どんなにうまくいかなかった人も、思考を変えれば現実が変わる、本音倶楽部。
この配信は、聞くだけで人生がまるっとうまくいく、をテーマに、
一般社団法人思考の学校上級認定講師の、はらだみやびが、
思考の仕組みについてお伝えしているポッドキャスト番組です。
では、7回目の今回は、
親の敷いたレールの上を歩かされてきた人生だった、は本当?
という話について、思考の解説をしていきたいと思います。
はい、前回はお子さんの話をさせていただきましたけれども、
今回はまた親の話ですね。
これはシンプルな回になっちゃうかなと思うんですけれども、
もっと詳しく納得いかないという方がいらっしゃれば、
お問い合わせフォームだったり、月に1回開催しているおさらい会という会とかに、
よかったらご参加いただけたらなと思うんですけれども、
思考の仕組みというお話をここではお伝えしておりまして、
思考が100%現実化しているよという仕組みをお話ししています。
その中で、私たちの人生で、ない、足りないと思っていること、
なんでこれがうまくいかないんだとか、
本当は○○という現実が欲しいのに、
どうして○○になっちゃうんだと思っちゃうような出来事を作っているのは、
大元は私たちが両親をどう思っていたかというところに
ひもづいていくんですよというお話をしています。
例えば、私がこれまでお話しさせていただいた中では、
生まれた時から両親に会っていないんですという方もいらっしゃるし、
お父さんにお会いしたことないんだ、お母さんにお会いしたことないんだ、
自分はお寺に出たんだという話も聞いたことがあるんですけれども、
そういう方でも、皆さんここまで生きてきた中で、
まず生まれたということでは両親がいらっしゃるわけじゃないですか。
だから、ご自身の中でお父さんお母さんをどう思っているかということが重要になってくるわけですね。
例えば、よくわからないということでもいいんですけれど、
そこをもうちょっと見ていくんですが、
一方で、両親はだいぶ前に多戒していてという、
本当に高い年齢だと80歳の方からご相談いただいたこともありますけれども、
そういう方もご自身の中にいらっしゃるお母さんとお父さんについて見直していくということが、
ご自身の現実を今日から変えていくということにすごくつながっていくんですよ。
そういったお悩みの中で両親のことを思うというか、お話ししていくわけじゃないですか。
一定の方がこういうお話しされるんですよ。
私は両親があまり好きでなくて、なぜかというと、
親は自分に自由を与えてくれなかった。
何でも決められて、親の敷いたレールの上を歩かされてきたような人生だった、みたいなね。
そのふうにおっしゃる方が一定数いらっしゃいます。
一定数って表現いいのかな、と言っていらっしゃるんですよね。
そこの言葉のメッセージって、
私には自由がなかった、私は選べなかったって、
本当は私は親の敷いたレールじゃなくて、
自由に選びたかったのに自由がなかったって思うようにならなかったことが起こっているわけじゃないですか。
そうすると、これって被害者意識なんですよね。
この被害者意識が一方だと、私たちは自分の今の現実を変える力がなくなっちゃうわけなんですよ。
この人たちが、このような思いを感じていらっしゃる方に、一つ考えていただきたいことがあって、
違う場面ではね、私が今からお話しする内容ではなくて、
あ、それは辛かったねって言って、ここからは大人になったから、自分で自分の選びたいものを選んでいいんだよっていうね、
そういうお返しもあるかもしれないと思うんですよ。
でもね、それだと、やっぱり両親が、どちらかでもいいですけど、どちらかに自由に選ばせてもらえなかった。
そんなかわいそうな私は、これここで思いを伝えられて、だからこそ私は私に自由を与えてあげるんだっていう、
なんかこうシンデレラストーリーになっちゃう。
で、被害者がいるっていう、自分の思いを伝えられて、
で、被害者がいるっていう、自分の思いを伝えられて、
で、被害者がいるっていう、被害者が私がいるっていう状況になっちゃうと、
繰り返しますけど、自分で現実を変えていくっていう力はなくなっちゃう。
繰り返しますけど、自分で現実を変えていくっていう力はなくなっちゃう。
あんまり多くなくなっちゃうんですよ。
じゃあ、どんなところを見直したらいいのかというと、
よく思考では、得てる結果が目的なんですね。
そうすると、親の敷いたレールの上を歩きたかったり、
そういった例の上を歩きたかった自分がいるわけですよ
えーそんなことないよって思われるかもしれないんですけれども
私たちって何回も言ってますけれど
この現実を作っている自分っていうのは
小学校1年生ぐらいの自分だとちょっとイメージしてみていただきたいんですよ
幼稚園ぐらいの自分を思い浮かべたときに
なんか幼稚園に行きたくないなーって言ったら
お腹痛いみたいな感じで
本当にお腹痛くなってきちゃったみたいなこととか
ずっとお母さんとお父さんが弟ばっかり目を向けてて
こっちも見て欲しいのにって言って
ジャングルジムが起こしてきちゃう現実作っちゃうみたいな
ガチャって言ってわー助けてーみたいな
わかります?
自分を見て欲しいからお皿を逆さまにしちゃうとか
そんな感じで私たちって
お皿を逆さまにしちゃってご飯食べれるのがなくなっちゃったりとか
ジャングルジムが起こしてきちゃったりとか
そういうお腹が痛くなっちゃうのとかって嫌に思いますけれども
でもそんなことよりも全然違う
感情優先で考えた気持ちが得たいメリットっていうのがめちゃめちゃ大きいんですよ
見て欲しいっていう
それが最大のメリットになっちゃうというところがあるとします
あると考えた時に
親の敷いたレールを歩きたい自分というのがいなかったかなってことです
もっと言うと
決められない
自分で自分の人生の責任を取りたくなかった自分がいないかなっていうことなんですよ
一応私がこれまで3ヶ月実践講座とかを通して
いろんな方のこれまでのこととか
志向でお話をさせていただいている中で
やっぱりこの親の敷いたレールの上を歩かされてきた
ここまでいかなくても
私はすごく自由がなかったとか
お母さんが何でも決めちゃってきたっておっしゃる方は
本音のところでは
決めるのが結構怖い方が多いんですよ
臆病な方が多い
どうですかね
ちょっとわかるかもっていうこともあるかな
つまり自由がないっていうことには最大のメリットがあって
誰かのせいにできる感じで
自分のことを決めてもらえるわけですよ
だから最大のメリットは自由
自分で決めてもらえる
それによって自分が嫌だなって思ったことがあった時に
お母さんのせいだ!お父さんのせいだ!って言えるわけですよね
なのでこれは嫌ですよね
本当嫌ですよね
ここでの考え方としては
親の敷いたレールの上を歩きたかった自分がいて
自分で自分の人生に責任を取りたくない
誰か決めて!っていう気持ちが
お母さんのせいだ!っていざとなったら言い訳したかった
自分が幸せになれない理由は
誰かのせいにしたかった!っていう
決められない自分の本音がなかったかな
ということについて考えていただきたいなと思います