休日の朝早く、まだ薄暗くて凍えるような寒さの中、 わざわざ車を走らせて山へ向かう。
足元が滑る雪道で、何時間も太ももが焼き切れるような痛みに耐える。 これって普通に聞いたら、ただの拷問ですよね。
そうですね。暖かい布団の中で寝ていたい時間帯ですから。 ですよね。でも、ちょっと想像してみてほしいんです。
朝の7時の時点で、ある山の45台分の駐車場が、 まさにこの拷問をやりたくてたまらない人たちで、完全にあふれかえっているんですよ。
45台が満車ですか。それはすごい熱気ですね。 そうなんです。少し離れた観光駐車場からも、
登山靴の紐を固く結んだ人々が、次々と列をなして歩いてくるんです。 みんな、どこかワクワクしたような確かな目的を持った目をしている。
これって一体どういう真理だと思いますか。 普通に考えれば、単なる運動不足解消といった理由では説明がつきませんよね。
それだけの人が早朝から殺到するというのは、その古酷な道のりの先に人間の脳を強烈にハックするような
愛がたい報酬が待っていることを彼らが知っているからなんです。 そう、まさにそれなんです。
今日はその熱狂と報酬の正体を探っていきますよ。 今回の深掘りのソースは、あの登山歴10年、
頭頂200座以上というキネラネリの自然を愛するブロガー、 市市が運営する市のトレッキングブログです。
はい、拝見しました。 そこから三軒と四ヶ軒にまたがる標高1140メートル、
花の百名山として名高い藤原岳の黄外戸堂ルートの記録を取り上げます。 藤原岳は鈴鹿山脈の北部に位置する名宝ですね。
市市のブログ記録を読みましたが、これは単なる美しい自然の紹介や山頂へのタイムアタックの記録ではありませんでした。
って言うと? 人間の肉体的な限界とそこでしか得られない息を呑むような美しさ、
そのコントラストを通して人間の真理を描き出した素晴らしいドキュメンタリーになっていたんです。 全くその通りです。
だからこそ今回のミッションは、ただこの山は景色がいいですよとあなたに紹介することじゃありません。
なぜ人はわざまさ苦しい思いをしてまで春の山に登りたがるのか? その圧倒的な魅力と人々を惹きつけてやまない春の山が持つ魔力のメカニズムを解き明かします。
はい。 今これを聞いているあなたが思わず明日登山靴を買いに走りたくなるようなそんな衝動を届けたいと思います。
よし紐解いていこうか。 私たちも一緒に登るような気持ちでその心理的プロセスを分析していきましょう。
まず物語は大階段登山口にある神宮神社の鳥居から始まります。 標道からの入山ですね。
そうです。市さんが鳥居の前で手を合わせ山の神様に安全を祈願するんですけど、ここで最高に人間見あふれる祈りを捧げるんですよ。
あ、あそこですね。 そう、今日はよろしくお願いします。そして相棒のシナが疲れて切れませんようにって祈るんです。
ふふふ、とっても正直でリアルな登山者の心理ですよね。
ですよね。 一緒に登るパートナーのコンディションやメンタルは登山の精神、そして何よりその日の楽しさを左右する最も重要な要素ですから。
本当にそうですよね。でもその切実な祈りも虚しく容赦ない物理的な試練がすぐに始まるんです。
ええ、序盤からかなりハードですよね。 そう、フェンス沿いの緩やかな道を抜けると大きく幅を広げなきゃいけない丸太の階段が現れるんです。
登山道がだんだん堀になって左右に土手が詰まってくるっていう。 はい。
イチさんは体幹をぶらさず両肘を抱き一歩一歩踏みしめると書いています。
これ歩幅が自分の自然なリズムと合わない階段を登り続けるのって筋肉への負担が異常に大きいじゃないですか。
おっしゃる通りです。そして2号目に到達すると今度はカレンフェルトと呼ばれる石灰岩の柱が乱立する得意な風景が現れます。
はいはい、岩の上からイスブツが優しく見守ってくれているところですね。
ええ。ただこの石灰岩の道というのが実は非常に厄介なんですよ。
えっと厄介っていうのはただ滑りやすいとかそういうことですか。
それもありますがもっと深い理由があります。
石灰岩が雨水などで養殖されてできたカレンフェルトは形状が非常に不規則で尖っているんです。
なるほど。つまり平らな地面を歩くときのような無意識の歩行が許されないんですよ。
ああ、なるほど。
脳は一歩踏み出すことに足の裏の角度、重心の位置、岩の滑りやすさを瞬時に計算して体幹を微調整し続けなければならないんです。
つまりこれってどういうことかな。筋肉の疲労だけじゃなくて脳の空間認識能力をフル回転させなきゃいけないから精神的なエネルギーがゴリゴリ削られていくわけだ。
その通りです。そしてさらに3号目には古い石段が残されています。
この藤原岳は古くから信仰の山としての側面を持っているんですが、この過酷な道のりは意図的に人間の精神的なエネルギーを枯渇させるプロセスにも見えるんです。
ちょっと待ってください。ブログの中でも市さんがこれは信仰のためなのか、それとも単なる登山道整備の石段だろうかと疑問を投げかけていましたが、
どっちにしても息を切らしながらきつい階段を無心で登っているときって人はみんな修行僧のような心境になりますよね。雑念が消えてただ次の一歩を出すことしか考えられなくなるというか。
これってただのスポーツとしての登山じゃなくて強制的に何か別の精神状態に持っていかれているような気がするんですよ。
鋭い視点ですね。ここで非常に興味深いのはそれこそが俗世間から新域への移行儀式の正体だという点です。
移行儀式。
はい。人間は日常生活の中で仕事の悩みや人間関係など無数の雑念を抱えていますよね。
まあそうですね。いろいろありますから。
しかしカレンフェルトや複足な丸太の階段に乗って脳の処理能力を歩くほどたけに強制的に前振りさせられると物理的に他のことを考える余裕がなくなります。
ああ確かに今日の晩御飯のこととか考えている余裕はないですね。
そうなんです。つまり肉体的な負荷と空間認識の枯渇を利用して日常のノイズを強制シャットダウンさせているわけです。
なるほど。筋肉と脳を疲れさせることで強制的に今ここに集中させるマインドフルネスの状態を作っているんだ。だからこそ新域に入る準備が整うわけですね。
そしてその苦しい修行のような時間によって感覚がリセットされているからこそ次のステージでの小さな変化がとてつもなく大きな感動として脳に認識されるんです。
うわあそれがまさに4号目以降の展開ですね。
ええそうですね。
さあ、そして8号目を過ぎます。ここからが本当に面白いところなんだ。ついに彼らの前に斬雪地帯が立ちはだかるんですよ。
夏堂は完全に雪の中ですね。
はい。先人が踏み固めた跡があるから、金属の爪であるアイゼンはいらないらしいんですが、相棒のシナンちゃんは初めての斬雪に、踏みなくし、全然進まないよーと大苦戦するんです。
足を置いた雪が崩れてズボッと膝まではまる、いわゆる踏み抜きですね。これは本当に地獄です。
地獄ですか?
ええ。普段の土の道とは全く違う筋肉を使いますし、はまるたびに足を引っこ抜くための余計な体力とバランスを取るための体幹が急激に消費されますから。
想像するだけで太ももがつりそうです。身体的なピークを迎える9号目付近での雪は相当な試練ですよね。でも、
はい。
その極限状態の中でついに彼らは目的のものと出会うんです。真っ白な雪の中にポツリポツリと姿を表す複雑紋草と複重草。
いわゆるスプリングエフェメラルですね。
そうです。
直訳すると春の儚い命。日本の登山者の間では春の妖精と呼ばれる植物たちですね。
そう、春の妖精たち。斬雪の冷たい隙間から鮮やかな黄色や白いつぼみを膨らませて寄り添うように咲いている。
イチさんは雪どけを待ち、春を告げ幸福を招く春の妖精たちと熱狂的に語っています。
素敵ですね。
さっきまで進まないよと文句を言っていたシナちゃんも、シナ休むからゆっくり取ってねとすっかり癒されて足取りを止めている。
途中で猫のメソなんかも顔を出して疲れた心をなわさめてくれるんですが。
どうしました?
いや、ちょっと待ってください。花は綺麗だっていうのはわかりますよ。
でも、ただ美しい花を見たいだけなら、あの春のポカポカした容器の中、綺麗に整備された植物園に行けばいいじゃないですか。
はい。
なんでわざわざ黒巻の雪の中で越えながら足を踏み抜きながらこの小さな黄色い花を探す必要があるのかなって。
非常に本質的な疑問ですね。ここで非常に興味深いのは、人間の脳が持つ認知的共和と労力の正当化というメカニズムなんです。
労力の正当化?
ええ。人は自分が多大な苦労や苦痛を支払って手に入れたものに対して、無意識のうちに崩壊な価値を与えようとします。
なるほど。
これだけ苦しい思いをしたのだから、この花はそれだけ価値があるものに違いないと脳が意味付けを行うんです。
ああ、なるほど。
もしこのフクジュウソウが温かい平地の花壇に咲いていたら、間違いなくこれほどの感動は生まれません。
確かに。
さらに言えば、圧倒的なコントラストの力です。視界のほとんどが冷たく生命を拒絶するような白と灰色の雪と岩の世界ですよね。
はい、一面真っ白ですもんね。
その極限の死の世界のような環境の中で、自ら熱を持ち雪を溶かして顔を出す鮮烈な黄色。
うわー。
この過酷な環境と健気な花の姿という暴力的なまでのギャップが、花の美しさを何十倍にも引き立てているんです。
めちゃくちゃフに落ちました。
これって果てしない砂漠のど真ん中で見つけるオアシスの水が、高級レストランの水より美味しく感じるのと同じですね。
まさにその通りです。
真っ白で過酷な雪の中に咲く鮮やかで小さな黄色い花。
それはまるでここまで登り切った斧だけのために自然が用意してくれた黄金のメダルなんだ。
へえ。
だから朝7時から駐車場が満車になる。
みんなただ花を見に来ているんじゃなくて、そのコントラストがもたらす極上の感動を味わいたくて、わざわざ過酷な雪道を登りに来るんですね。
その通りです。
苦痛が多ければ大きいほどメダルの輝きは増すんです。
そして彼らの物語のクライマックスはまだもう少し先にあります。
はい、そうなんです。
登り口から3時間。
吹き溜まりの急な雪の斜面を踏み跡を蹴り込んで足場を固めながら必死に越えると、
ついに視界が開けて藤原ヤンソウという小屋に到着します。
山のオアシスですね。
そこで一里さんが目にしたのは、なんと100人以上の登山者が集い、思い思いにお昼を楽しんでいるという驚きの光景なんです。
朝の駐車場のあの熱気がそのまま標高1100メートル越えのヤンソウに大移動してきたわけですね。
そう、みんな同じ丸太の階段で息を切らし、同じ雪道で足を踏み抜き、同じ妖精に出会って励まされてきた仲間たちなんですよね。
ええ。
なんだか見ず知らずの人たちなのに、謎の一体感を感じちゃいます。
でも本当の山の木はそこからもう少し先なんですよ。
はい、ここからがまた試練なんですよね。
そうなんです。山荘から藤原岳への山頂へは、一度緩やかに下ってからまた登り返す道のり。
ここがイチさんのブログの面白いところで。
ええ。
彼が残雪は少なく踏み抜きもなさそうだと楽観視した直後、見事に深い残雪地帯に突入して、
シナちゃんがしんどりよーっと再び息焼沈するというユーモラスな絶望の光景が挟まるんです。
あははは、期待値をコントロールされか直後に落とされるという山の神様は本当に最後まで手厳しいですね。
いや本当に。でも土が出たところで一息ついてついに山頂に到達した瞬間、
目に飛び込んでくるのはこれまでの苦労をすべて吹き飛ばすような圧倒的な大パノラマです。
素晴らしい景色ですよね。
北には広大な琵琶湖とテーブルマウンテンのようなお池岳、
南には竜ヶ岳、釈迦ヶ岳、御座嶼岳といった鈴鹿山脈の名宝たちがずらりと並ぶ。
振り返ればヨーロザンティ全体が見渡せて、
さらに遠くには白山、ノリクラ岳、尾長山、
そしてなんと遠く離れた日本アルプスの槍畑までくっきりと見えるんです。
それこそが藤原岳が持つ地理的な脅威の正体です。
地理的な脅威ですか?
ええ。この山は日本のほぼ中心部に位置し、
かつ周囲に視界を完全に遮るようなオノジ高さの巨大な山脈が隣接していません。
ああ、なるほど。
この絶妙な立地条件と標高が重なることで、
北陸、東海、近畿、そして日本アルプスという、
日本の目立たる名宝が一頭に愛する奇跡的な展望条件を生み出しているんですよ。
いやもう、話を聞いているだけで興奮が止まらないですよ。
右を見れば日本一の川の琵琶湖、左を見れば日本アルプスの大パノラマ。
これってまさに日本の絶景オールスターゲームの特等席じゃないですか。
ええ、素晴らしい表現ですね。
過酷な雪道を登り切ったご褒美が、
華麗な春の妖精からの黄金のメダルと、
このオールスターゲームの最前列チケットなんて贅沢すぎます。
空間認識を奪う信仰の山の試練、
完璧に報酬設計されたジグザグ道、
雪と生命の暴力的なまでのコントラスト、
そして奇跡の地理的条件が生むパノラマビュー。