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みなさん、こんにちは。あるいは、こんばんは。 爽やかな朝に聞いている方は、おはようございます。
いかいちかわ第249回目の放送が始まりました。 私は、このいかいちかわのDJのうちの一人である、ノスタルジー鈴木です。
いつも一緒にお送りしている、もう一名のパーソナリティである 稲村ジェーンさんは、実は
昨日、ある場所、名前をあえて言いますと、 シーガルというミュージックバーに、昨日の夜に行かれたという事で、
この収録は、稲村ジェーンさんがシーガルというミュージックバーに行って、大いに楽しんだその夜から、一晩明けた朝に収録しているんですけれども、
その余韻にまだ浸っている、あるいは、もしかしたらまだ夢の中で、お酒と音楽と戯れているかもしれませんけれども、
シーガルの続きの夢を見ているかもしれませんが、今日は私が、ノスタルジーが一人でお届けしております。
本日は、西暦で言いますと2025年、令和で言うと7年、8月の7日でございます。
この、イカイチカーというポッドキャストは、千葉県の市川市にまつわる色々な事について取り上げてお話をしているのですが、
市川市の南大野の2丁目に、ちょっとした公園がありまして、場所で言うと、小里公園というものが南大野にあるんですけれども、人工の池なんですけれども、貯水池。
2つあるんですね。小里北公園と小里南公園があって、そのちょうど間に1本道路が通っていまして、
その道路をちょっと越えたところにある公園で、マンション、グリーンハイツとかパークハイツというのがこの辺りに立っているんですけれども、その麓にあたると。
あるいは、セブンイレブンがあるんですが、そのセブンイレブンの向かいにあると言ってもいいかなと思います。
ちなみにこのセブンイレブン、かつてはツタヤというものがございまして、レンタルCD、ビデオなどのツタヤですね。書店もやっていましたね。
これについて話すと長くなってしまいます。かつてはここにまた別の名前のCバンクスという名前の書店が1階に入っていて、2階がツタヤだった。
その後に1階も2階もツタヤになったんですが、最初はそのCバンクスが1階で、2階がツタヤのレンタル店だったのが、その前が実は銀行がありまして、
何という銀行かという名前だけ申し上げておくと、宅銀ですね。宅銀。この名前聞いてピンとくる人と来ない人がいると思いますが。
そこの近くにあります、現在もあります公園にですね、ある塔が建っています。塔と言っても人が登れるようなタイプの塔ではなく、建物の塔ではなくてですね、
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石碑とか色々あると思いますが、これは私が今言っている塔というのは多分金属などでできているんだと思うんですが、水色の色をしていまして、細長い直方体と言うんですかね。直方体に近い形をしていまして、
ここに文字が書いています。何て書いてあるかというと、核兵器廃絶平和都市市川と書いています。もう一つがですね、グリーングリーン都市市川と書いていますね。
このですね、2つの都市宣言が書かれているもので、特にこの塔自体にはドーンと大きい字で書いてあるんですけれども、このですね、一つ先に申し上げた核兵器廃絶平和都市市川というものなんですけれども、これはですね、この書かれている理由が何かというと、
今から41年前、今年が2025年なので、1984年ですね、1984年昭和59年に市川市はですね、核兵器廃絶平和都市宣言というものをしていまして、この内容がどんなものかというと、市川市のウェブサイトにも載っているんですけれども、簡単に言うとですね、世界の高級平和確立のためというのが目的の一つです。
もう一つがそれとも関連しているんですが、いかなる国の核兵器に対しても、その廃絶と軍縮を訴えるためということですね。なので世界からですね、核兵器をなくそうと、廃絶しよう、そしてはその、もう一つの目的としては世界の高級平和確立ですね。
このためにこういう宣言をしたということです。核兵器廃絶平和都市宣言というのをしたというわけなんですね。
その宣言をしたということで、その証に立てた塔が、ここの南側に建っているというわけです。
ぜひね、行っていただきたいなと。ぜひ見に行っていただきたいなと思います。
実はですね、かつてはですね、他の場所にも建っていたことがありました。というのは何かというと、市川市役所ですね、市川市の市役所本庁舎の敷地のところにも同じようなものが建っていたらしいんですけれども、実はですね、今建っている本庁舎、今2024年現在建っている本庁舎は建て直されたものですよね。
建て直しの前にあった、一世代古い本庁舎の敷地には、この核兵器廃絶平和都市宣言を歌う塔が建っていたんですけれども、今実はですね、それが多分この工事に伴ってということだと思うんですが、撤去されています。
撤去された後ですね、処分されちゃったということが明らかになっています。
なので一部のですね、市川市議会議員なんかは、この塔の撤去、撤去はまだしも処分しちゃったというのをけしからんということで、またこの何らかの方法でこういう塔をできれば市役所の敷地のあたりに建て直してほしいみたいなことなんかを歌いたりしているようですね。
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またしていたようなんですけども。
なんでこの話を私が今しているかというとですね、別にいつしようが構わないぐらい重要な話かとは思いつつもですね、今日が8月7日なんですね。
2025年の8月7日なんですが、
昨日が8月6日で、広島に原子爆弾、原爆が投下された日、8月6日。
投下されたのが太平洋戦争が終わった年、1945年なので、そこからですね、ちょうど80年、昨日が広島に原爆が落とされまして、80年目の日だったということでございます。
今日は1日そこから経っているわけですけれども。
フリースタイル市川が活動している千葉県の市川市というのはですね、広島市から直線距離でほぼ200キロなんですね。
直線距離でほぼ200キロというわけで、距離としては離れていますけど、距離としては離れています。
それに広島に原爆が落とされたのは80年前の昨日のわけで、時間もかなり経ってはいます。
これをかなりというのか、地球規模の歴史で言えばですね、あるいは人類史で言えば80年なんて短いものだというふうに見ることもできますけれども、
世界で初めてですね、原爆が、核兵器が人間に対して使われたと、実際に兵器として使われた、実験じゃなくて兵器として使われたのが、初めて使われたのが1945年の8月6日。
2回目に使われた、そしてこれが現在のところは最後、人類に対して攻撃として使われた最後なのが、8月の9日の長崎市に落とされた原爆だというわけなんですけど。
さっき言った、市川氏が言っているですね、核兵器廃絶平和都市宣言は非常に重要な宣言だと思いますので、別にこれはこういったことを宣言している都市は市川氏のみならず色々とありまして、
これ私最近知ったんですけども、この市川氏がですね、今年の6月だったと思うんですけど、確か6月かな。
今年の6月の17日に、日本非核宣言自治体協議会というものに市川氏が加入したようなんですね。
というふうに市川氏のホームページに、ウェブサイトに書いていました。そこにはですね、修宣80年の節目を契機としてと書いています。
なので今年が修宣、廃宣から80年目だということを契機、つまりきっかけとして、80年目なんでということを理由に加入したということなんですけれども、
なんで80年目に入ったのかなというふうに思います。もっと早く入っていればいいのになと思ったんですね。
この日本非核宣言自治体協議会というところにですね、市川氏を含めて367の自治体が入っているんですけども、この中で現在、現時点では市川氏が最も新しい、最新の加入自治体であるということなんです。
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この協議会自体は、実は市川氏がこの宣言をしたですね、1984年ですね、41年前のこの年に、同じ年ですね、市川氏がこの宣言をした年にこの協議会もできているので、もうできた年に入ることも可能だったと思うんですね。
あるいは、この協議会ができた、あるいは市川氏が宣言をした、核兵器廃絶平和都市宣言をした翌年が1985年なので、40年ですね。
この40年目に入ってもよかった、それを契機に入ったってよかったわけですが、そこから40年、41年経って初めて市川氏は入ったということなんですね。
この理由については定かじゃない、80年目だったので入りましたと書いてあるんですが、私のですね、かなり穿った見方をしますと、実はこういう仮説があります。
ちょっとこれ、必ずしもポジティブな意見じゃないんでですね、かなり穿った見方をあえてしているということなんで、それを前提に聞いていただきたいんですけども、何かというと、
これはちょっと少し話があっちこっち行っちゃうんですが、今年の1月に被弾協ことですね、日本原水爆被害者団体協議会ですね。
このですね、この協議会は昨年2024年の10月だったかな、ノーベル平和賞を受賞しているんですが、この被弾協さんのですね、
代表委員、田中代表委員が市川氏で講演してくださったということですね。市川氏で講演されて、その後に市川市長の田中さん、こちらも田中さんなんですが、田中孝さんなんですが、田中市長とですね、対談をしたと。
その中でも語られていた、田中市長の方が語っていたんですけど、各会説を宣言しているこの市川氏が、他にも各会説を宣言している関東の自治体に呼びかけて、
11月に話し合いの場を持つ意向というものを表明してきたということなんですね。
もう少し具体的に言うと、各平和都市宣言を行っている関東の34の自治体の市長に声をかけて、市川氏からですね、市川市長から声をかけて、
意見交換の場を設けて、地方自治体が率先して、国の動きを待っているだけじゃなくて、地方自治体、地方から率先して、核兵器の禁止条約の早期批准とかですね、核兵器の廃絶、それから高級平和の実現に向けた訴えというのを発信していきたいというふうに田中市長が語っています。
これはさっきの田中さんとの対談、1月の対談の後の2月のですね、2月13日、今年の2月13日の市川市の市議会の中で行われた平和7年度の施政方針の中でもですね、田中市長が語った施政方針の中でも、今言ったようなことが語られているというわけなんで、
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これが1月の対談、それから2月のお話、方針のお話、市長の話、その後の6月ですね、全国のそういう協議会に市川市が加入したということなんで、市川市から指掛けて関東のですね、自治体35ぐらいでしたっけ、の人たちと話し合いの場を持つのに、市川市がこの協議会に入っていないのはちょっと変だよねということを多分誰かが指摘したんじゃないかと私はちょっと見ておりまして、だから入ったんじゃないかなと思っています。
入りたいと言ってすぐに入れるものじゃないのでですね、時間がかかって6月に入れたということなんじゃないかなというふうに勝手に思っています。これは私の完全な想像でございますけれども。
はい。というわけなんですけれども、昨日ですね、8月の6日に広島市でですね、平和記念式典というのが行われていまして、ここでですね、広島市長、それから広島県知事、石場首相とかがこのまま挨拶をしたりいろいろとしているんですね。
他にも一般の方の言葉とかも聞かれたわけですけれども、かなり印象的だった言葉がいくつかありましてですね、特にここでちょっと紹介したいなと思うのは、広島県の県知事さんですね。
柳崎秀彦知事です。この方の言葉というのはかなり毎回注目されているんですが、昨日8月6日のですね、80年目の、被爆80年目のですね、平和記念式典での挨拶の中で、強く彼が、知事がですね、柳崎知事が言っていた言葉があります。言葉としても非常に強い言葉があります。何かというと、今、この広島県知事いわくですね、
いろんな世界中でいさかいが起きていると、戦いが起きている。つまり殺戮、人が人を殺すということが起きているという現実があって、あとまあそういうことを恐れているというようなこと、他国の脅威を言葉にしていて、そのために核抑止、核兵器を持つことによって相手からの攻撃を抑止できるんだという核抑止論というのがありますけど、核抑止が重要だというふうに
怖高に叫ぶ人たちがいますというふうに言って、しかし本当にそうなのでしょうかというふうに知事は言っているんですね、柳崎知事は。
彼が言っているのが、歴史が証明するようにと言って、古代ギリシャの昔からですね、力の均衡による抑止というのは繰り返し破られてきました。なぜなら抑止とはあくまで頭の中で構成された概念または心理ですね。心の方ですね、心理というのは。つまりフィクションであり、バイオ引力の法則のような普遍の物理的真理ではないと。こっちの真理はトゥルースの方の真理ですけども。
さっきの真理はサイコロジーというかですね、概念コンセプトまたは真理サイコロジーであってフィクションである。だから抑止というのはあくまでもそういうふうに頭で考えているだけであって、そんなものは簡単に破られてしまうと。バイオ引力の法則みたいなものというのは破ることはできないとされる物理的な真理ですけれども、それに逆らうことはできないわけですよね。空中でリンゴを手放せば下に落ちるわけですけど。
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核による抑止というのは言葉では言っているけれども、そんなものはすぐに破れてしまうし、核ではない力の均衡で抑止しようという考え方というのはこれまでも主張されたけれども毎回破られてきているんだということを言っています。
他にも知事はこんな言葉を言っています。
自信過剰な指導者の出現、突出したエゴ、高揚した民衆の圧力あるいは誤解や錯誤により抑止は破られてきましたというふうに言っているんですね。
あとこう言ってますね。我が国も力の均衡では圧倒的に不利と知りながらも、自ら太平洋戦争の端緒を切ったように、人間は必ずしも抑止論、特に核抑止論が前提とする合理的判断が常に働くとは限らないことを身をもって示していますというふうに言っているということなんですね。
今言った言葉は非常に重要ですが、実はこの前の参議院議員選挙で東京都の選挙区だったと思いますけれども、比例じゃなくて東京都の選挙区のほうから出ていたある党の立候補者が、この方実は2番目で当選しているんですけれども、かなり多くの票を得て、得票数で当選している人なんですが、
核による、ちょっと正確な言葉を忘れちゃいましたけど、核兵器を所有することで安全を保障するということが安上がりなんだみたいなことを、核軍備というのが安上がりなんだみたいなとんでもないことを言った人がいて、選挙期間中に。
そんなことを言っても、東京都選挙区というところで2番目の得票を得て当選しているので、かなりリスキーな状況かなと思うんですが、そういう人が参議院に行きましたので、何事もなければ6年間、国会議員を務めるわけですからね。
なので、そういう発言やそういう風潮みたいなものに強く牽制する意味でも、広島県知事は言葉を貸したんじゃないかなというふうに思っています。
ちょっとコーヒーを飲みながら。私が今コーヒーを飲むのに使っているマグカップはですね、鬼の絵が描いてまして、コーヒーを飲んでいる鬼の絵が描いてますね。ラブ鬼声って書いてます。
これは三日月デザインさん、原三日月さんがデザインされたコーヒーカップ、マグカップですね。鬼よくんっていう確か名前がついていたと思います。鬼のキャラクターには。
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はい。ちょっと喉がですね、NODの喉がちょっとガラガラとしていますが、引き続きお話をしますと、原爆が落とされてですね、こんな言説もあります。こんな表現もあります。こんな風に言われ方もしますというのが、
それまで普通通りの暮らし、普通の暮らしをしていたのに、それが一瞬にして奪われましたというような言い方がありましてですね、これはある人にとっては本当にそういうこともあると思うんですけど、あると思いますし、
あと実際には本当に普通の日曜だったわけじゃないけれども、あえてちょっとその対比、原爆の10日の前と後での対比のためにそういう風に言っているのかなということもあるんですが、この表現にですね、ちょっと意を唱えている人もいたりします。
この表現自体が良くないという意味ではないと思うんですけど、こういう表現してしまうと追い隠されてしまうことがあるから、こういう表現はどうかと思うという意味で言っている人がいたんだと私は認識しているんですが、何かというとですね、
簡単に言いますと、1945年の8月の6日あるいは9日に原爆が落とされましたけれども、その落とされる前と後で、前は普通の平和な日曜だったのかというとそんなことはなくてですね、
日本国内でも、国内に残された人たちもですね、残されたというかその兵隊として外国に行っているわけじゃない人たちにとっても、戦争だということで非常に辛い生活はあったわけですよね。女性たちも子どもたちも老人たちもあったわけです。
ということを念頭において、原爆が落とされるまでは何不自由ない平和な時間とか生活があったというわけでは必ずしもないんだということをちゃんと考えなきゃダメなんだと忘れちゃいけないよと、そういう言葉を使っちゃうと追い隠されちゃうものがあるんですよということを多分言いたくて、批判というか普通の生活がそこにあったという言い方は良くないというふうに指摘する人がいるんだなと私は認識していますけれども、
実際に本当にちょっと様々な形で原爆が落とされる前だって本当にもうすでにとっくに普通の生活ではなかったと、全国各地でアメリカ軍からの空襲があってですね、原爆ほどの威力はないにせよですね、
例えば原爆での死者っていろんな見方がありますが、例えば原爆が広島に落とされ、長崎に落とされましたが、その年の年末まで、1945年の8月、8、9、10、11、12、5ヶ月間でですね、広島でおよそ14万人、長崎でおよそ7万人が亡くなっていますし、戦争が終わってからも放射線によって多くの人が苦しめられて亡くなっていったりしているということですね。
あとその2世、3世という人たちもいたりするわけですよね。実際にその5ヶ月間で亡くなっている人だけでもそれだけいるというわけです。
ですが、例えば東京大空襲でも10万人が犠牲になっているなんて話があったりします。だから空襲というのも非常に原爆とは違う形ですけれども、原爆も空襲ですよね、空から襲うとか空襲ですから、空から爆弾でその都市、人を狙うということなんで、現在の戦争ではそれをドローンで行われたりしているというわけですけれども、
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別にその殺されたあるいは犠牲になった人の人数だけで何かを測れるわけではないんですが、例えばですね、この前ちょうど今8月7日なんですが、少し1週間くらい前ですね、7月30日のこれはBBCのウェブサイトなんですが、こんな記事が出ていました。
イスラエルのガザ攻撃死者6万人こすハマス運営の保健当局が発表とありまして、イスラム組織ハマス、これはパレスティナのハマスですね、が運営するパレスティナガザ地区の保健当局は、7月の29日に2023年10月に始まったイスラエルの軍事作戦に殺害されたガザでの死者が6万人を超えたと発表したとあります。6万人ですね。
2年弱で6万人を超えたと、直接の死者だということですね。うち18,592人が子供、9,782人が女性だったというわけですね。しかも最近はですね、食料の援助が行われますよということで、集まってくださいということで、集まったところの人たちを殺すというですね、一殺すというとんでもない殺し方もされているわけですけれども。
これが今、2年弱で6万人が殺されている、子供が1万8,000人以上、女性が1万人弱殺されている、分かっている範囲ですね。また最近だとですね、木がですね、この木がもう人為的にもたらされているわけですから、殺していると言ってもいいと思うんですが、こういう状況が起きていて、単純にその人数が多い少ないで測るものではないにせよ、こんだけとんでもないジェノサイドと呼ばれるですね。
ジェノサイドというのは特定の属性とか、特定の例えば民族とかですね、ある人々のグループを本当に滅多打ちにして殺してしまおうという行動のことを指しています。ジェノサイド。
例えばこの、ちょっと話がだいぶ逸れちゃいますが、関東大震災の直後にですね、デマが飛び立って、朝鮮の人たちが井戸に毒を入れているよとか何とかみたいな話が、デマが広まっちゃってですね。しかもアローコとか政府もその一時的にはそのデマをですね、認めてたというとんでもないことがありましたが、それによって日本の人たちが朝鮮人などですね、中国人とか、
間違えて殺された日本人もいますが、狙い打ちして殺しちゃって、これもジェノサイドというふうに呼ばれたりすることもあるわけですけども、そういうことが起きているというわけですが、ちょっと話を戻しますとですね、原爆が落とされまして、多くの人が苦しんで亡くなった、あるいは長い間苦しみ続けたり差別を受けたりですね。
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いろんな差別がありまして、同じようにというか、被害の相方も様々でですね、例えば日本の国内の日本人だけに限ってもですね、みんな被害者であるという見方もできるわけですが、実際に怪我とか、あとは家族の死とか、受けた被害の大きさなどによって差があったりしてですね。
あと、小児なんかもたくさんいたりして、戦後も様々な差別とかいじめとかいろんなものに悩まされて苦労した人もいると、心理的にもですね、身体的に。
ということなんですが、こんな記事を見ました。さっきBBCの7月30日の記事って言いましたけど、8月5日のBBCのですね、記事。
これはBBCのイギリスの局ですけども、放送局ですけど、イギリスのほうのウェブサイトの記事も出てて、日本の記事もその和訳は出てますが、原爆10日80年傷を負い屈辱を受け忘れられ、広島で被爆した朝鮮半島出身者たちって記事がありまして、これも非常にですね、心を痛めながら読まざるを得なかったんですけど。
簡単に言いますとですね、韓国の中でも特に貧しい地域というのが当時ありまして、貧しかったのでですね、当時日本に併合されていた韓国は、日本に行って働けばですね、お金が得られて良い暮らしができますよっていう、還元甘い言葉に誘われてですね、半ば強制的にということもあったようなんですが、日本に連れてこられてですね、いろいろときつい仕事を、特にきつい仕事をさせられると。
不衛生で不健康なところで働かされて、しかも怪我とかもしやすい人が命も落としやすいような場所で働かされるってことは、よく日本国内であったわけですけど、広島にもたくさんの朝鮮の人たちがいてですね、原爆の被害にもあったというようなことでしたね。
なかなか、私もあんまりそういうことを知らずにですね、最近まで生きてきて、最近になってようやくそういうことを、いろんな外国の、朝鮮半島から日本に連れてこられ、やってきていた人たちが、特に日本の人たちよりも下に見られてですね、きつい仕事をさせられ、差別的な構造がありましたから。
しかも原爆の被害にもあったというようなことですね。
というような話が、記事があったりもします。
あとですね、例えば8月15日に日本では修正記念日なんていうふうに言われてますけども、実際には幸福文書にサインしたのは9月の2日でしたっけ、3日でしたっけ、東京湾のあそこでやったというのがありますけども。
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なのでこの日をですね、9月の2日、3日について、日本が敗戦を公式に認めた日ということで、日本にですね、占領されていた国は、その9月2日、3日をもって日本から解放された日だということで、それを記念日としている国なんかもあったりします。
8月だろうが9月だろうがですね、この1945の夏にですね、やっとその日本からの支配が終わったということで、解放されたという気分になった人たちも当然いたわけですね。
韓国とかも、朝鮮半島もそうですし、フィリピンなんかもそうで、フィリピンで日本軍がどんなことをしてきたかみたいなことも最近調べていてですね。
特にそのダイアログフォーピープルっていうですね、メディアがありますが、ここの記事、フィリピンにおける日本軍のいろんな活動というか、ことを見ていると結構本当に知らない事実がたくさんありまして、こういうことも知らなきゃいけないなというふうに思うところですね。
よく言われるのが、日本の人はですね、現代人がですね、海外に行って、日本がどういうことを海外でしてきたかということを知らないということですね。教育受けではないからということが原因だったりしますけど。
まあじゃあ教育受けじゃないから知らなくていいかって言うとそんなこともなくて、私も最近になってようやく恥ずかしながらそういうことに関心を持つようになったんで、知ろうとしたりですね、しているわけですけども。
話を戻しますとですね、市川市、南大野にはですね、今、核兵器廃絶平和都市宣言をした市川市のことを歌った塔が建っていますので、実は私の実家が市川市の南大野の2丁目にありまして、私は子供の頃から何気なくこの塔を見ていましたが、特に何が書かれている、どんな重要なことが歌われているかということを全然考えずに少年時代を過ごしていましたけれども、
大人になってからも実家に帰ってからもこの塔を見てもあまり何も考えませんでしたが、今が一番この宣言、それから11月に田中市長が関東地方のいろんな都市のですね、首長、市長たちにですね、呼びかけて、
核兵器廃絶の大事さとか、高級平和を訴えるということをそういう場を設けたい、話し合いの場というもの、おそらく会議みたいなものを設けたいというふうに言っているということもあって、今、この宣言の重要さというものを強く認識しているということでございます。
ちょっと思いのほか長く話してしまいましたが、1巻第249回目の放送は、8月7日、2025年、戦争が終わってからですね、80年目の夏の8月7日に収録いたしました。また近々お見に帰りましょう。ノスタルジー鈴木でした。