で、この本は国目先生が目的に抵抗してみようと、そういうチャレンジングをしてる本なんですね。
これが非常に面白いので、目的というものを疑ったことないじゃないですか。
この本のマンメッセージとしては、やりたいことを見つけるには目的を捨てなさい。目的を捨てたらやりたいことが見つかると。
じゃあ何も考えずに始めろってことって思うけど、その辺りを今日3つのポイント。
だからさっきのオコモトローの本のちょっと哲学的な補足にももしかしたらなるかもしれない。
っていうポイントで、3つのポイントで紹介していきたいと思います。
まず一つ目なんですけど、さっきも言いましたけど、そもそも僕らは目的というものを妄信してるわけですね。
目的って、なんか目的?目的の中身というより目的なんか立てるなとか怒られたことあります?
目的立ててないからダメなんだよとか聞いたことがある。
基本そうですよね。だから別に目的はいいものだっても、別にそれを無自覚に思ってるし、それをわざわざ疑おうと思ってもない。
なんかさ、今思い出したんだけど小学校でもノートの初め目当てって書かなかった?
まさに目当てですね。
目当てってあったね。
あったね。今ね、ふわーって呼びかえってきちゃって嬉しくなっちゃって。
嬉しくなっちゃって。
あったよね。目当てって書こなかった?
ひらがなで書いてたんだっけあれ。
なんか目当てってありますね。
ひらがなで書いてた気がする。絶対ノートの最初にさ、あれを可愛くするのにすごい時間かけてたのに。
そっちがすごい。
そういう考えで僕ら学校教育からある種すり込みを受けてるわけだよ。
確かに。
何の時間にするか、何のためにやるかみたいなこと。
で、目標を持とう。人生の目的を見つけよう。ゴールを明確にしよう。
それ僕らは当たり前だと思って疑ってない。
でも持ったからといって変わるかって言ったら、変わってないよねっていう。
あれ、じゃあ目的これそもそもおかしいんじゃねえの?っていうことなんですよね。
で、僕の周りにも例えば相談が来るんですよね。
IKEAさんの周りにも来るけど、SNSやりたいです。
AI使って何かやりたいですって。
そう言われた瞬間に僕もついゴールは何ですか?目的何ですか?
いつまでに何達成しますか?って聞いちゃうんですよ。
それは一つ便利なんですよね。
確かに便利なんだけども、だからといってこれが必ずしも助けてくれるものではない。
例えばギターを弾いてみたいっていうのは、弾いてみるだけでもいい。
でもただそこでついそれでお金になるなとか。
それ動画に出すの?とか。
それでYouTuberにもなるの?っていうような流れが出てきたりするじゃないですか。
弾いてみたいという気持ちよりも、弾いた先に何が得られるのか。
結局目的のところに戻ってきちゃうんだよね。
この本の序盤で国文さんが自分のことを書いてあって、
国文さん自身も哲学に対して目的という概念そのものを疑う議論がある。
それを知ってた。
でも以前はその意味が理解できなかった。
国文先生すら目的を疑うという意味があまり分かってなかったって文字に書かれてるんですね。
目的がないと仕事も生活も考えにくいくらい深く当たり前に入り込んでるので、
OSみたいな感じですね。
それが目的みたいなものはなかったら、そもそも何もできないみたいな感じにそこまで来てる。
だからそれが当たり前すぎて疑ってもない。
例えばあれ子さんもそうですけど、
自分が何かやりたい時とか他人が何かやりたい時に目的は何ですかって聞いちゃいます。
気になっちゃいます。
気になっちゃいます。
それそうですよね。
それがないとやっぱりずれた方に行っちゃったりとかするよね。
脱線したりとか。
コーチングされてますけど。
やっぱりもし達成したいものがあるならその目標を明確にした方がもちろんそこに。
最短って言い方はあれだけど、できるだけ回り道せずにたどり着けるっていう理論はあるよね。
そうですよね。
だからさっきの池谷さんの話もそうだけど、
池谷さんもたぶんブログやるとか何か次やるっていうのは何となく目的じゃないですけど、
こうしたらこうなるかっていうのは持ちつつやってるのもありますから。
まあそうでしょうね。
目的自体が悪いわけでは決してないんですけど、何かこれがつっかかってる場合もあるよねと思って。
国分先生自身実は哲学を専攻してたわけじゃないんですよ。
政治系だったのかな最初。
ただそのやつがあんまりしっくりこなくて、仲間うちで集まっていわゆる古典ですよ。
資本とかそういったのをみんなで読んでそれを話し合うことをやってたら、
それで哲学の方に目覚めていって、今はその哲学者になっているっていうところもあるので。
結構割と自分たちの経験を見返してみると、目的からずれたところで達成してるものも観察すればあるんですよね。
だからまず一つ目のポイントとしては、まず目的みたいなものを一瞬疑ってないってことに気づく。
そしてそれを疑ってみようっていうのが一つ目のポイントです。
ここからこの本めちゃくちゃ面白いところなんですけど、
2つ目、目的があると手段とか我慢を正当化してしまう。
だから一つ目のポイントで目的って疑ってないよね。
じゃあ目的の何か悪い側面というか目的の正体ですね。
良いものと思ってたのが実は目的というような手段とか我慢を正当化してしまう。
ここにイタリアの哲学者アガンベンが出てくるんですよ。
僕も知らなかったのでこの本で初めて知ったんですけど、コロナ禍がありましたね。
2020年から2024年ぐらいですか。
この時にアガンベン、イタリアの哲学者がめっちゃ炎上したんです。
ツイッター上で。
何を言ったかというと、今の状況やべえだろみたいな。
みんな感染を止めるために移動の自由とか制限されて、
それをすんなり受け入れてるのやべえんじゃね?みたいなことを書いたんですよ。
そしたら、お前医療機器みたいなのが出てくるじゃね?みたいな感じでモカモトとあるじゃないですか。
めっちゃアガンベンさん叩かれたんですね。
ここから国分さんが論考を始めてくれていて、
コロナ禍にあったのがまず不要不急という言葉がめっちゃ出たじゃん。
不要不急の外出は控えましょう。
何が不要不急なのかわからんみたいな。
ここから目的について考えてくれてるんですけど、
イタリアの哲学者ジョルジョアガンベンさんが炎上していて、
命を守るためだったら人が生きる上で大切にしたものをどこまで諦めていいんだろう?
あの時人に会うこともできなかったし、
志村健さん亡くなったけど、家族すら志村健さんと最後会えなかったんですよ。
あとは移動の制限ですよね。
マスクとかもそれもあったかもしれないけど、
アガンベンが問題にしたっていうのは、生存を最優先にする中で、
そうしたことまで簡単に手放してしまう社会。
すんなりと受け入れている社会。
そこに対して出てくるのが、むき出しの制度。
生きるの制度ですね。むき出しの制度。
文化的な営みとかあるわけじゃないですか、僕らにとっては。
例えば今今日バンダナをされてますけど、
スカーフか。
スカーフがなくても不要不急じゃん、スカーフは。
不要不急です。全然急ぎじゃん。
じゃあもう別にみんなユニプロの服着て、それでみんな生きたらいいじゃんって言うけど、
文化的活動だ。
そうそう文化的な活動で、
だからそのむき出しの制度ってアガンベンが言ってるのは、
そういう不要不急のものだったり文化的なものを全部ごっそり外して、
ただ生存のためだけにいるようなもの。
これむき出しの制度。
むき出しの制度だけでいいのか。
そんなものをすんなりと言われたからといって、
受け入れていいのかということを言って、
めっちゃ炎上した。
人が死んでるんだからみたいな。
感染広がったらどうすんだみたいな。
当時はね、そんな感じだったんです。
実際僕もコロナ禍で結構移動してたじゃん。
セミナー行ったりとか。
むっちゃイライラしてたよね。
むちゃくちゃイライラしてた。
きついぐらい隣にいるのが。
本当に山手線でマスクしてなかった時に、
周りでジロジロジロジロ見られてたりとか、
ホテルのビッフェってみんな覚えてる?
なんか取るのが毎回エンボス手袋して、
シャシャシャって。
元に戻ったら、食べる時もスクスクして食べて。
元に行く時もマスクつけて。
はぁ?みたいな。
そのためにイライラするんだよ。
ホテルの人も仕事だし言ってくれるのはわかるけど、
お前それマジで思って俺に言ってるのか?みたいな。
結局大丈夫?ってなってさ、
今もコロナ増えててインフルがすごい増えてるでしょ?
誰も気にしてないじゃんか。
むちゃくちゃイライラしてた。
よくぞ言ってくれたと思ってた。
何年もずっとイライラしてた。
でもこれ大事な抵抗だと思うんですよね。
別に大事だと思う。
ルールを守る日本人的なところもあるけど、
でもそれをすんなり受け入れてしまうところって、
ちょっとやべえんじゃないかと。
例えばちょっと話変わりますけど、
映画とか映像の中で面白いのがあって、
お金をあげるから、20ドルあげるから、
この四角の枠の中に立ち続けてくださいみたいな。
若者がね、おじさんからそういう風に言われて、
ここに立ってるだけで20ドル、100ドルくらいとかもらえるのみたいな。
じゃあ立ちますみたいな。
次の日も来て、また今日もどうぞ。
ここにいるだけですか?やりますみたいな。
って言って40年経つみたいな。
え?
なんでそこに立ったまま?
トイレ大丈夫?
吸っちゃってごめん。
トイレ行ってると思うけど。
うん、行ってる。
でもさ、これ例え話で、
会社辞めたいと思ってるとか、やりたいことがあって、
それを会社辞めてやろうかと思ってる時に、
でも生活費毎月20万40万もらえるから、
会社に行ってその席を守って仕事を守る。
大事なことだよ。
でもそれは一つ表してるよね。
なんでずっとそこにいるの?って言われた時に。
嫌って、だって結構いいじゃん。
仕事嫌って言って、辞めたいって言ってもやり続ける人って結構いいじゃん。
それって本当にまさにさっきの公園とか広場でさ、
四角の枠に立ち続けたら200ドル。
なんでそこにいるの?離れればいいじゃん。
でももらえるからみたいな。
でもさ、僕らはそれを、
会社のことだったらすんなり受け入れるけど、
公園のことだったらちょっと疑問に思う。
この違い何?ってことなんですよね。
でも目的があるじゃん、みんな。
生活をするため。
20万稼がないといけないし、
その目的があるから、
じゃあ会社に行くのは当たり前だよねって。
なぜかすんなりそこは行く。
だけど、四角の枠に立ち続ける。
離れたらいいじゃん。
一緒じゃん、だってお金がもらえるからって。
本当だね。
そうなんですよ。
だから僕らにとってすごく目的があったらすんなり入れてしまうし、
その目的はまさに手段をただ正当化する。
我慢を正当化するものでしかないんですよ。
目的はそんな好調なものではないかもしれないんですよね。
そう、面白くないですか。
で、ここからまた別の哲学者、
ハンナ・アレンとか出てきて、
ハンナ・アレンとかまさにここに対して鋭い定義をしてくれてる。
人間の条件っていう本の中にあるんですけど、
まさにさっき言った目的は手段を正当化する。
っていう風に言ってる。
目的って素晴らしいとかって思うけど、
お金を得るためだからここに立ち続ける。
安全のためだから移動する自由を制限する。
その我慢を受け入れる。
そのためなんだからこの行動我慢必要だよねって
納得する風になってしまうということなんですよね。
これはアガンベンさんが言ってたように
結構気を付けないといけない。
僕らは移動の自由をどちらかと言うと
獲得しようとし続けてたわけじゃないですか。
当時ドイツのメルケル首相とかも
コロナ禍で移動制限があることに対して
かなりそういう遺憾の思いを持ちながら
インタビューで話してたっていうのがあるらしいんですよ。
要するにドイツって東西ドイツに分かれてて
移動ができなかった。
やっと僕たちは移動の自由を手に入れた。
その移動を制限しないといけない。
移動の制限って本当に人間の根源的な権利である。
それを分かった上で
メルケル首相は話したらしいんですね。
コロナの時に。
だからそれを僕らは分かっとかないといけないよね。
この自由は当たり前じゃないみたいなね。