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おしゃべり本棚。
この時間は、福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
屋上の空。こうして音楽で生きてきた。後編。松熊健太。
ベースの鉄平さんが抜けて、定まったボーカルもいないので、僕はとどろき君と二人で、グランドスラムの新たなメンバーを探し始めた。
バンドでプロとしてやっていけるかどうか、25歳まであと2年間は頑張ってみようと思ってたからね。
まず目をつけたのは、佐賀にいたシュガーストリップというバンドだった。対バンしたことがあって、いいバンドだなと思っていて、
そのベースの雰囲気がなんか鉄平さんに似てて、イケメンで調子になったし、立ってる姿がしっくりくるなと。
それでサポートでもいいし、掛け持ちでもいいから入ってくれないかと誘ったら、やりますと言ってくれた。
あとはボーカル。これはアキラの頃から飲み仲間だったバンド、ラスメガスのボーカル井上政晴。
おっと、ここまで来ると今のバズセブン2のメンバーじゃん、ということになるんだけど、この頃はあくまでグランドスラムとしての活動だった。
グランドスラムの結成が2000年で、それから2年間ぐらいはメンバーチェンジを繰り返して2002年に4人のメンバーが固まったというわけ。
それでバンドの名前を新たにつけようという話になった。
僕らは福岡市の南にある福岡県菅氏のビッグヒットというスタジオでいつも練習していた。
ある日、メンバーとかスタジオのスタッフとか隣のスタジオでリハーサルを終えたバンド仲間とか10人ぐらいでバンド名を話し合ったんだ。
その頃、春がアニメ映画のトイストーリーにはまってて、そのメインキャラクターで宇宙ヒーローのバズライトイヤーっていうのがいるんだと話し始めた。
このバズというのは語呂がいいんじゃないかと。
春が言うには雑音とか騒音とか騒ぎを起こすみたいな意味があるらしい。
なんかかっこよくないという意見にみんなが賛同した。
今でこそバズったという言葉があるけど、時代を先取りしてたわけでいい感覚してたよね。
だけどそれだけじゃなんか物足りない。
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で、バズなんとかにしようという話になった。
そしてなんとかは数字にしようということを誰かが言い出した。
その頃はイナゴライダーとかモンゴル800みたいに数字をつけたバンドがやたらと売れるっていう説があったからね。
いい加減な話だけどね、まったく。
バズ1から始めて、いいと思ったら手を挙げて多数決で決めることになった。
スタジオになった白板に1、2、3って書いていく。
だけどみんな飽きてくるわけ。
それで体重を言えとか誕生日を言えとかいうことになって、
誰かが9月26日だというと、9、2、6。
でもしっくりこない。
そしてもう眠くなり始めた頃、トドロキ君が、
セブン2、どう?って言い出して、なぜかほとんどのやつが、
それはかっこいいかもっていうわけよ。
これ実はトドロキ君の体重だったんだけど。
さらに、72キロ強やけどね、と彼が何気なく口にした。
で、白板に72強と書いたら、強そうだしなんとなく絵面がいい。
ロゴマークにもしやすそうだと盛り上がって。
ただ、強という漢字はあんまりだということになって、
矢印とかプラスとか色々案が出たけど、絵面としてはプラスがいいということで決定した。
みんなでおめでとうございますって言ってね。
そんな適当な決め方だったわけ。
でも、バンドやったことのある人とか、バンド名を変えたことのある人はわかると思うけど、
不思議と名前を変えた瞬間に人生は一変するんだよ。
芸人さんとかもよくあるけど、やっぱり名前ってすごく大事なんだ。
それで天気のいい日にポカポカした屋上で、昼寝しながら歌詞を書いてたんだ。
見上げると澄みきった青空があって、その下にはビルが敷き詰められているように見えて、
ああ、自分たちはちっぽけな存在なんだって思ってね。
それがバーズのデビュー曲になる、屋上の空だった。
屋上から見た空、澄みきった青、いつもより深い色してました。
屋上から見る街、敷き詰められたビル、いつもより窮屈に見えました。
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あまりにもちっぽけで、臆病な僕たちはそんな急いでどこへ行くんだろう。
風になった君の音、聞こえた気がしたんだ。足音が響いた。
そこに立って君のこと、また探してみたんだ。風に残る言葉。
この曲にはこれまであんまり話したことはないんだけど、元になった実話があって、この際話しておきたい。
東京でライブするといつも来てくれる女の子がいて、彼女の友達も僕らのファンなんだけど病気で入院してるらしい。
だから彼女は友達の分までグッズを買って、僕らにサインやメッセージを書いてほしいとか、
僕らの写真を撮って渡したいとか、そんな話をしてくれた。ありがたいなと思ってたんだ。
ツアーは半年に一度ぐらいだったから、半年後にまた来てくれるんだけど、友達はまだ入院してた。
だから長い入院だなと思って、元気を出すように伝えてねって感じで話をしてた。
その次の東京でのライブ、その子からチケット予約が入ってたんだけど、いつもは一枚なのに二枚になってた。
僕らはメンバー四人で十二時間かけて東京に向かう車の中で、もしかしたら病気の友達の分じゃない?
治ったのかな?よかったね、なんて話しながら会えるかもと思ってワクワクしてたんだ。
それでライブしたんだけど、その子は一人だった。終わったら外で待っててくれたから声をかけた。
すると泣きじゃくりながら絞り出すような声で言ったんだ。
彼女の友達がどんな病気かは聞いてなかったけど、もう余命は残り少なかった。
だから無理をしてでも最後にライブに来ることにしたそうだ。でも間に合わなかった。
かける言葉が見つからなかったよ。それまで僕はデビューしたいとか、音楽で食っていきたいとか、自分のことしか考えられていなかった。
だけどそんな命を削るような日々を送っている子が応援してくれてるんだということを知った。
思えば九州のバンド仲間とか先輩たちとかファンのみんなも応援してくれている。
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そういう思いを背負ってるんだ。自分たちが夢を見続けられるのは大勢の人たちのおかげなんだと初めてわかった気がした。
すぐ葬儀だと聞いたので実家の母ちゃんに電話して電報とお花を送ってもらった。
お会いしたことはないけどすごく応援していただいてましたという感謝の言葉を伝えたかったから。
話を聞いて母ちゃんも電話の向こうで大泣きしてたよ。
東京から福岡に帰る車中で僕らは彼女の冥福を祈った。
そして後日彼女のお母さんからお礼の手紙をもらった。思い出すと今でも泣けてくる。
この出来事があってから僕はちょっと人間らしくなった気がする。
そんな思い出深いメジャーデビュー曲屋上の空は2005年8月10日にリリースされた。
僕が25歳の時だった。それからも順風満帆とはいかなくて2年後に活動を停止することになるんだけどその話は後でゆっくりするとして。
実はこの曲にはバージョンがあと2つある。
2つ目のバージョンは12年後の2017年12月。
ビッシュのアイナ・ジエンドがソロ曲としてカバーしてくれた。
屋上の空が生まれたストーリーを知ってたのはバーズのメンバーぐらいでね。
作詞家としてはリスナーに自由に聞いてほしいからあんまりその辺は話したくはないんだ。
だけど歌い手にはこの曲に対する僕の思いを知っていてほしいと思ってアイナには伝えた。
だからすごくエモい気持ちの入った歌になったと思う。
正直バーズは東京に行って全然売れなかった。
そんな売れない博多のバンドマンのしかない曲だけどアイナも歌ってくれたし3回もリリースしたわけだからやっぱり屋上の空には秘めた力があるんじゃないかと思う。
これは映画凶悪や古老の地で知られる白石和也監督に聞いた話だけど、
彼がまだ女監督時代映画の仕事を続けるかどうか悩んでいた時にこの曲を聞いて頑張ろうと思ってくれたそうだ。
それから十数年後、僕は白石監督から仮面ライダーブラックサンの音楽監督に指名された。
それも屋上の空がずっと忘れられなかったからだと監督は話してくれた。
不思議な縁を結んでくれたこの曲、そして今は空の上にいる彼女に改めてお礼を言いたい。
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