えっとね、なんか最近また、ちょっとまたそれに関連?関連もしてないんやけれども、本を読んで、面白かったので、ちょっと共有したいなという、あれがあって。
タイトルが、「中国語は楽しい。過去から世界を眺める。」
過去?過去っていうのは、なんていうんですか?
あんまり使わないよね。中国語の、まあなんやろう、中国語ってすごい、実は、中国語をしゃべる人たちは、中国語しゃべってるっていうふうにあんまり辞書しなくって、
福建語とか、ちょっと違ったら、読んだばっかりやのに、あれなんだけれど、それぞれの自分のしゃべってる地域とか、自分がしゃべってるよっていう言葉を、普通語とか、漢語とか、漢語はなんか中国政府が大概的に使う言葉らしいんだけど、
だから、普通語とか、普通語は違うな、ごめん。まあ、普通語か、普通語がとかって言ったりするんやけど、中国以外の場所で使用される中国語のことを、中華語で言葉の、なんとか語の語で、華語って言うらしいんやんか。
だから、これはその、中国のいわゆる標準語というか、の普通語のことも、この本の中で扱われてるんだけれど、というよりもむしろ、その中国本土の外で使われてきた中国語の編成とかを見ることによって、その中国という、なんやろう、中国語という巨大な、
いろんな多面的な言葉の持つ味わいを楽しもう、みたいな本。
なんかそれを聞いてるだけで興味深い。
そうそうそうそう。だから、いわゆる言語本っていうのとはちょっと違って、
言葉の紹介とかに、あまり紙幅がさかれてるというよりもむしろ、その、華語、いろんなところでしゃべられてる華語がどういう経緯で、形作られてきて、今はどういうふうに捉えられてて、
それをしゃべる人たち自体は、自分でどう、その自分のしゃべる中国語、華語を捉えてるのかっていうようなところとかを、結構紹介してくれてる本で。
でまた、そういうとちょっと難しい本かな、みたいな感じに感じられるかもしれないんですけど、
もうこれタイトルの通りで、この著者の新井悲文さんという方が書かれてるんですけど、
この著者の新井さんの、もう中国語って楽しいよっていうのが、すごい伝わってくるいい文章なんですよ。
なんか、まず最初に、この新井さん、中国語を、確か大学の授業かなんかで初めて触れたのかな、らしいんだけど、
その時のなんか、中国語、日本語では使わない音域というか、全然違う発音をするから、それを発音するのが歌みたいですごく楽しくて、わくわくして、
初めて習ったかえりに、その同じクラスの中国語を 履修してるクラスメイトと、
わからない、ちょっと中国語全然わからなくて、申し訳ないんですけど、またね、みたいなのを中国語で言い合って、
別れた時のその、わくわくした、弾んだ、新しいものに触れた、楽しい気持ちとかがすごい描かれてて、
もうなんかその、のっけから、もう私、大学の時、第二外国語、スペイン語を習ってて、
スペイン語のクラス、そのクラスメイトと、私もそうだなと思って、
アスタマニャナっていうのが、また明日っていうのがスペイン語なんだけど、それが楽しくて、そういうふうに言い合って帰ったりしたな、みたいなの、
そういう自分のなんか、なんていうの、初学の楽しみみたいなところも、ついたいけんしたりして、
まあすごいね、中国語がほんとに好きで好きでたまらないっていう、だからそういう思いが、文の端々からあふれ出てて、
読んでいてすごく楽しい本、っていうので、まずその時点でもうすでにすごいおすすめ。
なんだけれども、内容もまあまあすごい、私全然中国語のこと知らなかったから、もう面白いし、驚くほどの連続で、
例えば、最初こっち来て、今シンガポールに住んでるって言ったんですけど、シンガポールに来てびっくりしたのが、私たち中国語のこと、チャイニーズって呼ぶじゃないですか、
でもこっちの人、マンダリンって言うんですよ。
なんでないやろ。
そう、だから私はなんか、中国語のことシンガポールではマンダリンって言うんやね、みたいな、もう完全に思考停止してたんやけど、
そうなんやっていう。
そうしたら、そうではなくて、関東語とか、中国の南の方の方言と区別して、今の中国の普通語って呼ばれる標準語って、
北方の言葉を基礎としてる標準語を作った時に、その北方の言葉、北の方の言葉を基礎として作ったらしいんだけど、だからそれと区別して、南方の中国語のことをマンダリンって言うらしいんやんか。
でから、シンガポールって地理的な近さもそうやと思うけれど、中国の南の方の出身の方が多いから、だからシンガポールで喋られてる中国語っていうのはチャイニーズではなくて、マンダリンって呼ぶらしいのよ。
ヘヘッと思って、それももうこっちで何も知らずに中国語っていうつもりで使ってたみたいな、どの中でもなんかすごい多面性を肌を持って感じて、私が10羽一唐揚げにしてる中にも当然に多様性はあるんだなっていうところから既に驚いたり。
なんかマンダリンって果物から来てんのかね。
確かに。それはちょっとわからないので、知ってる人いて教えてほしい。
なんかきっと言われがあるんでしょうね。なぜマンダリンって言われるようになったかっていうのがきっとあるんでしょうね。
本当に本当に。
そのオレンジみたいなやつのマンダリンとなんか関わりがあるのかすごい気になるな。
確かに確かに言われてみれば。
結構その、まあそんなにたくさんではないんですけれど、シンガポールのこともいろいろ書かれてて、私今自分が住んでるところっていうのもあって、興味深くすごく読んだんだけれど、その中でもすごい印象深かったのが、
シンガポールって結構、何だろう、一党独裁だったり、トップダウンの力が強い国なんですよね。
だから言葉っていうのも、英語を公用語にする、いろんな中国語をしゃべってるけれども、この中国語を標準語にするっていう、標準語が確か英語、中国語、マレー語なんですけど、
中国語の中でも多様性がある中でこれにするっていうのを決めて、それでこう推進していったっていう、英語ももちろん英語なんて喋ってる人、母国語で喋ってる人すごく少ないんだけれども、英語もまあそういう調子でトップダウンで公用語として広めていったっていう背景があるんですけれど、
それによって結構その中国語が家で喋ってる中国語と、学校で習う中国語、だから自分の家で喋ってる言葉はそのいろんなそのルーツに応じていろんな方言で別の、
まあもう別の言葉って言われても、ヨーロッパの言葉のとかだとおかしくないぐらい離れてしまってる言葉だったりするらしいんだよね。だから英語と中国語両方を学校で習うに近いような状況にあるらしくて、シンガポールの中国語和社の人たちでも、それも私結構驚いたんだけれど、
だからそういう二言語主義っていうのがあのすごい猛烈に進められてくる中で、でもやっぱりそのシンガポールだけじゃなくて、もっとあの経済的な成功っていうのを目指したら、
まあこれからどうなるかは分からないですけれど、その中国語っていうのよりもやっぱり英語っていうのが有利だっていうふうにずっと判断されてきたっていうような背景もあって、だからその結構シンガポールで二言語だから中国語英語って習うんだけれど、中国語は結構そんなに頑張らんでもいいじゃないけど、
やっと勉強せんで済むみたいな学校が終わったら、そういうような立ち位置の言葉らしくて、だから結構、私がこう思ってたような単純な世界じゃないなっていうのもすごい驚いて、
で、実際その若い人たちっていうのは、だからそのシンガポールで標準語とされてる中国語をあの勉強する動機っていうのが薄いっていうのがあって、すごいその明確なそのなんていうのエリート主義の国やからさ、
海外の大学、まあシンガポールもまあいい大学たくさんあるんだけれど、まあいわゆる国際的なその大学ランキングみたいなのがもっと高い大学に行ってみたいなそのモチベーションが、若い人の間ではすごい共有されてて、
で、あの進学もその政府が優秀な学生にはその奨学金を出して留学させて、その博士号まで学位を取らせるっていうのを結構やってるんだけど、で、その人たちが将来どうなるかというと、まあもちろん研究者になる人もいるんだけれど、結構そのあの奨学金のその条件で帰って公務員になるとか、国に貢献するということが明記されているものがすごい多い。
だからそうなると、あのこの著者が書いててすごいわーと思って印象的やった一節なんですけど、道理でシンガポールでもらった名刺にはほぼ例外なく博士の肩書きがついてきたわけだ。まるで架橋の亡霊が21世紀の赤道直下に確保しているかのようだったっていう風に書いてて、だから本当にその、何やろう、現代の架橋みたいな感じで。
架橋ってあの中国の官僚の。
あ、そうそうそうそうそうそう、あのすごいあの、可烈なテーパーテストで選別して、官僚を選ぶっていう制度が、すごい有名な架橋っていう制度があるんだけれど、それに近いようなものを見たっていうような印象を、
だから、そういうような状況やから、
永遠にこう、そのシンガポールの中国語っていうのは英語の下に置かれた、対等な第二言語じゃなくて、対等な言語じゃなくて、下に置かれたっていう地位が、特にあの、エリートと呼ばれる階層の人の中では、認識としても無言のうちに共有されてて、優秀な学生とか生徒ほど、あからさまにその中国語を見下すっていうのがあるらしくて。
へー。
だから中国語の作家の方が、シンガポールの高校生とか向けに講演したときに、それにこの著者の新井さんが出たらしいんだけど、そしたら長州の高校生が、中国語で書いた小説、シンガポール人が読むと思ってるんですか?っていう質問したっていう。
わーすごいね。
いや、もう信じられない。でもなんか、この国の、なんていうんだろう、ある意味すごい強い光の裏にある強い影の部分だなと思って、これは本当に。
そういう話とか、だから中国国内だけじゃなく、いろんなところに中国の人が出ていって、言葉を使っていく中で、ある意味生まれてきた奇妙なねじれ現象とかのことも書かれてたりとかして、すごい面白くて。
でもすごいなんか希望っていうか、新しい風を感じるようなことも書かれてて、すごいこれ驚いたんだけど、中国語ってでも漢字って表意文字やんか、意味を表す文字で、例えば川やったら川が流れてる様子を絵にしたみたいな、記号的な漢字やんか。
だから、英語とかやと、Aはあの音とか、表音文字、音を表す文字やけど、中国語は表意文字の漢字を使ってるから、結構その方言はもう無数にあるけど、書き文字っていうのはそんなに大きく変わらないっていうのがずっとあったらしくて。
だから、書き文字を読めるっていうのは、また喋れるっていうのとは別のスキルになってきて、それが乖離がすごい離れて、なかなか読めないとか、そういうことはあったらしいんやけど、でもなんかその中国語の関西弁を書き文字にするみたいなのって、あんまりなかったらしいんだよね。
それも意外な感じがしたんやけど、だからその自分の言葉で、口で喋ると全然話し合えない人でも、そのぐらい方言が離れてる人でも、字を書くと全然普通に分かり合えるみたいなのが、中国語のある意味、ずっと常識やったらしいんだよね。
だからこの新井さんっていう方も、この著者の方もずっとその中国語は文字だったらずっと読めるよねっていう感じで、そう思ってきたんやけど、2014年に雨傘運動っていうのあったの知ってる?
知らへん。なんだそりゃ。
えっとね、2014年に香港であった、反政府でもなんやけど、香港って中国とはいえ、もともとイギリスの植民地で、全然一国二政党で、全然中国の本土とは違う自治が許されてるっていう場所やんか。
だから、選挙は中国の本土とは違う、一人一票の普通選挙が、2017年から導入される予定だったんだけれど、本国、中国本国の横槍が入って、候補者を突然限定しますよっていうことを強行に。
あ、そうそう。
限ると。
あ、そうそうそうそう。まあそういうことで、事実上その自分の中央政府のその意に沿わない、候補者を排除するっていう。
で、それに反発した若い世代が、学生とかも含めて本当に若い世代が、反政府デモをやったんだけれど、それが警察とかがファイルイスプレーとかを使って制圧しようとしてくるから、それに対する防御で傘を使ってるっていう。
あ、それで雨傘。
そうそうそうそう。傘で身を守りながらこう、座り込みを続ける様子とかをこう、すごい報道されたりしたんだけど。
で、その雨傘革命の時に、香港でまた使われてる中国語っていうのは、中央政府で推進されてる普通語とはまた違う言葉だったんだよね。
方言、違う方言になってて。で、その時に、それまでその香港の方言を、まあ、口語やね、口語をうまく書き写す、漢字で書き写すことってあんまりできなかったらしいんだけど、それまで。
へー。
それはすごい意外な感じなんだけれど。
意外、意外、意外。
でも、この雨傘運動をきっかけに、その若い世代の人たちがある意味、自分たちは中国に押し付けられた標準語ではなくて、この香港の言葉を自分たちの言葉として使っていくんだっていう強い連帯意識で、
若い人たちを中心になって、SNSで香港の言葉を書き言葉化するっていうのが、すごい勢いで進んだらしくて。
で、それはもうなんか中国語の読み書きに全く堪能な、その、阿来さん、この著者の阿来さんにとっても読めない文字だったらしくて。
へー。
だから、それはもう新しい自分たちのある意味、ナショナリズムの新しい課税であると同時に、その中国の中央政権のその介入を、まあもちろん、自動翻訳とかね、いろんなものはあると思うんだけれど、
その、彼らに読めない言葉を私たちが書き言葉で使うっていう、その力強い反抗っていう意味もあったっていう、意味というか側面もあったっていうようなことも書かれてて、
なんかその、すごい、それこそ過去の時代ぐらいの中国語でも、標準語、あの普通語をできる人は、あの結構読めたりするぐらい、あのずーっと書き言葉っていうのは変わらない、そんなに変わらないっていうのが中国語の定説というかだったのに、
それがこうブワーっと新しい本当に、風が、一陣の風がこう吹き抜けるみたいに、新しい書き言葉っていうのが生まれていったっていうようなことも書かれてて、すごく驚くし、なんていうか、希望も感じるような話だなと思ったり。