える見えると思います。
私、そこで発見したオーストリアで行ってみたいなって思うコーハンの街とかもできたんですよ。
上空から見てて。
上空から見て、何ここって思って、すごいきれいなコーハンの街を見つけて、日本人とか全然行ってないでしょうってくらい。
そうですよね。でも本当マイナーというか、地方のってことですね。
そうなんですよ。なんで意外と見えると思います。
っていう、なんかね、飛行機乗ってて、あの周辺っていろんな国のいろんな都市があるから飽きないですよねって思いましたね。
それは楽しいかもしれないですね。
そうですね。
という感じで、もしかすると皆さん、ザルツブルク飛行機から見たことあるよっていう方もいるかもしれないんですけど、
このザルツブルクの中で特に名所となっているのが、方園ザルツブルク城というお城ですね。
ここはそうですね、もう絵はがきカレンダー。
そうそうそう、絵はがきカレンダー。
絶対出てくる。
出てきますね。たまにWindowsとかのね、PC開いたら出てきたりとか。
スクリーンセーバーやってますよね。
そうですね。たまになると思いますけれども、本当に綺麗な城基町のね、大きなお城で、城斎なのかなあれ。城斎ですね。
もう壁もすごいしっかりしてるし、強そうな感じの見た目。
でも綺麗だし。
綺麗ですね。
実際に建築が始まったのは、ここは1077年と言われているので、
1077年。
2000年じゃない、1000年以上前ですね。
そうなんですね。
なので、そういう歴史にも触れられたりとか、どういう人がここにいたのかなとかっていうのをね、たくさん知れたりもしますし。
そうですね、1000年前なんで、一人の力で建てられたわけじゃなくて、もう何世紀にもあたって、いろんな人が拡張していったり、っていう歴史もあったりするので。
現地に行ったらいろいろそういう歴史もね、触れられると思うんですけれども、
もう山も背景にあるし、方園ザルツブルク城もシンボルとしてあるし、
外観が本当に素敵な世界遺産かなって思いますね、ザルツブルクは。
そうですね。もう全然なんかさ、1年だけで長く居座れそうですね。
いや、1週間くらいいたいですよね。
ね、ほんと。
ご飯とかもおいしいでしょうし、
あと、そうですね、モーツァルトが生まれた町でもあるんで、
実際に彼の家って残っているので、住んでた場所では、今はミュージアムとして公開されているので、彼の生涯を知れるスペースがあったりとか。
いいですね。
多分もう、そうですね、ほぼ行かない人いないんじゃないかくらい、やっぱモーツァルトの町っていうイメージかな。
音楽されてた方は、もうほんと聖地というか。
聖地だと思います。ほんとにザルツブルクといえばモーツァルトみたいな感じなんじゃないかな。
曲とか流れてるかもしれないんですよね、町で。
なるほどね。日本の信号の通りゃんせい、通りゃんせいがモーツァルトになっているかもしれない。
通りゃんせいって曲なんですか、あれって。
通りゃんせいって曲かな。
知らなかった。
そう。
最近聞かなくなりましたね。
これね、全然聞かないですよね。
時代とともに、薄れゆく。
薄れゆく。
あんま聞かないですけど、最近ね。
平成ロマンですね。
平成ロマン?そうなんです。そういう歌だった。知らなかった。
でもモーツァルトはね、もう町全体で多分掲げてる人ですからね。
そりゃそうですよね。
なんか、夕食とかレストランとかでも流れてそうですよね。
すごい素敵な白いテーブルにさ、ちゃんとシルバーが設置されていて。
なんかさ、どんなレストラン行っても、日本でいう小料理屋クラスのレストランに行っても、
絶対どこの店にもグランドピアノ一つありそうな。
ありそう!ありそう!
あとなんか、めっちゃ勝手な想像なんですけど、音楽室みたいに音楽家の写真とか。
ありそう。
ありそうですよね。
ありそうっすね。
そういうのもまたいいですよね。
音楽で作られたら、塩もそうだし、音楽でも発展していったんじゃないかな。
モーツァルト一人だけでも、ものすごい人たちが多分世界中から押し寄せてると思うんですよ。
そう考えるとすごいですね。モーツァルトって英雄ですよね。
英雄ですね。
うん。って思います。
音楽家ってすごいですよね。こんな時代の私たちにも話してるわけですよ。
確かに。確かに。
影響力がすごい。
影響力すごいですね。
だって教科書になってますもんね。
そうですよね。モーツァルト。
全然、もう極東の、離れた離れた日本の教科書になってるぐらいなんで、
モーツァルトも予想してなかったでしょうね。
確かに。
日本っていう国知ってたんかな、モーツァルトは。
えー、どうなんだろう。知ってるんじゃないかな。
知ってはいたんですかね。
来てそうですもんね、日本からも。
あー、そうです。あ、そっか。
たぶん。
そっかそっか。
わかんない。
でも、なんか、シルクロードがあるってことは、日本のこの、なんて言うんですか、
こう、冬季とかがヨーロッパにわたってるから、やっぱ日本っていう国自体は知ってますから。
少なからず、なんか誰かしらは交流してそうですよね。
うんうんうん。
そっか。
でも、モーツァルトの家もね、みんなさんぜひ行ってみたら、ミュージアムね、行ってみてほしいなって思うし、
まあ、ちょっと別の世界さんなんですけど、オーストリアには、国立歌劇場っていう、書いちゃった、国立歌劇場というね、
すごく大きな、立派な、よくこう映画とかでも、海外の映画って、お金持ちの方がね、感激してるシーンとかがあるかもしれないんですけど、
そういうところで出てきますよね。
で、そこの国立歌劇場で、その一番最初に、その建物ができて、一番最初に演奏というか、劇が行われたのが、モーツァルトの作品だったりもするので、
ザルズブルクだけじゃなくて、オーストリア全体、ヨーロッパでも本当にそうですね、有名な英雄的存在なんじゃないかなと思うので、
本当にモーツァルトはね、外せないと思います。
っていう感じなんですが、