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こんばんは。 Good evening.
イカ市川第252回目の放送が始まりましたけれども、 This is the 252ndepisode of イカ市川5周年放送.
本日は、西暦2025年8月の21日ですね。 Today is August 21st, 2025.
前回の放送から少し日にちが経ちましたけれども、 It's been a while sincethe last episode.
前回は8月の8日だったかな。 I think it was August 8th lasttime.
今日が8月21日です。 Today is August 21st.
前回251回目、そして今回が252回目というわけですけれども、 It was the 251stepisode last time, and this is the 252nd episode.
実はですね、すみません、このイカ市川、 Today, I'm sorry, this is Ichikawa Ichikawa.
今日はですね、私、ノスタルジー鈴木は一人でお届けしております。 Today, I, Suzuki Nostalgy, am here alone.
そして、収録しているのはですね、今、最近こういうケースが多いんですが、 Recently, I'vebeen recording, as you know,
市川市内のストリートを歩きながらと。 while walking on the streets ofIchikawa.
ただ、いつもはですね、だいたいそのストリートを歩きながらの収録というのは However, Iusually record while walking on the streets of Ichikawa
午後、昼下がりとか、夕方とかが多いかなと思うんですが、 in the afternoon,afternoon, or evening.
実は今ですね、8月の21日、2025年の8月の21日ですが、 It's August 21st,2025,
時刻はですね、だいぶ深い時間です。 and the time is quite late.
日付はまだ変わってはいないんですけど、 The date hasn't changed yet,
そんな状況で今、ストリートを歩きながらですね、収録をしていると。 but I'm recordingwhile walking on the streets.
できればもう少し早い時間に収録できればなという考えもなくはなかったんですが、 I washoping to be able to record as soon as possible,
いろいろとですね、今日はこの2025年8月21日わたくしのスタジオ続きはですね、 buttoday, August 21st, 2025, I have a lot of work todo.
仕事をいろいろとしておりまして、 I have a lot of work to do,
収録が遅い時間になってしまったということもあります。 and the recording timeis quite late.
いつも一緒にお届けしている稲村ジェンさん、 and Inamura Jane,
そして、単にですね、いつもお届けしている、一緒にお届けしているだけじゃなくて、 and notonly,
このイカイチカワというもの、このポッドキャストを始めようという発案をしたのはわたくしのセルジー・スズキなんですが、 I was the one who came up with the idea ofstarting this podcast called Ikaichikawa.
イカイチカワというこのポッドキャストを実際にスタートした第1回のですね、 Ikaichikawaactually started this podcast,
第1回という記念すべき放送を収録し、公開した、配信した人が誰かというと、 and theperson who recorded and broadcast the firstepisode was actually Inamura Jane.
わたくしはそこには実は関わっていないんです。 I'm not actually involvedin that.
第1回の放送というのは、稲村さんが単独で行ったということなんです。 The firstepisode was broadcast by Mr. Inamura alone.
実はその第1回の放送というのはですね、いつだったかというと、 Actually, when wasthe first episode broadcast?
今日からですね、見るとちょうど5年前、2020年の8月21日でしたね。 It was just 5years ago, on August 21, 2020.
多分、遅刻はですね、夕方ぐらいだったのかなと思うんですが、 I think it wasaround the evening,
その回のタイトルが確かですね、第1回、イカイチカワのタイトルは、 I think the titleof the first episode was
なので、全然このイチカワ氏とはあまり関係ないんですが、 I don't think it hasanything to do with Ichikawashi at all,
ただ話している人がイチカワ氏の稲村さんだというぐらいの感じですかね。 but the persontalking is Mr. Inamura of Ichikawashi.
そしてそこでですね、新横歩に初めて行ったと、東京の新宿区のですね、新横歩。 And I wentto Shin-Yokubo for the first time, Shin-Yokubo inShinjuku, Tokyo.
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ちょうどですね、稲村さんがご家族と一緒に、新横歩の方に、 I went to Shin-Yokubowith Mr. Inamura and his family.
なんだったかな、ちょっと細かいことはちょっと私も今思い出せませんけど、 I can'tremember the details now,
確か、感激、劇を見に行った、劇か、舞台かな、何かを見に行かれた、その帰り道だったような気がしますが、but I think it was the way back from the theateror the stage.
そして、新横歩、コリアンタウン、韓国、韓国のいろんなお店が立ち並んでいます。 And therewere many shops lined up in Shin-Yokubo, KoreanTown, Korea.
当時もいましたし、今も韓国のですね、カルチャーとかフード、そういったものがすごく人気なんですけれども、 At that time, and now, Korean culture and foodare very popular,
トゥンカロン、トゥンカロンというですね、あれはマカロンなんですかね、私もちょっとあまり把握していませんが、 I think it's a macaroon. I don't know muchabout it,
当時も、稲村さんがですね、放送で、トゥンカロンとかトゥンカロンとかなんか発音も、 Inemura-san also said something like Tunkaron or Tunkaronon the air,
稲村さん自体もこう慣れてない感じで、トゥンカロンとかなんか言ってましたけど、 Inemura-sanhimself said something like Tunkaron,
私も実際にこのトゥンカロンになるものがなんだかあんまりわかってませんが、 but I don'tknow what it is,
韓国の美味しそうなお菓子、お菓子、スイーツなのかなという気がしますが、その話はされていた。 Ithink it's a Korean snack or a dessert, but it wastalked about.
実は今でもですね、この第1回の放送は、ポッドキャスト、聞くことができます。 Actually, Ican still listen to the first broadcast of thispodcast.
フリースタイル市川、特定非営利活動法人、NPO法人、フリースタイル市川のですね、 I wrotean article about the Free Style Ichikawa, the FreeStyle Ichikawa,
1回市川に関することを書いた記事がありますが、そこにリンクが貼ってあってですね、 which Iwrote about Ichikawa Ichikawa, and there is a linkthere.
古い放送はここから聞けます、最近の放送はここから聞けますというリンクが貼ってありますので、 Ifyou are interested in this podcast,
ぜひ気になる方は第1回の放送を聞いていただければなと思いますし、あと少し前に本日ですね、 2025年8月21日にですね、
旧Twitterこと現Xの方でですね、第1回の市川市川の、この5周年、ちょうど今日が5年目だということで、 Since today is the 5th anniversary of Ichikawa Ichikawa,
放送の大きく聞けるリンクを貼って、Xに投稿してますので、 2025年の8月21日に市川市川のXのアカウントで投稿したものを見れば、
そのリンクをチェックしていただければ、第1回の初の市川市川の放送がどんな内容だったか、 初めての新欲望というのはどんなものなのか、
ツンカロンとは何なのか、これがわかるかなと思います。
新欲望という場所はですね、私もですね、今年は行ってないかな、 でも去年は行った、確か今年かな、去年かな、
でも行きましてですね、遠からぬ過去に行ったんですが、 その時はコリアンタウンというか、そこも行きましたが、
実は韓国系だけじゃなくてですね、 結構いろんな国のですね、主にアジア系のですね、
アジアの各国のいろんな料理を出しているお店とか、 いろいろと本当にありましたね。
という印象があるんですが、 だから滅多に、そんなに高頻度で行くわけじゃないんでですね、
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本当にこうなんか、物珍しさでいろいろとキョロキョロしながら、 いろんな店があるなとか、いろんな人がいるなという感じで見て、
ちょっとした旅行気分みたいな感じで歩いた覚えがあります。 私もそこは家族と一緒に行きましたけどね。
でですね、実はそういう、ストリートで売っているものを 買って食べたりもしたわけですが、
ちょうどその時に、その新大久保の、JR新大久保駅の近くにですね、
そのコリアンタウンとか、タウンというか、 コリアン系のお店とかですね、アジア系のいろんなお店がある中に、
通りに面してあるビルがありまして、 そこの確か1階はですね、おそらく確かファミリーマート、
コンビニ通貨のファミリーマートが入っているビルだったような気がするんですが、
そこのビルのですね、エレベーターで7階まで行きますと、 そこにビルの一室というかワンフロアが、
規模は大きくないんですがビルの一室なんで、 決して巨大なビジネス系のオフィスビルとかとは違うんでですね、
雑居ビルという表現はちょっとわからないかもしれませんが、
ビルの7階にある、こじんまりとした博物館があります。
これが何かというと、航来博物館という名前なんですね。
ここはですね、日本と韓国の歴史に関する様々な展示物が、
こう飾られて展示されていてですね、
あとミニツアーみたいなツアーというか、
その博物館の係りの方だと思うんですが、
そういう方が来訪した人にいろんな資料の説明とか、
展示している資料の説明とかをするというようなミニツアー的なこともしていたりする、
そういう航来博物館というのがございます。
そこに私、家族とともに行きましたけれども、
非常に本当にですね、日本と韓国の互いの歴史というのは、
本当にどう言っていいのか分からないというと変ですけれども、
例えば義務教育の中でですね、社会の歴史と歴史関係の授業を受けてきましたけれども、
とても近い国である韓国についてですね、
日本の歴史の中で、世界史というよりは日本の歴史の中で、
日本の歴史が日本が関わった外国ということで近いので、
中国の影響を受けたとか、
例えば剣闘士とか剣術師とかがありましたよね。
これは中国との関係だったりしますけれども。
韓国の朝鮮半島ですね。
朝鮮半島との関わりなんかではですね、
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確かそこでも私も本当にそういった歴史が、歴史全般あまり明るくないんでですね、
黄国とか九太羅とかですね、なんかありましたよね。
そんなものが、そんなものが、そういうかつての朝鮮半島にあった国の、ありましたね。
なんかそんなことは知っていました。
それも面白い、興味深いと思って学んだというよりは、
国の名前というかですね、朝鮮半島にどんな名前の国があってみたいなことを、
テストのために覚えるという、最終的には結局そういう風になってしまって、
あまり興味を持てなかった。
興味自体はあまり持てなかったんですが、
それも含めて、あと義務教育の中でですね、
禁言大使の中で韓国あるいは朝鮮半島と日本の関係でものを、
ちゃんと勉強した記憶がないんですよね。
事業をちゃんと私は聞いていなかったということもないと思うんですよね。
つまりあまり実際に扱われなかったのだろうと思うんですよ。
そして義務教育を終えてずいぶん時間が経ちましてですね、
今世紀、21世紀に入った後でだと思いますけれども、
この両国の関係とかを学ぶと、
勉強という意味で、いわゆる勉強は全然してないんですけど、
メディアとか通じて、あと本を読んだりとか、
いろんな報道とかで知ったりしながらですね、
いろんな関係があったということを、
なんとなくはぼんやり生きていたりもですね、
どういうことがあったかということくらいは知っていることも結構あったんですが、
ただ、例えばですね、
教科書の歴史の授業で出てくる言葉としては、
韓国併合という言葉がありますけれども、
じゃあこれがどういったことを意味するのかとはそんなに考えずにですね、
例えば当時の植民地主義みたいなものが世界を吹き荒れていた中で、
日本もそういったいろんな他国を占領下に置くというようなことがあったわけですが、
最も近いですね、韓国を併合したとかそういうことがあったりしました。
他にもその戦争の時にですね、いろんな国を植民地にしていったという話はあるわけですけれども、
だからこの話というのが、
例えばこの前の選挙とも関係ある、
ちょうど7月に参議院議員選挙があってですね、
そこにある現職の議員の方が、今回も立候補したんですが落選してしまったという議員の方がいまして、
ちょっと名前はあえて言いませんけれども、
その方がですね、かなり異議のある活動をされていて何かというと、
あれは山口県なのかな、広島県、山口県、
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あれですね、宇部、宇部とかの近くでしたっけ、
長生、長く生きるとかで長生ですね、長生炭鉱というですね、炭鉱って石炭を掘るというところですけど、
これの長生炭鉱というのが昔ありまして、
当時、戦争の前ぐらいの時代ですかね、石炭をどんどん掘ってですね、
それで工業化、機械を作るとか、そういった産業のために石炭が必要となっていたわけなので、
それをどんどん掘っていたわけですが、非常に過酷なわけですよね。
現代でもですね、石炭というものに限らずですね、いわゆる鉱山とかレアメタルとかもそうですけど、
そういった鉱物を採ると、石ですね、石的なものを掘って採るのはとても大変です。
今であれば様々な銃器を使ってですね、機械を使って掘るということもあるんですが、
それでも外国なんかで実際に子どもなんかがですね、自動ロードで危険な状況で採ったりしている。
例えばダイヤモンドなんかをですね、アフリカのある場所で掘る仕事なんていうのも非常に危険だという話を聞いたことがあるかもしれませんけど、
その朝鮮炭鉱というのがありまして、そこでですね、炭鉱などでいろんなところでいろんな事故がありまして、
そして人が死んじゃったり傾過をしたりということがたくさんあったと思うんですが、朝鮮炭鉱でですね、水が流れ込んできてですね、
今ではその入り口が水の中に、水の底なんですね。
死んじゃった人も今でもその遺骨がですね、拾われないまま、見つけられないままですね、
海の底というかその炭鉱の閉ざされた入り口が閉ざされちゃって、その中にあるはずであるという状況というのは今の時代までは続いていると、もう何十年も。
今年、戦後80年ですけれども、今月8月15日にちょうど日本が敗戦したという日からですね、80年が経ちましたが、
実際には9月の2日ですか、調印をしたということで、書類上はそこが終戦だというふうになるのかなと思いますが、
8月15日に、実際に8月14日なのかな、7月に出ていたポツダム宣言という宣言を8月14日に日本が受け入れて、
その直前に原子爆弾が2発、8月の6日と8月の9日に広島、長崎に落とされまして、これはもう戦争を継続することはできないということで、
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8月の16日にポツダム宣言を受け入れて、8月15日の正午にラジオで昭和天皇陛下が、玉の音とかがいて、玉の音をやったということですよね。
これが80年前というのが1945ということで、太平洋戦争が、あるいはアジア太平洋戦争が終結した年、この夏がそういう年です。
実際にはいろんなところで、この日が来たから急に平和になったわけではもちろんないというわけですね。
例えば沖縄の話を一つとってもですね、いろいろと悲惨な出来事があったりします。
けれども、朝鮮炭鉱の話なんかをですね、落選してしまったんですけど、参議院の議員だった方がですね、これをホルモンで取り上げて現地に何度も足を運び、
例えばこの朝鮮炭鉱というのが、さっきの話とどう繋がっているか、新横浜の話とどう繋がっているかということに言いますと、
当時日本には朝鮮半島からやってきている人がたくさんいたわけですね。
韓国を併合したということで、韓国は日本の国の一部だったということで、現地でいろいろと働いている人もいますけど、
日本に来てですね、働くと例えばお金がいいよということなのか、いい暮らしができるよということなのか、日本に行くともっといい暮らしがあるよ、
韓国、朝鮮半島の中でも特に貧しい地域なんかがあるわけですよね。
そういうところから、ある村とかからですね、たくさん日本にやってきたりして働いている人がいっぱいいたと。
実は市川市にも多分あったと思いますが、そのおそらく北層地域、千葉県の北層地域と言いますけど、この辺りで鉄道を築くためにですね、鉄道の建設現場も結構危険なんですよね。
過酷で危険な肉体労働、こういうものを朝鮮半島から来た。
場合によってはですね、もちろん市川市でやってきているんだということになっているにしても、半ば無理やり労働力が必要だから、
しかも過酷できついですね、低賃金の労働をさせるために朝鮮半島から人を連れてきていたという話もありますが、
千葉県でもそういうことがあったりしていると。
さっきの朝鮮炭鉱とか、全国のいろいろな炭鉱みたいなとても厳しい労働環境のところでもいっぱい働いている人がいまして、
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なので朝鮮炭鉱というところでも水没というか水が流れ込んできちゃってですね、もう助からないというので、
もうその炭鉱は見捨てられたような形になりましたが、そこにも犠牲になった人にもですね、
たくさんの朝鮮半島から来ている人がいっぱいいましたよということでございますけれども、
そんなことでさっきの新横にあるですね、航来博物館というビルの真ん中にありますけれども、
この航来博物館はとてもいいところでですね、勉強にもなりますし、
そこでですね、博物館でちょっと小さな売店がありまして、資料も売っていたりするんですが、
過去に模様された企画展の時に作られた、ちょうど映画のパンフレットくらいの厚さのですね、
そんなになのでページ数は多くないんですが、でもカラーで大判のですね、
パンフレットみたいなもの、その企画展のパンフレットみたいなものなんかが販売されていたりしまして、
私も2冊くらいそれを買ってですね、持ち帰りましたけれども、
いろいろとその日本と韓国、そのトゥンカロンというですね、韓国のおいしいお菓子を買って食べる、
そういう素敵な体験を日本にいながら私たちは享受できると、
あるいは世界で大人気のですね、K-POP、韓国の音楽をですね、
素晴らしいエンタテインメント、音楽をはじめ映画とかですね、
いろんなものを日本にいながら楽しむということもできるということもありますし、
今ではもう韓国で活躍するスーパーアイドルのグループに日本人が入っていたり、
あといろんな形で日本と韓国の交流というのは近いこともありますしですね、
いろいろと相互に影響し合っている関係にもあるなというふうに思うんですが、
そういうとても大変悲惨なですね、歴史というのもあるというわけですね。
それを学ばないでいられるということも、そういうことがあったなと思うとですね、
でもじゃああとどんなことがあったんだろうとか、それ故にこういう問題が起きたのかとかですね、
当然歴史でいろんな、ある時にぽっと一つの出来事が発生するわけじゃなくて、
こういう出来事があったからこういう人たちがここにいて、
その時にこういう事故が起こるべくして起こった、あるいは偶然起きてしまった、
その時にそこにいた人がご犠牲になってしまったんだとか、
そういう歴史は点ではなくて点がつながってですね、
点をつなげて線として考えると様子が見えてくるというか、という形だったりします。
私も本当にいろんなことを知らなくてですね、
例えばよく参議院選挙の時とかもそうでしたかね、
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あと戦争の話になるとですね、よく言われる話で、
日本が中国と戦争していたわけですけども、
南京という当時中国の首都がそこにありましたけどね、
南京事件、言い方によっては南京大虐殺なんていう風に言うこともありますが、
そうするといろいろとそんなものがなかったという意見も出てきたり、
今でもそういうことを言う人がいたりしますが、
南京事件という風に言う表現をしたりもします。
それは別に虐殺がなかったと言っているわけではなくて、
南京である12月にですね、起きたということだけではなくて、
日本の陸軍とか海軍が南京に攻め込んでいく過程でですね、
いろんな殺戮とか虐奪、物を奪うとかそういうことが起きていて、
そういうことをしながら南京に入っていたということを含めて、
南京に関わる事件ということで南京事件という風に表現しているというような解説なんかもあったりするわけですけど、
これについても私も全然詳しくなくて、
最近いろいろまた本とか読んだりしているんですが、
岩波から出ている本を買ったりして、
例えば日本がですね、これは戦争をしていた相手国というわけですが、
例えばフィリピンってありますよね。
フィリピンは元々アメリカ軍が植民地にしていたと思うんですけど、
そこに日本が、太平洋戦争が始まって日本が入っていって、
アメリカからその主導権を奪って、今度はフィリピン、マニラ、首都マニラがありますけど、
フィリピンの人からしたらアメリカ軍は憎かったけれども、
そこにアメリカが戦った日本が入ってきて、
アメリカを追い攫ってですね、倒して日本がそこに座ったと。
じゃあその日本はフィリピンの人たちを助けるかというと、
また助け、実際にはそこまた植民地を取ると。
そしてそこをちょうど今、ランナーが早速私を追い抜いていきましたけど、
そんなことがあったりして。
日本軍がフィリピンのマニラでどんなひどいことをしたかということとか、
南京の話は様々なことがありましたから、過去に。
あったというのは報道のされ方とか、
被害者の人数に関する問題とかいろんな取り上げられ方をしたり、
あと90年代に有名な漫画家が取り上げたりしたことも多分あって、
非常に大きく話題になって、
多くの人が南京でどんなことがあったとされているかとか、
それをなかったとする意見を持つ人たちもいるんだということを知っている人多いと思うんですが、
フィリピンのマニラでどんなことがあったのか、
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日本軍がどんなことをしたのか、
フィリピンのマニラのなんとかホテルというところでこんな事件があったということとか、
私は全然知らなくて、
たまたまいろいろと調べていって知っていったということがありました。
というわけですが、
2025年8月21日、
私がこの時間、だいぶ今遅い時間なんです。
まだ日付は8月21日ですけれども、
この時間、だいぶ遅い時間、何時とはあえて言いませんけれども、
ただ歩いているだけでも汗をかきますね。
半袖半ズボンという入りたちですけれども。
8月になるとですね、戦争に敗れたということで、
こういった話題を多く記事にしたり、放送で話したり、
本が出版されたり、雑誌で取り上げられたりということが増えますので、
まさにカレンダーで8月になるとそういうことが多くなされるということで、
これをカレンダージャーナリズムなんていうふうに、
やゆする意味合いで、8月だけでしょどうせみたいな形で表現する人もいるんですけれども、
カレンダージャーナリズムだとしてもですね、
1年に1回は8月がやってきますし、
何周年という、何年目ということを聞きかけに、
本当はそれが節目でも何でもない数字の話なんですけれども、
それを聞きかけに、もっと知ってみようと思う人が出てきたり、
それを聞きかけにいろんな意見の人が出てきて、また物議を醸したりするのもあると思うんですが、
だからこそしっかりとした知識を身につけたり、
記憶を、体験談を継承していく必要が絶対あるなというふうに思ったりもするわけです。
市川市がですね、市川市の公式のYouTubeチャンネルというのがあります。
けれどもここでですね、
ちょうど体験戦争の時に市川市で戦争を体験した方というのが、
今もご健在なんですが、
そういう方6名に市川市の方でインタビューをしまして、
その方々がお話をされている様子がですね、
動画として記録され、その映像が今、
市川市のYouTubeチャンネルで6本公開されています。
これに関しては私もフリースタイル市川のウェブサイトの方でも取り上げて、
こういう素晴らしい企画を市川市さんがやってくれたので、
80年ということでやってくれているので、ぜひ皆さんウォッチしてほしいなということを記事に書きました。
けれども本当にどの方のですね、お話も、
なんていうか、ちょっとああだこうだというふうに言いづらいようなぐらい非常に衝撃的なことばかりです。
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語られている、語っている方はですね、
これまで全く語ったことなくて初めて語ったという人がいるかどうかちょっと分かりません。
中にいろんなところで語っていらっしゃる、語り目のような形でやっている方もいるんだろうなというふうには思うんですけれども、
それでも基本的には全てつらいような思い出が多いわけですね。
実は日本が終戦なげらにいろんな作戦とも言えないような作戦をやっていた、
例えば特攻というのがありますよね、特攻隊というのが。
ちょうど一応申し上げておくと平井さんという方がですね、語った話の中に、
自分の平井さんという方の同級生の5兄弟ですね。
確かたくさん兄弟がいる方で平井さんのお友達というのは一番末っ子、一番下の弟さんという形で、
この兄弟の中の長兄、最も上のお兄さんにあたる人がですね、
自ら志願してパイロットとしてですね、戦闘機に乗っていたと。
特攻隊になってですね、最後に特攻隊なんで帰ってこれませんから、
行ったきりだと相手に突っ込んで行って終わるわけなんですが、
最後にですね、この台の根本という場所がありますけれども、
そっちの方に戦闘機で行くんで、こういう風な飛び方をすると。
それで最後にお別れの挨拶をしようと思うから、みんな来てくださいということで、
よかったら来てくださいということで、お知らせがあったらしいんですね。
どうやら町内会みたいなやつのものの回覧板だか掲示板かなんかで、
そういうことを知ったらしくて、知った人が結構いてですね。
江戸川の堤防というか土手というかそのあたりに、
みんなが見送りにというかお別れのために来て、
実際にその戦闘機がやってきて、3回こう翼をこうやって、
ぐるっと舞いながら旋回しながら翼をこう動かして、
挨拶して飛んでいったということを平井さんはお話しされていましたけど、
そういう特攻に関する思いで、実体験としてですね、
そういう体験がある人が市川市でもいらっしゃるということを私も知りましたね。
というわけで、異海一川、ちょうど始まって、
今日が5年目というわけです。
けれども、今日が252回目かな、ですけれども、
これからも平和である以上は続けたいと思いますし、
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実際に平和じゃなくなっても続けられるものなら続けたいですが、
そんなことは嫌なことではありまして、
平和というものを魅力でも作るということに、
自分なんかに力を注ぐことができるかわかりませんが、
そういうことをしていきたいなと思っている最近の私でございます。
というわけで異海一川、第252回目の放送、
そして異海一川が始まって、ちょうど5年前の今日が始まった8月21日は、
異海一川記念日というわけで、
2025年8月21日の放送はこれにて終了したいと思います。
野田寺鈴木でした。