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蓬莱米100周年 福岡県出身農業技師が変えた台湾食文化
2026-04-27 12:42

蓬莱米100周年 福岡県出身農業技師が変えた台湾食文化

毎日新聞特派員や外信部長の経歴をもつ元RKB解説委員長・飯田和郎が、中国をはじめ東アジア情勢について、歴史的・文化的背景についても触れながら解説します。

田畑竜介
Groooooow Up

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サマリー

福岡県出身の農業技師、末永恵宗が台湾で品種改良した「蓬莱米」が誕生して100周年を迎えた。この米は、台湾の気候に適した粘り気のあるウルチ米で、現在の台湾の食生活に不可欠なものとなっている。末永は妻を亡くした悲しみを乗り越え、台湾の米生産向上に尽力し、台湾の人々から恩人として慕われている。一方で、この功績は日本の食料増産という植民地政策の一環でもあったという歴史的背景も指摘されている。

緊急告知と番組紹介
関トモガズ 藤原玉樹 変身ラジオ 緊急告知
変身ラジオですね。超変身ラジオという広録をやりたいと思っております。
5月の23日土曜日、昼朝ヶ谷ロフト。詳細はですね、ぜひXなどチェックしていただきたいなと思います。
ということで、緊急告知でした。
この時間は、日替わりコメンテーターが独自の切り口で、多様な視点を提案するCatch Up。
月曜日は、元RKB開設委員長で、福岡女子大学副理事長の飯田和夫さんです。
飯田さん、おはようございます。
はい、おはようございます。
さて、今日は日本と台湾を結ぶお話ということですけども、
ある農産品が品種改良されて、ちょうど1世紀100年を迎えたということなんですね。
で、しかもそこには福岡県出身者が大きな貢献をしたということで、
どういうお話なのか、非常に興味深いですね。
はい、何の話でしょうかということですけど、
これは日本人も台湾人も、そしてアジアの多くの国の人たちが日々口にする食べ物、米の話なんですよ。
蓬莱米100周年と末永恵宗の功績
なるほど。
まず橋本さんに紹介してもらいます。
日本の農水省に相当する台湾農業部は、22日、
法来米の命名100周年を記念するイベントを台北郊外で開き、
日本人、台湾人が共に田植えを行いました。
日本の台湾統治時代、日本人農業技師によって品種改良をされ、生まれた法来米。
この法来米は、今日、台湾市民の食生活の中心となっています。
法来米って聞いたことありますか?
いや、肉まんの法来は聞いたことあるんですけど、すいません。
漢字はその2文字なんですよね。
法来とは、そもそも古代中国に伝わる伝説の島の名前なんですよ。
中国大陸の東側に不老不死の千人が住む島があるという伝説なんですよね。
中国大陸の東の島だからまさに台湾。
だから法来は台湾の別の名前、別称になっているんですよね。
その台湾で品種改良され、生まれた米を法来米というわけなんですよ。
先週22日に開かれた100周年記念イベントでは、
子どもたちも参加して法来米の苗を植えたということなんですよね。
福岡では本格的な田植えシーズンというのはまだ先ですけども、
台湾では始まっているんですね。
その法来米を日本人、しかも福岡県にゆかりの人が関わっているということなんですか。
開発に携わった日本人を紹介したいと思います。
名前は末永恵宗と言います。
福岡県の旧畜市郡の大野村、現在の大野城市なんですよ。
福岡県の農業試験場に勤めた後に台湾に渡りました。
台湾では当時、農業技術者が不足していたため渡ったんですけど、
一方で末永は結婚して間もない奥さん、妻を病気で亡くしたばかりだったんですよ。
幼い我が子をかつての大野村の両親に預けて、一人日本を離れました。
これは明治43年、1910年のことでした。
妻を亡くし失意の末永にとって台湾に行きを決意したのは、自分の人生の再出発という思いもあったと言われてますね。
農業技術者の末永さんにとっては台湾で農作物の研究に没頭したということですかね。
当時の台湾の米生産事情を説明したいと思います。
台湾ではその頃、主に粒が長い長粒種、インディガ米ですね。
日本ではタイ米とも呼ばれてます。
東南アジアや南西アジアで今日も栽培されている品種ですね。
特徴としては水分を吸いにくくパサパサした食感なんですよね。
一方、我々日本人が好むのは粘り気のあるウルチ米。
粒の短いジャポニカ米とも呼びますよね。
当時の話なんですけど、台湾のような気温が高いエリアでの栽培はなかなか難しかったんですよ。
日本から持ち込んだウルチ米というのが、なかなか適性がなかったんですね、最初は。
そうなんですね。なかなか栽培が難しかったってことなんですよね。
台湾で生産できるウルチ米の開発に努めたのが、この末永恵だったんですよ。
失敗を重ねた末に、日本産のウルチ米と台湾のインディガ米を交配して、
混ぜ合わせて台湾の気候に適した米の品種が出来上がったってことですね。
台湾で生産できるようになった色々な種類のウルチ米があるんですけど、
それを総称して放題米というようになりました。
それが今からちょうど100年前の1926年ですね。
蓬莱米が支える台湾の食文化
田畑さん、橋本さんはこのウルチ米、それに粒の長いインディガ米、どちらがお好きですか?
私はやっぱりウルチ米が好きですね。
私もウルチ米ですけど、炒飯などはインディガ米がおいしいなっていうふうに感じますね。
福岡にもありますけど、カレー料理なんかもですね、カレー屋さんなんかもインディガ米がありますよね。
ビリヤリとかもそうですもんね。
米おにを使ったものとして、台湾には今でも弁当文化があります。
ここで地も日本と同じ感じで弁当を販売してるんですよ。
いろいろな自分の好きな惣菜用のおかずを選んで、ご飯と一緒に詰めてテイクアウトできる弁当屋もありますし、
鉄道に乗るとあちこちで駅弁もありますし、そうやって米文化が馴染んでますよね。
町の弁当屋さんでも駅弁でも、もちろん家庭の食卓でも、
今日台湾の人たちが食べるのはほとんど売るうち米です。
つまり、末永が生み出した米が、その後も品種改良を重ねて台湾の食文化を支えているというわけですね。
末永恵宗の生涯と台湾での評価
ということは、末永恵雲は台湾の農家の方にとって恩人ということなんですかね。
そうですね。末永のその後の生涯なんですけど、彼は1939年、昭和14年台湾で亡くなっています。
53歳でした。職場である水田で倒れたってことなんですよね。
彼が台湾に渡って30年近くがたっていました。
それでやっぱり今、恩人ということ言われましたけど、台湾で行われた葬儀には、末永を慕う農民たちが数多く駆けつけて死を痛んだそうです。
話は、先週22日に開かれた放題米命名100周年の記念行事に戻します。
このイベントには、実は末永の暇子にあたる男性も招待されて参加したそうです。
もう一つなんですけど、同じく出席した台湾農業部の公館が驚くべきことを言ってるんですよね。
台湾米の日本への輸出と歴史的背景
昨年、日本に向けて輸出した台湾産の米は1万2500トンでした。
例年の3倍から4倍でした。
そして今年は3月末までの3ヶ月で4500トンに達しており、昨年を上回るペースです。
令和の米騒動とも言われて、備蓄米の放出があったのも去年のことでしたけれども、
その影響で台湾からの米の輸入というのも増えたということなんでしょうね。
ただ、台湾産の米の品質の高さとか美味しさ、そして安全ということがあったからこそ、
それだけ台湾からも日本に入ってきたということなんですかね。
そうですね。時代が変わっても、台湾から日本への米の輸出というのはできてるわけですよね。
末永の功績は大きいんですけど、ただ忘れてはいけないこともあると思うんですよ。
当時の日本がなぜ台湾で、この日本人が好む売る地米の品種改良を急いだかってことなんですよね。
当時、日本では人口が急増して、食料不足が顕著になっていました。
だから、植民地だった台湾で食料を生産する、中でも日本人の口に合う米を生産し、
内地と呼ばれた日本本土へ送り込む、こういう大きな命題があったわけなんですよ。
つまり、植民地台湾は日本本土の食料基地だったという事実もあるわけなんですよね。
末永は確かに台湾の農民に富をもたらしたんですけど、
敗戦まで半世紀続いた日本による台湾支配という歴史もしっかり抑えていきたいですよね。
光と影と言いますかね、両面をしっかり抑えて理解したいですね。
ぜひそうしたいと思います。
末永恵宗の功績を伝える胸像と郷土の誇り
ところで、末永恵が亡くなって90年近くになるんですけど、実は今でも末永恵に会えるんですよ。
会えるってのはどういうことですか?
変な話なんですけど。
先ほど末永は台湾に渡る前、福岡県の農業試験場に勤めていたと紹介しましたが、
その試験場は、現在は築志野市にある福岡県農林業総合試験場なんですよ。
その試験場の資料館に、末永の胸から上の胸像が置かれているんです。
ここで台湾の実業家が末永の功績をたたいて寄贈したものを送ったものなんですよ。
日本と台湾の友情を示すもので、機会があればぜひ私も見に行きたいなと思ってます。
今日、日本が台湾を植民地支配した時代の出来事を紹介してきましたけど、
植民地支配という事実はありますが、
農業技術者だった末永は、自分の知識と経験、そして情熱を純粋に米の品種解凍のために注ぎ込んだんだろうと思います。
私たち福岡県に住む一人として、郷土の先人の功績をこの機会に改めて伝えたいなと思います。
その先人の功績というのがあったからこそ、
昨年、日本が米に困った時にも、台湾からお米で助けられた部分もあったということですもんね。
番組エンディングとポッドキャスト紹介
飯田さん、ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
この時間は、元RKB開設委員長で、福岡女子大学副理事長の飯田和夫さんでした。
聞きたいラジオ番組、何にもない。
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