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            魚の序文 その2
2023-07-22 16:31

魚の序文 その2

043 230715 林芙美子 魚の序文 その2 朗読:本庄麻里子
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おしゃべり本棚。この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
林文子作 魚の序文 第2回
2人はもう畳の上に座って話していることが憂鬱になったので、 僕は彼女に閉じまりを命じて帽子とステッキを持った。
彼女は紅色の鯨帯をくるくると流して自分の腰に結び始めた。
壁の小さい柱鏡に疲れた僕の顔と頬のふくれた彼女の顔が並んだ。
僕はしみじみとした気持ちで彼女のぬき襟を女学生のように詰めさせてやった。
閉じまりをして戸外へ出ると、2人は言い合わしたように胸を広げて息をしながら、青麦のそろった畑道を歩いた。
秋になるとこの道は落ち葉でわからなくなる道であった。
いつかまだ独り者であった時の百合子との散歩を僕はふと考えたものであったが、
僕の後からゆっくり歩いてきている彼女は紙雛のように両袖を胸に合わせて目を細めて空を見ているではないか。
二人ぐらい並んで歩けるよ。さあおいで。
それでも彼女はまるで隣人同士のように遠慮してしまって、なかなか頬をそろえようとはしなかった。
「いいねえ。ほら、ヒバリが泣いているよ。どうしたんだい?」
「あたし、バカなんでしょうか。景色がちっとも目に入らないで、いまだに一生懸命で閉じまりをしているようなの。
あたし時々体が二つにも三つにも分かれて、勝手なことをしているんですよ。
君が僕の背中ばかり見ているからさ。さあ先になって行ってごらん。
いやでも美しい景色が見えるから。」彼女を先へ歩かせると、今度は僕の方がたまらなかった。
赤尾の下駄といえば馬糞のようにちびたやつをはいている。
03:02
だが雑巾をよく当ててあるらしく、古びた割合にもくめが透き通っていた。
「歌でも歌わない?」
「ええ、正歌なんてものをみんな忘れてしまった。こんなとき歌う歌なんて難しいわねえ。」
僕たちは小川の上のやや丘になった漢木の下に足を投げ出して、
二人が知っているふるさとの歌を歌い始めた。
ひばりが高くのぼっている。
若葉が風にまるでほどけていくようであった。
僕は眠たくなってごろりと横になると帽子を顔にかぶせて目を閉じた。
まぶたの部屋の中はまっくらだが、渦のような七色のものがくるくる舞っている。
僕のそばから離れていったのか、
彼女が柔らかい草を踏んで向こうへ遠ざかるのが頭へひびいてきた。
「おい、あんまり遠くに行っちゃだめだよ。」
帽子の中からそう言ったまま、ざんじ僕はうたた寝してしまったらしい。
ふと目がさめると、彼女は遠くのねむの花の下で
紅の帯を解いて小川の水で顔や手足を洗っていた。
遠くから見ていると、その姿がまるで子守女のように見える。
長い間帽子の下で目を閉じていたせいか、
起き上がった時は夕方のように四方が薄暗いものに見えた。
僕は田元の底からくしゃくしゃになった煙草を一本出して火を点じた。
さわやかな初夏の思いが風になって僕の田元をふくらます。
ねむの木の下の彼女はやがて帯を結んで包みへあがってきた。
なんだいその白い風呂敷は。
彼女は癖のようにその風呂敷を背中に隠してにやにや笑いながら
積草したのよと言った。
あんまり食べられそうな草がたくさんあるからと言うのだ。
彼女の広げた風呂敷の中には日鶴やタンポポやスイバのようなものまで入っている。
白い風呂敷と思ったのは彼女の晒しの呪文なのであった。
06:01
だから僕は安心して貧乏ができるんだねとも口に出して言いたいほど
彼女は二十三歳にしてはひどく初体くさいのだ。
夜はこれらの積草を茹でて食卓に並べた。
色はみずみずしかったが筋が歯に絡んで日鶴の噛み具合などはまるでこんにゃくのようであった。
墓場の向うの火葬場には相変わらず毎日火灯を焼く煙が黙々とほこり色に空に舞い上がっている。
僕はもう職業を求めるために町へ出たり履歴書などを書くことは徒労だと思い始めた。
僕が頭を下げていった先々の人間たちはいわゆるフォイエルバッハの大邸宅と名付けられるような中では
房屋にある場合と違った考えを人たちはしているものだ。
で、全くもって無惨でありすぎる。朝目覚めて口を洗いゴロリと横になって
火灯を焼く煙を眺めている僕の傍らにおぼつかない手つきでもって縫い物をしている彼女がいる。
髪の毛には網のように白いほこりがたまっていて、それを目にした僕の口の中には何か火の玉をくくんだように切ないものがあった。
彼女はきっと、
私、いい縫い物屋を知っていますから頼んであげましょう。
とでも言って、この着物の仕事を森本千鶴子から取ってきたのに違いない。
ねえ、この間平井さんの奥さんに会ったら、早く千鶴子さんに着物を返した方がいいわ。
縫い物屋へ持って行くって言って、菊さんは七夜へ置いてしまってとても困っているって言いふらしているのよ、
なんて教えてくださったんですけど、まさかこんな洗いざらした着物、五十銭も貸さないでしょうのに。
私とても寂しくなってしまった。僕は黙っていた。
彼女がその着物を千鶴子の家から持ってきて、もはや十日余りにもなるのだが、
一心になって毎日コツコツ縫っている彼女に向かって、何を僕が咎め立てすることができるだろう。
でも、もうこれで出来上がったのだから持って行こう。
09:00
彼女は出来上がった着物を畳んで座布団の下に敷いた。
出来上がったんなら早く持っておいで。
友情のない奴の品物なんぞ、見るのも不愉快だ。
僕はいちいち彼女に向かって、
ああしては悪い、こうしては悪い、などと言うことに傾れ始め、
自分のキリキリした神経もこの頃では少しばかりも手余し気味でいるのだ。
履歴書も四五十通以上は書いたろう。
あらゆる友人を頼って迷惑な手紙もずいぶん書いたが、
頼んだ友人たち自身が何らの職もなく弱っているものが多かった。
彼女は着物を風呂敷に包むと、
いたずらっこらしく目をくるくるさせて、僕の両手を引っ張り台所へ連れて行くのだ。
ねえ、あたしちぬこさんにいいお土産を持って行こうと思うのよ。
そう言って彼女が台所の流し場を指さしたのを見ると、
西洋紙の赤い豆の花や束の大きいやぐるま草がぞっぷりと水につけられていた。
おお、きれいだなあ。
きれいでしょう。
どうしたんだい、こんな贅沢な花束を。
うーん、新しい墓へ行って取ってきちゃったのよ。
あたしもったいないと思ったわよ。だってずいぶんあるの。
お金持ちの墓なんて十円くらいもの花束があがっててよ。
で、お土産に利用するのかい。
仏も浮かべないねえ。
だって美しい花だもの欲しいわ。
彼女はその花束をいかにも華やから買ったかのように紙に包んで、
風呂敷を抱え日向の道へ子犬のように出て行った。
僕は起き上がって窓っぷちへ腰をかけて墓の道を眺めた。
墓を囲んだ杉や枝木が燃えるような眼を出している。
僕には何故か苦しすぎる風景であった。
夜が待ち遠しいくらいだ。早く夜になってくれるといい。
部屋の中に空き箱のように風が染みていったが、
生きている喜びも何も感じられないほどすべてが貧弱なもので、
二畳と八畳きりの座敷の中にはこの僕一人が道具らしい存在だ。
12:02
歪んだ机の上には薬仕掛けのプーシキンの射的の装甲が黄色くなったままだが、
もうこんなものも売りに歩く自信もなくなりかけた。
僕はふと誰かの話を思い出した。
バルザックのプチーブルジョアを半年かけて訳して600枚余りが、
100円にもならなかったという侘しさを半年の情熱を傾けて訳したその人の気持ちは、
これまた侘しすぎる以上だろう。
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