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或る母の話 後編
2023-09-02 16:51

或る母の話 後編

049 20230902 渡辺温 或る母の話 後編 朗読:本田奈也花
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おしゃべり本棚 この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
ある母の話 後編
渡辺恩 秋になって
友子から彼女が朝原と婚約したという話を唐突に聞かされた時に 母はさすがに驚いた
娘の利発な資料深い性質を十分信じていたので その恋愛についても危惧する必要はほとんどないわけだったが
不運な思い出を持った母親にしてみれば やはり心もとなく思われたのであろう
とにかく一度お会いになってください お母さんだってきっと気に入ると思うわ
そりゃお前がいいと考えた人なら間違いはないに違いないけれど
でもついこの間までやんちゃで私を散々困らしていたお前がもうお嫁さんになるなんて
とても本当とは考えられないほどだよ お嫁さんになって赤ちゃんを産んで
そうすれば私はおばあさんなのかしら おかしいわね
母親はため息のように笑った その普段はどうかすると広く子供っぽくすんで見える瞳に
嬉しげな影がさしていた 長い間私と二人っきりで暮らしてきたのに
今度私の愛情が半分身も知らない他の人に取られてしまうのでそれでお母さんは 寂しがっているのだわ
トモコは母親の気持ちがわからなかったわけではないのである しかしそのために彼女の新しい正しい愛が不当に歪められなければならぬ理由は
どこにもなかった そうしてある土曜日の夕刻から
トモコは初めて朝原を晩餐に招いて母親と引き合わせた およそ朝原ならば誰の目にも申し分のない向こと見えていいはずだった
だが 恋人と優しい母親とを一緒に並べて精一杯幸福だったトモコはその母親の優秀な
色が一層深くなっていたのには心づかなかった ねえお母さんお父さんに似ていると思いにならなくって
03:02
とトモコが母親に言った 本当にそっくりでいらっしゃること
母親の声はうつろに響いた お母さんせいぜい懐かしがってちょうだい
そんなに似ていますかなぁ 朝原は照れくさそうに顎のあたりを撫でました
いろいろ娘から伺っておりますがお父様はお亡くなりになったのでございますってねー 僕が中学校を出た年もう9年になります
アメリカで死にました おやアメリカに行ってらしたのですか
このことは話す必要もないしあんまり話したくなかったのでトモコさんにはまだ言わずにいました
お父さんのご名字は元から朝原とおっしゃいましたか いいえ朝原というのは僕の母方のせいです
父は松岡という家から養子に来たのです 松岡
トモコの母親は喉を引きずらせた ご存知でいらっしゃいますか
朝原がびっくりして聞き返した いいえ
それであなたもアメリカでお育ちになったのですか
生まれたのはあちらです でも小学校に入る年頃になるとすぐに母方の祖父の意見で母と一緒に日本へ呼び戻されてそれからずっと母の実家で育ちました
父だけは何といってもこちらへ帰ることを承知しなかったそうです なぜでしょう
知りませんが
トモコはこの時ようやく母親の顔色がひどく青ざめているのに気がついた お母さんご気分が悪いのじゃなくって
そう言いながらその手を握ると冷たく汗ばんでおろのえていた ほんの少し頭痛がするんだけれども
ちょっと休ませていただこうかねぇ 母親は浅原に餌食してから娘に肩を支えられて力ない足取りで出ていった
トモコが一人で部屋へ戻ってくると浅原は思い切ったようにトモコに言った トモコさんあなたのお父さんの写真というのを見せてください
トモコはすぐに立ってアルバムを出してきた 彼女も何かしら容易ならぬ不安を感じてアルバムをめくる指先がおののいた
ああ トモコに示された写真を見て浅原が鋭い叫び声を立てた
06:06
僕のお父さんだいや少なくともこの写真はそうです 僕はこれと同じ写真を家から持ってきてお見せすることができます
そんな馬鹿な トモコはいきなり真っ暗な底の知れない穴の中へ転落していくような激しいめまいを感じた
恋人同士が同じ一人の父親を持っていたとすれば これ以上惨めなロマンスの破綻はない
男は畳の上に突っ伏したまま 絶望のあまり気を失いかけている女を後に残して逃れるように
湖外へ飛び出していった 明くる朝まだ開けきらない中に浅原が再び訪ねてきた
トモコは一晩中泣き明かして眠らずにいた どうしてもが転のいかない節があるのです
と浅原は白げた唇を罠泣かせながら 咳込んだ調子で言うのであった
僕の父はあなたが生まれる5、6年も前にアメリカへ渡ったのですが それ以来ただの一度も日本へ帰らなかったことは私の母をはじめ誰に聞き合わせてみても確かな事実らしいのです
あなたのお母さんに本当のことをお尋ねしなければなりません お母さんはどこにいらっしゃいますか
母は昨夜からあの時きり2階のお部屋から出て参りませんの あれっきり
浅原はぎょっとしたらしかった すぐにお母さんにお目にかからなくちゃ
浅原はトモコの腕をつかんで階段を駆け上った 2階の廊下へ出ると激しいガスの匂いが鼻をついた
そして寝室の扉には鍵が降りていた 浅原が頑丈な体ごとぶつけて扉を押し破って入ってみると
果たしてガスストーブ用のガスの栓を開けっぱなしにしたまま トモコの母親は寝床の中で白狼のように冷たく眠っていた
枕元に書き置きが載せてあって次のようなことがたどたどしく記されてあった トモコ
あなたとれいすけさんは決して兄弟ではありません 安心して結婚していいのですよ
つまり あの写真の人があなたのお父さんだと言ったのはまるっきり嘘だったのです
09:02
そして実を言えば私があの人と結婚したというのも嘘なのです ただ私たちは
私と松岡とは田舎にいた時いい名付けだったのです その頃私はようやく物心がつき始めたくらいの子供でしたが
それでもゆくゆく自分の一生を任せる夫はあの人以外にないものだと信じていました あの人も私を誰よりも愛してくれました
松岡は大学へ出るとアメリカへ行きました ほんの1年か2年という約束だったのにもかかわらず
3年経っても5年経っても一向に戻ってきませんでした それでもなお私は変わらぬ愛情をあの人の上に捧げていたのですが
そのうちに風の頼りにあの人がどうやらアメリカで結婚したらしいという噂を聞き ました
それで私の周囲の人々は私にあの人を諦めるようにと色々解いて聞かせ始めました しかし私はやっぱりどんなに寂しく長い間置き去りにされていようとも
一生のうちにはいつか帰ってきてくれる日があるような気がして 甲斐なく望みをかけていました
しかしやがて両親が次々に死んで 私は本当にたった一人で暮らさなければならなかったのですが
それではあまりに寂しすぎたのでちょうど知り合いの貧しい学校の先生の家で 7人目の赤ん坊が生まれて育てかねていたのをもらって養うことにしたのです
その赤ん坊があなただったのです 私はそれから何かと面倒な田舎を捨ててあなたと二人きりでこの都へ出てきました
私はあなたが大きくなるにつれ あの人を父親であるようにあなたに信じさせることによってだんだん私自身もそんな風な夢や
錯覚の中で慰められようと努めました そして10年も15年も経つうちにあなたに感じる愛情が
いつとはなくあの人への因果な死亡を諦めさせたほど根強い親身なものとなってしまったのです それにしてもそのあなたがあの人の息子と結婚するなどとはなんという不思議な巡り合わせ
なのでしょう 私の不運の代わりにあなたの恋には神様のお恵みが有り余ることと信じます
12:09
私が死ぬのは 死ななくても良いのにとあなたは思うかもしれませんが
あの人が死んでしまってそしてこう打ち明けてしまえば 可愛いあなたともやっぱり他人同士に帰らなければならないし
これ以上年寄りの寂しさを我慢して望み少ない世の中を生き延びていくのには疲れすぎて しまいました
それでは 誰よりも幸せにお暮らしなさい
一生意地らしい少女であった母 友子はかきおきを信ずることができた
そして20年の長い間 慈愛深い母親として自分を育て上げてくれた
清らかな同女の死に顔の上に 長いこと
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