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ミツマタ浮かぶ幽玄の森 野登山
2026-07-06 18:08

ミツマタ浮かぶ幽玄の森 野登山

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この音声は東海地方の情報サイト「いちのトレッキングブログ」の山行記事を元に生成しています。

生成元 : https://ichi-trekking.com/mitsumata-omote/

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今から、あなたも一緒に、薄暗くて静まり返った森の中を歩いていると想像してみてください。
はい。
すると、えーと、突然ですね、何千もの黄金色に光るオーブみたいなものが、目の前の空中にふわふわと浮かび上がるんです。
黄金色のオーブですか。なんかファンタジー映画のワンシーンみたいですね。
ですよね。でもこれ、VRゲームの話でも夢の中の出来事でもなくて、日本の山の中で実際に出会える光景なんですよ。
まるで別世界に迷い込んだかのような体験ですね。あの、私たちは普段、人間の生活圏と大自然ははっきりと分かれているって考えがちじゃないですか。
えー、まあ、そうですね。
でも実はその境界線ってもっと曖昧で、歩きを進めるごとに心理的な変化をもたらす、いわばグラデーションになっているんですよね。
そう、まさにその境界線を越えていく心理こそが今回のテーマなんです。
なるほど。
今回の深掘りでは、東海地方の登山情報を発信している市のトレッキングブログに記録されたある一日の体験を一緒に読み解いていきます。
楽しみですね。
はい。そして今回は私自身がこのブログの筆者であり、登山歴10年、200座以上の長に立ってきた一という人物の目線に完全になりきります。
おー、それは臨場感がありそうです。
ええ。あなたを三重県の矢野登山へお連れして、情熱的にお話ししたいと思います。
標高851メートルのこの山に隠された、息を飲むような三股の森を目指す8キロの旅です。
準備はいいですか?さあ、靴紐をしっかり結んで出発しましょう。
このルートの面白さって、単に美しい花を見るだけじゃないんですよね。
そうなんです。
人間の営みから手つかずの自然へ、そしてまた歴史ある信仰の道へとレイヤーが次々と切り替わっていく点にあるんですよ。
まさにその通りです。物語の始まりは午前10時半です。実はこの日ちょっと寝坊してしまって。
ああ、ありますよね、そういうこと。
はい。駐車場はすでにほぼ満車で、なんとか車をねじ込んだという、かなり現実的でバタバタしたスタートだったんです。
そこはすごくリアルですね。
ええ。でも歩き始めて数分で景色が一変するんですよ。
まず目に飛び込んでくるのが坂本棚田という場所です。
坂本棚田ですか。
はい。日本の棚田百選にも選ばれたおよそ440枚にも及ぶ田んぼが山の斜面に沿ってぶわーっと広がっているんです。
風が吹き抜けていく音が聞こえるような本当に雄大な風景で。
440枚も。山肌を覆うスケール感は圧倒的でしょうね。
いや本当にすごかったです。
ここで重要なのは私たちがまだ完全な自然には入っていないということなんですよ。
と言いますと。
棚田っていうのは人間が何百年もかけて自然の地形をハックして矯正してきた農業のシステムそのものじゃないですか。
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ああ確かに人間の手がしっかり入っていますよね。
ええ。つまり最も人間に近いレイヤーからこの旅は始まっているわけです。
なるほど。そう言われるとしっくりきます。
そしてその美しい棚田を横見に東海自然歩道を進んでいくと目の前に無骨な重害対策ゲートが現れるんです。
重害対策ゲート。ここから少し雰囲気が変わりそうですね。
そうなんです。ここが最初の心理的なスイッチでした。
鉄製の重いゲートでカニとフランスオオトシと呼ばれる地面に刺すタイプの二段施錠になっているんですよ。
結構厳重ですね。
ええ。金属が擦れるガチャンガチャンという重たい音を響かせながらそれを開いて中に入ってまた閉めるんです。
その音を想像しただけでもちょっと緊張感があります。
ですよね。その瞬間なんだろう、まるでナルニアコニ物語の洋服ダンスの扉を開けてしまったような。
ああ、あの有名な。
はい。ここから先は人間のルールが通じない世界だというぞくぞくする感覚があったんです。
そのゲートの物理的な重さや金属音が心理的な境界線をより強調しているわけですね。
ええ、本当にそう感じました。
タナダという人間の生活圏から林業のために整備された軽車道へ入り、そして少しずつ人間の気配が薄れていく。
はいはい。
いきなりヘリコプターで大自然のど真ん中に降ろされるんじゃなくて、自分の足がグラデーションのように世界を変えていくんですよね。
まさにそんな感覚です。
この段階的なアプローチがあるからこそ、脳がこれから出会う異空間を受け入れる準備を整えられるんです。
確かに脳が徐々に野生モードに切り替わっていく感覚はありましたね。
で、ゲートを抜けると道中ではスミレサイシンやヤブツバキ、それに北海道のように見つけたミヤマカタバミといった春の花々が足元を彩ってくれるんです。
春の山歩きの醍醐味ですね。
はい。沢のせせらぎを聞きながら心地よく進んでいくと、ついにこの旅の最大のハイライトに突入するんです。
おっと、いよいよですね。
視界の奥にチラチラと黄色い色が見え始めたかと思うと、突然として目の前を埋め尽くすミツマタの大群星が現れました。
視界が一気に黄色に染まる瞬間ですね。それは素晴らしい。
今聞いてくれているあなたは、「なんだ、ただの黄色い花の群星でしょ?」と少し怪異的に思っているかもしれません。
なあ、写真で見る普通のお花畑を想像する人もいるでしょうね。
でも違うんです。このミツマタの花、空間にぷかぷかと浮いているように見えるんですよ。
浮いているですか?
はい。私は最初、登山の疲れか標高のせいで自分の頭がふわふわして眼角でも見ているのかと思いました。
それはすごい錯覚ですね。
ええ。カメラのピントを花に合わせて背景の暗い森をぼかすと、本当に有限の世界というか、光の玉が浮遊しているようにしか見えないんです。
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あのー、それは標高のせいではありませんよ。完全に植物の生態と視覚のメカニズムが引き起こす錯覚なんです。
錯覚ですか?
ええ。一般的な花畑、例えばヒマワリやチューリップなどを想像してみてください。
はい、想像しました。
必ず緑色の葉っぱと茎のラインが視覚に入ってきますよね。それによって地面から生えているという構造を脳が認識するんです。
ああ、そうか。ミツマタってこの時期、葉っぱが全くないですよね。
その通りです。
枝の先にポンと丸い花だけがついているんです。
ええ。ミツマタは花が先に咲いて、葉は後から出ます。さらに枝そのものも細くて樹皮が森の背景色と同化しやすいんですよ。
なるほど。だから茎が見えないのか。
そうなんです。だから薄暗い森の中で明るい色の丸い花だけが視覚的なコントラストとして切り取られるんです。
しかもこの時は再生期を少し過ぎていて、色が抜けた白い花と黄色い花が混ざり合っていたんですよね。
まさにそうです。白と黄色が入り混じっていて、それが余計に不正義な奥行きを出していました。
暗闇の中に異なる明るさの光の玉が点在していると、人間の脳はそれを空中に浮かんでいる発光体のように誤認しやすいんです。
へえ。
これがあなたが感じた強烈な浮遊感や優厳さの正体なんですよ。
なるほど。植物の生態が天然の錯覚アートを作り出しているんですね。
ええ。本当に自然の魔法です。
尾根へ続く狭い登山道を、その光の玉を散らさないように隙間を縫って歩くのは、本当に緊張感がありました。
足元にも気をつけないといけませんしね。
はい。そして急な尾根まで登りきって、そこから斜面を見下ろした時の衝撃といったら、
どうだったんですか?
三股の花って、下や横を向いて咲くんです。
だから上から見下ろすことで、視界いっぱいに葉弁の黄色が広がって、まるで黄金の天の川を上から眺めているような絶景でした。
黄金の天の川。それは美しい表現ですね。
これまで百座以上の山に登ってきましたが、こんな圧倒的なボリュームと非現実感は初めてでした。
それほど強烈な体験だったわけですね。
しかし山の面白いところは、そんな夢のような非現実を味わせた直後に、容赦なく物理的な現実を突きつけてくるところなんですよ。
いや、本当に容赦なかったです。天の川の要因にふさる間もなく、ここからは過酷な登りが待っていました。
登山ですからね。やっぱり登らないと。
ええ、同行者のシナとの道中なんですが、シナは三股に夢中になっているときは元気だったのに、岩が露出する本格的な登りになった途端、見る見るペースが落ちてしまって。
ああ、急な斜面はきついですからね。
完全にバテてしまったんです。太ももはパンパンで息も絶え絶えという感じでした。
でも私が、あそこを登りきれば平坦な場所に出るよと声をかけたら、平坦な踊り場が見えた途端、急に走り出したんですよ。
おお、急に。
ええ、さっきまでの一歩も足が出ない状態は何だったんだって本当に驚きました。
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それはですね、肉体的な疲労と精神的なリミッターの関係なんですよ。
リミッターですか?
実は、私たちがもう一歩も動けないと感じるとき、本当に筋肉のエネルギーがゼロになっているわけではないんです。
え、違うんですか?あんなにもう無理って顔をしてたのに。
人間の脳は非常に優秀な防衛システムを持っていまして、筋肉が完全に破壊されたり、エネルギーが完全に枯渇したりするずっと手前で、これ以上筋肉を使わないでという疲労のシグナル、つまりブレーキをかけるんです。
はあ、なるほど。
スマートフォンのバッテリーに例えると分かりやすいかもしれません。
スマホのバッテリーですか?どういうことでしょう?
ええ、スマホの充電が残り5%になると、画面が勝手に暗くなったり、アプリの動作が制限されたりする低電力モードに入りますよね。
はいはい、なりますね。
あれは、完全に電源が落ちるのを防ぐためのセーフティ機能です。
人間の脳も同じで、先の見えない急斜面が続いていると、この先どれだけエネルギーが必要か分からないから、今のうちに制限をかけようと低電力モードになるんです。
ああ、そういうことか。だから踊り場が見えた瞬間に、画面がパッと明るくなるように急に走り出せたのか、すごくしっくりきました。
面白いメカニズムですよね。
ええ。でもそんな風に、線形ボネの急斜面を杉の木に書かれた頑張ってという文字に励まされながら必死で登り切った先で、私たちの前には思いがけないものが立ちはだかったんです。
何ですか?
それが、まさかのシャドウでした。
ああ、登山の魔法が一気に現実に引き戻される瞬間ですね。
そうなんですよ。山頂付近までコンクリートのシャドウが続いているのを見て、もともとシャドウ歩きが苦手なシナは、「え?もうずっとシャドウなの?」ってすっかり機嫌が悪くなってしまって。
気持ちは痛いほどわかります。
実は私も、せっかく大地全をエンジョイしていたのに、急に人工物を見せられてちょっとがっかりしたんです。
多くの登山者が同じように感じますよ。人間は日常のストレスや管理された現代社会のシステムから解放されたくて山に向かいますからね。
はい、そうですね。
予測不可能な自然の中に身を置くことで、自分の野生を取り戻したいという欲求があるんです。
それなのに、そこにシャドウという現実社会の最も分かりやすい象徴が現れると、こうざめしてしまうんですね。
でも、ちょっと待ってください。そのがっかりする真理はわかるんですが、よくよく考えると、私たち登山者って結構矛盾してませんか?
矛盾ですか?
だって、私たちは登るために、人間が木を伐採して作った登山道を歩き、人間が設置したロープを握り、丸太の階段を登っているわけですよね。
ええ、確かにそうです。
もし本当に手つかずの野生を求めているなら、道なき道をやぶこぎして進むべきじゃないですか。
なぜロープや階段は許せるのに、シャドウや電波塔が現れたときだけ人工物は嫌だと線を引くんでしょうか。
それは非常に面白い視点ですね。実なところ、私たちが山に求めているのは、完全な野生や純粋なサバイバルではないんですよ。
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違うんですか?
ええ。私たちが求めているのは、あくまで自分たちがコントロールできる範囲でのキュレーションされた野生、つまり編集された自然なんです。
キュレーションされた野生。
はい。ロープや階段は人間の身体能力をサポートするための自然の延長として脳が巨量できるんです。
なるほど。自分の足で登る延長線上にあるからですね。
しかし、シャドウや車は人間を圧倒する機械の力や都市のシステムそのものを意味します。つまりスケールが違うんですよ。
ああ、そういうことか。
登山者は自分の足で自然と対話したいのに、シャドウはここまでは車で来られるんですよ、という事実を突きつけてくる。だから拒絶反応が出るんです。
キュレーションされた野生か。確かに自分に都合のいい自然だけを楽しみたいという人間のわがままなのかもしれないですね。
まあ、それも人間らしさですよ。
そうですね。でも、そんな風に少し現実に引き戻されながらも、矢野登山の山頂851mに着くと、展望はない小さな広場だったんですが、奥に進むと、大きな葉っぱの傘を持った、なんとも愛嬌のあるオジゾウさんが出迎えてくれたんです。
それはほっとしますね。
ええ、4月半ばなのに日陰には雪が残っていて、雪好きのシナゴがそれを嬉しそうに蹴って遊んだりして、結果的にはすごく心が和む山頂でした。
シャドウで感じたストレスも、自然の雪やオジゾウさんという風景によってまた中和されていく、感情の起伏が本当に豊かなルートですね。
はい。そして山頂でのんびりと遅めの昼食を終えて、今度は下山ルートである表参道に入ったんですが、ここから矢野登山は、息とは全く違う顔を見せてくれるんです。
どう違うんですか?
野戸地への古い分岐があったり、間の太さがシナ5人分もあるような、とてつもなく巨大な杉の木がそびえ立っていたり、そこはもう圧倒的な歴史の空間でした。
生きの三股の森が自然の脅威だったのすれば、帰りの表参道は人間の祈りの歴史ですね。
そうなんです。
かつて何百年もの間、人々が信仰のために走来で踏みしめてきた道ですからね。
はい。いくつもの苔むした石物が等間隔で参拝者を見守るように並んでいて、私たちはその落ち葉が降り積もった表参道を駆け下りていきました。
落ち葉の下りは気を遣えますよね。
ここで聞いてくださっているあなたに、私からちょっとした実践的なアドバイスを。
お、何でしょう。
枯葉に深く埋もれた下りの登山道は、地面の凹凸が隠れていて非常に滑りやすいです。こういう時は、普段より歩幅を小さくとって歩いてみてください。
小刻みに歩くということですね。
はい。小刻みに足を運ぶことで、万が一つるっと滑った時でも、もう片方の足ですぐに姿勢をリカバリーしやすくなりますから。
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それは力学的に見ても非常に理にかなっていますよ。歩幅が大きいと重心の移動くりが長くなり、滑った時のリカバリーが間に合わず転倒のダメージが大きくなりますからね。
ええ、本当にそうなんですよ。ただ、ちょっと私たちが急いで駆け下りすぎたせいか、シナはつま先重心になりすぎてしまって、足首や足の指先にダメージが蓄積してしまい、途中で呼吸死を挟むというリアルな疲労もありました。
下りは特に足にきますからね。
そうなんです。それでも何とかふもとまで降りてくると、今は道端でジロボウエンゴサクという可愛らしい紫色の花がお疲れ様と風に揺れていて。
素敵なお出迎えですね。
はい。そして再び、あの重たい金属の音がする二段瀬城のゲートを閉めて、人間界へと帰還し、私たちのコンミツな旅は終わりました。
最初から最後まで実に変化に富んだ道のりでしたね。
振り返ってみると、行きは三股という四角がバグるような自然の魔法にかけられ、帰りの標門道では石物や巨大な杉から人間の歴史の重みを感じる。
同じ山なのになぜこうも体験の質が違うのかと不思議になります。
鈴鹿山脈の中では展望がないとか、いまひとつパッとしないなんて言われがちな与道山ですが、この季節、このルートで味わう多面的な魅力は、百座以上登ってきた私でも心速打ちのめされるほどでした。
自然が作り出す一時的なアートと、人間が長い時間をかけて刻み込んだ文化、その二つがモザイクのように入り組んでいる場所だからこそ、私たちはそこに引き付けられるのでしょうね。
本当にそうですね。
今日この深掘りを聞いて、少しでも宙に行く黄金の花の群生や、静かな歴史の道を歩く情景が目に浮かんだなら、ぜひあなた自身にも現地へ足を運んで、あの圧倒的な景色を全身で体験してほしいと強く願っています。
きっと素晴らしい体験になりますよ。
もしルートの詳細や、今日語りきれなかった道中のリアルな写真が見たいと思ったら、ぜひ市のトレッキングブログで検索してみてください。
私が実際に撮ったあの天の川のような三つ股の写真や、亀山七座、東張二百座以上の記録が全てそこに残っています。きっと次の週末にリュックを背負いたくなるはずですよ。
地味だとか何もないと言われがちな山の中に、息を飲むような絶景と歴史が隠されていた今回の旅。最後にこれを聞いているあなたに一つ考えてみてほしいことがあるんです。
何でしょうか。
あなたの日常にも、毎日通り過ぎているだけの地味な道や、何の変哲もない場所がありませんか。
ああ、誰にでもありそうですね。
ええ。もしかすると、季節を一つずらしてみるだけ、あるいは歩く時間を朝から夕方に変えてみるだけで、そこにはあなただけの黄金の天の川が浮かび上がるかもしれません。
なるほど。
遠くの山に行かずとも、私たちのすぐ隣には、まだ開けられていない洋服ダンスの扉がたくさん隠されているはずです。
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今週末、通勤や散歩のルートをほんの少しだけ変えてみていかがでしょうか。
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