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おしゃべり本棚。 この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
高田璐函 画長2回目
顔も大きいが、体も大きくゆったりとしている上に、職人上がりとは誰にも見せぬ ふさふさとした顎ひげ、上ひげ、頬ひげを無遠慮に生やしているので、なかなか立派に見える中村が
客座にどっしりと構えて、応用に、まださほどわいぬ顔、内から下げた大きながな内輪でゆるく払いながら、
迫らぬ気味合いで目の周りにシワをたたえつつも、何か話すところは実に堂々として、どうしても兄分である。
そしてまた、この屋の主人に対して先輩たる情愛と貫禄等をもって望んでいる、しゃくしゃくとして余裕ある態度は、いかにもここの細訓をしてその来訪を求めさせただけのことはある。
これに退座している主人は、やせがた小作りというほどでもないが、相手が相手だけに、まだ幅が足らぬように見える。
しかしよしや第一心地でないまでも、相応に鋭い知恵細覚が、恐ろしい負け抜きを後ろ盾にして豆に働き、どこかにこっつりとした、人には決して押しつぶされぬもののあることを思わせる。
客は無雑さに、
「奥さん、というわけで、他に何があったのでもないのですから、まわり着の苦労はなさらないでいいのですよ。おめでたいことじゃありませんかね。ははははは。」と、ほがらかに笑った。
ここの細君は、いまはもう暗雲を一掃されてしまって、そこは女だ。ただもう喜びと安心とを心配のかわりに得て、台風の吹いた後の心持で、主客の間の茶盆の位置をちょっと直しながら、軽く頭を下げて、
「いいえもう、技の上の工夫にほげていたとわかりますれば、何のこともございません。ほんとにこの人は、いままでにずいぶんこんなこともございましたっけ。」と言った。
客と主人との間の話で、きょう学校で主人が校長から命せられた、それは一週間ばかりのちに天子さまが学校へ御輪行を下さる、その折に主人が御膳で製作をして御覧に入れるよう、そしてその製品を直ちに学校から見納し、お持ち帰りいただくということだったのがわかったのであった。
それで主人の真面目顔をしていたのは、そのことに深く心を入れていたためで、別に他に何があったのでもない、と自然に文明したから、西君は憂いを転じて気となしえたわけだったが、それも中村さんが直に遊びに来られたおかげでわかったと、上機嫌になったのであった。
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女は上機嫌になると、とかくにくだらない不必要なことをしゃべり出して、それが自分の才能ででもあるような顔をするものだが、この西君は夫の厳しい教育を受けてか、その性分からか、幸いにそういうことはない人であった。
純粋な感謝の念のこもったお辞儀を一つぼくりとして引き下がってしまった。主人はもっと早く引き下がってもよかったと思っていたらしく、客もまたあるいはそうなのか、西君が去ってしまうと、かえって二人は解放された様子になった。
「君のところへ呼びに行きはしなかったかね。もしそうだったら勘弁してくれたまえ。」
「ん?」
「ははは、なあに、ちょうど話に来ようと思っていたのさ。」
主客の間にこんなあいさつがかわされたが、客は大きな茶碗のばん茶をいかにもゆっくりと飲みほす。その間主人の方を見ていたが茶碗を下へ置くと、
「君はきょう最初、辞退をしたね。」と軽く話し出した。
「ええ。」と主人は答えた。
「なぜね。」
「なぜって。」
「いやだったからです。」
「午前へ出るのに、いやってことあるまえ。」
ほんのかいわてきの軽い日なんだったが、答えはせわしかった。
午前へ出るのに、いやのなんのと、そんなもったいないことは夢にも思いません。だから校長にまけてしまいました。
「はは、校長のいいつけがいやだったのだね。」
そうです。だがもう私がすぐにまけてしまったのだから論はありません。
「まけたまけたというのがへんにきこえるよ。」
わからないね。校長がべつにむりなことをいったとも私には思えないが。
私も校長のいいつけで午前せいそくをしてめんぼくをほどこしたことのあるのは、きみも知っててくれるだろうに。
と少しおもてをあげてひげをしごいた。
少しあにぶんぶっているようにもみえた。
しかし若崎のなにかかんちがいをしたかんがえをもっているらしいもうをひらいてやろうというような、しんせつからでたことばにそったたいどだったので、いかにもきょうしくさくはみえたが、いばっているとはみえなかった。
若崎ははなしのながれかたのいきおいで、なんだかじぶんがじぶんをべんごしなければならぬようになったのをかんじたが、
びんぼうがみにしゅうねくとりつかれたあげくがしにがみにまでつかれたとみずからおもったほどにうきよのくさんをなめた男であったから、
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そういうかんじがおきるとどうじにどっこいとふみととまることをしっているので、はんげきてきのことばなどをだすにいたるべきむえきとぐとのいっぽてまえでみずからかえりみた。
いや、あのにわとりはじつにみごとにできましたね。
わたしもあのにわとりのようなさくがきっとできるというのなら、いやもてっぽうもありはしなかったのですがね。
とけんそんのぬのぶくろのなかへなにもかもほおりこんでしまうたいどうとりにかかった。
世の中はぶじでさえあればいいというのなら、これでよかったのだ。
しかし若崎のこの答えは、どうしても何かあるのをあらわすまいとしているのであるとかんじられずにはいない。
きっとできるよ。きみのうでだからな。
とかるいことばだ。
善意のしょうれいだ。
あかむきにむいていえば、世間に善意のしょうれいほどうそのものはない。
悪意のひなんがうそなら、善意のしょうれいもうそである。
真実はいのないところにある。
若崎はてっていして、おだてともっこにはのりたくないといつもおもっている。
客のこのことばをきくと、ぶるっとするほどいやだった。
うそにいじりまわされている芸術ほどけちなものはないと思っているからである。
で、おもわず知らず鼻のさきでわらうようなちゅうしに、
うでなんぞね。きみ何ができるかね。
ぼくらよりずっとえらい人だって、うでなんかがあてになるものじゃあるまい。
といった。何かがはれつしたのだ。
客はぎくりとしたようだったが、さすがはろうこつだ。
ぜんしゅうのみそすりぼうずの、いわゆるせきりゅうこつをていきしたひせえんだって。
そんなむちゃなことをいいだしてはひとまよわせだよ。
うででなくってなんで芸術ができる。
ましてきみなぞ、すでにいいうでになっているのだもの。
いよいようでをみがくべしだね。
せんとうがかいしされたようなものだ。
いやうでをみがくべきはもとよりだが、うでで芸術ができるものではない。
芸術はできるもので、こしらえるものではなさそうだ。
きみのほうではこしらへとおせるかもしれないが、
ぼくのほうやようぎょうのほうの、ひの芸術にたずさあるものは、
おのずと芸術はできるものであるとしんじがちだ。
ひのはたらきはしんぴれいきだ。
そのひのはたらきをくぐってぼくらの芸術はできる。
それをなんということだ。
ちゅうきんのこうさくかていをじっちにごらんにれ、
そしてさいごにはできあがったものを、
びじゅつとしてびじゅつがっこうからけんじょうするという。
そううまくいくべきものだか、どうだか。
むかしもいまもせきがというがある。
せきがにびじゅつをもとめることのむりでぐなのは、いまはだれしもみとめている。
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せきじょうちゅうきんにびじゅつをもとめる、
そんなわからないこうちょうではないと思っていたが、
こうちょうにはこうちょうのかんがえもあろうし、
ちゅうきんはたといろうがたにせよじゅんすいびじゅつとはいいがたいが、
またこうちょうには、はえき、ゆうどう、けいはつ、ばってき、
あらゆるおんをうけているので、
じつはいやだなあと思ったけれども、まげてしたがった。
このこころもちがせめてきみにはわかってもらいたいのだが。
と、なかごろはあまりいいすごしたと思ったので、
すえにはそのいいをにごしてしまった。
いったとて、いまさらどうなることでもないので、
ずにのってすこししゃべりすぎたと思ったのは、うたがいもない。
なかむらはすこしへこまされたかどもあるが、
このひとは、にくのおおきややいばそのほねにおよばずというからだつきのとくをもっている。
これもなかなかのこうへているものなので、
わかさきのことばのちゅうしんにはかまわずに、やはりせんぱいぶりのたいどをくずさず、
それでうちへかえってふきげんだったというのなら、きみはまだわかすぎるよ。
ぎろんみたようなことは、あれはしんぶんややざしやのてあいにまかせておくさ。
ぼくらはちょくせつにげいじつのなかにいるのだから、
へいのらくがきなどにみをいれてみることはないよ。
なるほどひのげいじつときみはいうが、
さいごのいるといういちだんだけがきみのほうはおおいね。
ごらんにいれるにはわりがわるい。
とうちとけてどうじょうし、
ばあいによったらじょげんでもじょせいでもしてやろうというようすだ。
いやわりがわるいどころではない。
ゆをいれるそのときにしょうぶんがつくのだからね。
きげんがひどくわるいようにみえたのは、どういうものだか、
かえりのみちでうちがみえるようになってふときあたりがして、
なんだかこんどのごぜんせいさくはみごとにしっぱいするようにおもわれだして、
それでひといちばいうっくつしたので、
きあたりというやつはやなものだね。
わたしもわかいじぶんにはときどきそういうおぼえがあったが、
なあに、かならずあたるとばかりでもないものだよ。
こんどのぶつぞうはみぐしをしくじるなんとよかんしておおきにしょげていても、
なんのあやまちもなくしやがって、かえってほめられたことなんぞもありました。
そういうきにすることもないものさ。
といいかけてちょっとかんがえ、
いったいなにをつくろうと思いなすったのか。
まだみていなのですか。
とあらたまったようにたずねた。
それがきみょうねえ。
がっこうのもんをでるとすぐにだいがこころにうかんで、
わずかのみちのなかですっかりすがたがまとまりました。
なによ。
どんなもの。
がちょう。にわのがちょう。
うすいひらめなどばのうえにおすのほうはたかくくびをあげてい、
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めすはそのおすにむかってよっていこうとするところです。
むろんちいさくしゃせいふうにいはだでじゅうにぶんにあじをみせて、
そしておもいきりのばしたくびをのばしきったすがたのみゆるようにずいぶんほそく。
とはなすのを、こっちもげいじゅつかだ。
めをふさいでめいそうしながらきいていると、
ありやりとそのすがたがまえにあるようにみえた。
そしてまだはなしをきかぬめすまでもういてみえたので、
めすのほうのくびはちょいとひとうねりしてね、
そしてうしろあしのつめとかかとにひとくふうがある。
というとふしぎにもいいあてられたので、
はっはっは、そのとおりそのとおり、
としゅじんはさわやかにわらった。
がそのわらいごえのおわらぬうちにきゃくはふときあたりがして、
がちょうがいそんじられたばあいをおもった。
で、いいずですねとすでにいようとしたのをのんでしまった。
ききたいラジオばんぐみなんにもない。
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