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毎週木曜日のこの時間は、 飯田和夫のブラッシュアップをお送りしています。
さあ、飯田さん、今日は。
はい、先週大きな悲しみを伴って伝わってきた ニュース、不法を紹介したいと思います。
カイドウと呼ばれた強打者で、 プロ野球・西徹ライオンズで活躍した中西ふとしさんが、
今月11日、心不全で亡くなりました。
中西さんは、西徹が昭和31年、1956年から 3年連続で巨人を破って日本一になった当時の主力選手でした。
90歳でした。
はい、亡くなったのが11日。
少し時間が経ってしまいましたけど、 ぜひお話したいと思います。
このブラッシュアップのコーナーと、 それと、キャッチアップのコーナー。
2つ使って、中西さんへの追悼、哀悼の思いを込めて、 それと、私の少年時代の思いでも話をしたいと思います。
まずは中西ふとしさんを紹介いたします。
高校から入団したプロ1年目で新人王、 そして18年間の現役生活でホームラン王5回、
打天王3回、首位打者2回、 そして三類種としてパリーグのベスト97回を記録。
1955年にはパリーグMVPにも選ばれています。
素晴らしい成績を残した方ですよね。
中西さんに先立って、大下博史さん、稲穂一久さん、 豊田泰道さん、大井昭さん、西鉄の黄金時代のメンバーが、
次々と世を去っていますね。
中西さんの盛挙で、九州にあったライオンズが さらに遠くなった気がします。
そんな中、飯田さんは関西ご出身ですけれども、 飯田さんのライオンズの思い出。
もともとライオンズファンではないですよね。
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僕は阪急電車の沿線に住んでいたので、 阪急ブレイブスファンだったんですよね。
今のオディックスです。
阪急の本拠地の西宮球場に近かったせいか、 よく周囲に連れて行っていました。
社会人になって、後に九州でこうやって暮らすようになったんですけど、
僕のそもそもの九州との出会いは、 西宮球場に遠征でやってくる西鉄ライオンズだったんです。
当時、昭和40年代の西宮球場というのは いつ行ってもガラガラで、
今のパリグとは全く違いました。
スタンドがガラガラなんですけど、 そのせいかお客さんのヤジがよく通るんですよね。
これも今と違ってヤジが汚いというか、 個人攻撃のヤジばっかりだったんですね。
ガラガラのスタンドでよく響き渡る このヤジを聞いていました。
その中でもあるチームが遠征してくると、
応援するファンがスタンドから飛ばすヤジが、 僕の使った関西弁でもないし標準語でもない、
聞いたことのない言葉っていうのは、 子供の時はすごく不思議だったんですよ。
関西弁でもない、標準語でもないってことは、 それが博多弁というか九州の言葉ってことですか?
そうですね。兵器は阪神工業地帯にあるんですよね。
そこで働く九州出身の人たちが、 ライオンズが関西へ遠征してくると、
スタンドに集まってはお国言葉で、 九州の方言でヤジを飛ばす。
なるほど、そういうことですか。
ちょうど時代は石炭産業がエネルギー革命によって、 社用産業になりましたね。
福岡でいうと筑豊や三池、炭鉱で次々と 閉山していった時期にもなるんですよ。
炭鉱離職者の方が家族と共に故郷九州を離れて、 阪神工業地帯に仕事を求めてやってくると。
私の通う小学校にも九州からの転校生が何人もいました。
高度経済成長期だったんですけど、 西沢九条のスタンドの姿っていうのは、
日本のある断面を僕は示したと思います。
九州の人たちがスタンドに来てライオンズを応援して、 関西で慣れない仕事をしてても、
九条に来ることで九州人としての アイデンティティを確かめ合ってたんじゃないか。
今になったと思いますね。
ちょうどその頃中西さんは現役なんですよね。
そうですね。中西さんは昭和44年に現役を引退するんですけど、
後半は監督と選手の兼任でした。
西宮九条に私が通った頃はすでに前世紀を過ぎていました。
ベンチにいることが多かったんですよね。
ただピンチヒッターとして自分が出てくる時とか、
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選手の交代を監督として告げに来る時、今でもしっかり覚えてます。
お相撲さんのような分厚い胸と大きなお尻、 肉の詰まった体育は他の選手と全く違いました。
三塁側のベンチから中西太一さんが登場すると、
西鉄ライオンズのファンが一番盛り上がるんですよ。
衰えたとはいえ、九州出身のファンにとっては大スターでしたね。
ベンチにいる監督が一番のスターでした。
それが私の九州との結びつきの最初だったかもしれません。
その時のチーム状況としては、西鉄ライオンズって強かったんですか?
いや、もう弱かったですね。
その前世紀というか、巨人を破ってという頃が過ぎた後だったんですね。
ただ、今回中西さんの不法に接して数々の伝説が報道されておりますけれども、
飯田さんもやっぱり数々の伝説に触れているわけですよね。
そうですね。私はいろいろな本を子供のときに集めてまして、
雑誌も集めてまして、私にとって未だに捨てられないお宝なんですよ。
今日はそれを2つ紹介したいと思います。
1つは文芸新住者が発行する雑誌、スポーツグラフィックナンバー。
今もありますよね。
これの1980年、昭和55年の11月5日号なんですが、これもライオンズを特集しています。
その中で、元アサイ新聞の方がライオンズの担当時代の記事を原稿を書いています。
ご紹介しますね。昭和27年、春のことだった。
福岡の西鉄球団事務所は、選手たちが鹿児島鴨池のキャンプに入っていたためか、ガランとして人気がなかった。
当時、西鉄ライオンズ担当の記者だった私は、何かの用事があって球団事務所に行った。
そこへひょっこり一人の高校生が現れた。
ボロボロの学帽をかぶっていた。
その下ではでっかい丸顔が赤みを帯びていて、健康そのものといったふうだった。
学生服は巨体を覆っていて、今にもボタンがちぎれ飛びそう。
肩にはボストンバッグと震源袋を振り分けに担ぎ、両手にさげた果物かごを差し出して、
これお土産ですと、ちょっと緊張した声で言った。
これが私の初めて見た中西太史である。
お政治にもスマートとは言えないごつい学生だった。
この時の印象があまりにも強烈なものだったのか、
誰言うとなく中西のあだ名は振り分け荷物になった。
おもしろいですね。中西さんは本当は早稲田大学で野球をしたかったらしいんですが、
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家庭の事情でプロに入りました。
すごく優しいお人柄だったらしいんですが、
この場面を見ると不安いっぱいで初めての土地に測った様子がわかりますよね。
そして中西さんはすぐ鹿児島のキャンプに合流したんですが、
この記事は続きます。フリーバッティングの場面です。
入団1年生だったのでおとなしくしていたのだが、
三原監督に中西行けと言われてバッターボックスに立ってからがものすごかった。
当時の早々たる西鉄の主力ピッチャーからいきなりホームランを打ってみせたのだ。
ほぼ全員の投手から5本のホームランを奪っている。
大下がびっくりして私に、
あれ本当に高校だけ出たんかい?と半ば呆れ顔で聞きに来たものだった。
こうして振り分け荷物はたった1日で、
あいつは大したバッターバイと全員の注目するところとなった。
秋出が起こした大下と当時の中心選手の大下博史さんのことですね。
この鴨池のキャンプから中西さんの伝説が始まったと思っています。
街道伝説の1ページ目ということですね。
入団時18歳だった当時のエピソードですけども、
入団してすぐに活躍して街道と呼ばれた中西選手については後半のキャッチアップで、
また飯田さんが数々の中西さんの伝説に触れて紹介していただきたいと思いますので、
後半もよろしくお願いします。
三菱電機