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おしゃべり本棚。この時間は、福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
江戸川乱歩作 日記帳
その二。でも、 それにしては、このゆきえさんからの最後の葉書の文面は、
たとい拒絶の意味を含ませたものとしても、あまりに変です。
なぜって、 そこには、
もうその自分から弟は病のとこについていたのです。 病気未満の文句が美しい主席で書かれているだけなのですから。
そして、またこんなに酷命に発信受信を記していた弟が、
八通の葉書の他に風書を送ったものとすれば、 それを記していないはずはありません。
では、この失望云々の文句は、 一体何を意味するものでしょうか。
そんなふうにいろいろ考えてみますと、 そこには、
どうも辻褄の合わぬところが、 表面に現れている事実だけでは解釈のできない秘密があるように思われます。
これは、亡き弟が残していった一つの謎として、 そっとそのままにしておくべき事柄だったかもしれません。
しかし、何の因果か、私には少しでも疑わしい事実にぶつかると、 まるで探偵が犯罪の後を調べ回るように、
あくまでその真相を突き止めないではいられない性質がありました。 しかも、
この場合は、その謎が本人によっては永久に解かれる機会がないという事実があったばかりではなく、
その事の実備は私自身の身の上にもある大きな関係を持っていたものですから、 持ち前の探偵癖が一層の力強さを持って私を捉えたのです。
私はもう、弟の死を痛むことなど忘れてしまったかのように、 その謎を解くのに夢中になりました。
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日記も繰り返し読んでみました。 その他の弟の書物なども残らず探し出して調べました。
しかし、そこには、恋の記録らしいものは何一つ発見することができないのです。
考えてみれば、弟は非常なはにかみ屋だった上に、 この上もなく用心深い立ちでしたから、
いくら探したとて、そういうものが残っているはずもないのでした。
でも、私は世のふけるのも忘れて、 このどう考えても解けそうにない謎を解くことに没頭していました。
長い時間でした。やがて、 種々様々な無駄な骨折りの末、
ふと、私は、弟の葉書を出した日付に不審を抱きました。
日記の記録によれば、それは次のような順序なのです。
3月9日、12日、
15日、22日、
4月5日、25日、
5月15日、21日、
この日付は、恋する者の真理に反してはいないでしょうか。
たとえ恋文でなくても、恋する人への文通が後になるほどうとましくなっているのは、どうやら変ではありますまいか。
これを、ゆきえさんからの葉書の日付と対照してみてみますと、
なおさら、その変なことが目立ちます。
3月10日、13日、
17日、23日、
4月6日、14日、
5月7日、18日、26日、
5月3日、17日、25日、
これを見ると、ゆきえさんは弟の葉書に対して、
それらは皆何の意味もない文面ではありましたけれど、
それぞれ返事を出しているほかに、
4月14日、18日、5月3日と、
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少なくともこの3回だけは、彼女の方から積極的に文通しているのですが、
もし弟が彼女を恋していたとすれば、
なぜ、この3回の文通に対して答えることを怠っていたのでしょう。
それは、あの日記帳の文句と考え合わせて、
あまりに不自然ではないでしょうか。
日記によれば、当時弟は旅行をしていたのでもなければ、
あるいはまた、筆も取れぬほどの病気をやっていたわけでもないのです。
それからもう一つは、ゆきえさんの無意味な文面だとはいえ、
この頻繁な文通は、相手が若い男であるだけに、
おかしく考えれば考えられぬこともありません。
それが双方とも言い合わせたように、
5月25日以降はふっつりと文通しなくなっているのは、
一体どうしたわけなのでしょう。
そう考えて弟の葉書を出した日付を見ますと、
そこに何か意味がありそうに思われます。
もしや、彼は暗号の小い文を書いたのではないでしょうか。
そしてこの葉書の日付が、その暗号文を形作っているのではありますまいか。
これは弟の秘密を好む性格だったことからおして、
まんざらありえないことではないのです。
そこで私は、日付の数字がいろはかあいうえおかabcか、
いずれかの文字の順序を示すものではないかと、
いちいち試みてみました。
こうか不こうか、私は暗号解読についていくらか経験があったのです。
するとどうでしょう。
3月の9日はアルファベットの9番目のi、
同じく12日は12番目のl、
そういうふうに当てはめていきますと、
この8つの日付は、
なんと、i love youと解くことができるではありませんか。
ああ、なんという子供らしい、
同時に世にも辛抱強い恋文だったのでしょう。
彼はこの私はあなたを愛するというたった一言を伝えるために、
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たっぷり3ヶ月の日誌を費やしたのです。
本当に嘘のような話です。
でも弟の異様な性癖を熟知していた私には、
これが偶然の不幸だなどとはどうにも考えられないのでした。
かように推察すれば一切が明白になります。
失望という意味もわかります。
彼が最後のuの字に当たるはがきを出したのに対して、
ゆきえさんは相変わらず無意味な絵はがきを報いたのです。
しかもそれはちょうど弟が、
医者からあの忌まわしい病を宣告された自分なのでした。
かわいそうな彼は、この二重の板出に、
もはや再び恋文を書く気になれなかったのでしょう。
そして誰にも打ち明けなかった当の恋人にさえ、
打ち明けはしたけれど、
その意思の通じなかった切ない思いを抱いて死んでいったのです。
私は言い知れぬ暗い気持ちに襲われて、
じっとそこに座ったまま立ち上がろうともしませんでした。
そして前にあったゆきえさんからの絵はがきを、
弟が手文庫の底深く秘めていたそれらの絵はがきを、
何のゆえともなくぼんやり見つめていました。
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