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算盤が恋を語る話 その3
2023-12-23 14:54

算盤が恋を語る話 その3

0065 231223 戸川乱歩 算盤が恋を語る話 その3 朗読:田中みずき
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おしゃべり本棚 この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
江戸川乱歩作 算盤が恋を語る話
最終回 今日帰りに
その意味を悟った時、産な少女は、ひとかたならず胸騒ぎを覚えたに相違ありません。
だが、あの取り澄ました平気らしい様子はどうしたことでしょう。
ああ、吉か凶か、なんというもどかしさだ。
Tはその日に限って退社時間が待ち遠しくて仕方がありませんでした。
仕事なんかほとんど手につかないのです。 でもやがて、
待ちに待った退社時間の4時が来ました。 事務室のそこここにバタンバタンと帳簿などを片付ける音がして、気の早い連中はもう街頭を来ています。
Tはじっと流行る心を抑えてエスコの様子を注意していました。
もし、彼女が彼の指図に従って指定の場所に来るつもりなら、
いかに平気を装っていても帰りの挨拶をする時には、どこか態度にそれが現れるはずはないと考えたのです。
しかし、
ああ、やっぱりダメなのかな。
彼女がTにいつもと同じ丁寧な挨拶を残して、そこの壁に掛けてあった襟巻きを取り、
ドアを開けて事務室を出て行ってしまうまで、彼女の表情や態度からは、常に変わった何者をも見出すことができないのでした。
思いまどったTはぼんやりと彼女の後を見送ったまま、席を立とうともしませんでした。
ざまあみろ、お前のような男は年が年中コツコツと仕事さえしていればいいんだ。
恋なんか柄にないんだ。
彼はわれとわがみを呪わないではいられませんでした。
そして、光を失った悲しげな目でじっと一つところを見つめたまま、いつまでもいつまでも甲斐ない物思いにふけるのでした。
03:15
ところが、しばらくそうしているうちに、彼はふっとあるものを発見しました。
今まで少しも気づかないでいたエスコのきれいに片付けられた机の上に、これはどうしたということでしょう。
彼が毎朝やるとおりに、あのソロバンがちゃんと置いてあるではありませんか。
思いがけぬ喜びが、はっと彼の胸を躍らせました。
彼はいきなりそのそばへ寄って、そこに示された数字を読んでみました。
83万2271円33銭。
スーッと熱いものが彼の頭の中に広がりました。
そして、にわかに早まった動機が耳元で早鐘のように鳴り響きました。
そのソロバンには、彼のと同じ暗号で、ゆきますと置かれてあったのです。
エスコが彼に残していった返事でなくて何でしょう。
彼は、屋庭に街灯と帽子を取ると、机の上を片付けることさえ忘れてしまって、いきなり事務室を飛び出しました。
そして、そこにじっと佇んで、彼の来るのを待ちわびているエスコの姿を想像しながら、息づき切って日の山遊園地へと駆けつけました。
そこは遊園地といっても小山の頂にちょっとした広場があって、
一、二軒の茶店が出ている霧の見晴らしが良いという他には取り柄のない場所なのですが、
見ればもうその茶店も店を閉じてしまって、がらーんとした広場にはクレルに間もない赤ちゃけた日光が、
子達の影を長々と地上に記しているばかりで、ひとっこひとりいないではありませんか。
じゃあ、きっと彼女は着物でも着替えるために一度家に帰ったんだろう。
なるほど、考えてみれば、あの古いエビ茶の袴をはいた事務員姿ではまさか来られないからな。
そろばんの返事に安心しきった彼は、そこに放り出してあった茶店の椅子に腰かけて、
06:01
煙草を吹かしながら、この生まれて初めての松実の辛さをどうしてつらいどころか、
はなはな甘い気持ちで味わうのでした。
しかし、エスコはなかなかやってこないのです。
辺りはだんだん薄暗くなってきます。
悲しげなカラスどもの鳴き声や、間近の停車場から聞こえてくる汽笛の音などが、
広場の真ん中に一人ぽつねんと腰をかけているティーの心にさびしく響いてきます。
やがて夜が来ました。
広場のところどころに建てられた電灯が寒く光り始めます。
こうなると、さすがのティーも不安を感じないではいられませんでした。
ひょっとしたら、家の守備が悪くて出られないのかもしれない。
今ではそれが唯一の望みでした。
それともまた、俺の思い違いではないかしら。
あれは暗号でもなんでもなかったのかもしれない。
彼はイライラしながら、その辺をあちらこちらと歩き回るのでした。
心の中がまるで空っぽになってしまって、ただ頭だけがかっかとほてるのです。
エスコのいろいろな肢体が、表情が、言葉が、それからそれへと目先に浮かんできます。
きっと彼女も、うちでくよくよ俺のことを心配しているんだ。
そう思うときには、彼の心臓は熱病のように激しくなるのです。
しかし、またあるときは、身も世もあらぬ焦燥が襲ってきます。
そして、この寒空に来ぬ人を待って、いつまでもこんなところにうろついている我が身が、腹正しいほど愚かに思われるのです。
二時間以上も虚しく待ったでしょうか。
もう辛抱しきれなくなった彼は、やがてとぼとぼと力ない足取りで山を下り始めました。
そして山の半ばほど下りたときです。
彼は、はっとしたようにそこへ立ちつくみました。
ふっととんでもない考えが彼の頭に浮かんだのです。
だが、果たしてそんなことがあり得るだろうか。
彼はそのバカバカしい考えを一生に伏してしまおうとしました。
09:03
しかし、一度浮かんだ疑いは容易に消し去るべくもありません。
彼はもうそれを確かめてみないではじっとしていられないのでした。
彼は大急ぎで会社へ引き返しました。
そして、業務員に会計部の事務室のドアを開かせると、
屋庭にエスコの机の前へ行って、そこの本盾に立ててあった原価計算簿を取り出し、
バツバツ丸の製造原価を記入した部分を開きました。
83万2271円33銭。
これはまあ、なんという奇跡でしょう。
その長尻の締め高は、偶然にも行きますというあの暗号に一致していたではありませんか。
今日、エスコはその締め高を計算したまま、
ソロ版を片付けるのを忘れて帰ったというに過ぎないのです。
そしてそれは決して恋の通信などではなくて、
ただ魂のない数字の羅列だったのです。
余りのことにあっけにとられた彼は、一種異様な顔つきで、
ぼんやりとその呪わしい数字を眺めていました。
全ての思考力を失った彼の頭の中には、
彼の十数日にわたる惨憺たる苛立ち、焦りなどには少しも気づかないで、
あの快活な笑い声を立てながら、
暖かい家庭で無邪気に談笑しているエスコの姿が、
まざまざと浮かんでくるのでした。
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