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2026/07/02 暮らしの羅針盤(池田政子 #87)
2026-07-04 38:03

2026/07/02 暮らしの羅針盤(池田政子 #87)

今やりたい、今でなければ―子育て真最中に立候補 ゲスト:若尾彰子さん(甲斐市議会議員)

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サマリー

甲斐市議会議員の若尾翔子さんが、子育てと議員活動の両立や、女性の政治参画における課題について語る。看護師・保健師としての経験から、子育て支援や地域包括ケアシステムの重要性を訴え、市議会議員に立候補。2期目の当選を果たし、副議長にも就任した若尾さんは、多様な人材が活躍できる社会の実現を目指し、制度改革に取り組んでいる。

若尾翔子さんの経歴と議員を目指すきっかけ
FM八ヶ岳 Day in Life 暮らしの羅針盤の時間です。池田政子が担当する第87回です。
この番組は、身近な暮らしの中にある男女共同参画や、ジェンダーの問題についてお話ししています。
今年4月10日は、沖縄を除く日本の女性たちが、初めて賛成権を行使してから80年を迎えた日ということで、何回かそれにちなんだ話題を取り上げてきましたが、今日はゲストをお招きしています。
4月の会市議会の選挙で、2期目の当選を果たした若尾翔子さんです。若尾さんは、1988年生まれの37歳ということで、多分現在山梨県で30代の女性議員はとても少ないと思いますが、議員活動と家庭生活のバランスについてのご苦労なども含めて、いろいろ伺いたいと思います。若尾さんどうぞよろしくお願いします。
若尾さんは名古屋のご出身で、山梨県立大学の看護学部を卒業されていますが、看護という分野を選んだのはどうしてですか。
はい、両親が看護師をしていまして、いつでもどこでも必要とされる職業であり、これからは女の子でも自立できる仕事を持つことが大事だとずっと小さい頃から聞かされて育ちました。
ライフコースを考えた上でも看護師というのは自然な選択でした。山梨県立大学で看護師保健師の資格を取りました。
はい、それで2011年に卒業されて、どんな職に就かれたんですか。
最初は総合病院の看護師になりました。結婚してからは夫の転勤に付き合って勤務先も変わり、市町村の保健師をしたり、市議選に出る前まではデイサービスの看護師をしていました。その間、2人の子供にも恵まれました。
そうなんですね。そういうお仕事の現場でどんなことを感じていらっしゃったでしょうか。
そうですね、今AIだとかロボット技術すごく発達しているんですけども、看護や介護、人が人に直接触れるというケアは絶対になくならない。それなのに非常に離職率の高い業界だとずっと感じていました。
はい、それはどうしてだと思われますか。
非常にハードワークで残業も多いのに、お給料が見合ってないことが大きいと思います。看護師になろうという方たちは、人の役に立ちたいという思いでこの仕事を選んでいる方が多いと思います。
ですが、過重な労働がずっと続けば、どれだけ思いがあっても続けられない。志を持ってこの仕事に就いてくれた人たちが、辞めないための方法を考えるべきだと強く感じています。
いわゆるやりがい搾取というわけですよね。保育者も同じで、だから人材不足になっているわけです。
お子さんが生まれたのが2017年ということですけれども、お仕事との両立はいかがでしたか。
その当時は市役所の保健師としてフルタイムで働くようになっていたときでして、夫もだいたい7時くらいには帰って来られました。
家族で過ごす時間も過剰広報できましたし、お互いにフォローしながら子育てできるような環境でした。
なんですけども、夫の転勤で返しに来てからは毎日夜10時とか11時に帰ってくるような状況になってしまって、
当時はまだ子供が0歳と2歳だったので、まあ大変でした。
そのときは私は働いていなかったので保育園も使えない。夜遅くまで子供と3人だけという状況にだいぶやられました。
どういうふうにですか。
もう寝れないですし、家事、育児が全部自分の負担。目を離したら何をするかわからない子供の命を守るってすっごいプレッシャーで、
それを自分一人が追わなければならない。本当に気が休まるときがなかったです。
いわゆるワンオペ状態で、そして子育て、孤立の広角子育てというのを経験されたわけですよね。
2022年になりました。若尾さんの座右の銘は始めるチャンスを逃さないということだと伺っていましたが、
そのとき開始日前に立候補したのはどうしてですか。お子さんは5歳と3歳くらいだったんですよね。
はい、まず保健師をしていたときに、母子保健の担当ですごく寄りがいを感じていたんです。
妊婦さんのお腹の中にいるときから関わり始めて、出産して1ヶ月の申請時訪問でご自宅に伺う。
その後も献身で顔を合わせるたびに大きくなっていく。お子さんの成長を一緒に見守っていけることに喜びを感じていました。
それから母子だけでなく、障害のある方など支援が必要なご家庭も担当していたんです。
病院勤務では見えないような家の中の困りごとなどを聞いて一緒に考えて、その方が地域で暮らすことを支えることにすごくやりがいを感じました。
そうなんですね。でも続けられなかったわけなんですね。
そうですね。夫の転勤で仕方なく辞めましたけども、次の年でも保健師をして住民のために働きたいと思っていたので採用試験を受ける準備をしていたんです。
ですがその年の募集要項を見ると30歳未満という年齢制限があって、数ヶ月違いで受験できませんでした。
年齢制限が30歳ですか?その理由は何ですか?
詳しくはわかりませんが、公務員になると年功序列で昇給が決まっているので、あんまり年齢の上の人が新人として入ってくると評価が難しくなるからということを聞きました。
今はだいぶ違ってきていましたが、でもそのことが選挙に出るきっかけになったんです。
どういうことでしょう?
保健師になろうと思った時に年齢で切られてしまった。超少子高齢社会で今保健師をはじめケアをする人が足りないって言われています。
なのに経験とライセンスもある人材が活躍できないのは社会にとって損失だと感じました。
30歳なんてまだまだこれからじゃないですか。
本当に長い人生の中で30歳で可能性が消えてしまう。今の働く世代の環境、家庭の状況、地域の状況に全くマッチしていないと感じました。
これからの社会どうなっちゃうの?制度の方を現状に合わせて変えていかなければならないと考えて、制度を変える側に回りたいと思いました。
それで議員を目指したんです。
それと、自分も30歳で切られてしまって働けない、どうしようってなった時に、ふと保健師の時に関わっていた一人親家庭のことを思い出しました。
一人で働いて家庭を支えるのは身体的、精神的、もちろん経済的にとても大変なことです。
フルタイムで働けないから非正規になるしかない。とても不安定な状況になってしまう。それでいいのかどうにかできないかなと考えた時に、やはり制度を変えなければならないというふうに感じました。
議員への挑戦と家族の説得
制度を変える側に回ろうということはとても大きな決断だったと思いますけれども、パートナーの反応はいかがでしたか?
めちゃくちゃびっくりしていました。
志は立派だけど、今じゃないでしょって。子供が当時決断した時ですね、1歳と3歳でしたから。
それと私も10年くらい看護師のキャリアがありましたけども、これが専門っていうものがなかったんです。
で、夫にはまた4年か8年後に経験を積んで子供たちも大きくなってから挑戦するのがいいんじゃないかと言われました。
少なくとも議員になるという志自体は否定されなかった。でも今じゃないでしょって言われた。どんなふうに説得しましたか?
今やりたいんだ、今でなければダメなんだっていう気持ちを伝えました。
次、4年後、8年後にチャンスがあるかどうかはわからない。今、自分の気持ちがそこに向いている。
これを逃してしまったら、きっと挑戦しないかもしれないという気がしたんです。
当時の自分の状況は、子育てに仕事に本当にいっぱいいっぱいでした。
でも、その状況を変えるために仕事がしたいんだ。
いろんな状況にある人がよりよく暮らしていくために、議員の仕事がしたいというのをコンコンと話しました。
最終的には、いくつかの条件付きで納得してもらいました。
条件ですか?例えば?
名前と顔が世間に出ますので、できるだけプライバシーの保護を、特に子供たちを絶対に表には出さないとかですね。
この説得にはなんだかんだ半年以上はかかりました。
はい、ご苦労様でした。大変でしたね。
でも、それだけ時間をかけて説得した以上は、やらなきゃっていう気持ちがきっとね、もっと強くなったかもしれませんよね。
選挙活動と初当選
はい、じゃあ、若穂さんのリクエストで、米津玄師のBow and Arrow。弓と矢という意味ですね。
はい、歌詞の中に、君の苦悩は君が自分で選んだ痛みだという部分がありまして、そこに自分を重ねました。
選挙に向けて準備する中で、本当に苦しいなっていう場面がいくつもあったんですけども、
その時に、自分で選んだことだからやりきれると自分を励ましていました。
はい、ではお聞きください。
それで、どんな選挙でしたか?
女性のハードルっていうのは、やっぱり遅延とか欠延がその時期にないっていうのが大きいですけど、どういうところから始めたんでしょうか?
はい、働きながら2年くらいは準備しました。
2年ですか?
はい。山梨県や海市の出身ではないので、親戚や同級生がいない。だから、知り合いを作るところから始めました。
ちょうど、私の住んでいる自治会の役員の会選があって、役員の成り手がいないので誰かやりませんか?という会談番が回ってきた時に、副会長に立候補しました。
そうなんですね。
引き受けてくれる人がいてよかったと、自治会の方からは言われました。
それで、選挙の1年くらい前に、実は市議会議員選挙に立候補したいと思っているっていうことを、自治会の主な方たちにお伝えしました。
反応はどうでしたか?
最初は、みんなさんびっくりしていましたね。
それでも少しずつ応援してくださる方が増えて、地域の方が手伝ってくれるようになりました。
山梨の選挙のセオリーは、無人みたいな場所に行って顔を売ることだと聞いていましたが、ちょうどコロナ禍だったんですよね。
もともと無人というのは、私自身参加していませんでしたし、2歳と4歳の子どもたちをほっといて、夜飲み会になんて行けません。
もう地道に歩くしかないなと思っていました。
それで、公園の入り口とか人の出入りがありそうなところで、歩いている方に声をかけて、こういうことを返してやっていきたいというパンフレットを渡して歩いていました。
パンフレット渡したんですね。
声をかけて、きっとびっくりされたと思います。
看護師の団体も応援してくれましたし、SNSやひとつ手に私のことを知った同級生や元同僚も応援してくれました。
初めての選挙の公約はどんなことでしたか?
自分が孤独な子育てをして苦しかったですし、保健師をしていた時にそういうお母さんたち、ご家庭がたくさんありました。
子どもが育つ環境としても良くないと思っていました。
だから、男性女性に限らず子育てをしていても自分らしく働ける、よりよく暮らしていけるように環境を整えていきたいということがひとつ。
それから、看護師、保健師をしていて、これからどんどん進んでいく少子高齢社会。
人口減少の中でしっかりとした地域包括ケアシステムを実現すること。
年をとっても障害を持っていても、自分の住みなれた町で住みなれた場所で暮らし続けるための整備をしていきたい。
この2つを主に挙げて訴えました。
19人の定数に20人が立候補したんですよね。
そして当選されました。
その時のお気持ちはいかがでしたか。
当選が分かった時は本当に嬉しかったです。
良かったってまずほっとしました。
ほっとするんですね。
ほっとしました。
応援してくださっている方は、自分の時間を私のために割いてくださっているんです。
それこそ本当に毎日事務所に来てくれる方もいらっしゃいました。
その方たちの行動を無駄にせずに済んだというのが、
それが当選が分かった時の安堵の気持ちでした。
上位3番目の当選だったということなんですけど、これについてはどう思われましたか。
これはですね、当時私33歳でして、女性は2人だけ。
候補者がずらっと並んだポスターを見ても、とにかく目立ったと思います。
なので、実績は全くないけれども、若い人に任せてみたいという期待で入れてくださった方もきっと多くいただろうと思います。
1800票をもらったこの数は、自分の力じゃなくて期待の数なんだって感じました。
なるほど、その期待の数っていうことなんですね。
議員としての1期目と課題
パートナーの方は何ておっしゃいましたか。
3番目だったよって言った時は、そんなに取れたのってびっくりしてました。
なるほどね。そして1期目、初めての議会ということになりました。
どんなことを感じましたか。
嘘のような本当の話なんですけども、バッジをいただいた時、あんな小さなものなんですけども、
ジャケットにつけてもらった時に、すっごく重く感じたんです。
人口約7万6千人の地域の19人のうちの1人なんだっていう重みを、その時初めてずっしりと実感して怖くなりました。
内閣府の男女共同参画局が昨年3月ですけれども、女性の政治参画への障壁等に関する調査研究報告書というのを出しています。
その中の地方自治体の議員を対象にした調査では、立候補を決断してからの課題として、専門性や経験の不足を挙げた人が、女性では過半数を超えています。
行財政や地方自治の仕組み、議会運営や議会の規則や勧告、それに議員の仕事内容というのも挙げられていて、
事前に研修して、議員の役割や目的をしっかり持つことと、自由記述で書いた人もいたんですね。若尾さんは、まず1年やってみてどうでしたか。
本当に右も左もわからないという感じでした。
例えば、予算については、実生活ではありえないような金額の決定をします。
そうですよね。
内容によっては10年先、20年先にも影響を与える決定をするわけで、本当に勉強不足を痛感しました。
もちろん自分の中で、この制度はこうした方がいいという思いはあって、いろいろ調べて勉強して、いざと思って担当部局に行くんですけども、
やっぱり執行部の方たちは、その制度を実際に運用している立場ですので、知識や実例ではなかなかかないません。
そこをどうやって、その制度の本来の目的に沿いつつ、住民の実態に即した運用方法にしていくか、本当にあの手この手で試行錯誤を重ねながらやっていきました。
行政の職員との会見も大切だということですよね。
そうやって、1期目の4年間で公約がどこまで果たせたか、具体的にはいかがでしょうか。
そうですね。孤独な子育てをしているご家庭のために、会市独自の産後ケアを市内のクリニックと連携して事業化することができました。
自分としては大きな成果だと思っています。
今の若い子族には、こういう制度がぜひ必要だと、一般質問や予算の要望でも働きかけをしました。
また、現場の保育士さんからの声を受けて、保育園に配備されている記録用タブレットを増設するために働きかけました。
無事に予算化されて、今年度から各保育園のタブレットが増えました。
これで保育士さんの負担が減れば嬉しいですね。
ご自分の母親としての経験、それから保健師としての経験がベースにある訴えですから、それは強いですよね。
そういうふうに、市民や行政、議会をつないでいくときに使う和顔ノートというのがあるそうですね。
どんなことを書いていらしたんですか?
今10冊目になりました。
本当にありとあらゆることをこのノートに書き留めています。
やっぱり現場を見ないと、直接お話を伺わないとわからないことも多いので、できるだけ橋を運んで話を聞くということをやっています。
それが自分の議員としての活動スタイルかもしれません。
4年やってみて、もっと議会がこういうふうに変わったらいいなと思うことはありましたか?
そうですね。議会の運営自体を学ぶ機会というのを、新人同士でも、奇数の浅い人とでもいいので、そこを深掘りしていけばよかったとは思っています。
もっと活発に議員同士で議論を交わしていきたいですね。
女性議員の連携と女性相談窓口の設置
この番組でも何度かご報告しているんですけれども、私が代表している女性差別撤廃アクション山梨という団体は、
女性差別撤廃条約の選択議定書というものの批准を求める意見書、それを県内の市町村議会から国に出してもらう取り組みをしてきました。
2年前ですが、会市議会でも意見書の採択をしていただきました。
その時、女性議員お二人が選案の紹介議員になってくださったんですよね。
はい。滝川美幸議員から選択議定書のことを伺って、それまではあまり交流がなかったんですけれども、この件は私もやったほうがいいと思って一緒に取り組みました。
その後、お二人で女性だけの会派を立ち上げたんですよね。所属性との違う女性議員二人がということで、新聞記事になりました。私もびっくりしました。
一つのプロジェクトを達成できたので、残りの期間も建設的な意見を交わしながら、市政に働きかけていきたいなと思ったので、会派を組みました。
はい。2期目は女性議員が5人になって、女性割合が26.3%。藤川町は3割を超えているんですけれども、それに次いで笛吹市と同率の県内にということになります。また一緒に活動するということは考えていらっしゃいますか?
現在、女性議員はそれぞれの場所にいますが、これからも一緒に取り組めることは協力していきたいと思っています。選択議定書の時も感じましたが、党派を超えて同じ目的のために働くことは、結果として市民のため、町のためになりますから。
それから女性相談の窓口を一本化するのに努力したというふうにおっしゃってましたね。
はい。保健師の時にフォローアップしていた母子家庭の例なんですが、DVを受けていたり、親と縁が薄くって、お子さんを産んでも一人で育てていかなければならない。知り合いもいない。また、女性にあった働き方ができる場所が山梨にはなかなかないとか、女性に関わるそういう困りごとを抱えている方を何件か見ました。
また、病院に勤めていた時でも、本人がすべき治療の意思決定を夫に聞かなければわからないという患者さんもいらっしゃって、女性が困っていることをしっかりと受け止める窓口が必要だと痛感しました。
そして、健康や医療のことだから維持家に、子育てだから子育て支援家にではなくて、そこを総合的に受け止めて、その後裏で調整するシステムが必要だと思ったので、会市にもそういうシステムを作っていきたくて、市役所の方にいろいろと働きかけをしました。
結局、具体的にはどういうものができたわけですか?
この4月から福祉課に女性の総合窓口ができました。正規職員の社会福祉士が女性相談支援員として配置されました。
これまではDV相談は市民共同推進課で一般職の職員が相談を受けていたんですが、実際のケースではDVだけということはないですし、市職員の方もそこは不都合を感じていたようで福祉部局に窓口ができあがりました。
総合窓口になったということは大きいですよね。
昨年度までは女性相談支援がいるのは、県、それから甲府市、藤吉田市だけでしたから、そこに今年度、会市が加わったわけですよね。
他の市町村にも刺激になって、この動きが広がることを期待したいと思っています。
2期目の挑戦と家族の反応
ではリクエストの2曲目、中島みゆきの意図です。これは?
やりなす布はいつか誰かを温めうるかもしれない、という部分がとても好きです。
はい、ではどうぞ。そして今回2期目にまた離婚しようと思ったのはどうしてですか?
やはり1期目ではまだまだやり足りないこともやり残していることもありましたし、これから変わっていく社会や街を支えていくために、ここで議員の仕事をしていきたいと思いました。
今度はご家族の反応はいかがでしたでしょうか?
子どもたちは今、小学4年生と2年生になって、だいぶ事情もわかってきました。
個別懇談が選挙の後にあったんですけども、上野子の担任の先生から聞いたんですが、子どもがとても心配していて、開票の次の日に、よかったよ、人安心だよって学校で言っていたそうです。
じゃあ、お母さんに議員を辞めてほしいというようなことではないわけですよね。パートナーの方はどうなんですか?
そうですね、議員というのが勤務時間のはっきりしている仕事ではありませんし、講師の区別も非常につきづらい働き方をしているので、夫は家族の時間が少なくなるのをとても気にしています。応援したいけど心配してくれているという感じですね。
忙しいのは若男さんだけなんですか?パートナーの方はどうなんでしょう?
夫は仕事で夜遅く帰ってくるんです。休日もなんだかんだと仕事になることも多いので、なかなか家族の時間というのは少ないかもしれません。
男性の働き方も当然女性に影響しますよね。先ほどの内閣府の調査では、女性議員の場合、家庭のことと議員活動との両立に課題を抱えている人が7割以上で、男性よりも圧倒的に多いです。
これは2人のプライベートな問題ではなくて、今でも日本人が引きずっている性別役割分担による構造的なものだと思います。
政治分野における男女共同参画と議員の働き方
若男さんは子育てしていても自分らしく働ける環境と訴えて当選したわけですけど、議員という仕事だって同じですよね。
最近、京都の八幡市というところの女性の首長さん、この方は35歳ですが、産休を取るということがニュースとなりました。首長が産休を取るのは全国で初めてというんですね。
会市議会ではどうなっているかご存知ですか。
会市議会会議規則というものの中に、出産のため出席できないときは、日数を定めてあらかじめ議長に欠席届を提出することができるという条項があります。
会市は欠席届の対象が出産だけなんでしょうか。
2018年に政治分野における男女共同参画の推進に関する法律というのが施行されて、議員も家庭生活との円滑かつ継続的な両立が可能になるようにという原則が示されました。
その後、2021年に改正されていて、自治体議会にも育児や介護など、それと議員活動の両立支援が求められるようになっています。
例えば、私が調べたところでは、公私の場合は、議会欠席のやむを得ない自由の中に、育児・看護・介護・配偶者の出産補助ということを明記しています。
これは男性議員にも当てはまりますよね。その後、第2項に出産のため出席できないときというのが入っているんですよ。
そうすると、会市の会議規則はずいぶんと遅れているのですね。変えるべきところはこれからのために変える必要がありそうですね。
はい、そうだと思いますね。当事者として、こういう制度づくりにも取り組んでいただきたいなと思います。
その忙しいということに関係するんですけれども、若尾さんは以前支援者の方に、介護があるから出てくださいって頼まれたときに、子どもを見てくれる人がいないので出られませんってお断りしたら、そんな程度の覚悟で議員になったのかって言われたっておっしゃってましたよね。
1期目、4年間の間に、そういう支援者の方の考え方をどの程度変えられたと思っていらっしゃいますか?
そうですね。当時はすごいショックだったんです。でもいろいろ考えていくうちに、その程度の覚悟でというくだりで、ふと自分の中で納得いったことがありました。
今の仕事の仕方をしていて、その結果、もし議員でいられなくなったとしたら、その結果を受け止めるのが覚悟なんだというふうに考え方が変わりました。
もちろん、市民の方には選ぶ権利があります。だから、介護やお酒の席に呼べばいつでも来る議員を必要とするのであれば、そういう方を選べばいい。
子どもを育てていれば、どうしても子どもを置いて駆けつけられない時があります。今、自分がこの状態で立候補しようと思ったんですから、もうその結果は受け止めるというのが覚悟だなと思って考え方が変わりました。
同議員としての自分の在り方が、若男さんの中で定まったということですね。
議員の仕事というのは、特定の誰かのためではなく、未来の街のため、この街に暮らすあらゆる人のために、20年、30年先の方向性について、市決定をすることだと考えています。
議員というのは、市の政策を最終決定する権限を持っている。それをどう使うかで、それこそ今、お育てになっているお子さんたちに影響してくるわけですよね。それで、今回の選挙はどんな公約を掲げたんですか。
投票率の低迷と議員の役割
公約は、子ども・子育て・家族支援。子どもたちが地域の中で安心して暮らせる居場所づくりですとか、将来を見据えた不登校対策。あとは、保育や教育の現場に携わる先生方の負担の軽減にも力を入れていきたいというところです。
【佐藤】そして、和顔さんは2期目の当選をして、女性議員も増えました。ただ問題は、投票率が過去最低の36%。6割以上の住民が投票に行かなかったということですよね。現職の議員として、これをどう見ますか。
これは本当に残念でなりません。私としては、活動の報告を、ペーパーベースとSNSで積極的に発信しているつもりでした。でも、選挙活動をしていた時にも、選挙があるんですね、という反応の方もいましたし、私は選挙や政治に関わらないという人もいました。
投票に行かなくても暮らしていける。良くも悪くも誰がやっても同じという考えがあるのかなと思います。
【佐藤】でも、自分の税金がどう使われるかということ、それからさっきおっしゃったように、自分が住んでいる地域が、例えば20年先どうなっていくのかということは大きな問題ですよね。他の議員の方の反応はいかがでしたか。
やはり皆さん一応にがっかりしてました。
その議会の役割に関心を持ってもらうためには、どうしたらいいというふうに思っていらっしゃいますか。
そうですね。基本的なことをやっていくしかないのかなと思います。まずは地道な情報発信を続けていくこと。それから新しい議会と市民の関係づくり、出会いの場づくりが必要かなと思います。
街のお祭りに議会として出展するのは効果があるのではないかなと思います。南アルプス市が市民フェスタに出展していて、議員の紹介パネルがとても面白いんですよ。
投票しろ、傍聴に来いというのではなくて、議会として地域の人が集まるところに出かけていくアウトリーチですね。もう一つ、女性議員や若い世代の議員を増やすためには、どんなことが必要だと思いますか。
自分もそうだったんですが、議員の仕事って普段何をしているのかよくわからないんですよね。議員が何をやっているのか、何のために働いているのか、子どもを育てながらの議員活動はどのようなものかを発信して、議員の実際を知ってもらうことが必要かと思います。
岡田さんのように、小さい子を育てながら議員生活をしている女性がいるというだけで、一つのモデルを提示していることになりますよね。
そうだといいですね。実際にはすごく家族にも大きな影響を与えます。そこが軽減されれば、なりたいという人がもう一歩踏み出せるんじゃないかなと思います。
内閣府の調査でも、やっぱり女性の方が自分や家族のプライバシーが確保されないという回答が多かったですね。
そうですね。少なくとも出陣式に配偶者が前に出て、ずっと頭を下げ続けなければならないというのは間違いなくハードルですね。
副議長就任と今後の抱負
そもそもですけれど、女性議員が増えるということは、どんな意味があると思っていらっしゃいますか。
やはり多様性が広がる、属性が広がるというのが一番のメリットだと思います。
女性だからいい、年が若いからいいという話ではなくて、これまで少なかった属性の人が増えてくれば、それだけ様々なバックグラウンドのある組織になっていきます。
女性議員が増えるということは、意思決定の優先順位が変わる。これからの変化の大きな社会に対応するために必要だと考えています。
そして今度の議会で副議長になったんですよね。議会の運営自体に責任を持つ役割だと思いますけれども、今どのようなことを考えていらっしゃいますか。
正直なところ、副議長の職をいただいた時には不安が大きかったです。
1期目にも何回か子どもの体調不良で議会を欠席しました。
幼児保育を複数登録していても調整できなかった。
そういう状態の自分が責任の重いポストに就いていいのか悩みました。
今も全く不安がないわけではありませんが、私の感じた難しさを議員が街のために働きやすくなるように改善していくきっかけにできるよう任期を過ごしていきたいと思います。
そうですよね。議会の多様性が広がるためには、いろんな属性を持っていろんな暮らしをしている人たちが議員になることを当たり前の前提として議会の仕組みとか運営の仕方を変えていく必要がありますよね。
せっかくの副議長という職責を生かして取り組んでくださると嬉しいです。
議員を目指す女性へのメッセージ
最後にこれから議員を目指してみようと考えている女性へのメッセージをお願いいたします。
考えれば考えるほどできない理由、難しい事情が出てきます。議員は街の意思決定を行う仕事であると同時に社会や制度を変える仕事です。何かを変えるためにはまず自分が変わらなければなりません。
結局は誰かに勧められたからやる人よりも自分で決めたからやる人がハードルを超えていきます。
病原微生物を発見したパスツールという研究者は、チャンスは準備したものにだけやってくると言っています。
チャンスが来たらそれは準備ができているということだと思いますので、ぜひチャレンジしてみてください。
できない理由を考えているようではダメだということ。
6月にゲストでお話を伺った山梨市の小野鈴江さんは、若男さんより20年以上前に初めて立候補したんですけれど、家族に反対されたときに若男さんと全く同じこと。
次ではダメ。今この気持ちが大事なんだと家族を説得した。
世代の違うお二人が同じことをおっしゃったのがとても心に残りました。
いろいろあると思いますが、次の世代の方々のモデルになるような議員活動をしてくださるように期待しています。
ありがとうございます。必死に頑張っていきます。
それが若男スタイルだと思いますけれども、あんまり頑張りすぎてはモデルにならないかもしれないので、
どうぞご家族との生活と議員活動との両立を実践していただきたいと思います。
今日は小さいお子さんを育てながら議員活動をして、4月の会市2回選挙で2期目の当選をした若男翔子さんにお話を伺いました。
どうもありがとうございました。
FM八ヶ岳、池田雅子がお送りする暮らしの羅針盤。
今日も聞いてくださってありがとうございました。
アジサイヤを染め語る人のあり。
アジサイヤを染め語る人のあり。
雅子。厳しい暑さが続いています。
どうぞご自愛くださいますよう。
ではまた。
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