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我が工夫せるオジヤ
2025-04-05 15:56

我が工夫せるオジヤ

0131 250405 坂口安吾 我が工夫せるオジヤ 朗読: 武田早絵
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おしゃべり本棚。
この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
我が工夫せるオジヤ 酒口杏子
私は今から2ヶ月ほど前に胃から黒い血を吐いた。
時しも天下は追放解除扇風で、多量のアルコールが扇風のエネルギーと化しつつあった時で、
私はその扇風には深い関係はなかったが、新聞小説を書き上げて、その解放によって若干の小扇風と化する喜びに浸った。
その結果が、人間にいくつもあるわけではない胃を酷使したことになったのである。
私は子供の時から胃が弱い。
長じて酒を飲むに及んで胃弱のせいで、むしろ健康を維持することができたのかもしれない。
なぜかというと、深酒すると必ず吐く。
ある限度以上には飲めなくなるから、自然のブレーキに恵まれ、持ち前の端的性を自然防御してもらったという結果になっているらしい。
今度血を吐いたのは深酒というよりも、ウイスキーをストレートで飲む習慣が夏から続いて、その結果であったと思う。
強い酒をストレートで飲むのは胃壁を痛める第一の凶器と知るべし。
直後に水を飲み飲みしても役に立たない。
水の到着以前に木のウイスキーが胃壁に衝突しているから。
飲用以前に炭酸か水で割るべきである。
同じことのようでも手順が前後すれば、何事につけてもダメなものだ。
血を吐いたのは3度目で、そう驚きもしなかったが、少し胃を大切にしようと思った。
酒に比べるとタバコの方がもっと胃に悪い。
しかし、タバコも酒もやめられない。
酒は催眠薬に比べるとよほど健康なものだ。
催眠薬というものは寝てしまうとわからぬけれども、起きていると酒と同様に、あるいは酒以上に命定するということがわかるのである。
03:01
だから、眠るためには催眠薬は連用すべきものではない。
アルコールで眠ることがどれくらい健全だかわからない。
私が自分の体で実験した上のことだから、そしていくらか医学の本を調べた上のことでもあるから、信用していただいてよろしいと思う。
しかし、私の言っているのは酒を催眠薬として用いてのことで、それ以上に端的してのご乱業についてはこの限りではない。
私はぴったり催眠薬をやめたから、仕事の後で眠るためには酒に頼らざるを得ない。
必需品であるから酒を心よく胃に収めるために他の食物を接しなければならない。
なぜなら、私は酒を味覚的に好むのではなく、眠り薬として用いるのであり、それを受け入れる胃袋はますます弱化しつつあるからである。
私は2年前から肉食することは1年に何回もないのである。
それまでは特にちゃんこ鍋を愛用していた。
そのうちに鍋の肉は空気がしなくなり、人に中身を食べてもらって、後の汁だけでおじやを作って、それだけを愛用するようになった。
すき焼きにしても肉は人に食ってもらって、ご飯に汁だけかけて食う。肉の固形したものを自然に欲しなくなったのである。
魚肉もめったに食べない。まれにうなぎを食う。
1ヶ月に一度、鶏のロチの足の1本だけ食う。また、まれに肉まんじゅうを食う。
この2年間、肉食といえばそれぐらいだ。
ロチを1ヶ月に一度食うというのは、私の誕生日は10月20日であるが、にょうぼうはそれを2度忘れていた。
むろん私は忘れている。
で、にょうぼう思えなく、毎月20日にロチを食わせておけば、弟子の誕生日を思い出すにもあたらないやというわけで、
そこで鳥屋に予約してあるから、鳥屋は毎月ひなどりをまるまると太らせ、20日になると届けてくれる。
にょうぼうは忘れているが、鳥屋は忘れることがないという次第で。
したがって、わが家の客人は毎月20日に来るのが一番わりがいいのである。
そのほかの日は、はなはなしくごちそうがない。主人が菜食であり、素食だからだ。
06:04
2ヶ月前に血を吐いてからは、1ヶ月間酒をやめた。
同時に固いご飯をやめた。
もっぱらおじや。
まれにパン、そば、うどんである。
そして酒は再び飲み始めたが、ご飯は本当にやめてしまった。
それで一向に痩せないのである。
朝晩二度のおじやもごく少量で、ご飯の一膳に足りない程度であるし、
パンなら市販金、そばはざる一つ、あるいは鍋焼き一つ。
それで一向に痩せない。
間食は完全にやらない。ミルクもコーヒーも飲まない。
そこで私は考えた。
毎晩飲む酒のせいもあるかもしれぬが、おじやの栄養価が豊富なのだろうと。
そこで病人のご参考になるかもしれないから、小生工夫のおじやをご披露に及ぶことにします。
このおじやの工夫以前は、ちゃんこ鍋やちり鍋の後の汁でおじやを作っていたが、
これを連用して連日の主食とするには決して微味ではない。
少なくとも毎日食べて飽きが来ないという微妙なものではないのである。
なんといっても一番微妙な汁といえばスープであるから、それを用いておじやを作らせてみた。
そして二、三度注文を出し手を加えて、私の常食のおじやを工夫してもらったのである。
それ以来一ヶ月半、ずっと毎日同じおじやを朝晩食って飽きないし、他のおじやを欲する気持ちにもならない。
私のおじやでは、茎骨、鶏肉、じゃがいも、人参、キャベツ、豆類などを入れて、野菜の原型が溶けてなくなる程度のスープストックを使用する。
三日以上煮る。三日以下ではおじやがまずい。
私の好み、ないしは名心によって野菜の量を多くし、スープが濁っても構わないから、どんどん煮立てて野菜を溶かしてしまうのである。
したがってそれ自体をスープとして用いると、濃厚で粗雑で乱暴であるが、これぐらい強烈なものでもおじやにすると平凡な目立たない味になるのである。
このスープストックにご飯を入れるだけである。野菜はキャベツ長量を刻んで入れる。また少量のベーコンを細かく刻んで入れる。そして塩と胡椒で味をつけるだけである。
09:14
私のは胃の負担を軽減するための意味も持つおじやであるから、30分間も煮てご飯がとろけるように柔らかくしてしまうというやり方である。
土鍋で煮る。土鍋を火から下ろしてから卵を1個よくかき混ぜてかける。再び蓋をして1、2分放置しておいてから食うのである。
この辺はフグのおじやの要領である。おかずは取らない。ただ、京都のギボシという店の昆布が好きで、それを少しずつおじやに乗っけて食べる習慣である。
朝晩ともにそれだけである。酒の魚も全然食べない。ただ舐める程度のもの。あるいは少量のおしんこのごときものを魚にする程度。
世にこの上の貧弱な酒の魚はない。
ついでにパンの食べ方を申し上げると、トーストにしてバターを塗り、からしは用いず魚肉のサンドイッチにして食べる。魚肉はタラノコ、イクラなども良いが、生酒を焼いて熱いうちに醤油の中へ投げ込む。
この醤油は、いっぺんにて沸騰したものを冷まして用いる。3日間ぐらい醤油漬けしたものを取り出してそのまま食う。これは新潟の京都料理、主として子どもの冬の弁当のおかずである。
この酒の肉を崩してサンドイッチにして用いる。また味噌漬けの魚がサンドイッチに適している。魚肉とバターが舌の上で混合する味がよろしいのである。しかし要するに栄養は低いだろう。以上のほかにはバナナを1日に1本食うか食わずで食べない日が多い。それで痩せないのである。
病的に太っているのとも違う。だから生政工夫のおじやに栄養が宿っているのと思うのだが、大方の評価ではどんなものであろうか。とにかく生政の主観ならびに主として酔っ払いの客人の評価によると微々の良しである。
最後に誤解されてお叱りをこむると困るから申し添えておくが、おじやを食い肉食完食しないのは私だけで、家族犬も含めては存分にその各々の好むところを奉食しているのである。
12:36
ご視聴ありがとうございました。
15:56

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