「伊豆の踊子」100周年と川端康成
この時間は、日替わりコメンテーターが独自の切り口で、多様な視点を提案するCatch Up。
月曜日は、元RKB解説委員長で、福岡女子大学副理事長の飯田和郎さんです。
飯田さん、おはようございます。
はい、おはようございます。
さて、今日のCatch Upですが、日本の文化、その中でも日本文学に関するお話だそうですね。
外交や内政を中心に話してきた私なんですけど、この飯田が日本文学を語るっていうのは、専門外もいいところなんですよね。
ただ、そのことはですね、冷却化したままの日中関係を語るってことにもなるんですよ。
今日、日本を代表する作家、川端康成の話から始めたいと思います。
日本人初のノーベル文学賞を受賞した方ですね。
そうですね、受賞は1968年、昭和43年のことでした。
ノーベル文学賞に限れば、川端と大井健三郎さんの2人だけなんですよね。
どうですか、数多い川端作品の中で、どの作品が思い浮かびますか。
パッと浮かぶのは、私は雪国ですね。
なるほどね。
伊豆の踊り子が一番に出てきましたね。
そうですね。
今日取り上げるのは、伊豆の踊り子なんですよ。
もちろん小説も多くの方が読んだと思うんですけど、
私の世代では、やっぱり映画なんですよね。
山口ももえさんが踊り子の少女役を、
そして現在のご主人の三浦智一さんが学生を演じた映画ですよね。
これ、1974年でした。
この伊豆の踊り子は、実に6回も映画化されてるんですよ。
また、私よりもう少し上の世代なら、
踊り子役を吉永さゆりさんが演じた作品。
これ、1963年。
これのイメージが大きいのかもしれませんね。
小説に話を戻しますけど、作品の舞台は伊豆。
時代は大正末期。
伊豆を旅する旧正高校生が、旅芸人の一座と出会います。
孤独を旅で癒やそうとした旧正高校生と、
踊り子の少女の淡く儚い恋。
それと旅場を描いてますね。
この日本を代表する伊豆の踊り子が、文芸真珠で発表されたのが、
1926年のことなんですよ。
ということは、ちょうど今年で100年ってことですね。
はい、そうなんですよ。100周年。
川端康成文学館での出会い
せっかくの機会なんで、主人公が踊り子の姿を描写する部分があります。
朗読してもらっていいでしょうか。
踊り子は17くらいに見えた。
私にはわからない古風の不思議な形に大きく髪を揺っていた。
それが卵型の凛々しい顔を非常に小さく見せながらも、美しく調和していた。
髪を豊かに誇張して描いた廃止的な娘の絵姿のような感じだった。
はい、廃止的な娘の絵姿。
庶民の間で流行っている絵に登場するような娘の姿形だったというわけなんですよね。
川端康成は大阪の茨城市で育ったんですよね、現在の。
地元の旧制中学に通ってた。
その縁で、茨城市内には、茨城市立の川端康成文学館があるんですよ。
川端の書いた数多くの本、また遺品、
例えば、万年筆で原稿を用紙に記した小説原稿なども展示されています。
伊豆の踊り子100周年ということもあって、現在特別展が開かれています。
私、ちょっと用事があって、大阪に来た際に、この川端康成文学館を訪ねたんですよ。
お話ししたいのは、そこでたまたまであった中国人の女子留学生のことなんですよ。
彼女は首都圏の大学に留学しています。
日本文学、とりわけ川端文学に魅了されて、川端に関する論文を筆記しているっていうんですよね。
この文学館で、伊豆の踊り子100周年記念展が開かれているということで、首都圏からわざわざ大阪までやってきたというわけですね。
その中国の女子留学生のことが、川端康成の文学に魅了されたということですけど、どこに引き付けられるんですかね。
当然、私も興味があったので、おしゃべりしてきました。
こんな興味深いことを話してくれました。
非常に繊細な表現だと。
それと、情景描写の細やかさだけじゃなくて、この日本人の心の内側の本質が描かれているんですよね。
同時に、私は外国人、中国人だけど、その描写の一場面一場面に癒しを感じるっていうふうに話してくれました。
癒しを感じる。外国の方からとっても感じる繊細さっていうところがあるってことですね。
中国における川端康成研究の広がり
そうです。川端はスウェーデンで行われたノーベル賞の受賞式で記念講演もしました。
その講演では、川端は日本人の自然と共に生きる美意識をこのように世界に紹介したと。
中国における川端康成研究というのは、単に作品の研究に留まらないんですよ。
つまり川端作品を通して、日本人の思考形成やものの考え方、生き様を知ろうという試みでもあるわけなんですよね。
最近で言うと、村上春樹さんの作品が中国をはじめとして海外でもすごく翻訳されて人気となっていますけども、中国で川端康成の作品は受け入れられているってことですか。
ちょっと振り返ると川端康成が自ら命を絶ったのが1972年なんですよね。
川端の死から50年が経過したことで、中国では川端作品の著作権の保護期限が切れてるんですよ。
中国語版での出版が自由にされています。
日本での場合は作者の作品の保護期間が作者の死後70年なんですけど、中国はそれより20年短い。これも影響してますね。
作品の著作権切れが川端作品のサイブームに繋がったってことなんですか。
そうですよ。ただ中国語版のウィキペディアのような情報サイトには川端康成本人について、また伊豆のおとり子や雪国などの代表作品についての細かい詳しい紹介もされています。
ブームに左右されない人気があるんですよね。
日中間の学術・文化交流の停滞
ところで、文学館で出会った中国人留学生なんですけど、おしゃべりしているうちにこんな話もしてくれました。
つまり、同じく日本文学研究を志す中国での大学の後輩たちが、今は日本へ留学できる雰囲気じゃなかった、私は最後ギリギリでした、みたいなことを言ってたんですよね。
なるほど。高市総理の台湾遊児をめぐる答弁以降、中国は渡航自粛を呼びかけて、日本は危ないから留学や旅行とかに行かないほうがいい、渡航しないほうがいいというキャンペーンは今も続けていますよね。
そうですね。インバウンドに期待する日本にダメージを与えようというものなんですけど、学術や留学生の交流というと、研究者や学生の派遣に対して、まずは当局が許可を出さない。また大学も当局に忖度して派遣許可を出さないという状態が続いています。
これ考えてみると、彼らの日本を知ろうという行為を中国当局が国民から奪うものでしかないと思うんですよね。さらに考えると、相手を知ろうという行為は本来なら自らにメリットがあるはずなんだけどな、と私は思ってしまいますね。
なるほどですね。一方の日本から中国への交流というのも停滞しているようですね。
そうですね。日本の学生は身の危険を恐れて中国へ渡らない。研究者も、とりわけ中国の近現代史の研究者は、中国側の研究者との学術交流や中国国内での資料探しがスパイ行為とみられるということで、二の足を踏んでいることが多いですよね。
日本を知ろうとする中国の方、そして中国を知ろうとする日本の方、それぞれに悪い影響が出ているようですね。
はい。研究者だけじゃないんですよ。同じことは、最近でこそ少し減ってしまってますけど、中国人インバウンド。彼らも既に日本の観光地巡りやグルメだけが目的じゃないんですよね。
例えば、文化というカテゴリーにおいては、日本初のアニメを通して作者である日本人の考え方を探ろうという、こういう狙いもあると思うんですよ。そして、日本人や日本の精神を知って、自分たちと同じ部分、この部分同じだよね。一方、この部分ちょっと違うねって、見分けることもしてるわけなんですよ。
日中関係の現状と今後の展望
今日は、ノーベル賞作家の川端康成の代表作、伊豆の踊り子の発表からちょうど100周年ということ、また中国で今も川端作品に根強い人気があること、さらに作品を通してまた日本人を知る前向きな行為があるってことを紹介してきました。
ただ、今の状況はかなり厳しくて、私は本当に大阪の川端康成文学館で出会ったあの中国人の女子留学生の思い出すたびに、落ち込んでしまった日中関係の現在地は、これは本当にお互いにダメージが大きいなとはつくづく感じてしまいますね。
そうですね。何とか関係をいい方向に持っていけるといいんですけども、米中首脳会談でも習近平氏は高市総理の名指しして批判していたことも明らかになっておりますけどもね。
ということで、この時間は元RKB開設委員長で、福岡女子大学副理事長の飯田和夫さんでした。飯田さんありがとうございました。
はい、ありがとうございました。