00:04
FM八ヶ岳 Day in Life 暮らしの羅針盤の時間です。池田政子が担当する第76回です。
この番組は、身近な暮らしの中にある男女共同参画やジェンダーの問題についてお話ししています。
新年第2回の放送は、ジェンダーの視点でいろいろな言葉を考えてみたいと思います。
まずは、2025年の新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれた、「働いて働いて働いて働いて働いてまいります。」
日本初の女性の総理大臣となった高市三内首相が、自民党の総裁に選ばれた時の言葉ですね。
この言葉の前には、もう全員に働いていただきます。馬車馬のように働いていただきます。
私自身もワークライフバランスという言葉を捨てますという言葉もついていました。
私もテレビのニュースで見ましたが、思わず働いてを何回言ったか数えてしまいました。
そして、こういうことを言える女性でないと日本では総理大臣にはなれないんだと改めて思いました。
戦後80年たっても、政治の世界が男社会であることをあからさまに示した言葉だと思います。
高市首相は受賞式で、長時間労働を美徳とする意図はないと説明したようですが、長時間労働による過労死で家族を亡くした遺族の方々は、この発言や受賞について抗議しています。
それなのに、政府は労働時間の規制緩和について検討を始めていますね。
労働者が時間外労働、残業できる時間を伸ばして企業の競争力や賃金のアップにつなげるというのですが、これに働きたい改革という言葉を使っています。
高市首相は働きたいだけの時間を働けず、十分な賃金がもらえない方もいると言っていますが、
残業しなければ十分な賃金がもらえないという現状の仕組みこそ見直すべきではないでしょうか。
働きたい改革ではなく、働かせたい改革だという指摘に納得してしまいます。
さて、先月12月11日の山梨日々新聞のコラム風鈴火山で、新川一恵さんの有名な詩、「私を束ねないで。」の一部が紹介されていました。
私を束ねないで。荒青桃の花のように、白いネギのように束ねないでください。
私を名付けないで。娘という名、妻という名、おもおもし母という名で失礼たざに、座りきりにさせないでください。
03:00
この風鈴火山では、この詩について、性別や年齢、社会的な枠にはめられてしまうことへの拒絶、
もっと広々と生きたいとの思いが伝わるとして、
選択的夫婦別姓の代わりに、旧姓の通称使用を法性化しようとする日本の女性首相にもかみしめてもらいたい。
家族の形を束ねるのはやめてほしい。自分の名前で生きたいと願う人の切実な声を受け止めたいと訴えています。
日本の代表的な女性の詩人である新川和恵は、1929年、昭和4年生まれで、この詩が発表された1960年代半ばは、彼女が30代後半の頃です。
私の母とほぼ同じ世代ですので、娘、妻、母という名で束ねるな、という言葉がとてもリアルに伝わってきます。
一方、昨年9月23日、お彼岸の中日の風鈴火山の冒頭はこんな文章でした。
お母さん、半殺しにしましょうか。私は皆殺しがいいよ。
お買ってから、嫁とシュート目のそんな会話が聞こえてくるのかもしれない。
シュート目の手には狂気のすり込みが。秋のお彼岸の味、おはぎの話である。
その後に、この時期の農家の草刈りの大変さが書かれているのですが、私は読んで、うーんとなりました。
執筆者はいわゆる枕として、キャッチーなこの話を使ったのでしょうが、嫁、シュート目、どんな感じか。
嫁は女辺に家、シュート目は女辺に古いですね。
これも家族の形を束ねるために使われてきた呼び名ですね。
まるまる産地のお嫁さん、あのうちの嫁、今は使いたくない言葉です。
そして子供が生まれると、今度はまるまるちゃんのお母さん、まるまるちゃんのママと呼ばれます。
名前のある個人としての自分は置き去りにされてしまいます。
昨年の秋から、久内町は援遊課に招待された人の配偶者の名札にも個人名を記載することにしました。
これまでは招待者の配偶者は、女性の場合はまるまる夫人、男性の場合はまるまる夫君と記載されていました。
久内町もこれが家制度の名残だったことを認めたと言っていいのではないでしょうか。
名前は自分でつけることはできません。
人生の中で誰もが一度だけ詩人になることがある。
それは生まれてくる子供の名前を考えるとき、といった人がいるそうです。
名前はいろいろな関係の中で、いろいろな人の思いを背負っているとも言えますね。
皆さんはご自分の名前が好きでしょうか。
06:03
では今日の一曲目です。
アンジェラーキの手紙 背景15の君へ 2008年のリリースです。
皆さんは15歳の自分に今ならどんな言葉をかけてあげたいでしょうか。
さて、家という束の中にある言葉、まだありますね。
例えば主婦という言葉、いつ頃から使われていると思いますか。
孔子園には一家の主人の妻、それから一家の家事を切り盛りしている夫人、女主とあります。
つまり一家の主である男性が主人なら、家庭のことを取り仕切る妻は女性の主という、ある意味での対等性を示す言葉だったわけですね。
この主婦という言葉が一般に使われるようになったのは、大正の始めの1910年代から20年代だそうです。
この頃は大正デモクラシーの時代でもあって、明治期の両妻嫌母という規範や、
家制度に縛られない、いわゆる新しい女と呼ばれる女性像や女性論が全国で展開されていた時期でもあります。
この時期、山梨県内のいくつかの新聞には、次のような見出しの記事が掲載されています。
女子職業問題、女子教育の革新、女子と自由、家庭経済と主婦、今日の社会が要求する女、婦人の地位、両妻嫌母、婦人問題、日本婦人と賛成権、婦人労働問題、婦人解放、
妻君は無給金の女中華、誤った今の女子教育、両妻嫌母一点張りがそもそもの間違い、母親の感化力、婦人運動の収穫、婦人と礼儀などです。
結構、新しい女性像を提供する記事があったという感じがします。
女子、女、婦人、主婦、妻君、妻のことですね、母親など、女性を示す言葉も様々ですが、女性という言葉自体はまだ使われていないようです。
妻君は無給金の女中華というのは、今で言えば、妻がほとんどになっている家事、育児、介護などが無償労働であることを指摘したものですね。
女性の教育レベルが上がってきたことによって、この時期には多くの婦人雑誌が刊行されて、新旧の女性論を伝達するメディアになっていました。
婦人雑誌と言われるものは、明治後期から刊行されています。
現在まで続いているものとしては、明治36年創刊の婦人の友、明治38年創刊の婦人画法、そして大正5年創刊の婦人口論があります。
09:06
その後、主婦の友、婦人クラブなどが刊行され、こういう雑誌によって、主婦は家事全般を担う女主というイメージも発信されていきました。
当時まだ女性は社会制度的には無能力者として扱われ、もちろん選挙権などは持っていませんでしたから、この主婦という言葉の示すポジションは、女性たちの自己認識の拠り所として大きな意味があったのではないでしょうか。
山梨ではどうだったか。
1918年、大正7年の地元紙の記事によれば、幸福でよく売れる婦人雑誌は、婦人世界600部、婦女界400部、婦人の友と主婦の友が100部、そして婦人口論がこれに続いています。
主婦の友は、風呂区に初めて家計簿をつけた雑誌として有名ですが、1917年、大正6年の主婦の友には、山梨県豊子の名前で日給40銭で夫婦暮らし物の家計という投稿が掲載されています。
山梨の女性たちが、全国版の女性誌を読んで投稿し、新しい情報を入手して、自らも発信していた様子が伺えます。
多くの婦人雑誌が、主婦という役割に関わる実用的な記事が多かった中で、婦人口論は、自由主義と助権の拡張、つまり、女性の解放、男女同権を目指すことをコンセプトに相関されたという点で移植です。
編集長はずっと男性でしたが、戦後の1958年、昭和33年に、山梨の和歌雄財閥出身、甲府市生まれの妻草細子が女性初の編集長に就任して、1965年まで続けました。
これは大手の出版社では初めての女性編集長でした。
細草はその後、1984年に山梨県立総合婦人会館の初代館長に迎えられ、7年間勤めています。
その婦人会館の会館5周年の記念事業として、山梨女性志能と年表に見る女性の歩み、明治編の編参事業を行っています。
その観光に寄せた冒頭の言葉の一部を紹介します。
今日では、男女平等が当然のこととされておりますが、そんな考えの全くなかった時代に、私たちの先輩の女性たちがどのように困難と戦いながら、少しずつでも明るい方向を目指して歩んできたか、
そのことが、この何気ない記録の中から伺い知ることができるのは、なんという貴重なことでありましょうか。
12:07
知知とした歩みの中にも、ひたむきに生きてきた彼女たちの息遣いが感じられるように私には思われます。
山々に囲まれ、交通も不便な我が山梨でありながら、明治の時代から既に各方面で立派に生きた女性たちの歩みがあり、
また、それを支えた男性たちの存在があったことは、なんという素晴らしいことでありましょうか。
私たちは、先輩の女性たちの灯した松明の火を受け継いで、さらに赤々と照らしていかなければならないことを改めて考えさせられます。
さて、ここで問題です。
1989年、山梨県立総合婦人会館の5周年事業として刊行されたものは、山梨女性指納と年表に見る女性の歩み、つまり、婦人ではなく女性が使われています。
なぜだと思われますか。
1990年代に、全国で行政機関や団体名に使われていた、婦人という言葉を女性に変える動きが起こりました。
でも、これはその前です。婦人史という言葉はあまり聞かないですよね。
実際に使われていないからです。
女性史研究のパイオニアであり、私の元同僚である米田紗友子さんに、女性史という言葉はいつ頃から使われているか伺ってみました。
米田さんのお返事。
女性史という言い方は、少なくとも明治期からありました。
復刻日本女性史草書全23巻というのがあって、第3巻には明治40年に出た日本女性史という本が入っています。
私が読んだ19巻には、女性史というタイトルも出てきます。
戦後は1949年に完工された井上清志の日本女性史が有名です。
一方で、労働組合は婦人部だったし、婦人運動という言葉も定着していたけれど、でも婦人史とは誰も言いませんでしたね、ということでした。
そもそも女性の歴史の研究は、女性史という言葉でスタートしているということでしょうか。
男性中心の文字で書かれた資料をベースとする歴史の中では、女性が名前を持つ個人として登場することは稀なことです。
例えば、2003年に完工された山梨県の百年という本には、181名の人物が登場しますが、女性はそのうちたった6人にすぎません。
1975年に国連で採択された国際婦人年、現在は国際女性年と言っていますが、
15:04
これを契機として、自分たちの地域の女性の歴史を掘り起こそうという民間のグループができ、各地で聞き書きという形で先輩の女性たちの話を書き残す活動が盛んになりました。
そして、1980年代から90年代にかけて、主に都道府県などの自治体が関わって、「〇〇県女性史」というようなものが刊行されています。
山梨女性史の音の刊行もその流れの中にあったと思います。
西草細子さんは、2023年1月に102歳でお亡くなりになりました。
では、今日の2曲目。アニメ・千と千尋の神隠しの主題歌。
いつも何度でも。作詞は山梨出身の各若子。作曲と歌は木村由美です。
さて、山梨県で行政用語として、婦人という言葉が女性に変わったのは、いつ頃だと思いますか。
県は1989年に、婦人問題に関する意識と実態の調査を行いました。
私はこれに関わっていたのですが、婦人という言葉は結婚している女性という意味なので、若い女性たちは自分のことだと考えにくいのではないか。
ぜひ調査の中に、これを確かめる項目を入れてほしいと要望しました。
そして、婦人と女性という言い方があります。
あなたはご自分のことを言われるとしたら、どちらに親しみを感じますか、という質問を加えることになりました。
女性か婦人か、結果は年齢・世代との関係をはっきり示していました。
20代では9割以上が女性を選びましたが、年齢が上がるにつれてその割合が低くなって、60歳以上の女性では3割にもなりませんでした。
全体としては、女性が5割強、婦人は2割弱となって、その翌年から山梨県では順次、婦人という言葉を女性に置き換えていきました。
1990年、現在の県立男女共同参画推進センターピュア富士が地元の女性たちの運動によって鶴市に開設されましたが、その時の名称は山梨県立富士女性センターとされました。
また、1991年の第二次山梨県婦人行動計画は山梨女性へ行き行くプランと名付けられ、その翌年には県の青少年婦人化は青少年女性化という名称になりました。
戻りますが、主婦という言葉は大正期に普及したわけですけれど、実際にそのポジションにつける女性たちは、婦人と呼ばれる一定の階層の女性たちでした。
18:09
それが一般的になったのは、1950年代末から70年代前半にかけての高度経済成長期です。
この時代の女性は、学校を卒業したら就職し、数年勤めたらサラリーマンと結婚し、当時の言葉でことぶき退社するのが普通の生き方だと考えられるようになりました。
また、母親は子どもが3歳になるまでは家庭で育児に専念すべきだという、後に3歳自身はといわれる社会通念も広がって専業主婦が当たり前の社会になっていきました。
しかしその後、例えば1980年には64%だった専業主婦世帯は減り続けて、1990年代に共働き世帯とほぼ同様の割合が続いた後、急激に減少して2024年には28%となっています。
ただし、妻が正規雇用者である共働き世帯が増えているわけではなく、妻はパートタイムや非正規雇用者が多い状況です。
年齢別に見た女性の正規雇用の割合は20代後半の6割がピークで、その後は年齢が上がるにつれ低下していきます。
国はこれをL2型カーブと呼んでいます。
夫である男性は働いて働いて、という世界的にも長時間労働、妻は家事、育児などのケア労働のほとんどを担いながら、非正規雇用での賃金労働という形が一般的ということですね。
これが女性と子どもの貧困にもつながっています。
2024年の山梨県内の子育て世帯の年間所得の調査では、相対的な貧困の基準である貧困線は156万5000円で、子どもの貧困は10人に1人、そして母子世帯の68%はこの相対的貧困状態にあるという結果でした。
昨年9月の県議会を傍聴した時に、頑張れば報われる社会という言葉が何度も答弁の中に出てきて、私は強い違和感を持ちました。
例えば、食料支援を受けざるを得ない母子世帯の女性は、頑張って頑張って頑張って頑張って頑張っているかもしれません。
また、頑張るということ自体、経済面、精神面、身体面など様々な事情でできない人、また他の人と同じスタート台に立てない人もたくさんいるでしょう。
21:03
頑張れば報われるというのは、そういう社会的な構造を自己責任にすり替えてしまう危うさを持つ言葉ではないでしょうか。
さて、現在は、婦人ではなく女性という言葉が使われているのですが、メディアの報道の中で、とても不思議に思っていることがあります。
犯罪の報道で犯人の性別を示す時には、男性・女性ではなく、男・女という言葉が使われることです。
例えば、強盗の疑いで男逮捕という見出しが普通で、男性逮捕とは書かないし、車と衝突、自転車の女性重傷であって、自転車の女重傷ではないわけです。
いつ頃からなぜこういう使い分けがされるようになったのか、ちょっと調べてみました。
まず、1950年代から70年代にかけての高度経済成長期に、犯罪とか事件の報道が量産されるようになって、
被害者は女性・男性、犯人は女・男という使い分けが報道の標準語となったというのです。
犯罪報道の場合、シンプルに性別を示す女・男という言葉の方が感情移入をしにくいこと、
また、新聞の見出しなどでは、男・女の方が文字数が少なく、かつインパクトがあるからだというのですけれど、
ただ、現在はNHKと一部の新聞社では、男性・女性に統一しようとする動きもあるそうです。
女・男というと、逆に性別が強調されすぎて、
女・男という言葉にこれまで染み付いてきたジェンダーバイアスが絡みついたまま発信されてしまうという批判があるようです。
例えば、犯人は女と言った時に、女であるという性別そのものが犯罪を引き起こした理由であるかのように、
つまり、女だからそういう犯罪をしたというように聞こえてしまう。
一方、犯人は男という言い方は、男という性別を持つ個人の問題として受け取られやすいと言うんですけれど、どう思われますか。
それから、30代の女がスーパーで万引きという表現と、30代の女性がスーパーで万引きという表現、
犯人のイメージはどう違うでしょうか、あるいは違いはないでしょうか。
男性と男、女性と女、たった一文字の違いですが、言葉の持つ力を考えさせられます。
では、今日の3曲目、中島美行のウィズをお聴きください。
1990年、山梨県立富士女性センター、現在のピア富士が鶴市に開設された年のリリースです。
24:04
メディアで使われる言葉については、他にも気になることがあります。
昨年12月12日の朝日新聞に、働きながら介護、ワーキングケアラー、広がるサポートという記事が載りました。
このワーキングケアラーという言葉、ビジネスケアラーと言ったりもしますね。
いわゆる働き盛りの男性が、働き盛りという言葉も多分男性にしか使われないですが、
親などの介護のために仕事をやめなければならなくなるケースが目立ち始めて、
まず最初に使われたのは、介護離職という言葉です。
女性たちはずっと前から介護離職をしてきたのに、その時には何の言葉も与えられず、
男性が同じ状況になるとやっと新しい現象として認知されて、その現象に言葉が与えられるわけですね。
その後にビジネスケアラーという言葉が出てきました。
これも男性のイメージが強い言葉です。
この記事は、ワーキングケアラーを支援するために、介護の状況や協力できる兄弟の有無などに応じて、
AIが個別相談や使える制度の提案をするサービスが始まるという内容でした。
今、協力できる兄弟の有無と言いましたが、リスナーの皆さんは、兄弟という言葉からどんな人をイメージされましたか。
男性でしょうか、女性でしょうか、それとも両方でしょうか。
私が注目したのは、兄弟という言葉がひらがなで書かれていたことです。
以前は新聞での兄弟の表記は、兄弟という漢字でした。
つまり、男性である兄と弟が、女性である姉と妹を含めた兄弟姉妹という関係を代表しているわけです。
この色合いを薄めるために、ひらがなで兄弟と表記するようになってきているようなのですけれど、
男性が女性を代表している表現であることに変わりはありません。
日常会話で、ご兄弟はと聞かれて、いえ、姉はいるのですが、兄も弟もいませんという人はあまりいないでしょう。
このような言葉は他にもありますね。
例えば、青少年とか若者という言葉です。
こんな文章はどうでしょう。
公園のブランコに乗っている少年に一人の青年が声をかけました。
皆さんはどんな場面をイメージされましたか。
普通に男の子と若い男性が思い浮かぶのではないでしょうか。
でも実際には若い女性や女の子も含めて使われる言葉ですよね。
それから、まだ父兄という言葉を使う教育関係者もいます。
27:01
この言葉も家制度の名残。
母親である女性が親権、親としての権限も夫の財産相続権もなかった時代に、
父親が亡くなれば母親ではなく、
父親の後を継いだ兄が家長として弟や妹たちの面倒を見る立場になったことから使われた言葉です。
この父兄のように今はあまり使われなくなったジェンダバイアスを含む言葉はまだ他にもありますね。
例えば女流作家とか女医などという職業に関する言葉ですね。
作家も医師も男性がほとんどだった時代には特別な珍しい存在として、
わざわざ女という言葉を付けて区別をしたのでしょう。
男性作家とか男医というような対になる言葉がないのが特徴です。
未亡人とかキャリアウンマンなども同じですね。
育免とか家事団という言葉が流行った時もありますが、
どうして男性が子育てや家事をすると特別な呼び名がついてチヤホヤされるのかという声が女性たちから上がって今はあまり使われません。
女性に関してバイアスのある言葉、皆さんは他にどんなものを思い浮かべますか?
男まさり、女だてらに、ない女の子、不精不醉、それから美人すぎる議員とか、
最色顕微などという言葉もそうですね。
一方、男性に対して向けられる言葉の中に、女性に対する差別的な眼差しが含まれているものもあります。
めめしい、女の腐ったような、なよなよする、なんていうのがありますね。
男性は強くなくちゃいけないというジェンダーの規範から外れた男性を女性化することで抜する表現で、
かつ、女性を貶めているという二重の差別を含んでいます。
言葉は、私たちが意識している以上に、私たちの心の奥深くに根付いて、感情や行動に影響しています。
普段何気なく使っている言葉が、自分や誰かを束ねてしまうことになっていないか、
名前のある個人としての自分や誰かを縛り付けていないか、そんなことも考えてみたいと思います。
FM八ヶ岳池田雅子がお送りする暮らしの羅針盤、新年早々聞いてくださってありがとうございました。
それぞれの形に沿う矢、むつの花。
それぞれの形に沿う矢、むつの花。
雅子、むつの花というのは雪のことです。
雪の結晶が六角形をしているからですが、趣のある言葉ですね。
でも、豪雪での被害は困ります。
穏やかで美しい雪景色でありますように。
30:02
ではまた。