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日本婦道記から風鈴 その4
2026-06-27 16:25

日本婦道記から風鈴 その4

0195 260627 山本周五郎 日本婦道記から風鈴 その4 朗読:武田伊央
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サマリー

サンエモンは、貴金の周期性を分析し、藩政に役立てようとする研究について語る。一方、弥生は役替えの話に動揺し、生きがいとは何かを深く考える。三重門は、自身の役職へのこだわりと、人間が生きる意味について語り、弥生はそれに感銘を受け、自分も家族にとってかけがえのない存在になろうと決意する。最後に、弥生は風鈴を鳴らし、三重門の帰りを待つ。

サンエモンの研究と弥生の動揺
おしゃべり本棚。 この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
山本周五郎作 日本婦道記より
風鈴 その4
ほどなく サンエモンが代一郎を連れて帰ってきた。
やよいが茶を入れ替えに行くと、二人はその写本のことを話していた。
作用です。 夫はそこへ筆写しした書冊を取り出しながら説明した。
はじめ、五書庫の中で、文類本帳年代記というものを拝見しまして、
貴金の錠のあまりに多いことから思いつき、それに類する書物を探しまして、詳しい年表を作ってみようと始めたものでございます。
しかし、底元の多忙な体で、
どうしてこんな難しいことを始める気になったのだ。 それはこの表に一例を書いてみましたが、
サンエモンはそう言って別の書冊を開いた。 このように年次表に書き上げますと、
貴金の来る年にはおよそ周期があるのです。 この表はもちろん不完全極まるものですが、
協作があって1年目に貴金の続くことが最も多く、 次には5年内し6年目に来る例が非常に多い。
この年次表がもっと完成して、周期の波がはっきりわかるとすれば、 藩の能勢の上にかなり役立つだろうと思うのですが、
確かに。 岡田賞兵衛は大きくうなずいた。
それから老人は、役所の者が皆こういう点にまで注意するようになってほしいこと、
それが政治を司る者の良心であるということなどを熱心に述べるのだった。 その話が済むと五になった。
格別珍しいことではないのだが、その日は小松に囁かれたことがあるので、 弥生はなんとなく落ち着けず、ともすると二人の話し声に耳を引きつけられた。
五は日暮れに及んだ。小松は思い過ごしたのだ。 お役替えというような話なら、こんなに長く五など討っていらっしゃるはずはない。
そう思うと弥生は何やら裏切られたような寂しい気持ちになり、 庵丼を引き寄せながらひっそりと縫い物を続けた。
どのくらい経ってからであろう。 石の音が止んで静かな話し声が続くのに気づき、
ふとそちらへ注意すると、 武行書という老人の声が聞こえた。
弥生は思わず針を置き、少し膝をにじらせながら耳をすませた。 自分の預かっている役所について、こんなことを申す方はないだろうが。
わしも役替えをする方が良いと思うがな。 それも考えてみたのですが、
やっぱり私には今の役目が身に合っていると思いますので。 だが、
それで本当に満足していられるかな。 機会はまたというわけには行かぬものだ。
後で悔やむようなことはないかな。 そこでぷつりと話し声が途絶えた。
三重門の信念と生きがい
真冠と冴えた宵の静寂を縫って、 日差しを打つ雨の音がひっそりと聞こえる。
ああ、降り出した。 弥生がそう思った時、
三重門の静かに口を切るのが聞こえてきた。 役所の事務というものは、
どこに限らず容易く連達できるものではございません。 環状署のことに五畳のおがかりは、
その年々の年配りを決める重要な役目で、 常々農民と親しく接し、
その村の実際の事情をよく知っていなければならぬ。 これには、
年数と経験が絶対に必要です。 単に宝鏡を見分けるだけでも、
私は八年かかりました。 そして現在では、私を置いて、
他にこの役目を任すことのできるものはおりません。 それとも、誰か私に変わるべき人物がございましょうか。
正直に申して、変わるべきものはない。 今度の話が、どうして始まったか、
推挙してくれる人の気持ちがどこにあるのか、 私にはよくわかっています。
三重門はこう続けた。 その人たちには、私が這えない役を務め、
いつまでも貧寒でいることが、気の毒に見えるのです。 うまいものを食い、物見油産をし、
身切れ気ままに暮らすことが、 粗い粗食で休む暇なく働くより、
意義があるように考えやすい。 だから、
貧しいよりは富んだ方が望ましいことは確かです。 しかしそれでは、思うように出世をし、
風紀と安納が得られたら、 それで何か意義があり、
満足することができるでしょうか。 弥生は身ぶるいをした。
米髪のあたりが白くなり、 緊張のあまり顔つきが怖ばった。
おそらくそれだけで、 意義や満足を感じることはできないでしょう。
人間の欲望には、限度がありません。 風紀と安納が得られれば、
さらに次のものが欲しくなるからです。 大切なのは、
身分の高下や貧富の差ではない。 人間と生まれてきて生きたことが、
自分にとって無駄でなかった。 世の中のためにも少しは役立ち意義があった。
そう自覚して死ぬことができるかどうかが、 問題だと思います。
人間はいつかは必ず死にます。 いかなる権力も富も、
人間を死から救うことはできません。 私にしても、明日にも死ぬかもしれないのです。
その時、武行所へ変わったことに 満足するでしょうか。
百国二百国に出世し、 団衣奉飾したことに、
満足して死ねるでしょうか。 いや、
私は勘定書にとどまります。 そして死ぬ時には、少なくとも惜しまれる
人間になるだけの仕事をしていきたいと思います。 膝を固くし、頭を垂れていた弥生は、
見えるほど体が震えるのを抑えることができなかった。 感動というよりは残機に似た鋭い思考が胸に突き上げ、
弥生の決意と風鈴
それが彼女を二つに引き裂くかと思えた。 生き甲斐とは何ぞや、
長いこと頭を締めていたその悩みが、 今、
三重門の言葉によって、一筋の光を与えられた。 それは紛れもなく、
暗夜の光とも例えたいものだった。 貧しい生活をしていると、
風紀でさえあれば生き甲斐があると思いやすい。 夫は今そう言った。
自分が思い惑ったのも、突き詰めれば妹たちの暮らしぶりを見、 その非難を聞いて、
自分の生活よりは意義があり充実しているように考えたからだ。
なんという浅はかな無反省なことだったろう。 縫い針や錐地や、夫に使え子を育てる
反作な家事をするしかないかが問題ではない。 肝心なのは、そのことの一つ一つが、
役立つものであったかどうかだ。 女と生まれ妻となるからには、
その家にとり、夫や子たちにとって かけがえのないほど大切なもの。
病気をしたり死ぬことを恐れられ、この上もなく嘆かれ悲しまれるもの。 それ以上の生き甲斐はないであろう。
しかし、それでは、
自分はこの家にとって、果たして、 かけがえのないものであるかどうか、
どうしてもなくてはならぬものだろうか。 弥生には、しっかりと思うだけの自信も勇気もなかった。
そうだ。 彼女は静かに面を挙げた。
少なくとも、 夫や子供にとってかけがえのないものにならなくては。
そう呟くと、何かしら身内に力が湧いてくるようだった。
弥生は立ち上がり、 タンスの小引き出しの中から青銅の風鈴を取り出した。
秋の頃、妹たちが外していったのを、 どうしても釣り直す気になれなかったものである。
あの時から気持ちが揺らぎ出したのだ。 そして、この数十日、ずいぶん思いまどったことは、
無駄ではなかった。 こうして今こそ、生きる道を確かめたのだから。
そう思いながら弥生は小窓を開けた。 外はいつの間にか、粉雪になっていた。
まあ、とうとう。 安堵を受けて、ひひと舞い狂う雪の美しさに。
弥生は思わず声を上げながら、 手を伸ばして風鈴を吹った。
あるかなきかの風に、久しく聞かなかった 低沈鈍の澄んだ音が響き出すと、
その音をぬって、三重門のこう呼ぶ声が聞こえた。 弥生、お帰りだぞ。
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