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毎週木曜日のこの時間は、飯田和郎のブラッシュアップです。
今日のテーマは、一人の女性の死去から戦争を考える、ということだそうですね。
亡くなったのはごく普通のおばあちゃんです。
日中関係に関わってきたもの、それを調べてきたものにとっては忘れてはならない存在。
ぜひ今日はこの話をしたいと思いました。
では、記事からお願いします。
小野さんに読んでもらっていいですか?
はい。旧満州、現在の中国東北部で、日本の敗戦直後、開拓団を襲撃から守るため、旧ソ連兵に対して正接待をしたと証言した岐阜県偶像市の佐藤晴江さんが、今月18日、浪水のため死去しました。99歳でした。
当時のソ連の兵隊への正の接待、そして終戦直後、かつての満州と、詳しく伺っていきたいなと思います。
今、田場さんが挙げたポイントで、話の内容を指す方もいると思います。
亡くなった、今説明になった佐藤晴江さん、ソ連兵を相手に正の交渉を強いられた。
それは仲間を守るために。
そして、その辛い経験を自ら語り続けたという話です。
歴史的な背景から申し上げますと、日本は昭和7年、1932年ですが、中国の東北部に傀儡国家、満州国を作りました。
その満州国での生産性を高めるために、日本人を送り込んだんですよね。
日本国内で生活に困った方々が、開拓団として満州に移住したと。
満毛開拓団という言葉を聞いたことがあると思うんですけど、日本からなんと27万人が海を渡ったと。
晴江さんが暮らしていた岐阜県の黒川村も多数の村民を送り込んだんですよね。
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黒川村だけでも600人以上が加わったということです。
その中で晴江さんが満州に行ったのは、いくつぐらいの時だったんですか。
昭和18年、18歳の時でした。
晴江さんは両親、祖父母、自分の弟とともに6人で現在の中国の吉林商の村に入職しました。
戦争が終わるのは昭和20年8月ですので、入職から2年後ということになります。
終戦前後に国境を越えて、ソ連の軍隊が満州へなだれ込んできたということですよね。
満州に置かれた日本の軍隊は、関東軍と呼ばれていました。
戦争の末期になると、日本がだんだん劣勢になってきて、
関東軍の多くの部隊は南の方に転戦していたんですね。
満州の警備は手伏になってしまった。
また、ソ連兵がなだれ込んできた時には、
日本の軍隊の大部分は同じ日本人の海賊民を置き去りにして、先に逃げてしまったということもありました。
そういう混乱の中で、ソ連の兵隊への正接待が始まったということなんですか。
終戦の時、ハルエさんは20歳でした。
海賊団の若い男性たちは、すでに現地で兵隊にとられていました。
現地の中国人の住んでいた方々からの襲撃、落脱などが海賊団に続きました。
そういう中で、残された海賊団の幹部が、ソ連の兵隊とある交渉をすることになったんですよ。
つまり、海賊団を守ってほしいと。
ソ連側に頼んだわけですよね。
その代償に、女性を差し出すと。
ハルエさんが未婚の女性たちは、海賊団の幹部から指示されました。
その指示の内容を、生前マイン新聞の取材に答えています。紹介したいと思います。
夫が兵隊に行っている家の嫁さんには頼めないから、あんたらが犠牲になってくれ。
未婚の女性15人。1ヶ月半ほど、ソ連兵の相手を務めたということです。
当時15人というのは、17歳から21歳なんですよね。
海賊団が共同生活する場所の一角に接待するというスペースが作られていました。
ハルエさんはこうも語っています。
仕方がありませんでした。反発は一つもできなかった。
海賊団を守るために犠牲になりました。
差し出されたという格好ですよね。
生きて日本に帰るためにという思いがあったんですよね。
ハルエさんの海賊団の隣の地区には、熊本からの海賊団が入職していたんですよね。
ここではほぼ全ての日本人の海賊民が毒を飲んで、一方で家々に火を放って自決しました。
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隣にあったハルエさんの海賊団もその知らせを聞いて、自分たちも自決すべきだという意見が出たんですよね。
しかし、ハルエさんのお父さんが、そんな簡単に命は捨ててもいいものじゃない。
日本に帰ろうという声をあげて、こういう事態になったということですね。
結果、ハルエさんたちが帰国できたのはいつ頃なんですか?
終戦から1年が経った昭和21年の9月です。
先ほどソ連兵の相手をした未婚の女性が15人と申しましたが、このうち4人は性病などが原因で現地で亡くなっているんです。
先ほど紹介したハルエさんのお父さんも、なんとか生きようという声をあげたお父さんも現地でチフスで亡くなっています。
そういう苦難があったわけですけども、その後に岐阜県にようやく帰ってこれたということですね。
ただし、満州で起きたこういう事情はすぐに噂として広がって、ハルエさんはこういうふうに呼ばれました。
満州街の汚れた娘たち。
故郷にいずらくなったハルエさんは居住地を移して暮らしました。
そこでご主人と知り合って、事情を理解してもらった後に結婚。
4人の子供、9人の孫、8人の暇子に恵まれました。
マイン新聞のインタビューの時に、ハルエさんのご長男が同席していたのですが、こんなふうに言っていますね。
母は大変な経験をして帰ってきたんだと。
でも開拓団が集団自決をしていれば、今の自分たちはいなかったんだと言っていますよね。
その通りですよね。
ハルエさんが満州での出来事をやっと語れるようになったというのは、最近なんですか?
今から10年くらい前、2013年ですね。
公の場で語るようになりました。
その時こんなふうな話もしています。
なかったことにはできません。恥ずかしいことじゃない。戦争では馬鹿げたことが起きるのです。
ハルエさんはもう80歳を過ぎていました。
ですからもう時間がないって思いが強かったようですよね。
出身地の岐阜県の村には、この清雪帯の事実を後世に伝えるための秘文が設けられています。
私も数年前に見学したことがあるのですが、清雪帯を強いられた女性の中でも、
満州での出来事を語り続けた一人がこの佐藤ハルエさんだったのです。
そのハルエさんが亡くなったということで、私はぜひともこの話をしたいと思って取り上げました。
なかなかこんな経験をされたことを伝えるっていうのもできることじゃないでしょうね。
話はそれなんですけど、最近の出来事で保守系の論者である櫻井義子さんが、
先日ご自身の旧ツイッターでこんな投稿をしたんですよね。
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あなたは祖国のために戦えますかと。
多くの若者がNOと答えるのが今の日本ですと。
安全保障を教えてこなかったからです。ネット上でいろいろな議論が今出ていますね。
もちろん安全保障は大切です。
だけど一方で影響力のある論客が、あなたは祖国のために戦えますかと言って、
国のために戦って、その延長戦として準じてしまうことも厭うなという意味のことを発言していいのかと私は思いますよね。
やっぱりこんな世の中ですから、どうやって戦争をしないようにするのかということをまず考えたい。
今日は話した内容は、満州へ国民を送り込んだ国家また軍隊は、その国民を置き去りにしたと。
国は時としては国民を守ってくれないんですよね。
そして生きるために、今日話した悲しい出来事が起きてしまったと。
どうしても今日はこの話をしたかったです。
戦争がもたらす悲劇で終戦って8月15日って言われますけど、実はその後もいろんな悲しい出来事が続いている歴史もあるわけですよね。
そんな戦争を二度と起こしてはいけないっていうのがやっぱり日本の教訓だと思いますので、
やっぱりその平和への思いっていうのは常々伝えていきたいですよね、後世にもね。
ここまで飯田和夫のブラッシュアップをお送りしました。
落語家の立川翔子です。
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