読み進めるうち、最初の「しんどい」から少しずつ見えてきた『狼たちへの伝言』の別の顔。それは、「大人になったなら、大人として生きろ」というメッセージでした。
現代の「男磨き」と落合信彦は似ているようで何が違うのか。大人も子供も同じコンテンツを楽しむ時代に、「複雑なものを複雑なまま理解する大人」はどこへ行ったのか。不条理を引き受けること、できないことをできるようにすること、自分の感性で考えること——二人なりの「大人になる条件」へ話が広がります。
そして、「戦え」「修羅場をくぐれ」というノビーの教えに、みきから根本的な疑問が。人は本当に傷つかなければ強くなれないのか? 実際の喧嘩や修羅場ではなく、「失敗のシミュレーション」で他者への想像力を育てることはできないのでしょうか。
ストレートしか投げない落合信彦/金と女と自慢を全部テーブルに乗せる/男磨きハウス/恋愛工学っぽさ/「お前の魂はどこに?」/大人と子供/ちいかわ/ドラえもん/大人向けコンテンツ/不条理を引き受ける/「できません」で終わらない/NISAをやってそうなブタ/『ヒトラーのオリンピックに挑んだ若者たち』/ボートと「狼になれ」/喧嘩は必要なのか/スポーツという模擬戦争/失敗のシミュレーション/差別への切り返しを練習する/ママさんバレーの冷戦
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サマリー
二人は『狼たちへの伝言』を読みながら、現代の「男磨き」ブームとの違いを話す。メンズコーチやABEMAの「男磨きハウス」は、鍛錬を掲げつつも、他人の方法に従えば自分を磨けるという感覚や、恋愛工学的な人間観への違和感が語られる。一方、落合信彦には「大人になったなら大人として生きろ」という強いメッセージがあり、国際情勢を理解し、複雑なものを複雑なまま考えることが大人の条件として浮かび上がる。大人になることには、不条理を引き受けることと、できないことを他人任せにせず、自分でできるように境界線を広げる姿勢が含まれる。『ヒトラーのオリンピックに挑んだ若者たち』のベルリン五輪のボート選手たちは、8人で息を合わせ、心拍数200ほどで漕ぎ続け、心が折れれば全員が終わる競技を通じて成長していく。二人は、その厳しい鍛錬を「狼になれ」という教えと重ねつつも、大人になるために本当に喧嘩や修羅場が必要なのかを問い直す。スポーツや競技のように、ルールの中で戦う模擬戦は代替になり得るが、みきは実際に傷つかなくても、対話や異文化交流、差別的な言葉への返答練習によって失敗をシミュレーションできると提案する。最後には、1988年連載の本を読んだ世代と、方針の違いでチームが解体するママさんバレーの話まで広がり、喧嘩や修羅場が社会でどう受け継がれたのかを考える。